■スポンサードリンク
あやめ 鰈 ひかがみ
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
あやめ 鰈 ひかがみの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.88pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『もののたはむれ』『半島』と読み、さらに次が読みたくなって本書を買いました。 わたしが読んだなかでは一番完成度が高い気がしました。 書き手の精神の高揚のままに任せているようでいて、その裏には緻密な計算があるのだと感じました。 そしてなにより、「におい」が充満しているところに、 匂い(臭い)フェチとしては、すこぶる満足しました。 饐えたようなにおい、 (何日も履き続けた靴下のにおい、何日もアイスボックスに入れたままの鰈のにおい) なんて、 昭和を象徴する死語のようですが、 わたしが愛おしく思って読んできた小説には、 いつも 臭いや匂いや、湿度や温度が なまなましくあったな、、、と思いました。 久々に、中毒になるくらい好きな作家に出会えました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
文章は平明で分かりやすく主人公たちの心情がよく伝わってきました。でも内面の指向性が強く、死との隣り合わせで出口のないやるせなさが心に重かったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
現代における生の困難と幾許かの救いが寓喩に託して語られた三編からなる作品集です。 喪失感に苛まれ続ける中年男(「あやめ」)。罪過の由と知りながら奔放と怠惰を止められない初老の男(「鰈(かれい)」)。亡くなった妹の幻影と古家との絆だけを頼りにして怠惰と虚無に生きる男(「ひかがみ」)。男達は夜の東京を彷徨する途上、幻影のなかに己の来歴とその基源と帰結に直面します。彼等と因縁のある人々との交わりのなか、決して心地良くないが逃れられない来歴を呈示されます。 男達に共通するのは癒されようのない徒労感です。それは幻影から冷めても解消されることがなく、寧ろ徒労感は街の隅々に凝っている闇のように深まるばかりです。作者から与えられるのは、認識している限りそれは現実であり、その現実を徒労であろうと生きてゆくしかないという現実です。そしてあとがきで作者は、男達の到達した心境を幸福感と書いています。幸福なのでしょうか。心が満ち足りているさまを幸福と呼ぶならば、そこに高揚による充足がなかったとしても、それが諦念による安堵だとしても、彼等は幸福に到達したと言っても良いでしょう。記憶が過去が曖昧で不確かであっても、縋ることのできる現在だけは辛うじて残されているという幸福。閉塞感と徒労感に支配された現代の少なからぬ人々にとって、三人の男達が幻影の果てに到達した心境だけが、得ることのできる最大限の幸福なのかもしれません。 緻密に構成され流暢に語られた佳品ではありますが、現実感が若干希薄なところに難があるように思われます。生の表層に隠されている底流の昏い凝りを凝視する強靭な視線だけが捉え得る容赦のない現実感。それが作家自身の生に依っているのか、技術的な側面に依っているのかは判りません。しかし、より濃度の高い生が作品に注ぎ込まれた時、松浦氏の作品はより読者の胸に迫るものとなるのではないでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これは人が死ぬ前に見る“夢”である。「あやめ」「鰈」「ひかがみ」は独立した小説だが、同じ夢の世界の話である。三作の主人公はそれぞれ別の男だが、いずれも年の瀬が舞台となっている。クリスマスも過ぎ大晦日までの4、5日間というのは日常でも祝祭でもない妙に中途半端な時期であり、異界への扉がパックリ開いているのかもしれない。一年の終わり=人生の終わりという暗示でもあるのだろう。 死ぬ前に見る“夢”はきっと恐ろしい。日頃自分の中でごまかしてきた、無いものにしてきたことが、夢の中で追いかけてくる。自分という人間が実はどういう存在として見られていたのかという聞きたくもない話を昔の知人が教えてくれる。三作共通のモチーフや、一作の中でも同じシーケンスが悪夢のごとく繰り返される。「あやめ」だけを読んだ時は、小説の意図が判らず、自意識が変な形で欠落した主人公に共感が持てなかったのだが、夢だと解釈すれば、痛みや恐れ、逡巡のない感覚、意識、行動も理解できる。この三作の救いは、こうした悪夢、死ぬ前に見る“夢”の世界に迷い込み、別の人生もあったという後悔の念に苛まれつつも、不思議な幸福感に包まれ、希望を予感させて終わることである。ペダンティックな記述やディテールの不自然さが気になる部分もあるが、それはこの圧倒的な小説世界に比べれば瑣末なことだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
だいぶ昔に読んだ『花腐し』以来、2冊目の松浦寿輝。 『花腐し』と印象がかぶった。どう形容すればいいんだろう、きわめて「非現代的」というか、60年代・70年代の「純文学」を読んでいる感覚。 読ませる。 好きか嫌いかと言えば、ものすごく好き。 けれど、途方もなく滅入る。 読んでいるだけで身体にも精神にもものすごく悪い影響を受ける感じがする。部分部分、悪い方向に共振しすぎてしまって怖い。この人の本をたくさん読んだら、間違いなく寿命が縮みそう。 でもどこか人をひきつけずにおかない。 精神状態の悪いときにはおススメしない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本を片手に日比谷線に乗り、物語を開く。 日比谷線の情景が騒音がけだるいBGMになって重なっていく。 トーキョーの地下鉄。あの醜悪でチャーミングで、猥褻でビューテフルな変な町、 混沌としてわけのわからないメガロポリスの地下を上野、秋葉、銀座、日比谷 ところころと落ちていく。人がどやどやと降りていくので、曖昧だが六本木で つられて降りてしまった。どこまでも落ちていく夢にはっと目覚めてしまう感覚。 アマンドにタムロするケダルイ外人を横目にヒルズのほうにぼんやりと 足を踏み出した中年オヤジ。 GWのヒルズに何の意味があるのか?ないのか?小難しいことはどうでもよかった。 松浦の本の続きが読みたかったのだから。「あやめ鰈ひかがみ」風 松浦レトリックは読者に心地よい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これは人が死ぬ前に見る“夢”である。「あやめ」「鰈」「ひかがみ」は独立した小説だが、同じ夢の世界の話である。三作の主人公はそれぞれ別の男だが、いずれも年の瀬が舞台となっている。クリスマスも過ぎ大晦日までの4、5日間というのは日常でも祝祭でもない妙に中途半端な時期であり、異界への扉がパックリ開いているのかもしれない。一年の終わり=人生の終わりという暗示でもあるのだろう。 死ぬ前に見る“夢”はきっと恐ろしい。日頃自分の中でごまかしてきた、無いものにしてきたことが、夢の中で追いかけてくる。自分という人間が実はどういう存在として見られていたのかという聞きたくもない話を昔の知人が教えてくれる。三作共通のモチーフや、一作の中でも同じシーケンスが悪夢のごとく繰り返される。「あやめ」だけを読んだ時は、小説の意図が判らず、自意識が変な形で欠落した主人公に共感が持てなかったのだが、夢だと解釈すれば、痛みや恐れ、逡巡のない感覚、意識、行動も理解できる。この三作の救いは、こうした悪夢、死ぬ前に見る“夢”の世界に迷い込み、別の人生もあったという後悔の念に苛まれつつも、不思議な幸福感に包まれ、希望を予感させて終わることである。ペダンティックな記述やディテールの不自然さが気になる部分もあるが、それはこの圧倒的な小説世界に比べれば瑣末なことだろう。 筒井康隆の最新作「ヘル」は本作にかなりコンセプトの近い試みの小説だと思うが、残念ながら途中で破綻してしまっている。松浦寿輝の作品を読んだのは今回が初めてだが、小説の可能性を久々に感じることができ、他の作品もぜひ読んでみたいと思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「花腐し」と本書を続けて読んで、松浦ワールドにどっぷり浸かってます。 強いふるい酒を飲むように酔えます。この美しい退廃とやるせなさが、まだこういう書き方があったんだという、描き方で表現されています。最初の「あやめ」だけでも買いです。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!