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グランド・フィナーレ
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グランド・フィナーレの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全33件 21~33 2/2ページ
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一読の価値あり。 筋だけ追うとそれなりの作品でしかない。主人公は自分の娘に会うことができない、何故なら...といった形で物語りは進んで行く。何だかんだあった後、後半部分で純粋な「思い」にぶつかった主人公は自分を取り戻していく、という話だ。 結局、物語は完全な解決を見せない。様々なことが仄めかされたまま、後は読者の想像で、という事だと思うがハッピーエンドとも、そうでないとも取れる様なラストが描かれている。個人的には作品の中に流れている空気を踏まえ、後者のような気がしてならない。 なんにせよ久しぶりに面白い芥川賞受賞作品だった。 | ||||
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阿部さんの作品は、初めて読みました。最近読んだ中での久々のヒット!話の運び方が、もの凄く上手。次はどうなるの?って、ワクワクしながらページを進めていました。ただ、主人公はロリコンで人生を棒に振ってしまった訳だけど。作品の中では全くの普通の人間であり、そこが不気味でした。阿部さんの他の作品も読んでみたくなりました。 | ||||
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四篇の作品よりなる。この著者の作品は初めて読みました。全体的な感想としては、表現と内容の斬新さと、ほかの作品にも期待させる勢いを感じました。個々の作品についての感想は、以下のごときです。 「グランドフィナーレ」:冒頭から隠喩・直喩の雨あられ、擬態語も盛りだくさん。メルヘンチックな表現で宮沢賢治の現代版かと思わせるが、なんてことはない、child abuseの常習者の物語。そうと分かればこの病的なほどにくどい表現は、主人公の異常な精神を表しているのかとも思える。事実、主人公が改心の兆しを見せる話の後半では、普通の表現になっていて面白い。が、話自体は竜頭蛇尾の嫌いあり。 「20世紀」:芥川賞は前述の「グランドフィナーレ」に与えられたそうだが私はこちらの作品のほうがよいと思う。些細な地方の歴史を題材にしながら、現代の情報社会、特に、記録あるいは記憶をテーマにした物語。うまく表現できないが、読み終えてさわやかな好印象を残す作品。フムと感心してしまうところもある。恋愛との結び付け方がやや強引なところを感じるが、これがさわやかさの源か、とも思う。短編小説として秀作だと思います。「馬小屋の乙女」・「新宿 ヨドバシカメラ」:ん?という感じですが、そのセンスは、characteristicで認めます。 | ||||
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神町を舞台にした壮大な物語の一部の作品。「センシミア」でその壮大な神町抒情詩を宣言した作者の良質な作品となった。「インディビジュアル・プロジェクション」や「ニッポネア・ニッポン」という優れた長編を生み出し、「センシミア」で神町抒情詩を描き、本作へ繋がっていく、阿部和重の作品にいつもやられています。彼の想像力の世界を著作を通じて感じられる我々は幸せである。このまま彼には突っ走ってほしい。しかしながらラストには本当にやられてしまった。いいんだよね。あれで。 | ||||
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読んで一言。「その先は?」これでフィナーレですか?なんだか不完全燃焼な私。文章はうまいなあ~こんな風に自分もかけたらいいなあ、さすが芥川賞、と納得がいく。欲を言えばもう少し長く読んでいたかった。少女2人が登場したところから面白くなってきたから・・・ | ||||
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読み終わった時は正直「?」でしたが、登場人物の名前のネタ元である『ガラスの仮面』(美内すずえ)をヒントにしてみたら、面白かったです。阿部和重によるこの名作マンガのカバー、あるいはリメイクではないかとさえ思えます。なので、読んだことのない方には、併読をおすすめします。本作品の主人公「沢見」は、ほぼ『ガラスの仮面』の「速水真澄」です。彼らは、歪んだコミュニケーションの方法を身に付けてしまっています(マンガなので読んでる時は気づきませんが、「速水」演じる「紫のバラの人」は、実際にいたらかなりおそろしいです)。この作品は、歪んだコミュニケーションから脱するひとつの試みについて書かれたものなのだと思います。それが例え演技だろうとなかろうと、自分というものは他人とのコミュニケーションの中にあって、どれもがある意味「真の自分」です。あとはどういう自分を選べるか、どう表現できるかです。その辺のことを考えさせてくれます。 | ||||
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ロリコンというキーワードばかりが挙げられてはいるが、他者によって関係を引き裂かれる、断ち切られるという事が自分に、そして第3者にどういった影響と、心情の変化を与えるのかがいくつかの事柄を通して描かれており、すごく面白かった。気になるキーワードが散りばめられており、それらは阿部和重氏は計算のうえで配置したのではないか、とさえ感じられる。読むほどにいろいろ解けたり、考えさせられたりする小説だ。 | ||||
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阿部和重氏は長編「シンセミア」を第一部とする三部作を構想中で、その舞台は全て神町になるらしい。「ニッポニアニッポン」と「グランド・フィナーレ」はその中に派生的に置かれる、いわば間奏曲のような作品で、それら全てが壮大な「神町サーガ」を形成することになるようだ。 「グランド・フィナーレ」の舞台神町は、多くの殺人や事故死、洪水が起きたあとの黙示録的な町だ。だから、どんよりとした冬空の下の客の少ない文房具店も、陽の当たらないぼろ屋も、はじめから死の匂いを発している。そしてそこで迎えられる筈の、小六の亜美・麻弥と主人公沢見の「グランド・フィナーレ」、すなわち最終場面はあえて宙づりにされる。ロリコンの沢見が小六の時に手をつけて、以来疎遠になったという少女美江は、自殺の可能性を仄めかされることによって、明らかにドストエフスキーの「悪霊」でニコライ・スタヴローギンに手を出され、縊死した十二歳のかわいそうなマトリョーシャを思わせる。読者は不吉な予感を捨て切れないが、阿部氏はあえてここでは「シンセミア」で試みた、“完璧な構図”を用いない。 代官山の猥雑なクラブにカウガールのいでたちで颯爽と登場し、沢見の罪を糾弾する魅力的な人物Iは、作者本人の予告によれば、沢見とともに別の大きな作品に登場することになるらしいし、しばらくこの「神町サーガ」から目が離せない。 ところで芥川賞の選考では、ロリコンというモチーフがリアルに描けているか、ということが争点になったようだ。しかし、私が期待するのは、息詰まるようなリアルな犯罪小説なのではなく、ある種こちらの期待を上手に裏切り続ける阿部氏の「神町サーガ」生成の場に同時代的に立ちあうことで、そこに紡がれるのは作者本人の自虐的な弁によれば“安っぽい”小説なのかもしれないが、“大作”になることを周到に避けながら突き進む阿部氏の姿には、何か崇高なものすら感じるのだ。 | ||||
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ロリコンの趣味がばれ、家族も金も友人も無くしてしまう男の話。初めは、同情しながら読み始めだんだん同情が憎しみや哀れみに感じ、最後はガンバレと励ましたくなる。1つの映画を見終わった感覚がした。去年の芥川賞に比べ、さほど話題になっていないが厚みがあるストーリーは読み応えがある。次が知りたくなる終わり方は、おそらく続きのストーリーは読者が作ってくれということなのだろうと私は思った。 | ||||
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文章は堅苦しくて読みにくい印象なんだけれど、独特の言い回しで笑いを誘う阿部和重の世界。この作品はもちろん、阿部さんの作品の多くの舞台となる「神町」・・・私の住むところに近くなじみのある町だけに、それだけで阿部和重は私にとって特別な意味をもつ作家です。この作品は30代のロリコン男が主人公。小学生の娘を溺愛しているのだが、愛情が行き過ぎてしまっている部分もある男。しかし、その「行き過ぎている」決定的な証拠を妻に見つけられてしまい、離婚。愛する娘に会えなくなり、故郷の神町へと傷心帰郷した男はここで二人の少女に出会う・・・というストーリーです。地域の特色というものがよく出ています。さびれている商店街の様子や、地域の人との繋がり方などは現実のリアルな神町そのもの。実在する施設の名が多数登場し、神町をよく知るものでないと絶対わからないような細かいライフスタイルまでしっかり描写されています。阿部さんの描く主人公は、どの作品を見ても決して立派な大人とはいえない人たち。何かに夢中になっているんだけどその対象や矛先に確実なズレのある大人たち。芥川賞を受賞したことで、今回初めて阿部さんの作品を読むという方はとても多いと思います。決して道徳的な作品ではありません。目をそむけたくなる描写もあるかもしれません。けど、つい最近、奈良の女の子の殺害事件という衝撃的な事件があったのにもかかわらず、それでもこのロリコン男のお話を芥川賞に選んだ審査員たちの決意とリスクを考えてみてください。作品の良し悪しに社会の出来事は関係ないとはいえ、社会が怒りに燃えている中で、それでもあえてこの作品に大きな賞を与えた意味・・・。それを考えてみるだけでも読む価値はあると思います。なお、「グランド・フィナーレ」の作中に≪トキセンターでの事件≫とか≪水害≫などといったキーワードがありますが、これは阿部さんの他の著書「ニッポニアニッポン」「シンセミア」の内容とリンクした記述です。なるべくなら先にこの2作品(特に「ニッポニアニッポン」)を読んでおくことをおすすめします。 | ||||
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「あんまりすばらしくない男」を描かせたら、阿部和重の右に出る者はいない。と、思わされる。 本書でも、ロリコン趣味がばれて離婚を余儀なくされ、愛しすぎる娘に会えなくなった30男が主人公。その、人間ならではのぐにゃぐにゃした思考の過程を文学的に巧みに表現する。 そう長くない物語だが、主人公の思考をすっかり追体験してしまうがごとき感覚を得てしまうところが、さすがだ。 伊藤整文学賞受賞の長編小説『シンセミア』も、エログロだが、すごい小説であり、一読をお勧めする。 | ||||
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発表に前後してロリコンに関係する事件が発生し、評価への影響が危惧されていたものの、「事件と小説は関係ない」という選考委員の理解により芥川賞受賞を成し遂げた阿部和重最新作。主人公はロリコンのために家族、特に愛する娘と別離してしまった男。娘との距離や、特殊な仕事をしていた男の過去が描かれる前半と、離れ離れになってしまう二人の少女と出会う後半に分かれています。時事説明や主人公の周囲の描写に徹する前半とは変わり、後半では過剰なほど悲哀の感じられる二人の少女の登場と、主人公が抱く彼女たちへの疑惑のため、最後の数行まで緊張感が持続し、飽きさせません。過去の作品、『インディヴィジュアル・プロジェクション』や『ニッポニアニッポン』のようなスリリングな展開はありませんが、その分、人間を仔細に描写する、貫禄が窺える良作となっています。 | ||||
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ストーリーについてはご存じの方も多いと思う。ロリコンで少女ポルノ愛好家である主人公はその秘密を妻に知られて離婚を余儀なくされ、仕事も失い、故郷に帰って日々をなげやりにやり過ごし・・・そして。おいおい。こんな話を読んで何になるんだ。最低の男がその後癒されようが死んでしまおうが、関係ないじゃないか。どうして次のページをめくるのだろう。なぜ次のパラグラフを読もうと欲するのだろう。不思議だ。文学の力業は、ここに理解できないがついて行かざるを得ない空間を現出させる。どうしても理解できないこと。謎としか思えないこと。それがあれば生きられる。「全てのことは、わかってしまった」という思い込みは、その人自身の生命力を根こそぎ奪い去る点で、文字通り致命的な錯誤である。この小説は「未知を発見する人は、自然に歩む」という叡智を現代の語法で語る寓話と考えられる。 | ||||
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