あやめ 鰈 ひかがみ
※タグの編集はログイン後行えます
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt | ||||||||
あやめ 鰈 ひかがみの総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 短篇3作「あやめ」「鰈」「ひかがみ」である。それぞれの主人公である下町男3人が、歳の瀬のうらぶれた街で交叉する。会おう、いずれの主人公へも旧知からの久方の電話、そこからの道程は苦いものであった。埋もれていた影が現れ立ったのだ。 賽の河原に咲く「あやめ」、縞模様をまとう花芯は生殖器か長虫の舌か、引っ越しを重ねてきた主人公の現実と夢まぼろしとを織り込む仄かな影。水底に潜む獰猛な「鰈」、饐えた4尾を抱えて地下鉄に乗れば、やさぐれた主人公を包み込むどすぐろい影。蛇しか残っていない零落の鳥獣店、店主の主人公をさいなむ、細かな歯の生えた「ひかがみ」の甘やかな影。 心も肉体も衰えた今ここの我が身にも、かつてあそこで悪鬼であった我が身にも、この先いつかどこかの我が身にも、影がつきまとっているのだ。隠れていた影が出現したときには、食べられてしまえばいい、飲み込まれてしまえばいい。そう気づいたとき、主人公には安堵がひたひたと沁みてゆく。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 『もののたはむれ』『半島』と読み、さらに次が読みたくなって本書を買いました。 わたしが読んだなかでは一番完成度が高い気がしました。 書き手の精神の高揚のままに任せているようでいて、その裏には緻密な計算があるのだと感じました。 そしてなにより、「におい」が充満しているところに、 匂い(臭い)フェチとしては、すこぶる満足しました。 饐えたようなにおい、 (何日も履き続けた靴下のにおい、何日もアイスボックスに入れたままの鰈のにおい) なんて、 昭和を象徴する死語のようですが、 わたしが愛おしく思って読んできた小説には、 いつも 臭いや匂いや、湿度や温度が なまなましくあったな、、、と思いました。 久々に、中毒になるくらい好きな作家に出会えました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 文章は平明で分かりやすく主人公たちの心情がよく伝わってきました。でも内面の指向性が強く、死との隣り合わせで出口のないやるせなさが心に重かったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 現代における生の困難と幾許かの救いが寓喩に託して語られた三編からなる作品集です。 喪失感に苛まれ続ける中年男(「あやめ」)。罪過の由と知りながら奔放と怠惰を止められない初老の男(「鰈(かれい)」)。亡くなった妹の幻影と古家との絆だけを頼りにして怠惰と虚無に生きる男(「ひかがみ」)。男達は夜の東京を彷徨する途上、幻影のなかに己の来歴とその基源と帰結に直面します。彼等と因縁のある人々との交わりのなか、決して心地良くないが逃れられない来歴を呈示されます。 男達に共通するのは癒されようのない徒労感です。それは幻影から冷めても解消されることがなく、寧ろ徒労感は街の隅々に凝っている闇のように深まるばかりです。作者から与えられるのは、認識している限りそれは現実であり、その現実を徒労であろうと生きてゆくしかないという現実です。そしてあとがきで作者は、男達の到達した心境を幸福感と書いています。幸福なのでしょうか。心が満ち足りているさまを幸福と呼ぶならば、そこに高揚による充足がなかったとしても、それが諦念による安堵だとしても、彼等は幸福に到達したと言っても良いでしょう。記憶が過去が曖昧で不確かであっても、縋ることのできる現在だけは辛うじて残されているという幸福。閉塞感と徒労感に支配された現代の少なからぬ人々にとって、三人の男達が幻影の果てに到達した心境だけが、得ることのできる最大限の幸福なのかもしれません。 緻密に構成され流暢に語られた佳品ではありますが、現実感が若干希薄なところに難があるように思われます。生の表層に隠されている底流の昏い凝りを凝視する強靭な視線だけが捉え得る容赦のない現実感。それが作家自身の生に依っているのか、技術的な側面に依っているのかは判りません。しかし、より濃度の高い生が作品に注ぎ込まれた時、松浦氏の作品はより読者の胸に迫るものとなるのではないでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| これは人が死ぬ前に見る“夢”である。「あやめ」「鰈」「ひかがみ」は独立した小説だが、同じ夢の世界の話である。三作の主人公はそれぞれ別の男だが、いずれも年の瀬が舞台となっている。クリスマスも過ぎ大晦日までの4、5日間というのは日常でも祝祭でもない妙に中途半端な時期であり、異界への扉がパックリ開いているのかもしれない。一年の終わり=人生の終わりという暗示でもあるのだろう。 死ぬ前に見る“夢”はきっと恐ろしい。日頃自分の中でごまかしてきた、無いものにしてきたことが、夢の中で追いかけてくる。自分という人間が実はどういう存在として見られていたのかという聞きたくもない話を昔の知人が教えてくれる。三作共通のモチーフや、一作の中でも同じシーケンスが悪夢のごとく繰り返される。「あやめ」だけを読んだ時は、小説の意図が判らず、自意識が変な形で欠落した主人公に共感が持てなかったのだが、夢だと解釈すれば、痛みや恐れ、逡巡のない感覚、意識、行動も理解できる。この三作の救いは、こうした悪夢、死ぬ前に見る“夢”の世界に迷い込み、別の人生もあったという後悔の念に苛まれつつも、不思議な幸福感に包まれ、希望を予感させて終わることである。ペダンティックな記述やディテールの不自然さが気になる部分もあるが、それはこの圧倒的な小説世界に比べれば瑣末なことだろう。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 9件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|
|







