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メイスン&ディクスン
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【この小説が収録されている参考書籍】
メイスン&ディクスンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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領土紛争を解決する為の線を引く為に二人の人物が雇われ・・・というお話。 上記だけだと何だか判らないと思いますが、アメリカが独立前に領土を巡って諍いがあって、それを解決する為の線をメイスンとディクスンという人がアメリカを測量して回ったという史実があるそうで、その史実にピンチョン先生が独自の解釈や挿話を挿入して珍道中風小説にしたのが本書らしいです。 メイスンとディクスンが引いた線が結果的に南部と北部を分ける重要な線になったそうですが、この小説ではその線を暗喩にして、善と悪、アメリカとその他の国、アメリカのキリスト教とその他の国のキリスト教(とその他の宗教)、隷属と自由、という二項対立を追及した小説に思えましたが、どうでしょうか。 この人の小説の例にもれず、登場人物が膨大で、総ページ数も1000ページを超えるので、ほんの少し登場するキャラやエピソードを全て記憶しながら読むのは土台無理なので、「重力の虹」や「V」みたいにあまり力んで読まずに、黙示録的狂騒と馬鹿騒ぎを描いたバロック小説みたいに読んでもいいかも。 今までピンチョン先生の小説を幾つか読みましたが、面白いですが通常の小説としての面白さとは位相が違う様な印象を持ちましたが、この小説に関しては通常の小説として読んでも面白いというカタルシスを感じました。他に読んだ方はどうでしょうか。気になります。 ピンチョン先生にしては読み易く、面白い小説でした。是非ご一読を。 蛇足ですが、私の高校時代、「American War of Independence」は「独立革命」と習いました。戦争より、革命の性質が強いということで。今はどうなっているかは知りませんが。 | ||||
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物語は掲題の通り弥次喜多ならぬメイソンディクソンが測量の旅に出るコメディ道中記である。 むろんピンチョン小説らしくリアリズムはくそくらえでビーバー男だの巨大ニンジンの町だのが出てくる。 とはいえ一応きっちり道中記として完結するあたりは「重力の虹」や「V.」の投げっぱなしエンドとは違うので ピンチョン嫌いの人、初めての人にも通読しやすい一冊となっている。 裏を返せば割と普通の時代小説になっており、 「重力の虹」等でみられるピンチョンらしい時代を先駆する社会に対する洞察、明察は本書ではあまり見られなかったと記憶する。 原書は一応19世紀半ばが舞台のため、それに合わせてヴィクトリア朝時代の英語を用いて書かれている。 それを読みやすい翻訳にするのは手間だったとは思う。 で翻訳はそれに合わせて古臭い用語を翻訳に用いたのであるが、中途半端に現代的な文章も用いているため 整合性がなく、会話等のテンポが悪く、一言でいってイケてない。 古臭くするならするで紅葉や鏡花のような江戸弁による丁々発止なやり取りも翻訳で使えたろうにと思うのだが。 だって原書が古臭い英語なのだからそれも方法論としてはありだろう。 渡辺一夫のラブレーや丸谷才一のジョイスの翻訳だってそのあたりは徹底している。 現代的にするならするで原書の古典的な雰囲気は捨てて、テンポの良さを徹底すべきと思う。 漢字だけ昔の当て字にすれば雰囲気出るってもんでもないでしょう。 あとすでに他レビューで指摘があったが測量関係の語注が少ない。 決して安くない値段だしそれはやってほしい。原書が☆4で翻訳が-1。 | ||||
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このようなおもしろい小説はめったにない。 複眼的で重層的で、読者によってさまざまな読み方が可能である。 たとえば、二人の英国人によるアメリカ紀行として読めば、それだけでも十二分に楽しい。旅に出る前、旅の最中、旅の思い出。いつものように、旅を終えてからの人生がもっとも長い。本小説の序盤に登場する二人の青年の期待感と野心、中盤の思いもかけない出来事の連続、終盤に老人となった二人の和解や寂寥感や諦念そして暖かさ。 下巻まで読み進めれば慣れてきて読みにくさも心地よくなるので、どうか頑張って最後まで読んでいただきたい。上巻で放り出すと、ほとんど旅に出る前のエピソードしか読めない。それはじつにもったいない。 | ||||
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ダメでもともと、という言葉があるが、これほど人間の欲求をくすぐるセリフもない、 ダメでもともと、と思うと、よけいに「ダメ」を確かめたくなるのだ、 で、やはりダメだった、 ダメなりに収穫があったりするものだが、苦行を強いられたうえ何もなかった、 著者は読者のイメージを喚起する力を持っていない、場面を作れないので、アメリカ史をベースに著者なりの「ごった煮」を食わせようにも、読む側はすぐに満腹になり、無理に詰め込んでも吐き出すだけになる、著者らは、レールから弾かれた読者を見て快楽をおぼえ、次なる文学的(商業的)野心の燃料として温存しているのだろう、 レールから弾かれなかった読者は、一種の勝ち組には違いないが、レールを敷いた当人たちの配下の者であり、知らずにロゴ付きのTシャツを着せられていることに気づいていない――公的には大学教師や評論家が、私的にはこうしたサイトを含めた無名の記述者が、いわば宣伝係の立場を担わされることになる、サドマゾショーのようだが、アメリカ仕込みのマーケティングの真骨頂ともいえよう、 ある場面と別の場面とのつながりが見えてこない――活字を追う読者がそれをシーンとして形作れない、とすれば、これはフィールドのないサッカー、土俵のない相撲に例えられる、つまり、たんに双方の登場人物が勝手に入り乱れて暴れまくる泥仕合のていをなすだけなのは必然、金を取って見せる試合になるはずがない、どんなに高度な手法を駆使しようと、著者お得意の教養をどれだけ披露しようと、すべての発汗作用は芸術的活動の外にある、芸術は創造的行為であり、プラスの方向の創造ではなく大胆な破壊に打って出ても、そこには計算されつくした芸術的な野心が必要だ、したがってそこには太い骨格があり、無知の(注釈とは無縁の)読者であっても、作品世界に引きずり込むだけの強烈な力に満ち溢れ、しかも客観性という軸にぶれがないことが最低限の必要条件になる、 本作品でも著者はゲームのルールは自分が握り、読者に小出しにする、そこに辿り着く紆余曲折が醍醐味ともいえるが、迷路の果てにゴールは用意されていない、ゲームの勝者は、常に著者自身ということになる、 著者は「記憶」と「思い出」の違いがわからないのではないか、 小説家に必要なのは後者のほうだ、思い出は単に私的な記憶でなく、その人自身の色が加わったものだ、芸術家が一枚の絵をものにしようとするときのパレットであり、絵筆を浸すただ一つの拠り所だ、それが貧弱な者は、どんな方向に進もうとも作品で人に感動を与えることなどできない、 熟練の小説家でもストーリーに詰まることはある、だが大きな壁にぶつかり、その難所を克服するほどに、小説全体のどこに本物らしい生命が宿るかに気づくはずだ、「今は理解されなくとも未来には何倍にも評価される右肩上がりのブル」を気取っているらしい著者だが、未来を先取りどころか、実際には大胆な捏造が不得手で、小さな過去、歴史的事実やそれを加工したものを準備して、壁の部分を手際よく端折って、壊したつもりになって先に進んでいないか、ぼくはそれを疑う、自力ではなく、出来合いの武器を使って要領よく(自分が傷つかないように)突破を図っているように見える、内的になるのは結構だが――内的思考を鋭く深く掘っていけば、やがてローカルを超えた領域に近づいていけるのではないかと思う、著者は小心が災いしてか、せっかくいいところまで掘り進んでも、遠慮して引き返しているように見受けられる、それを突き破ったところに真の芸術的な狂気があるはずなのに 著者は謎に包まれた、正体不明の作家であるらしい、そのくせ資料(ウィキペディアなど)によれば「測量技師トマス・ラグルズ・ピンチョン・シニアとキャサリン・フランセス・ベネット・ピンチョンの間に生まれる」とされ、出生が明確化されている、くわえて「ピンチョン家はアメリカ最古の家柄」で、「遡れば11世紀にノルマンディーからウィリアムと英国に移住」とわかっている、これだけ素性がはっきりしていて謎、いったいどれだけの人間が家系を11世紀にまで遡れる?、 それだけではない、「高校を最優秀学生として卒業」、「コーネル大学から奨学金をもらって、工学部応用物理工学科に入学」、「講師にウラジミール・ナボコフがいた(らしい)」、「大学を最優の成績で卒業したピンチョンは大学院の奨学金を拒絶」、「1960年2月から1962年9月までの間、シアトルのボーイング航空機会社に就職」 謎どころか、こんなに詳細に学生時代以後の経歴まで調べがついている、謎に満ちてなくとも、そんなに調べがつく作家はなかなかいない、 つまり「覆面」というのは著者と編集者の間でつくられた事実に基づくカモフラージュであり、謎ではない、こういって悪ければマーケティングの一環として出版者と組んでセルフプロデュースをしているに過ぎない、 その理由は――学歴コンプレックス、家柄コンプレックス、職業コンプレックス、この三大コンプレックスに凡人が常に悩まされるからだ、それを逆手にとる非凡な者たちも、実は俗人であり、凡人の変種であり、ついやりすぎて馬脚をあらわにしてしまう、逆の見方をすれば、家柄以外に見るべきものがないのであり、ハーバードは無理でコーネルに行ったのであり、ボーイングでいい仕事ができなかったから辞めたのではないか、ノーベル賞候補の常連らしいが、何度まな板に乗っても落とされるのは、選考委員が作品の不出来を指摘したからではないか、「謎の作家」だけあってこれらには確証が何ひとつない、だが腑に落ちない点が多すぎる、ピンチョンというのは凡人の劣等感を餌にして膨れ上がったハリボテのようなものではないかと思う、「明らかな経歴」に「保守」の臭いがつきまとっているから、 翻訳もまたひどかった、一人称が一種しかない言語で[わし]、あんな風に訳されたら、どうにもゆかなくなる、編集者はなぜダメを出さなかったのか | ||||
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一ヶ月かかってようやく読み終えた。ピンチョンの小説なんで、もともと歯が立たないだろうとは思っていたし、上巻を読んだ時から、柴田元幸の訳文に違和感を感じていたせいか、リズムに乗れなかった。 ということで、結局、下巻だけで1ヶ月以上もかかってようやく読み終えたんだけど、なんだか、柴田元幸の訳文にも慣れてきたのか、この本のリズムにもようやく乗れてきたのか、この下巻の後半は、かなり楽しめたと思う。 アメリカの地理にも歴史に詳しくない私には、立て続けに出てくる、地名や登場人物などの固有名詞に四苦八苦しながらも、なんとか読み通してみると、この一大歴史小説を書いたトマス・ピンチョンの試みの一端がかいま見えたような気がする。 これは、アメリカを題材にしたものに限らず、歴史をテーマにした小説全般に通じていることだと思うが、こういった歴史小説、特に長い長い大長編を読む喜びを正直に感じた。残念ながら、私の方の知識不足で、その喜びは垣間見えた程度だけれど... | ||||
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新潮社から出ているトマス・ピンチョンの「全小説」シリーズの一冊。上下巻でかなり分厚い小説の上巻目。ピンチョンはかなり好きな作家で、この小説も、自分好みの作品だと確信して読み始めたのだが... この本が翻訳され出版される前から、噂は聞いていて、うっすらとストーリーの概略も知ってはいたんで、かなり期待して読み始めた。ピンチョンに限らず、この手の小説が好みの自分にはピッタシの作品だと思ったんだけど、あまりの読みづらさに、閉口し、危うく読むのを途中で断念しそうになるほどだった。 翻訳はあの柴田元幸。いつもの佐藤良明ではなかったので、一抹の不安はあったが、でも柴田元幸のピンチョンも楽しいだろうなって思ってたら、これが予想外。何も、こんな古臭い文体、用字にしなくても。いちいち引っかかってしまって、リズムに乗って読み進めることができなかった。それに、いつものピンチョンと違って、訳注も少なかったのも残念。後半は読みきれるかしら?不安。 | ||||
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別の人も書いていますが、まず翻訳がひどすぎます。 柴田氏の翻訳はオースターのような書生堅気の内省的な文体には合うのかもしれませんが、 ピンチョンのような大作家には土台無理です。つまずいて、こけるだならまだしも、かなり不自然な 帳尻合わせが透けてきて厭になります。せめて青野聡氏くらいの運動神経と五感の持ち主に この本は託すべきでしょう。それか大胆にチョウヤクのできる人物とか。。。言葉も運動しています、 跳ねまわります。運動神経の無い者が訳すと最悪になるという良い見本です。見本という意味で、 ★一つのところを★★にしました。 翻訳が不味いとなると、出版社の姿勢を疑いたくなります。 べらぼうな値段設定にも納得がいかなくなる、というより私は怒りを覚えました。 いまどき高い金だして小説読むのが間抜けなのだ、といいたいばかり。 だからこれ以降の『逆光』などは買ってません。ここでは絶対に読みたくない。読者をね、馬鹿にしちゃ いけませんよ。柴田氏にも木原氏にもなんの恨みもないけど。 自分には佐藤と志村の「ピンチョン」(三宅先生のも良いです)があればいいや、という感じです。 あとは原書をこつこつペラペラと気分に応じて読むしかないですね。 | ||||
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ついていけませんでした。 個人的には、大好きでほぼ全作読んでるのですけれど。 無理に大作にしなくてもいいんじゃないの? と思ってしまいます。 そこはそれ、半分ぐらいの文量でまとめあげたほうが 伝わり易いのでは? と考える事が、そもそも凡人なのでしょうか。 | ||||
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すごく期待していたのに、正直、期待外れ。 まず、翻訳。著名な柴田さんですが、会話のリズムがまったくなかった。 ピンチョンの小説はいつも会話がおもしろくて、グルーブがあるのだけれども、それがない。 「あなた」を「汝」と訳したり、極力カタカナを使わずない翻訳 ー例えば「パン」を「麺麭」と「ライフル」を「旋条銃」と訳したりー がリズムを悪くしているようにも思えた。 とはいえ、これは個人の受け取り方次第。こういう変わった翻訳をよしとする人もいるはず。 根本的問題は、その注釈の少なさ。 主人公の二人が天文学者と測量士だから、必然と天文学と測量の専門用語が多くなる。しかし、それにほとんど注釈がない。 さらには、地図がひとつもない。アメリカ大陸を終始横断しているというのに地図がない! 上下あわせて8000円もするのに、あるのはまったく使えない人物一覧だけ。 これで”ピンチョン・コンプリート”なんて笑止千万!筑摩や河出のピンチョンの方がはるかに丁寧なつくり。 ピンチョンと柴田元幸というビッグネームに甘えて、出版社が何にもしてねー、そんな感じ。 さらなる改良を求める。ピンチョン全集の1冊目がこれって、いいの? 個人的には佐藤良明訳でもう一度読みたい。 | ||||
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読み進む内に迷宮に引き込まれていくような感覚を覚えます。小泉八雲の小説を読むのに共通している感じがします。ただ所々私の理解できない直訳調の文章が出てきます。ベテランの翻訳者のようですのであくまで私が理解力の問題かな? | ||||
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個人的には、ローレンス・スターンが「トリストラム・シャンディ」のノリのまま「センチメンタル・ジャーニー」を書いたような感じのまま、読んだ。 全体のストーリーを追うには、登場人物は多いし、それぞれのエピソードのつながりが見えないしで、そのまま合計1000ページ以上を読むのは、大変といえば大変。でも、それは覚悟のこと。一つ一つのエピソードを楽しむことにした。問題は、そうした読書がいいかどうか、なのだが、美しいラストシーンは、そうしたことを肯定しているんじゃないかと感じるものだった。 人生って、結局は不連続なエピソードの積み重ねだし、読者はメイスンに寄り添って、それをたどっていけばいいんだって、そういう読書でいい、そういうのが、ピンチョンの読者に対するメッセージなんだって、そう感じとった。 何だか、高い山を、周囲の景色を楽しむことなく、登って降りたような読書という気もするけどね。 | ||||
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新潮社HPでピンチョンはこう評されている。 現代世界文学最高峰の作家 その意味を知るにはこの作品で分かる。 『重力の虹』は氏の最高傑作と言われ続けているが、M&Dもいやはや・・・ 知識の泉のようにあらゆる事象についての知識をふんだんに含んだピンチョンの博識がいたるところに見れる。 難しい言葉がたくさん出てくるが、これが現代文学最高峰かと噛み締めてください。 トマス・ピンチョンが生きている間にノーベル賞を受賞することを願わずにはいられない。 一体どんなパフォーマンスをしてくれるのだろうか。 楽しみだ。 | ||||
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ピンチョンの他の作品のいくつかは、途中で挫折した私ですが、この作品は最後までおもしろく一気に読めました。地理、歴史、天文学、宗教なんかに疎いから小難しそう、などと考えず、手にとって欲しい作品です。訳者が柴田元幸氏というのも、読みやすい理由だと思います。脇役一人一人までがユニークで個性が強く、一文一文がとても濃くておいしいので、ゆっくり噛み締めるように味わえます。古い時代に合わせて、いろんな楽しい漢字(費府=フィラデルフィア、とか)が文章にたくさん盛り込んであるのも、昨今の出版物によくある、平仮名ばかりやたら多い白っぽい文面に不満ありの、私のような人間には嬉しい限りでした。 | ||||
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ジョンバースの「酔いどれ草仲買人」と語り口、地理、時代背景が似通っていて、あの世界を追体験するような印象を持った。ただし、こちらは物語がきちんと収束することなく、時間進行とともに、饒舌な挿話群が落ちの付くことなく重なっていき、ある種の迫力を持ち迫ってくる。だから、駆け足ではなくて、この主人公二人の旅に寄り添うような速度で読むことがおすすめ。関連地図が付いていれば、もっとよかったな。 | ||||
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