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知りすぎた男 ホーン・フィッシャーの事件簿



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知りすぎた男 ホーン・フィッシャーの事件簿の評価: 5.50/10点 レビュー 2件。 Dランク
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(7pt)

チェスタトン作品中、最も哀しい探偵ホーン・フィッシャー

数あるチェスタトンのシリーズキャラクターにまた1人奇妙な人物が加わった―というよりも彼の描くシリーズキャラクターは全て奇妙奇天烈なのだが―。
ホーン・フィッシャー。通称“知りすぎた男”。本書は彼の出くわす事件を描いた短編集である。

まず彼の自己紹介がてらの1作目「標的の顔」では彼のワトソン役となるジャーナリストのハロルド・マーチとの出遭いで幕を開ける。
知りすぎた男ホーン・フィッシャー初登場の本作は名刺代わりの挨拶的なミステリ。しかし新聞記者マーチと邂逅し、同じ目的地に向かう道すがらに出くわす人々の事を話すうちに彼がかなりの情報通、事情通であることが判ってくる。フィッシャーはその人の過去や経歴、癖や習慣なども知り尽くす、実に謎めいた人物として描かれる。
そして自動車事故と思われた射殺事件。知りすぎた男は即ち知りたがる男でもあった。彼はこの新たに起きた事件の謎を知るために名士が集う屋敷へと赴く。
早くもチェスタトンならではの逆説が堪能できる作品だ。

次の「消えたプリンス」は若かりし頃に出遭った事件の話だ。
本作は軽いジャブのような作品だ。この真相には私も気付いた。これは現代の捜査技術では銃弾の出所が解るだけに成立しない偽装工作だろう。
しかしブラウン神父シリーズもそうだったが、2作目で捜査の側の人間が犯人というのはチェスタトンが好む趣向なのだろうか。確かに意外性はあるが。

次の「少年の心」では再びホーン・フィッシャーはハロルド・マーチと登場する。
かなり物語の背景を掴むのに苦労する、実に解りにくい話なのだが、銀貨が無くなる事件が起き、そしてそれが見つかって、フィッシャーによる謎解きが開陳されて再び読み直すと作者が周到に手掛かりをばら撒いているのが解るばかりか、最初は意味不明だったフィッシャーの言葉が腑に落ちてくる。彼は最初から銀貨が誰がどのように盗んでいたのか知っていたことに気付くのだ。
大人になっても少年の心を持つ、それは即ち大人になり切れないという意味でもある。う~ん、身に摘まされる話だ。

「底なしの井戸」はとあるアラブのオアシスが舞台
船上で殺人事件が起きた時になぜ犯人は死体を海に投げ込まなかったのか?そんな不可解さに似た状況である。そして本作でも大義を重んじて小事を収めるフィッシャーの判断が下される。
それは事件の真相を明かせば英国が底なしの井戸に嵌ったかのようにその威光が失墜していくとフィッシャーは思ったことだろう。

物語の舞台は砂漠から今度は氷の張る池のあるイタリアへ。「塀の穴」はプライアーズ・パークという大きな庭園が舞台だ。
忽然と消えた地主の行方を追う物語。プライアーズ・パークを所有するブルマー卿の許を訪れた面々が仮装パーティと凍った池でのスケートに興じるが、翌朝地主が忽然と姿を消す。訪問客の中には妹の婚約者がおり、彼のことを好ましく思わない兄は彼に喧嘩を吹っかけていたことが解る。
正直この真相はアンフェア極まりないが、本作の狙いはミスディレクションにある。フィッシャーはだれそれが○○によると聞いて、人は自分で調べもせずに納得する。その危険性について述べているのだ。本作のタイトル「塀の穴」は実はまやかしの由来に来ていることを指している。人は権威ある者の言葉や話を真実として信じてしまう教訓から来ていることを考えるとなかなか感慨深いタイトルである。

「釣師のこだわり」は再びフィッシャーとマーチの政治要人巡礼の話だ。
突然亡くなった海運王の死。
しかしフィッシャーはまた動機があるがゆえに犯人ではないと述べる。
正直この内容はわかりにくい。しかしフィッシャーの大局を見つめる目は理解した。
しかし犯人が「塀の穴」と同じ設定なのが気になる。

ホーン・フィッシャーはかつて国会議員に立候補したことがあったらしい。「一家の馬鹿息子」はその時の顛末が語られる。
またも政治がらみの話である。フィッシャーが現在のような人脈を持っているのは彼の一族が広く政界に進出していたからだったことが判明する。そして彼もまたかつて国会議員に立候補し、見事当選したことが明かされる。
その時の選挙運動の顛末を語ったのが本作だが、今の選挙活動とは異なった内容で実に珍妙である。候補者が他の候補者の許を訪れ、共闘を申し入れたり、選挙から身を引くようにと話すのだ。これは主人公フィッシャーの知りすぎたゆえに行き過ぎた行動なのか、それともこのような活動が選挙時には日常茶飯事に行われていたのかは寡聞にして知らないのだが。
またホーン・フィッシャーはヴァーナーがどうやって地所を手に入れたのかも突き止める。

さて本書の最後を飾るのは「彫像の復讐」。
この衝撃の真相はしかし大局を見つめるからだからこそ出来た行動の結果だ。
ホーン・フィッシャー。自ら自身の信念に基づいて自分の人生を捧げた男だった。

“知りすぎた男”ホーン・フィッシャー。本書は彼の登場と退場までを描いた連作短編集だ。

1作目「標的の顔」で初お目見えとなるホーン・フィッシャーは登場する人物の為人、そしてディープな情報まで知っている、謎めいた知りすぎた釣り人として登場する。
そして話を重ねるにつれて彼の氏素性が判明する。彼はかつて当選しながらも一度も国会に行かなかった国会議員であった男であり、彼の親戚一同は政界に進出した上流階級の人物であった。実の兄ハリーは陰の政治家の私設秘書でもう一人の兄アシュトンはインド駐在の高官、陸軍大臣と財務長官を従兄弟に持ち、文部大臣を又従兄弟に持ち、労働大臣は義理の兄弟で、伝道と道徳向上大臣は義理の叔父であり、首相は父親の友人で外務大臣は姉の夫というまさに政治家一族である。
そして数々の事件を解決しながらも決して彼は司法の手に犯人を委ねない。彼は真相を知るだけでそれ以上のことをしないのだ。

それは過去数多の名探偵に見られた傾向であり、いわゆる謎さえ解ければ満足なのだという自己中心的な探偵の1人に思えるが、実は彼は大局観で以って物事を捉える。

例えば1作目の「標的の顔」では釣り師として登場する彼にとって大きな魚は逃がさなければならないという意味深な台詞が活きてくる。

また「底なし井戸」でも英国の威光が衰えるのを憂慮してフィッシャーは敢えて事件を隠匿することを勧める。

なぜ彼がいわばコラテラル・ダメージを重んじるのか。その理由も「一家の馬鹿息子」で明かされる。
ここで彼は必要悪を学ぶのだ。それが最初の短編で彼が述べる「大きな魚は逃がさなければならない」に繋がるのだ。

しかし彼のいわゆる大局観には現代の日本人の常識からみても首を傾げてしまうものもある。

例えば最後の短編「彫像の復讐」でハロルド・マーチがホーン・フィッシャーの忠告に従って彼らの悪行を見逃していたら、いつの間にかイギリス政府はとんでもない輩たちの巣窟になってしまったと云って、数々の悪い噂を並べる。

これらは正直今の時代では政治家生命を失うほどのスキャンダルだが、フィッシャーはそんな噂を持つ彼らを誇りに思うと云う。そんなことをやってまでも頑張っているからだと。

この発言は眉を潜めざるを得ない。我々は彼らを糾弾しようとする友人の新聞記者ハロルド・マーチ側に立つ人間だ。

有識者によれば本書執筆時のチェスタトンは当時の英国政治に不信感と不満を抱いており、その葛藤がフィッシャーとマーチ2人に現れているとのこと。つまり悪を認めながら必要悪として断じないフィッシャーの諦観とマーチが抱く義憤はそのままチェスタトンが内包していた思いなのだろう。

そして本書はまた1つ別の側面を持っている。
それはこのハロルド・マーチという新聞記者の成長譚でもあることだ。

新進気鋭の新聞記者として第1作に登場し、ホーン・フィッシャーと出遭って友人となった彼はフィッシャーの人脈を利用して他の記者では得られない政治家の情報を次から次とスクープし、最後の短編では当代一流の政治記者と云われ、自由な裁量権を与えられた大新聞を預かるまでになる。
彼はいわばフィッシャーによって育てられた、そしてフィッシャーの唯一の友人にまでなった男にまで成長するのだ。

しかし覚悟はしていたが、やはりチェスタトンの紡ぐ物語は衒学趣味に溢れ、なかなか本筋を追うのが難しく、一読目で状況を理解するのは困難で、粗筋を書くために読み直して初めて物語の筋とそして彼が散りばめた含みある言葉の数々が解ってくるし、こうやって感想を書くことで再び本書を紐解き、再構成していくことでこの連作群に込められた作者の意図が見えてくる。
本当の内容を知るために本書はまさに“二度読み必至”な作品なのだ。

そして久々のチェスタトンの短編集はやはり逆説に満ちていた。

1作目の「標的の顔」からそれが堪能できる。

見当違いの的に当てる射撃の下手な人物は名手だからこそ見当違いの的に当てることができた。

人の注目を浴びないように敢えて平凡で戯画化した風貌を選んだ。

2作目以降も例えば次のような逆説が出てくる。

そこにあるから逆に調べない。

明白な動機があるがゆえに犯人ではない。

また色んな警句にも満ちている。

人は人の話を聞いただけでそれが真実であると信じ、決して疑って自分で調べない。そしていつの間にかその誤った情報や言い伝えが真実となる。

自分は誰にも迷惑かけずに自立して生活していると主張する者ほど他人に依存している部分で大きな迷惑を掛けている。

それらの言葉の数々はこの令和の時代でも色褪せない機知に富んだ味わいがある。

またチェスタトンのシリーズキャラクターの特徴として通常の名探偵物が自分の事務所に依頼人が訪れて事件に関与するのに対し、ブラウン神父やポンド氏、そして本書のフィッシャーのように彼の訪問先で事件に遭遇することだ。従って物語の舞台は実にヴァリエーションに富んでいる。

イギリスの荒地の奥にある屋敷、アイルランドの塔、ロンドンのくたびれた礼拝堂跡、アラブの砂漠のオアシス、イタリアの広大な地所、イギリス西部地方の屋敷、などなど。

そして彼が最も活動的になるのが最後の短編「彫像の復讐」だ。
彼は英国を危機から護るために、文字通り東奔西走する。彼が貰草として重要書類を自ら携え、前線へ持っていく。

このフィッシャーの始末の付け方こそチェスタトンが当時の政治家に望んだ姿だったに違いない。

本書はそれまでのチェスタトン作品を読んでいるとミステリとしての謎としては簡単な部類に入るだろう。しかし真相に隠された犯人の真意やフィッシャーの意図は深みに溢れている。

本書は、彼は知りすぎているがゆえに自分の知らないことに興味を覚えるとホーン・フィッシャーの特徴が紹介されている。

しかし彼は知りすぎたがゆえに大局が見えたが、それを伝えるには時間がなかった。知りすぎたがゆえに自ら行動せざるを得なかったのだ。
そして周囲は彼の理解力に追いつかなかったゆえに彼の真意が解らなかった。

ホーン・フィッシャー。彼はチェスタトン作品の中で最も哀しい探偵であった。

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