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復讐者たち



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復讐者たちの評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(7pt)

これがノンフィクションであることの怖さ

1967年に書かれたこのノンフィクションが2015年になって新装版となって再刊された。
マイケル・バー=ゾウハーによるノンフィクションと云えば2002年に『ミュンヘン』、2012年に『モサド・ファイル』を著し、一貫してユダヤ人に纏わる話を書いているが、本書はそれらの原型とも云えるユダヤ人の血塗られた復讐の物語だ。

本書は3部構成になっており、第1部では個人と有志によって設立された組織によるナチス残党狩りを断片的に語る。

第2部では狩られる側、即ちナチス残党の逃亡劇を子細に語る。

第3部はナチス戦犯のさらに組織だった追跡の模様が語られている。

第二次大戦にヒトラーと云う1人の男の狂気から始まった世界的なユダヤ人大虐殺は本書によれば最終的に570万人以上もの犠牲者を生み出した。

しかし第二次大戦ナチスによって大虐殺と迫害の日々を強いられたユダヤ人は、黙って虐待に耐える民族ではなかった。彼らはその借りを返しに、屈辱を晴らすためにナチスの残党狩りを世界規模で始めたのだった。

日本人ならば第二次大戦でアメリカに原爆まで落とされ、国家を揺るがされる大打撃を受けながらも、かつての敵に復讐しようとはせず、寧ろ国の復興に精を出し、驚異的な高度経済成長によって奇跡的とも云える復興を成し得たが、ユダヤ人やムスリムは過去の遺恨をそのままにはせず、「目には目を、歯には歯を」の精神で執拗な仕返しを行うのだ。

それによって最終的に報復に成功したナチス残党の数は1000~2000人に上った。しかしそれは上に書いたユダヤ人犠牲者の数とは全く収支が合わない。やられたらやり返すの精神であるユダヤ人にしては実に少ない数だ。
しかしそれこそユダヤ人社会が文化的になった証拠だと作者は述べる。そしてこれらの復讐を少なくしたのはイスラエル建国があったからだと作者は指摘する。イスラエル建国が苦難と苦闘の産物であることは同じ作者の『モサド・ファイル』やフランク・シェッツィングの『緊急速報』で語られた通りだ。この障害の多さこそがユダヤ人に復讐に没頭する機会を奪ったと作者は見ている。
しかしこの建国もまた周辺諸国との戦いの日々であったことを知る今では単にターゲットがナチスから周辺のアラブ諸国になったに過ぎないと思うのは私だけだろうか。

そしてこれら俎上に挙げられた復讐譚が果たして是なのかと云えば甚だ疑問だ。それは正義や道徳心から起こる疑問ではない。それぞれの国に様々な民族がおり、彼ら彼女らのDNAに刻まれた価値観は一民族である日本人の尺度で測るのは寧ろおこがましいと云えるだろう。

私が疑問に思うのは上に書いたように過去に生きるのではなく、未来に目を向け、民族の復興と更なる繁栄を目指すべきではなかったかということだ。
暴力が生むのは暴力しかなく、復讐もまた然りである。そんな人的資源の消耗戦としか思えない復讐の螺旋に固執することでこの民族の復興はかなり遅れたのではないかと思えてならない。

前にも書いたがユダヤ人は優れた民族である。映画人や富豪にその名を連ねるユダヤ人も数多い。そんな彼らは血を血で洗う復讐に淫しただろうか?
それは否だろう。彼らは独自の才能と才覚と人の数倍の努力で名を成すまでになったのだ。そしてスティーヴン・スピルバーグが『シンドラーのリスト』、『ミュンヘン』を創ったように、彼らは建設的な方向で復讐を行ったのだ。血を血で以て制裁を下すことをせずに世界の共感を得る方法を獲る方が嫌悪感を抱かず、考えさせられ、議論が生まれ、非常に建設的だ。

本書は世界で隠密裏に起きた暗殺の歴史を綴ったものであるが、大規模に行われたテロの歴史でもある。つまりこれはテロ側から自分たちの行為の正当性を語ったドキュメンタリーでもあるのだ。

ここに書かれているユダヤ人達へのナチスの陰惨な迫害は筆舌に尽くしがたい物があるのは認めよう。アドルフ・アイヒマン、ヨーゼフ・メンゲレらが行った想像を絶する、もはや悪魔の所業としか思えない数々の残虐行為は自分の家族が同じような方法で殺されたならば、私も一生拭いきれない恨みを抱く事だろう。
それでも私は上に書いたように納得できない。いわれのない大量虐殺を強いられた民族の復讐心は解るが、「やられたらやり返す」では蛮族たちの理論であり、近代国家のやるべき方法ではないからだ。

本書では彼ら復讐者が単なる虐殺者に堕せず、それぞれの正義と教義に従って行動したと繰り返し述べられている。

あるジャーナリストはナチスの残虐行為に無関心な諸国への抗議で義憤に駆られて国際連盟の会議場で自殺する。

復讐者たちは押しなべて歴史的な使命を託されたと信じ、自らを民族の代表者だとして、義務を果たしただけだと思っている。

また著者は復讐者全員が正義を愛する高潔であり、彼らの行動は知性、モラル両面におい潔癖であったかを証明していると礼賛している。

総じて述べられているのはこれら一連の復讐が決して私怨ではなく、ユダヤ民族の総意として成されていると正当化していることだ。

しかし虐殺に対して虐殺を行うことに何ら変わりはない。先にも述べられていたが、ユダヤ人犠牲者の数と狩られたナチス残党の数は収支は合ってはいないが、それでも1000人単位で行われた虐殺はもはやテロに過ぎない。

毒入りのパンを仕込んで3万6千人ものSSを殺害する計画を立てるが、あえなく失敗したというエピソードがあるが、私はそれこそが彼らにもたらした神の恩恵であり配剤だと考える。彼らが相手同様の大量虐殺を行うことはどんな理由があれ、彼らと同じ畜生道まで身を落としてしまうことになるからだ。

民族としての高潔さを尊ぶならば本能の赴くままに殺戮を行ってはいけない。大義名分のない殺戮こそはナチスの蛮行となんら変わらないからだ。

最強のスパイ組織モサドを創ったユダヤ人の執念深さを思い知らされると同時にもはや殺戮の無間地獄に陥ったことに気付いてほしいと願わざるを得ない。

一方のナチス残党側では世界の覇者から一転戦争犯罪者に堕した彼らの逃亡譚が詳細に綴られる。
よくもまあこれだけ彼らの足取りを細かく辿れたものだと感心したが、それ以上に第二次大戦以後、世界の敵とみなされたように思っていたナチスのシンパが世界にいたことにも驚いた。

特に南米諸国のナチスへの傾倒ぶりは並々ならぬものがあり、ナチスは戦争終結前にすでに組織立った逃亡支援団体を作り、協力体制を整えていたことはまさに驚愕に値する。

“水門(シュロイゼ)”と“蜘蛛(シュピンネ)”という二大団体によるデンマークに抜ける北方ルートやスイス、スペイン、果ては南米のアルゼンチンに抜ける南方ルートと緻密に構成された世界各国に散らばったナチのシンパたちによる支援団体によって構成されていた。さらに驚いたのはそれら支援団体の中にはフランシスコ会やイエズス会ら宗教団体にヴァチカンの大司教もまたそれらに加担していたという事実だ。当時のナチスの勢力の大きさが思い知らされる事実である。

そして南米のみならずアラブ諸国にも歓迎されていたことにも驚いた。アラブ諸国はユダヤ人を憎んでおり、彼らを徹底的に殺戮したナチスに共感していたのだ。
しかしイスラエル建国によって生み出されたユダヤ人とムスリムの軋轢の歴史を考えれば当然かもしれない。ナチスの人非人的行為よりもユダヤ人に対する憎しみや嫌悪感の方が深かったというのは何とも言葉に言い表せない。

そしてそれら巧妙に仕組まれた逃亡計画を解き明かすユダヤ人の執念も凄まじい。彼らナチス残党は国を変え、身分と名前を変え、各地の生活に溶け込み、元SSの将校や軍人や刑務所の所長だった人物が工場従事者になったり、農夫になったり、全く異なる生活基盤を築いている。
さらには散々ユダヤ人を殺害していながら医師となって開業しては、評判を得たり、最たるものではなんと自らをユダヤ人と名乗ってイスラエルに暮らす者もいる。

これほどまでに複雑化した逃亡劇はアメリカの証人保護プラグラムも真っ青の内容だが、それでも全世界に情報網を持つユダヤ人は何年、何十年もかけて宿敵を、怨敵を探し求め、探し当てるのだ。

小説の題材で隣の老人が実はナチスの残党だったという設定はよくあるが、確かにこの事実1つ1つを読むと、それが単なるフィクションではなく、あり得る設定として感じられるようになった。それほどこのナチスの逃亡劇は凄い。

なぜこのような人間が人間を家畜のように捕らえ、大量に屠殺するような行為が生まれるのか?
なぜヨーゼフ・メンゲレはユダヤ人の母親から赤ん坊を奪ってそのまま燃えさかる炎に入れたり、若い女性たちの血を抜き取ってふらふらになって抵抗できなくなってから焼却炉に投げ込んだり、強酸をかけて苦しみながら死ぬところを“嘲笑って”見ることが出来るのか?

それは彼らがユダヤ人を同じ人間だと思っていなかったからだろう。彼らはそのように教育されてきたからこそ、ユダヤ人たちを動物と同じように見れたのだ。
小さい頃から選民思想という歪んだ教育が成されてきたからこそ、道徳心が失われていたのだ。従ってナチス党員でもない看護婦や医師たちが知的障害者たちを安楽死させることを何の疑問も持たずに行ってきたこともまた歪んだ教育の産物なのだ。

今韓国や中国で反日感情を植え付ける教育が学校でなされており、今の若者に日本に対する抵抗心を持たせているが、これもドイツ人がユダヤ人に抱いた思想に重なる物を感じ、戦慄を覚えざるを得ない。

ドイツ人がユダヤ人を虐殺し、戦争終結後、今度はユダヤ人がドイツ人を追って暗殺する。そして今度はアジアでも同じことが起きようとするのかもしれない。残念ながらマイケル・バー=ゾウハーが本書を綴った60年代から世界は何も進歩していない。

Tetchy
WHOKS60S

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