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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数201

全201件 41~60 3/11ページ

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No.161:
(8pt)

嗚呼、人生喜劇

今や『このミス』の常連となりつつあるミステリ作家長岡弘樹氏。本書は彼のデビュー作が収められた短編集である。

まず表題作は元市立中学校の校長だった老人のある出来事を綴った物。
物忘れに苦慮する老人が元校長というプライドから周囲にばれないようにどうにか取り繕う日々を送るさまが綴られる。そしてそのプライドの高さがかえって変な気遣いを自らに課せさせ、事態が思わぬ方向へと転ずるというスラップスティック・コメディの様相を湛えながら、忘れ物が見つかったことでふとある事実に気付かされるというツイストが憎い。
ほのぼのと心温まる1編だ。

続く「淡い青のなかに」はシングルマザーと不良の息子というよくある取り合わせの母子の物語。
仕事に専念するがために家庭を、自身では疎かにしていないとは思いながらも以前よりは子供の面倒を見ることが少なくなったシングルマザーの、どこにでもある家庭であろう。
そんな矢先に車で人を撥ねるというアクシデント。その日は課長に昇進した日。キャリアウーマンとして躍進の第一歩を踏み出した彼女が動揺する中、不良息子が身代わりになる、しかも刑法にも引っかからない。
なんともまあ誰もが陥りそうな悪魔の甘い囁きを作者は用意したことか。当事者だったら、息子の提案に従う人もあるのではないか?
しかし私なら息子に罪を負わすよりも正直に警察に届け出ることを選ぶと思う。なぜならばそんな親に子供になってほしくないからだ。
そして本書でも思わぬツイストがある。つまり被害者はいったい何者だったのか?
しかし本書もまた謎の男の正体に読みどころがあるわけではない。この男の正体をファクターとして不和の母子に関係修復の機会が訪れるところがそれなのだ。
またも温かい気持ちになれる作品だ。

しかしそんな温まる話ばかりではない。次の「プレイヤー」はある人物の隠された悪意に気付かされる。
市役所の駐車場で起きた転落死。しかも柵の横棒が外れていたため、事故死と判断される。通常ならば新聞の三行記事にしかならないような事件を警察の側からでなく、当事者である市役所々員の側から描くという着想が面白い。
そしてその所員は春の人事異動で昇進が有力的だったから、自分の不祥事を免れようと必死に事件を独自に調べる。サラリーマンである私にとっても自分の人事のために殺人事件に必死になる主人公という着想はなかった。
そして徐々に明らかになってくる被害者の不自然な行動から、主人公の崎本は自殺ではないかと推理し、それを裏付ける状況証拠を見つけるのだが、唯一の発見者である同じ市役所々員唐木の証言でなかなか事件が覆らない。なぜ唐木は嘘めいた証言をするのか?
公務員の歪みと切なさが漂う作品だ。

「写心」は他の作品とは異なり、誘拐という犯罪を前面に押し出した作品。
誘拐犯が逆に脅迫されるというアイデアが面白い。そこには夫に逃げられた水落詠子が抱える心の闇があるのだが、本作の焦点はまさにその闇の正体を探ることだ。
元報道カメラマンの守下が誘拐計画のために水落詠子の日常を観察しているときに一瞬捉えた彼女の笑顔の正体はいったい何だったのか?
ただ本作のもう1つのサプライズである事実はさすがに気付くのが遅すぎる。この鈍感さは常に被写体に向き合うカメラマンとしては失格だろう。

「淡い青のなかに」では関係が上手くいっていない母と子が主人公だったが最後の「重い扉が」ではしこりを抱えた父と子の物語。
一緒にいた親友が重体になり、敵討ちを誓った息子が突然捜査に協力したくないと云った理由。そして事件現場の商店街の通りを間違えた理由、さらに過去祖父を亡くし、自身もサッカー選手の夢を途絶えさせることになった交通事故の真相がある1つのことですべて氷解する。
それらを承知し、また自分で調べて理解する克己の人格の素晴らしさが際立つ。よくできた高校3年生だ。そしてそれぞれが抱えていた確執が氷解する。実によく出来たストーリーだ。


今や現代を代表する短編の名手ともされる長岡弘樹氏。
彼のデビュー作は読者の町にもいるであろう人々が出くわした事件、もしくは事件とも呼べない出来事をテーマにした日常の謎系ミステリの宝箱である。

物忘れがひどくなった老人が必死にそれを隠そうとする。

自身のキャリアを高めるために必死に働くがために一人息子を問題児にしてしまったキャリアウーマン。

卒なく業務をこなし、出世の道を順調に上がろうとする公務員。

同僚にケガをさせたことで自責の念から職を辞し、実家の写真屋を受け継ぐが資金難に四苦八苦する元報道カメラマン。

ある事件から息子との関係が悪くなった荒物屋の店主。

全て特別な人たちではなく、我々が町ですれ違い、また見かける市井の人々である。そしてそんな人たちでも大なり小なり問題を抱えており、それぞれに隠された事件や出来事があるのだ。

これら事件や出来事を通じてお互いが抱いていた誤解が氷解するハートウォーミングな話を主にしたのがこれらの短編集。
中に「プレイヤー」のような思わぬ悪意に気付かされる毒のある話もあるが。

気付いてみると5編中4編はハートウォーミング系の物語であり、しかもそれらが全て親子の関係を扱っているのが興味深い。

「陽だまりの偽り」はどことなくぎこちない嫁と義父の、「淡い青のなかに」と「写心」は母と子の、そして「重い扉が」はと父と子の関係がそれぞれ作品のテーマとなっている。

それはお互いがどこか嫌われたくないと思っているからこそ無理に気を遣う状況が逆に確執を生む、どこの家庭にもあるような人間関係の綾が隠されていることに気付かされる。
逆に正直に話せばお互いの気持ちが解り、笑顔になるような些末な事でもある。

人は大人になるにつれ、なかなか本心を話さなくなる。むしろ思いをそのまま口にすることが大人げないと誹りを受けたりもするようになり、次第に口数が少なくなり、相手の表情や行動から推測するようになってくる。そしてそれが誤解を生むのだ。
実はなんとも思っていないのに一方では嫌われているのではと勘違いしたり、良かれと思ってやったことが迷惑だと思われたり。逆に本心を正直に云えなくなっていることで大人は子供時代よりも退化しているかもしれない。

作者長岡弘樹氏はそんな物云わぬ人々に自然発生する確執を汲み取り、ミステリに仕立て上げる。恐らくはこの中の作品に自分や身の回りの人々に当て嵌まるシチュエーションがある読者もいるのではないだろうか。

私は特に中学生の息子を持つがゆえに「重い扉が」が印象に残った。
いつか来るであろう会話のない親子関係。その時どのように対応し、大人になった時に良好な関係になることができるのか。我が事のように思った。

しかしこのような作品を読むと我々は実に詰まらないことに悩んで自滅しているのだなと思う。ちょっと一息ついて考えれば、そこまで固執する必要がないのに、なぜかこだわりを捨てきれずに走ってしまう。歪みを直そうとして無理をするがゆえにさらに歪んでしまい、状況を悪化させる。他人から見れば大したことのないことを実に大きく考える。
本書にはそんな人生喜劇のようなミステリが収められている。

全5作の水準は実に高い。正直ベストは選べない。
どれもが意外性に富み、そして登場人物たちの意外な真意に気付かされた。実に無駄のない洗練された文体に物語運び。
デビュー作にして高水準。今これほど評価されているのもあながち偽りではない。
また一人良質のミステリマインドを持った作家が出てきた。これからも読んでいこう。


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陽だまりの偽り (双葉文庫 な 30-1)
長岡弘樹陽だまりの偽り についてのレビュー
No.160:
(8pt)

KGBのチャーリーへの畏怖を十二分に感じる物語

チャーリー・マフィンシリーズ5作目の本書は前作『罠にかけられた男』同様、チャーリーは保険会社の調査員という役職でローマに赴くことになる。

そしてとうとうチャーリーは英国情報部の手に堕ちてしまう。彼が組織に大打撃を与えて3作目で、作中時間では7年目のことだった。

全てはKGB議長ワレーリ・カレーニン将軍が仕組んだ罠だったのだ。一連の英国情報部員暗殺、ローマ駐在イギリス大使館盗難事件はチャーリー・マフィンという男を社会的に抹殺するために入念に仕組んだ罠だった。つまりそれほどカレーニンはチャーリーという男を恐れていたことになる。
これはその後の作品でもそうで、KGBが関わる工作にチャーリーの影を見るとカレーニンと彼の親友ベレンコフの頭には危険信号が灯るのだ。
本物を知る男は本物を知る。権謀詐術でKGBのトップまで上り詰めた男はチャーリーの頭脳明晰さと策士ぶりを何よりも恐れていた。つまりそれほどチャーリーは優秀なのだ。

また本書ではチャーリーが英国情報部の工作員になるまでの経歴が紹介されている。まずチャーリーの最初の職業が百貨店の社員であったことが意外だった。その時代に妻イーディスと結婚し、その後情報部の試験を受け、そこで才能が開花したのだった。
またチャーリーの悩みの種であり、また彼に危機を知らせるシグナルの役目をする不格好な横に平たい足は軍隊時代に重い長靴で長時間歩き回された結果だったことも判明する。
ここに彼の行動原理の源流があると私は思う。つまり彼の足はいわゆるマチズモ色濃い上下関係に対する反発の象徴なのだ。だからこそチャーリーは他の工作員とは違い、自らを犠牲にして国に使えるのではなく、自らが生き残るために国さえも犠牲にするのだ。

この親友ルウパート・ウィロビーの妻クラリッサの存在はそういう意味では忘れらない存在となった。彼女はチャーリーが妻イーディスを喪った後に彼に執着し、チャーリーを追ってローマに向かう。
うだつの上がらない風体でキャリアウーマン風女性からは決して親しまれる風貌をしていないチャーリーなのだが、なぜかモテる。この次の作品『亡命者はモスクワをめざす』彼はシリーズ全体を通してなかなか結ばれない運命の女性ナターリヤ・フェドーワと出会うのだが、クラリッサはその出会いまでの―失礼な書き方になるが―前菜といった感じだろうか。逆にクラリッサのような女性がいるからこそナターリヤとの恋が真実味を持ちうるのかもしれない。

さて本書で第1作から8作『狙撃』までのチャーリー・マフィンシリーズがようやく私の中でつながり、未訳の9作目を飛び越して残るは10作目の『報復』のみとなった。ここまで読んできたことでこのシリーズもある変容が見られることが分かった。

第1作目と2作目は対となった作品で属する組織に裏切られたチャーリーが復讐を仕向ける話でいわば半沢直樹のように“倍返し”をする話だ。
続く3~5作目は親友ルウパート・ウィロビーが経営する保険会社の調査員として事件に出くわすチャーリーでこれは逆に作者自身がシリーズの動向を手探りしていた頃の作品だろう。
そして6作目で再び諜報戦の世界に舞い戻ったチャーリーはその後もKGBとFBI、CIA、さらにはモサドとも丁々発止の情報戦、頭脳戦を繰り広げていく。これこそがこのシリーズの本脈だろう。
つまり本作はチャーリー・マフィンを諜報戦の世界に戻すために必要だった物語であったのだ。訳者あとがきにもあるように作者自身シリーズを終焉させようと思いながら書いた本書が起死回生の作品となったことが推測される。

さて未訳作品以外で残る未読のシリーズ作品はあと1作。私のチャーリー・マフィンを追いかける旅もようやく彼と肩を並べるところまで来そうだ。実に楽しみだ。


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追いつめられた男 (新潮文庫―チャーリー・マフィンシリーズ)
No.159:
(8pt)

思わず人生をなぞらせてしまった

恋に破れた女性の心の旅路。

このジェレミーとカーチャの再会は私自身同じような経験をしたことがあるだけに痛切に胸に響いた。
それは悲しみではなく、懐かしさだ。私もかつて愛した女性への未練が断ち切れず、別れた約3ヶ月後に一緒に食事に行った。その時は別れたことが何か間違いであって、もう一度顔を合わせて話せば寄りが戻るはずだという期待を込めた再会だったが、彼女の吹っ切れた笑顔に彼女の中で自分のことはもう整理がついたことを思い知らされ、逆に私の中で彼女に対するわだかまりが無くなったのだった。
あれは私にとって必要な再会だったと今でも思う。ジェレミーとカーチャもまた同じだったに違いない。

しかし人と人との間に生まれるドラマを描かせるとやはりブロックは上手い。決して特別なことを書いているわけではなく、むしろドラマとしては典型的であろう。
しかし一つ一つのエピソードが読者の人生に擬えられ、共感を覚える。
別れた女性への未練、子の親への反発、振られることで迎える狂おしい日々などは私もかつて経験しただけに痛切に心に響いた。こんな経験をして今の私があるのだなと再認識させられた。

分量としては1時間もあれば読み切れるが、心に残る印象は今までの人生が一気に蘇ってくるほど濃い。
新しい恋をするために自らの人生を磨いたエリザベス。
これは決して甘くはない大人の恋の物語。実力派の描いた物語は実に極上でした。


▼以下、ネタバレ感想
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マイ・ブルーベリー・ナイツ (扶桑社セレクト)
No.158: 3人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

単純面白主義万歳!

文庫書き下ろしで刊行された本書はまたもやスキー(スノボ?)シーズンの雪山が舞台となる。そして主人公を務めるのは『白銀ジャック』でも登場した根津昇平と瀬利千晶の2人だ。

しかし彼ら2人が本格的に事件に乗り出すのは物語の中盤185ページごろだ。それまでは今回の物語の核である新種の炭疽菌『K-55』が盗まれた泰鵬大学医科学研究所の栗林とその中学生の息子秀人のコミカルな捜索劇が繰り広げられる。

そう、本書は細菌テロという重いテーマを持ちながらも、雰囲気は軽妙でコミカルな装いで物語は進む。

まず新種の炭疽菌『K-55』の名自体が作者の名前をもじっていることからも深刻さを避けようとしているのが明白だろう。

しかし構成は単純ながらもさすがはベテラン作家東野氏、ストーリーに様々な要素を織り込んでいる。

まず脅迫者が事故死したことで『K-55』の隠し場所が解らなくなるというツイストもなかなかだ―ディーヴァーの『悪魔の涙』に成り行きが似ているという声もあろうが―。
さらに必死になって不祥事を揉み消そうと躍起になる東郷&栗林のコンビとは別に『K-55』を先に手に入れて3億円どころかそれ以上の身代金を請求しようと企む研究員、折口真奈美という第3の影。

そして捜索に同行させた栗林の息子秀人が現地で知り合う地元の中学生山崎育美の同級生高野一家に降りかかったインフルエンザで亡くなった妹の死に絡む母親の昏い情念と、コミカルながらも不穏な要素をきちんと用意している。
いやあ、いい仕事してますわ、東野氏は。

そしてそれらがきちんとクライマックスに向けて二転三転するストーリー展開に寄与していくのだから凄い。単に思わせぶりなエピソードに終わらず、それぞれがそれぞれの事情で正体も知らずに『K-55』の争奪に関わり、利用しようとする。
どうにか被害が広がらないように『K-55』を隠密裏に回収したい栗林。『K-55』を手に入れて脅迫金をせしめて大金を手に入れようと企む折口姉弟。妹の死に悲嘆にくれる母親を改心させようと自分のクラスに再び重病者を出して後悔させようとする高野裕紀。
正体を知っている者たちの思惑と知らない者たちの思惑が交錯して、クライマックスではスキーヤーとスノーボーダーの滑走しながらの一騎討ちといった活劇も織り込んで最後の最後まで息をつかせないノンストップエンタテインメント小説に仕上がっている。

さらには栗林が中学生の息子とのぎくしゃくしていた関係が事件を通じて次第にお互いに理解を深め合っていくといった、思春期を迎えた子供とのコミュニケーションに困っている親子がスキー、スノーボードを通じて親子の絆が深まるといった温まるエピソードまで加味されており全くそつがない。

正直これだけの物語を文庫書き下ろしで出す東野氏のサーヴィス精神に驚くばかりだ。

恐らくおっさんスノーボーダー東野圭吾は経営難で苦しんでいる日本中のスキー場を救わんととにもかくにも爽快で軽快な物語を愉しんでもらいたいという思いで本書を著し、そして多くの人に手に取ってもらうために文庫書き下ろしという形での発刊を選んだに違いない。

従って本書は徹底的に娯楽に徹したエンタテインメント小説である。難しいことは考える必要は全くない。
従来の東野作品の読者ならばこの単純さが、ベストセラー作家の走り書きとか、ストーリーに厚みがなくて物足りないなどとのたまうかもしれないが、単純面白主義の何が悪いと開き直って読むのが吉だ。
逆にこれだけウィンタースポーツとしてのスキー、スノーボードの疾走感やスキー場の臨場感も行間から滲み出てくるような躍動感に満ちていることをきちんと気付いてもらいたい。読みやすいが故にこの辺の技術の高さが軽んじられているのが東野圭吾氏の長所であり短所でもある。

普段読書をしない人たちに「何か面白い本、ない?」と訊かれたら、今はこの本を勧めるだろう。そして『白銀ジャック』に続いてドラマ化されてもおかしくないくらい映像化に向いている。

こうやって東野圭吾氏の読者が増えていくわけだが、それも仕方がないと納得せざるを得ないリーダビリティに満ちた作品だった。

疾風ロンド (実業之日本社文庫)
東野圭吾疾風ロンド についてのレビュー
No.157:
(8pt)

名匠の手による短編は実に心酔わせる

長編のみならず短編の名手であるブロックの久々の短編集。その出来栄えは『おかしなことを聞くね』以来、ファンが渇望していた切れ味が健在であることを証明してくれる珠玉の作品ばかりだ。

まず初めの編はスポーツを題材にした作品だ。

「ほぼパーフェクト」はアメリカの代表的なスポーツである野球だ。
「野球は何が起きるか判らない」とよく云われるが、これはまさにその常套句を逆手に取った異色作だ。

次の「怒れるトミー・ターヒューン」の題材はテニス。
激昂してラケットをへし折るテニスプレイヤーとしてすぐに思いつくのはジョン・マッケンローだ。本書のトミー・ターヒューンのイメージは彼しかなかった。
私自身も短気で怒りの衝動を抑えられない事があり、自分もこの性格を変えたいと思っているが、なかなか上手く行っていない。従ってこの短編は実に興味深く読んだが、やはり抑えられた怒りはどこかに捌け口を求めているのかと痛感した次第だ。
ああ、全てに寛容になれるのはもはや悟りの境地に過ぎないのか。

「ボールを打って、フレッドを引きずって」はゴルフ場が舞台。
淡々と物語が進むため、ローランド・ニコルスンという男の不可解な行動の真意が解らなく、読者はとにかく彼の言動に翻弄されながら物語を読み進めることになる。
タイトルの意味は作中で紹介されるあるゴルフのジョークであるため、ニコルスンがヘドリックに打ち明ける殺人計画もまたジョークなのか本気なのかが解らない不安定感をもたらしているのも上手い。

次の「ポイント」はバスケットボールが扱われているが、それまでの短編とは趣が違い、NBAの試合を観戦しにきた、元バスケットボール選手の親子の対話で物語が進む。
それは久方ぶりに出逢う親子の、今だからこそ云える打ち明け話。こんな夜の対話はどんな親子にもいずれは訪れる。そんなある一夜の物語だ。

スポーツシリーズ最後の1編「どうってことはない」はボクシング選手の話。
格闘家を夫に持つ妻の気持ちとはいかほどなのだろうか?
最初は試合での夫の強さに魅かれ、結婚したのだろうが、結婚することは人生を預けることであり、そうなると人生のパートナーが公然と殴り殴られる姿を見なければならないのはかなり辛い事なのだろう。
色々と興味深い結末でもある。

「三人まとめてサイドポケットに」はふらりと入った酒場である男が出くわす典型的な美人局の話だが、ブロックは実に奇妙な余韻を残して物語を閉じる。

16ページと短い分量で語られるのが「やりかけたことは」だ。
主人公ポールは出所したばかりでシンプルに生きることを肝に銘じているが、彼が何の罪で服役していたのかは最後の1行で明らかになる。
それが性というものだと痛感する1編だ。

本書中約120ページと最も長いのが「情欲について話せば」は警官、軍人、医者、司祭の4人がトランプゲームに興じている奇妙なシーンで幕を開ける。
なんとも奇妙さ作品である。
まず司祭、警察官、軍人、医者と全く職業の異なる人物たちが一堂に会してトランプゲームに興じているというシチュエーション自体が奇妙である。そして彼らが語る“情欲”に纏わる話もまた奇妙である。
司祭の話はかつて彼が赴任先で親しくしていた仲睦まじい夫婦に隠されたある不道徳的かつ壮絶な過去の話。その夫婦は実は実の姉弟で弟の夫が13歳の時に父親の折檻から慰めようと姉が施したある癒しから次第にエスカレートして恋するまでに至った姉弟だった。
続く警察官の話は猛烈な性欲を持つ年長の元同僚の話だ。彼には美しい妻がおり、浮気をしていないか日に何度も頻繁に電話をするほどの執心ぶりだったが反面彼は特に犯罪者の妻と寝ることを日常的に行っていた。そしてある日赤毛のジョニーという美しい女性を目にしたことで彼は次第に彼女にのめり込んでいく。しかし一方で彼の妻に男が出来たことを強く疑っていた。そして相棒に自分が不在の時に見張るように頼むと果たして彼女を訪れる男がいたとの報告を受ける。彼は見境なくその男を襲撃しようとするが返り討ちに遭う。
軍人が紹介した男はかつて軍の名狙撃種だった男の奇妙な性欲の話だ。彼はいつしか戦争で人を狙撃する事にエクスタシーを感じていた。退役後、妻も出来、結婚したがセックスでオーガズムに達する事が出来なかったが、戦争中の狙撃のシーンを思い出すと最後まで達する事が出来た。
医者の話に出てくるのは奇妙な女性の話。連続レイプ魔に襲われた女性は自らの命を助けるため、絶頂に達した演技をし、あまつさえ彼に自分の家に来てくれるよう懇願する。
この話には正直オチはない。しかし「情欲」とは一体何なのかを探ろうとしたこの奇妙な四人組同様、知れば知るほど解らなくなるのが情欲の正体であることに気付かされるのである。

さて表題作もまた奇妙な味わいを残す。
ある意味これは前編の「情欲について話せば」に連なる作品と云えよう。
そして最後に明かされる「やさしい小さな手」の意味するところが解ると、果たしてこれが短編集の表題にすべきだったのか、思わず赤らんでしまった。

「ノックしないで」はかつて付き合った男と女の関係の物語。
折に触れ男はかつての恋人を訪ね、自分の近況を語って、泊まっていく。しかしそこに肉体関係は生まれない。
彼女はそれを知りつつも彼の訪問を断れずにいつも彼を受け入れてしまう。彼女は心のどこかで復縁を期待しているのだ。しかしとうとう彼女は2人がかつてのように愛し合う仲ではなく、単なる友人同士で、しかもちょっと都合のいい女になってしまっていることに気付くのだ。そして彼女は新たな一歩を踏み出す。心に刺さった苦い棘の傷みと共に。
ブロックは奇を衒わず、男女の心の機微を淡々と謳っている。

最後の4編はマット・スカダー物。
「ブッチャーとのデート」は長編『慈悲深い死』の原型となった作品でここでは敢えて取り上げないでおこう。

その次の「レッツ・ゲット・ロスト」はまだ警察官だった時代にエレインの依頼で対処したある事件の顛末の回想記の体裁で語られる。
突然巻き込まれたある他人の死をどうにか擬装して逃れようとする男たちを警察官の視点で事件の疑わしい所を浮き彫りにして逆に事件を真の姿に戻すことにする若いマットの熱心さが新鮮だ。
まだ前妻アニタと結婚生活を送っていた頃のマットの話。それが今ではエレインと再婚し、実に豊かな生活を送っているのだから、人生とは本当に解らないものだと感慨深く思わされる1編。

次の「おかしな考えを抱くとき」もスカダーがまだ警察官だった頃の話。しかもまだエレインと逢う前の話。
突然家族の団欒に訪れた夫の銃自殺。スカダーは当時相棒のヴィンス・マハフィとその事件を担当し、ヴィンスが施したある救済の話をする。
それは実際にヴィンスが図った便宜だったのか、はたまた妻が犯した罪を隠した事なのかは解らない。真相は藪の中だが、逆にもはや真相を知ることが目的ではなく、全てが丸く収まるような処置をしたことに満足をしているマットの考えが、己の正義に基づいて生きてきた人生の落伍者だったかつての彼とは真逆であることに感慨を覚える。

そして最後の1編「夜と音楽と」はたった8ページの小編。内容もスカダーとエレインがオペラを観劇した夜に、寝ずにニューヨークの夜を徘徊する、ただそれだけの物語。
事件も起きず、ただ2人の過去を懐かしむ会話が続くだけ。取るに足らない話なのだが、最後の2行にスカダーとエレインの真の思いを見た。


本当に久々のブロックの短編集である。早川書房が2009年に突如企画したハヤカワ・ミステリ文庫での「現代短編の名手たち」シリーズにブロックが選ばれ刊行されたのが本書。名手の名に恥じない傑作が揃っている。特徴的なのは全体的にブラックなテイストに満ちていることだ。

まずはスポーツを絡ませた短編が続く。野球、テニス、ゴルフ、バスケットボール、ボクシングと続く。

そして面白いのはそれぞれ殺人を扱いながらも微妙に時間軸がずれていることだ。

「ほぼパーフェクト」では殺人を“犯した” 男が完全試合を成し遂げようとし、「怒れるトミー・ターヒューン」では殺人を“犯す”までに至った男の奇妙な経緯を、「ボールを打って、フレッドを引きずって」では殺人を“犯そう”と計画している男の奇妙な予行練習を、最後は夫を殺された妻が復讐のために行おうとしている奇妙な殺人を語っている。それらが全て物語の最後の最後でサプライズを以て明かされるのだから、ブロックの小説テクニックは相当に高い。

また本書中最も長い「情欲について話せば」の警官、軍人、医者、司祭と奇妙な取り合わせの4人がトランプゲームに興じているシーンはどこかある有名な本格ミステリのシチュエーションを想起させる。

そして表題作は穏やかな題名にそぐわないエロティックでブラックなテイストに溢れている。このギャップがすごくてインパクトを残す。

そして「ノックしないで」を前奏曲としてマット・スカダー物の短編4編が続く。正直「慈悲深い死」の原型となった「ブッチャーとのデート」を読んだ時は失望感を覚えたが、その後の3編は味わい深く、長い年月を重ねた人生を経た者たちの達観を感じさせる。

さて個人的ベストを挙げるとするとやはり本編で一番長い「情欲について話せば」になろうか。短編4つ分のネタが放り込まれた内容はもとより、トランプゲームに興じる警官、軍人、医者、司祭と云う奇妙な取り合わせが寓話めいていて奇妙な印象を残す。

「ノックしないで」も捨てがたい。ブロックには珍しくシンプルな作品だが、求めつつもそれを自分から求めない元恋人の女性の心の機微が静かに心に降り積もるかのような作品だ。

そしてスカダー物4編から1編を挙げるとすると「夜と音楽と」になる。
なぜ単にスカダーとエレインが夜のデートをするだけの何の変哲もない8ページだけの1編を挙げるのか。それは最後の2行、スカダーとエレインが2人して「誰も死ななかった」ことを喜ぶシーンが妙に痛切に胸に響くのだ。

元警察官で無免許探偵をしていたマットは彼を訪ねる人達に便宜を図って人捜しや警察が相手にしない取るに足らない者たちの死を探る。人捜しであっても彼は誰かの死に必ず遭遇する。しかし警察官であったマットは死自体には何の感慨も抱かず、ニューヨークによくある八百万の死にざまの1つを見たに過ぎないと振舞う。

しかしエレインが襲われることになり、そしてエレインを伴侶とし、安定した生活を得たことで彼らにとって死はもう沢山だと思い始めたのではないか。
探偵をする限り、彼は陰惨なシーンに出くわさざるを得ない。しかし2人で一夜を過ごすときは忘れたいのだという思いをこのたった2行に感じさせる。
しかし初めてこの短編集でブロック作品を読んだ人たちには「何だったんだ?」で終わる話だろう。つまりこれはシリーズを読んできた者だけが行間から読み取れる深い内容だと云える。そういう意味では今回の「現代短編の名手たち」という企画にはそぐわないのかもしれない。

いやはややはりブロックは短編も読ませると再認識した。
確かに上に書いたようにブロック初体験の読者にとって解りにくい作品もあるし、何よりも短編集でしか読めない悪徳弁護士エイレングラフ物が1編もなかったのが残念でもある。

しかし本書以降ハヤカワ・ミステリ文庫でブロック作品が全く刊行されていない事実が非常に残念でならない。ブロック作品再評価の為にも彼の作品を既刊のみならず未訳作品も刊行してくれないだろうか。
毎回早川書房の本を読むとこの締めの言葉に落ち着く現況が哀しい。


▼以下、ネタバレ感想
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現代短篇の名手たち7 やさしい小さな手(ハヤカワ・ミステリ文庫)
ローレンス・ブロックやさしい小さな手 についてのレビュー
No.156:
(8pt)

まだまだ驚かせてくれる、この作家は!

現代のシャーロック・ホームズ、リンカーン・ライムが対峙する今回の敵は“電気”。正確には電気を武器にニューヨークを翻弄する敵が相手だ。

普段はその有難みが解らないが、いざ台風や地震で停電が起きるとその大事さに気付かされるのが電気だ。
3・11の東日本大震災で計画停電が行われ、当時東京に住んでいた私はネオンサインがない渋谷の街を毎日目の当たりにして、夜闇に乗じて犯罪が起きてもおかしくはないと半ばこの世の終わりのような思いを抱いたものだ。

「電気は、市民の道徳心にもエネルギーを供給しているのだ」の作中の一文には激しく頷いてしまった。

この電気、実は私も仕事で縁がある代物だが、非常に便利であるが反面、非常に恐ろしい物だ。それは本書でも実に詳細に語られている。

いわゆる“見えない凶器”であり、電線のみならず帯電している金属から人間の体内を通って地面に通り抜ける間に絶命してしまうからだ。

最初の被害者は過剰な電流がある特定の変電所に集中することでアークフラッシュを起し、最寄りの金属製品が細かい礫になって人々の身体を突き抜けて、それら1つ1つが高熱を放ち、身悶えしながら死んでいく。

第2、3の被害者は大量の電気を流されたビル、エレベーターの金属部品に触れることで感電し、激しい痙攣をしながらも手を放すことが出来ず、恰も死のダンスを踊りながら全身から煙を出して死んでいく様が描かれる。

アメリアやロナルド・プラスキーたちは現場での惨状を見て、金属に触れることを怖れ、半ばノイローゼになって捜査に携わる。この感覚は非常に腑に落ちた。

今回の事件の首謀者はレイ・ゴールトという電力会社元社員で修理技術者だった男と早々と明かされる。この男が仕事で高圧の電気近くで長年作業することで白血病を患い、その復讐として電力会社に混乱を起こして脅迫を重ねているとライムたちは焦点を絞る。
そして一方で“地球の日(アースデイ)”イベントを控えていることで何らかの環境テロ組織が絡んでいるとFBIは捜査を進める。その結果“ジャスティス・フォー”と“ラーマン”という2つの名前が浮かび上がる。

さらにライムはキャサリン・ダンスたちがメキシコ警察と共同してメキシコシティに潜伏しているウォッチメイカーの逮捕にも携わる、いくつもの要素が絡まった物語となっている。

メインの物語の焦点は昨今日本でも3.11以来、物議を醸しだしている電力会社の半ば強引なやり方だ。
火力、水力、原子力と云わば発電所“三種の神器”で大量の電力を賄うアルゴンクイン・コンソリデーテッドは日本に存在する電力会社そのものだろう。
それに対抗するのが風力、太陽光、地熱、波力発電、メタンハイドレードといった再生可能エネルギー、つまりクリーンエネルギービジネス。やり手の“女”社長アンディ・ジャッセンはこれらエネルギー対策に前向きではない。それがこの事件に潜む真の動機になっている。

更にディーヴァー自身もこのシリーズを現代のホームズ物と意識して書いているようだ。特に下巻220ページの次の台詞

考えうる可能性を全て排除したあと、一つだけ排除できなかったものがあるとすれば、一見どれほど突飛な仮説と思えても、それが正解なんだよ

はホームズが短編「ブルース・パーティントン型設計図」での台詞

ほかのあらゆる可能性がダメだとなったら、どんなに起こりそうもない事でも残ったことが真実だ

とまるで同じである。もはやこれは確信的ではないか。

そしてそれら一連の事件の絵を描いたのは意外な人物だったことが判明する。

とにかくすごい犯人だ。どんでん返しの帝王とも云えるジェフリー・ディーヴァーだが、もう騙されないぞと思いながらもやはり驚愕させられてしまった。

また今回『悪魔の涙』で主役を務めた筆跡鑑定のスペシャリスト、パーカー・キンケイドが登場する。これで同シリーズで2回目の登場となった。もはや大事なサブレギュラーになりつつある。

しかし振りかえれば『ソウル・コレクター』から3年ぶりのライムシリーズである。もはやネタは出尽くしたと思ったがこれほどのサプライズをまだ見せてくれるとは、やはりディーヴァーは只者ではない。


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バーニング・ワイヤー
No.155: 3人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

過ちの連鎖が哀しすぎる

探偵ガリレオ長編3作目では恐らく神奈川の伊豆辺りと想定される都心から電車で訪れる事の出来る南国情緒のある町、玻璃ヶ浦。深海鉱山開発の説明会に狩り出された湯川がそこで元刑事の殺人事件に巻き込まれる。

帝都大学の研究室を離れて、警視庁の管轄外での事件ということで定型通りに草薙と内海から事件の捜査を依頼されるわけではない。草薙が登場するのは100ページを過ぎた辺りとシリーズの中で最も遅い。
つまり本書では湯川が出張先で草薙達に先んじて事件に出くわす、変則的な構成を取っている。しかも草薙と内海は東京で湯川の援護射撃をするのみ。最終的に2人が合流するのが全460ページ中396ページと最後の辺りとシリーズの定型を崩しているのが興味深い。

さらに本書はある意味、シリーズの約束事を裏切ることで成り立っていると云える。

まず今回のパートナーが柄崎恭平という少年であることが驚きだ。シリーズ当初の短編で湯川は自身が子供嫌いであることを公言しているが、本書では電車で伯母夫婦の許に向かう恭平が湯川に助けられることが発端となっている。子供嫌いの人物ならば恐らく子供が困っていても無視するだろうと思われるのでこの展開は実に意外だった。

そして最も私が驚いたのは湯川が今回事件の捜査に自発的に関わっていることだ。特に旅先で知り合った柄崎恭平と云う少年から事件のことを知らされると自ら遺体発見現場に案内してくれと申し出る場面では面喰ってしまった。
事件に携わることで親友とかつての恩師に手錠をかけるようになってしまった湯川が再び草薙そして内海に協力していく経緯は『ガリレオの苦悩』や『聖女の救済』で語られているが、しかしそれでも湯川は事件が起きた直後は捜査協力に後ろ向きであった。しかし今回は上に書いたように自ら申し出るようになる。

子供嫌いの男性で警察の捜査に興味を示さない男が本書では全く逆の姿勢を見せている。シリーズの基盤が揺さぶられるような展開だ。

元刑事塚原の殺人事件の裏にあるのが、かつて彼が携わった仙波英俊が起こした殺人事件。
それは落ちぶれた小さな会社経営者がトラブルを起こして店を首になった元ホステスを金の縺れで衝動的に殺害した、動機も明確な至極単純な事件だったが、事件現場がそれぞれが縁のない荻窪で起きたことが唯一おかしな点だった。

最先端科学を売りにした探偵ガリレオシリーズだが、長編になると科学よりも、事件に関わった人たちが表面に見せない、人と人の間に起きた齟齬から生じる奇妙な縺れを探ることに主眼が置かれている。
純粋な左脳ミステリであるこのシリーズが長編では右脳ミステリになるのだ。

これは誰にしもあり得る過去のひと時の過ちがきっかけとなった事件。

それぞれがごく普通の日常を護ろうとした。しかし過去の過ちはそれを崩そうと彼らを苛むように忘れた頃に訪れる。
彼らにとって忘れたい忌まわしい過去が、いやもしくはそっと胸に潜めておきたい儚い恋の想い出が歪な形で追いかけてくるような思いがしたことだろう。そしてそんな過去から日常を護るにはもはや殺人と云う最悪の非日常に身を落とすしかなかった。
しかしそれが負の連鎖の始まりだった。普通の生活を続けようとするのが斯くも難しいのか。これが人生の綾なのだろうか。

そして今までの定型を崩し、事件に積極的に関わった湯川。最後に彼の思いを知った時に彼は変わったのだとさらに確信した。
『容疑者xの献身』以前以後と湯川の人物像ははっきり区分けできる。それは作者東野圭吾氏の境遇もまた重なるのが興味深い。

まさに期待通りの作品だった。湯川が解いた真夏の方程式は実に哀しい解を導いた。
しかしその解ゆえに湯川はまたより魅力的に変わる事だろう。シリーズはますます深みを増していくに違いない。


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真夏の方程式 (文春文庫)
東野圭吾真夏の方程式 についてのレビュー
No.154:
(8pt)

解っているつもりだった。でも違っていた。それが人生。

今回の事件はかつての倒錯三部作を復活させたかのような動に満ちた内容になっている。もはやマットにとってなくてならない親友となったミックに窮地が訪れ、それにマットも巻き込まれ、共に命を狙われる存在になっていく。

2人に関わる人間が次々と亡くなっていく。

男は幸せと安定を求め、結婚をする。結婚生活はその幸せと安定を持続することだ。
それがいつしか義務になり、手段が目的に変わるのだ。そんなとき、安定しているからこそ不安定を求めるようになる。なぜかと云われればそれが男だからだ。
不安定を求め、それに身を落とすことで自身の本当の生活が安定していることを再確認し、また戻るのだ。逆に不安定な状況にのめり込んで結婚生活を破綻させる輩もいる。それが男と云う生き物であり、性なのだから仕方がない。
私はこの件を読むことでマットの事が一層理解できるようになった。

そんな風に血肉を得た登場人物が衝撃的な死を迎える。さらに追い打ちをかけるようにその毒牙は伸びていく。

貌の見えない敵の正体を探るマットだったが、捜査に同行させたTJにけがを負わせてしまう。マットを狙った暗殺者の流れ弾に当たってしまうのだ。
幸いにしてTJは命を獲られるまでにはならなかった。本書の中での云い方をすれば彼は「リストに載らなくて済んだ」。

そしてミックは仲間を喪い、根城だったグローガンの店を失う。

世界中に伝承される破壊の女神は世界を焼き尽くす。それはまた新たな世界を作るための破壊である。
このマット・スカダーシリーズもまた本書で一旦全てを喪う。

マットもまた例外ではない。

全てを失い、そしてまた新しい日が始まる。恐らくこのシリーズもまた。

哀しい事ばかりが起きた作品だった。
それまで人伝えにしか解らなかったミック・バルーという男の凄まじさを知らされた作品だった。
シリーズを読みながらも驚きと知らないことがあることを気付かされる。それはまさに人生そのものではないだろうか。


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皆殺し (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)
ローレンス・ブロック皆殺し についてのレビュー
No.153: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

小学生の肝が太すぎる!

今やホラーと本格ミステリを融合した刀城言耶シリーズで新しい旗手として注目されている三津田信三氏の初期の作品である本書は文庫書き下ろしのホラーど真ん中の作品だ。

東京の外れに位置するうっそうとした禍々しい森を湛えた武蔵名護池の盂怒貴町東四丁目に引っ越してきた小学校を卒業したばかりの棟像貢太郎が祖母と移り住んだ2階建ての一戸建ての借家はどこか禍々しい雰囲気を纏っており、彼の不安を裏切らず、次々と怪異が彼を襲う。

2階の自室に入るにはひたひたと彼に迫る得体のしれない足音を振り払わなければならない。

祖母が留守の時に家に帰れば、祖母の部屋からどこまでも伸びる蛇のような老人の手が襖から伸び、キッチンへ逃げ込めば首の無い四つん這いの女性の死体が徘徊する。風呂に入れば赤ん坊のような物が彼を湯船の中に引きずり込もうとする。

他の部屋に入れば死んだと思われた父親が現れ、幼き頃と同じように絵本を読んでくれたかと思えばいきなりおぞましい嗚咽を洩らし、首から鮮血を飛び散らす。

そんな家に住みながら、彼は祖母のことを思って引っ越そうと云わない。恐怖に襲われながらもそれを受け入れ生活を続ける彼の心の強さは只者ではない。
それは祖母と2人暮らしと云う決して裕福ではない家庭環境故に引っ越したばかりの家からすぐに引っ越すための新しい物件探しや、財政的にも苦しいという背景があるためなのだが、そんなことを小学校を卒業したばかりの少年が考えるのが奇妙なおかしみを与えている。

そんな得体のしれない怪奇現象の連続に遭遇しながら貢太郎が考えたことはかつて自分の住んでいる家に起こったであろう事件を調べる事だった。

その事件に行き当たってからのこの小説の内容は実にスリリングで驚愕に満ちている。
特筆すべきは恐怖を煽る小久保家の老人の意味不明な言葉の数々が調べるにつれて次第に意味を帯びていき、彼の家に纏わる忌み事の真相に繋がっていく。
これはホラーでありながら、その因果を解き明かす過程はミステリそのもの以外何物でない。

この次々と起こる怪奇現象と近所に残る忌まわしい事件、そして一家殺害事件を起こした狂える学生上野郡司と、ホラーのおぜん立てを十二分にしながら、ミステリとしてのサプライズも提供するこのサービス精神の旺盛さ。彼は最初から本格ミステリの心をホラーの土壌に立つ作家だったのだと認識させられた。

そしてホラー特有の、全ては終わらず、因果は巡る終わり方も実に好ましい。これが文庫書き下ろしで読めるとは実に贅沢。

本書は三津田信三にとってはほんの自己紹介のような作品だろうが、私は十分にホラーと本格ミステリの妙味を堪能した。いやぁ、怖かったなぁ、本当に。


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禍家 (光文社文庫)
三津田信三禍家 についてのレビュー
No.152: 3人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

奇数章である意味は?

S&Mシリーズ後期の始まりと云える本書は実に変わった趣向が施されている。それは奇数章しか存在しないのだ。
では偶数章はどこへ行ったのかと云うと、それは次作『夏のレプリカ』で書かれる。それは冒頭のみ登場する西之園萌絵の高校時代の友人、簑沢杜萌の身に起こった事件だ。
つまり本書と次作は2作で1つの大きな物語を語っていると云えるだろう。

このような趣向はアメリカの海外ドラマで別のシリーズのキャラクターが登場し、各々の作品の話に影響を及ぼす、いわゆるクロスオーヴァーという趣向に実に似ているが、読後の今は次に語られる事件がさほど本作には絡んでいないように感じたので、その是非は次作を読んでからにしたい。

さて本書ではまたもや密室殺人が扱われているが、それまでのシリーズ作品と違い、鍵の掛けられた状態での密室ではなく、衆人環視の中でマジシャンが殺される、いわば開かれた密室である。

本書で提示される謎は4つ。
先述した衆人環視の中での有里匠幻というマジシャンが何者かによって背中にナイフを突き立てられ絶命する事件。

そしてその匠幻の葬式で霊柩車に乗せられた棺から忽然と匠幻の死体が消えうせる謎。

さらに匠幻のトリック製作を担っていた工場の社長菊池泰彦の死。

そして最後は有里匠幻の弟子の1人、有里ミカルが爆破解体されるビルから脱出するマジックで死体となって発見される事件。

4つの謎に3人の死とミステリとしてはこの上もない充実ぶりだ。

そんな陰惨且つ幻想的な殺人事件の犯人は実に意外な人物だった。

そしていつも思うのはこのシリーズの事件解決に至るまでの時間が実に長いことだ。
今回のマジシャン有本匠幻が衆人環視の中で殺害される事件が起きるのが8月の第1日曜であり、事件解決は9月の第2土曜日以降である。つまり最低1か月半は経っているのだ。
これは本書の探偵役である犀川創平は事件解決に積極的でないことに起因するだろう。彼の関心は自分の研究題材であり、そして西之園萌絵であり、決して事件の謎ではない。彼が事件に向き合うのは事件に積極的に関わる萌絵に危機が訪れた時だ。彼は望まざる形で事件に関わり、そして誰よりもその真実をいち早く見抜くのだ。しかし彼の関心が事件にないために事件解決まで、いや西之園萌絵が事件の真相に肉迫するまで解決されないのだ。

そして事件のエピソードには萌絵の大学生活に纏わるイベントが盛り込まれており、今回は大学院受験の真っ最中である。この辺は大学生活を経験した者には案外ノスタルジイを感じるのかもしれないが、大学生活を知らない者や萌絵自身に関心のない読者にとっては全く以て「それで?」と呟いてしまうエピソードではある。

そして色恋沙汰は西之園萌絵と犀川創平の関係だけではない。サブキャラクターである院生の浜中深志にもとうとう我が世の春が訪れる。彼に恋人らしき存在が出来る村瀬紘子という同じN大学の文学部の1年生が彼と付き合うことになる。

そして愛知県警の若手刑事たちで西之園萌絵と定期会合を行う<TMコネクション>なるファンクラブめいたサークルも出来るに至って、ますます西之園萌絵に嫌悪感が増してしまうのは私だけだろうか。

さて前作『封印再度』に続いてまたもやタイトルで唸らされてしまった。
ストーリーとタイトルがマッチするとこれほどまでにカタルシスを感じるのかと再認識した。後は本書で感じた違和感を次作で払拭されることを期待しよう。



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幻惑の死と使途―ILLUSION ACTS LIKE MAGIC (講談社文庫)
森博嗣幻惑の死と使途 についてのレビュー
No.151:
(8pt)

人はそんなに強くないからこそ起きた犯罪か

マット・スカダーシリーズ13作目の本書は前作に引き続いて連続殺人事件を扱っている。しかも不可能趣味に溢れた本格ミステリのテイストも同じく引き継がれているのが最大の特徴だろう。

今回スカダーが取り扱う事件は2つ。

1つ目はウィルと呼ばれる社会的制裁者。
誰もが認める悪人なのに裁判の結果、無罪放免になり、大手を振って世間にのさばっている、いわば法によって裁かれない悪人たちを処刑する必殺仕事人だ。ウィルはどんな巨悪であっても宣告通りに始末してきた。それがニューヨーカーたちを、いやアメリカ国民の“正義”を触発し、世間を賑わせている匿名の犯罪者だ。そんな劇場型犯罪にマットは立ち向かう。

もう1つはAAの集会で挨拶を交わす程度の知り合いだった男バイロン・レオポルドが散歩中に何者かによって殺される事件だ。
毎日何千人をも人が殺されているというニューヨークで起きた1人のHIV感染者でもある男の死。一方はマスコミとアメリカ中を賑わせている劇場型犯罪者、そしてもう一方はニューヨークの片隅で起きたHIV感染者の殺人事件。そんな極端に異なる事件にマットは対峙する。

まず解決するのは現代の仕置人ウィルの事件だ。

そしてこの事件の後、マットはもう1つのバイロン・レオポルド殺しの犯人を突き止める。

この一見関係のない2つの事件には一貫してあるテーマがある。それは病魔というキーワードだ。

この社会に蔓延する病気が犯罪を起こさせるという本書のテーマは刊行当時アメリカ社会を席巻していたエイズ、即ちHIVキャリア問題が色濃く反映されているからではないだろうか。特に患者の多かったアメリカでは日本の数倍ものセンセーショナルな病気だったのかもしれない。

人の心とはなんと弱いものだろう。挫折をバネにして再起を果たしても忌まわしい記憶は決して当人の心からは消え去ることはなく、その疵の傷みを止めるためにその手を汚す。

それらはいわゆる「魔がさす」という類のものだろう。
そして数秒間に1人が死ぬと云われているニューヨークでは1つ1つの事件が必ずしも解決されるとは限らず、恐らく彼らの殺人も次々と起こる事件の荒波に埋没する運命だったのかもしれないが、魔がさして成された殺人を抱えたまま生きるのはやはり苦しく、ある者は自らの命を絶ち、ある者は積極的に自白をし、ある者は観念して罪を告白する。

本書は現代に甦った仕置人の正体を探る本格ミステリ的な設定を持ちながら、最後に行き着くところは名探偵の神懸かった推理や驚愕のトリックが登場するわけでもない。
マットが素直に人間を見つめてきたことによって出た答えによって導かれた犯人であり、そのどれもが人間臭く、決して他人事とは思えないほど、その心の在り様がリアルに思えるのだ。
前作『死者の長い列』の解説で法月綸太郎氏は同書と本書が謎めいた連続殺人事件を扱っていることで本格ミステリとしても読める異色作だと述べていたが、とんでもない。これまでの作品同様、八百万の人間が住まうニューヨークに起こる人間の営みとそれが引き起こす人間の心の変化による犯罪を扱っているのだ。

そしてまたもや事件に遭遇することでマットの身辺に変化が訪れる。
今回は事件自体が派手なこともあって、今回はマットがなんとマスコミたちの注目の的になる。
マットがウィルの正体を突き止めたことがマスコミにリークされたからだ。これが今後彼の事件の関わり方にどんな変化が訪れるのか、ちょっと想像がつかない。

そして『処刑宣告』という物々しいタイトルとは裏腹に結末は実に暖かい。『倒錯の舞踏』以来、マットの好パートナーとして活躍してきたTJに思いもかけないプレゼントが与えられるのだ。
それはまずパソコンだ。これは恐らく機械音痴であるマットに替わって捜査のツールとして使うために与えられたようだ。
そしてマットが今まで住んでいたホテルの部屋が終の棲家として与えられる。つまり彼はマットの本当の相棒になったのだ。一介のストリート・キッズだった彼がここまでの存在になるとは思わなかっただけにこれは読者としても何とも嬉しいサプライズだった。

マットを取り巻く人々とマット本人の世界はますます彩りを豊かにしていく。アル中で子供を誤って銃で撃ち殺した元警官という忌まわしい過去を背負った中年男の姿はもはやないと云ってもいいだろう。
しかし本書はどれだけ歳月を重ねても人の抱えた心の疵はなかなか消えないことを謳っている。あまりに順調なマットの人生に今後途轍もない暗雲が訪れそうである意味怖い気がする。
この平穏はしばしの休息なのか。
まあ、そんなことは考えずにまずはこのハッピーエンドがもたらす幸福感に浸ることにしよう。


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処刑宣告 (二見文庫―ザ・ミステリコレクション)
ローレンス・ブロック処刑宣告 についてのレビュー
No.150: 4人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)
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聖女の救済は“銃”を隠し持つ

ガリレオシリーズ第5弾の本書は『容疑者xの献身』以来の長編だ。
ガリレオこと湯川学が挑むのは離れた場所にいてある特定の人物に毒物を飲ませる方法を探ることだ。しかしこのトリックが湯川をして「理論的に考えられるが、現実的にはありえない。まさに完全犯罪だ」と云わしめるほどの難問なのだ。

そんな湯川を悩ませる事件自体は至極単純だ。
夫人の不在中に夫が不倫相手と自宅で過ごしている間に自分で作ったコーヒーで毒殺される。その毒の混入元を探るのがメインの謎だ。一方で犯人は読者にはほとんど明確に提示されている。それは毒殺された夫真柴義孝の妻綾音だ。
この容疑者がいかにして不在中に毒を混入できたのかが事件の焦点である。

元来ミステリでは毒殺物は古今東西に亘って多数書かれている。やはりこの毒殺トリックというのは本格ミステリの書き手ならば一度は手掛けたいものなのだろう。
毒をいかにして標的に飲ませるか?
そしてどんな毒を使うのか?
殺害方法は単純ながら、そのヴァリエーションは多岐に亘っている。そして本書はまた毒殺トリック物に新たな1ページを刻むことになった。

しかし本書で最もミステリアスなのはこのトリックよりも実は容疑者である被害者の妻真柴綾音だ。
彼女は自らを容疑の外に置きながらも、第一容疑者で夫の不倫相手兼自分の会社の従業員である若山宏美を擁護し、あまつさえ自らも場合によっては犯行が可能であったとさえ、内海・草薙らに仄めかす。

慈愛に満ちた表情を湛えながらも、自分の教え子を護る時には毅然とした厳しい眼差しを向け、自分も容疑圏内に置こうとする。その姿は題名にもあるようにまさに聖女のようだ。
この常人の理解を超えた綾音の心理は慈しみを超えて、時に読者に判じ得ない恐怖を覚えさす。

そしてそんな彼女に草薙は心を揺さぶられてしまう。出逢った瞬間に今までにない感情を事件関係者に抱くことになるのだ。それは刑事としてはあってはならぬことだ。

捜査に当る警察官が容疑者に惚れる。
このハーレクイン・ロマンスのような設定をまさかこのガリレオシリーズで読むことになろうとは思わなかった。
しかもその刑事が草薙。ガリレオシリーズでは科学に疎い読者の代弁者として名探偵湯川学に事件の解決を依頼するパートナー的存在だった彼も本作で恋する人間臭さを備える。

一方翻って彼の相棒の内海薫の人物造形の豊かさはますます深まるばかりだ。
私はTVシリーズの方は観ていないのだが、視聴者の話では柴咲コウ演じる内海薫は草薙刑事の役回り、つまりドラえもんでいうところののび太的存在だ。

しかし前作『ガリレオの苦悩』で初登場して以来、内海の刑事としての優秀さが長編の本書でさらに磨きがかかっている。特に女性特有の視点で捜査に別の方向から光を当てる着眼点の鋭さが。内海を投入することでこのシリーズは事件とそれに関係する人々への描写がさらに濃密になったといっても決して過言ではないだろう。

草薙を翻弄し、内海も歯噛みし、そして湯川をも唸らせる完全犯罪のトリックは実に驚くべきものであった。

そして1年間子供が出来なかったから別れてくれと宣告されたときに自分が自宅を離れることで綾音はその封印を解いた。
彼女は自分が子供を作れない身体であることを知っていたからこそ、期限の来る1年前にこの時限爆弾を仕込んでいたのだ。それは子供がほしいがゆえに独善的な約束事を押し付ける夫の支配に対する彼女にとっての“銃”だったのだ。いつでも引鉄が引けるように常に装填された銃を彼女は心に持っていたのだ。

正直このトリックは現実的に考えると無理があるだろう。恐らく読んだ人全てが納得するトリックでは決してないだろう。
しかし私はそんなありえない殺害方法を肯定的に受け止める側だ。
このトリックはやはり真柴綾音という存在あってのものだと思うからだ。これが他のキャラクターならば到底納得できなかっただろう。そしてこれこそが東野マジックなのだ。

『容疑者xの献身』では自分に生きる希望を与えてくれた母子を助けるために自らが容疑者役に回った石神。
そして本書では結婚した瞬間に離婚せざるを得ない時限爆弾を抱えた綾音の行為もまた献身ではないか。しかしどちらも屈折した献身だ。

毒殺トリック物という本格ミステリど真ん中の謎を設定しながら、読み終わると人間というものの複雑さが際立つ、なんとも贅沢なミステリ。
これぞ東野ミステリ!と看板を掲げたくなる傑作がまたここに生まれた。



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聖女の救済 (文春文庫)
東野圭吾聖女の救済 についてのレビュー
No.149: 3人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

なぜ長らく絶版だったのが不思議な傑作

1960年に刊行されて以来、長らく絶版となっていたフィルポッツのまさに幻の作品がこの2015年に新訳で刊行されるとは一体誰が想像していただろうか?
ちなみに1960年刊行の同書をAmazonで調べてみるとなんと7,700円という価格が付いているのには驚いた。

幻の名作というのは実際のところ眉唾物であることが多い。名作ならば版を重ね、現代にまで読み継がれているべきものだからだ。それが初版から55年も経ってようやく新訳で再販されるとは、刊行当時さほど話題に上らずに淘汰されてしまったからだと考えるのが普通だろう。
しかし皮肉なことにその稀少価値ゆえに古書収集家の間で高値で取引され、今にその名を留める結果になったのだろう。つまり内容ではなく本そのものに価値がある作品なのだ、と読む前は思っており、さほど期待せずに読んだのだが、これが意外と、いや実に面白かったのである。

いやはや読み始めと読み終わりの抱く印象がこれほどガラリと変わる作品も珍しい。

まず開巻直後は若き医師ノートン・ペラムと教会の大執事の箱入り娘ダイアナ・コートライトの衝動的なまでの初恋と結婚までの道のりが描かれる。恋は盲目というが魂の結び付きと感じた2人は周囲の反対を押し切って結婚に向けて駆け抜けていく。ダイアナは準男爵のベンジャミン・パースハウス卿からプロポーズを受け、裕福な暮らしが約束されているにも関わらず、好きになったら止まらないとばかりにノートンと結ばれるのだ。

しかしそんな衝動的な結婚生活も長くは続かない。
安定を約束された生活よりも深い愛を選んだダイアナはしかし世間知らずのお嬢様で最初は自炊や洗濯をする生活に新鮮さを感じていたが、器用に思われた自分が意外と家事が苦手だと知るに至り、やがてノートンが将来資産家の伯父から受け取るであろう財産が毎日の質素な生活の中での光明となっていく。

しかしノートンは伯父の反対を押し切った結婚だった故に財産贈与を約束されなくなっていたことを妻に話せずにいた。その事実を自ら伯父を訪問することで知ったダイアナは嘘をついていた夫を深く憎悪するのだ。

愛情は深ければ深いほど、裏切りを感じた時に抱く憎悪はそれにも増して深くなっていくのだ。ダイアナはいつしかノートンに復讐心を抱くようになる。

そこから物語は急変する。
もはやぎくしゃくとした夫婦生活を送るダイアナとノートンの日々が描かれ、家庭に収まることを是としないようになったダイアナは女優を目指すようになるのだが、いきなり体調が悪くなっていく。そこからベンジャミン卿と結婚した姉マイラにも不慮の事故で子供が産めない身体になり、身体に障害を持ってしまう。

そしてダイアナは夫ノートンに毒を盛られていると姉夫婦に告げると、その予言どおりに亡くなってしまう。
そして彼女の死後1年半後、夫が妻殺しで逮捕され、友人たちがノートンの無実の証明のために事件の調査に乗り込む。
いわばミステリの根幹とも云える殺人事件が起きるのが約330ページ中200ページの辺りだ。

若き美しき男女の恋物語が一転してボタンの掛け違いでお互いを恨むようになった夫婦の憎悪の話、そして謎の妻の死とその罪を着せられる誠実な夫の無実を証明する話と、本書は紹介分にあるようにまさに万華鏡のような変幻自在な物語の展開を見せる。

そしてこのどうしようもなく上手く行かなくなった若夫婦の道程から妻の死に至るまでの物語と妻が死んでから死に立ち会った姉夫婦ベンジャミン・パースハウス卿の物語が、最後の最後で想像を超える真相へと繋がるのだ。

正直この真相には戦慄した。

冒頭にもこれほど印象が変わる話も珍しいと書いたが、それは物語の色合いのみならず、登場人物像もまたそうだ。

まずは何と云ってもダイアナだ。思慮浅く、人生経験も薄いと思われていた彼女だったが読み進むにつれて男女の愛に対する洞察の深さや心の移り変わりに思わずのめり込んでいくのには驚いた。

例えば当初家事もしたことのない世間知らずのお嬢様として、しかも夫ノートンが得るであろう伯父の多額の財産を生活の励みしていた、打算合っての愛ゆえに結婚した浅薄な女性と思われたが、伯父の反感を買って財産を相続できない夫の嘘を知ると、財産を得ることが適わないことを恨むのではなく、正直に事実を打ち明けない夫の態度に憎悪を抱くところに、ノートンとの恋愛が一時の烈情ではなく、貧しくも2人で生きていく覚悟あっての事だと気付かされて、見方が変わってしまった。

そして自らが信じた道を邁進する決意の強さこそが実は彼女の本性だと云えよう。
衝動的な結婚も自らの判断の正しさを信じたゆえの結果であり、また結婚後も優しいノートンを引っ張るが如く、生活の舵を取る。夫が渋るのであれば自らが伯父に逢いに行く行動力。しかしその行動力がまた自分が万能であることを過信させることにもなり、また復讐と云う負の方向へと突き進む原動力にもなってしまうのだが。

一方翻って世の女性たちは主人公ノートン・ペラムに対してどのような感情を抱くのだろうか?
誰もが振り返る美男子の医師とくれば玉の輿を狙う女性たちの垂涎の的だろう。
しかし一皮剥けば貧しい自分の境遇にコンプレックスを抱き、投資家で資産家の伯父の財産を当てにして自分の将来の安定を約束している、いわば他力本願の男。さらには伯父の同意が得られないことを知るといつまで経ってもその事実を妻に打ち明けず、妻の愛を逃したくないがためにずるずると先延ばしにしている男だ。さらには自分を慕う女性に自らの結婚の話をする無神経さも兼ね備えている。

私は正直顔がいいだけのダメ男だと何度もレッテルを貼ってしまった。
特に嘘をつかれながらもどうにかノートンと暮らし、貧しい生活の中に自分の張り合いを見つけようとする妻の行動力を制御しきれず、もはや妻は自分には目を向けておらず、愛情はとうに消えてしまったと愚痴をこぼす辺りでは、あまりの女心への無知ぶりに呆気に取られたものだ。妻に冤罪を着せられて刑務所暮らしをさせたくなるほど恨まれても仕方のない男だと思う。
つまり優しいだけの男なのだ。

そしてこの作品で最も好意を抱くのはノートンの婚約者として登場した彼の伯父の秘書を務めるネリー・ウォレンダーではないか。
ノートンを慕いながらも、もはや結婚目前まできながら、ノートンの口から他の女性との結婚を打ち明けられる。しかしそれでも気丈に振舞い、ノートンの幸せを祝福する懐の深さを見せ、更には自分との結婚が破棄になることで財産を渡さないと断じた彼の伯父の説得まで試みる女性なのだ。
社会的に自立し、物事をバランスよく見る人物なのだが、正直現代でもこんなにいい女性はいないだろう。
しかしこのような善人ほど辛い目に遭うのだ。ダイアナの死後1年半後にようやく心の傷が癒えたノートンと晴れて結ばれた結婚式の日に妻殺しの容疑で伴侶が逮捕されてしまうのだから。
う~ん、なんて意地が悪いのだ、フィルポッツは。

さてこの題名だが、実は我々団塊の世代の子供たちの世代では実は翻訳された“コマドリ”よりも英単語の“Cock Robin”の方に親しみがある。それはアニメ『パタリロ』の主題歌『クックロビン音頭』のフレーズ「だれが殺したクックロビン」で耳に焼き付いているからだ。
作者の魔夜峰央氏はミステリ好きとして有名だが、さすがに本作から取ったフレーズではなく、マザーグースの一節から取られており、この題名も同様なのだ。
しかしあまりに日本人にとってお馴染みなフレーズであるため、もしかしたらこの作品が語源では?と勘違いする読者もいるのかもしれないがウェブで調べると出典は萩尾望都の作品に由来するとのことだったのであしからず。

しかしたった330ページの分量ながら、男女の愛憎劇にとんでもないサプライズまで仕掛けられている本書が50年以上も絶版だったのは何とも不思議だ。
正直高を括っていたが、今でも本書に描かれる男女の機微、運命の皮肉、そして最後に感じられる女性の恐ろしさは現代でも十分読ませる内容だ。
今こうやって新訳で読める事の幸せを改めて嬉しく思う。この機会を逃すと次に手に入るのはまた50年後かもしれないので、ぜひとも多くの人に読まれ、版を重ねて絶版とならないようになることを強く祈るばかりだ。


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だれがコマドリを殺したのか? (創元推理文庫)
No.148:
(8pt)

ぐいぐい引っ張る設定が良かっただけに…

東野作品が次々とドラマ化、映画化されているのは昨今の流れだが、通常ならば文庫化になってから映像化されるのが常だったのに対し、本書は単行本刊行直後に連続ドラマ化されたのが驚きだった。
つまりはそれほどストーリーがドラマチックであることを示しているのだろうが、開巻してすぐにそれもなるほどと思った。

まず幼い3兄妹の親に内緒で流星群を見に行き、雨の中、寝てしまった幼き妹をおんぶして帰る兄が家で観た凄惨な両親惨殺の風景。警察の捜査が描かれ、迷宮入りのまま、数年が流れ、兄妹は成長し、なんと詐欺グループになってお金を騙し取っていた、という導入部としては実に申し分ないドラマの1話目だ。ドラマを観ていなくてもその映像が目に浮かぶようだ。

幼き頃に両親を殺され、児童養護施設に入れられた男2人女1人の三人兄妹たちが誓ったのは犯人を見つけた時に自らの手で殺すこと。
これだけならば凡百の復讐劇に過ぎないが、東野氏はそこに妹があろうことか復讐のターゲットの息子に惚れてしまうというアクセントを加える。

さらには事件が起きる前、主人公たちの両親が借金をしていた節があり、口座から200万が引き出されていたこと、そして妻の塔子が事件前日の昼間に図書館で目撃されていたこと、4年前に摘発された横浜のノミ屋の名簿に功一たちの父親の名があったこと、さらには実は有明家は入籍しておらず、両親は内縁の関係であったことなど色々と不可解な事を挟みつつ、小さな洋食屋を営んでいた気の良い夫婦の実像にミステリアスな風味を加えている。

またストーリーは単純ではあるが、プロットは実に用意周到だ。
特に唸らされたのは功一たちの生業が詐欺師であることだ。これが実に効果的に物語に働きかけている。即ち両親を殺した真犯人と思える戸神に近づいたのはそもそも偽の宝石を売り付けて1千万もの大金をせしめるためで、戸神政行を14年前の事件の犯人だと通報すれば自分たちの詐欺行為も捜査線上に上がってくる危険性が高い。従って主人公の3人は容易に警察に協力を求められないのだ。
この辺の必然性は実に上手い。

しかしこれほどまでに緊密なストーリー展開を見せながらも、唯一腑に落ちない点があった。それは功一たちの両親を殺害した犯人の捜査で近くのコンビニに訊き込みをするシーン。商売の邪魔だと疎ましく感じている店長に当日の防犯カメラのテープを借りることを全く申し出ないのだ。
その後も泰輔の目撃証言で作成した似顔絵を持って聞き込みをするものの、一切防犯カメラには触れない。これは明らかにおかしい。

『使命と魂のリミット』でも病院の受付用紙の中に犯人のメッセージが潜り込んでいたシーンでも当然大病院にあるであろう防犯カメラについては一切触れなかった。防犯カメラは東野ミステリ世界では存在しないかのようだ。一工夫理由を考えればクリアできると思うのだが、どうしてだろうか?

物語の約1/3の辺り、泰輔が幼き頃に見た犯人を戸神政行だと視認した後の物語の疾走感は半端ではなかった。
積年の恨みを晴らすために3人兄弟のブレイン功一が策を練り、カメレオン俳優の泰輔と静奈がそれを演じ、接近していくがなかなか上手く進まない展開に忸怩たる思いを抱きながらも、先の読めない展開にハラハラし通しだった。詰将棋のように戸神を犯人に仕立てるために仕掛けを施していく3人兄弟のマジックが、静奈の魅力に盲目的になったと思われた戸神行成が突然静奈に詰問する側に転じる521ページ辺りからはまさに怒涛の展開だ。
そして戸神行成が功一たちの味方になると、読者はまさに東野氏の掌の上で踊らされるだけになってしまう。

それだけに事件の真相が悔やまれる。

しかし本書はかつて功一らの両親を殺害した犯人を突き止める事が主題ではない。
また有明3兄妹がいかにして犯人を逮捕させるかを綴ったものでもない。

本書は異父兄妹の絆の強さを描いた物語なのだ。
血の繋がっていない妹を2人の兄がいかに大切に育ててきたかを知る、絆の物語なのだ。だからこそ本書の結末は東野作品には珍しく悲劇的ではなく、ハッピーエンドになっているのだ。

人に騙して辛酸を舐めてきた兄妹が、人を騙す側に回って大金を得るようになったが、心底善人である戸神行成という男1人のためにそれらが瓦解してしまった。
しかしそれは間違いなくいい意味での瓦解だ。

罪を償い、まっさらな心と体になった有明3兄妹に本当の幸せが訪れるのはこれからだ。

こんなに爽快な読後感だからこそ、事件の真相と真犯人の始末の仕方が安易だったことが悔やまれてならない。
このあともう一歩感が私をしてこの渇きを癒すために次の東野作品へと駆り立てられるのである。全く困ったものだ。


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流星の絆 (講談社文庫)
東野圭吾流星の絆 についてのレビュー
No.147:
(8pt)

古き良き、むくつけき酒飲みたちの物語

前作『八百万の死にざま』でとうとう自身が重度のアルコール中毒であることを認めたスカダー。彼のその後が非常に気になって仕方のない読者の前に発表された本書はなんと時間を遡った数年前にスカダーが遭遇した事件の話だ。

今回はモグリの酒場モリシーの店に強盗が入った際、偶々スカダーが一緒に飲んでいた連中に纏わる依頼事を受ける、モジュラー型の探偵小説になっているのが今までのシリーズとは違う所だ。
スカダーが受ける依頼は3つ。

1つはモリシーの店の経営者ティム・パットからスカダーも居合わせた強盗事件の犯人の捜索。

2つ目はミス・キティの店の経営者の1人スキップ・ディヴォーから店の裏帳簿を盗んだ犯人の捜索。

3つ目はアームストロングの店の常連トミー・ティラリーの妻が殺された事件で容疑者として捕まった二人組が窃盗だけでなく妻殺しも犯した証拠もしくは証言を見つける事。

そのうち物語の中心となるのは2つ目の捜索。裏帳簿を片に大金をせしめようとする犯人との交渉はなかなか緊張感に満ちてサスペンスフル。しかし相手が完全なる悪ではなく、帳簿のコピーを取らないなど、脅迫犯にしてはクリーンなところがいささか物足りないが。

そしてこのようなモジュラー型ミステリの例に漏れず、3つの事件は意外な繋がりを見せる。

これは古き良きむくつけき酒飲みたちの物語。酒飲みたちは酒を飲んでいる間、詩人になり、語り合う。だから彼らは酒場を去り難く思い、いつまでも盃を重ねるのだ。
そんな本書にこの邦題はぴったりだ。まさにこれしか、ない。

しかしそんな夜に紡がれる友情は実に陳腐な張り子の物であったことが白日の下に曝される。もう彼らが笑いあって盃を酌み交わす美しい夜は訪れないのだ。

本書の原題は“When The Sacred Ginmill Closes”、『聖なる酒場が閉まる時』。
先にも書いたようにこれは遡る事1975年の頃の話である。つまりかつてはマットが通っていた酒場への鎮魂歌の物語だ。
この題名は冒頭に引用されたデイヴ・ヴァン・ロンクの歌詞の一節に由来しているが、その詩が語るように酔いどれたちが名残惜しむ酒場への愛着と哀惜、そして酒を酌み交わすことで生まれる友情を謳っているかのような物語だ。

そしてこのヴァン・ロンクは実在したアーティストで、題名の元となった歌「ラスト・コール」の詩が引用されているが、この詩が実にマット・スカダーの生き様を謳ったかのような内容で実に心に染み入る。

ところで書中、スカダーの探偵術について独りごちるシーンがある。彼は仕事を請け負いながらもどうやって犯人を推理し、謎を解くのかは解らないのだという。ただ街を歩き、人に逢い、そして何度も同じ場所を赴くだけだ。
警官時代、彼は暗中模索の中、いきなり有力な証拠が挙がって事件が解決に向かうパターンと犯人が最初から解っていて、それを証明するための証拠を見つけるだけのパターンがあった。しかしその過程は今でもどういう風にそこに至ったかは不明で、手持ちのカードを見つめ続けただけだった。それはジグソーパズルのように、当てはまらなかったピースが、ある時角度を変えた時にいきなり当てはまるような感覚に似ているのだという。つまり答えは常に目の前にあるのだというのだった。

短編「バッグレディの死」でもそうだったが、マットは確かに何か確証を持って捜査をするのではなく、とりあえず得た情報をきっかけに人に逢い、現場に向かうだけだ。
しかしそれを何度も繰り返すだけなのに、それが街の噂に上り、犯人が不安になって自ら馬脚を露すという不思議な味わいの作品だった。彼は自分が動くことで何かが変わることを知っているし、迷った時は発端に戻るという警官の捜査の鉄則に基づいて動いていることが解る部分だった。ちなみに件のバッグレディことメアリー・アリス・レッドフィールドも本書には顔を出す。

そして最後の1つの事件。トミー・ティラリーの妻殺しの真相もマットによって実に辛い結末を迎える。

マットは常に人殺しを許さない。それは自分が任務中の誤殺とはいえ、少女殺しであるからだ。彼は贖罪の為に警察を辞め、報酬を貰い、彼に助けを求める人たちへ便宜を図る。そんな暮らしを自分に強いているがために、人を殺してまっとうな社会に生きようとする人が許せないのだろう。
知らなくてもいい真実を敢えて晒すことで何か大事な物が壊れようともそれがマットの流儀ならば、彼は愚直なまでにそれに従うのだ。

物語のエピローグでは彼らの現在が語られる。彼が過去を振り返る現在ではあの頃飲み仲間だった連中は街を離れ、ある者は死に、ある者は別の地で新たな生業に就き、またある者は行方知れずとなっている。そして彼の街も様相を変え、今でも続く店もあるが、既に無くなった店の方が多い。なんとマット行きつけのアームストロングの店さえも、もうすでに無くなっている有様となっている。

シリーズがこの後も続いていることを知っている今ではこれがいわゆるマット・スカダーシリーズ前期を締めくくる一作である位置づけは解るが、訳者あとがきにも書かれているように、当時としては恐らく本書はローレンス・ブロックがシリーズを終わらせるために書かれた、酔いどれ探偵マット・スカダーへの餞の物語だったのだろう。
それくらい本書の結末は喪失感に満ちている。

しかしここからこのシリーズの真骨頂とも云うべき物語が紡がれるのだから、本当にブロックの才には畏れ入る。
まずは静かにアル中探偵マット・スカダーのアルコールへの訣別となるこの物語の余韻に浸ることにしよう。


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聖なる酒場の挽歌 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)
ローレンス・ブロック聖なる酒場の挽歌 についてのレビュー
No.146: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

現代ミステリ旗手の片鱗

2001年に角川スニーカー文庫で発刊され、現在では角川文庫で刊行されて今なお版を重ねている米澤穂信氏のデビュー作はその人気ぶりが頷けるほど読みやすく、またキャラが立っており、しかもミステリ興趣に満ちている。

主人公の折木奉太郎はやらなくていいことはやらない、やらなければいけないことは極力手短にがモットーの省エネ人間、つまり事なかれ主義者なのだが、海外を放浪する合気道と逮捕術を会得したスーパー女子大生の姉供恵の命により廃部寸前の古典部に入部する。

部員の千反田えるは神山の四名家の1つである千反田家の出で、お嬢様ながら好奇心旺盛。友人の福部里志は減らず口の似非粋人でいつも笑みを浮かべている。幼い顔と低めの背丈で男子の耳目を集める伊原摩耶花は七色の毒舌を誇る女子、と古典部の部員は実に個性豊かだ。

しかしそれだけならば単なる読んで楽しい学園生活を追体験できるラノベに過ぎないのだが、本書の素晴らしい所は本格ミステリとして非常にレベルが高く、そしていわば理想の本格ミステリとなっていることだ。

ジャンルとしては北村薫氏に代表される「日常の謎」系だ。物語のメインの謎は33年前に神山高校の古典部のOBだった千反田えるの伯父、関谷純に幼き頃千反田が尋ね、大泣きしてしまった古典部に纏わる話の謎だ。この謎を主軸に物語には様々な小さな謎が散りばめられている。

入部初日になぜ千反田えるは鍵を掛けられて部室に閉じ込められたのか?毎週金曜日に昼休みに借りて放課後の返される本の目的は?

神山高校の文化祭はなぜカンヤ祭と呼ばれているのか?

以前は古典部の部室であったが、今は壁新聞部の部室となっている生物講義室で部長の遠垣内はなぜ折木たちを歓迎しないのか?

たった210ページ前後の分量しかないのに、ほとんど全ての内容が謎に絡んでくる、実に濃厚な本格ミステリである。これが理想の本格ミステリだと前述した理由でもある。

デビュー作にしてミステリとしても実に高度なレベルに達した作品を放った米澤穂信氏が今なぜこれほどまでに評判が高いのかがこの1作で理解できる。

また技術だけでなく、物語としても心に響くものがある。特に物語最後に判明する本書の題名でもあり、古典部の文集の名前でもある『氷菓』に託した千反田えるの伯父で33年前に退学を余儀なくされた古典部OB、関谷純の思いは何とも云えないほど切ない響きを湛えていた。

幼き頃に関谷純にある質問をして号泣した千反田えるが長く抱えていた謎に十分応えるだけの重みがある。

さて本書ではまだまだ語られるべきエピソードが残っている。千反田家を除く神山の地の四名家、荒楠神社の十文字家、書肆百日紅家、山持ちの万人橋家とそれに続く地位を持つ病院長入須家はまだ名のみが出たばかりだし、さりげなく学校史『神山高校五十年の歩み』の1972年の出来事に書かれた古典部顧問の大出先生と同姓の人物の死などなど。
これらはおいおいシリーズの中で触れられていくことだろう。

とにかく何事もなく日常を過ごすことを至上としている省エネ高校生、主人公折木奉太郎が古典部の面々と彼らが持ってくる謎に関わることで彼の中で変化が起きてくる。何かに一生懸命になってエネルギーを費やすことに理解が出来なかった彼が千反田の旺盛な好奇心によって否応なく関わりを持たされることで彼もそんな仲間に加わりたくなる。
これは折木奉太郎が変わるための物語でもあるのだろう。

さてこれから古典部の面々がどんな事件に遭遇し、解決していくのか、最初からこのクオリティだと期待しないでおくなんて絶対できないではないか。


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氷菓 (角川スニーカー文庫)
米澤穂信氷菓 についてのレビュー
No.145:
(8pt)

冷戦に対するある種の解答

本書はアメリカとソ連、すなわちCIAとKGBの永い冷戦の歴史を数奇な運命を辿ったアメリカとソ連に別れて育てられた2人の異父兄弟の生き様に擬えて語った一大叙事詩だ。いやもっと端的に云うならば米ソ二大国を巻き込んだ壮大な兄弟ゲンカとなるだろう。

しかし戦争や民族抗争が生む業というのはどうしてこうも深いのだろう。ただユダヤ人に生まれたというだけで狂った政府は粛清を行う。有名なのはナチス・ドイツだが、本書ではスターリン政権下のソ連が舞台で狂えるスターリンもまたユダヤ人が自身の命を狙っているとしてユダヤ人を次々と処刑していった。

そんなユダヤ人の中に詩人トーニャ・ゴルドン=ヴォルフがいた。そして一方ソ連のKGBにはボリス・モロゾフと云う常に哀しみを讃えた眼差しを持つ男がいた。その2人が出逢ったが故に、この数奇な運命を辿る兄弟の物語は始まる。

アレクサンドル・ゴルドンとジミトリー・モロゾフ。2人の兄弟の生い立ちはアメリカとソ連が辿った冷戦の歴史そのままだ。アメリカに渡って伯母の許で育てられ、西洋の文化に触れ、アメリカ側からソ連の有様を知るアレクサンドル。

一方ソ連に留まり、孤児院で荒んだ生活を送りながらKGBに所属するジミトリー。父親の死を知らされることでユダヤ人を憎むようになる彼は深く深く憎悪の闇へと堕ちるような人生を送る。

この対照的な二人の生き様はまさに陰と陽。それはそのままアメリカとソ連の辿る歴史の行き様でもある。

我々はアレックスとジミトリーの生涯を通してアメリカとソ連、そして1960年代から90年代にかけての世界情勢の暗部を知ることになる。
スターリンのヒットラー信望から端を発するソ連国内での大量ユダヤ人虐殺、いつ失脚し、粛清を受けるか解らない極限の緊張下に置かれたソ連政府の高官や軍人たちは秘密裏に西側諸国へ亡命を企て、ソ連政府は情報漏洩を阻止すべくKGBの工作員たちを派遣し、次々と粛清していく。

物語のキーを握るCIA工作員フランコ・グリマルディのソ連での潜入任務を通じて、日々の生活でさえ、絶えず周囲の監視の目を意識して送らねばならない雰囲気は途轍もない重圧を行間から感じる。

そして運命の2人が邂逅した時こそ彼らの人生を流転させる瞬間でもあった。最初は長年適わなかった再会を喜び、それぞれがそれまで辿った道のりを語り、空白を埋めていこうとするのだが、それぞれが育った文化の違いゆえにやがてそれは衝突を迎える。
母を尊敬する兄アレックスに対し、KGB工作員となった弟ジミトリーはKGB将校だった父親が処刑される原因をユダヤ人の母であるとし、憎悪している。そしてお互いの国の政治やシステムについて語るにつれ、その溝は深まっていく。そして決定的なのは2人が同じ女性を愛してしまったことだ。

諜報活動の駒として捕まえたロマノフ家の末裔タチアナにいつの間にかその姿態に絡め取られ、KGBの権力で征服を強調するジミトリーに対し、学問のみならず芸術にも造詣が深く、人間的な魅力でお互いに惹かれ合うアレックス。アメリカとソ連でそれぞれ育った兄弟の戦いはタチアナと云う1人の女性を巡る愛もしくは欲望から始まる。

アレックスは彼女を弟から奪い、それを知ったジミトリーは自身の手でタチアナを暗殺する。しかもそれはフランコ・グリマルディがアレックスをCIAに引き込むためにわざとリークした情報だった。

このタチアナの死こそが2人の永い戦いの始まりのトリガーとなる。この1人の女性を巡る兄弟の復讐と殺戮の連鎖はCIAとKGBという2大スパイ勢力の戦いにまで発展する。

こんな業深き2人の兄弟の生い立ちに深く関係するジミトリーの父親ボリス・モロゾフとはどのような人物だったのか。

ボリス・モロゾフの業は亡き妻の叔父を処刑したことから始まる。ソ連の敵対国であったポーランドは妻の生まれ故郷であり、しかもポーランド軍に彼女の叔父がいたのだった。そしてソ連軍によって捕虜となったポーランド兵を次々と処刑する任務に就いていたボリスの許に捕まった叔父がいたのだ。彼はモロゾフの名を連呼したことが功を奏してモロゾフと処刑寸前に逢う事が適うが、ソ連において上を目指すモロゾフは彼の存在を出世の足枷とみなし、その場で射殺してしまう。

そんな非道な行為の報いか、彼は愛する妻と娘2人を進攻したドイツ軍によって連れられ、処刑されてしまうのだ。傷心の彼の前に現れたのが亡き妻の面影を持つユダヤ人女性トーニャ。その出逢いがまた彼を狂気に駆り立てる。

彼女の夫であるユダヤ人男性を、証拠を捏造して反政府分子の1人に仕立て上げ、無理矢理逮捕して強奪したKGB捜査官ボリス・モロゾフもまたソ連という絶対秘密主義社会の歯車であることを利用して得られた権力を利己的に揮うがゆえに、雁字搦めに追いやられ、次第に破滅の道を辿っていく。

欲望、烈情、支配欲、出世欲、権力。これらのうち誰しもが1つは駆られる感情だ。
但しある特殊な環境で育った兄弟2人にとってはその出自自体が政治的醜聞の要素を色濃く湛えているがために、周囲から苛められ、また疎外される環境に否応なく追いやられてしまった。生まれた時からマイナスの状況であった2人にとって周囲を見返すために成り上がることは必然的な感情の発露だった。
ただアメリカとソ連、それぞれ共産主義と民主主義を看板に掲げる国にそれぞれ育った2人はおいそれとその道程も変わってくる。先にも書いたがまさに陰と陽、カードの表と裏といった環境で育った兄弟にとって陰であり裏であった弟は陽であり表であった兄を当然の如く忌み嫌うようになる。

この兄弟が殺戮の狂宴を国家権力を用いて繰り広げる絶望的な展開のなか、どう転んでも悲劇的な結末でしかあり得ないだろうと思われた読者の予想をバー=ゾウハーは軽々と覆してくれた。

いやはや何と云う物語を紡いだものだ、バー=ゾウハーは!まさに世界の表と裏を知り尽くした彼しか書き得ない叙事詩だ。

例えばジミトリーの生い立ちを通じて仔細に語られるKGB訓練学校の場面などはどうやってここまで書けるのか。
海外で潜入工作員として暮らしていくために行われる語学、文化、習慣についての授業に加え、尾行術、戦闘術に武器の使い方、そして暗殺の方法などについて教えられる場面が詳らかに描写される。作者の取材の賜物か、もしくは想像の産物なのかは解らないが、驚愕を覚えずにいられない。

本書は2人の兄弟の生き様を通じて描かれた米ソの冷戦の遍歴であると同時に世界を緊張下に長らく至らしめたあの冷戦とは一体何だったのかという命題に対し、作者なりに総括するために書かれた作品でもあるのだろう。

最近は寡作であるバー=ゾウハーはこの後に書かれた作品は『ベルリン・コンスピラシー』の1作のみで、しかも15年も経った2010年になっての作品だ。
巷間から忘れ去られるには非常に勿体のない作家だけに、これほど新作を期待する作家もないのではないか。
世界は彼の新作を待っているはずだ。


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影の兄弟〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)
マイケル・バー=ゾウハー影の兄弟 についてのレビュー
No.144: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

誠意こそ心のしこりへの特効薬

前作『赤い指』が作者自身60作目の作品で、これだけ数々の作品を著した東野圭吾氏だが、意外にも医療ミステリというのは本書が初めて。
大学病院を舞台に脅迫犯による大動脈瘤切除手術の妨害工作と医師たちの必死の救命劇、そして刑事と犯人との息詰まる攻防を描いたサスペンス作品となっている。

刑事と医師と脅迫犯の三つ巴の攻防を描いた本書はミスによる死が生んだ奇妙な復讐劇である。

万引きをしたところを警察に見つかった少年は追いかけられたパトカーから逃げようとして交通事故に遭い、亡くなった。

大動脈瘤を患った父親は簡単な手術だと聞かされ、名医と云われている執刀医を迎えたが、手術に失敗して亡くなってしまった。

仕事中に瀕死の重傷を負った彼女は搬送中の救急車が欠陥車による渋滞で病院に運ばれるのが遅れ、治療が間に合わず、亡くなった。

それらは間接的に命を奪う行為であり、その過程に問題はなかったか、なぜそんなことが起きたのかという原因などが焦点になる。しかし命を奪われた被害者に関わる人々は亡くなった人を思い、問題が解決されても心にしこりを残し、一生消えない傷を負う。

加害者側は論理的に問題を分析し、正当性を見出そうとするが、人を亡くした人には論理よりも感情が先に立つ。そこがこういった外的要因による人の死の加害者と被害者に横たわる深い溝なのだろう。

そしてそれら情念の炎が消えないままで、自分の大切な人の命を間接的に奪った人が目の前に、手の届くところに現れたら、その人はどうするだろうか?

息子の命を喪うことになった事故の当事者が目の前に患者として、現れる。

重傷を負った彼女が病院に搬送するのが遅れた原因を作った欠陥車を作った会社の社長が手術を受けようとしている。

そんな時、その人はどうするだろうか?

本書はそんな心のしこりを抱えた人々が奇妙な縁で絡み合う物語だ。

その心のしこりを霧消させるのもまた人の誠意ある言動だろう。物語の最後で判明する西園医師による氷室健介の執刀ミスの真相は、手術前に西園から氷室に息子の件の事を告げ、お互い話し合うことで心のしこりを溶かした。

翻って直井穣治によるアリマ自動車社長島原総一郎への復讐は島原が到底実現できそうにないノルマを従業員に課して品質管理を省略化させ、商品の安全を不十分な状態にしたまま市場に流通したがために再燃した。つまり誠意のない言動を取ったがための事件だった。

『殺人の門』、『さまよう刃』、『容疑者xの献身』と東野圭吾氏はやむにやまれず殺人を犯さずにいられなかった人々の姿を描く。そのいずれも大事な物を奪われた者に対する復讐だったり、自らの安心を得るために思わず犯してしまった殺人だったりと、よんどころない事情で犯さざるを得なかった犯罪だ。
そのため、その物語を読む読者は犯罪者側が捕まらずに本願成就することを望むかのように応援するような心理に陥ってしまう。

本書の直井穣治もそんな復讐者の一人だ。

但し一方で復讐が成就されることを望みながら、彼の行う犯罪で犠牲になろうとする患者がいることで読者に迷いを生じさせる。つまり犯罪はどんな動機であれ、許されるべきではないことをきちんと東野氏は描く。この辺の微妙な匙加減が非常に上手い。

ところで本書ではいくつか疑問点がある。
まずは脅迫者直井穣治が病院に2度目の脅迫状を受付の診療申込書に紛れて来客に見つけさせるシーンだが、なぜ警察は監視カメラをチェックしないだろうか?監視カメラがないわけではなく、実際に脅迫犯が小火騒ぎを起こした時は監視カメラを増やして強化するという記述があるくらいだ。しかも小火騒ぎの時でさえ、監視カメラを見ようとしない。これは警察の捜査としては明らかに手抜かりだろう。

次の疑問点はネタバレになるのでそちらに書く。

とまあ、少々の疑問は残るものの、しかし東野圭吾氏の作劇術には頭が下がる。
動脈瘤手術で命を喪った氷室夕紀の父親健介。その医者は自分の母親となぜか親しげだった。そんな疑惑から当時の執刀医である西園を疑い、自ら医師となって西園医師の執刀がミスではなかったのかを調べるのが夕紀の目的だった。

そして脅迫騒ぎが起きて捜査に携わることになった七尾という刑事は健介が刑事だった頃の部下でもあった男で、夕紀は初めて父親が警察を辞めるきっかけとなった事件を聞かされる。それは万引きをした少年たちがバイクで逃げた際にパトカーで追いかけ、バイクの少年が交通事故に遭って亡くなったというものだった。

そしてさらに西園には昔亡くなった息子がおり、その息子が実はバイクで逃走中にパトカーで追いかけられている最中に亡くなってしまったという事実。

つまりここで西園が息子の敵とばかりに健介を故意のミスで死なせたのではないかという疑惑が沸々と起こってくる。このあたりの物語の展開が非常に上手く、特に西園の息子が亡くなったエピソードを読んだところで思わずアッと声に出してしまった。

果たして医師は故意に父親を殺したのかという疑惑が夕紀の中でさらに強まってくるが、その答えをクライマックスの手術シーンに持ってくるあたりが実に上手いのだ。
いくら口で云っても理解されないことはある。ましてや心に残るしこりというのは頭で解っても心の底から納得できないことが多い。
心に残るしこりは行動で態度で示し、目の当たりにするのが一番の回答になる。百の説得よりも一の行動こそが真の和解を生む。

だからこそ本書では普段我々が意識する事のない「使命」という言葉が頻繁に出てくる。
人は何かの使命を持って生まれ、それを信じて全うする事こそが人生なのだと夕紀の父健介は娘や部下に説き、また夕紀の上司西園も医師と云う職業に患者の命を救う使命という旗印の下で懸命に全力を尽くす。
私達の日常で使命と云う二文字を頭に描くことがあるだろうか?しかし目的や目標を持ってそこに向かう人こそ、強く、また人から尊敬されるのだ。

私はどんな使命を持って日々生きているのか。改めてこの重い二文字に考えさせられてしまった。


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使命と魂のリミット (角川文庫)
東野圭吾使命と魂のリミット についてのレビュー
No.143:
(8pt)
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先見性に優れたからこその見誤ることの哀しさ

1997年の香港返還に向けて日本、中国、アメリカの策謀ゲームについて新人離れした筆致で颯爽とデビューした服部真澄氏が次作の題材として選んだのは複雑怪奇な特許の世界だ。

特に秘密主義であるアメリカの特許の世界に微に入り細を穿った綿密な内容で特許に群がる人々の策略を描いていく。

読中、この物語はどこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのだろうかと、戦慄を覚えた。

正直『龍の契り』は力作とは感じながらも1997年の香港返還に纏わる密約とそれに関する陰謀というスケールの大きなテーマが話題となって先行したせいか、緻密な取材に裏付けられた膨大な情報には感心させられたものの、それらを上手く消化できずにどこか実の無さを感じたが、2作目の本書では当時の特許に纏わる各国の暗躍ぶりと各組織の情報が、前作以上の量でありながらもごく整然と整理され物語に溶け込み、実に理解しやすくなっている。その筆致はどこか海外の謀略小説家のそれを髣髴させ、落ち着きや余裕さえ感じされられる。
2作目でこれほどまでに成熟するとはこの作者の技巧に素直に驚かされた。

特徴的なのは実在する企業や商品の固有名詞を多用しており、それがこの作品で描かれるフィクションとの境目を曖昧にし、どこまでが実話でどこからが作り話なのかが解らなくなっていくところだ。つまり実にリアルなのである。
そのリアルさゆえにアメリカの最先端技術の独占しようとする秘密主義的な特許システムの特異さが異常に際立って読者の頭に刻み込まれていく。この技法が私をして先述の想いを抱かせたのである。

物語はある「石」に関するアメリカの秘密特許を軸に実に多彩な組織や人物が関わる形で繰り広げられる。

まず主人公であるコンピュータ・セキュリティのエキスパート、笹生勁史は図らずも通商産業省の機械情報産業局局員、鍛代温子の依頼でアメリカの特許王エリス・クレイソンが所有する日本の企業を食い物にしている『サブマリン特許』を無効にすべくその素性を洗うことで関わっていく。

その特許王エリス・クレイソンは渦中の特許を所有する謎めいた人物である。

かつて笹生によって逮捕された伝説のハッカー、ケビン・マクガイアは出所後、マフィア上がりの実業家ロッコ・オラルフォに飼われる形で彼が不法にアメリカの特許商標庁から手に入れた件の特許をシュレッダーから再生することで核心に迫っていく。

ケビンを利用してアメリカの秘密特許を手に入れ、ひと儲けを企むロッコ・オラルフォはやがてその中にあった人工ダイヤモンドに関する特許を、アメリカを代表する巨大複合企業体ユナイテッド・エレクトリック(UE)の会長兼CEOのジョン・エイカーズに売ると共に以降も秘密特許を手に入れるビジネス・パートナーとなる。

ジョン・エイカーズは世界のダイヤモンド市場を牛耳るダイヤモンド・コンソリデーテッド(DC)の総帥トマス・リッポルト卿と組み、数兆ドル規模の利益を得ようと画策する。

そして世界に公表されない数々の秘密特許を所有するアメリカでもエリス・クレイトンを巡ってCIAと国防省がしのぎを削り合う。

とこのように非常に複雑な構図と関係性でそれぞれが有機的に結び合い、謎の特許王エリス・クレイトンと巨万の富をもたらす一大ビジネスの種となるある「石」に関する特許を巡ってパワーゲームが繰り広げられる。

しかし哀しいかな、本書のような国際謀略小説、特に最先端技術を扱った謀略小説では作者の先見性が問われる物となるが、その予測を見誤ると今回のように刊行から十数年経って読むようになると、現在との乖離に苦笑いをしてしまうしかなくなってくる(なんせウィンドウズ95の頃の時代だ!)。

しかしそれは単なる瑕疵に過ぎないだけの読み応えと一級のプロットがこの作品には内包されている。まさに世界に比肩する国際謀略小説がここに誕生したのだ。
デビュー2作目でこのクオリティと、色々な組織や産業スパイなどの手駒を交えながらもきちんと整理された情報の数々の手際の良さに読みにくいと感じる読者は皆無に等しいだろう。
私は読み終わった時にまた一つ新たな知見を拡げてくれる作品こそが読書の醍醐味であると思っているが、本書はまさにその願望を叶えてくれる一冊であった。


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鷲の驕り (ノン・ポシェット)
服部真澄鷲の驕り についてのレビュー
No.142:
(8pt)

「鮫島」という22年物の美酒に酔う

新宿鮫シリーズ初の短編集で10編の作品が収録されている。中には某有名漫画作品とのコラボ作品もあり、実にヴァラエティに富んでいる。

「区立花園公園」は鮫島が新宿署防犯課に赴任して間もない頃の話。
若き日の鮫島と上司桃井のある事件のエピソードのお話。まだ第1作目の改造拳銃の事件が起こる前の頃で、鮫島が桃井に対してある種の諦観を持っているのが解る。
しかしやはり桃井は桃井。腐っても素晴らしい上司。部下の知らぬところで壁になり、そんな素振りを見せないところが何ともかっこいいではないか。

「夜風」もまたやくざと癒着したある悪徳警官とのお話。

漫画「エンジェル・ハート」とのコラボ作品である「似た者どうし」は晶の一人称で語られる。
鮫島が槇村香の兄と同じ署だったという設定には正直驚き。「シティ・ハンター」で亡くなった香の兄は確かに刑事だったが新宿署だったんだっけ?もしそうだとしたらこれまた驚きだ。
冴羽䝤とも知り合いというのはちょっとサービスしすぎでは?本書での冴羽はどうも違和感を覚えてならない。まあ、尤も私の知っている冴羽䝤は『シティ・ハンター』のそれなのだが。

「亡霊」もまた鮫島が街で出くわしたやくざから事件が始まる。
シノギを払えないやくざと武闘派で鳴らしたチンピラの末路が家族に衝撃をもたらす。新宿という魔都はその血縁でさえ呑み込もうとするのか。

収録作品中たった16ページと最も短いながらも強烈な印象を残すのが「雷鳴」。
あるバーテンダーの昔話と云った趣で語られる一夜の物語。東京から逃げるように西に逃れた下っ端のチンピラが鉄砲玉を命じられるがしくじり、生まれ故郷の新宿に戻ってくる。組は男を迎えに行く待ち合わせ場所に指定したのが語り手がバーテンダーを務めるバーだった。
たった3人で繰り広げられる物語は、最後にあるサプライズがあり、しかも最後の一行が鮫島と云う男の深みを際立たせている。本書におけるベストの1編。

「幼な馴染み」これまたマンガとのコラボ企画物で、その漫画はギネス記録を更新した通称『こち亀』こと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』だ。
「似た者どうし」では鮫島が香の兄と知り合いだったという設定だったが、まさか両津と藪が幼馴染みだったという予想外の展開を見せる。大沢在昌氏も思い切ったことをやるものである。
「エンジェル・ハート」とのコラボ作品ではキャラクターに違和感があったが、本書に登場する両津はあまり違和感はないものの、逆に両津の前で萎縮する藪がキャラクターが変わってしまっているのに苦笑。
本当にこの設定は今後の新宿鮫シリーズに生きていくのだろうか?まあ、両津が再登場することはないだろうが。

「再会」は鮫島が高校の同窓会が出席した時の話だ。
鮫島の高校時代の肖像が垣間見える貴重な一編。キャリアでありながら警部止まりの鮫島と外資系のファンド会社のCEOを務める同窓生。その差は来ている服や行く店からも差が明らかながら、一方は警察という機構にまだ希望を抱き、信念を持つ男とお飾りで会長職に就き、その虚ろな生活ゆえに麻薬に手を出してしまった男。
どちらが幸せなのかはその人が持つ価値観で変わるのだろうが、とにかく鮫島のかっこよさが際立つ作品だ。

「水仙」は鮫島と中国人女性とのあるお話。
モデルのような中国人女性からメールで中国人の犯罪現場のタレコミを貰い、食事の誘いを受ける鮫島に対し、読者の多くは晶に対する裏切りではないかと勘繰る者もいるだろうが、鮫島はそんな安っぽい男ではない。

「五十階で待つ」はちょっと毛色の変わった作品だ。
いわゆる都市伝説ものの一編で異色作。闇社会の頂点に立つボスがおり、ある日突然後継者として選ばれた男はあるテストに合格しないと後継者になれないという噂のとおり、主人公にお呼びがかかるというお話。
「世にも奇妙な物語」にも出てきそうな物語だ。しかし最後に主人公に真相を告げるのは別に鮫島ではなくともよかったのでは。

最後は『狼花』で亡くなった間野総治の墓参りでの出来事を綴った「霊園の男」。
警察と云う組織を内側から希望を失わずに変えようと苦闘する鮫島と、警察に絶望し、犯罪者と共謀して外側から警察組織を変えようとする間野は表裏一体のような存在であり、鮫島は間野の事を敵ながら憎むことはできなかった。


全10編。「鮫島の貌」とはよく云った物だ。
ここにはそれぞれの時代の、また関係者からの視点での、本編では描かれなかった鮫島の肖像がある。

新人時代の、鮫島が“爆弾”を抱えて新宿署へ飛ばされてきて間もなく、ものすごい勢いで検挙率を挙げて警察内外から疎まれている意気盛んな鮫島が居れば、同窓会でかつての恩師の盃に酌をする鮫島もいる。はたまた漫画のキャラクターと知り合いだった鮫島もいて、実にヴァラエティに富んでいる。

特に他者から見た鮫島の印象が興味深い。どのグループにも属さず、どこか超然として物事を見ている男。鮫島の内面が書かれないだけに彼の精神性はそれら他者の目から見た内容でしか推し量れないが、欲よりも信念を、愛よりも信義を重んじる昔の男といった趣がある。
特に「再会」では鮫島の父親の職業が新聞記者だったことが明かされ、その生き様が今の鮫島の行動原理となっていることが暗に仄めかされている。10作のシリーズを全て読みながらも改めて鮫島と云う人間を再認識した次第だ。

また鮫島を取り巻くサブキャラクターの意外な一面も見られるのが本書の特徴でもある。
また恐らくはファンサービスに過ぎないのだろうが、鮫島の数少ない理解者である鑑識の藪が『こち亀』の両津と幼馴染だったという驚愕の事実が知らされる。この辺りは苦笑するしかないのだが、本編ではほとんど語られることのなかった藪の素性が色々語られて興味深い。

またシリーズの持ち味である、警察が関わる世界の専門的な話も盛り込まれている。

今回はやくざが登場する話が多いせいか、極道の世界に関する豆知識が多かった。例えば任侠映画で見られるような女に不自由しないようなやくざはほとんどいないこと。その仕事の性質上、女性も寄り付かなく、しかもシノギが稼げなければソープに売られるなどとなれば、よほどの恋仲でなければ結婚までしようとしないそうだ。

また暴力団による“バラす”、つまり殺しは組員同士はあっても一般人にはよほどのことがない限り、命を落とさないまでの脅しで済まされることも意外だった。
確かに民事不介入という警察が殺人まで発展すれば刑事事件となり、介入せざるを得なくもなるから当然と云えば当然。
それでも下っ端の構成員が始末されるのは身内からの失踪届が出ない限り捜索されないからだという。本書では暴力団によるこれら組員の殺しを「表に出ない殺し」、警察が介入する一般人の殺害を「表の殺し」と表現されている。

またよく映画やドラマで見られる、マル暴担当の警察にやくざ連中が挨拶する慣例は実際にあるらしい。てっきり警察へのやくざなりの礼儀作法だと思ったが、あれは周囲のやくざに警察が来たことを知らせるための合図だったとは。

このように常識的に考えればなるほどと思えることが、世に流布する映画や小説の類でいつの間にか先入観が出来てしまい、イメージが植えつけられていることをこの新宿鮫を読むと目が開かされるように知らされるのだ。このような実際の犯罪のリアルを感じられる所にシリーズの魅力がある。

また全編を通じて特徴的なのはほとんどの短編で外国人による犯罪が絡んでいることだ。

全10編中4編がなんらかの形で外国人が絡んでいる(『こち亀』とのコラボ作品である「幼な馴染み」にも外国人によるスリ集団が登場するほどだ)。
しかしその立場は各編を通じて変容してきている。都知事による不法滞在者の一斉排除を境にかつては新宿を闊歩していた中国人マフィアも少なくなり、足を洗ってレストラン経営者として、ビルオーナーとして留まる者や集団で犯罪者として生きる者たちなど、形を変えて日本に関わっている。新宿はそんな国際社会の縮図として描かれている。

10編それぞれヴァラエティに富んでいるが、基本的に変わらないのはやはり鮫島と云う男の深みだ。
シリーズを重ねていくと、時にバイプレイヤーが目立って影が薄くなることもあったが、やはり鮫島は鮫島。
『絆回廊』で晶が鮫島に放った檄、「あんたは新宿鮫なんだよ」を再認識させる名編ばかりだ。

その中で個人的ベストを選ぶとすれば「雷鳴」、「再会」、そして「霊園の男」になろうか。
先の2編には鮫島の犯罪者を改悛させる度量の大きさが感じられ、しかも自分を律する芯の太さを感じさせる。さらにはサプライズまで仕掛けているという名編だ。
「霊園の男」はやはり『狼花』で壮絶な最期を遂げた間野が鮫島に遺した言葉の真相が、鮫島の魂の救済として語られる、非常に清々しい結末だからだ。
他にもシリーズの前日譚とも云える桃井の男気が光る「区立花園公園」やチンピラに成り下がった家族を持つ人間が謂れなき被害を受ける結末が苦い「亡霊」や異色な味わいのある「五十階で待つ」なども捨てがたい。

とにかくどれも30ページ程度の分量ながらもこれほど読み応えの深い短編集もない。この短編集はシリーズの22年間の熟成の結晶だ。その味わいはまさに22年物のウィスキーに匹敵する味わいを放っている。

10作目で大きな転換を迎えた新宿鮫がこの短編集で以て一つの区切りとなり、更にどのような深化を見せるのか、一読者として非常に愉しみでならない。


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鮫島の貌 新宿鮫短編集
大沢在昌鮫島の貌 についてのレビュー