■スポンサードリンク


旅涯ての地



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
旅涯ての地〈上〉 (角川文庫)
旅涯ての地〈下〉 (角川文庫)

旅涯ての地の評価: 9.00/10点 レビュー 1件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点9.00pt

■スポンサードリンク


サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(9pt)

信仰の危うさ

上下巻820ページ弱の本書は、13世紀の日本、中国、モンゴル、ペルシア、イタリア、そしてアルプスの村落と舞台は移りゆく。日本の古き因習に囚われた業の深い人間とその怪異現象を村や町といった閉鎖空間で物語を紡ぎ出してきたこの作家にしては珍しい作品である。

13世紀の街並みを匂いすら感じさせるほど緻密に描いた本書はしかし、当初私はなかなかその物語世界に没入できなかった。似たような名前が多いのと、外国の街並み・生活風景がなかなかイメージと結びつかなく、特に第1章は正直、字面を追うような感じだった。また夏桂の人物像、特に物事の考え方に共感しがたいものがあったのも一因だったのかもしれない。
しかし物語が急転する第2章以降はそんな事は気にならなくなり、のめりこむことが出来た。特に第3章からはアルプスの麓の村落での生活という閉鎖空間での話になったのが大きな要因だったように思う。

特に第1,2章を合わせたヴォリュームで語られる第3章の印象は強烈で、第1章で出て来た主要人物は吹っ飛んでしまった。上の梗概を書くために紐解いた時にああ、こういう人物もいたなあと思ったくらいだ。実際、坂東氏もここから筆が乗ってきたように思う。
本書の時系列は第1章→第3章→第2章という構成になっている。第2章では<善き人>たちの安住の地<山の彼方>が今や廃墟になり、そこに一人、老人となった夏桂が住んでいる様子が描かれ、つまり事が起こったその後が語られる。そこではかつて異端審問者として<善き人>どもを排除しようとしたヴィットリオが現れ、マルコ・ポーロが逃亡した夏桂たちの追跡行が書簡の形で語られる。ここでの結末を読んだ時、私はこの小説が上下巻ではなく、1冊のみだと錯覚してしまった。上巻のみで物語は完結してもいいぐらいだった。しかし下巻で語られる逃亡した夏桂の<善き人>の里<山の彼方>での暮らしぶりと、何故のこの里が退廃するに至ったかが語られるに至って、最後の隠された謎、何故夏桂が老後にこの地に戻ってきたのかが解るのだ。

この上手さには参った。私の中でここで俄然評価が高まった。
しかし、個人的にはここで夏桂が何を待っているかを述べて欲しくはなかった。読者に悟らせる形を取って欲しかった。その方が心に深く残る。これが惜しかった。

物語の核となる「マリアの福音書」には男女が交わる事の神聖さ、尊さを謳っていた。これは肉の慾を穢れと忌み嫌う<善き人>の信仰を根本から覆す物であった。
しかしこれは全く以って当然のことである。全ての生きとし生けるものは子孫繁栄を第一義としておいてあるからだ。しかし信仰が過剰すぎるとそういう万物の原理そのものが目くらましになり、汚らわしい所のみクローズアップされ、歪められる。マッダレーナが末期に述べるように、男女が交わる事は決して穢れではなく、それを淫らに、奔放に娯楽として楽しむ事こそが穢れなのだ。

読中、人は生まれたその瞬間から死に向かっている、という言葉をふと思い出した。だからこそ人はいかに生きるかが大切なのだが、ここに出てくる<善き人>たちはいかに生きるかよりもいかに死ぬか、死んだ時に救済が得られるよう、信仰の教義に従って己を殺して生きている。
しかし、それが実は己の欲望を際立たせ、強く自覚させている事に他ならない事を最後に気付くのだ。生きる事は欲望の闘いの連続である。だからこそ自分を正当化するためにごまかしたりもする。それを他人から知らされた時に人は自分の信じていた基盤を失う。信仰というものが人が生きる支えであると同時にいかに脆い物かをここで作者は語りたかったのだろう。これは土俗的な信仰が根強く残る村社会で起こる悲劇を描いてきた坂東氏にとって新たなる展開であると思う。

しかし作者は信仰に囚われない夏桂その人も自由人としては描かない。むしろ自分で気付かない何物かに縛られて、流されてきた人物として描く。教義に従って欲望を抑圧して生きる者たちを嘲笑しながらも、完全に否定出来ない、むしろ何故これほどまでに真摯なのかと思い惑うのだ。
そして彼も最後には囚われの身として彼の地<山の彼方>に帰ってくる。マッダレーナの遺言を全うする事、それこそ彼が唯一得た信仰だったのかもしれない。そしてその信仰は、やはりマッダレーナへの愛情だったのだろう。

惚れてはいないが魂の尻尾が縛り付けられている。
それは恋ではなく愛であったことを彼なりに不器用に表現していると私は思うのだ。


Tetchy
WHOKS60S

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!