■スポンサードリンク


グランド・フィナーレ



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
グランド・フィナーレ (講談社文庫)

グランド・フィナーレの評価: 3.36/5点 レビュー 73件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.36pt


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全33件 1~20 1/2ページ
12>>
No.33:
(5pt)

文章がかっこいいってすごい

書籍を読んで、Audibleで聞いて、また読んだ。いい。耳で聞いても、阿部和重氏ならではのかっこよさが伝わってくる。女性の描写、子供もいい。いきいきとしているというよりは、「ちゃんと考えて生きている」のがわかる。それは実際に考えているかどうかではなく、つまり生きるとはそういうことなのだと、あらためて教えられる。やっぱりすごい作家だ。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.32:
(5pt)

タブーへの挑戦

グランドフィナーレはロリコンの話で不快に感じる場面は多々あります。 しかし、このようなロリコンの話は実際に聞いたり話したりされる場面は現実世界では少ないです。 つまりこの本は自分とは一種無縁のようなテーマ及び人生を提示してくれます。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.31:
(4pt)

民法的な破滅

この本の前に読んだのは
中村文則 掏摸 スリ
太宰治 走れメロス(短編集)
古井由吉 杳子・妻隠

傷つけられた子供。
前に『掏摸』を読んだせいか、子供と大人との非対称を思った。
倫理的な事柄に目を瞑れば、身体が生殖能力を成熟させたなら、その人物に対し性的興味を覚えるのは、効率的だろう。なぜなら、生殖能力を有しているにも関わらず性的興味を惹起させないなら、性交渉がなされずその生殖能力は使用されないこととなり、非効率だろう。
なぜ、子供と大人との性交渉は妥当でないのか。(現在の日本では、条例或いは倫理的に未成年者の性交渉は禁止されているようだ。)
子供は、性交渉が禁止され、生殖に関する情報も制限されている。具体的な性交渉だけでなく、その前後の様式といったものも隠蔽されている。子供と大人との、この情報の差が不公平に感じられる。このことから、大人と子供との(異性・同性の、二人若しくはそれ以上の)性交渉は倫理的或いは法的に禁止されているのだろう。

恐らく、小説の構造としては
第一部では、傷つけられた少女である美代とそれと連帯するIと傷つける大人沢見。
第二部では、鴇谷亜美と石川麻弥と亜美の周囲の人々が、第一部に対応する。

この対応関係を見ると、比較的罪悪の意識(罪と悪との関係、その報い・贖い、行為と心理とを結ぶ論理的構造。その社会的運営)があまり自覚的でない人物の加害を描こうとしたものだと言えそうだね。こんなことを書くと、学校教材のようだけど、やっぱり逃げることの重要性に気づく。

阿部和重さんの作品は、初めて読んだ。神町サーガというらしい。フォークナーみたい。グランド・フィナーレとサンクチュアリ。何か関連あるような、ないような。

芥川龍之介的なところ。
有名な羅生門、或いは蜜柑やハンケチといった作品に見られるような心理変化の描写。
場面・時代設定が明確で現実的な描写を用いてるところ。
子供をめぐる問題という現代的関心を寓意により喚起しているところ(芥川にあっては、近代的な知識人の倫理観といったものが問題視されていたか)。
短・中編であり、主要登場人物が比較的少ないところ。
漢字が多い?

ヴィヨンの妻のような皮肉というかユーモアといったものを、主人公の語りから感じる、妙な違和感があって、少女嗜好の男を納得させられる気もしなくもないようだね…
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.30:
(4pt)

芥川賞…、っぽくはないです。

芥川賞作品ということは期待して読まない方がいい。
純文学というよりは、娯楽小説という類のものなので。
芥川賞としての評価は★だけど、娯楽小説としては★★★★です。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.29:
(4pt)

違和感の味

小説。グランド・フィナーレ(阿部和重・講談社文庫・467円+消費税)。

順番でいえば、この小説→シンセミア→ピストルズとなる「神町」を舞台にしたシリーズ。この小説の主人公はピストルズでは脇役となっており、この発想自体が面白い。

法的にもモラル的にもアウトの主人公による語りは極めて冷静で、その主人公に異議を唱える人物達もまた違法行為者。それぞれが「違法か否か」について一切の悩みなく違法の道を進みながら、あるものは「お前の違法は人道的に問題あり」と責め、あるものは法なきものの前提で我が道を進んで行く。

そこには自己が道を外すことの呵責や陶酔もなく、自己の判断基準のみで喜び悩む日常を淡々と綴っていく世界があり、その違和感にこの小説の味がある。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.28:
(5pt)

さすが芥川賞

何度も読み込んでいるうちに主人公のロリコン性癖がエスカレートしていきます。俺自身、その領域には距離を置いているのだが、後々DVのようなものが混じってきます。表題にあるグランドフィナー。
ここ最金の阿部さんの作品をよんでいるのですが、やはりこの作品が最高傑作です。
 最初で最後の最高傑作。ありがとうございました。
最近のやつはすべて駄作。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.27:
(5pt)

素晴らしい

デビュー以来、終始一貫して、歪んだ男の欲望を書き続けてきた阿部和重がとうとうものした傑作だ。丹念に緻密に書き込まれたロリコン中年男性の歪んだ性癖、そしてそれを嫌悪する周りの人間の全うな反応(クラブで語られる世界の残酷な現実の話が象徴的だ)。それは、第二部にいたり、グロテスクな美しさを加速していく。何もかもを失ったロリコン男とこれから自殺しようとしている二人の美少女、三人が一部屋で過ごすクリスマス、そして相棒が「おはよう」とグランドフィナーレの開始を告げる…。このあとの悲劇を予感させる、残酷な美しさに満ちたラストだ。ある種、谷崎潤一郎に近い世界だろう。余談だが、作者は最近同じ芥川賞作家の川上未映子と、所謂出来ちゃった結婚をしたそうだ。自分の芸術のために妊娠した妻に子供を堕ろすように言った谷崎の逸話は有名だが、彼の文学的価値を損なわないためにも、産まれてくる子が可愛い女の子(ちーちゃんのような)でないことを願わずにはいられない。彼のなかにある歪んだ衝動は、文学のなかでしか活かせないだろうから。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.26:
(4pt)

最新作『ピストルズ』への序章

阿部和重は表題作「グランド・フィナーレ」で芥川賞を受賞した。出版当時、私は、主人公がロリコンであるという設定(意図的なものであるはずだが)にあまり興味がわかず、阿部のファンだから購入はしていたものの、ずっと「積ん読」にしてあった。しかし、どこだったかに、この作品が阿部の最新長編『ピストルズ』のプロローグ的な役割を果たしているというようなことが書かれてあり、あわてて読み始めたのだった。
さて、この作品が芥川賞に値する作品かどうか、また阿部の最高傑作かどうかということは措いておいて、作品自体は決して他のレビュアーの方々が苦言を呈されているほど悪い作品ではないように私には思えた。特に構成がしっかり練られており、後半の「フィナーレ的なもの」に向かう緻密な流れはすばらしかった。また、結末はオープンエンドというか、なんともあいまいな終わり方をしているが、そういう手法を選んだことを私は「あり」だと思った。
蛇足だが、本書に収められている短篇「馬小屋の乙女」の英訳が数年前にアメリカで出版されているある雑誌に載ったことがある。そのバックナンバーはもう品切れで手に入らないだろうが、私はその英訳版も非常に気に入っている。吉本ばなななどを多く英訳しているMichael Emmerichという人が訳しているのだが、このクセの強い作品を饒舌な英語の文語体でうまく翻訳しており見事だと思った。興味のある向きはどこかでご一読を。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.25:
(4pt)

世界は「ヘン」なふうにつながっていることを喝破する文学

ロシアの劇場人質事件も、ロリータ男もMDMAも、この本を読む平凡な一市民には、等価にリアルで、等価にシュールな意味しか持ちえない。そういう事件がモスクワで起きた、そんな性向の人間がいる、そうしたドラッグがはやっている、という「情報」としてしか受け取っていないからだ。ところが、こうした一見バラバラで無関係なファクターを並列させるだけで、この作家は「ヘン」(解説で高橋源一郎氏が説いているように)なリアリティを帯びた物語を鮮やかに立ち上がらせる。世界は巨視的、あるいは長期的に見れば、すべて共時的につながっているのかもしれない、と思わされた。好きなタイプとは言えないが、すごい作家がいるものだなあと遅まきながら脱帽。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.24:
(4pt)

芥川賞のありかた

 芥川賞は作品におくられ直木賞は作家におくられるとか、芥川賞は可能性や才能におくられ直木賞は実績におくられるとか俗説は多くあるが、なぜ阿部和重の「グランドフィナーレ」が芥川賞だったのかと思う。芥川賞は短編もしくは中篇小説におくられ、直木賞はどんなジャンルの小説をも対象になると区分した黒井千次さんの見解が一番正しいことをこの小説が証明した。
 余談はさておき、本小説の評価であるが、ラストのあり方には大いに疑問をもつ。もっと書いていただきたかった。あとは読者の解釈に任せるにはあまりにも横着過ぎやしないか。前半から中盤までのディティールの詰め方がうまいだけに残念に感じる。それが阿部氏の特徴なのかもしれないが、私は物足りなさを感じる。書ける能力がある作家だけに何故と思ってしまう。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.23:
(5pt)

「文学」は彼に追いつけない

「文学が、ようやく阿部和重に追いついた」
こんなキャッチコピーが『グランド・フィナーレ』のハードカバー出版時の帯には記されていた。
デビュー作『アメリカの夜』、『トライアングルズ』、『ニッポニアニッポン』で立て続けに芥川賞候補となったが、落選し続けた無冠の帝王は、『グランド・フィナーレ』で「ようやく」2005年に芥川賞を受賞したのである。
この前年、2004年に『シンセミア』で第58回毎日出版文化賞第1部門、第15回伊藤整文学賞小説部門をW受賞するほどの力量を持つ阿部和重なのだから、慣例的に「新人賞」である芥川賞の中でも、本作は抜きん出た完成度であった。
内容はロリコン男の話。 いかにも阿部和重が得意なジャンルである。
文庫版の解説で、阿部和重に最も影響を与えたとされている作家高橋源一郎が、非常に興味深い解説を行っている。
この主人公のロリコン男は、確かに、不快で、最低で、異常である。
が、何か「ヘン」なのだ。
不快で、最低で、異常なんだけど、いわゆる『小説』っぽい不快さ、最低さ、異常さではない。 何か「ヘン」。ものすごい「違和感」がある。
その「違和感」を、読んで体感してほしい。
この作品では、いわゆる「大きな事件」が勃発し、「大どんでん返しのストーリー」は、展開されないのだ。いわゆる「小説」に書かれているような。
もはや阿部和重は「小説」を超えた「小説」を書いている。
その意味がわからない輩が阿部ちゃん作品を読んでも「なにこれー超中途半端な終わり方なんだけどー。マジつまんな〜い。」で終る。
阿部和重。そんな『文学』は置き去りにして、突っ走り続けてくれ。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.22:
(4pt)

映像から文学へ

『シンセミア』とか『ニッポニア・ニッポン』との関連で読むのも楽しい芥川賞受賞作。しかし、この人の作品はとにかく構成が凝っていて、それが本当にすばらしい。もちろん、ロリコン男の贖罪の話ではあるけれど、そんなことよりも、1から2への展開がすごい。とりあえず、それを映像から文学へと考えられます。
1では、教育映画の監督であった男は、映像に関わる仕事についたばかりに、ロリコンという己の性癖に目覚めてしまい、その機会があるからこそ、どんどんはまっていく。映像の誘惑する力にとらわれていきます。友人たちも、世界の出来事のリアリティを映像によってしか持てず、しかもそのうさん臭さも感じてしまっていて出口がない。映像から逃れられない帰結として娘との別離があるようです。
最愛の娘と離れ、さらにそのようなトラウマで自殺する子もいることを知った2では、映像から離れて言葉へ、つまり文学へと向かいます。少女たちの見えない哀しみを思い、見えない結末(死)へと進む少女たちに対して語ろうとする。「フィナーレ」といいつつ、開幕で終わるのも、見えないものを残しておく文学の世界らしい終わり方です。
さすが映画批評もこなす小説家の面目躍如でしょうか。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.21:
(5pt)

ナボコフが高橋留美子に出逢う時

ストーリーは、主人公が重度ロリコンかつ二次元依存症という以外ほとんど漫画チック。まるで高橋留美子の短編のような、、、「わたし」は娘も仕事も失ったダメ男。生きる意欲さえなくして戻った故郷の町で出会った複雑な背景を持つ2人の美少女。「わたし」は自らの贖罪と再生を賭け美少女を助けようとする、、、というわけで何とも阿部和重っぽくない、かつ普通「文学」ではまず採用されないストーリーです。
ちなみに、阿部和重はナボコフにちょっと似てると思います。ロリコンを描いているからではなく、現実/虚構の狭間を探るというテーマを追求するところと、そのテーマを各種各様の舞台にて語るというスタイルが。「シンセミア」の舞台はJエルロイ的陰謀渦巻く虚構の歴史の街でしたが、今度の舞台は高橋留美子的メロドラマ、それにいつものテーマを注入してしっかり「文学」にしてしまっているのはさすが。しかもラストでは、ロリコン/二次元依存症という運命に立ち向かう「わたし」の姿に泣けてきました、、(「メロドラマ」としてはここで終わるしかないでしょう、、、)
もはや阿部和重は、構成、文章、テーマ、語りのスタイル、文学理論等全ての面でほとんど「巨匠」の域に達しているのでは?少なくとも今の私の文学の先生です。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.20:
(4pt)

もうちょっとなのだよジンジャーマン。

具体名はあげませんが、いくつか疑問が残る芥川受賞作があります。(ご想像ください。)
それらとは、一線を画する雰囲気は、出だしからあります。
多くの阿部和重ファンにとっては、今ひとつ物足らないこの作品も、
初めての私にとっては、「まぁ。悪くないんじゃないか。」程度にはよかったと思います。
主人公のぬいぐるみのジンジャーマンに話しかける情けないロリ男もよくかけていると思いました。
欲を言えばもう少し結末にインパクトがほしかったです。
この先、どちらにも転んでしまう結末です。(流れからはどちらかといえば善に転びそう?)
もう二行足して、読者をたたきつけるような結末だったら、
もっと強烈な読後感が味わえたと思うのですがいかがでしょうか?
ただ、この人の文章、とっても雰囲気があります。(悪い意味ではありません)
他にできのよい作品があるようなので、そちらを読んでみたくなりました。
他の作品も読んでみたくなる作家。ということで
おまけで4つです。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.19:
(4pt)

最低の人間

最低の人間とはこの程度のことを言うのだと思う。
例えばこれ以上に何かに固執している、
法律に引っかかるほどの派手な悪さをしているような人は、
程度は低いが最低ではないのだ。なぜなら最低という前に、変人、悪人、罪人だからだ。
ただ、最低の人も自分の子供にあいたくなる。
最低の人も変わろうという思いを持つようになる。
結果が全てだが、結果は分からない。この小説自体はその過程を描いている。
そこら辺にいそうな最低の人間が、最低から脱すべく行き続ける様。
それで十分だ。
人は他人と比較することで初めて自分の存在の位置を認識する。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.18:
(5pt)

作家として素晴らしく、作品はスタイリッシュ

この作品の帯に「文学が、ようやく阿部和重に追いついた」といわれている。
しかし、もう文学という高尚な言葉で阿部和重を囲ってしまう必要はないように思う。
この作品は、小説という枠の中だけで面白い作品ではなく、すべての表現のなかでも通じるほどの作品だと思う。
この作品の話
グランドフィナーレという壮大な題から始まる物語は、ロリコンのちっぽけな話だ。
しかし、物語のラストは「グランドフィナーレ」に相応しい、希望に満ちた最後になっている。もともと、この作家は物語をうまく終わらすことよりも物語が進んでいく過程の圧倒的躍動感を主として書いていた。しかし、この作品で、過程の躍動感とラストのカタルシス(読み終えたときの後読感)を両立した作品である。
おそらく物語構成能力や自己追求欲望が高すぎてなかなか一般的な評価が低かったかもしれないが、阿部和重が一般性を持ちえて初めてこの作品ができたのではないかと思う。
面白い、面白い、まだ誰が読んでも面白い作品ではないかもしれないが、何度も読み直してみよう!!!
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.17:
(4pt)

ものすごくうまい

 玄人なんで、ようやく芥川賞もらえたって感じですね。今まで落ちてたいのが不思議なぐらいで。 中年ロリコン男が主人公。独特の言い回しと切れのある文章がまたいい。ロリコンなんて難しい題材を、無理なくしあげている。 鬱々として内へ閉じこもりながらも、とうとう破綻。死の重さの認識のさせかたも上手い。故郷に戻ってから現れる二人の女児。その関わり方も鮮やかで上手い。偏見を持たずに読むべし。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.16:
(4pt)

もっと前の作品に芥川賞あげたかった・・・

傑作である「無常の世界」の方が芥川賞に似つかわしかった気がとてもします。グランド・フィナーレで初めて阿部和重を知って読んでみても、「うーん、中途半端な小説」っていうイメージを持つ可能性が強いと思います。「グランド・フィナーレ」は各断片をつなぎあわせたよう話の構成であり、文学的には納得できるものの、ひとつのストーリー小説として見たときに、唐突な印象を免れ得ない気がします。実は、阿部和重の真骨頂は「馬小屋の乙女」にあると思います。エログロでパルプな世界。本当に面白いです。「20世紀」と「新宿ヨドバシカメラ」は企画ものなため、いやな意味での商業性が漂います。星4つは、阿部氏の小説はやはり文学的価値が高いと思うからです。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.15:
(5pt)

読んでみてください。

 主人公はどろどろしていそうなロリコン男なのですが、その気持ち悪さを、なんなくさらっとかいていて、抵抗なくストーリーを楽しめました。 気持ち悪いけど、ありだろうな、と変に納得してしまう感じでしょうか? この変態がどうなってしまうのだろう…、と最後までずっと話に惹きつけられました。 2人の少女に演劇の指導を頼まれたときは、墜落か?と変態男を疑いましたが、視覚でなく、言葉で相手に伝えようと必死になる、彼の姿に、「グランドフィナーレ」かぁ、と思いました。
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753
No.14:
(5pt)

完璧に圧倒された。

この小説のレビューを書くことに、少し勇気がいる。
この小説には本当、本当に圧倒されたからだ。
文体はいつもの阿部和重だ。
しかし、インディヴィジュアル・プロジェクション、ニッポニアニッポンのように目的の観念がこの小説には存在せず、リアリティーが追及されている。
作品は、一部二部構成となっている。
一部では、自分の娘との話が主体となっており、本をあまり読まない人には阿部和重の文体はかなり厳しいものがあるだろう。
また、一部に登場するIやYといった存在が、誰であるのか、それは阿部和重の他の作品を読まなければ解読が出来ない。
阿部和重を知るには、この作品だけでは無茶だ。
二部の舞台となる阿部和重の故郷「神町」は、グランド・フィナーレだけならず、他の作品でもいくつも登場しているように、他の作品との関連性が深い。
彼の小説というものは、読者に仕掛けが与えられているのだ。
それに気付かず、最後まで読み通してしまうと、この作品というものは、本当なんの意味もない。
何度も読み返し、阿部和重のほかの作品にも目を向けない限り、魅力というものが誕生しないのだ。
そういった意味で、他の作品をいくつも読了していた僕にとって、この作品はありえないほど圧倒するものであった。
本当に完璧な作品だった。
また、阿部和重にしては、珍しい終わり方である。
その終わり方を悲観的ととるか、楽観的ととるかは読者次第。
どこまで仕組みやがるんだ、阿部は!
と叫びたくなるくらいに、魅力が隠されている本だ。
一般的な読者にはまるで受付けない部分があるかもしれないが、
のめりこんだら抜け出せない、阿部和重の世界は充分に堪能できる。
これ以上の作品が他にあるだろうか。
完璧に圧倒された。
阿部和重を知るものぞ味わえる、最高の楽しみを。
祝・芥川賞受賞!
グランド・フィナーレ (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:グランド・フィナーレ (講談社文庫)より
4062757753

スポンサードリンク

  



12>>
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!