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(短編集)
通話
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通話の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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日のあたる世界では悪い冗談の種にしかなりえない。そんな詩人、ならず者に落伍者、彼らの声にボラーニョは静かに耳を傾ける。売れなくても、かつかつでも、いい生き方がある。 | ||||
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一人称でも三人称でもない。一番近いのは二人称だが普通の二人称と違い、主人公との距離感がある。直接的に描写はないが、語り手の気持ちや主人公に対する思いは切実に伝わって来るので、語り手の存在感は大きい。登場人物は概ね地味な人生の失敗者でストーリー展開も派手さはないが底に流れるテーマが生死、性愛、嫉妬、名誉欲等人間の根幹に関わるものばかりで心に響く。 | ||||
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以前出たものの改訳版ではあるが、ボラーニョ・コレクションから出る短編集はこれで3冊目となる。謎の作家アルチンボルディが登場する『2666』や女流詩人セサレア・ティナヘーロをめぐる『野生の探偵たち』を読んで以来、「歴史の闇に埋もれていった真の詩人や作家たち」(@訳者)が登場する話が個人的ツボになってしまった。本書に収められている最初の4編(「センシニ」、「アンリ・シモン・ルプランス」、「エンリケ・マルティン」、「文学の冒険」)もその二大長編の小変奏と言ってよく、ボラーニョの分身である主人公たちが本を読み、古本を買い、小説や詩を書き、また手紙を書くというだけの行為が描写されると、強く惹きつけられてしまうのだ。 | ||||
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著者は2003年に50歳で亡くなったチリの作家で、本書はその最初の短篇集。三部に分かれ、全部で14作品を収載。 訳者によれば第一部はマイナー作家に焦点を当てたもの。 最初の「センシニ」がとても良い。先輩作家との手紙を通じての交流を淡々とつづったエッセイ的な作品。その作家がアルゼンチン出身なので軍事独裁政権との関わりが背景にあり、複雑な味が出てコクのある一編になっている。あとの作品は、だんだんと日本の私小説みたいな感じになってきて、あまり面白いと思わなかった。 第二部はアウトサイダーによって綴られた闇の現代史。 「芋虫」はメキシコ人の16歳の少年が主人公。公園で知り合った謎の男(芋虫)が殺し屋であることを暗示する内容で、とても面白い。 「雪」は、バルセロナで知り合った同国人のモスクワ体験を聞き書きする。ロシア人マフィアの話だ。チリ人が何でソ連にいるのかというと、その父親がチリ共産党幹部でアジェンデ政権の要人だったので、73年軍事クーデタの時にソ連に亡命したのだ。チリにはこういう政治的背景があるから、小説としても興味深いものができるのだろう。この短篇もかなり面白い。 「刑事たち」は会話のみで、車を運転中の刑事二人が与太話を繰り広げる。話は次第に軍事クーデタ時の思い出に移り、最後は一種の怪談話になる。大勢の無実の政治犯が虐殺された悲劇と恐怖が、何ということのない会話の間から浮かび上がる。 第三部は女性を主人公とするストーリー。 「独房」は恋人だった女性の病んでいく様を一人称で綴る。背景にあるのはやはりクーデタと知識人への弾圧の記憶だ。第二部までほとんど触れなかった男女の愛や性が扱われている。 「クララ」「アン・ムーア」は腐れ縁のように関係が続いた女性の、よく言えば奔放な、悪く言えばだらしない人生を「僕」の一人称で描く。ある種の病を抱えた彼女たちの人生の変転を逐一メモ書きしたような文体がいい。 「ジョアンナ」は三部の中ではいちばん面白い。イタリアのポルノ女優の饒舌な一人語りが改行なしにびっしりと書き込まれた、ある種実験的な文体。往年の伝説的なポルノ男優の描写が印象的。 「自分でもうまく整理のつかないことをなんとか他人に伝えようとする、しかしそれがうまくいかないでもがく人々の話に、ボラーニョは静かに耳を傾けている」と訳者は評している。 | ||||
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一文一文が切実に迫ってくる物語と終始上の空のままに読み流してしまったような物語が混在する短篇集でしたが、みなさんはどうでしょうか?改行されることなく地続きの文で本筋の亜流と思われていたものが、実は本筋として話が流れていき、なんとなくの予想みたいなものを立てて読み進めようとした矢先にまた話題がひっくり返る。荒馬に乗ったカウボーイのように進行方向の迷子になってしまう文章こそはラテンアメリカのノリなのかも知れない。的を目掛けて矢を射ったら的自体がなくなって矢は落ち所を失うようなエピソードもあって、それが物語の末尾に飛び出すと物凄く不安感が残る。混乱し掴みどころを失うような気持ちになるたびに僕は読解をしている訳ではない、読書だと開き直って、理解不能な部分は謎というこの作家の味なのだと思って読み継いだ。波長が合う短篇は、隅々までピントが合って物語の濁流に呑み込まれたのだけれど。装丁がすごく良いですね。 | ||||
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チリに生まれ、放浪生活を続け、評価されながら若くして亡くなった作家の短編集。一読して思うのは、どの作品もカタルシス、解決、答えを出すことを拒絶しているということ。 生涯にわたって作品を各地方の文学賞に応募して貧しく死んでいった亡命作家との交流を描く「センシニ」、故郷を離れて客死する男「芋虫」、ポルノ女優の回顧的独白「ジョアンナ・シルヴェストリ」、ヒッピー世代の米国女性の一生を書いた「アン・ムーアの人生」など、そこに一貫して現わされるのは移動、不安定、不定住の感覚だ。だから読者も落ち着いて鑑賞することを許されない。それが新鮮だった。 チリのアジェンデ政権崩壊、人々の亡命、流浪といった体験が作者の物の見方に焼きついたのか、独特な味わいがある。 | ||||
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「通話」とは、三部に分かれているうちの第一部のタイトルだが、この言葉は、この短編集中の全ての作品に共通するある特徴を物語っているように思える。この短編集では、全ての作品において、語り部がある一人の人物について、その周囲の何人かの人物(自分自身も含め)の絡んだ半生を語るというスタイルがとられている。しかし、語り部は、語られている人物に、常に密着しているわけではない。時に連絡がつかなくなり、消息を見失う。その人物がどこにいるのか分からなくなったまま、小説が終わることもある。そのような展開に、読者はとまどいを覚えるかもしれない。 だが、そこにこそ、この短編集の面白さが凝縮しているのではないかと思う。この短編集は、登場人物の行動について詳細に語り、その心理描写までしてみせる小説とは、まったく違う発想によって書かれているのだ。なぜなら、他者とは、そのようなものだから。 他者とは、消息の分からなくなるものだ。他者とは、体験を共有できず、それを伝えることもままならない存在だ。そのような、受話器の向こう側とこちら側とで話すようなもどかしい状況こそ、このボラーニョの短編集の味わいを決定付けているスパイスだ。 登場人物が、決してメインストリームを歩いていない者たちであるということには、その意味で必然性がある。ところどころ、まるで年表を記述しているように、あっさりと時間が経過してしまうことにも、やはり必然性がある。つまり、公的な記録ではなく、ごく一部の知人の記憶にしか存在しない者たちについて、あるいは、とぎれとぎれの記憶によってしか語られえない者たちについて、いかに語るか、語り得るのかということ。ボラーニョはそれを見事に示した。 | ||||
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本書は、「通話」「刑事たち」「アン・ムーアの人生」という三つの章立てにそれぞれ四つないしは五つの作品が収められた短編集です。いずれの物語も市井の人々の、どちらかと言えば悲しく、そして総じてどこまでも悲惨な人生や現実が描かれており、そこにスパイスのように自虐が加味されるところが、解説の「ウディ・アレンとタランティーノとボルヘスとロートレアモンを合わせたような奇才。」という評になるのでしょう。個人的には、エリザベス・ギルバートやウオン・カーウァイなんかも思い出しましたが、「勇気と悲しみの入り混じった目で世界を見ていた」(P227)作者の、「こんな細かい話しばかりしていたら、彼女よりも僕について描写することになってしまう」(P179)と言いながらも、結局そこに赴いてしまう姿が強く印象に残る作品でした。惜しくも2003年に50歳の若さで亡くなったそうですが、他の作品の刊行も予定されているようなので、早く読みたいものです。 | ||||
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ドストエフスキーやメルヴィル、漱石や大江健三郎といった大文学につかれた時にオススメの一冊。ラテンアメリカの一度も名前を聞いたこともない前衛詩人や作家がいっぱい出てくる文学(志望)空間の冴えない日常風景。暗殺者や収容所、ポルノ女優といったちょっとした起伏はあるが、基本的にはどうでもいい人々のどうでもよい、どうしようもない生活が話柄の中心。でもこの作家の言葉のチョイスは好きな人にはハマる。思いがけない一文がきっと見つかる。 「二人は二度と会うことはない」『アンリ・シモン・ルプランス』 「Aは、Bと同い年の作家で、Bとは違って有名で、金持ちで、本が広く読まれているという、まさに物書きの目指す三大目標(挙げた順に重要)を達成している」『文学の冒険』 「『もう何も普通には思えん』」『刑事たち』 たんなる皮肉屋か。でも、もしかしたら本当に、何か…。あまり真面目に読むと時間をムダにする佳品たち。 | ||||
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ロベルト・ボラーニョ『通話』(松本健二訳・白水社エクスリブリス)を読んだ。チリの詩人が書いた14の短編集だが、各所ユニークな表現が満載で、クセモノ詩人の短編は読んでいて非常に楽しかった。 以下、ちょっとだけご紹介; 最初は詩で応募しようと思ったが、自分のいちばん出来のいい作品を送ってライオン(かハイエナ)のような連中と競わせるのは無粋に思えた。(『センシニ』) Bと同い年の作家で、Bとは違って有名で、金持ちで、本が広く読まれているという、まさに物書きの目指す三大目標(挙げた順に重要)を達成している。(『文学の冒険』) やがてBは、Aに連絡をとるまいと決意する。この件は忘れようと努め、ほぼ忘れかける。Bは二冊目の本を書く。本が出版されると、最初に書評を書くのはAである。あまりに素早い反応なので、いったいどんなスピードで本を読んでいるんだとBは思う。(『文学の冒険』) ともかく、クララは結婚して一、二年後に離婚し、勉強を開始した。高校を中退していたので大学には入れなかったが、それ以外はあらゆることに挑戦した。写真、絵画(なぜかは分からないが、彼女は自分に画才があるとずっと思っていた)、音楽、タイプ技術、情報処理、要するに一年間学校に通えば修了証書がもらえ、仕事の見込みも立つという類の、やけになった若者たちが取り組むというか逃げ込む稽古事ばかりだ。(中略)時間を惜しんでは勉強したり、音楽を聴いたり(最初はモーツァルトだったが、その後いろいろな音楽家を聴くようになった)、誰に見せるでもない写真を撮ったりしていた。誰にも知られることのない無益な方法で、クララは自由を守ろうとし、学ぼうとしていた。(『クララ』) チリの軍事政権が市場原理主義の失敗によって転覆される激動の前後、不安定な社会情勢。ボラーニョの眼はその不穏で殺気だった空気のなかで曇ることがなく、登場人物たちを非常にリアリティある人々にするのに成功していると思う。 | ||||
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読書に一目置いている人から薦められて読んでみた。 のっけから、誰だかわからない「僕」が他人のすっとんきょうな話を始める。まったく、ラテンアメリカだ。 短編ながら、人生が詰まっていて(かなりラジカルな)、喪失感みたいなものが漂っている。 恋人と別れたたとか、誰か大切な人と死別したとかいうようりも、深い傷を感じる。 語りがどれも独特。飽きる人もいるかもしれないが、どちらかというと癖になる。 ボラーニョ、要チェックです。と思ったら、2003年に亡くなっているそうです。 | ||||
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南米チリに生まれ惜しくも50歳の若さで早世されたラテンアメリカ文学の巨匠ボラーニョが1997年に刊行し絶賛された初期傑作短編集です。本書には大きく3つのテーマに沿って書かれた14の短編が収められています。「通話」では不遇の作家の人生模様が、「刑事たち」では死と隣り合わせの男達の物語が、「アン・ムーアの人生」では多情で奔放な女達の人生が、それぞれ鮮烈に哀感を込めて描かれています。作中では間違いや哀しい出来事も多く起こりますが、著者は責める事なく静かに優しい眼差しで不器用な人々を見守っています。 『センシニ』スペインに亡命中のアルゼンチン人作家と新米作家の僕との文通による友情の物語を通して、実在の作家をモデルにした苦難に満ちた人生を描きます。『エンリケ・マルティン』三流詩人エンリケと同業の僕の友情の決裂と、やがて彼が謎の首吊り自殺を遂げる悲しい顛末を語ります。『ウィリアム・バーンズ』2人の女と山小屋で暮らす男が、怯える女達に煽られて町から来た男を弾みで殺してしまう不気味な物語です。『刑事たち』軍事政権で弾圧に従事していた頃の思い出を語るチリ人刑事2人のヤバイ会話に戦慄と恐怖感が込み上げて来ます。『独房の同志』同じ時期に別々の刑務所に居た僕と奇妙な女ソフィアとの腐れ縁のような交情の日々を描きます。『アン・ムーアの人生』多情で次々と男を替え一つ所に落ち着かず世界を渡り歩いて来たアメリカ人女性アン・ムーアのタフな人生のエピソードを綴ります。最初は愛し合っていたが安定した暮らしに倦み疲れ突然あっさり彼女に捨てられた夫が、幾度も拒絶され続けた結果傷心の末に自殺します。けれど、彼女は悲しみながらも後悔せず前向きに生きて行きます。本書は他にも成功したとは言い難い人々の切なく遣る瀬無い人生模様を数多く味わえます。不器用でも一所懸命に生きた人々の過酷で壮絶な人生の物語集を心からお奨め致します。 | ||||
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