(短編集)
列車に御用心
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エドマンド・クリスピンの第一短編集。全16話収録。 ジャーヴァス・フェン教授が、ハンブルビー警部らから 事件のあらましをきき、安楽椅子探偵を気取る話も含まれます。 どの話も、余計な装飾を施したり(掉尾の「デッドロック」は趣を異にして ある種の哀感をもたせている)、わざとらしいギミックでごまかすこともなく、 正々堂々とした論理の流れで挑んでいます(手がかりという点で「高速発射」 「金の純度」は例外か)。 俯瞰すれば意外と単純なロジックでも、読んでいるときの謎に対する興味は (すべての話ではないにせよ)失われることなく、結末で思わず膝を打ってしまうのは 作者の術中にはまった結果でしょう。 逆にいえば、単純明快な論理で感心させる作者は、推理小説において、相当の筆力を 持ち合わせていたに相違ありません。 なかには、「んなこと、ありえねぇ〜よ」(「苦悩するハンブルビー」)てのも 混じってましたが、論理の形相はみごとに活きています。 無駄を極限まで削ぎ落とし、ロジックの妙が冴える短編集のお手本のような一冊。 | ||||
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2014本ミス海外編1位に輝いた短編集であるが、推理のフェアさを担保する論理も常識も両方無い。 原書は「クイーンの定員」補遺、選出時点でミステリ史上傑作125選入りでも、60年前の本となると古さゆえの限界はある。フェアプレイ原則を体現すると巻頭言で謳い上げており、当時の基準ではその通りであったろうが、現代の感覚だとフェアネスに欠ける。 加えて、非論理的な訳文、紳士録やエピグラムに淫した訓詁学的な訳注がミステリの価値を毀損する。本格ミステリは文学である以前に論理ゲームなのに、この本のつくりは英文学書のメソッドに依っている。 以下いささか【ネタばれ注意】。 論理。 即時成功させないと身の破綻なのにプロバビリティの犯罪を仕掛けてあまつさえ見事に成功したり、操りで用意したトリックの綻びを突破する鍔迫り合いかと思ったら最初から完全な偶然の産物だったり、一般人の知る由もない専門用語一語で解いたり。これでは、フェアではないけど面白い謎解き物、とも言い難い。強いて言えば、組織の腐敗や法制度の穴を皮肉るブラックなオチが今なお有効なのは(人間社会の進歩のなさに)驚くが…。クラシックとしての価値は失われないとしても、現代の作品と比肩して色褪せない古典もある中、本作は色褪せる古典だと感じた。「今更初訳される話がおもしろいワケないだろ」は至言であるな。 いや、ばらばらになら結構翻訳されているのだが、それが既訳の著作権に抵触しないよう極力外した訳を狙う翻訳特有のおかしな力学として働いたか、訳文に因る劣化も見られる。逐語訳しない意訳で読みやすくなっている代償に、文同士の接続関係が吹き飛んで原文の論理構造が残っていないのだ。これでは元も子もない。会話が噛み合わなかったり、因果がひっくり返ったりして、SAN値をガリガリ削られる。一例を挙げれば、典型的には「かもしれない」「だったろうに」と訳すcould haveを「たしかに〜というわけだ」と意訳して意味が通るのは日常会話だけ。本格ミステリでは仮定の意味を明確に残すIf 〜 could have構文だろ常考。元は繋っていた論旨が通らなくなってしまい、精読してロジックを楽しもうとすれば不満爆発、そこまでがっつり読まなくても論理展開に首をひねらされる。 常識。 「読者に対してフェアプレイであること――読者が謎を解明するのに必要な手がかりは、ロジックや常識を働かせる以外はすべて作中で与えられていなければならない――」(巻頭言)。常識は本格の両輪の一、もしくは手掛かりと論理という両輪を黙って支えるシャーシなのだ。 古典では、当時の読者が前提にできる常識を現代の日本人読者は知らず、原書では通用しても後世の目から見れば飛躍にうつる落差が避けがたく存在する。そして訳注がそこを補わないから、欠落したままである。本書の続番の論創海外ミステリ104ソープ・ヘイズルの事件簿とは対照的なつくり。あちらはあちらで懇切丁寧な原注に訳注解説も加わってトリックのありかが見え見えになる弱みがあり、ついてこられる奴だけついてこい方式が必ずしも悪いとは言えないものの、不親切には違いない。 本書で訳注が奮闘するのは、推理と無関係な古典文学や聖書から引いた文句の出典の補注である。そんな訓詁学的注釈より推理に影響する常識の注釈がほしかった。当時の時事ネタを利用したものや掛詞の意味が結論であるものなど、注釈が即回答となるものは手の打ちようがないとしても…。英文学のテクストにのみピンポイントで関心が深く謎解きや英文化にさえ興味ないのかと感じた。何記何章よりと出典を付けて仕事した気になるのは無能の証明である。 考えてみれば、こういった質は表紙で既に露見している。本文に「側廊列車ではなかったので」とあるにも拘らず、表紙は側廊列車だ。ご丁寧に、本文中では存在しないと念押されている隣の号車との通路まで描いてある。装丁は挿図ではなく内容を正確に示す必要がないとは言え、内容を把握できていない証左に思える(言うまでもなく、これはイラストレーターの責ではなく、編集者の職域)。 側廊列車は車内に通路があって通り抜けできる列車。対して、古くは通り抜けできない密室が連なるコンパートメント列車だった。そういった話がソープ・ヘイズルの解説には書いてあり、本書にはない。この単語、ググってみても『側廊列車の事件』しかヒットしない。明らかに警句の引用元より訳注が要る所だろうよ。優先順位をまちがっている。 ついてこられる奴だけついてこいというハイエンド系にしては劣化にイライラさせられるし、ざっくり読めりゃいいローエンド系にしてはあまりに不親切。考え併せるに、出版側が作品についてこられてないのでは? 本作の価値はクイーンが評価したというミステリジャンル内の歴史的価値であって、言っては何だが非ジャンル英文学的な価値はそう高くあるまいに、ミステリマインドに欠けるつくりでがっかりだ。ゃったー日本語で読めるょーとぉもって…。がむばった…。理屈通らなぃとこぉ原文と突き合ゎせて読む羽目になるとゎぉもゎなかったょ…。壁に叩き付けざるぉ得なぃゎ…。 | ||||
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ファース系ミステリ作家クリスピンの短編集の翻訳。ラストの二本を除けば全てジャーヴァス・フェン教授もの。短編なので事件が起きてしまった後、始まるものが多く、人間関係のドラマも全て探偵役である聞き役への説明の形で成されているが構成は長編と変わらず、逆に云えば、どれも長編に出来る題材だったりする。又、そこで語られる人間関係等も、一種の悲喜劇を形成していたりして、想わずニヤリとさせられてしまうものも少なくない。 | ||||
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久しく待ち望んでいたクリスピンの短編集です。こういうミステリが読みたいんだよ、私は。 | ||||
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短編の場合、長編の様な複雑な謎とその解明は期待できませんが、反面、サクサク読める面白さがあるわけです。しかし如何せん、短編の本格ミステリーというのは、 例えばクロフツの様に、優れた作品群を書いていながら、これといって突出したものがなく、どれも似たり寄ったりということもあります。しかしそれならまだ良い方で、 読者が謎を解決するための手掛りの提示の仕方がいい加減だったりと、到底、本格ミステリーとは言えない類いのものも、多々ありますね。 そしてそこにいくと、こちらの短編集は、どれも短編らしくサクサク読めて話が面白い上に、(長編同様にフェン教授が主人公のためか)長編ほどではないにせよ、 クリスピンらしい明るい雰囲気を醸し出す筆致も感じさせますし、話の趣向もそれぞれ異なり興味深く、そしてまた、読者が謎を解決するための手掛りの提示の仕方も、 本格ミステリーらしくかなりフェアかそれにわりと近くて、作者が誠実に作ろうと努力したのがよく分かります。そんなバランスの良い短編集であるため、 この本の全体的な評価を言えば、過去に読んだあらゆる短編集の中で"最高の出来"だとさえ思います。 そこで結論として、星5にしても良いかとは思ったのですが、しかしそれでも、読者のための手掛りの提示が不十分なものも幾つかあったために、やや悩んだ末、 星を4つにしたわけです。もっとも、短編であることを考えれば、手掛りの提示が幾らか不十分でも面白ければ良いとも思えるので、少し厳しいかな、とは思いましたが…。 | ||||
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