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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数889

全889件 581~600 30/45ページ

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No.309: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

実は事件は爬虫類館で起きているのではない!

本作の密室トリック―窓も扉も目張りされ、鍵が掛けられた部屋からいかに犯人は脱出したのか―の真相は解ってしまった。最初は解らなかったものの、トリックを特定するある物が出て来た時点で、閃いた。というよりも多分小さい頃に読んでいた藤原宰太郎氏の推理トリッククイズに問題の1つとして挙げられていた可能性が高い(ホント、この本の犯した罪は重いと思う)。
本格推理小説は手品・奇術と相通ずる物がある、というのは泡坂妻夫氏の持論だが、カーもこの作品で奇術におけるミスリードを一つの要素として扱っており、カー自身もその思いを強くしていたように思える(良きライバルであるクレイトン・ロースンその人が奇術師であり、競作を行っていたから、これは今更ながら述べる事でもないのだが)。

本作はこのトリックがメインであり、その他については物語を形成する装飾品に過ぎない。特にそれが顕著に見られるのは最後の犯人告発シーン。密室の解明に力が入っている割には、犯人を特定すべき証拠が挙がらず、脅迫じみた形で自白を迫るといった滑稽さである。まあ、そのシーンも犯人が憎らしいがために、読者の溜飲を下げる効果もあるのだが、幾分泥臭い。
しかし真相の解明のヒントとなる戸棚とマッチの燃え滓の2つはどうも読者へのヒントになっていないように思える。私自身、トリックの真相に確信を持っていたのだが、違うのかなと思ってしまった。その説明も本作では十分になされていない。
しかし、犯人は予想とは違った。いやあ、やっぱりカー作品は犯人を当てるのは難しいわ。あまりに情報が少なすぎる。

さて今回の原題だが“He Wouldn’t Kill Patience”であり、作中の台詞を借りると「彼がペイシェンスを殺すはずがない」となる。これは事件が自殺でなく他殺である根拠として娘のルイズが述べる台詞で、ペイシェンスはお気に入りの蛇の名前である。手元の辞書では何か別の意味があるのか解らなかったが、私は邦題よりもこちらの方が魅力を感じる。
事件は園長の家で起きており、爬虫類館ではないので邦題の『爬虫類館の殺人』は実は正確さを欠いている。しかも原題には未読の人にはその意味について興味をそそられ、本を読んでこそ解る意味になっているからだ。この題名は改訳の折には変更してもらいたいと強く思った。


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爬虫類館の殺人 (創元推理文庫)
カーター・ディクスン爬虫類館の殺人 についてのレビュー
No.308:
(7pt)

未完の作品?

今まで四国、奈良と古き因習の残る小村、または町を舞台に伝奇ホラーを展開してきた坂東氏が今回選んだ舞台はなんと東京。しかも本作はホラーではなく、戦前の画家の探索行と昭和初期の情念溢れる女と男の業を描いた恋愛物。
しかし、舞台は東京といっても年寄りの街、そして仏閣の街、巣鴨。やはり死がテーマの一部である。

物語は混乱の昭和初期を生き抜いた二人の女性の物語を軸に、戦前の画家西游を巡る現代の物語が展開する。
当初本作の主人公とされた額田彩子のストーリーよりも五木田早夜と小野美紗江という対照的な二人の物語の方が比重が大きくなり、またその情念の凄さから物語自体、かなり濃密である。

この二つの物語についてはそれぞれの人生観が特徴的に表れていると思う。
雪深い新潟の地を出るように上京し、画家を目指すが、人生に翻弄されるがままに生きていき、西游という狂乱の画家と出逢う事で愛憎に苦しみながら生きてきた早夜は「人生は食べてしまった饅頭のように何も残らないものだ」と述懐する。
一方、同棲相手から逃げるように飛び出し、未練を残しながらも新しい生活に向かおうとする彩子は「散った桜が消えないように、人生も過去に思いを馳せつつ残り続けていく」と考える。
何もかも失ってしまった早夜―最後に命さえも失った事が解るのだが―と三浦英夫との同棲に失敗した思い出が色濃く残る彩子。この二人を象徴するのに最適なエピソードだと思った。

そして早夜と美紗江の過去の物語の登場人物全てが不幸であるというのもまた坂東氏の特徴がよく表れている。
早夜は元より、その類い稀なる美貌と絵の才能を持っていた美紗江もまた西游に人生狂わされ、緑内障により、画家の道を閉ざされ、生涯独身を余儀なくされる。
そして榊原西游も周囲の人生を狂わせる事で絵の才能の糧にし、女の内面を写実的に描き出す。しかし空襲でその作品のほとんどは焼き尽くされ、現在では最早忘れ去られた存在に(実在の人物なのかどうかは解らないが)。
そして早夜の上京時からの良きパートナーであった有馬雄吉もまた、新進の俳優の道が開ける正にその時、戦争に徴収され、顔に火傷を負い、俳優の道を閉ざされ、家業の桶屋を継ぐことになる。しかも妻と子供は空襲で爆死するといった有様だ。その死に様は身寄りの無い年寄りの孤独な死である。
この救いの無さは一体何なのだろう?

しかし、前述したように過去と現在との物語では断然過去の物語の方が面白い。
これから判断するに、人の不幸こそ面白い、というのが坂東氏の物語作法なのだろうか?
しかし、私はこの物語は失敗作だと思う。
いや、失敗作というのは適切ではない。未完の作品だと思う。
過去と現在の物語の濃度に差がある故にバランスを欠いているように感じるのだ。
主人公の予定だった彩子がなんともぼやけた存在になってしまっている。
行きつけのパブ「リンダム」の常連達である弥生と大磯夫婦など個性あるキャラクターもいるのに物語があまり膨らんでいない。
しかし何といっても物語の結末の仕方がすべて曖昧なのだ。
はっきりした答えなど必要ない、感じたことを信じればそれでいいのだ。
確かにこれも一種の結末の付け方だろう。しかし、なんとも据わりが悪い。

今回、死の象徴とされた蝙蝠傘を持ち、「都市は冥界である」と唱える男の正体、絵の作者、西游の行方、美紗江の真意。
これら全てが未解決であるから余韻を残す結末ではなく、どうにも消化不足のような気がしてならない。
ミステリではないからと云われればそれまでだが、あと少し書き込めばなかなかの傑作になったのではないかと思うのだが。

桜雨 (集英社文庫)
坂東眞砂子桜雨 についてのレビュー
No.307:
(7pt)

展開は予想もつかないのだが…

題名の『バンディッツ』は“盗賊”の意味で、本作では主人公ジャックと元修道尼のルーシー、そしてかつて刑務所仲間だった元銀行強盗のカレンと元警官のロイたち一行を差す。
最初読んだ時はレナードにしてはストレートな設定だなぁと思った。ジャックが強盗団を結成すべく、ムショ仲間を仲間に引き入れ、大佐の金を強奪するという方向性が早くも見えたからだ。この前に読んだ『スティック』は思いつくままストーリーは流れ、なんとも掴みようがなかっただけに、この明解さには正直驚いた。

しかしやはりレナードはレナードである。一筋縄では参りません。この強奪計画が判明した106ページから誰が423ページの結末を予想できるでしょう?
本作ではレナードは熱心に南米で行われている虐殺についてルーシーの言葉、そしてCIAのウォリー・スケイルズの口を借りて述べている。また登場人物の1人に「ベトナム戦争に行った事ない奴が口出すんじゃねぇ」と云わせ、ベトナム戦争がアメリカに落とした影についてもそれとなく仄めかしている。レナードの南国の太陽を思わせる雰囲気の中に戦争の悲惨さという暗いテーマが眠っているのもこの作品の特徴だ。

しかし、この作品、レナードの先の読めない展開が悪い側に出たという印象は拭えない。本作のプロットが判明する100ページ辺りまでの面白さから、「これは!」と期待するところがあったのだが、それ以降の展開が実にのらりくらりとしており、なかなか強奪計画の全容が見えてこない。実際最後の380ページ当たりになって始めてシミュレーションが行われるくらいだから、レナードはそこに重きを置いていないのだろう。
でも逆にこれが私には不満で、まるで皮が美味しいのに中身がスカスカの饅頭を食べているかのような印象が残った。
タイトルのバンディッツも結局ほとんど機能しなかったし、やはりちょっと物足りないと思うのである。


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バンディッツ
エルモア・レナードバンディッツ についてのレビュー
No.306: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

犯人が異様に逞しい

女優フレイヴィア・ヴェナーの邸宅だった<仮面荘>に住むドワイト・スタナップはスコットランド・ヤードの警部ニコラス・ウッドを自宅に招待した。実はドワイトが警察へある相談を持ちかけた事がきっかけで仮面荘へ赴くことになったのだが、表向きは新年のお祝いに招待されたという体裁を整えていた。
ドワイトには活発なエリナーに可憐なベティという美しい異母姉妹がいた。また邸には他にも実業家のブラー・ネズビー、ニコラスの旧友ヴィンス・ジェームズが招待されており、エリナーの婚約者ロイ・ドースン海軍少佐も訪れる予定だった。
ニコラスが訪れたその夜、屋敷の1階に絵画泥棒が押し入り、果物ナイフで刺されるという事件が発生した。泥棒の正体はしかし、当主のドワイトその人であった。なぜ彼は自分の家の絵画を盗もうとしたのか?そしてなぜ泥棒を捕まえた者は捕縛せずに一思いに刺したのか?
瀕死の状態ながらもドワイトは一命をとりとめ、意識が戻るまで自宅で養生する事にした。
そこへ登場するのが我らがヘンリー・メリヴェール卿。しかしHM卿の登場空しく、次なる悲劇が発生する。

本作の真相は見破れないながらも、この頃の作品に多く見られるアクロバティックな真相で、カタルシスを感じるには首肯せざるを得なかった。
泥棒の正体が館の主である事からすぐに盗難による保険詐欺という趣向が想起され、それが確かにミスリードとなっているのは、さすがはカー!といったところか。

しかし、前述のように真犯人の正体に関してはいささか際どすぎる。
真相や趣向は非常にいいと思うのだが、事件の意匠の部分で過剰に演出しすぎ、現実味に欠けていて、いや非常識に感じられて、失望を禁じえない。
あと犯人の絞込みの重要なキーとなる背格好について。これについてもそれぞれの登場人物の描写を事細かにメモしていないと解らない。確かに作者が云うようにヒントは冒頭に隠されていたが、しかし、これだけだとは・・・(まあ、これは半分負け惜しみが入っているが)。

とはいえ、本作においてもカーは読書サービスを怠らない。
今回は特にHM卿が大カフーザラムなる魔術師に扮して子供達に奇術を披露するシーン。しかも仮面荘の当主の妻の悪友ともいうべきミス・クラタバックなる嫌味な人物に弄られながら、魔術と称してやっつけるといった内容。HM卿が実は奇術が得意であるという隠れた特技が本作で解るという点で、本作は見逃せない作品だろう。

また本作では犯人の悪意についても語られている。全てにおいて万能であった犯人が見事に罠に嵌り、プライドを傷つけられた憤りを重傷を負った人物に更に追い討ちをかけるように痛めつける。しかもそれについて悪びれもしないという人間の醜さを今回は見せつける。今手元にないので年代が解らないが、これはセイヤーズが晩年描いたテーマ―犯人が何も個人の事情や経済状態、止むに止まれない事情で犯行を犯すのではなく、単に意に沿わないという理由でも犯行を犯すのだ―に似ている。

カー作品の中でもあまり話題に上らない本作。それはこの素っ気無い題名によるところも大きいと思う。
本格物によくありがちな題名だが、原題は“The Gilded Man”で『金箔の男』という意味。これは盗難の対象となったエル・グレコの絵画に描かれたアンデス山中にある湖に沈んだ金塊を引き上げようとする男達を指している。
なかなか印象深い原題だが直接的には事件とは大きく関係しないため、どっこいどっこいといったところか。


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仮面荘の怪事件 (創元推理文庫)
カーター・ディクスン仮面荘の怪事件 についてのレビュー
No.305: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

どこかにあった物語を掘り起こしたよう

刑務所から出所したスティックはムショ仲間のレイニーから届け物をするだけで5,000ドルもらえる仕事があるから手伝えと持ちかけられる。気の乗らないまま、レイニーに同行するスティックは、それが麻薬密売人たちの取引で、自分たちが故売人のチャッキーに仲間を売られた報復として麻薬卸元であるネスターへ差し出された生贄だと知る。レイニーはネスターの手下に撃ち殺されてしまうが、スティックは命からがら逃げ延びる。
しかしスティックはチャッキーのいる街を離れず、くたびれた風采を整え、あえてこの街に残る事にする。ムショ暮らしで失ったかつての鋭さを取り戻すためと、自分が何者かを知るために。
ひょんなことからバリー・スタムという投資家のお抱え運転手を任される事になったスティックはバリーとチャッキーが友人同士だということを知り、チャッキーへの復讐を企む。

・・・と、あらすじを書いてみたものの、本作はレナード作品の中でも特に先の読めない作品だった。作者が行き当たりばったりで書いているとしか思えないほど、主人公のスティックが縦横無尽に動き回る。
一応、本作は『スワッグ』で銀行強盗として登場したスティックのその後を描いた続編。1983年に発表された本書は油が乗り切った時期に書かれたこともあって、レナード特有の流れるような文章、一緒に会話をしているかのような生きた台詞がページのすみずみまでに行き渡っている。いつしかスティックを始め、投資家のバリー、暗黒街のボス、チャッキー、不遜な殺し屋エディ・モーク、投資アドヴァイザーで美人のカイル、はたまた登場人物表に載っていない端役のバーテン、ボビー―このキャラクターがなぜ一覧表に無いのか不思議。かなり魅力を感じる美人バーテンダーである―までもがイメージを伴って、眼の前に迫ってくる。

しかし、前にも書いたように本作の特徴はスティックの行動そのものにあるといっていい。読者はスティックが何を考えているのかに興味を持ちながら読み進むしかないのだ。
最初はムショ上がりの冴えない男だったのが、死地から逃げ延びた事で逆に己自身を見つめなおし、自動車泥棒を行おうとしたところで、バリーと知り合い、運転手に落ち着き、そこで株投資の世界に興味を持ち始めたかと思うと、バリーの付き合う愛人、妻、そして投資アドヴァイザーのカイルの3人と寝てしまうのだ。更にはバリーと主従の関係が逆転し、そしてバリーが企画した新作映画への融資をだしにチャッキーを獲物にして一大詐欺を起こそうとするのだ。

こんな物語に最後きちんとオチがつくのだからものすごい。こういう話を読むとレナードが作ったのではなく、あたかもそういう話が実際にあってそれをレナードが小説にしたとしか思えない、それほど「作っていない」感じがするのだ。

しかし、あえて苦言を呈するならば、やはり行き当たりばったりで書いているなあという気持ちは払拭できない。以前とは違い、さすがに色々読んできている現在では終わりよければ全て良しという手には乗らないぞという捻くれた思いが強く残るのだ。
こういう小説もいいだろ?という声も聞こえるが、他にレナードの素晴らしい作品を知っているだけに、ここは苦言を呈して星7ツに留めよう。

スティック (文春文庫)
エルモア・レナードスティック についてのレビュー
No.304:
(7pt)

ジョナサン・ヘムロック、精彩を欠く

アイガーでの制裁(サンクション)の後、スパイ稼業に嫌気が差したジョナサン・ヘムロックはCIIを辞め、一度見た物を細部まで記憶するという自らの天賦の才能を活かして美術鑑定家として生計を建てていた。
旧友のヴァンからパーティに出席するよう頼まれたジョナサンはパーティ会場の一室でギリシャ彫刻を具現化したような完璧な美貌を持つ男に逢わされ、マリーニの『ダラスの馬』を見せられる。男はこれを500万ポンドで裁いて欲しいと依頼するのだが、ジョナサンは危険な匂いを感じ取り、断った。
旧友の美術品泥棒マックテイントに逢いに行った帰り、ジョナサンは一文無しのアイルランド娘マギーと知り合い、自分のアパートメントで一夜を共にする。
翌朝目覚めてみるとバスルームに腹を裂かれた死にそうな男が横たわっており、ジョナサンは何かに巻き込まれようとしているのを察知し、逃亡するが、約束の講演に出演した折に捕まってしまう。
捕まえた組織はルー―便所という意味―というイギリス版CIIともいうべき組織だった。そこを束ねる“司祭”は闇の一大売春組織『修道院』が所有するイギリスを根底から揺るがすスキャンダルが収められたフィルムの奪還をジョナサンに頼む。断れば死体の犯人にさせられるという状況下、ジョナサンは悪の巣窟『修道院』へ乗り込む。

長年探し求めていた『アイガー・サンクション』の続編の本書がまさか彼の地フィリピンで邂逅しようとは思わなかった。こんな硬質な作品をよく読んだものだ。一体誰だろう?他にもレナードの『スティック』と『バンディッツ』も収穫できたし、また出発前には絶版となっていたクーンツの『トワイライト・アイズ』もGETできたし、最近の立て続けに起こる過去の積み残し大清算めいた流れはどうしたことか?
いきなり本題から外れてしまったので元に戻ろう。

『アイガー・サンクション』ではスパイ物でありつつ、本格的な山岳小説でもあったが、本作は純粋なスパイ小説に徹している。主人公のジョナサン・ヘムロックが一流の登山家であることを匂わす箇所はクライマックスで敵のアジトから脱走しようとするシーンで麻薬中毒の中、マントルピースをよじ登るシーンと屋根上に隠れるシーンでしかない。
冒険小説を期待する読者にとっては物足りなさを感じるのだろう、『アイガー~』が時折巷間の話題に上るのに対して、本作については全くと云っていいほど語られない。しかし、個人的には傑作とまではいかないにしても一級のスパイ小説であると思う。

プロローグのあるスパイが聖堂の鐘楼で串刺しにされているというショッキングなシーンから幕開けするが、このたった6ページのシーンの緊迫感からして濃厚だ。最初、何が男に起こっているのか、読者には検討がつかない。もはや助からないのだろうなという事は解るのだが、どういった状況が判明しない。最後のページの新聞記事の抜粋を読むに至って、串刺し刑という拷問にあった事がわかり、それを基に読み直すと、今まで読んでいた意味が明らかになる。この辺からもう心臓鷲掴みである。
しかし、なかなか物語は進まない。本題に入るのは100ページを超えた辺りからだ。それまでは延々とスパイ稼業を引退したジョナサンと彼を取り巻く人たちとのやり取り、そしてアイルランド娘マギーとの新たな出逢いが語られる。

本作は何といってもマギーに尽きるだろう。このアイルランド娘の存在はスパイを辞めたジョナサンにとって普通の生活へ繋ぎ止める存在であり、守らなければならない物、そして彼にとって心のダイヤモンドである。特にジョナサンとマギーが最初に出逢い、レストランで食事をするシーンは本作の中で最も私が好きなシーン。道すがら出逢った男と女が交わす他愛も無い会話を断片的に語る、これだけで二人の親密さが心の中にしんしんと積もっていく。男と女の始まりを空気まで沸き立たせており、トレヴェニアンの技巧の冴えに唸ってしまった。
そしてだからこそマギーの喪失感がジョナサンと同様、読者の胸を打つ。やっぱりこの手の手法に私は弱い。

図らずもスパイ稼業に復帰せざるを得なくなったジョナサン。しかし読者の予想を裏切って百戦錬磨の活躍を見せるわけではなく、ブランクによる違和感と若さの喪失を悔やむジョナサンと読者は対面する事になる。動きにかつての精彩さを欠きながら、それでもジョナサンはまんまと周囲を出し抜くのだが、非常に危なっかしい。特に強敵とされたレオナードとは直接格闘で倒すのではなく、麻薬で苦しむジョナサンが銃で撃ち殺す結末となり、個人的には物足りなかった。
しかし、相変わらずトレヴェニアンの描く登場人物は個性的で際立っている。先に述べたマギーを筆頭に、完璧な美を誇る売春婦アメージング・グレース(素晴らしい名前だ!)、同じく永遠の若さを理想とする悪役マクシミリアン・ストレンジ、そして一癖も二癖もある美術品泥棒マックテイントなどなど、全て印象的である。この作家が亡くなってしまったのは本当に惜しい。

今考えてみると、本作は残酷なシーンと哀しみが表裏一体となっている。拷問の上に殺されるというケースがほとんどであり、また悪役もダムダム弾という一発で手足が吹き飛ぶ強烈な弾で撃たれ、無残に殺されている。
残酷さと哀しみ。どちらも負の感情だ。だからこの作品の読後感に爽快感はない。大きな喪失感が残る。

元大学教授とトレヴェニアンの略歴にはある。心理学なのか文学の教授だったのかわからないが、一連の作品に通底するペシミズムは彼のこの経歴から来るものなのかもしれない。つまり小説創作を通じて実験を行っている、それはあまりに穿ち過ぎか。


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ルー・サクション (河出文庫)
トレヴェニアンルー・サンクション についてのレビュー
No.303: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)
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今をときめく人気作家の瑞々しいデビュー作

私立清華女子高等学校の数学教師を務める前島は以前から何者かに命を狙われていた。電車のホームから突き落とされそうになったり、プールのシャワーで感電しそうになったり、そして更には外を歩いていると鉢植えが落ちてきたりと、その度合いはますますエスカレートする一方だった。
そんなある日、放課後に顧問であるアーチェリー部の部活が終わった際に教師の更衣室に戻ったところ、内側から突っかえ棒がしてあり、中に入れない状況になっていた。しかしそこには同僚の数学教師、村橋の死体があった。密室の中で村橋は青酸カリ中毒で死んでいた。
刑事が介入し、事件の捜査が進められるが、なかなか犯人が突き止められなかった。そんな中、ついに第2の殺人が起こる。体育祭という衆人環視の中で起きたそれは明らかに前島の身代りで殺されたとしか思えない状況だった。

東野圭吾氏のデビュー作にして乱歩賞受賞作品。私にとっても東野作品初体験である。
第1作にはその作者の全てが盛り込まれているというが、この瑞々しさや感傷的な文体は単に女子高を舞台にしただけに留まらず、この作者の特色と云えるだろう。

一読しての印象は、非常にバランスの取れた作品だという事。実に無駄がなく、力みすぎず、落ち着いており、淡々としているのだが、色々なエピソードが散りばめられていて飽きさせない。
事前に知っている作者の経歴から、この前島の人物像は作者の人と成りが色濃く反映されているのは間違いない。この作品を読むだけで東野氏に作家としての何かがあるのは十分に感じられ、今の活躍も納得の出来映えだ。

物語は女子高を舞台に2つ(3つ?)の殺人事件が語られる。そのうち最初の1つは密室殺人で、しかも2つの真相を用意しているという凝りよう。2番目の殺人は体育祭という衆人環視の状況下での殺人。特にこの殺人シーンへの持って行き方は読み進むに連れて不安が沸々と募り、淡々とした文体が却って凄みを増す。
この文体はその後の事件解明シーンにも十分な効果をもたらしており、ページを繰る手を止まらせなかった。

そして主人公を取り巻く登場人物も非常に印象的だ。教師仲間の村橋や藤本、キーパーソンとなる麻生恭子、そして生徒の高原陽子やケイこと杉田恵子、剣道部主将の北条雅美などキャラクターの描き分けが非常に上手く、混同する事が無かった。前にも述べたが、彼らと主人公前島とのエピソードが非常に効果を上げている。
これらが学校という特殊な閉鎖空間で繰り広げられるその独特の雰囲気を実によく醸し出していると感心した。体育祭の準備風景、体育祭の生徒たちの躍動感、放課後の部活の雰囲気など、教師でない私がもはや二度と体験できない空気を十二分に堪能させてくれた。そして、主人公の口から語られる学生にとって憎悪の対象となるきっかけについての説明は、正に的を射ており、郷愁をそそられた。

とまあ、賞賛の言葉ばかりだが、やはり今の時代ではちょっと古めかしさを感じずにはいられない。これは仕方の無い事なのだが、殺人の動機となったエピソードを含め、それぞれの真相―詳しくはネタバレにて―は全てが多様化した今(正確には“乱れた”今)、珍しい物ではなく、衝撃の度合いは低くなっている。
この前に読んだクーンツの言葉を借りるならば、狂乱の90年代を経た現在では当たり前のようになっているのだ。これを減点の対象にするのはアンフェアかもしれないが、読後のカタルシスという点で見ればどうしても落ちてしまう。

あと、やはり主人公前島が妻に堕胎を促すシーン。かなりの時代錯誤感覚を覚えた。低収入が理由とは云え、教師がああいうことを云うだろうか?
これは最後に繋がる重要なエピソードなのだが、どうも腑に落ちない。ラストシーンは納得できる。しかしそこへ繋がるキーパーツに粗雑さを感じてしまった。

色々書いてきたが、本作が水準以上の作品であるのは間違いない。
2005年に直木賞を獲って以来、ますます勢いに乗る東野圭吾の作品をこれからどんどん読んでいくのが非常に楽しみだ。


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放課後 (講談社文庫)
東野圭吾放課後 についてのレビュー
No.302:
(8pt)

90年代の狂気は今なお続いている

カリフォルニアの法執行機関共同特別プロジェクトに勤める警官ハリー・ライオンとコニー・ガリヴァーの二人は巡回中に立ち寄ったハンバーガー・ショップで銃を乱射する無差別殺人犯と遭遇し、混戦の末、射殺する。
サミー・シャムローはかつてロサンジェルスの広告代理店に勤務していたが、今は無一文の浮浪者に身を落としていた。サミーは夜毎訪れる怪物“ラットマン”に怯えていた。巨躯の浮浪者の身なりをしたそいつは人智を超えた力でサミーをいたぶり、またそれに喜びを覚えていたのだ。
ジャネット・マーコは暴力を振るう夫を殺害し、アリゾナの砂漠へ葬った後、ラグナ・ビーチで息子のダニーと野良犬ウーファーの2人と1匹で1台のダッジを塒にしたその日暮らしの浮浪生活を送っていた。そしてその家族も巨躯の警官に夜毎悩まされていた。その警官はいつも親しげに近づくが、いつもジャネットたちをいたぶろうと怪物に変形するのだった。
一方、養護施設で暮らすジェニファーには、恐れる存在があった。それは彼女の息子だった。周りの看護婦は立派な人物だと褒め称えるが、彼女にはおぞましい存在でしかなかった。ジェニファーが両目を無くしたのも彼が原因だった。
そしてハリーの前に1人の浮浪者が現れる。「夜明けまでにお前は死ぬ」と云い残し、爆発を起こして消えてしまう。そしてそれはハリー、そしてコニーにとって悪夢の始まりだった。

なんともまあ、クーンツはとんでもない恐怖を考え出したものだ。
最初は身長2メートルを超える巨大な浮浪者。そいつが忽然と現れ、抗いようの無い膂力で獲物を嬲り殺す。もちろん銃も効かない。
その後は無数の蛇の大群。どさどさっと部屋中を埋め尽くすその有様は、想像するだに恐ろしい。
そして手に汗握る<一時停止>のゲーム。時間の流れをものすごく緩慢にし、ハリーとコニーだけを獲物に命を賭けた鬼ごっこが始まるのである。

今回のクーンツは怖かった。時間も停められるとあってはもうどうしようもないでしょう!!こういったアイデアはホントよく思いつくなあと感心する。
そして90年代以降のクーンツの作品に特徴的に見られるのがこの“時間”を使った能力者が出てくること。それは今回のように実際に時間を停めるだけでなく、催眠術を使って、時間を忘れさせる恐怖、次元の歪みに入り込んで、実世界の時間軸とは違う世界を出入りする能力など、ヴァリエーションは様々だ。クーンツは時間を操る事こそが一番の恐怖であるという結論に行き着いたのかもしれない。
あと演出の上手さも光る。いろいろあるが、今回は特に冒頭の無差別殺人鬼を捕らえるシーンでのエルヴィス・プレスリーの題名で犯人との交渉を行うシーンが面白かった。こういう遊び心が小説を彩る事をよく解っているなぁ。

題名の“ドラゴン・ティアーズ”は中国の格言から来ている。
「ときに人生はドラゴンの涙のように苦きもの。しかしドラゴンの涙が苦いか甘いか、それはその人の舌しだい」
本当にこういう格言があるのかどうか寡聞にして知らないが、“ドラゴンの涙”=“人生の試練”という暗喩である。しかし“人生の試練”にしては今回はとてつもなくばかでかい試練だし、意味合いとしては苦難か。ちょっと内容とマッチしていないような気がするが。

そして本作の影の主役が犬のウーファー。犬好きのクーンツがまさに犬の気持ちになって第一人称で語るそれは、なかなか面白い。一種、着地不可能と思われた本作がどうにか無事に着陸できたのも、このウーファーの御蔭だ。物語の設定としてはギリギリOKとしよう。

今回の作品の底流を流れるのが“狂気の90年代”というテーマ。それはかつて悪とされていた事が今では正義ともなってしまう理不尽さのことである。恐らく訴訟大国アメリカの、「裁判は正しい者が勝つのではなく、勝った者が正しいのだ」という風潮、そして価値観が多様化した現在、誰もが自分を可愛く思い、妻、恋人、我が子や両親も自分の幸せのためには犠牲するという考えに警鐘を鳴らしている。
本作にはコニーの口を通して信じられない犯罪―ベビーシッターの不都合で自分の誕生日パーティに行けなくなりそうな主婦が自らの子供を殺して嬉々として出かける、船乗りの妻が夫の出航を遅らせるためにわざと娘に怪我をさせる、etc―が語られるが、巻末の筆者の言葉によると全て実話だそうである。2006年の今、“狂気の90年代”はもう彼方にあるが、その狂気はまだ続いている。


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ドラゴン・ティアーズ〈上〉 (新潮文庫)
No.301: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

私は欺かれた読者です

病理学者サーンダーズ博士は友人の弁護士チェイスからある招待を受ける。それは彼の友人であるコンスタブル夫妻が読心術師を発見し、家に招いて読心術を披露してもらうという内容だった。興味を持ったサーンダーズ博士はコンスタブル夫妻の住まいであるフォーウェイズ荘へ赴き、そこで読心術師ペニイクと出会う。
初対面であるのに、自らの心中をズバズバと当てるペニイクに戸惑いを隠せない出席者全員。そんな中、ペニイクは思念の力で殺人も出来ると云い、しかも家の主人であるコンスタブル氏に、今夜貴方は死ぬだろうと告げる。
そしてその夜、悲劇は起こった。2階の寝室から覚束ない足取りで出てきたコンスタブル氏は、そのまま心臓麻痺で絶命してしまう。
サーンダーズ博士はマスターズ警部とHM卿に助けを求める中、一人泰然自若とするペニイクは第2の殺人を予告し、見事成し遂げてしまう。
果たしてペニイクの読心術は本物なのか?彼は思念で人を殺せるのか?

思念で人を殺せると自称する男を登場させ、遠隔殺人を扱った本書。この作品はカーの最たる特徴であるオカルティズムが十分に堪能できる作品である。
とにかく読心術が出来、思念で人を殺せると主張するペニイクなる人物が縦横無尽に物語を駆け巡り、あのHM卿でさえも翻弄され、思念で人を殺していると半ば信じるほどだ。

物語、事象が裏返る手法はカー作品の特徴でもあるが、今回もそれが十分に発揮できている。とにかくこの作家はダブル・ミーニングの投げ方が巧い。最初読む話では全く自然の流れであった表現が真相を与えられるに当たって全く意味の違う意味に変わってしまう切れ味は健在である。
そしてこの読者への挑戦状ともいうべき題名。原題は“The Reader Is Warned”つまり文中の訳文を引用するのなら『読者に一度警告する次第である』となるが、この表現が随所に出てきて、挑戦意欲を駆り立てる。

とはいえ、この真相は、解らんでしょう!が、個人的にはこういうサプライズは大歓迎。セイヤーズ作品を読んでいるみたいだった。
しかし第1の殺人の真相が非常に面白いのに対し、第2の殺人の真相がその亜流でしかもちょっと無理があるだろうと思わされるものだったのが残念。ちょっと綱渡りしすぎた。


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読者よ欺かるるなかれ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
No.300:
(7pt)

御手洗の超人ぶりと石岡の情けなさにちょっとついていけない感が

本作は「上高地の切り裂きジャック」と「山手の幽霊」の2つの中編で構成された作品集。

まず「上高地の切り裂きジャック」は2000年の頃に石岡が解き明かした事件の話。大学を卒業し、みなとみらいにある法律事務所に就職した犬坊里美は石岡の許を訪れる。「最後のディナー」事件で知り合った磯子署の蓮見刑事が御手洗に相談したい事件があるというのだ。
それは上高地の山中で美人女優細川みどりが変死体で発見されたというものだった。死体の状況は死因は絞殺だが、腹が一文字にぱっくり裂かれ、腎臓や膀胱、子宮が持ち去られ、代わりに石が詰められていたという陰惨なものだった。しかも死亡推定時刻は細川が上高地へ帰った次の日の午後だというなんとも奇怪な状況だった。
犯人が子宮を持ち帰った目的は?なぜ細川は上高地へとんぼ返りしたのか?
真相を探る石岡はしかし、迷走のまま、スウェーデンに留学中の御手洗に助けを求める。

次の「山手の幽霊」はまだ御手洗が日本にいた1990年の頃の話。
頭を抱え込む丹下刑事が御手洗の許を訪れてきた。山手のトンネルの上にある家は呪われた家と云われており、最初の家主は急性の癌で病死し、その後、購入した家主大岡修平は娘が難病で病死して、そのあおりで妻が自殺し、大岡も自失のまま、仕事を辞め、飲んでくれて街を徘徊する廃人同様の生活を送っていた。三番目の家主正木が住み始めた時、地下のシェルターに餓死した大岡の死体が見つかったのだ。
さらに御手洗は電車の運転手を夫に持つ老婦人から、山手のトンネルで起きた奇怪な出来事の解明を依頼される。それはトンネルを通った時にいきなり前面の窓に女性の死体が貼りついたというのだ。電車を停めて探したが遺体らしきものは見当たらなく、しかもそれはその夫婦が亡くした幼児の成長した姿だという。

この二つの怪奇譚に御手洗の推理が冴える。
「上高地の~」はスピンオフ作品「ハリウッド~」の創作中に生まれた副産物のような感じだ(あれほどグロテスクではないが)。題名の「切り裂きジャック」から連想される残酷なイメージとは違って事件は単発、しかもどちらかといえば死亡推定時刻に関する話が多く、陰惨さの味わいは薄れている。
またこの頃、島田氏が力を入れていた冤罪事件への取り組みの色合いもあり、ここでは容疑者とされていた牧原信吾の無罪をどうにか証明しようという方向でストーリーは進む。これは金川一事件というのがモチーフになっているらしい。
しかし『最後のディナー』や『Pの密室』の頃に比べるとだいぶん石岡も以前のペースを取り戻しているようだが、犬坊里美の携帯電話の留守電組の話を聞いてショックを受ける件は50を間近に控えた男の台詞か?と思った。蓮見刑事に嫉妬するところもちょっとなぁと思うのだが。

翻って「山手の幽霊」は、『~挨拶』や『~ダンス』の頃を髣髴とさせる御手洗の活躍ぶりが堪能できた。関係のないと思われた二つの事件がまたも大胆な設定で結びつく。これこそ御手洗ファンが読みたかった作品だろう。
しかし両作とも共通するのは御手洗潔の超人的な推理力。いきなり真相が見えているように動き回る様、人に命令を下す様は確かに面白いが、超人的すぎて、少々辟易した。これと比べるとやはり私は吉敷シリーズの方が地味ながらも堅実で面白いのである。

オレも歳を取ったかなぁ。

上高地の切り裂きジャック (文春文庫)
島田荘司上高地の切り裂きジャック についてのレビュー
No.299: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

御手洗シリーズのモチーフ溢れている作品なのだが

スウェーデンのウプサラ大学で脳の研究を続ける御手洗の許にエゴン・マーカットという患者が訪れる。彼は記憶障害を患っており、記憶を一定時間保つ事が出来ないのだ。
そんな記憶障害を持つ彼が書いた1つの童話『タンジール蜜柑共和国の帰還』。
それは天を突くほどの巨大な蜜柑の木をネジ式の関節を持った妖精たちがマーマレードを作って暮らしている国にエッギーという少年が紛れ込み、その世界を逍遥するといった内容だった。
このお伽噺でしかない物語を御手洗は事実に基づいて書かれた物だといい、さらにエゴン・マーカットの記憶障害の原因となった事件と失われた記憶を取り戻す手掛かりになると云うのだった。童話に隠された事件に御手洗潔が挑む。

久々の御手洗物らしい小説を読んだという感じだ。『タンジール蜜柑共和国の帰還』という奇妙な内容の童話について解析をする趣向は過去の作品『眩暈』を想起させ、この作品が好きな私にとってなんともたまらないワクワク感があった。
特にビートルズの歌が絡んでいるという件には驚かされた。これはビートルズ・フリークである島田氏にとって積年の願望をようやく果たしたのではないだろうか。
他にも旧作を想起させる箇所があり、人の五体を解体してネジ式の関節をもつ義手・義足をつけ、ゴウレムを作り上げるというのが今回の作品世界を彩るもう1つのモチーフなのだが、これなんかはデビュー作『占星術殺人事件』のアゾートがすぐに浮かんだ。

とまあ、ある種、永い眠りから覚めた御手洗シリーズの復活を宣言するような内容である本書。特に前半の『タンジール~』の解析の辺りはどんどん判明していく驚愕の事実にページを捲る手がもどかしいほどの面白さを感じたのだが、肝心の殺人事件の解明のあたりになるとどうも食指が鈍った。
疲れから来る睡魔もあったのは事実だが、なんだか事件が複雑すぎるのだ。明かされた真相もものすごく作られた感じがして、心の底から同意できなかった。殺された遺体の首がネジのように回り、外れ、転がっていく、なんとも唖然とする事件ではないか。しかし、それを論理的に解明しようとするために、無理を生じているような感じがした。
そして、やはり語り手が石岡以外では違和感があるのは否めない。御手洗がなんだか別人のように思えるのだ。エキセントリックさに欠け、すごく常識的な人物として立ち振る舞うその姿は消化不良感がどうしても残ってしまう。

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ネジ式ザゼツキー (講談社文庫)
島田荘司ネジ式ザゼツキー についてのレビュー
No.298: 4人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

「ユダの窓」の正体は?

メアリー・ヒュームと婚約したジェイムズ・アンズウェルは彼女の父親に逢いにグロヴナ街の家を訪れた。メアリーの話から、自分に好意を抱いている感触を得ていたジェイムズは、しかしなぜか父親のエイヴォリーから素っ気無い態度で応対されていた。エイヴォリーから出されたグラスに注がれたウィスキー・ソーダを飲んだすぐ後、強烈な眠気に襲われ昏倒してしまう。
約20分後、眼が覚めたジェイムズはそこで矢を突き立てられ、絶命したエイヴォリーを発見する。しかもその部屋には彼ら二人しかいず、窓にはシャッターが下ろされ、扉には戸締りのボールトが掛けられていた。
身に覚えの無い殺人の罪で逮捕された彼を弁護に乗り出すのは、われらがヘンリー・メリヴェール卿。しかし死体発見の状況は彼が犯人である事を示していたが、HM卿は唯一「ユダの窓」が開いていたと云うのだ。果たしてユダの窓とは何か?HM卿は彼の無罪を証明できるのだろうか?

まず、今回は物語の展開が非常に面白い。
冒頭の、非常にシンプルな密室殺人について、今までの事件現場に名探偵が登場して、関係者の証言、周囲の状況から推理して犯人を解き明かすのではなく、今回は既に容疑者は逮捕され、起訴されている状況で、裁判で無罪であるのを証明するというスタイルを取っている。しかも被告人側弁護人がHM卿というのが面白いではないか!
そして各章の末尾で明らかになっていく新事実。単純に思えた事件が裏では実に複雑に絡み合っていたのを1枚1枚薄衣を剥ぎ取るかのごとく、読者の眼前に示していくストーリー展開は胸躍らされながら読まされた。

その中でも特に印象的なのは10章以降からの展開だ。10章の最後で、被害者のエイヴォリーが娘の婚約者のアンズウェルだけでなく、彼のいとこのレジナルドとも知り合いであり、呼び名の聞き間違いであったという箇所から物語が一気呵成に明らかになっていく。まるで長くだらだらと続いていたトランプゲームの神経衰弱が一気に終末に近づいていくような感覚を覚えた。

ただ不満もある。この物語のテーマである「ユダの窓」の正体がなんともチープだったことだ。本来、刑務所の留置所の看守が覗くシャッター付き窓の事を示すこの言葉だが、期待していただけに肩透かしを食らった感が正直ある。
犯人も今回は意外だった。しかも物語上、この犯人である必然性もかっちりしており、十分納得がいった(今回、話中で登場人物の一人に「どうせ今回も犯人は予想も付かない人物で解るはずのない人なんでしょ」みたいな台詞を吐かせているのがセルフパロディで面白かった)。

『白い僧院の殺人』では読みにくい事件経過にいきなりズドンと打ち込まれた真相にびっくりして、9ツ星だったが、今回は逆にワクワクする事件経過に唸らされ、ユダの窓の正体に失望したために8ツ星という評価だ。
まあ、これがカーらしいといえばカーらしいんだけど。


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ユダの窓 (創元推理文庫)
カーター・ディクスンユダの窓 についてのレビュー
No.297:
(7pt)

あの事件を結末に持ってきた剛腕ぶりはどうよ?

1996年7月17日、ニューヨークのロングアイランド沖でTWA800便の旅客機が空中爆発を起こして墜落する陰惨な事故が発生する。当初発表された事故の原因は燃料タンクの給油ゲージの電線から火花が走り、燃料に引火したというものだった。
2001年、ジョン・コーリーは妻のケイトと共にTWA800便墜落事故の5年目の追悼式に出席していた。ケイトは事故当時、調査に当たったFBI捜査官の1人であり、それゆえにこの事故に対する思い入れが深かった。
その席でケイトは200人以上の目撃者の証言の多くが海面から飛行機に向かって走るミサイルのような光の筋を見たと云っていると告げる。それは公の場でCIAの手によって燃料タンクからの爆発による物だと説明はされていたが、目撃者や捜査に当たったケイトを含むFBI捜査官でも腑に落ちない点だった。そして当時、その模様をビデオカメラに撮っていたカップルが存在するとの噂があった。
追悼式の後、ケイトに事件の関係者たちに逢わされたジョンは、ビデオテープを持つカップルの捜索に極秘裏に乗り出す。

題名の意味は『黄昏』。物語の結末にあの事件を持ってきたこの作品にはそれがよく似合う。
今回は1996年に起きたTWA800便の旅客機が墜落した事故の一部始終を収めたと云われるビデオテープの在り処とそれを撮った不倫カップルを捜し当てるのがメイン・テーマとなっている。確かにジョン・コーリーのへらず口は健在で、ページの捲る手がクイクイ進むのだが、物語の牽引力としては設定がいささかパワー不足。

今回もデミルは冒頭の第一部で不倫カップルが存在する事、そしてその撮影にいたる顛末を事細かく描いており、ジョンがそのカップルになかなか行き着かないのに非常にやきもきさせられた。
『王者のゲーム』の時にも書いたが、やはりこの辺のデミルの物語の創作作法に疑問が残るのである。不倫カップルのエピソードは、ジョンがジルに行き着いた時に語れば、効果が高いと思う。ジョンがジルに逢った時はジルの解説付きで、セックスシーンからビデオを見せられるという形で第一部の内容が再度語られるのだが、これが同じ話を二度も読まされているという感じが拭えなかった。
これはやっぱりデミルの失敗だと思う(担当編集者、注意しろよ!というよりも、巨匠過ぎて出来ないのか?)。

物語はこの後の展開を予告するような形で終わるため、非常に興味深い。どうも今作はその次回作のための長大なプロローグのような気がしてならない。でないと、あまりに単調すぎる。
次回作こそ、ベトナム戦争に区切りをつけたデミルが21世紀にして新たに出会った驚異に立ち向かう渾身の作品になるに違いない。


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ナイトフォール(上) (講談社文庫)
ネルソン・デミルナイトフォール についてのレビュー
No.296:
(7pt)

御手洗シリーズとの違いが色濃く出た短編集

本作は2002年に当初『吉敷竹史の肖像』として刊行された短編集からエッセイや対談などを取り除き、純粋に吉敷シリーズの短編集として編み直した物で、文庫化に際して新作の「電車最中」という短編が書き加えられている。

まず冒頭の「光る鶴」はかつて島田氏が物したノンフィクション大作『秋好事件』をモチーフにした吉敷シリーズの中編だ。
吉敷はかつて逮捕した元やくざの藤波の葬儀に出席するため、福岡の久留米市に赴いた。その告別式で昭島悟と名乗る藤波の生前に親しくしていた若者と出逢う。
26年前に久留米市に近い稲塚という街で一家3人を惨殺した「昭島事件」という殺人事件が起き、彼はその犯人の息子だという。実は父、昭島義明は義父であり、世話になった藤波の頼みで養子縁組を組んでいた。今まで昭島義明は自らが犯人だと認めており、死刑も確定していたが、藤波の強い説得の末、再審請求をしているという。そこで彼は吉敷に父の冤罪を証明して欲しいと頼む。
26年も前の事件の再捜査に難色を示していた吉敷だったが、亡き藤波の熱意に押されるが如く、再捜査に乗り出す。
秋好事件が同じく福岡の飯塚での事件、そして一家惨殺事件である事からかなり類似性が高い。題名の「光る鶴」とは事件当時、駅のホームに捨てられていた赤子の悟の胸に置かれていた銀の折鶴に由来する。これが冤罪の証拠となるのは自明の理だが、相変わらずの吉敷の粘りの捜査が描かれている。
事件の真相は物語中盤で早くも吉敷と昭島との面接から明らかになるが、この作品の意図は昭島義明の冤罪をいかに証明するかに主眼が置かれているので当然だろう。この事件解明は島田の秋好事件に対する願望に外ならない。

続いて「吉敷竹史、十八歳の肖像」は吉敷がいかに警察官になるに至ったかを描いた物語だ。
広島は尾道市の町工場の息子である吉敷竹史は昔から権力を嵩に威張り散らす人間が嫌いだった。C大に合格し、東京に出てきた18歳の吉敷だったが、時は折りしも大学紛争たけなわの時代で吉敷の通う大学も例外ではなかった。
吉敷は学内闘争には加わらなかったが、闘争学生の中の1人、桧枝という学生と親しくなる。桧枝は同い年とは思えぬほどの博識でしかも社会の仕組みを裏側まで知り尽くしているような感じだった。その桧枝がある日、学校のロッカーでリンチ死体となって発見される。学生紛争の混乱から単なる一犠牲者としか扱わない警察に愛想を尽かし、吉敷は単独で犯人の捜索に当たる。
執拗な聞き込みの末、事件前日に犬猿の仲の佐々木という学生に会っていたとの情報を得る。吉敷は佐々木の住所を調べ、実家に赴くのだが・・・。
幼稚園児が快刀乱麻の名探偵振りを発揮する御手洗シリーズを書いた同じ作者とは思えぬほど、この物語は対極にある。つまりここに作者の二つのシリーズの創作姿勢が現れているように思う。吉敷シリーズが極力現実の警察の捜査に即して描く事を主眼にしたリアルなシリーズにあるのに対し、御手洗シリーズは幻想味と奇想をテーマに掲げた一種のファンタジーだという事だ。
あとラストに出てくる最後の宮沢賢治の詩、『雨にも負けず』は、確かに吉敷の人と成りを語るにこれほど雄弁な物はないと感心した。

そしてラストの「電車最中」。
鹿児島県の天文館通りのマンションで市役所の建設企画課長が射殺されるという事件が起きた。鹿児島県警刑事課の留井は捜査を進めるにつれ、一人の容疑者が浮上する。地元の暴力団K山会の幹部、福士健三だった。
彼の犯行である証拠として、死体のズボンの折り返しの裾に入っていた食いかけの電車の形をした最中を福士が買ったことを立証すれば、逮捕は目前だった。しかし、九州中の市電のある県を当たってみたが、そんな物はないという知らせ。捜査を中国・四国地方に拡大したが、同じ結果だった。
焦った留井は捜査を東京を除く市電のある全国各地の都市に広げたが、すべて空振りに終わった。途方にくれた留井はふと数年前の捜査で東京から鹿児島に訪れていた吉敷という刑事の事を思い出す。
まさにこれこそシリーズを読み通した者が得る醍醐味というものだろう。留井が語る数年前の事件とは私の好きな『灰の迷宮』である。電車型をした最中を探す、これだけ単純な捜査にこれほどまでに物語性を持たせる島田氏の手腕に改めて脱帽。いやはやどこからこんな話を拾ってくるのだろうか?
そしてこの作品でも御手洗シリーズとの相違がはっきりと書き分けられている。御手洗シリーズのスピンオフ作品では御手洗が電話や手紙での出演だけなのに、あっさりと事件の真相に迫るヒントなんかをアドバイスする超人ぶりを描いているのに対し、本作では吉敷は留井の捜査のお手伝いをするのみで助手に徹している。あくまで事件を解くのは留井である。この辺の身のわきまえ方が私をして御手洗よりも吉敷の方を好きにさせているところなのだ。
そして最後の蛇足ともいえる留井の若かりし頃の東京での恋愛話もまた昭和を語る一つの因子となっている。

今後の島田氏はこういった情の部分を積極的に取り入れるらしい。なんとも嬉しい話ではないか!

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光る鶴 吉敷竹史シリーズ16 (光文社文庫)
島田荘司光る鶴 についてのレビュー
No.295:
(8pt)

まるで心の中を覗かれているかのよう

姉の七回忌で婚約者とともに故郷の奈良は田原本町に帰省した玲は、実家の蔵の中から銅鏡を見つける。それには裏に尻尾を咥え、花びら形にくねらせた蛇が浮き彫りにされていた。
ある日、父親の史郎がその鏡を見て、憤った。七年前、姉が蔵で自殺した時に傍らにその鏡が落ちており、それ以来、禍物(まがもの)として忌み嫌っていたのだった。史郎は古物商をしている玲の婚約者広樹に売り払うよう頼む。しかし玲はなぜかその鏡を手放せなかった。
一方、大学で考古学の助教授をしている田辺一成は田原本町のある斗根遺跡の発掘に従事していた。昔のお堀の痕跡を掘り当てた一成だったが、その花びらが開いたような形のお堀の形からただの集落の跡ではないと直感する。
調査しているうちに田原本町にある鏡作羽葉神社に行き着いた一成はそこで玲と再会する。かつて二人はお互いに恋を抱きながらも恋愛に結びつかずに別れた仲だった。
さらに鏡作羽葉神社では神主の東辻高遠は境内の鏡池から沸き立つような波が発生しているのを発見する。それは過去に2回発生した凶事であり、言い伝えでは蛇神が復活する凶兆とされていた。そんな中、町では蛇神を奉る地方祭が近づいていた。

この人の小説は一筋縄ではいかない。予定調和で決して幕を閉じないのだ。人間の業はまだ終わらないというメッセージが共通して感じられる。
そして、『死国』、『狗神』、この作品と3作品通して共通しているテーマが、死者の再生。失われた者たちが生者の心の隙間を利用して甦ってくるという設定が一貫して、ある。
生を営む者たちが心の奥底に潜ませている愛という名の傲慢さを発揮した時に、再生を虎視眈々と狙っている死せる者達が牙を剥く。そして坂東眞砂子氏はこの生者たちが己の感情の赴くままに犯す過ちを描くのが非常に巧い。

私を含め、すぐ隣にいる誰かが心に孕んでいる感情、それは凡人であるがゆえに説明できない気持ちや想いをこの人は実に的確に表現する。その心理描写は読中、ページを捲る手、文字を追う眼をはたっと止めるほどストレートに心に飛び込んでくる。恰もページから手が出てきて心臓を鷲掴みにされる、そんな感じだ。
今回も読中、思い惑う表現がいくつかあった。いくつかピックアップしてみよう。

①主人公、玲が自身の性格について語るシーン。
「多弁なのは、(人と喋るのが好きなのではなく)沈黙に耐え切れないからだ」
②同じく玲が婚約者広樹の性格について語るシーン。
「この人は私を見ようとしていないのだ。(中略)それぞれ、相手への自らの愛情の深さをいとおしんでいるだけ」
③そして玲が親類の美佳伯母さんの性格を語るシーン。
「気はいいのだが、自分の言動がどんなに他人を傷つけるのかがわからない女だった」

これらを読むとドキッとする。そうそう、こういう人たちっているんだよなぁと思う反面、これは私のことを客観的に表現しているのではないかと。
特に①は私にかなり当てはまる。こういう文章に遭遇するとき、この作者の人間観察の眼の確かさに感心するとともに戦慄が奔る。出来れば逢いたくない、とまで思ってしまう。

またこの作者は実にドラマ作りが巧い。玲が一成と契りを交わした直後に、なかなか電話を掛けてこない婚約者広樹から電話が掛かってくる。そしてその台詞「ひどいな、玲ちゃん」の巧さ!そして首を吊った玲を助けに入るのが一成ではなく、想いが離れつつある広樹である所なんかも巧いなぁと思ってしまった。人物配置と小道具の使い方が非常に巧く、何一つ不自然さが無い。
そして玲と一成の鏡池でのキスシーンの官能的な事!泥にまみれた二人の指が絡まるところは二人の止まらない愛情の激しさが行間から匂い立つようだった。

これほどまでに構成がしっかりしているのに、結末をああいう形で終わらす事に実は私自身、戸惑いを感じているのだ。これこそこの作者の資質なんだろうが、個人的には余計な味付けだと思った。レストランに食事に行き、おいしい料理を堪能した後で、最後に出てきたデザートが陳腐だった、そんな感じがするのである。やはりここはあるべきところに収まって欲しかったなぁ。残念。
あと最後に1つ。人が首吊り自殺した縄を腰に巻くと陣痛が軽くなるというエピソードが作中出てくるのだが、これは本当なのだろうか?もし嘘だとしたら、死と生を弄ぶがごときこの作者の想像力は恐ろしい。

蛇鏡 (文春文庫)
坂東眞砂子蛇鏡 についてのレビュー
No.294:
(7pt)

謎の畳み掛けが絶妙

カーター・ディクスン名義で発表された作品だが、主人公はおなじみのH・M卿ではなく、短編でおなじみのマーチ大佐の前身であるマーキス大佐。発表当時、エラリー・クイーンの片割れ、フレデリック・ダネイが大幅に削除したそうだが、今回はそれらを含めた完全版である。

引退した元判事チャールズ・モートレイクが自宅の離れで殺害されるという事件が発生した。犯人はモートレイクに重刑を科せられた犯罪者ゲイブリエル・ホワイトだった。仮出所したホワイトが判決の恨みのため、モートレイク宅に押し入り、銃で殺害したというのだった。
現場を現認したペイジ刑事はしかし、事件に不思議な不適合性を発見していた。銃声は2回鳴ったのにもかかわらず、ホワイトから発射された銃弾は1発のみ。しかも室内の花瓶の中から別の銃が見つかり、もう1発の銃声はこの銃からの物と思われるが、室内に銃弾が見つからなかった。そして解剖の結果、モートレイクの体内から発見された銃弾は、2つの銃のどちらでもなく、全く別の空気銃から放たれた銃弾だった。

物語の謎自体、シンプルながら、どこか辻褄の合わない論理の違和感でどんどん話を膨らませていく作品で、読中、セイヤーズの作品を想起した。
今回は登場人物たちがそれぞれ何らかの嘘をついていることがテーマか。嘘をついていることで殺人計画が予想外の方向転換を余儀なくされた結果、2発の銃声に3種類の銃弾が発生するという奇妙な事件を招く。この、どうにもすわりが悪い状況設定を最後に論理で解き明かしていくのは素晴らしい。

今回の作品の特徴として、新たな事実が発覚するにつれ、また新たな謎が生まれる畳み掛けの手法が挙げられる。カーの持ち味とも云うべきこの手法だが、今回はこの畳み掛け方が絶妙だった。
銃声2発に対し、犯人から発射された銃弾は1発→現場で発見された別の銃の意外な持ち主→遺体から摘出された銃弾がその2丁の拳銃のどれでもない第3の銃弾だった→第3の銃の意外な発見場所→奇妙な窓の足跡→第2の殺人の発生、と謎また謎の連続である。
しかも220ページの薄さでこれだけの状況展開を繰り広げられるから物語のスピード感が違う。今までのカー作品の中でも随一の速さを誇っていると思う。
そして今回嬉しかったのが部屋の見取り図がちゃんと付いていた事。コレがあるのと無いのとでは物語の理解度が違う。そして田口氏による改訳により、いつもの時代がかった大仰な表現が鳴りを潜め、非常に読みやすかった。

犯人は今回も意外だった。しかしこれについて衝撃を受けるようなほどでもなかった。ただし、状況は整然と整理され読者の前に提示された。
しかし、やはり窓の足跡については蛇足であると感じた。他者へ疑惑の目を向けるための工作だったが、開かない窓から脱出する足跡という謎は魅力的だったものの、その存在を十分に納得させるだけの論理性は薄弱だと感じた。恐らくダネイはこの部分を削除したのではないだろうか(後で解説を読むと、どうやら削除されたのは登場人物の描写が中心らしい)?

しかし御大カーの作品を削除して発表させる事が出来るのはこの人ぐらいだろう。この2人による贅沢なコラボレーションは当時、かなり話題だったに違いない。


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第三の銃弾 完全版 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
カーター・ディクスン第三の銃弾 についてのレビュー
No.293:
(7pt)

日本の根源的な怖さを感じる小説

逆打ち―四国霊場八十八ヶ所を最後の礼所から最初の礼所へ逆回りに死者の死んだ歳の数だけ回ると死者が甦ると伝えられている儀式。日浦照子は若くして亡くなった我が子莎代里を甦らせようとこの逆打ちを行った。
一方、幼い頃に高知の矢狗村に住んでいた明神比奈子は矢狗村にある実家の整理という名目で東京での生活に疲れた心身を癒しに訪れた。幼馴染みの日浦莎代里に会おうとしたが、不幸にも亡くなっている事に気付く。
同窓会が行われた際に秋沢文也と再会し、かつての恋心が再燃する。しかしその二人を見つめる“眼”があることにその時はまだ気付かなかった。

当時自分の住んでいる四国を舞台にこれほどまでの土俗ホラーが繰り広げられるのにまず驚いた。寒風山トンネルとか石鎚山とか馴染みのある地名が出てくるので、自分の住んでいるところがとんでもなく恐ろしい死者の地のように感じた。
しかし、この死者を甦らせる逆打ちという儀式、これが本当にあるのか、または言い伝えとして残っているのかは寡聞にして知らないが、このアイデアは秀逸。実際、ありそうだもの。そして素直にお遍路さんを感心して見る事が出来ないようになりそうだ。
この逆打ちを中心に、四国が死者と生者が同居する“死国”となる展開、そして比奈子の実家の管理人、大野シゲの若かりし頃の不倫の話、儀式として四国霊場八十八ヶ所巡りを村の男が順番に行う男の話、植物人間状態で入院している郷土研究家の莎代里の父と介護する看護婦の話、これら全てが逆打ちに同調して収斂する手際は見事だ。

今回読書中、『八つ墓村』とかの昔の日本の映画の雰囲気を思い出した。あの独特の日本人の魂の根源から揺さぶられる恐怖がここにはある。日本の田舎が持つお化け屋敷的な怖さを感じさせる文章力は素晴らしい。
そして映画は未見だが、恐らく莎代里=栗原千秋なのだろう。このキャスティングは見事。イメージぴったりだ。映画も観たくなった。

死国 (角川文庫)
坂東眞砂子死国 についてのレビュー
No.292: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

案外御手洗シリーズ入門書として良いかも?

『占星術殺人事件』を解決した数ヵ月後の話。御手洗の許に高沢秀子という妙齢の女性が訪れる。その人が話すには、友人の折野郁恵という女性が、五稜郭で有名な榎本武揚が当時ロシア皇帝から頂いたダイヤモンドの靴を所有しているという。
最近その折野郁恵さんの様子がおかしくなり、相談に乗っていた時に、雨が降り出したのを見て、突然倒れ、そのまま入院してしまったのだ。郁恵さんの容態が気になり、最近息子夫婦に尋ねたところ、雨が降ったから十字架が無くなり、とんだことになってしまったという謎の答えが返ってきた。そして息子夫婦が最近、教会の前の道路沿いの花壇を衆目の中、掘り出すという奇行をしていたとの事だった。
この一連の奇妙な出来事について、御手洗は大事件が起きていると云うのだった。

御手洗シリーズの、短編小説のような意匠を凝らしたエピソードや、最近の科学技術の話など、そういった肉付けが一切無い、事件のみを語った生粋の本格推理小説だ。
セント・ニコラスのダイヤモンドの靴を巡って『占星術殺人事件』の竹越刑事と事件をもたらした高沢秀子を交え、右往左往する物語で、中身は簡単なのに、なかなか目的のダイヤモンドの靴までに行き着かない。まるで乱歩の通俗小説を読んでいるかのようだった。

事件を第三者の目から当事者の行動を、理解し難い奇行の数々として描くという技法を凝らしており、思わずポンと膝を叩いてしまった。そして逆に島田氏の本格推理物の作り方というのが解ってしまった。
それは、ある行動について、無知の人の目を通して情報の少ない形で語るというスタイル。これが後の説得力ある御手洗の解明に一役買っているのだ。だから読者は作者(ほとんどの場合、それはある登場人物の台詞によって語られる)が語る事象を鵜呑みにせず、その行動そのものを実際に試してみるとよいだろう。特に今回のダウジングなんかはその典型だ。

御手洗物入門書として、長さといい、ストーリーといい、最適の1冊かな。


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セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴: 名探偵 御手洗潔 (新潮文庫nex)
No.291:
(7pt)

シリーズ第2作目から読んで第1作目のネタバレに(ノд-。)あぅ。。

ロシアの民警ダニーロフとアメリカのFBI捜査官カウリーが国境を越えてコンビを組むダニーロフ&カウリーシリーズ第2弾。不幸な事に第1弾である『猟鬼』は絶版で手に入れることが叶わず、未読。そして本書はその『猟鬼』の真相に存分に触れているというシリーズ読者には親切な作品。

前回の事件で活躍をしたダニーロフはロシア国民には英雄視される一方、モスクワ民警では“便宜には便宜を”図らない清廉潔白な捜査官であったため、約束されていたと見込んでいた本部長の座を格下のメトキンに奪われ、憤懣やるかたない日々を送っていた。
一方、アメリカではロシア大使館員が銃殺されるという事件が起き、続いてスイスの投資会社社長が同様の手口で銃殺される事件が連続して起きていた。事件解明にはロシアの協力が必要と感じたFBIはカウリーを捜査の担当者に任命し、またダニーロフを協力者としてロシア政府に要請した。
アメリカに飛んだダニーロフは再びカウリーとコンビを組む事になったが、意外にも捜査は一向に進まなかった。ロシア大使館の監視の中、ダニーロフは被害者セロフのメモ帳にある符号を見出す。果たしてそれは暗号で、7人のロシア人の名前が浮かび上がる。ようやく得た手掛かりに沸き立つ捜査陣。しかし事件はこの後、ロシアマフィアの恐怖に彩られた戒厳令の下、更に混迷を深めていく。

ダニーロフの人物造形がまず面白い。不当な扱いを受けながらもそれを糧に有能振りを発揮し、上司をいいようにあしらう辣腕ぶりは痛快だ。そしてそれが強固な背骨を持った、やわな虚勢でない事をロシアマフィアとの対話で知る事になる。
またストイックな性格のカウリーは心理学に基づいた尋問をしたり、FBIの最新捜査技術を駆使して、ロシア側だけなら何ヶ月もかかる捜査をあれよあれよという間に進めていく。
無骨ながらも少ない頭髪を気にしたり、友人の妻と浮気をしているロシアの警察官、酒を控え、ストイックなまでに任務を遂行するFBI捜査官。ロシア人とアメリカ人とで比べれば、大方その人物設定は逆になるであろうと思われる。これこそフリーマントルならではの味付けといったところか。

事件の真相はゴルバチョフの時代に起きたクーデターで紛失した2,000万ドルにもなる共産党資金についての争奪戦の様相を深めていく。
ロシアの大使館員とスイスの投資会社社長のパイプ、そしてマフィアネットワークの構築など、話が進めていくにつれ、事は大きくなっていく。

この辺は後に読むノンフィクション『ユーロマフィア』で培った取材に基づくところによるものだろうが、よく考えられている。何しろ破綻が無い。
かつて天敵であったロシアとアメリカがチームを組むが、やはり冷戦の頃の根は深く、お互いが大団円で利益を分け合うようにはいかない。この辺のリアルさが作者の誠実さなのだろう。
ロシアの大使館員が被害者という事で両者のうちダニーロフに関する描写・挿話の比重が高く、カウリーの印象が薄かった。前作『猟鬼』が未読なので不明だが、カウリーについては前作で語られたのかもしれない。もしそうでなければ作者はダニーロフの方が好きなのかも。

色々思うところは他にもある。
例えば上巻のラストでダニーロフがロシア高官の歴々の面前で上司を伴いながら公然と批判するところ。批判だけでなく、証拠無しで本部長罷免の要請をするのだ。ここを読んでたら映画『ア・フュー・グッド・メン』を思い出した。畳み掛ける挑発で証拠無しで自供を勝ち取るあの緊迫感。こういう手法もロシアならではなのか。
あとやはりダニーロフの私生活について、特に愛人と妻との間で揺れる感情の機微について感銘を受けた。歳を取るにつれ、肉体を求める事が無くなり、じわじわと蝕まれるように愛情が損なわれ、破綻していく二人の関係。一方で魅力を増す友人の妻。どきりとするところがあり、思わず我が身を振り返る。幸いな事に自分には浮気や不倫などという事には縁がないが、ふとした時に過ぎるセックスレスの心情などは胸が痛くなる思いがした。
そして意図せず自らが行った親切に無邪気に喜ぶ妻を見た時に訪れる憐憫の情。これは解るなぁ。私自身、大学当時、毛嫌いしていた親父がTVのつまらないギャグで大笑いしているのを見て、「こんなことぐらいしか楽しい事がないのか」と感じたあの感覚。忘れていたあの時のことをふと思い出してしまった。

しかし、全体的に冗漫だと感じた。特にマフィアと繋がっているダニーロフの悪友コソフや上巻で道化師役を割り当てられるメトキンの二人の狂言回しが長すぎる。これもダニーロフの人物像を深めるためのエピソードなのだろうが、なかなか核心に行かず、焦れた。
こういう冗漫さを感じるところが傑作と佳作の壁なのだろう。面白いがその面白さが突き抜けなかったなあ。

英雄〈上〉 (新潮文庫)
ブライアン・フリーマントル英雄 についてのレビュー
No.290:
(7pt)

ミステリという先入観を外して読むのが吉

日本推理作家協会賞受賞のこの短編集。しかし私は1作の『空飛ぶ馬』の方を推す。
今回も主人公私が出くわすのは日常の謎だ。それもいつもとちょっとだけ違う違和感に似た現象だ。それらを円紫師匠と私が問答を行うように解き明かすと、人間の心の暗部が浮き上がる。

今回収められた作品は3編。第1編「朧夜の底」では友人正ちゃんのバイト先の神田の大型書店で遭遇する国文学書に対して行われる些細な悪戯が、悪を悪と思わない都合主義な利己心に行きつく。
2編目の「六月の花嫁」はもう1人の友人、江美ちゃんの誘いで軽井沢の別荘に行ったときに起きた、連鎖的消失事件について語った物。チェスのクイーンの駒→卵→脱衣室の鏡と続く消失劇は「私」の推理でその場は一応解決されるが、1年後、江美ちゃんの結婚へと結実する。しかしそこには江美ちゃんが「私」を利用したやましさがあった。
最後は表題作「夜の蝉」。「私」の姉の交際相手、三木さんが新入社員の沢井さんと浮気しているという噂を聞いて、姉は歌舞伎のチケットを三木さんに渡し、待ち合わせをするとそこに現れたのは沢井さんだった。後日喫茶店で3人で話し合ったときに三木さんに「なぜあのような意地悪をするのだ」と叱責される。誰が姉の手紙を沢井さんへ送ったのか?女のしたたかさを感じさせる1編。


今回特徴的なのは『空飛ぶ馬』よりも各編が長くなり、事件が起きるまでに「私」を取り巻く人々の知られていない部分について語ることにページが費やされている。1、2作目はそれぞれ「私」の友人の正ちゃんと江美ちゃんのサークル活動について。3作目は今までほとんど語られる事のなかった「私」の姉との関係について。そして各編で事件が起きるのは1作目では全91ページ中39ページ目、2作目では全80ページ中36ページ目、3作目では全91ページ中37ページ目で。つまり今回の謎は各登場人物を描き出す因子の1つとして添えられているようだ。
純粋に推理だけに終始する物語は好きではないものの、このように謎そのものがメインでない物語も好きではない。逆にもどかしさを感じずにいられなかった。だから私は今作よりも前作の方が日本推理作家協会賞に相応しいと思うのだ。

確かに各編で語られる人間模様、「私」の感性豊かな主張、落語や日本文学について語られる侘び寂び溢れる薀蓄、日本の良さを強く感じさせる品の良い自然描写などどれをとっても一級品でそれら「寄り道」は確かに面白い。
しかし、それらをメインで語るならばミステリでなくて良いわけで、やはりミステリと謳うからには物語の主柱に謎があって欲しいのである。

ところで1作目で「私」にも恋の訪れがあるのかと思わせたがその後の2編では全く出てこない。代わりに2作目では江美ちゃんの結婚、3作目では姉の失恋と続く。
そうか、これはミステリの意匠を借りた恋愛短編集なのかもしれない。しかしそれらは惚れた、振られただのを声高に叫ぶど真ん中の恋愛ではなく、昔の日本人の美徳とされた慎み深く、他人に見せびらかすことない、忍ぶ恋愛だ。


▼以下、ネタバレ感想
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夜の蝉 日本推理作家協会賞受賞作全集 (65)  双葉文庫
北村薫夜の蝉 についてのレビュー