不可能
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本書の主人公「平岡」は「事件」以来獄中で27年を過ごし、出獄してからは 世間を避ける老人となってひっそりと暮らしている。 有り余る資産を元に伊豆に塔を建て、あるいは自宅の地下に 不思議な彫刻群を並べて、老いの日々を過ごしている。 本書の前半では平岡は大きな行動に出ず スコットランドに旅して当地の自然に浸ったりする (この場面の描写は芳醇で美しい)が、後半になると ROMSという組織に関わり、異常な事態に巻き込まれていく (『春の雪』のパロディめいた場面には笑ってしまった)。 だが「平岡」がときに洩らす現代日本に対する批判は それほどスケールの大きいものではなく、若干の違和感を覚えてしまった。 「平岡」をもう少し時代と対峙させ、たとえばネット社会、 アニメ・ゲーム文化の台頭など1970年の時点では想像できなかった状況を 「彼」らしい冷徹な論理性と絢爛たる皮肉で語るような描写があれば、 後半に禍々しい事件を登場させなくても、 もっと挑発的で面白くなったように思う。 「三島」の才能は「事件」の存在を抜きにしても、 充分過ぎるくらい圧倒的なものだったから。 だが、他の方のレビューにもあるように、 著者は「三島を借りてきただけ」で「老人」を主人公とした本作は 「時代との対峙」とは別のところに主眼が置かれているのでしょう。 松浦氏が本作にこめた哲学を私が把握しきれなかったのかもしれません。 前半の美しい文章には心を打たれたので、★4つの評価です。 | ||||
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後期高齢者のテロ集団、誕生秘話です(笑) 物語の進行には黒子がいて、それは若者です。 何事かやりたいんなら、爺さん操らずに自分でやんなさい、と思ったけれど、 そうか、先立つものは爺さんの方が潤沢に持ってるものね、と思い直しました。 何言ってんだか分からない? 本作を読んでください。 最後のどんでん返し(これって死語?)までは、 まったく誤解して読んでいました、私。 そうか、作者は三島由紀夫にこんな風に死んで欲しかったんだ。 あんな風じゃなく。ふーん。 でもそれにしては、生前の三島の思想を否定する老年の三島の描き方が ちょっと純文学じゃないよなぁ。でもまあ、そういうことね。ふーん。 しかしこんな浅薄な、ふーん、のまま読み終わるわけがない。 だって作者は松浦寿輝氏だもの。 昭和45年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で切腹したとき、介錯が下手くそで首が繋がったまま生き延びた三島が、刑期を終え80代半ばの老人になったという設定です。 それだけでも禍々しくスキャンダルな舞台設定ですね。 世の諸々にまったく無関心、鏡の前で手品をするのが楽しみ。虚無感を空気のように呼吸して生きる老人が、自宅の地下室を人の集うカフェバー風に改造したくなる。外界との接触への欲望が目覚めてきたところで、 待ってましたとばかり登場する謎の青年。(これが黒子) 青年の手引きにより、謎の後期高齢者同好会ROMSに参加、 あれよあれよという間に中心人物になっちゃう。 東大教授に身をやつしているけど(こういう場合、やつすとは言わないよねぇ、普通) 本当は過激な詩人、松浦寿輝氏。 世界中でデモが起きている昨今、老人たちの過激な蜂起を、三島を生き返らせて描こうとしたのかしらん。 いいなぁ、こういうの。俄然、元気出てきちゃう。 老年は善悪の彼岸に佇んで、過激にいかなくちゃ! | ||||
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主人公・平岡は故あって獄中で30年近くを過ごした後に出所した。金にあかせて地階にバーをしつらえ、ジョージ・シーガルのような彫像をいくつも作らせて配置している。 やがて改悛老人クラブ<ROMS>なるものの会員となるのだが、そこで出会った老人たちはひとくせもふたくせもある人物ばかり。彼らとの交流は現実と幻の境界線を少しずつ曖昧なものとしていく…。 三島由紀夫が市ヶ谷で自決せず、今日まで生きながらえたならば、という設定のもとに八つの短編で描く連作集です。 三島由紀夫らしさがあるのは、咽喉(のど)もとの傷跡、印税を元としたかなり潤沢な資金、そしてときどき垣間見せる文学的素養くらいでしょうか。設定の不可思議さが予期させるほど、特段、三島由紀夫だからどうだということはないのが意外な感じがします。 今年8月5日付の朝日新聞のインタビュー記事で作者・松浦寿輝は、「もともとは、老人小説を書こうと思った。裕福で好き勝手できる老人がいたら、老いとどこまで和解できるか、どういう形で幸福になれるかを考えてみたかった」と語っています。「そこで三島を借りてきた」だけとのことです。 ですから三島ならではこそのお話というよりも、たまたま三島だったということのようです。 老いとよぶ時期が来るのはもう少し先の私にとっては、作者の意図するところはあまり心に響きませんでしたが、夢まおろしのグラン・ギニョール風世界を紡ぎだす作者の技巧的な文章は私の好むところでした。 | ||||
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週刊ブックレビューで取り上げられていたので、拝読いたしました。 三島由紀夫が、生きていれば という、挑戦的な作品・・・? 人生の週末に近いであろう主人公 まずは身の回りを落ち着かせてから 海外ブラブラ 老人たちとの交流・・・。 う〜ん 三島さん生きてて こんな余生送るかな? 生前の交友関係など絡めていれば、もう少し現実味があったのですが。 この本を読んだだけでは 妄想老人? なんでそうなるの? 読後感がすっきりしません。 もう少し〜 現実に足をつけた話だと、共感できたのかな? なんだか、モヤモヤしました。 | ||||
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この本読みながらこの7月、5回にわたる「三島由紀夫と現代」と題した大学のエクステンション講座を近くの公共図書館で聴講していた。 講師のK・S氏は三島氏の霊が乗り移った如き「英霊の声」の朗読付きの名講義。 三島氏はgenieにしてbrillantにしてimbecileとの総括。 しかし、この三属性を兼備した稀代の人物ゆえ多くの人々に愛された。 昭和45年のあの事件は、日本社会の隅々にまで衝撃と影響を残 したーーーーそれでも年月は滔々と流れ、ウロボロスの地球の自転と公転は回数を重ねーーー気がつけば評者は回春(この小説中のROMSの悔悛ではなく)に実存を甦らせている俳諧(いえ、徘徊)老人。 この小説、完成した三島氏の神話と伝説を、今はやりの脳科学や唯脳論を援用した自然科学のメスで「観念という解剖台」の上で腑分けしようと試みた「詩的暴挙」と思えなくもない。 前掲の三属性でも、松浦氏はbrillantが突出して輝き、この小説と前掲の講座のおかげで、40年間の心理的フィードバックとタイムスリップの醍醐味を味わって、些かハイで躁な気分に陥った評者は徘徊老人であり続けるimbecileそのものでしょうーーー。 | ||||
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