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歌うクジラ
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歌うクジラの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.60pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全72件 41~60 3/4ページ
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「歌うクジラ」上下巻、やっと読了。 「歌うクジラ」という詩的な題名にひかれて読んだのだが、 それと内容とはあまり関係がない。 RPGをやっているような長い冒険の旅である。 タナカアキラという主人公の少年が、未来社会の地獄巡りをして行く。 村上龍特有の激しいアクションシーン、凄まじい暴力、異常な性愛、 不可解な荒廃した未来社会の姿、が続き、本当のところ読み進めるのに かなりの苦痛を感じた。 しかし、村上龍の妄想的想像力にはある種驚嘆する。 小説のできとしては?である。前作「半島を出よ」のほうがずっといい。 | ||||
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面白いか否かで言えば、かなり面白い。冒頭のバイオレンスシーンも導入部としてはとても巧く引き込まれるし作品全体のテンポもよくかなり読ませる。だが、なんというかテーマがそのまま書かれ過ぎ、なのだ。純文学として成立させる事の原則としてテーマはあくまでも具体的なモチーフに表現しなければどうにもならない。『カラマーゾフの兄弟』のような例外中の例外はさておき、この最新作では残念ながら村上龍氏の創造性もだいぶ厳しいところに来ていると思わざるを得ない。無論、中には著者の才能がぎらりと光る秀逸なモノを食べる女性の映像シーンがあり、「これこれ!村上龍の才能の凄いとこ!」という所もあるのだが、全体としては平坦。かつ著者の最大の武器であったねっとりとした描写力が無くなり非常に淡泊な文体になってしまっている。村上龍氏は村上春樹氏と違い、純文学の王道でノーベル文学賞候補的な位置づけで評価を受ける事に興味も無いと思う。でなければあんなにポンポン思い付きで小説書きまくらず、メインストリームを構築する事に主眼を置いて活動してきたはずだ。TV出演も多いのだから経済的には相当潤っているだろうし、小説で儲けまくらなくても良かったはずの人だ。僕はそういう雑食動物的村上龍が好きだし今後も応援していきたい。そこで、また『半島を出でよ』の時のようにみっちり時間をかけて、あとひと花もふた花も咲かせて欲しい。頑張れ村上龍! | ||||
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これ読むより「半島を出よ」(上)(下)、もしくは「五分後の世界」を読んでほしい。 それらが村上龍の全盛、最高傑作です。 | ||||
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コンラートローレンツ「攻撃」+「脊椎動物の進化」+ 今西生物学 + 柄谷「日本近代文学の起源」 + 岸田秀「ものぐさ精神分析」。SW遺伝子のオリジンとしてがクジラを登場させたのもそれが究極 の脊椎動物だからか。このあたりのエッセンスはすでに20年前の「EV Cafe」の延長で(なので、 電子版に教授が音をつけたのもうなずける。)、でもだからといって読むに足らないというわけではない。 いつもどおりの村上龍クオリティの大作で楽しめるし、やはり少なからず人類の行く末を予言している。 だけどファンにとっては、やはりどこかで「いつもどおり」という感じもするので、星4つか。 | ||||
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とにかく読むのが苦痛だった。面白くない。わけがわからない。エンターテイメント性もまったく感じなかった。 上巻は途中から斜め読み。5分後の世界とか希望の国とか半島を出よとかそこらへんの要素が幾分 混じっていたようだ。 | ||||
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幽遊白書のうらめし幽助、ドラゴンボールの孫悟空にはなくて、この歌うクジラの主人公にはあるもの、それは想像力。 幽助や悟空は、決定的な危機感の欠如によって仲間を失う場面があった。 戸愚呂弟に殺されかけた桑原、フリーザに殺されたクリリン。 彼らの犠牲があって初めて、自分たちの追い込まれている状況を理解できたのだ。 歌うクジラの主人公はあらゆる場面で想像力を働かせて、仲間や自分をピンチから救い出そうとする。危機的状況において何が最善/最悪のシナリオとなるのか、を想像できる力がある。 その想像力のおかげで、彼は何度も窮地を脱して次のステージへと向かっていく。 この小説を読むメリットの1つは、想像力を養わせてくれることです。 | ||||
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人間と社会を、生物学と社会学の両面から考察しつつ、黙示録的に次々と場面を展開させている。 下巻の方が、上巻よりも物語の方向性が見えてきて、読みやすかった。 大どんでん返しもあるし、上下巻通読するとそれなりに納得できる。 だけど、やっぱり少々高みから見すぎている感じ。登場人物に感情移入できない。 世界を丸ごと描写しようという試みは、いくら村上龍でもやや手に余った。 | ||||
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22世紀の未来社会が舞台とはいえ、SF者と呼ばれる人が読んでムラムラするほどSFマインドに満ちているかは、SF者じゃない自分にはわかりませんでした。あてずっぽで言えば、「一般映画ファンが観るハリウッドSF」ぐらいの濃さだろうか・・・?。昔からの読者は、あ、これはあの作品の何々じゃないかと思う過去の村上龍作品の「あれこれ(人、物、事)」が、勿論そのまんまの姿、名前ではないですが、いっぱい出てきます。それがファンサービスなのか、それとも新たなレパートリーを付け加えるのは不毛で徒労で非本質的と考えたのか、いやそもそもそういうことにまったく頓着しない人なのか、自分にはわかりませんが、何か総まとめっぽくて感慨がありました。読者に何を伝えたかという核心部分については、過去の氏の著作と比べて何逍レ新しいものはないです。自分は「またか」と思いましたが、大切なことを「またか」と反応してしまう自分のほうが問題があるのではなかろうか、と、妙に真面目な気持ちにさせられる・・・村上龍の小説にはそういう性質もあると考えます。あと、このlの言葉を厳密に選んで読者の感じ入る部分を狙い撃ちする腕は健在です。「お話」としての「歌うクジラ」について言えば、レビュアー諸氏の書かれたとおり、コンスタントにエログロがてんこ盛りで、描写が残酷だから読む自分の気持ちを乱され、不快にさせられたり、ときに緊張を強いられたりもしましたが、涙も感動もちゃんとありました。マイナス点は、上下巻で700ページはちょっと長い、ある人物が最初と最後でキャラが違うように感じてちょっと訝しい、そんなとこです。(下巻まで読んだ感想です) | ||||
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まだ上巻しか読み終わっていませんが、村上龍集大成というよりベストアルバム、という表現の方が僕的にはしっくりしてます。 と、コインロッカーベイビーズへのリベンジなのかな、とも感じました。 下巻、楽しみだ。 | ||||
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村上龍の作品はよく読んでいます。今回は読むのが少しきつかったけれど、「移動」をテーマにした挑戦に拍手です。 | ||||
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ここに描かれた世界は、現在の日本国家の閉塞感を 村上龍氏個人がじっくりと発酵させ腐敗させた末に 産み落とされた世界、そんな気がした。 歴史や国家、民族といったものを無意味無価値 にして混沌とさせた上に成立したSF(?) という分類なのかはオールドファンの私にはよくわからない。 本作では、少子高齢化・移民による混沌化と、かの遺伝子 にまつわる要因により日本自体は今の概念では消滅している。 村上氏のアナーキーさが劣化しそれが安易に垂れ流されている感すらある。 半島を出よあたりから目立つ、徹底的な軍事軽視(ミリオタという意味でなく 国家のパワーとしての軍事力への無理解。それは一貫して 「システム」や「世間」への憎悪と破壊を描いてきた氏にとって もはや越えられない壁になっているのかもしれない。)は、 自国はともかく、それ以外の外国との関わりを描写する際には致命的ですらあるように思う。 作品と現実、その乖離は年を追うごとにひどくなるばかりだ。 (冷戦時代が一番マシだったのは偶然ではあるまい。 「情報」がより特権的な時代だったし、それなりに安定した世界観でみなが生きていた) 愛と幻想のファシズム 五分後の世界、希望の国のエクソダス、 半島を出よといった「破壊系」の系譜なのかもしれないが 個人的には、みなそれぞれに共感できるエネルギーやプライドの描写 があった(だからその成立過程に難があっても 圧倒的なドライブ感の前には気にならなかったものだ)。 本作ではその逆だった。 そこからなんらかのメッセージを読み取るのはもはや苦行でしかなかった。 本作はむしろ「システム構築系」の作品かもしれない。 (個人的な解釈としては) 驚くべき閉塞感に満ちた世界の、元気を奪われる物語。 思い浮かんだのはそんなコピーだった。 いよいよ村上龍氏に対する受容体(レセプター)が減少して きたのかもしれない。 | ||||
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現在政府が通そうとしている国民総背番号制から人体埋込型マイクロチップ(ベリチップ、ペット用は既に実用化 などは、ヨハネの黙示録で言う獣の刻印だ。まずペットで人体埋込型マイクロチップは便利だと宣伝し、 最終的にマイクロチップのインプラントがない人は何のサービスも受けられなくなる世界を本気で目指している 人達が、空想の世界でなく現実に存在している。人間は、そこまで無知無能ではないだろう。 村上氏も、300人委員会などの陰謀論を読んで、本書の構想を練ったのだろうか?一流の作家が、 人体埋込型マイクロチップが実現化した近未来を描こうとした勇気は賞賛に値するだろう。 小泉政権が実現化した労働者派遣法によって、不況の時は何時でも首切りから、労務費の変動費化、 さらに新たなる貧困層の創出、格差社会が日本に実現した。 この本では、格差社会の究極の世界、下層、中層、上層の重層構造、上層者にはsw遺伝子で不老不死、 下層の者には薬剤を混ぜた棒食とsw遺伝子を悪用した急速な老化政策。急速老化に苦しむ親父か らsw遺伝子の秘密を託してアキラが旅立っていく。競争に敗れた屑は、排除してかまわない ゴミであり、奴隷にしてもかまわない。この本は、一部の支配者層による人類総家畜化、 奴隷化の未来を描いたものだ。アキラは奴隷化された人間を救うことが出来るのか。 | ||||
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ようやく読み終わった、というのが読了直後の正直な感想です。iPad版が出た時から興味をそそられ、書籍版が出てすぐに購入したものの、なかなか読み進めることができませんでした。物語の世界に入り込みにくいことに加え、暴力や性の描写がグロすぎました。期待していただけに落差は激しく、途中何度も挫折しかけました。3360円という投資をしていなければ、とっとと投げ出していたかもしれません。 ストーリーとしては、現代とはまるでパラダイムの違う22世紀の日本を舞台に、あるミッションを背負った少年が目的地へ向かって旅をし、その途中で様々な経験をするというもの。とは言っても、その過程で少年が成長していくというありがちな冒険譚では決してなく、落としどころがつかみづらいのです。登場する人物たちも特に魅力的というわけではなく、誰かに感情移入することも難しい。読み手の忍耐力や想像力が試されているという印象を持ちました。そして最後になって、ようやくすべてつながりました。魂を揺さぶられたことは事実です。 なぜ村上龍はこのような小説を書いたのか? ダンテの『神曲』も発表当時から毀誉褒貶にさらされ、その後徐々に世界文学の代表作としての評価が確立したそうです。想像するに、出版界に一石を投じた発表形式、不老不死の遺伝子や文化経済効率化運動という未来観、文法的に無茶苦茶で読みにくい日本語などすべての要素を含め、読者の賛否両論を煽り、後世に評価を委ねることこそ、村上龍の望むところではなかったかと思えるのです。 | ||||
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毎回の事ですか村上龍の小説は精神的にも体力的にも読むのにかなり消耗する。ただが小説で普通ならあり得ない。 一歩間違えると大変な事になりかねないというスレスレのところで読んでいる感じがする。そのくらいヤバい。 そういった意味で村上龍の小説は世界的にも過小評価されているのではないかと思う反面仕方が無いという気がしてしまうのも事実。 テレビで見る現実の村上龍さんがすごく紳士でまともな人物という事が大衆的にも大きく知れ渡っているって事でで発表が許されているって気がするぐらい。 夢野久作の小説にも似ていますがような狂人の書いた小説のような紙一重の危なさ。 今回の歌うクジラ(上)は今までの作品に比べても特にその部分が顕著に表れている気がしました。 「5分後の世界」なども悪夢の中を彷徨う感はあるにしても主人公や登場人物がまともで共感できる設定であったのに対して本作は登場人物の生い立ちや描写も理解を超える設定で「自分」の焦点(共感度)をどこにも合わせられない身の置き場のなさを感じる。 旅に出るという設定で「イビサ」も彷彿させるがグロテスクながらも詩的な美しさが前面に出ていた「イビサ」に対してむき出しのグロテスクという感じで正直キツイ。 唯一、島から逃走する場面はカネコアツシの漫画の場面を彷彿させ現代的SF作品ののりで書かれていましたがそれ以外の場面頭に浮かんだのは非現実の王国を描いた「ヘンリー・ダーガー」の世界です。 「ヘンリー・ダーガー」の様な狂人が書いたものを読んでいるってそんな印象の作品でした。 | ||||
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「神曲」や「ファウスト」のような、「電子書籍時代の神話」とでもいうべき、壮大な物語構造をもった作品。 下層、中層、上層の重層構造となった近未来の日本を巡る15歳の少年の旅。 ただし、地獄、煉獄、天国をたどり、最後にハッピーエンド(救済)が待っている「神曲」の予定調和的な世界観とは全く異なる。 上層が下層に比べて幸福なわけではなく、本作品で描かれているのは、徹底して精神の病にむしばまれ、絶望と閉塞感にうちひしがれた世界。 エンディングに示されたのは、かすかな希望なのか?それとも諦念なのか? とてもフェティッシュで、眼前に映像が浮かんでくるような緻密な描写に圧倒される。 | ||||
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村上龍の活字における強度は相変わらずで嫌が応でも読まされてしまう力があり これまで読んだ作品はどれもぶっ通しで読了していたけれど 本作は読了するまで10日程要した。読み進めるうち徐々に この小説全体から伝わってくるものの内部というか一部に嫌な、 受け入れたくないものが潜んでいる気がして読み進むことを自分が恐がったというのがその理由。 読了後の喪失感は大仰すぎる実生活に多少影響をきたす程だった。 その後、少しづつ自分に伝わったことを整理し直し 自分なりに言葉にしてみようかとトライした結果こうなった。 クジラが歌おうが歌わまいがそれはクジラが勝手に決めることじゃん クジラは人間から一方的に決められたメロディーをおしつけられるのは まっぴらゴメンねって知るかってなかんじなんだろ 歌うんだったら好きなメロディーを自由に歌うんだろ 人間だって同じだろ それぞれが好きなメロディー歌えばいいんだ つーか好きなメロディーみつけだして歌うしかないじゃん 誰も教えることができなくなっちゃったんだから 誰かと合唱しよ 独りでも歌お 別に歌わなくたっていいし 心臓が動いてればそれが音楽になるから 死なずに歌え 好きにしろよい | ||||
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ストーリーに付いては他の方のレビューを参考にしてみてください。 「半島を出よ」を読んだ方なら想像できるかもしれませんが、著者のスリリングな緊張感を読み手に与える描写力がたいへん素晴らしく、 特に戦闘シーンや、主人公が危機的状況に陥った場合に、読み手の鼓動が早くなり、不安になりながらもページをめくる手が止まらなくなるような (いわゆる)エンターテインメント性の非常に強い、良い作品だと思います。個人的には読み応えもあって好きな小説です。 ですが、不潔で醜悪な描写、残酷な表現、映像や画像では間違いなく規制が入るであろう表現が次々出てきます。著者の抜群の描写力でもって 鮮明にイメージさせられるので、なかなか精神にきます。これをエンターテインメントだとサラリと流せる人は良いのかもしれませんが、 内容的に児童ポルノや幼児虐待に触れるような表現も含まれており、その状況をイメージするだけで後々まで暗い気分を引きずる結果にもなりかねません。 著者のファンで、メール配信のJMMを購読していますが、日本の将来を憂いる社会派である著者が、どうしてここまで残虐で(ストーリーとしては一部ながら) 反社会的な状況を描写するのだろう、というところに興味が湧きます。社会的影響は考えず小説はあくまでも娯楽として割り切っているのでしょうか。 だからといって安直に規制すべきと論じているわけではありません。あくまで個人的な興味の範疇での話です。 | ||||
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村上龍氏は、真面目で本気だ。これまでと同様に。これはSFだろうか? むしろ、SFというジャンルを消滅させたのではないか? いいかえれば、この作品の登場は、それを境にしてSFという独立したジャンルが消滅した記憶すべき歴史的地点を記しているのではないか? この作品の核心のアイディアは、技術と思想と社会が不可分なシステムとして、100年後というより、はるかに早期に実現するだろう。 すでに報道されている事実に以下のものがある。[1]監視する薬=マイクロチップが埋め込まれた錠剤の承認が間近である。[2]マウスの胚と卵母細胞(卵子)に、シリコンで作られた微細なバーコードを付着させる固体識別システムが開発されている。研究者たちはもうすぐ、このシステムを人間の胚と卵母細胞で試す。 この小説で描かれた、ハイテクノロジーで武装した極度の階層社会は、近似的な形ではあれ、その骨格においてすでに存在しているのではないか? もちろん村上龍氏は、そのことに気づいている。だから彼は、これからも書き続けるだろう。しかし、不断の努力によって得た知見から生まれる悪夢それ自体は小説世界として提示することで、彼は、その世界をも超える想像力に賭けることができる。そして、真摯に私たちに呼びかけることも。たしかに、それは稀有なことだろう。 この作品から感じることは、村上龍がいつまで書き続けられるのかは、私たちにとっての臨界点だということだ。もし彼が書けなくなったとき、読者はそれに耐え、みずからの創意工夫で、なお生き延びることができるだろうか? | ||||
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最初はスピード感があって面白かったのだが途中からグダグダしてきてつまらなくなった。 未来のスポーツだとかどうでもいいようなSF描写、話が多くもう少し短くできなかったのかと思います。 | ||||
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「五分後の世界」や「イビサ」のような冒険小説で、村上龍ならではの緻密かつスピード感のある描写にとり憑かれてしまった。 そして、ラストシーンが凄い。 作品やエッセイにて村上龍が何度も強調してきた、「死んではいけない」「自分の中には何もない、あるのは他者との関りだけだ」「いかに自意識から自由になるか」といった主張を、*全く新しい形で*表現されていた。 | ||||
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