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涼宮ハルヒの憂鬱
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涼宮ハルヒの憂鬱の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全225件 21~40 2/12ページ
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めちゃくちゃ面白かったですが、俺には向いてなかったっぽいです 読んでいると退屈しちゃいました でも俺に向いてないだけで、かなり面白かったと思います | ||||
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涼宮ハルヒシリーズの第1巻。仮にこの1冊のみで完結していたとしても文句なしの大傑作だったと思うし、彼らのその後が知りたくて仕方なくなる爽やかなラストは続編への布石としても完璧。この作品のヒットを受けて以降のラノベやゲーム等二次元作品全般で、ヒロインの我儘や世界の不条理に振り回され「やれやれ…」と溜息をつきながら、なんだかんだで心の底ではその状況を楽しんじゃっている「巻き込まれ系主人公」が明らかに増えたように思うが、その中でも本作の主人公であるキョンの、嫌みだけど嫌みのないキャラクターは非常に好感が持てる。 | ||||
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もうずいぶん前に角川スニーカー文庫版読みましたが、非常に面白いです。 最初から最後まで一気に読みました カバーの絵はスニーカー文庫版のが好きです 個人的には変なお笑い芸人に、話題作りのために賞をあげて、本の売上をあげようとする芥川賞受賞作品なんかより全然面白いです 解説によると 選考委員全一致で大賞に推され、アイディア・文章力・キャラどれをとっても大賞にふさわしいと、あっさりと大賞に決定した。 と書かれており、これだけ面白いと納得 | ||||
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ラノベでなんか紹介しろと言われたら、これを挙げたい!!! 面白い!ハルヒは21世紀の赤毛のアンなんですよ!!!と、言いふらして回りたい!!! | ||||
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オウフwwwいわゆるストレートな質問キタコレですねwww おっとっとwww拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww まあ拙者の場合ハルヒ好きとは言っても、いわゆるラノベとしてのハルヒでなく メタSF作品として見ているちょっと変わり者ですのでwwwダン・シモンズの影響がですねwwww ドプフォwwwついマニアックな知識が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www まあ萌えのメタファーとしての長門は純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww 私みたいに一歩引いた見方をするとですねwwwポストエヴァのメタファーと 商業主義のキッチュさを引き継いだキャラとしてのですねwww 朝比奈みくるの文学性はですねwwww フォカヌポウwww拙者これではまるでオタクみたいwww 拙者はオタクではござらんのでwwwコポォ」 | ||||
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はじめてラノベを読みました。 キャラが立っていて、なかなか面白かったです。 続編も読んでみたいと思う一冊です。 | ||||
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本書は、ライトノベルというジャンルに属するらしく、私は、普段は全く読まない。 ただ、本書に限り、執拗につきまとうネットストーカー(ハンドルネーム;raz)のblog記事文字情報が明らかに本書に対する強い関心を示していたから、本屋で当時出版されていた数冊を買い、読んだ記憶がある。 ラノベとは、アニメーションが描かれた表紙をコミックと共通項とする、アニメーションによる描写を幾何学的要素とする同じ本集合に属する。 但し、角川スニーカー文庫において爆発的売り上げを誇った理由は、アニメーションの主人公像に対するイメージを具象化したデザイン性が読者の抱く涼宮ハルヒ像とマッチしたからであり、新しく世に出された角川文庫版は、表紙カバーデザインを見ただけでファン達は買う気が失せるだろう、角川文庫担当者はバカじゃないの? 本書に対する感想は、著者が勉強家であり、ストーリーテラーとして私にはない才能を持つ妄想家であるから、私には真似できないという点が、先ず挙げられる。 私は、元来が読書家ではなく、ストーリーに対してあまり興味がないから、ストーリーに対しては単なる観客であり、ただ面白がる一読者としての立場をこれまでの人生において一貫して貫いている。 ストーリーのようなフィクション作りは、やはりフィクションに対する豊富な体験無くしては困難な作業であるように、私は前から考えている。 幼少期の読書体験や視聴体験というフィクションに対する豊富な体験がない私は、そういう頭の使い方に馴れていない。 ただ、主人公のような女子高生の内面は私も共感するからその共感度を星の数にした。 以下、本書に対する感想を書く。 本書は、女子高生をその主人公とするある種の哲学的なテーマを通奏底音とする学園モノであり、話の展開は緻密な構成を持つが、そのストーリーの流れ方には予測可能性を超えたハプニング性があり、学園という舞台設定は、そうした物語の予測可能性に対する読者の破壊願望を充足するから、面白いストーリー展開と学園モノならではのライトさを備えている。 私には、著者のこのような破壊願望に対する理解を、老人に対して理解して欲しい、という若者としての私からの要求をこの場を借りてメッセージとしたい。 本書は、通学途上の坂道から始まる。 これは、カミュ『シーシュポスの神話』と同じ苦痛を、我々の世代が生きているという意味に思われる。 日常を退屈とするポストモダン社会学者と異なり、1980年代初頭に生まれた日本人の若者の実感は、このような種類の苦痛に他ならない。 即ち、終わりなき日常の退屈という概念は、その成熟社会の満たされ無さに対する充足欲求を、制服姿の女子高生とのセックスによる快楽欲求に求める変質的な処方箋をその克服方法として期待し、また想定する男性集団を、規定する概念であるが、私はそのような性質を備えた社会集団に対して軽蔑しながら生きてきた若者であり、そのような意味における退屈に対する徹底的な無関心を貫きながら、不条理という現実への距離感覚を培う主義を信条として生きてきたのだから、私は、制服を着た女子高生に対する性的快楽充足欲求を無意識の願望としない価値観の持ち主である。 バブル崩壊以後の日本を思春期として生きた私は、「物の豊かさと心の豊かさ」を小学生時代の国語のテーマとされていた世代に属する。 バブル成金が世界中で悪評を買い、金にモノを言わせた銭ゲバ連中がやりたい放題であったが、彼らは団塊世代の一部成功者である。 バブル期以降の衰退する日本に対する私の認識を述べると、それは、問題解決を先送りする大人世代の無責任な、腐敗した、経済バカが支配する、三島由紀夫の嘆いた経済大国日本における偽善という名のバチルスが地を這って、戦後民主主義の抽象を人生の目的とする夢のない、下らない仕事をシステム化するだけの大人世代が、未来の世代にそのままツケを残して全ての解決困難な重荷を我々の世代の仕事にしてしまおうとする、夢のない日本において、オウム真理教がハルマゲドンをエサに信者を獲得しながら(私の中学生時代)、かつては優秀で仕事を絶賛されたであろう官僚が汚職事件を起こしては「何で僕だけ?みんなやってるのに」という幼稚な言い訳をする岡光事務次官逮捕(私の高校生時代)に象徴される官僚に憧れて目指す気にはならない政治腐敗が日常であったし、平和ボケは蔓延したまま誰も治そうとしないという社会であった。 おそらくは我々の世代をモデルとするのが、要するに、涼宮ハルヒである。 だから、私は、主人公の破壊願望は身に染みて知っているし、高校時代の私は、教室の窓ガラスを眺めては世の中が破壊されてしまえば面白いのに、と内心思いながら、ノストラダムスの大予言が外れて恐怖の大王が来なかった現実(私の高校生時代)に失望していたわけで、ちびまる子ちゃんを見ながら小学生時代を過ごしたがやはりノストラダムスは単なるオカルトだったから、私は重荷をリセットなんて理想に過ぎないと端から分かっていた。 そのあたりの感覚が、本書の主人公と確かに私は重なる。 ただ、私は、勿論、本書をフィクションとして考えているし、私の無意識の願望で世界が出来ていると認識する人間がこの世に居るとするならば、そいつは頭がおかしいとしか考えない私の認識は、科学的に正しい。 著者が、秘かに、その女子高生キャラクターに重ねた本心をキョンのハルヒに対して抱いた心もとない呟きとして漏らした作品中のセリフについては、ここでは割愛する。 養老孟司の言葉を借りるならば、脳化社会を生きる人間が都市化した現代社会の抽象を現実と信じるのと同じであり、私は、そういう科学に反する認識は偽であり、単なる妄想バカであるとしか思わないのは、当たり前である。 何でも人の作為と捉える思考の癖は、脳化社会を生きる現代人のバカの壁である。 なお、カミュ『シーシュポスの神話』に対する私のAmazonレビュー参照。 | ||||
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本書は、ライトノベルというジャンルに属するらしく、私は、普段は全く読まない。 ただ、本書に限り、執拗につきまとうネットストーカー(ハンドルネーム;raz)のblog記事文字情報が明らかに本書に対する強い関心を示していたから、本屋で当時出版されていた数冊を買い、読んだ記憶がある。 ラノベとは、アニメーションが描かれた表紙をコミックと共通項とする、アニメーションによる描写を幾何学的要素とする同じ本集合に属する。 但し、角川スニーカー文庫において爆発的売り上げを誇った理由は、アニメーションの主人公像に対するイメージを具象化したデザイン性が読者の抱く涼宮ハルヒ像とマッチしたからであり、新しく世に出された角川文庫版は、表紙カバーデザインを見ただけでファン達は買う気が失せるだろう、角川文庫担当者はバカじゃないの? 本書に対する感想は、著者が勉強家であり、ストーリーテラーとして私にはない才能を持つ妄想家であるから、私には真似できないという点が、先ず挙げられる。 私は、元来が読書家ではなく、ストーリーに対してあまり興味がないから、ストーリーに対しては単なる観客であり、ただ面白がる一読者としての立場をこれまでの人生において一貫して貫いている。 ストーリーのようなフィクション作りは、やはりフィクションに対する豊富な体験無くしては困難な作業であるように、私は前から考えている。 幼少期の読書体験や視聴体験というフィクションに対する豊富な体験がない私は、そういう頭の使い方に馴れていない。 ただ、主人公のような女子高生の内面は私も共感するからその共感度を星の数にした。 以下、本書に対する感想を書く。 本書は、女子高生をその主人公とするある種の哲学的なテーマを通奏底音とする学園モノであり、話の展開は緻密な構成を持つが、そのストーリーの流れ方には予測可能性を超えたハプニング性があり、学園という舞台設定は、そうした物語の予測可能性に対する読者の破壊願望を充足するから、面白いストーリー展開と学園モノならではのライトさを備えている。 私には、著者のこのような破壊願望に対する理解を、老人に対して理解して欲しい、という若者としての私からの要求をこの場を借りてメッセージとしたい。 本書は、通学途上の坂道から始まる。 これは、カミュ『シーシュポスの神話』と同じ苦痛を、我々の世代が生きているという意味に思われる。 日常を退屈とするポストモダン社会学者と異なり、1980年代初頭に生まれた日本人の若者の実感は、このような種類の苦痛に他ならない。 即ち、終わりなき日常の退屈という概念は、その成熟社会の満たされ無さに対する充足欲求を、制服姿の女子高生とのセックスによる快楽欲求に求める変質的な処方箋をその克服方法として期待し、また想定する男性集団を、規定する概念であるが、私はそのような性質を備えた社会集団に対して軽蔑しながら生きてきた若者であり、そのような意味における退屈に対する徹底的な無関心を貫きながら、不条理という現実への距離感覚を培う主義を信条として生きてきたのだから、私は、制服を着た女子高生に対する性的快楽充足欲求を無意識の願望としない価値観の持ち主である。 バブル崩壊以後の日本を思春期として生きた私は、「物の豊かさと心の豊かさ」を小学生時代の国語のテーマとされていた世代に属する。 バブル成金が世界中で悪評を買い、金にモノを言わせた銭ゲバ連中がやりたい放題であったが、彼らは団塊世代の一部成功者である。 バブル期以降の衰退する日本に対する私の認識を述べると、それは、問題解決を先送りする大人世代の無責任な、腐敗した、経済バカが支配する、三島由紀夫の嘆いた経済大国日本における偽善という名のバチルスが地を這って、戦後民主主義の抽象を人生の目的とする夢のない、下らない仕事をシステム化するだけの大人世代が、未来の世代にそのままツケを残して全ての解決困難な重荷を我々の世代の仕事にしてしまおうとする、夢のない日本において、オウム真理教がハルマゲドンをエサに信者を獲得しながら(私の中学生時代)、かつては優秀で仕事を絶賛されたであろう官僚が汚職事件を起こしては「何で僕だけ?みんなやってるのに」という幼稚な言い訳をする岡光事務次官逮捕(私の高校生時代)に象徴される官僚に憧れて目指す気にはならない政治腐敗が日常であったし、平和ボケは蔓延したまま誰も治そうとしないという社会であった。 おそらくは我々の世代をモデルとするのが、要するに、涼宮ハルヒである。 だから、私は、主人公の破壊願望は身に染みて知っているし、高校時代の私は、教室の窓ガラスを眺めては世の中が破壊されてしまえば面白いのに、と内心思いながら、ノストラダムスの大予言が外れて恐怖の大王が来なかった現実(私の高校生時代)に失望していたわけで、ちびまる子ちゃんを見ながら小学生時代を過ごしたがやはりノストラダムスは単なるオカルトだったから、私は重荷をリセットなんて理想に過ぎないと端から分かっていた。 そのあたりの感覚が、本書の主人公と確かに私は重なる。 ただ、私は、勿論、本書をフィクションとして考えているし、私の無意識の願望で世界が出来ていると認識する人間がこの世に居るとするならば、そいつは頭がおかしいとしか考えない私の認識は、科学的に正しい。 著者が、秘かに、その女子高生キャラクターに重ねた本心をキョンのハルヒに対して抱いた心もとない呟きとして漏らした作品中のセリフについては、ここでは割愛する。 養老孟司の言葉を借りるならば、脳化社会を生きる人間が都市化した現代社会の抽象を現実と信じるのと同じであり、私は、そういう科学に反する認識は偽であり、単なる妄想バカであるとしか思わないのは、当たり前である。 何でも人の作為と捉える思考の癖は、脳化社会を生きる現代人のバカの壁である。 なお、カミュ『シーシュポスの神話』に対する私のAmazonレビュー参照。 | ||||
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アニメしか見たことがなかったが、原作も文句なしに素晴らしい面白さで、ラノベSFの金字塔と言っても過言ではないと思った。一見女子高生が主役で萌え要素が売りの学園コメディと思わせて、壮大なSF的アイディアで魅せるストーリーは今もなお色褪せず、読み応えがあった。 又、SM愛好家としては、この作品がFEMDOM(女性上位)なSMを見事に表現している点も指摘しておきたい。文句なしにハイスペックなハルヒ女王様に見出されたキョンが、横暴で理不尽な扱いに抵抗しながら、最後には心が通じ合って自らハルヒを求めるまでに篭絡されるのだ。 | ||||
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最高です!アニメをみていながら小説を読んでいない自分はクソですね。 なのでこの本を購入したのですが、アニメと同じく最高に面白いですね! リゼロなどと同じで、1度読み始めると、「次へ次へ」と読みたくなる本です!!! | ||||
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カバーが新デザインになったんですね。 キノの旅と同じく。 私は初代の赤い背広を期待していたので、少し残念です。 でも、昔のカバーは薄くて破れてしまいましたが、このカバーは他の出版社と同様に頑丈で簡単に破れそうにありません。 中身はざっと見た感じ、変わりないです。 | ||||
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作品の登場人物がとても魅力的です。ストーリーも簡潔で分かりやすいです。おススメの作品シリーズです。 | ||||
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ハーレムモノの体を成しながらそれを崩しつつ、とんでもない方向に話が展開する流れ 感動的過ぎて観賞後悶絶したのはアニメの話 小説版を初めて読んでみたけれども、あの感動を一度デリートしてから読んでみたかった というのが正直な感想 こういうありえない妄想だとか空想がテーマとなっているから余計に、そう思う… 本当に面白かった | ||||
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この物語のモチーフは「非現実的だけど現実的」な事件です。 世界を裏で動かす主人公の涼宮ハルヒとそれに振り回されるキョンたちの日常的な事件性が楽しいです。 キャラクターも魅力的ですが、なんといっても涼宮ハルヒが魅力的です。 周りのことを考えないツンデレキャラの「変人」ですが、時には仲間を大事にする思いやりも見られ、一概には語れないところが面白いです。 他のキャラクターたちも個性的で魅力的。涼宮ハルヒワールドは一読の価値がありますよ! | ||||
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文章が独特で、おもしろい。 しかも読みやすい。 これほどの傑作はなかなかないでしょうね。 他のライトノベルだと、若干想像しにくい部分があるのですが ハルヒは本当にすごい小説だと改めて実感 | ||||
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学校での朝読書用に購入。アニメが凄く面白かったので原作も買ってみました | ||||
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涼宮ハルヒは著名ライトノベルでシリーズ構成。学園モノ日常系。一人称主人公がヒロインである涼宮ハルヒやその周囲の学友らしき者達との非日常な日常を舞台にした作品。一人称主人公の内心を地の文として作風を構成するが、当人の会話文が地の文に吸収され省略されることが多いのも特徴。シリーズ構成が数字ではないので既刊を追いかけるには事前調査が必要。基本的に刊行順で読めばよいので、憂鬱>溜息>退屈>消失>暴走>動揺>陰謀>憤慨>分裂>驚愕となる。憂鬱は展開が少なくオチが薄いので、何巻か続けて読んだほうが雰囲気が掴める。 | ||||
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アニメ版はかなり昔に第一期、第二期、映画とかかさず見ていますが、なんとなく原作には手を出していませんでした。 今年で涼宮ハルヒの憂鬱が10周年ということで、kindleで試し読みして一目惚れし、即決で購入しました。 現在、第三章の半ばあたりまで読んでいますが、ここまでで感じたことを書いていきます。 まず、涼宮ハルヒの憂鬱のアニメ版は原作を忠実に、かつ丁寧に書いていたんだなぁと感じました。 台詞もほぼアニメ版と同じで、動作までもがアニメ版の映像を思い起こさせるほどです。 頭の背景でアニメ版の映像を流して比べながら読んでいましたが、見事にその映像と一致します。 違う点と言えば、声優さんのアドリブらしき台詞くらいですね。 個人的に見てみると、キョンの台詞は相当アドリブが多かったんだと思います(笑) それともうひとつ好印象だったのが、ただの萌えアニメ的作品ではなく、文学作品としておもしろかったということです。 文章がキョンの視点で書かれており、どこかひねくれているような言い回しが癖になります。 まるで、小学生の頃の図書室でハリー・○ッターを初めて読んだ時のようにワクワクしました。 これを機に、もう一度アニメ版を見返して、原作とのわずかな違いを探しつつ、楽しみながら見ようと思います。 続刊も、もちろん買います。 これからの楽しみがまたひとつ増えました。 | ||||
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アニメで一人称をまんま再現して、話題になりましたね。 ほとんどキョン視点の物語。 そのため、長門、ミクル、古泉、ハルヒなどが何をしてるのか全くわかりません。 当時は全く主流じゃなかった、一人称語りがこの作品で一気に火が付きましたね。 でも、ある意味ラノベがおかしくなったかもね。 長編と短編がミックスしたような1巻、今回だけですね。 短編の集まり何ですけど、最後の世界崩壊までつながってるわけですよね。 谷川流、今何してるんだろうか…… | ||||
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ここ10年1番ハマった作品、殆どライトノベルなど読まず普段は古典文学や純文学が好きな自分ですがアニメをチラッとみて虜になってしまった、この作品の良さ、人気の秘密ははメディアミックス展開が素晴らしかった事に他ならないアニメブーストというべきな勿論本作のポテンシャルが高いことが前提だが、 本作は笑ってしまう程のざっくり設定だがそれでいて風呂敷が広く読者に今後どうなるかハルヒとは何か?キョンとは何なんだと?と想像を常に掻き立ててくれる、 周りを固めるキャラクターの無駄のなさというかバランスの良さは目を見張るものがある。 普通SFやファタジーは長ったらしい設定を時より読まなくては進めないのに対してキョンの一人称形式で語るハルヒとの学園生活は非常に軽快でスラスラ読めるライトノベルらしいもので色んな要素を感覚で楽しめる作品だと思う 買うのはちょっとと言う方も軽く立ち読みしてみたり、そこらに落ちてるハルヒのアニメ動画から入ってみてもいいのではと云いたい | ||||
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