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涼宮ハルヒの消失
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涼宮ハルヒの消失の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.87pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全125件 1~20 1/7ページ
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ハルヒシリーズの中でも、これだけで映画を作るのがわかるなあっていう位の完成度。 1作目と双璧をなすというのはその通りなんだろう。ただ、1作目を前提に置きつつ2,3とキャラ理解などを深めたなかでのこの作品だったから凄い愛された作品でもある。ある程度のキャラ理解・思い入れがあるからこそ、理解できるものという印象。 まず1-3作までは基本的に、巻き込まれるだけだった主人公(それぞれに合わせた行動を取っているが、大きな枠組みがあるなかでの動き)が、本当に大きな問題に巻き込まれた時に自分の意志を示したという転換点である。これが信頼できない語り手という視点でハルヒシリーズをみれるという事だろう。 要するに、涼宮ハルヒ自体が学校から消失するわけだけど、そこに至る全ての思い出を一切奪われた時、それまで過ごした世界から違う世界に放りこまれた時に、それまでほとんど受け身的な人間だった彼が能動的にアクションを起こすという意味で大きな変化が生まれている。で、読者もここまでのこの作品の流れを知っているからこそ少し応援できてしまう。 また、この騒動が起きたことについても思いを理解できる。そういう意味で、もし違った世界だったらという想像などを掻き立てる作品になったんだと思う。 | ||||
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過去本で持っていたが、転居の際捨てざろう得なく悔しい思いをしたので。 | ||||
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[ネタばれふくむ] 人気ラノベの本作を今更読み進め此処まできた。アニメで観た時にこの「消失」が傑作と評されているのがよくわからずパラレル版長門が可愛いからかな…と雑に考えていたがあのころは能動的にエンタメにふれてなかったのでわからんかっただけだった…が今ならある程度わかる…。 この小説4冊目ではまだやってないループする夏休みなるワードがでてくるがそれはアニメで観たので知っているわけであるが…。 本作のパラレルワールドはなかなか気が利いており、もとの世界のほうが異常なことだらけで、パラレルワールドのほうがすごく普通なのである。異世界転生もののテンプレの逆というか。「異常」に慣れたキョンが「普通であること」に戸惑うわけだね…。自分は平凡、普通と言い張っていた価値観が既にひっくり返ってるのをようやく知るわけだ…。ついでに彼がある程度の平静さをたもつのも異常事態に慣れてるからだが、これは異世界転生したひとが「これがよくある異世界転生か…」と冷静に言うやつと理屈は同じである…説得力と作者の技量に天と地ほどの差があるが…。異世界ものはこの「消失」を物凄く水で薄めてほとんど味がしなくなったような代物だと言えるかも…。 1巻にてハルヒが語る苦悩はモラトリアムグルグルの典型、大人になるのならないの、とゆう押井のビューティフルドリーマー以降、雨後の竹の子が何時まで経っても雨がやまず根絶やしにならなずにしつこくニョキニョキと筍が生え続け群生しているみたいなうちのひとつだが、本作のばあい、その当事者たるハルヒが世界を構築できる神様なので、大人になったところで「ハルヒが大人になったっぽい世界を作るだけ」になるのでは…という疑問があり。 しかし2巻以降のハルヒをみると彼女はただ単にたのしい青春を送りたかっただけの女子にも見え、SOS団なるものを結成し、そのメンバーで楽しく野球をしたり映画撮影したり、孤島ミステリしたいだけなのでは…と。彼女が非日常を望むのは、単純に、それしか楽しい青春を知らなんだのではないか、要は漫画やアニメのなかにしか楽しい青春の参照がないので、それを再現しようとしただけなのではと。高圧的な言動も、これでしか他人とコミュニケーション取れんのでは。SOS団団長だの、映画監督だの、役職を演じないと、ふつうに同世代の男女と接することができんのでは。中学まで友達がいなかったのかもしれない。それは異世界ものでコミュ障の主人公が魔王ロールプレイでしか他人と接することが出来ないのと一緒だが説得力と作者の技量が以下略。雑に言うと高校デビューしたオタク女子がたまたま神様だったと。 そんな感じで実際に楽しい青春を謳歌すると彼女の抱える苦悩はなくなってくのでグルグルからもいずれは卒業…といきたいところだが彼女が神様なので前述のような問題点が発生する…わけだが、この消失でその解決策が出せてしまうのである。しかしその解決策を否定しちゃうわけだ…なぜなら…。 退屈な日常に埋没しつつグルグルする少女がそのグルグルから脱却するべく現実を楽しく変えていこうと一念発起して高校デビューした結果、彼女は楽しくなってしだいにグルグルしなくなってくのはよかったが、その彼女が作り出す楽しさが別のひとにとってのモラトリアムグルグル世界たる「永遠の夏休み」「文化祭の前日」になってしまった…とゆうことで涼宮ハルヒシリーズはこの4巻にてグルグル世界が複製され、「お母さんに包まれながら男子が永遠の夏休みでグルグルする」という本来あるべきモラトリアムグルグルの立ち位置に居る男子も新たに生まれてしまったというところだろう…。グルグルは…伝染するのだ…。 押井のビューティフルドリーマーがあまりにも楽しかったのでみんな真似したように、グルグルは伝染するのである。秘密結社をこしらえて人型兵器で云々のあれも終わるまでに20年以上もかかったようにグルグル世界の楽しさは簡単には捨てられないし、誰かが終わらせてもまた誰かが受け継ぎ、新たなるグルグル世界を作り出す…という「モラトリアムグルグル伝染病」を題材にしたのがこの消失なのであり故に注射器だったんだろう…。 ついでに解決策の代替案を出そうとしてももう無駄である…。なにしろ彼はバルス並の言葉をもう手に入れたのであり…。 しかし4冊目まできてだいぶ構造が複雑化してきたが基本、グルグルものは「大人になるのならないのどっちか」以外に解決策がなく、「大人になる=現実に向き合う」か、「大人にならない=夢オチ」のどっちかしかないのであり、その答えをだしても楽しくないからいつまでも出さずにグルグルする、という冷めた感じで詰まらなく言ってしまえばただそれだけなので、この小説もいまだに終わってないのでは…。 アニメにあったライブ回がこの原作にはないっぽいが、あそこでバンド演奏を経てハルヒが他の女子から承認をえるシーンは、キョンにとっては否定するべきことなのでは…な気もした。彼は普通じゃなくて異常を望んだのであるが、あのときのハルヒは「普通」だったわけで。 奇天烈な言動を繰り返す女子もなにか人のためになることをやって感謝されたら「普通」に嬉しいに違いなく、そんな嬉しさへの戸惑いをみせるとゆう「普通」の反応を示す女子を暖かい目でみつつな男子へのツンデレな振る舞いとともに「普通」に一緒に大人になっていけばそれでいいわけだが、それがつまらないから世界を「異常に戻した」わけなのであり。 作者の谷川流はもしかすると最初は落とし所を用意してたかも知れないがアニメがヒットするとコンテンツの延命は不可避であり、つまり楽しさが新たなる楽しさを終わらせたくない人を生み出す…というグルグル伝染の宿命がシリーズ自体をこのようにしたのかもしれない…。 そういえばつい最近の本で押井が「うる星やつらを完結させるためにビューティフルドリーマーを作った」とか言ってたのでちょっと笑ってしまいましたよだってうる星やつらを完結させて良いのは高橋留美子だけだもん。上のライブ回にも同様のことは言えるかも…本作は原作も終わってないんですが…。4巻まで読んだからこれでしばらくはいいか…あとは完結したら読もう…。この小説は完成度が素晴らしく高いのでとってもおもしろいが、ぼくはグルグルがそんなに楽しくないので…。 | ||||
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アニメから見て、読み出しました。このお話、アニメでも好きでしたが、原作もとても面白かったです。 | ||||
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『涼宮ハルヒの消失』は、アニメ映画化された名作です。いつもの教室からハルヒが消失した「改変された世界」で、キョンが奮闘するお話です。この作品は涼宮ハルヒシリーズらしいSFしてるし、世界が改変された原因を推理する推理小説としても読めると思います。 この小説では、今まで「ツッコミ役」であり「傍観者」ともいえる立場だったキョンが、大きな決断をします。キョンが自らの意志で「世界を積極的に守る側に回ってしまった」(p.241)瞬間を目撃できる作品でした。 この角川文庫版『消失』には、ミュージシャンの尾崎世界観さんによる巻末解説が掲載されています。エッセイのような語り口で面白い解説だと感じましたが、尾崎さんの仰りたいことが「楽しい非日常」を選択したキョンとは微妙に違うような気がしました…。気のせいかもしれませんが。 | ||||
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憂鬱と消失は面白いです 消失はアニメも見ましたが映像もキレイで手元にあります 長門有希がそんな感情を!?という発想も良いです ハルヒシリーズは全部読みましたが憂鬱と消失は面白いです | ||||
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主人公の転機となる事件。やはり名作だなあって思う。 | ||||
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内容自体は,おおよその着地点までが早々と見えるありがちなものという印象ですが, の一つのエピソードを伏線に,時間移動と世界改変を絡み合わせる話運びが面白く, 巻き込まれたはずなのに,つじつまを合わせるために巻き込む側にもなってしまう様子が, お約束の疑問や矛盾,思い浮かべる『もしも』の世界を交え,めまぐるしく進んでいきます. ただ,最も心を動かされたのは,このたびの騒動で大きな意味を持つ少女の動機の部分. 自身にも理解が出来ず,戸惑いと自責の念に駆られる姿は,無感情な彼女に芽生える感情, さらに言えば恋心なのではと思われ,でもそれが何かまではわからないまま…という具合で, これまでとはまるで違うかわいらしさといじらしさには,何とも言えない思いがこみ上げます. それだけに,『じゃない方』を選ぶ少年と,彼女がわずかに覗かせた素顔には胸が痛み, 騒動は収まるものの,解決によってその小さな芽が摘まれたのだとしたあまりにも切なく, 届かぬ思いなのだとしても,その意味を知り,育て続けられればと願わずにはいられません. | ||||
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劇場版アニメで感動したのだが、基本的に同じ感想を述べたいと思う。私はこのシリーズはFEMDOM(女性優位)なSM構造が基本だと思っている。SMと聞いただけで、いかがわしいものだと眉をしかめる人も多いと思うが、18禁の性愛に限ったものではない。もちろん詳しく述べるつもりもないのだが、SMとは互いの心が通じ合って初めて成立するもの。消えてしまったハルヒを狂おしく求めるキョンは、失ってからようやくハルヒとの関係性を痛切に自覚したのだ。何なら「愛」と呼んでもいい。 さらにキョンは、SOS団の仲間との関係性をも回復を願い、濃密だったハルヒを中心の世界を取り戻すため、まるでキャラが変わったかのように熱く行動する。熱血青春ドラマのノリで、普段がシニカルなキャラだけに感動的だった。 | ||||
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ハルヒシリーズでというか、今まで読んできたラノベで一番面白い。 何回読んでも飽きないです。 | ||||
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ライトノベルという枠を越えている文章力。 読みやすい上に、難しい感じや表現も読ませる。 今やリーダビリティという、読みやすいさを意識する作家が多いなかで これほど、読ませる小説はないと思います。 傑作と言っていいでしょう。 | ||||
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初めて読んだとき、最後まで読み進めて、「これで終わり?」という気分になったのを覚えています。 当時は、「消失が一番の名作」みたいな話題に乗っかって、これだけを読んだので、よくわかりませんでした。 今回、Kindleで再読して、同じような気持ちになりましたが、当時と違って、続きがあるということを知っているので、また、違った気持ちで読めました。 | ||||
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久方ぶりに手元に来る機会がありましたので改めて読みました。 ハルヒシリーズの中でもひと際印象深い話だと私は今でも思っています。 この作品はタイトルどうり涼宮ハルヒが主人公であるが、彼女以外にも もうひとり主人公がいる。 それがこの作品の語り部であり、ハルヒの同級生であり、SOS団の団員であるキョンというニックネームの男の子です。 今回の話は彼にとって大半が孤独な闘いを強いられてしまう話であり 全体的に状況の打開に奮闘していくところが読みどころになっています。 時期は冬、クリスマスを控えたSOS団が、クリスマスにパーティやらイベントやらをやるというところからこの話は始まり その次の日にキョン君が学校に行くとSOS団はなくなっており そこには涼宮ハルヒは存在せず、代わりにかつてキョン君を殺そうとし、既に消滅したとされる朝倉涼子がいた。 他の団員である古泉一樹もハルヒと同様に学校には存在せず 朝比奈みくるは存在しているがキョンたちを覚えてあらず 長門有希もただの文芸部の部員として存在しています。 昨日までの状況から一変して何もかもが変わっているという大変ショッキングな状態からスタートします。 正直こんな状況に陥ったら自分の頭がおかしくなったんじゃないかと混乱してしまうのは仕方ないですね(笑) 私も読んでいてハラハラしていたのを覚えています。 そして期限付きのヒントを見つけたキョン君は状況を打開するため奮闘していきます。 このときのキョン君の行動力や奮闘具合は中々の読みどころです。 消失していたとされるハルヒや古泉も発見し状況は徐々に好転していきます。 このときハルヒを発見したときのキョン君の喜びや少し前の心情で ”俺はハルヒに会いたかった・・”という想いが 今回の話でキョン君がハルヒに抱いていた本人も気づいていない感情や内面を知ることができて良かったです。 助っ人も徐々に増えていき、どうしてキョン君がこのような状況に置かれているかがわかり これらの世界改変を起こした犯人の存在が明らかになっていきます。 そしてこれらを引き起こした犯人の心情もわかっていき切なくなります。 終盤に近づいていくにつれ、世界がなぜああいう風に改変されたのかや 犯人が思い描いてたものやキョン君に対する想いなど想像に難くないところが何とも切ない。 そんなこんなで何とか元の世界に戻って来れたキョン君 ホントお疲れ様です(笑) 今回の話はほぼキョン君がメインであり、彼がSOS団に抱いていた本当の気持ちを知る話でした。 そしてこんな事態を引き起こした犯人のことも 変な話ですがもっと好きになりました。 個人的に気に入っているシーンは多々ありますが 中でも三年前の七夕の世界で帰り際のハルヒに言ったセリフの後のキョンの心情です。 ゛忘れないでいてくれよ。ここに俺がいたことを゛ ハルヒもこのとき校庭の゛私はここにいる゛というメッセージを残していたので余計に堪らなくなりました。 これが後に繋がっていくことやキョンとハルヒの縁の深さを思うととても感慨深いものです。 読み終えた後は昔観たバック・トゥ・ザ・フューチャー1を観終ったときの既視感に似ていました。 今読んでも色あせない良い作品、これを名作と言うのかもしれんませんね。 | ||||
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ここまでの情報と(長門が実は朝倉)と言う設定の存在から (消失世界を作ったのは朝倉と解釈したカドカワ社員がいる) つまりは(長門が朝倉にうつるカドカワ社員がいる)に因んだ描写こそこの表紙イラストだと言うことが判明するのである つまりは(朝倉は朝倉でした)こそ(涼宮ハルヒの消失の真相)だと言うことが判明するのである 言い換えれば(みくるが実はハルヒだと言うことを認めさせようとしているカドカワ社員がいる)事も判明するのである これが表紙が朝倉の真相なのである | ||||
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ラノベは僕はあんまり読まないんですけど、ハルヒシリーズはずっと読んできました。 改めて思うのはただ一つ。この作品は凄すぎて、非の打ち所がない。。。 正直、ラノベの作品でもこのレベルまでいけるんだって思いました。。。 | ||||
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まだ序盤なんですがかつて文庫で読んだときはこんなに酷かったかな・・・ 作品自体は本当に素晴らしいです。 | ||||
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「涼宮ハルヒシリーズ」が何故、世間一般ではライトノベルとして認識されているのだろうか。「涼宮ハルヒシリーズ」の本質は、その世界が存在するという「情報」を、登場人物が自ら書き換えるという、虚構性を持った文学上の実験作である。 中でも「消失」は、それが全面に押し出された作品である。前作まで、語り部であるキョン含め読者が見ていた「世界」は一変する。理由は単純なものであり、その世界の特徴という既存事実の「情報」が書き換えられた為である。人間の目の前に起こることを人間は様々な媒体を用いて認識する。その媒体こそが「情報」であり、読者にとっては、その媒体は小説の中に書かれる記号である。 そしてキョンにとっては、「自分の席の後ろには自分が所属するSOS団の団長たる涼宮ハルヒがいて、そのSOS団には未来人の朝比奈みくる、超能力者の古泉一樹、宇宙人の長門有希がいる。」という、その事実の存在自体が情報媒体なのである。それはキョンに限ったことでなく、涼宮ハルヒにも朝比奈みくるにも古泉一樹にも長門有希にも同じ事が言える。 しかし、今作品では、それらの情報は全て書き換えられる。「涼宮ハルヒの消失」とは、キョン及び読者の中での涼宮ハルヒ、またそれを取り巻く人物の情報が全て消失するということであるのだ。 情報媒体が変化すれば、認識する情報も変化する。それが既存事実の情報にもなりうる。 情報を書き換えるというのは、涼宮ハルヒシリーズを読む上で知らなければならない。「溜息」では猫が喋り、鳩が真っ白になり、秋に桜が咲く。「エンドレスエイト」では八月の終わりが永遠に続く。「分裂」と「驚愕」では二つの世界が同時進行していき、その中で涼宮ハルヒの分身のような人物も現れる。全て既存の事実となった情報である。その情報が書き換えられた時、世界の存在は如何ようにも変わる。 私達は情報の中で生きているのだ。記号を情報として認識し、それがその時間軸における既存の事実となる。それを私達は「真実」と呼んでいるに過ぎない。その盲点を物語の中で突くというのは、これは現代文学に於いて、最も生産的で前衛的な実験ではないか。読者が認識する物語の世界というものは、実は不安定な存在だということを告発しているである。安部公房はNHKの取材に、「人間とは無限の情報」と言っていたが、その情報をありのままに書く文学の時代は終わった。 改めて思う。これのどこがライトノベルか、作者である谷川流も、ライトノベルという定義自体に疑問示していることがインタビューでもよくわかる。私が思うに、ライトノベルと文学の違いは、ライトノベルは単純なことをさも大仰に、難しく書くのに対し、文学作品は、人間には難解であることを、よりわかりやすく明瞭に書くものだと思う。となると、「涼宮ハルヒの消失」は、文学以外の何物でもないと思う。 | ||||
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面白い。話としてもそうだし、キョンや長門の気持ちの揺れがとてもよく描かれていて、キュンとしちゃう。村上龍の五分後の世界の最後の一文のようにキョンの決意が固まる話でもある。この世界で生きていくという決意が。 | ||||
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キョンに対する恋心が芽生えた長門の話かと思ったのに。 長門が世界を作り替える。キョンと4月に図書館で出会い淡い恋心を抱きながらもヒューマンインターフェイスではない普通の女子高生の長門。キョンのことを知らなくて未来人でもない朝比奈さん。朝比奈さんの怖いボディガードになってる鶴谷さん。ハルヒは違う高校に通う何の力もない女子高生。彼氏みたいで超能力のない古泉。さてどうするキョン、というお話。 どうせならキョンの記憶もいじってハルヒの記憶を消してしまえば、長門とキョンの恋物語になったのに。それではあまりにもと思ったのか、キョンの記憶はそのままで、ヒントと世界を元に戻すプログラムまで仕込んでいるなんて、いじらしいぞ長門。 さてどうなるでしょう。 | ||||
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ラノベ初心者の女で、ハルヒシリーズが大好きな者のひとりです。 私の好みですが、ハルヒシリーズのなかでも、一、二を争うくらいに面白いです。 長門が中心の物語となっています。 そして、キョンのなかの意識が変わった話でもあります。 私は個人的に長門が一番すきなので、消失は憂鬱に並ぶとても好きなエピソードです。 泣きました。長門をもっと好きになれる物語です。 普段と少しちがう長門が楽しめます。 映画も素敵なので、消失を気に入って頂けたならば、是非みてください。 | ||||
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