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ムーン・パレス
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ムーン・パレスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 41~60 3/5ページ
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ポール・オースターの1989年に発表された小説です。幽霊たち(Ghosts)が1986年で、リバイアサン(Leviathan)が1992年ですから(ついでに鍵のかかった部屋は1986年)、その間に発表されています。 僕は、このムーン・パレスを積ん読にしておいたのですが、一度読み始めると、そのくだらなさ、冗長さに、いやになりながらも惹かれてしまいました。なにしろ、3代にわたる、父に棄てられた、もしくは父親の存在を知らなかった男たちの物語なのです。しかも、それぞれの代の男たちが物語をもち、また、物語を語るのです。 もちろん、語り部のマーコに一番感情が移入されるようにできているのですが、いつの間にか、エフィングという老人の物語に心ひかれ、つぎに、彼の息子であると判明するバーバーの純粋で悲しい人生に惹かれてしまうのです。 とても、面白く、悲しい物語です。 | ||||
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小難しいヌーボー・ロマンのような作品やメタフィクションではなく、リアリズムのオーソドックスに面白い純文学はないかな?と探した結果、ポール・オースター作品の中でも一番レビューも多く評判もいいので読んでみた。まず、単純に面白い。抜群にスリリングで一時も眼が離せないというタイプではないが、著者の奔放な想像と構成がなかなかよくできていて楽しんで読める。ただ、難点をあげれば主人公の観念的で内向的な心理描写が一つ一つのモチーフを深めてはいるが、--(これが本作の魅力でもあるが)--逆にデッサンの完成度としては弱くしてしまっている。奥付を見るとアメリカで発表されたのが1989年とある。著者が本格的な執筆活動に入ったのは1985年あたり。従ってキャリア4〜5年の頃だ。この段階ではまだ作家としての自己表現衝動が練れて処理できるスキルは未習得な時期なので、仕方のない事とも思う。だが、ストーリーそのものはありきたりなエンタテイメント小説よりも遙かに工夫されていて、面白く、決して読んで損はない。〜ポール・オースターは最近の海外の純文学作家としては珍しく日本で文庫化される稀有な存在なので、他にもたくさんの作品が廉価で入手できる。著者の作品は本作とリヴァイアサン (新潮文庫)とシティ・オヴ・グラス (角川文庫)しか読んだ事がないが、初期のメタフィクションスタイルを脱してかなり幅広い作風を確立しているようだ。次は傑作の名高い幻影の書 (新潮文庫)あたりを読んでその変遷を楽しんでみたい。 | ||||
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読みやすい文章、軽快なストーリー展開、読者を引き込ませる台詞。この本を読み終えたとき、とてもアメリカ的な小説だなと感じました。親族が死に、人生に何の希望を持たなくなった世捨て人が、すんでの所で偶然により救われる。僕がアメリカ的だと一番感じる箇所はエンターテイメント要素がたくさん盛り込まれているところです。それを具体的に説明するのは難しいんですが、この小説は少年の冒険欲を揺さぶるスパイスを含んでいると感じました。また、主人公がコンプレックスを隠そうと理詰めで自己正当化をする部分など、「わかってるなぁ」と共感する部分もあります。そんなに難しくない、気軽に読めるアメリカ文学の一つだと思います。 | ||||
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込み入っているようで、実は単純な流れが背後あるストーリー。展開はテンポ良く流れて行き、飽きさせない。キャラクターには深みが無いのが詠みやすい理由であるが、それが欠点になっておらず、むしろ引き込ませてゆく。大きく三部構成になっているが、ラストが以外と単純で、少々物足りなさが残った。 | ||||
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「足りないものは、誰かに補ってもらえ、 誰かが足りないものは、自分が与えてあげる」 そういった必然的な美しい宇宙の法則を感じた。 ギリギリを体験した者しか描写できない表現、そして、 「あ、これ翻訳ものだった」と思わせるのも柴田さんのすごいところだ。 公園での生活、盲目の老人の世話、最後の引き合わせまで 息をつくひまもないくらい、どんどん読んだ。 柴田さんにお会いした時、 「この本に中学生くらいで出会えるといいですよね」と言われたことを覚えている。 オースターの中で間違いなく1番好きな小説だ。 | ||||
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This story is about a painful but hopeful life of one penniless American young man who had fateful encounters with an attractive Chinese girl and with a blind and crippled wealthy old man both in New York, then learned from them that what is really important in life is located beyond the area where money can buy. I saw that love, sensitivity and empathy were the some of the examples the author indicated. As the old man once did so when he was young and had a question in life, the young man also traveled to the American West to look for the meaning of his life. Travel brings encounter, encounter produces discovery and it is accumulated as knowledge, which makes a man more far-sighted. This point was what I felt I was taught by this book. | ||||
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本屋さんで冒頭の英文を目にしてほれ込んで購入した一冊。極上の青春小説です。 柴田元幸さんのとても優れた翻訳も出ています。 (「なか見!検索」で冒頭が読めるので、冒頭部分と私の訳を載せます) It was the summer that men first walked on the moon. I was very young back then, but I did not believe there would ever be a future. I wanted to live dangerously, to push myself as far as I could go, and then see what happened to me when I got there. As it turned out, I nearly did not make it. Little by little, I saw my money dwindle to zero; I lost my apartment; I wound up living in the streets. If not for a girl named Kitty Wu, I probably would have starved to death. I had met her by chance only a short time before, but eventually I came to see that chance as a form of readiness, a way of saving myself through the minds of others. That was the first part. From then on, strange things happened to me. I took the job with the old man in the wheelchair. I found out who my father was. I walked across the desert from Utah to California. That was a long time ago, of course, but I remember those days well, I remember them as the beginning of my life. (拙訳)人類が初めて月を歩いた夏のことだった。当時僕はとても若かったけれど、自分に未来があるなんて信じていなかった。僕は危険な生き方をしてみたかった。行けるところまで自分を追い詰めて、それで僕に何が起こるのか見てみたかった。結局、それはほとんど失敗だった。少しずつ、僕の持ち金はゼロに近づいていった。アパートも引き払って、路上生活をすることになった。もし、キティー・ウーという女の子がいなかったら、僕はおそらく餓死してしまっていただろう。キティーには、その少し前に偶然出会っていたのだけど、僕はやがて、その偶然を、心構えの1つのあり方だと見なすようになった。他者の心を通して自分を救うことができるのだ、と。それが、始まりだった。それからというもの、奇妙なことが僕に降りかかるようになった。僕は、車椅子に乗った老人の面倒をみる仕事をした。僕は、僕の父親が誰であるのかを知ることになった。僕は、ユタからカリフォルニアまで砂漠を歩くことになった。もちろん、ずいぶん昔の話だ。でも、僕はその頃のことをよく覚えている。僕の人生の始まりとして。 | ||||
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よく指摘されることだが、いわゆる青春小説。 同じ青春小説といっても「キャッチャー・イン・ザ・ライ」とは違う。 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が孤独にさいなまれながらも自己否定を続ける少年の物語ならば、 こちらは失っても失っても何かを掴み取っていくそんな青年の成長の話。 師であり唯一の近親でも会った叔父の喪失に始まり、祖父であり親友でもあった老人の喪失、そして最後に行き着いた父親の喪失、 と次々と大切な人々を失う。 しかし、主人公マーコは失い、傷つきながらも少しずつ何かを掴み取っていく。 人生において青春時代はもっとも輝かしいときといわれるが、その期待の半面無残な青春を送った人々も多いと思う。 あるいは毎日の仕事に疲れ果て、自分が何を残してきたのか疑問に思うこともあるかもしれない。 だが、この本はそうして猜疑心と喪失感にさいなまれた人生を送っても、そのなかには何かをつかみ取れる、すべてを失ってもまだ何か残っているという感じを読者に与えてくれる。 他のレビューでも指摘されているとおり、実は荒削りな部分もあり、統一感がない部分もある。一部にはあまり必要ではな異様に思われるエピソードもあるという意味で、もっと純化できる作品ではあったと思う。 しかし、それでもなおこの小説はなんとなく毎日を追いまくられている人々に人生の意義があることを思い出させてくれるはずだ。 | ||||
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大して小説を読んでいるわけではないのですが、僕の中でベスト一冊です。 文章を読んでいるだけで良いと感じた本。 今まで孤独を感じたことがあるという方はぜひ読んでほしい。 | ||||
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古い本。たまたま古本屋で見つけて買っておいたのを読んだ。初めてポール・オースターを知ったのは大学生の頃だ。もう20年も前になる。 当時は、全然読む気にもならなかったのに、この年になって、読むようになるとは。不思議。 柴田元幸の訳もすばらしいが、切ないくらい美しい文章で、残酷なまでに美しくない青春、人生を描いている。 この世界には、なんと悲劇が満ちていることか。しかも、その悲劇が人の目にも触れず、何でもないように流れていく世の中。無常だなぁ。 今になって、オースターのよさに気付くとは、もったいないことをした。 | ||||
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怪しい雑貨店で見つけた文庫本でした。 「絶対読んでみることをお勧めします」 と書いてあったので、出張の待ち時間に読み始めました。 本当に飽きることなく、最後まで読めた本です。 父子関係、喪失と再生、死に向きあう生。 そういうことが月を象徴として書かれてあって、面白かったです。 | ||||
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伯父さんの死から始まる死と破滅の物語。 読者に悲劇をつきつけ、同時に馬鹿げた劇が同居していきます。 オースターの悲劇を物語の積み重ねで喜劇に作り変えていく手腕はおもしろい。 それでいて悲劇のなかの感傷を壊さずに小説を終わらせてしまう。 いたるところに鋭い感傷の世界が広がっているために 喜劇の世界をまるで違った世界観のように読者に感じさせるような小説です。 | ||||
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この小説に関する作者自身の言及は、「空腹の技法」というインタビュー集に沢山入っている。レビューのタイトルに引いた言葉も入っているので、この作品を気に入った人は一読を勧めます。 1969〜71年、アポロ月面着陸とベトナム反戦運動の時代。現代アメリカ史の青春時代みたいな時間を、主人公はいつものオースターの作品同様に世間の動向とは全く関係せず、ひたすら受身かつ内向的にウロウロする。N.Y.から西海岸までを「西進」する彼の自分探しの旅に、ユタのインディアン遺跡、植民と西部開拓の歴史が重ねあわされる。 作者自身がインタビューで応えているが、この話はアメリカの「進歩主義」に対する批判でもあるそうだ。過去の世代の過ちをアメリカ人は反復してしまうものだ、と。でも、その反復の先に希望を見出そうという意思を主人公は成長しながら得ていく。文字通り、何もかも失いながら、孤独の中で。人を絶望から救うのは偶然と他者の愛だ。そして、本当に希望が無くなった時にならないと、救いはこない。こういう説明が、何度も繰り返される。それを知っているから、主人公は孤独なラストであんなに力強くなれるのだ。感動的なエピソードだと思う。 オースターの作品群の中では、ポジティブな味が強くエピソードも豊富なので、読みやすいです。例えば、「偶然の音楽」はいい小説なんだけど、鬱のときに読んだら非常にキツかった。でも、この小説は元気になった。僕同様、ヘコんでる人に読んでほしい本だと思います。 | ||||
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非常に面白いストーリー。 おもしろい展開だけど、おかしくないか?と言うツッコミはない。 なぜだろうか。 青春は、そして人生は、多かれ少なかれ必然の偶然がある。 それを作者が絶妙にそしてパワフルに作品に送りこんだからだと思う。 そして誰もが青春をしっているから。 雨は決して降り続けることはない。 そして点と点はつながる。 | ||||
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現代日本にとっては極めて現代的な内容である(のではないだろうか)。 とくに、耽美的であり虚無的な20代の青年には、その衝撃はかなり大きいのではないだろうか。いつか読むべき本ではなく、『今』読むべき本だと思う。 | ||||
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この小説は初めて最後まで読めた小説だった。ポールオースターの美しい言葉や表現でドンドン見入ってしまった。やはり絶品の小説だった | ||||
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もう読んで何年かになるが、それでも時々思い出すのが、主人公が台所で卵を落とす場面である。おそらくオースターの実話だからだろうが、困窮する生活の中で大事な卵を落とす深刻さが本当によく書けていた。ことばから何かがイメージできるなど幻想に過ぎないが、この卵の落ち方の生々しい物質性は、その幻想を信じる気に十分させる。 | ||||
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そういう物語。 息している限り、息がある限り、私たち人間は生きているのです。 長い物語のあらすじを描くと総てが見えてしまうのはこの作者の作品の特色です。 なので作品に関しては何も言えないわ。 息があった事を、主人公に祝福。 生きていてよかったね。 命あってのものだねだ。 過去は捨てればいいものだもの。 | ||||
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この本は何度も読める本です。 また「え!!!」となるお話がたくさんあります。ポール・オースターは、浅田次郎先生のように、不思議な気持ちを読者に与えてくれる、素晴らしい作家です。 詳しく感想を書きそうなんで、ここでやめますが、だまされたと思って読むと、温かい気持ちになります。 お勧めです。 | ||||
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秀作だと思います。 青春小説、と呼んでいいのかな。 でも心にどしんと来るものがあります。 話の引き込み方はさすがの一言。 厚い本なのに、終わるのがもったいないと思える出来。 本当はけっこう悲しい物語なのですが、なんだか心地よい読後感でした。 | ||||
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