アメリカン・スナイパー
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本作は映画『アメリカン・スナイパー』の原作です。 クリスカイルは米軍歴代トップレコードで、伝説の狙撃手と言われています。 とにかく戦場の姿が生々しいです。建物に隠れ、よい狙撃地点を確保し、ひたすら監視する。交戦規定に基づき、銃などの武器を持った相手を狙撃する。 いかに撃つかより、いかに決断するか、が重要だと思わされます。何度か「交戦規定に違反した」として、拘束され尋問を受けています。 いつ殺されるかわからない戦場でも、バカみたいな交戦規定を守らないといけない。そうした憤懣がときおり表に出ます。 通読して、生きるか死ぬかの戦場にいる兵士としての心情が細かく描かれていると感じます。とにかくリアルです。 敵を射殺することをゲームのように競い合う。新人兵士に対する過酷ないじめ(というより暴行)。野蛮人を殺したことで初めて平和になるとの確信。反戦運動への怒り。戦争にいくだびに、悪化する妻と関係。 奇麗ごとは書かれていません。 この本を読むと、現場を知らずに空論で軍事を語ることを無意味さを感じます。 ときおり挟まれる妻の述会も、カイルの心情を示すアクセントになっています。 非常に印象に残ったのが、変な話ですが、新人いじめです。 旧日本軍でも新人に対するいじめがあったことは周知の事実ですが、文化も時代も違うのに共通するということは、どこか人間の本能に根差しているのかもしれません。 また反戦運動に対する怒りでは「派遣を決定した政治家に抗議すべきだ」というのは正論です。 激しい戦闘が続き、肉体はむしばまれ、最後の派遣では銃弾が2発も命中します。防弾ベストやヘルメットに守られて命を落とすことはなかったものの、無敵ではないことを痛感します。 この本を著して1年後に、カイルはPTSDを患っていた元兵士に射殺されます。 現代におけるリアルなスナイパーを知りたいひとのために! | ||||
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映画版を観てからこの原作を読みました。映画はけっこう原作と違います。 映画のほうはブラッドリー・クーパー演じる主人公クリス・カイルのネイヴィーシールズとしての活躍がメインですが、この原作はそのクリス・カイルが書いた自伝なので、はじめの100ページほどはテキサスで生まれた彼が海軍に入隊して訓練を受け、ようやくSEALsになるまでが描かれています。 (全400ページ。ちなみにSEALsはSEA、AIR、LAND(海、空、陸)の略) あとの4分の3はイラクでの活動で、スナイパーになるのは後半から。 (SEALsになったあと、SEALsのスナイパー資格試験を受けます) 映画と決定的に違うのは、翻訳のためもあってハードボイルド調の文体になっており、武装勢力との戦闘も感情を抑えた客観的な表現になっているので、仲間が撃たれた時も映画のような荒々しい雰囲気はほとんどないです。 個人的には、そのハードボイルドタッチの文章が砂っぽい乾燥したイラクでの風景と戦闘に合っていると思いました。 全体的にもクリント・イーストウッド監督の映画版よりこちらの方が好きでした。 おもしろいのは、テキサスという保守的な南部アメリカの中でも元はメキシコの一部で、またその後は独立の共和国だったその土地出身の主人公が、カウボーイと銃を愛し、アメリカを愛し、ユーモアと仲間と家族、ヘヴィメタルとカントリー音楽を愛し、戦争と殺人を愛し、キリスト教を信じると明言する姿が印象的でした。 誰よりも血も涙もある、クリスチャンで愛国者で仲間と家族の大好きなクリス・カイルが、ほとんどゲーム感覚で楽しんで敵をスナイパーライフルで射殺してゆくのは、なんというか、いわゆる常識や普通の感覚とは違いますね。 人を殺すのは血も涙もない悪人だ、という世間の(ニュース番組的な?)イメージとは真逆のうえ、本人は戦争を爽やかな態度で楽しんでいるので、もういわゆる「兵士=かわいそう」とはいえない。 たしかに、ここだけでもリベラル陣営がかなり困惑すると思いました。 兵士が平然と「俺、戦争行くの好きだよ」というのですから。もう普通の感覚じゃ訳わからないですね。 それはそうと、この本では主人公がUS海軍に入隊するために募兵事務所を訪ねるところから、訓練の様子、スナイパーライフルを中心にした武器の仕様や使い勝手の説明などをしてくれるので、現代の米軍兵士の様子や現地での戦闘の仕方を知りたい人にはちょうどいいと思います。 (車両や防弾ベストに勝手にスプレーアートしてもいいんですね。あと空軍への空爆要請ってこういう手順でするのだとはじめて知りました) あと、ときどき挟まれる妻のタヤの、彼女視点から1人の夫(戦場では英雄、家庭ではかなり難アリの夫)としてクリス・カイルが語られるので、その対比が効いていてそこもおもしろいです。 妻を愛し、祖国を愛し、ヘヴィメタルのslipknotを愛する、公式記録160人射殺の兵士カイルの記した狙撃シーンを最後に引用しておきます。 『私はスコープを慎重に標的に合わせ・・・引き金をそっとなめらかに絞った』(P225) 『それに私は戦場が恋しかった。興奮とスリルを味わいたかった。悪いやつらを殺すのが好きだった』(P296) 著者のクリス・カイルは本書の出版翌年に彼がサポートしていたPTSDを患う元米兵に射殺されますが、そこも含めて戦争問題は何か簡単にはいかないものがありますね。 (あと作中に出てくる彼の友人はローン・サバイバーの、あの生き残ったラトレルです) | ||||
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アメリカ海軍特殊部隊SEAL所属の狙撃手クリス・カイル。彼はイラク戦争に四度にわたり従軍して、160人の敵を仕留めた。これは米軍史上、狙撃成功の最高記録である。守られた味方からは「伝説」と尊敬され、敵軍からは「悪魔」と恐れられたカイルは、はたして英雄なのか?殺人者なのか?本書は、そのカイルが、みずからの歩みと戦争や家族に対する想いを綴る真実の記録である。 | ||||
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全般的に「俺は凄いんだぞ」「新人隊員へのイジメの肯定」な感じが多くてガッカリ。 更に、著者自身が虚言癖があって映画とは全然違い残念です。 | ||||
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良質な反戦書である。その理由は最後に述べる。 海兵隊に向けて手榴弾を投げようとする非戦闘員(?)のイラク人女性を撃つシーンから始まる。 そんな衝撃的な描写に引き込まれたが、読み進めるにつれて、独善的な考えを臆面もなく語ることに苦笑を禁じえなくなった。イラク人の戦闘員を「敵」と表現するのは戦争だから当然としても、「悪者」という単語や「悪者をやっつける」という言い回しが頻出するのには驚いた(原文でどうなっているかは不明だが)。「敵にとっては、自分たちこそが“悪者”かもしれない」なんて考えは微塵もない。無邪気に、純真に、まっすぐに、自分たちの敵は「悪者」だと確信している。「優秀な兵士」とは、これくらい「単純バカ」でないといけないのかもしれない。 こんな文章も出てくる。 “イラク人のために戦ったことなど一度もない。あいつらのことなど、くそくらえだ。” 一兵士としての率直な気持ちなのだろう。とはいえ、ここまであっけらかんと正直に語られてしまうと、あの戦争は誰が誰のために殺したり殺されたりしたのか、そんなことを考えて目まいがしそうになる。 何十人も人を殺すうちに、頭の中でなにかがおかしくなっていくのだろうか。こういう記述もある。 “人を殺すのも、それが職業となればそのやり方に創意工夫を凝らすようになる。 (中略) 「まだ拳銃では殺してなかったか? それじゃあいっぺんやってみるか」 (中略) それがゲームのようになることもあった。” 読んでいて一番イヤな気持ちになったのは、逃げた戦闘員を追いかけ単独で民家に突入した場面だ。そこには一人のイラク人男性がポカンとした表情で突っ立っていた。著者は伏せるように命令するが、男性はどういうわけか命令に従わない。そこで著者は殴り倒して取り押さえるのだが、男性の母親が現れてなにやらわめき散らす。ようやく通訳がやって来て、男性には知的障害があるということが判明する。 著者は謝罪したのだろうか? そういう記載は一切ない。それどころか、続く文章ではジョークや笑い話のようなものが記されている。こんなことが許されるのだろうか? 出版前にチェックした軍関係者や編集者は、これを読んでなにも思わなかったのだろうか? 戦争・殺し合いという極限状態で上記のような事態が起こるのはやむを得ない。その場で謝罪する余裕がないのもしかたがない。しかし、少なくとも、執筆時には安全な場所にいたはずだ。だったら、謝罪の一文くらい書いても良かろう。本の中で著者は「非戦闘員を射殺したことは一度もない」と繰り返すが、その労力の一部でも使って、「自分が傷つけた市民への謝罪」を書くべきだったのではなかろうか。「非戦闘員を殴り倒した」ことは確実にあるわけだから。 イラクに住む言葉の通じないその男性に向けて、本の中で謝罪文を書いてなんの意味があるのだ、と反論されるかもしれない。それならば、本の最初に記している「亡くなった友人に心の底から祈りを捧げる」なんて文章にも意味はないではないか。 さて、本書が良質な反戦書という理由についてだ。本書は読み手を惹きつけるが、最終的には戦争に対して不愉快な気分を抱かせる。そこが素晴らしい。戦争反対を強く訴えかけるような本があったとしても、読む気になれない内容では意味がないのだ。本書のように、少し眉をひそめながらも最後まで読み通してしまうものこそ「良質な反戦書」と言える。映画のほうは「戦争賛美だ」「いや反戦映画だ」と賛否あるようだ。クリント・イーストウッドがどのように映画化したのか、確認してみなければならない。 著者のクリス・カイルは本書執筆の一年後に射殺された。 最後になるが、160人の「悪者」を射殺した無邪気なクリス・カイルが、父母を愛し愛された息子であり、弟を持つ兄であり、夫であり、二児の父であり、退役後には傷痍軍人のための活動を熱心にやっていたということも記しておきたい。 160人を射殺した「スナイパー」は、クリスという人間の一部でしかないのだ。 | ||||
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