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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数902

全902件 261~280 14/46ページ

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No.642:
(7pt)

ODAを食い物にしているのは果たしてどの国か

世界の黒い構造にメスを入れる服部真澄氏が今回その刃先を向けたのはODA、政府開発援助を巡る汚職の世界。その利権に群がる日本の開発コンサルタントとゼネコンのピカレスク小説だ。

まず本書は主人公が逮捕されるという実にショッキングなシーンから始まる。
40歳前後という若さで日本大手の開発コンサルタント会社の重役に登りつめ、ビジネス誌でも現代のジャンヌ・ダルク扱いの取材を受けた黒谷七波に一体何があったのか。このたった9ページの導入部でいきなり物語に引き込まれる。

物語は1988年、本書の主人公黒谷七波が日本五本木コンサルタンツの入社試験を受けている時期から始まる。時はバブル全盛期(しかし最近バブルの時期を扱った小説に当たることが多い。景気が上向いて業界がバブル再燃に期待しているからだろうか?)で誰もが前代未聞の好景気に浮かれている最中、黒谷七波は新潟の貧しい農家に生まれ、京大に進みながらもバイトをして自身の生活費のみならず家業の借金返済の少しでも足しになるために仕送りもしている苦学生の身であった。
しかしそんな背景を聞けば、昭和の香り漂う純朴な女学生を想像するが、そうではない。彼女の人生は虚構に満ちているのだ。

大学では化粧気のない野暮ったい風貌をした、田舎出の、女子大生と呼ぶには抵抗感がある女学生として振舞い、無知を装って自分の必要な情報を周囲から集める。そして夜は派手なメイクと服装になり、男どもの相手をしてはあしらうキャバクラ嬢と変身し、これまたバカな女性のふりをして客の上役連中から企業や業界の貴重な情報を手に入れる。
そんな情報を統合して彼女が目指したのはコンサルタント業界への就職。一兆円もの金が動く国際支援の舞台で数億を稼ぐ女性へと成り上がるために自分の富裕な生活という目標に向かってまい進する様が描かれる。

自身の生活費を切り詰めながらどうにか貯金を蓄えて豊かな生活を夢見るが、そんな幸せの端緒が見えた途端に訪れるのが実家の牧場が抱える借金の返済の請求の電話だ。しかも代わりに返済をしても状況は好転することはなく、寧ろその金額は年々増大し、しかも街金にも借りるようになる。

学生の頃からそんな貧しい思いを強いられた彼女にとっての幸せとは潤沢なお金だった。お金こそが彼女の幸せの象徴なのだ。

そして本書ではもう一人の影の主役がいる。それは七波が勤める日本五本木コンサルタンツの相棒とも云うべきゼネコン名栗建設の営業部長宮里一樹だ。彼は日本五本木コンサルタンツと共謀してODAを食い物にして巨万の裏金を都合するブローカーのような存在。国際開発援助資金をさらに国内の政治家への裏金にも都合し、実質的に名栗建設の屋台骨を支えている存在。

黒谷七波は彼を利用して社内でのし上がっていくが、宮里は七波の地位を押し上げることでさらに有利に自社に仕事が回ってくるように暗躍している。
七波が孫悟空ならば宮里は彼女を掌上で操る仏様とも云えるだろう。つまり自社に金が流れるよう、絵を描くのが宮里でそれを実現するために実務を担当するのが黒谷七波という構造だ。

しかし金稼ぎを、裏金作りを自身の幸福への至上の目的としていた七波も次第に心境を変化させていく。
巨額の金を懐に入れるためにベトナム事務所の所長になり、数十億もの金を自由に扱うことになった七波に現地スタッフの1人がベトナムの生活を豊かにしてくれていることに感謝の言葉を贈るのに動揺し、止めは大規模なプロジェクトであるソンバック橋の橋桁が崩落する未曽有の大事故が起きるにあたって、それが手抜き工事であり、しかもその原因が下請けから受け取ったリベートによる予算不足に起因するに当たり、七波は初めて罪の意識を感じる。
今まで当然と思っていた金の抜取が人の命を奪うまでに発展したことで、自身の手が血で汚れているように感じるのだ。

そして黒谷七波は巨悪を罰するために立ち上がる。それが冒頭の逮捕劇に繋がるのだ。

しかしそこから物語は混迷を極める。
外為法違反を自ら告白して警察の手に渡り、そこからさらに殺人を告白する。そして彼女が借りたレンタルルームからは冷凍された人肉のミンチが発見される、と云った具合に一転猟奇的な物語に展開する。

しかしそれは黒谷七波と宮里一樹が仕組んだ巧みな断罪劇だった。自らを法で裁かれるか否かのギリギリのラインにまで持っていくことでODAから生まれる巨額の裏金に集るゼネコンと開発コンサルタントを司法の手に委ね、そして資金源である国民の税金がそんな悪事によって搾取されていることを知らしめるための大きな芝居であったのだ。
結局法律の隙間を縫って黒谷七波と宮里一樹は自らの私腹は保ったままで、そこがまた憎らしいのだが。

しかしこの手の物語を読んで思うのは、最後に罰が下るとはいえ、彼らの蜜月は実に長く、その対価にしては釣り合いが取れないのではないか、と。確かに彼らの今後の行く末にはきつい道のりが待ち受けているだろうが、それでも彼らは誰もが羨む生活を送れたのだ。
実は得するのは悪の側なのではないか。真面目にやっている人間ほど馬鹿を見るのがこの世の中の構図ではないかと実に虚しさを感じてしまう。

ところで服部作品と云えば実在する社名が頻出することが特徴だが、題材が生々しいだけに本書では架空の社名で物語は進む。何しろゼネコンによる政治献金、裏金工作、架空請求など企業詐欺のオンパレードだからさすがに配慮は必要だろう。

しかし本書の一連のODAに纏わるゼネコンの贈賄と政治家との癒着の歴史を開発コンサルタントの女傑黒谷七波とゼネコンの裏資金調達人宮里一樹2人を軸に当時の世情を絡めて追って行けたのは同じ業界の一端に触れているわが身にとっても非常に勉強になった。海外のみならず日本でさえ、新幹線、東名高速や名神高速、黒部第四ダムなど日本のインフラの根幹をなす事業が海外諸国の国際援助によって建設されたことなど、恥ずかしながら本書で知った次第だ。

私自身一時期海外赴任をしていたが、この裏歴史を上っ面のみでしか知っていなかったあの頃は何とも初な人間だったことかと恥ずかしく思う。
発展途上国のインフラを整備し、豊かな生活を提供する一方で、巨額のブラックマネーを動かすゼネコン。この清濁併せ持つ業界に対してぶれない軸を持って接するために、本書は良き参考書となった。

しかしこのような歪んだ社会の構図はいくら暴かれ、断罪されようとも新たな汚職の構図が描かれ、同様の巨額のリベートが動くシステムが気付かれていくのだろう。
それは発展途上国を一見日本が食い物にしているように見えながら、その実欧米諸国に日本が食い物にされているのかもしれない。アジアの雄である日本、しかし欧米諸国はその悠久の歴史を持つゆえか、百年に跨って自国に有利に働く国際社会の絵を描くという。上には上がおり、そして民族や風習の違いから生まれる我々が想像だにしなかったカラクリが今後も、いや今そこに潜んでいるのかもしれない。
またも服部真澄氏は社会の暗闇にメスを入れてくれた。そしてまたもやその読後感は苦かった。


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天の方舟(上) (講談社文庫)
服部真澄天の方舟 についてのレビュー
No.641:
(8pt)

古き良き、むくつけき酒飲みたちの物語

前作『八百万の死にざま』でとうとう自身が重度のアルコール中毒であることを認めたスカダー。彼のその後が非常に気になって仕方のない読者の前に発表された本書はなんと時間を遡った数年前にスカダーが遭遇した事件の話だ。

今回はモグリの酒場モリシーの店に強盗が入った際、偶々スカダーが一緒に飲んでいた連中に纏わる依頼事を受ける、モジュラー型の探偵小説になっているのが今までのシリーズとは違う所だ。
スカダーが受ける依頼は3つ。

1つはモリシーの店の経営者ティム・パットからスカダーも居合わせた強盗事件の犯人の捜索。

2つ目はミス・キティの店の経営者の1人スキップ・ディヴォーから店の裏帳簿を盗んだ犯人の捜索。

3つ目はアームストロングの店の常連トミー・ティラリーの妻が殺された事件で容疑者として捕まった二人組が窃盗だけでなく妻殺しも犯した証拠もしくは証言を見つける事。

そのうち物語の中心となるのは2つ目の捜索。裏帳簿を片に大金をせしめようとする犯人との交渉はなかなか緊張感に満ちてサスペンスフル。しかし相手が完全なる悪ではなく、帳簿のコピーを取らないなど、脅迫犯にしてはクリーンなところがいささか物足りないが。

そしてこのようなモジュラー型ミステリの例に漏れず、3つの事件は意外な繋がりを見せる。

これは古き良きむくつけき酒飲みたちの物語。酒飲みたちは酒を飲んでいる間、詩人になり、語り合う。だから彼らは酒場を去り難く思い、いつまでも盃を重ねるのだ。
そんな本書にこの邦題はぴったりだ。まさにこれしか、ない。

しかしそんな夜に紡がれる友情は実に陳腐な張り子の物であったことが白日の下に曝される。もう彼らが笑いあって盃を酌み交わす美しい夜は訪れないのだ。

本書の原題は“When The Sacred Ginmill Closes”、『聖なる酒場が閉まる時』。
先にも書いたようにこれは遡る事1975年の頃の話である。つまりかつてはマットが通っていた酒場への鎮魂歌の物語だ。
この題名は冒頭に引用されたデイヴ・ヴァン・ロンクの歌詞の一節に由来しているが、その詩が語るように酔いどれたちが名残惜しむ酒場への愛着と哀惜、そして酒を酌み交わすことで生まれる友情を謳っているかのような物語だ。

そしてこのヴァン・ロンクは実在したアーティストで、題名の元となった歌「ラスト・コール」の詩が引用されているが、この詩が実にマット・スカダーの生き様を謳ったかのような内容で実に心に染み入る。

ところで書中、スカダーの探偵術について独りごちるシーンがある。彼は仕事を請け負いながらもどうやって犯人を推理し、謎を解くのかは解らないのだという。ただ街を歩き、人に逢い、そして何度も同じ場所を赴くだけだ。
警官時代、彼は暗中模索の中、いきなり有力な証拠が挙がって事件が解決に向かうパターンと犯人が最初から解っていて、それを証明するための証拠を見つけるだけのパターンがあった。しかしその過程は今でもどういう風にそこに至ったかは不明で、手持ちのカードを見つめ続けただけだった。それはジグソーパズルのように、当てはまらなかったピースが、ある時角度を変えた時にいきなり当てはまるような感覚に似ているのだという。つまり答えは常に目の前にあるのだというのだった。

短編「バッグレディの死」でもそうだったが、マットは確かに何か確証を持って捜査をするのではなく、とりあえず得た情報をきっかけに人に逢い、現場に向かうだけだ。
しかしそれを何度も繰り返すだけなのに、それが街の噂に上り、犯人が不安になって自ら馬脚を露すという不思議な味わいの作品だった。彼は自分が動くことで何かが変わることを知っているし、迷った時は発端に戻るという警官の捜査の鉄則に基づいて動いていることが解る部分だった。ちなみに件のバッグレディことメアリー・アリス・レッドフィールドも本書には顔を出す。

そして最後の1つの事件。トミー・ティラリーの妻殺しの真相もマットによって実に辛い結末を迎える。

マットは常に人殺しを許さない。それは自分が任務中の誤殺とはいえ、少女殺しであるからだ。彼は贖罪の為に警察を辞め、報酬を貰い、彼に助けを求める人たちへ便宜を図る。そんな暮らしを自分に強いているがために、人を殺してまっとうな社会に生きようとする人が許せないのだろう。
知らなくてもいい真実を敢えて晒すことで何か大事な物が壊れようともそれがマットの流儀ならば、彼は愚直なまでにそれに従うのだ。

物語のエピローグでは彼らの現在が語られる。彼が過去を振り返る現在ではあの頃飲み仲間だった連中は街を離れ、ある者は死に、ある者は別の地で新たな生業に就き、またある者は行方知れずとなっている。そして彼の街も様相を変え、今でも続く店もあるが、既に無くなった店の方が多い。なんとマット行きつけのアームストロングの店さえも、もうすでに無くなっている有様となっている。

シリーズがこの後も続いていることを知っている今ではこれがいわゆるマット・スカダーシリーズ前期を締めくくる一作である位置づけは解るが、訳者あとがきにも書かれているように、当時としては恐らく本書はローレンス・ブロックがシリーズを終わらせるために書かれた、酔いどれ探偵マット・スカダーへの餞の物語だったのだろう。
それくらい本書の結末は喪失感に満ちている。

しかしここからこのシリーズの真骨頂とも云うべき物語が紡がれるのだから、本当にブロックの才には畏れ入る。
まずは静かにアル中探偵マット・スカダーのアルコールへの訣別となるこの物語の余韻に浸ることにしよう。


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聖なる酒場の挽歌 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)
ローレンス・ブロック聖なる酒場の挽歌 についてのレビュー
No.640: 3人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

やはり順番がギクシャクしているなぁ

『すべてがFになる』から始まる犀川教授と西之園萌絵コンビのS&Mシリーズ第2作の本書は実はこちらが最初に書かれた作品らしい。
その節は確かにあり、犀川と西之園萌絵の現状や家庭環境などがきちんと語られ、イントロダクションとなっている。一応ところどころに真賀田四季の事件のことが挟まれてはいるが、どうも話からは浮いた感じがしてしまう。

今回の事件は犀川の勤めるN大学で、親友で同僚でもある土木学科の喜多教授が所属する極地研で起きた密室殺人事件に挑むというもの。
1作目も密室ならば2作目も密室。しかもどちらも一種特殊な建物の中での殺人ということで、いわゆる館物に属するが、森氏の作品に出てくる建物は大学の特殊な実験のために建てられたという点で現実的であることだ。
1作目の感想にも述べたが、森氏自身が建築学科の教授でもあるため、出てくる建物が特異であっても奇抜さは感じない。建築基準法に則した建物であり、更には犀川の視点を通じて意匠についてのコメントもあり、リアルさを感じる。

事件は実にシンプルな密室殺人なのだが、シンプル故になかなか謎を解明できない。
しかし私には本書の謎がさほど魅力的には映らず、地味な殺人事件を嬉々として解決しようとする西之園萌絵の無邪気さに半ば呆れ、半ば怒りさえ覚えたりもし、萌絵が事件の秘密を暴こうと極地研に潜入した際に犯人と思しき人物によって襲われた時は逆に溜飲が下がる思いがしたものだ。

ただそんな強い負の感情によって引き起こされた事件は解決編で明かされる真相を読む限り、数学的な論理的整然さを伴っており、方程式を解いたような小奇麗さを感じる。
1つの部屋に入ったのは4人。残っていたのはそのうち2人。さて残りの2人はどうやって部屋から自然な形で出て行ったのでしょう。
そんな知的パズルの解を見せられた思いがした。

ところでこの前に読んだ『氷菓』の折木といい、本書の犀川といい、事件の渦中にいながらも積極的に謎解きに関与しないのが昨今の名探偵の姿勢らしい。
確かにゆとり世代―これらの作品の登場人物の年齢よりはかなり下がるが―と呼ばれる最近の若者の妙に悟りきった考え方やあまり力を入れずに額に汗かくことを厭う緩さに共通する物があるように感じた。

このドライな感覚、つまり事件の渦中にいながらもどこか他人事のように冷めた視線で物事を見つめる視線は確かに名探偵の必要な要素ではあるが、大学教授である犀川はあまりにリアルすぎて探偵役としてなかなか素直に受け入れられないきらいがある。やはり本格ミステリの名探偵は浮世離れしたエキセントリックさが必要ということか。

正直2作を読んだ現段階ではなぜドラマ化されるまでこのシリーズが持て囃されるのかがまだ解らない。上に書いたように犀川のドライさ、西之園萌絵のお嬢様ゆえの他者のテリトリーに土足に上がり込むだけでなく、警察の本部長を務める叔父へ強引に協力を求めて捜査記録を拝借する厚顔無恥さはアラフォーになった今の私にはなんとも常識知らずとしか思えない。
しかし巷間数多溢れる本格ミステリの探偵とは元々そんな存在ではないかと一方で思う私もいる。

S&Mシリーズ全10作を読み終えた時にこのシリーズの真価が解るのかもしれない。
とにかく今結論を出すにはまだ早いのだろう。犀川と西之園萌絵にこれからどんなことが起き、そして彼らにどんな変化が訪れるのか、根気よく付き合っていこう。


▼以下、ネタバレ感想
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冷たい密室と博士たち (講談社文庫)
森博嗣冷たい密室と博士たち についてのレビュー
No.639: 3人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

現代ミステリ旗手の片鱗

2001年に角川スニーカー文庫で発刊され、現在では角川文庫で刊行されて今なお版を重ねている米澤穂信氏のデビュー作はその人気ぶりが頷けるほど読みやすく、またキャラが立っており、しかもミステリ興趣に満ちている。

主人公の折木奉太郎はやらなくていいことはやらない、やらなければいけないことは極力手短にがモットーの省エネ人間、つまり事なかれ主義者なのだが、海外を放浪する合気道と逮捕術を会得したスーパー女子大生の姉供恵の命により廃部寸前の古典部に入部する。

部員の千反田えるは神山の四名家の1つである千反田家の出で、お嬢様ながら好奇心旺盛。友人の福部里志は減らず口の似非粋人でいつも笑みを浮かべている。幼い顔と低めの背丈で男子の耳目を集める伊原摩耶花は七色の毒舌を誇る女子、と古典部の部員は実に個性豊かだ。

しかしそれだけならば単なる読んで楽しい学園生活を追体験できるラノベに過ぎないのだが、本書の素晴らしい所は本格ミステリとして非常にレベルが高く、そしていわば理想の本格ミステリとなっていることだ。

ジャンルとしては北村薫氏に代表される「日常の謎」系だ。物語のメインの謎は33年前に神山高校の古典部のOBだった千反田えるの伯父、関谷純に幼き頃千反田が尋ね、大泣きしてしまった古典部に纏わる話の謎だ。この謎を主軸に物語には様々な小さな謎が散りばめられている。

入部初日になぜ千反田えるは鍵を掛けられて部室に閉じ込められたのか?毎週金曜日に昼休みに借りて放課後の返される本の目的は?

神山高校の文化祭はなぜカンヤ祭と呼ばれているのか?

以前は古典部の部室であったが、今は壁新聞部の部室となっている生物講義室で部長の遠垣内はなぜ折木たちを歓迎しないのか?

たった210ページ前後の分量しかないのに、ほとんど全ての内容が謎に絡んでくる、実に濃厚な本格ミステリである。これが理想の本格ミステリだと前述した理由でもある。

デビュー作にしてミステリとしても実に高度なレベルに達した作品を放った米澤穂信氏が今なぜこれほどまでに評判が高いのかがこの1作で理解できる。

また技術だけでなく、物語としても心に響くものがある。特に物語最後に判明する本書の題名でもあり、古典部の文集の名前でもある『氷菓』に託した千反田えるの伯父で33年前に退学を余儀なくされた古典部OB、関谷純の思いは何とも云えないほど切ない響きを湛えていた。

幼き頃に関谷純にある質問をして号泣した千反田えるが長く抱えていた謎に十分応えるだけの重みがある。

さて本書ではまだまだ語られるべきエピソードが残っている。千反田家を除く神山の地の四名家、荒楠神社の十文字家、書肆百日紅家、山持ちの万人橋家とそれに続く地位を持つ病院長入須家はまだ名のみが出たばかりだし、さりげなく学校史『神山高校五十年の歩み』の1972年の出来事に書かれた古典部顧問の大出先生と同姓の人物の死などなど。
これらはおいおいシリーズの中で触れられていくことだろう。

とにかく何事もなく日常を過ごすことを至上としている省エネ高校生、主人公折木奉太郎が古典部の面々と彼らが持ってくる謎に関わることで彼の中で変化が起きてくる。何かに一生懸命になってエネルギーを費やすことに理解が出来なかった彼が千反田の旺盛な好奇心によって否応なく関わりを持たされることで彼もそんな仲間に加わりたくなる。
これは折木奉太郎が変わるための物語でもあるのだろう。

さてこれから古典部の面々がどんな事件に遭遇し、解決していくのか、最初からこのクオリティだと期待しないでおくなんて絶対できないではないか。


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氷菓 (角川スニーカー文庫)
米澤穂信氷菓 についてのレビュー
No.638:
(7pt)

これは真実か、それとも彼女の創作か?

本書はジェームズ・M・ケインが生前に遺した幻の遺作であり、よくぞ訳出してくれたとまずは新潮社の仕事に敬意を表したい。

私が唯一読んだケイン作品は『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で14年前に読んだ印象は愛欲ゆえに殺人を犯す2人の男女の話ながらも淡々としてあまり残っていない。
しかし本書のこの牽引力はどうだろう。特に派手な事件が起こるわけでもないのに、若き未亡人で周囲からも夫殺しの疑いを掛けられ四面楚歌となっているジョーンの健気さと一本芯の通った強さがどんどんページを繰らせる。

若き未亡人ジョーンがカクテル・ウェイトレスと云うちょっと露出度の高い制服を着て給仕をする職につくことで富豪の老人に出遭い、状況が好転していく様は『マイ・フェア・レディ』や『プリティ・ウーマン』の系譜に連なるシンデレラ・ストーリーとして読ませる。

しかしそこはケイン。「そしてジョーンはお金持ちと結婚して幸せになりました」的なお伽噺のようには物語は展開しない。
念願適い、富豪の妻となったジョーンはホワイト氏の情欲溢れる愛撫に耐えられなかった。人として好きなのだが、男としては単なる醜悪な老人としてしか接しきれなかったのだ。そしてホワイト氏と結婚した大きな目的である息子タッドを取り戻すことに失敗してからはさらにその気持ちに拍車がかかり、ハンサムな青年トム・バークリーへの恋情が募るばかりとなる。

しかし通常のケイン作品ならばここでトムと共謀して富豪を殺す計画を立て、巨万の富を2人占めにしようとするのが定石のように思えるが、ジョーンはあくまで自分を崩さず、ホワイト氏を富豪ではなく、一介の老人として毅然とした態度で振舞うのだ。

この主人公ジョーンは一見ダメな男に騙されて結婚を失敗した世間知らずの女性として登場しながらも弁護士の娘として紳士録にも載っているという家柄の良さなのか、彼女にレディとしての芯の強さを感じさせる。決して自分を安売りしない、強い女性像がジョーンには感じられた。

しかしそんな彼女を世間は、そして彼女の関わる周囲は悪女として悪意ある視線で見つめる。
まずは暴力夫が偶然事故によって亡くなることで妻による計画的犯行と思われる。その次はきわどい制服で店に出ていたところを富豪の老人に見初められ、結婚するが、老人には狭心症を患っており、老人はそれが元で亡くなり、またもや彼女は財産目当てで結婚したと思われる。
そしてさらに葬儀の後に訪れた一度関係を持ったハンサムな男性の許を訪れ、一夜を明かすという愚行を起こし、更にはその男性が亡くなることで連続夫殺しの汚名を着せられる。

正直主人公ジョーンにも周囲に誤解を招くような行動があることは否めない。幾度となく独白される自身の欠点、自制心が弱く感情に任せて云いたいことやつい手が出てしまうがためにさらに周囲への誤解に拍車がかかるのだ。

数々のファム・ファタール、悪女を描いてきたケインが最期の作品で書いたのはその容姿と状況ゆえに図らずも悪女に祭り上げられ、マスコミや周囲の好奇の的とされる不遇な女性の物語だった。不遇な女性の立身出世のシンデレラ・ストーリーはケインの手によるとこんなダークな色合いに変わる。

人の噂や風聞とは怖いものだ。対象となる人や物の実態を知らない者たちが心無い人の発言により口コミで伝達され、瞬く間にイメージが作られていく。
本書はそんな状況に巻き込まれた女性の手記の形で綴られている。

確かに手記ならばジョーンの告白には虚偽が挟まれている可能性もあるだろう。つまりジョーンは自らの犯行を隠ぺいするためにこの手記をしたためた、いわゆる信頼のおけない書き手であるかもしれない。
しかし私はそこまで読み込む、いや疑いの眼差しで読むことはしなかった。
本書をそのまま受け入れ、単なる伝聞での上っ面だけの情報だけでなく、その目で確かめて本質を見極めた上で自身の考えで判断なされよ。そんなメッセージが込められているように感じた。


▼以下、ネタバレ感想
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カクテル・ウェイトレス (新潮文庫)
No.637:
(7pt)

スパイはやはり道具でしかないのか…

フリーマントルがジャック・ウィンチェスター名義で発表した本書は実にフリーマントルらしい運命の皮肉に満ちたスパイ物語となった。

オーストリアのユダヤ人であるフーゴ・ハートマンは多数のユダヤ人の例に漏れず、ナチに拉致され強制収容所で屈辱の日々を過ごした過去を持つ。そして解放後彼はKGBとCIAの二重スパイとして今に至る。

それが彼の類稀なる才能を引き出すことになった。つまり図らずも二重スパイはハートマンにとっては天職だったのだ。しかし人波の幸せを願う彼はこの稼業に終止符を打ちたがっていた。
これは優秀な二重スパイがいかにして国にボロボロになるまで利用され、果てには国の秘密を保持するために抹殺される運命から逃れる物語である。

たった270ページしかない作品ながら、ここには物語巧者であるフリーマントルによるサプライズが複数用意されている。

まずは主人公ハートマンと息子デイヴィッドとの確執である。

もう1つはラインハルト殺害時にハートマンが思わず溢す妻ゲルダに対してのある思いだろう。

そして最後のサプライズは後述する事にしよう。

原題は“The Solitary Man”。つまり世捨て人だ。ハートマンはCIAとKGBの二重スパイを辞めるために自らを葬り去ろうとする。この題名はこれから来ている。
通常のフリーマントルの諸作品に倣えば「自分を葬ろうとした男」といった具合になろうか。従って今回の邦題はあながち間違っていないながらもロマンチックに過ぎるような気がしないでもない。

物語の結末の皮肉さはフリーマントル作品を読み慣れた者ならばあながちサプライズとは感じないだろう。
決して幸せになれない人がいる。そんな男に対するフリーマントルの筆は今回も容赦はなかった。


▼以下、ネタバレ感想
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スパイよさらば (新潮文庫)
No.636:
(7pt)

白銀の斜面を滑るかのようにスピーディ

おっさんスノーボーダーである東野圭吾氏が存分に自分の趣味を全面に押し出したのが本書だと云えよう。冬季オリンピックを題材にしたエッセイ『夢はトリノをかけめぐる』で述べられていたスノーボードをテーマにした作品『フェイク』とは本書のことではないだろうか。

しかし実業之日本社文庫創刊の起爆剤として文庫オリジナルで発表された本書は単行本で出してもコストパフォーマンスはよかっただろうと思われるクオリティに満ちている。

物語は新月高原スキー場に爆弾を仕掛けた犯人と経営者側の攻防を主軸に、1年前に起きた北月エリアでのスキー客死亡事故、その事件で閉鎖状態にある北月エリアの煽りをもろに受けて不況に苦しむ北月町の人々、そして間近に控えたクロス大会とそれぞれの事情を盛り込んで繰り広げられる。

この全てが見えない糸で導かれるかの如くに解き明かされるこのカタルシス。
いやいやこれが文庫オリジナルなんてどうしてどうして!物凄くコスパの高い作品ではないか!

物語の結末はちょっと苦い。

今回珍しく思ったのは全編にスキー、スノーボードの専門用語や俗語が横溢していながらもそれらについての細かい説明などはなかったことだ。それは日本人ならば当然だろうと、ウィンタースポーツの門外漢を置き去りにするが如くで、とにかく「俺はこれが書きたかったんだ」と作者が愉しんで執筆していることが行間から滲み出てくるほどだ。
物語の最初から終わりまで、まさにスキー、スノーボードの疾走感を覚えるが如く一気読み必至の1冊だ。
ドラマ化されたのも頷けるほどの出来栄え。録画しとけばよかったなぁ、ドラマ。


▼以下、ネタバレ感想
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白銀ジャック (実業之日本社文庫)
東野圭吾白銀ジャック についてのレビュー
No.635:
(7pt)
【ネタバレかも!?】 (2件の連絡あり)[]   ネタバレを表示する

新しいものを生み出しても繰り返される愚かさ

20世紀は情報化社会と云われて久しいが、服部真澄氏がこの高度情報化社会をテーマに小説を書くとこんなにも我々の想像を凌駕した世界が広がるのかと唖然、いや驚愕した。
今やウェラブル・カメラが販売されるようになった現在。その6年も前にほくろサイズの超小型ウェラブル・カメラと15テラバイトもの大容量記憶端末を体内に埋め込んで一生分の目にした画像を記憶する“ヴィジブル・ユニット”なる装置を創造した服部氏の慧眼にまず物語冒頭から開いた口が塞がらないほどの衝撃を受けた。
常に時代の先端を予見し、我々のまだ見ぬ世界を見せてくれる服部氏だが、今回もその期待は裏切らず、いやはるかに超えた高度情報化社会の光と影を見せつけてくれた。

ただこのヴィジブル・ユニットに関しては個人的には魅力を感じなかった。なぜなら365日24時間自分の行動が記録されることは自身の恥部や秘密なども記録されるからだ。
誰がそんなものを過去に残しておこうと思うのか?この価値観の違いに共感を覚えられなかったのは本書を読むのに終始違和感を抱く要素となった。

その違和感は物語の後半である大きな陰謀へと繋がるのだが、それについては後述する。

さてどんな一般人でもその人が一生の中で同時期に体験したことが貴重な情報となり、それが思いもかけない金のなる木になる可能性を秘めている。だからこそ企業は個人情報を欲しがり、不法な手段を使ってまでも手に入れようとするのだ。

しかしそんな文字上だけの情報ではなく、一人一人が目にした画像が一生分記録され、それがデータとして蓄積され、観ることが出来たら?
そんな所から本書のアイデアは生まれている。いやもはやこれは世界の最前線に詳しい服部氏が既に得た確度の高い情報が基礎となっているのかもしれない。

今まで古い書物や残された手記、更には写真と云った媒体を介してでしか当たることのできなかった歴史。それが映像として記録され、再現されることになったのはまだ前世紀の後半になってからだ。そして物語の舞台となった2025年では誰もが歴史の生き証人となり、その目の当たりした画像が貴重な情報となっていく。
しかし企業はそれを買うのではなく、寧ろ料金を徴収してストックするサービスを行う。それは誰もが生きていた証を後世に遺したいという欲望を持っているからだ。この人間の原理に着眼し、新たなビジネスを創造した作者の発想の妙。
しかしいつもながら何と云う事を考え付く人なのか、服部氏は。

しかしそんな新しいビジネスにも影が潜んでいる。いつもながら服部氏は巨大企業のサービスの裏に潜む企みを一般市民の我々に痛烈に突き付けてくれる。甘い話には裏があるというが、この世の中には建前のカバーストーリーがあり、企業の真の目的は個人のプライヴァシーまで踏み込んで私腹を肥やすことにある。

上にも書いたが、あらゆる情報の中で個人情報ほど貴重な物は無いからだ。

人々が望んで自らの体内にカメラを埋め込み、自らの生活の一部始終を記録してくれることになった世の中で、そんな貴重なデータ蓄積装置を開発した会社が黙って放置するわけがない。それらは無料回収というリサイクル事業の名の下、企業に吸い取られ、蓄積され、個人が丸裸にされていく。知られたくない過去や性癖だけでなく、携わったプロジェクトや組織の公には見せたくない醜い争いと云ったものまでが白日の下に曝されるのだ。

高度情報化社会が進んだ行く末路の多大なる危険性を本書は警告してくれる。

しかし驚きはそれだけに留まらない。
思い出は美化されるの言葉の如く、人が記録した画像もまた美化されるように改竄される技術が生まれる。つまり記録された個人の動画から史実を再現する事さえもまた嘘に糊塗されてしまう可能性が生まれるのだ。

2025年から2119年の94年という永いスパンで語られる本書は高度化する技術の果てしのない騙し合いがいつの世でも繰り返される虚しさを物語っている。歴史の証言者たろうとした者が遺した記録媒体は100年後では改竄が当たり前になった世の中で真実であることさえも疑われる。真贋を判定するソフトにかけないと情報の真偽でさえ、偽の画像がリアルすぎるがゆえに判断できなくなってしまっている。
これぞテクノロジーのジレンマではないだろうか。
我々は人々のニーズに応えて色んな物を生み出してきたが、それは果たして本当に正しいものだったのか?ニーズがあるからそれがいけないことだと知りつつも開発され、生み出された物もある。しかしそれを求める人間、いや発想し具現化する者がいる限り、このテクノロジーの果てしのない愚かなゲームは終わらない。

『ポジ・スパイラル』でも服部氏は地球温暖化を解決する新たなビジネスモデルを案出したが、それに伴う危険性もまた容赦なく提示した。そして本書もまた今までにないビジネスモデルを創出しながらも、それが行き着く虚しいまでの袋小路と警鐘を示した。
とにかくその想像力の豊かさゆえにその先を見通す眼力は只者ではない。これは恐らく同じことを考えている人々に対する警告と利用するであろうユーザーへの警告を促しているのかもしれない。

我々はどこに向かい、そして何を得るのか。本書を読んでそんな思いを抱いた。

エクサバイト (角川文庫)
服部真澄エクサバイト についてのレビュー
No.634:
(7pt)

モンドリアンが多すぎる!

泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズ第5作目の本書では抽象画モンドリアンが事件の中心に据えられている。

4作目ともなるとシリーズキャラクターが定着して読者はローデンバーの住む世界に還ってきた気になり、物語にすっと入り込める。
レズで泥棒のパートナーでもあるキャロリン・カイザーを始め、前回の事件で知り合った画家のデニーズ・ラファエルソンも再登場し、端役だった前回とは違い、本書では絵画がテーマでもあって、かなり重要な役割を果たすことになる。そして腐れ縁の警察官レイ・カーシュマンももちろん健在だ。

さてそんな連中が一堂に会する本書の事件とは意外にもキャロリンから端を発する。
キャロリンの愛猫アーチーが何者かに誘拐され、バーニイはキャロリンの力になるうちにモンドリアンの絵を盗むことになる。そんな最中に巻き込まれるのがモンドリアンの絵の所有者であり、バーニイに古書の鑑定を依頼したオーダードンク氏の殺人容疑に、町の芸術家ターンクウィスト殺害の容疑だ。バーニイは実際にオーダードンク氏の住む難攻不落と云われるセキュリティ厳重のアパートメント、シャルルマーニュに、別の盗みで忍び込んだ経緯もあって、またもやバーニイは自分の真の犯罪を隠すために殺人の容疑を晴らさなければならなくなるのだ。

しかしそんな本書の事件の真相は実に複雑。蓋を開けてみれば名画を巡る贋作、また贋作が飛び交う名画詐欺の全貌が見えてくる。

そんな事件の間に飛び交うのはなんと6枚のモンドリアン。そのうち5枚は贋作で1枚が真作。その5枚はもうどこにどれが行ったのか正直完全に理解していないほど複雑に人から人へと渡っていく。
そして真作の1枚はどこへ行ったのか。それは本書を読んでのお楽しみだ。

しかしシリーズを重ねるごとに事件の構造が複雑になってきて、読者側も理解するのに最後の解決シーンではかなりの頭脳労働を強いられてくる。
それもそのはずで、本書のもう1つの楽しみは古書店主であるバーニイの特徴ゆえに随所に古典ミステリに関する薀蓄やウィットが散りばめられている。それらがクイーンだったり、カーだったりスタウトだったりと日本の本格ミステリファンにはお馴染みの名前や作品が上がってくるのだ。特に最後ではキャロリン自身がレックス・スタウトの作品みたいに“モンドリアンが多すぎる”と称するのには思わずニヤッとしてしまった。まさにこれこそが本書に相応しい題名だろう。

しかし泥棒バーニイにとって巻き込まれる事件は2件の殺人事件の冤罪とよくよく考えるとかなり重い内容となるのに、このバーニイの軽快さは一体何なのだろう。危機を危機と思わずむしろ嬉々として状況を愉しんでいるかのように思える。
事件が重なるごとに彼の状況はさらに複雑になってきているが、次回もまた泥棒の七つ道具を右手に、そしてユーモアを左手に持って我々に楽しい本格ミステリと物語を見せてくれるに違いない。


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泥棒は抽象画を描く (ハヤカワ・ミステリ文庫)
No.633:
(7pt)

アラフォー男性の本音だと思われたくない!

本書は妻と一人の娘を持つ男の不倫の物語である。
しかしそこは東野圭吾氏、単なる男の道ならぬ恋を描かない。そこにはやはりミステリが織り込まれている。
建設会社に勤める主人公渡部の不倫相手仲西秋葉は高校時代に自宅で殺人事件の第一発見者となっており、その事件の時効が直前に迫っていた。そして彼女は殺人事件の真犯人だと睨まれていた。

しかしこれは世の女性が読めば男に対する嫌悪感が否応なしに増す物語だろう。妻子ある男が自分を正当化して浮気し、不倫まで発展していく様子と、それを上手く隠して家庭を守ろうとする姿に憤りを覚える女性は少なくないだろう。
奥さんに罪悪感あるのなら不倫しなければいいじゃん!と本書を読みながら声高に唱える女性読者の姿が目に浮かぶようだ。

さらに火に油を注ぐかの如く不倫相手の派遣社員仲西秋葉が実に都合のいい女性として描かれている。30代、165センチのすらっとした鼻筋の通った眼鏡美人。しかも渡部の家庭を崩すことは考えておらず、週に一度デートとセックスをしてきちんと家に帰すというまさに世の男が理想とする不倫相手なのだ。しかも渡部の奥さんの有美子は夫の不倫を疑っていない(ように描かれている)。

特に渡部の主観から映る有美子の様子は世の女性ならばそんな嘘はすっかり奥さんにはお見通しなのよ!とばかりにすごい剣幕で読んでいるのではないか。

このまさに男にとって実に都合のいい話はしかし最後でどうにか救われる。

さて渡部のこの不実な言動は解らなくもない。誰だって綺麗な女性を目にすれば何かしら接触を持ちたいと思うのが本音だ。頭では既婚者であることは解っていてもまだ自分の男ぶりを試したいという気持ちがあるのが男だろう。

しかしだからといって同性である男性が共感する話かと云えば決してそうではない。私はこの主人公渡部の身勝手な言動に終始腹を立てていた。
本書はアラフォー既婚男性である渡部の一人称叙述で語られており、この渡部の言葉や思想がいやに断定的でこれが世の中の男性の思いを代弁しているかのように書かれているのが非常に腹立たしかった。

曰く、妻とのセックスはときめきはなく、ただ外的な刺激に反応しているだけ。
世の中の夫婦の大多数はもはや男と女ではない。
結婚式と結婚は違う。
結婚は安心を得るためにし、その安心を得るために払った代償は大きかった。
いい母親はかつてのように恋人の対象ではない、セックスしたい対象でもない、かつて愛した女性とは別物。

こうやって挙げていくだけでも非常に失礼甚だしい渡部語録のオンパレードだ。一緒にすんな!と何度も声に出してしまったことか。

また不倫相手の秋葉が家庭を大事にする自分に気を遣って嘘をついてまで家庭のイベントを優先させることに気を揉んで、とうとう一線を超えた発言を勢いでするなど、非常に考えの浅いところが鼻についた。
責任を取る、後悔はしない、させないとその場で半ば意地になって断言し、その後の秋葉の態度や云ったことの重大さに押しつぶされそうになり、どんどん家庭崩壊へのカウントダウンが始まっていく。特に残酷なのは奥さんである有美子が良妻賢母で夫の不倫を一切疑っていないことだ。どうしてこんなにいい奥さんを持って不倫が出来るのか、それが恋愛だと云われても良識あるアラフォーの男の発言だとは思えないほど浅薄だ。

結婚後数年経っても恋愛感情を持つ夫婦はいる。それが私だ。
私は嫁さんが大好きである。とにかくこれだけ自分の為に尽くしてくれる嫁さんには感謝の気持ちしかないし、本当に逢えてよかったと思っている。
だから女性の読者は渡部の考え方が妻帯者の一般論だと絶対誤解しないで貰いたい。

しかし渡部の言動は離婚をした東野氏の本音なのか?そして理想の不倫相手を描くための妄想の産物なのか?
浮気の隠し方やアリバイ工作などあまりにリアルで実体験が伴っているようにしか思えないのだが。逆に想像でもそんなリアルを感じさせるのが作家なのだと開き直られそうな感じもするが。

また渡部の生活にもリアルさがないのが気になった。建設会社の主任クラスで移動にタクシーを頻繁に使い、銀座や横浜のバーで飲み食いし、さらにはホテルをとって毎週情事に浸るなんて、およそ一介のサラリーマンの懐事情とはかけ離れた生活をしているのが非常に気になった。
こんな生活が出来るほど貰ってないだろう。ましてや家のローンも残っているだろうし、そんなときに真っ先に減らされるのが夫の小遣いなのだから、この辺のリアルさに欠ける描写の数々は東野作品らしくなくて非常に気になった。

そんな不快感を終始覚えた本書は最後の事件の真相が明らかになってどうにかギリギリのところで踏み止まってくれた。
やはりこれはミステリだった。事件の関係者がたった4人でしかも特に不可能趣味がある犯罪ではないのに、意外な真相と人の心の裏面を描き出してくれた本書はクイーンの後期の作品に通ずるエッセンスを感じたというとほめ過ぎだろうか。

しかしとはいえ、やはり不倫を正当化する男の話は読みたくないものだ。同性としてなんとも情けなくなってくる。これ1冊で勘弁してもらいたい。


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夜明けの街で (角川文庫)
東野圭吾夜明けの街で についてのレビュー
No.632:
(8pt)

冷戦に対するある種の解答

本書はアメリカとソ連、すなわちCIAとKGBの永い冷戦の歴史を数奇な運命を辿ったアメリカとソ連に別れて育てられた2人の異父兄弟の生き様に擬えて語った一大叙事詩だ。いやもっと端的に云うならば米ソ二大国を巻き込んだ壮大な兄弟ゲンカとなるだろう。

しかし戦争や民族抗争が生む業というのはどうしてこうも深いのだろう。ただユダヤ人に生まれたというだけで狂った政府は粛清を行う。有名なのはナチス・ドイツだが、本書ではスターリン政権下のソ連が舞台で狂えるスターリンもまたユダヤ人が自身の命を狙っているとしてユダヤ人を次々と処刑していった。

そんなユダヤ人の中に詩人トーニャ・ゴルドン=ヴォルフがいた。そして一方ソ連のKGBにはボリス・モロゾフと云う常に哀しみを讃えた眼差しを持つ男がいた。その2人が出逢ったが故に、この数奇な運命を辿る兄弟の物語は始まる。

アレクサンドル・ゴルドンとジミトリー・モロゾフ。2人の兄弟の生い立ちはアメリカとソ連が辿った冷戦の歴史そのままだ。アメリカに渡って伯母の許で育てられ、西洋の文化に触れ、アメリカ側からソ連の有様を知るアレクサンドル。

一方ソ連に留まり、孤児院で荒んだ生活を送りながらKGBに所属するジミトリー。父親の死を知らされることでユダヤ人を憎むようになる彼は深く深く憎悪の闇へと堕ちるような人生を送る。

この対照的な二人の生き様はまさに陰と陽。それはそのままアメリカとソ連の辿る歴史の行き様でもある。

我々はアレックスとジミトリーの生涯を通してアメリカとソ連、そして1960年代から90年代にかけての世界情勢の暗部を知ることになる。
スターリンのヒットラー信望から端を発するソ連国内での大量ユダヤ人虐殺、いつ失脚し、粛清を受けるか解らない極限の緊張下に置かれたソ連政府の高官や軍人たちは秘密裏に西側諸国へ亡命を企て、ソ連政府は情報漏洩を阻止すべくKGBの工作員たちを派遣し、次々と粛清していく。

物語のキーを握るCIA工作員フランコ・グリマルディのソ連での潜入任務を通じて、日々の生活でさえ、絶えず周囲の監視の目を意識して送らねばならない雰囲気は途轍もない重圧を行間から感じる。

そして運命の2人が邂逅した時こそ彼らの人生を流転させる瞬間でもあった。最初は長年適わなかった再会を喜び、それぞれがそれまで辿った道のりを語り、空白を埋めていこうとするのだが、それぞれが育った文化の違いゆえにやがてそれは衝突を迎える。
母を尊敬する兄アレックスに対し、KGB工作員となった弟ジミトリーはKGB将校だった父親が処刑される原因をユダヤ人の母であるとし、憎悪している。そしてお互いの国の政治やシステムについて語るにつれ、その溝は深まっていく。そして決定的なのは2人が同じ女性を愛してしまったことだ。

諜報活動の駒として捕まえたロマノフ家の末裔タチアナにいつの間にかその姿態に絡め取られ、KGBの権力で征服を強調するジミトリーに対し、学問のみならず芸術にも造詣が深く、人間的な魅力でお互いに惹かれ合うアレックス。アメリカとソ連でそれぞれ育った兄弟の戦いはタチアナと云う1人の女性を巡る愛もしくは欲望から始まる。

アレックスは彼女を弟から奪い、それを知ったジミトリーは自身の手でタチアナを暗殺する。しかもそれはフランコ・グリマルディがアレックスをCIAに引き込むためにわざとリークした情報だった。

このタチアナの死こそが2人の永い戦いの始まりのトリガーとなる。この1人の女性を巡る兄弟の復讐と殺戮の連鎖はCIAとKGBという2大スパイ勢力の戦いにまで発展する。

こんな業深き2人の兄弟の生い立ちに深く関係するジミトリーの父親ボリス・モロゾフとはどのような人物だったのか。

ボリス・モロゾフの業は亡き妻の叔父を処刑したことから始まる。ソ連の敵対国であったポーランドは妻の生まれ故郷であり、しかもポーランド軍に彼女の叔父がいたのだった。そしてソ連軍によって捕虜となったポーランド兵を次々と処刑する任務に就いていたボリスの許に捕まった叔父がいたのだ。彼はモロゾフの名を連呼したことが功を奏してモロゾフと処刑寸前に逢う事が適うが、ソ連において上を目指すモロゾフは彼の存在を出世の足枷とみなし、その場で射殺してしまう。

そんな非道な行為の報いか、彼は愛する妻と娘2人を進攻したドイツ軍によって連れられ、処刑されてしまうのだ。傷心の彼の前に現れたのが亡き妻の面影を持つユダヤ人女性トーニャ。その出逢いがまた彼を狂気に駆り立てる。

彼女の夫であるユダヤ人男性を、証拠を捏造して反政府分子の1人に仕立て上げ、無理矢理逮捕して強奪したKGB捜査官ボリス・モロゾフもまたソ連という絶対秘密主義社会の歯車であることを利用して得られた権力を利己的に揮うがゆえに、雁字搦めに追いやられ、次第に破滅の道を辿っていく。

欲望、烈情、支配欲、出世欲、権力。これらのうち誰しもが1つは駆られる感情だ。
但しある特殊な環境で育った兄弟2人にとってはその出自自体が政治的醜聞の要素を色濃く湛えているがために、周囲から苛められ、また疎外される環境に否応なく追いやられてしまった。生まれた時からマイナスの状況であった2人にとって周囲を見返すために成り上がることは必然的な感情の発露だった。
ただアメリカとソ連、それぞれ共産主義と民主主義を看板に掲げる国にそれぞれ育った2人はおいそれとその道程も変わってくる。先にも書いたがまさに陰と陽、カードの表と裏といった環境で育った兄弟にとって陰であり裏であった弟は陽であり表であった兄を当然の如く忌み嫌うようになる。

この兄弟が殺戮の狂宴を国家権力を用いて繰り広げる絶望的な展開のなか、どう転んでも悲劇的な結末でしかあり得ないだろうと思われた読者の予想をバー=ゾウハーは軽々と覆してくれた。

いやはや何と云う物語を紡いだものだ、バー=ゾウハーは!まさに世界の表と裏を知り尽くした彼しか書き得ない叙事詩だ。

例えばジミトリーの生い立ちを通じて仔細に語られるKGB訓練学校の場面などはどうやってここまで書けるのか。
海外で潜入工作員として暮らしていくために行われる語学、文化、習慣についての授業に加え、尾行術、戦闘術に武器の使い方、そして暗殺の方法などについて教えられる場面が詳らかに描写される。作者の取材の賜物か、もしくは想像の産物なのかは解らないが、驚愕を覚えずにいられない。

本書は2人の兄弟の生き様を通じて描かれた米ソの冷戦の遍歴であると同時に世界を緊張下に長らく至らしめたあの冷戦とは一体何だったのかという命題に対し、作者なりに総括するために書かれた作品でもあるのだろう。

最近は寡作であるバー=ゾウハーはこの後に書かれた作品は『ベルリン・コンスピラシー』の1作のみで、しかも15年も経った2010年になっての作品だ。
巷間から忘れ去られるには非常に勿体のない作家だけに、これほど新作を期待する作家もないのではないか。
世界は彼の新作を待っているはずだ。


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影の兄弟〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)
マイケル・バー=ゾウハー影の兄弟 についてのレビュー
No.631:
(7pt)

映画化を意識しすぎでは?

マクリーン7作目の本書は豪華貨客船上で起こる数々の不審死とミステリ風味溢れる設定で幕が開ける。

いつも通りに行われるだろう出港は小型核兵器を盗んで失踪した科学者の捜索のため、アメリカ海軍の調査で足止めされ、さらには突然の乗客の要請で棺桶をニューヨークまで運ぶ羽目になった豪華貨客船。そんなトラブルでも航海は上々と思われたが、スチュワード長の失踪を皮切りに首席通信士、四等航海士が遺体となって発見される。

そんな展開はまさに船上の密室状態で繰り広げられる本格ミステリなのだが、物語の半ば170ページ前後で犯人は判明し、一味を取り押さえる事に成功して物語は一件落着の様相を呈するのだが、そこはマクリーン、単なるミステリでは終わらない。

そこからはまさに怒涛の展開。船内に忍び込んだテロリスト一味の仲間によって船は制圧され、主人公のジョニー・カーターも機関銃によって太腿を撃ち抜かれ、重傷を負う。

テロリストの狙いは金塊を載せたタイコンデロガ号と接触し、金塊とその報酬を交換すると見せかけて小型核兵器を積み込ませ、爆破して金塊をせしめようという計画だった。その金額なんと1億5千万ドル。
その企みを知ったジョニー・カーター一等航海士は満身創痍の中、単独で核兵器の軌道阻止と乗客の命を救うため、奮闘する。

題名『黄金のランデブー』とはこの金塊のやり取りが成されるカンパーリ号とタイコンデロガ号のランデブーを示しているが、読後の今ならばその「黄金」の意味が全く違ったものに変わってくる。

極寒の海、難攻不落の要塞、周囲を敵に囲まれた戦線の只中と人の極限状態を引き出すシチュエーションで不屈の闘志で苦境を切り抜ける人々の姿を描いてきたマクリーンだが、この頃になると自然との闘いというシチュエーションから孤島の中の基地、豪華貨客船という限られた場所で起こる事件に変化してきている。それでも1作から一貫しているのは戦艦や石油採掘基地、ミサイルといった特殊な乗り物や設備の詳細な描写だ。それらが素人がちょっとした取材で付け焼刃的な似非専門家になった程度の浅薄なものではなく、物事の本筋を知り尽くした玄人はだしであるのが毎度感嘆させられてしまう。

それは逆に極限状態の環境でなくてもスリラーは成立することをマクリーンは証明したことを意味する。本書では豪華貨客船での優雅な航海が一転してテロリストたちによるシージャックによって制圧され、また彼らの計画によって通常迎える予定ではなかったハリケーンに出くわすことになるのだ。

そしてそんな荒波の中、太腿に三発もの銃弾を負った主人公ジョニー・カーターはテロリストたちに立ち向かうべく、ヒロインの富豪の娘スーザン・ベレスフォードと共に奮闘する。

よくよく考えるとこれは今現在採用されているハリウッドの一大アクション映画のシチュエーションではないか。

平穏な時間が流れ、誰もが歓談に興じるような優雅な時間が流れる中に突如として起こる非常事態。静から動への突然の反転。

そして特筆なのは映画を意識したかのようなハッピーエンドまで用意されていることだ。
この明るいまでのエンディング、特にスーザン・ベレスフォードというコメディエンヌ役までしつらえた本書を読んで、当時出版すれば映画化が定番となったマクリーンも映像化を意識した創作に移行していったことを気付かされたのは何だかさびしい思いがした。
これが後期の作品の質を低からしめる要因になったのではないかと思うのだが、それは今後の作品を読むことで判断したい。


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黄金のランデヴー (ハヤカワ文庫 NV 153)
No.630:
(7pt)

ワンアイデアミステリの実験室

エラリイ・クイーンの中短編集。

まずはダイイング・メッセージ物の中編「菊花殺人事件」はしかも舞台はライツヴィル。
相も変わらずクイーン印の1編。ダイイング・メッセージ“MUM”の意味、菊(マム)収集家び殺人事件はMUMにそれぞれが何らかの関係を持っている。そしてあらゆる所に散りばめられたダブルの符合(ただしこれは強引)。
このようなガジェットに彩られた犯罪はライツヴィルが舞台になると色合いを増す。それは何か見えない手に導かれるかのように人々が犯罪に巻き込まれているかのようだ。そしてまたエラリイも訪れると必ず事件が起きるということで災厄の使徒のような存在になっている。

次は「推論における現代的問題」というカテゴリーで4編が収録されている。題名からは解りにくいが、それぞれ教育問題、交通問題、住宅問題、がテーマに盛り込まれている。

まず「実地教育」はエラリイが知り合いの女性教師に請われて講演を頼まれたところ、教室内で起きた盗難事件に出くわすという物。
エラリイの論理的思考はあるものの、なんといっても生徒相手に推理を手間取るエラリイの焦燥感が本書のキモといって云いだろう。

「駐車難」は知り合いの女優の前に突如現れた3人の求婚者。そんな矢先、彼女はアパートで何者かによって撃たれてしまう。
しかしこれは果たして推理はいるのだろうか?求婚者の状況を考えればおのずと真相も見えてくるとは思うが。

「住宅難」はクイーン警視が追っている密告者の居所を突き止め、駆けつけてみるとそこには悪名高い詐欺師が撃たれて倒れており、そこには銃を持った金髪の女性が佇んでいたという現場の背景から犯人を突き止める話。
これはかなりアクロバティックな作品だ。それぞれの登場人物をもっと掘り下げて長編ネタとしても十分よかったのではないか。

この項最後の短編「奇跡は起こる」では昨今日本でも問題となっている介護問題がテーマか。
これは犯人は解ってしまった。誰もがみな金に困っているのが華やかなりしアメリカの実状であり、それは今なお日本も彼方も変わっていない。

次は変わって「新クイーン検察局」。そう、短編集『クイーン検察局』で警察のそれぞれの課が担当する事件にエラリイが挑むという趣向の短編がまたもや登場。

まずは<賭博課>が担当の「さびしい花嫁」。
クイーンお得意のダイイング・メッセージ物(メッセンジャーは亡くなっていないが)。

続く2編は<スパイ課>の事件。まず「国会図書館の秘密」は麻薬の取引現場を抑えるためにエラリイが狩り出される。国会図書館の本を暗号に取引の内容を連絡しており、書物に造詣の深いエラリイに白羽の矢が立つという趣向。
これはまさに作者クイーンが趣味で作った作品だろう。
書物が暗号になる。それは題名だったり、内容だったりとその時々でさまざまに変わるという作者が嬉々として取り組んだのが解る作品だ。
しかしエラリイが挑む謎の解答がそれまでの謎に比べてしょぼく感じたのが実に勿体ない。こういう作品は世の書物愛好家には堪らないものがあるのだろうな。

もう1編「替え玉」は死んだ潜入捜査官が遺したスパイの名をダイイングメッセージから探るという物。
これはなかなか秀逸。しかしこんなことばかり考えているのだろうなぁ、ミステリ作家とは。

次は<誘拐課>の「こわれたT」も文字が手掛かりになる短編だ。
言葉遊びが好きなクイーンの小編とも云うべき作品か。アンジェラと云う魅力的な女性と誘拐劇で彩って物語にする着想を褒めるべきか。

さてミステリでお馴染みの<殺人課>が扱う事件「半分の手懸り」では薬屋の主人の命を実の娘と息子、そして義理の息子までもが襲うという穏やかではない家庭が登場する。
これはやはり作者を褒めるべきだろう。

こんな課があるのか甚だ疑問の<匿名手紙課>が扱う事件は「結婚式の前夜」。ライツヴィルの出演者総出の感がある、コンクリン・ファーナムとモリー・マッケンジーの結婚式前夜に起きた事件にエラリイが挑む。
この真相を日本人が見破るのはほとんど不可能だろう。よほど英米の文化に造詣が深くないとこの違いは分からないし、そこからまた犯人を特定するのも至難の業だ。

続く<相続課>が担当する「最後に死ぬ者」ではもはや絶滅状況にあるとされている執事が極秘裏に設立した執事だけが会員になれるクラブで数十年の歴史があるが、既に会員の執事も2人を残すのみになり、最後の会員がクラブの資金の全てを手に入れることが出来る。
アナログ時代であるが故の推理、といいたいところだが、これは現代でも通じる論証だ。でもこれは案外解ってしまったが。

増補版クイーン検察局最後の1編は<犯罪組織課>が担当する「ペイオフ」はクイーンお得意のダイイング・メッセージ物。
これは単純にクイズのような作品だ。しかしこんなワンアイデアさえも短編に仕上げるクイーンの創作意欲には頭が下がるというか…。

続くはパズル・クラブ物2編が収められている。
まずはエラリイがパズル・クラブに入会するための試験が行われる「小男のスパイ」は第2次大戦のあるスパイがどこに秘密文書の内容を隠し持ったのかが謎。これもクイーンが好んで使った消去法物の1編だが、いささか現実味が乏しいのではないかと思われる。奇を衒い過ぎた解答だろう。

パズル・クラブ物もう1編はなんと大統領さえもクラブ会員に勧誘してしまうパズル・クラブの懐の深さを感じさせる「大統領は遺憾ながら」。
これは日本人には辛い解答だろう。しかしクイーンは古今東西のような知識を競う言葉遊びが好きに違いない。

最後は歴史ミステリ「エイブラハム・リンカンの鍵」はリンカーンとエドガー・アラン・ポーが署名したとされる『盗まれた手紙』の書物を巡るミステリだ。
たった3文字の手懸りから推理を巡らし、隠し場所を推理する。メッセージ物としては極限まで切り詰められた作品だ。
しかし本編の冒頭ではこの隠し場所の暗号は実際にリンカンが考案した物なのか。どこまでが史実なのだろうか。


題名こそ『クイーンの犯罪実験室』だが、中身はミステリとしては作品を支えるには乏しいワンアイデアを基に作られた短編を集めた物。ほとんど推理クイズの域を出ない物ばかりだが、逆に云えばそんなアイデアでもミステリが書けるのかという命題にチャレンジした実験短編小説集と云えよう。

まずはダイイング・メッセージ中編ということで「菊花殺人事件」から本書は幕を開ける。
クイーンと云えばダイイング・メッセージと云われるくらい、そのヴァリエーションは豊富だが、この作品は通常犯人特定の手がかりとなるべきダイイング・メッセージを逆手に取っている。
通常死者が死の間際で遺すメッセージとは自分の事よりも家族のことではないだろうか。そういう意味では最も真実に近いダイイング・メッセージだと云えよう。

テーマ「推論における現代的問題」の各編で特徴的なのは真相が容疑者の背景に関わっていることだ。
「実地教育」では貧しい家の子供がやっているアルバイトの内容であり、「駐車難」では求婚者の家庭状況、「住宅難」も居住者それぞれの事情から絡み合う関係によって事件が入り組み、「奇跡は起こる」は格差社会と介護問題が介在する。

続く「新クイーン検察局」は別の短編集『クイーン検察局』でもテーマに挙げられた色んな犯罪を題材にしたミステリが綴られている。それら犯罪を担当する課はそれぞれ賭博課、スパイ課、誘拐課、殺人課、匿名手紙課、相続課、犯罪組織課ととてもありそうでないものばかり。
この辺についてはもはや突っ込むのは止すが、続編が作られたということはよほどこの趣向が気に入っていたのか。

そして『間違いの悲劇』に収録されていたパズル・クラブシリーズが本書で初お目見えだったのを知ったのは思わぬ収穫だった。しかしたった2編とはあまりに少ない。
しかしパズル・クラブ物は物語風味のクイズで構成された、クイーンコンビの知的遊戯でまさに趣味の世界であることが解った次第。

最後は歴史ミステリで占められる。これは恐らく歴史上のエピソードにクイーンが挑んだ作品だと信じよう。

先にも書いたが長編ミステリを著すにはネタとして弱いが、短い話ならば書けるワンアイデアを活かした短編が並ぶ。その中には英米、米仏など異国の文化の違いから生まれる違和感からエラリイが推理する短編もあり、日本人が十分楽しめる知的ゲームとなっていないものもある。しかしそれらは恐らくダネイとリーはいつも2人でこんなアイデアを話して、ミステリの種を探していたのだろうなと云うのがよく解る、知的パズルのような趣を感じる。
逆に云えばどんなアイデアでもミステリ短編に仕立てる雑誌編集者の魂というか、商業根性を感じてしまったが。

特に多いのがダイイング・メッセージ物で、特に短い単語や名前から隠されたメッセージを推理する趣向の作品が非常に多い。実に16編中7編と半分近くがそれに類する。
そしてそれらが単純な犯人特定の手懸りになるわけではなく、そこからまた謎が深まる、もしくはミスリードとして使われているというヴァリエーションも見せつける。

なるほど確かに本書は犯罪実験室だ。恐らくは言葉遊びや知識を競う遊びをして思いついたアイデアの数々。それらを犯罪に応用することが出来るのかがクイーン2人の試みを示したのが本書。
ちょっとした頭の体操をするにはちょうどいい作品が、そして少しだけ感心してしまうアイデアの妙が詰まった作品が揃っている。
そんなアプローチで復刊しませんか?早川書房さん!


▼以下、ネタバレ感想
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クイーン犯罪実験室 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 2-26))
エラリー・クイーンクイーン犯罪実験室 についてのレビュー
No.629: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

誠意こそ心のしこりへの特効薬

前作『赤い指』が作者自身60作目の作品で、これだけ数々の作品を著した東野圭吾氏だが、意外にも医療ミステリというのは本書が初めて。
大学病院を舞台に脅迫犯による大動脈瘤切除手術の妨害工作と医師たちの必死の救命劇、そして刑事と犯人との息詰まる攻防を描いたサスペンス作品となっている。

刑事と医師と脅迫犯の三つ巴の攻防を描いた本書はミスによる死が生んだ奇妙な復讐劇である。

万引きをしたところを警察に見つかった少年は追いかけられたパトカーから逃げようとして交通事故に遭い、亡くなった。

大動脈瘤を患った父親は簡単な手術だと聞かされ、名医と云われている執刀医を迎えたが、手術に失敗して亡くなってしまった。

仕事中に瀕死の重傷を負った彼女は搬送中の救急車が欠陥車による渋滞で病院に運ばれるのが遅れ、治療が間に合わず、亡くなった。

それらは間接的に命を奪う行為であり、その過程に問題はなかったか、なぜそんなことが起きたのかという原因などが焦点になる。しかし命を奪われた被害者に関わる人々は亡くなった人を思い、問題が解決されても心にしこりを残し、一生消えない傷を負う。

加害者側は論理的に問題を分析し、正当性を見出そうとするが、人を亡くした人には論理よりも感情が先に立つ。そこがこういった外的要因による人の死の加害者と被害者に横たわる深い溝なのだろう。

そしてそれら情念の炎が消えないままで、自分の大切な人の命を間接的に奪った人が目の前に、手の届くところに現れたら、その人はどうするだろうか?

息子の命を喪うことになった事故の当事者が目の前に患者として、現れる。

重傷を負った彼女が病院に搬送するのが遅れた原因を作った欠陥車を作った会社の社長が手術を受けようとしている。

そんな時、その人はどうするだろうか?

本書はそんな心のしこりを抱えた人々が奇妙な縁で絡み合う物語だ。

その心のしこりを霧消させるのもまた人の誠意ある言動だろう。物語の最後で判明する西園医師による氷室健介の執刀ミスの真相は、手術前に西園から氷室に息子の件の事を告げ、お互い話し合うことで心のしこりを溶かした。

翻って直井穣治によるアリマ自動車社長島原総一郎への復讐は島原が到底実現できそうにないノルマを従業員に課して品質管理を省略化させ、商品の安全を不十分な状態にしたまま市場に流通したがために再燃した。つまり誠意のない言動を取ったがための事件だった。

『殺人の門』、『さまよう刃』、『容疑者xの献身』と東野圭吾氏はやむにやまれず殺人を犯さずにいられなかった人々の姿を描く。そのいずれも大事な物を奪われた者に対する復讐だったり、自らの安心を得るために思わず犯してしまった殺人だったりと、よんどころない事情で犯さざるを得なかった犯罪だ。
そのため、その物語を読む読者は犯罪者側が捕まらずに本願成就することを望むかのように応援するような心理に陥ってしまう。

本書の直井穣治もそんな復讐者の一人だ。

但し一方で復讐が成就されることを望みながら、彼の行う犯罪で犠牲になろうとする患者がいることで読者に迷いを生じさせる。つまり犯罪はどんな動機であれ、許されるべきではないことをきちんと東野氏は描く。この辺の微妙な匙加減が非常に上手い。

ところで本書ではいくつか疑問点がある。
まずは脅迫者直井穣治が病院に2度目の脅迫状を受付の診療申込書に紛れて来客に見つけさせるシーンだが、なぜ警察は監視カメラをチェックしないだろうか?監視カメラがないわけではなく、実際に脅迫犯が小火騒ぎを起こした時は監視カメラを増やして強化するという記述があるくらいだ。しかも小火騒ぎの時でさえ、監視カメラを見ようとしない。これは警察の捜査としては明らかに手抜かりだろう。

次の疑問点はネタバレになるのでそちらに書く。

とまあ、少々の疑問は残るものの、しかし東野圭吾氏の作劇術には頭が下がる。
動脈瘤手術で命を喪った氷室夕紀の父親健介。その医者は自分の母親となぜか親しげだった。そんな疑惑から当時の執刀医である西園を疑い、自ら医師となって西園医師の執刀がミスではなかったのかを調べるのが夕紀の目的だった。

そして脅迫騒ぎが起きて捜査に携わることになった七尾という刑事は健介が刑事だった頃の部下でもあった男で、夕紀は初めて父親が警察を辞めるきっかけとなった事件を聞かされる。それは万引きをした少年たちがバイクで逃げた際にパトカーで追いかけ、バイクの少年が交通事故に遭って亡くなったというものだった。

そしてさらに西園には昔亡くなった息子がおり、その息子が実はバイクで逃走中にパトカーで追いかけられている最中に亡くなってしまったという事実。

つまりここで西園が息子の敵とばかりに健介を故意のミスで死なせたのではないかという疑惑が沸々と起こってくる。このあたりの物語の展開が非常に上手く、特に西園の息子が亡くなったエピソードを読んだところで思わずアッと声に出してしまった。

果たして医師は故意に父親を殺したのかという疑惑が夕紀の中でさらに強まってくるが、その答えをクライマックスの手術シーンに持ってくるあたりが実に上手いのだ。
いくら口で云っても理解されないことはある。ましてや心に残るしこりというのは頭で解っても心の底から納得できないことが多い。
心に残るしこりは行動で態度で示し、目の当たりにするのが一番の回答になる。百の説得よりも一の行動こそが真の和解を生む。

だからこそ本書では普段我々が意識する事のない「使命」という言葉が頻繁に出てくる。
人は何かの使命を持って生まれ、それを信じて全うする事こそが人生なのだと夕紀の父健介は娘や部下に説き、また夕紀の上司西園も医師と云う職業に患者の命を救う使命という旗印の下で懸命に全力を尽くす。
私達の日常で使命と云う二文字を頭に描くことがあるだろうか?しかし目的や目標を持ってそこに向かう人こそ、強く、また人から尊敬されるのだ。

私はどんな使命を持って日々生きているのか。改めてこの重い二文字に考えさせられてしまった。


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使命と魂のリミット (角川文庫)
東野圭吾使命と魂のリミット についてのレビュー
No.628:
(7pt)

アラビアのロレンスの裏側

第一次大戦中、パレスチナで活躍したユダヤ人諜報組織NILIの中にトルコ軍の情報をイギリス軍に流し続けた1人の女性スパイがいた。バー=ゾウハーがこの隠れた史実を元に構成したのが本書である。

モデルとなった女性スパイ、サラ・アーロンソンとなるのは考古学者の娘ルース・メンデルソン。彼女はイギリス軍のスパイである元ロシアのレジスタンスという経歴を持つサウル・ドンスキーのために自身もまたイギリス軍へトルコ軍の情報を送っていた。

しかし彼女はスパイであることをトルコ軍に知られ、父親の命と引き換えにイギリス軍の進攻を阻止するために逆にスパイとなってカイロに派遣される。

そして一方のサウルはルースらメンデルソン一家がトルコ軍の司令官ムラドによって惨殺されたことを知らされる。そしてトルコ軍がカイロに女性スパイを送ったことを知り、報復とばかりにその女性スパイの正体を暴いて捕らえる事に執念を燃やす。

本書が史実に基づいていることもあってか、第一次大戦中に名を馳せた実在の人物たちが登場し、登場人物たちと絡み合う。

例えば映画にもなって今なお伝説視されている“アラビアのロレンス”ことロレンス少佐はサウル・ドンスキーとイギリス軍のパレスチナ進攻作戦で論を交わす。

また図らずも女スパイに仕立て上げられたルースの連絡係エンマ・アルトシラーはかつて稀代の女性スパイ、マタ・ハリと共にコンビを組んでいたスパイであり、新任のルースを事あるごとにマタ・ハリと比較して毒づく。

特にロレンスについてはかなり筆が割かれ、また物語のサブキャラクターとしても重要な位置を占めている。

その中で驚いたのはルースによってロレンスがガザへ攻め入ることを知らされ、それを聞いたムラドが彼を捕らえ、カマを掘られるという映画『アラビアのロレンス』でも描かれたシーンがきちんと描かれていることだ。
これは今ではロレンスによるデマだと云われているが、それでもかなりセンセーショナルなシーンであり、やはり作者も避けては通れなかったのだろうか。

この国を跨る巨大な宗教、民族が複雑に絡み合う状況こそ、パレスチナ問題やアラブ諸国が抱える紛争の数々の火種なのだ。
大学時代にこの複雑なイスラム諸国の状況については講座を取ったが、やはりいまだに十分に理解できない。それは信仰に対してさほど意識が薄い日本人には次元の違う問題なのだろう。なんせ第二次大戦では大量にユダヤ人を虐殺するドイツがユダヤ人保護を訴えているくらいなのだ。

そんな複雑な中東諸国の抗争の巻き添えとなったのがルースらメンデルソン家だ。単なる考古学者を家長としているこのユダヤ人の一家がロシア人の諜報員と懇意になった娘がイギリス軍のスパイ活動の手伝いをしたことで、数奇な運命に翻弄される。
そのために弟は目の前でトルコ軍によって銃殺され、父親は囚われの身となり、獄中死する。そしてまだ男を知らない娘はスパイに仕立て上げられ、望まぬまま男に体を与え、処女を喪う。家族を救う、それだけのために。

大義という大きなことをなすために多少の犠牲は必要だというが、その大義のために人生を狂わされた家族がある。ルースたちもまた歴史の犠牲者なのだ。

ところで本編で登場するオーストラリア軍のジェフリー・ソーンダース中佐だが、作者の初期2作で主役を務めていたCIA工作員ジェフ・ソーンダースとは無縁なのだろうか?各登場人物のその後を語るエピローグにそのことについては触れられていないものの、冷戦時に活躍したスパイの父親が実は歴史的な出来事に関わっていたというのは作者のファンサービスだと捉えているがどうだろうか?

主にナチスにまつわる歴史の暗部を描いてきたバー=ゾウハーだが、本書では第一次大戦を舞台にし、自身が政治にも携わった中東諸国について描き、もはや歴史上の出来事とされているイギリス軍のエルサレム侵攻の裏側に隠されたある女スパイの物語を描いた。敵同士に別れた男と女というハーレクインロマンスを髣髴とさせる設定には面喰いつつも、それでもやはりそれぞれの国々が抱える複雑な情勢を的確にとらえる筆致は見事だ。
しかしこの作家の良さはスピード感とスパイという職業が抱える業のようなものを陰影深く描くところに定評があると思うので、次作は恋愛は別にしてもっと魂震える作品を期待したい。


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悪魔のスパイ (ハヤカワ文庫NV)
マイケル・バー=ゾウハー悪魔のスパイ についてのレビュー
No.627:
(7pt)

泥棒だって人間だい!

泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズ2作目の本書でまたまたバーニイは泥棒に入った家で殺人事件に出くわしてしまう。

行きつけの歯科医クレイグ・シェルブレイクから突然頼まれた元妻クリスタルの所持する宝石類を盗み出してほしいという依頼を受けたバーニイはクリスタルが男漁りに外出している安心感からか、思わず長居をしたために(なんと1時間17分もの盗みに没頭していた)、当人が帰ってきたためにタイトルが示す通り、クロゼットに隠れて情事の最中に出くわし、更には殺人事件にも居合わせてしまうという何ともおかしな巻き込まれ方だ。

そして事件はバーニイが想定する悪い方向に動いていく。クレイグは自身の釈放の為にバーニイを警察に売ったのだ。
そしてバーニイは今回の事件が贋札事件に関わってくることを突き止める。

いやはや実に読ませる作品だ。
典型的と云えば典型的、マンネリと云えばマンネリだが、それでも安心印で面白く読めるのがこのシリーズのいい所。

しかしそれでも本格ミステリの妙味がこの作品には溢れている。

スラップスティックな調子なのに、そんな状況でさえ本格ミステリの妙味に変えてしまうシェフ、ローレンス・ブロックの腕前。なんて素晴らしいんだ。

そして今さらながらだが、泥棒探偵バーニイは自身が犯罪者である故に、いつも警察に睨まれているマイナス面がある。そのため、自身の身に降りかかった災難を自ら潔白を証明する必要があるところに従来の名探偵と一線を画する面白味があることに気付いた。
正直この着想はなかなか生まれるものではない。

さて数あるブロックの諸作の中でも、泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズはその全てが絶版状態であり、今では新刊では手に入れることは不可能でブックオフなどで古本で買うしかなかったのだが、シリーズ2作目の本書は手に入れることが適わず、渋々飛ばして3作目以降を読んでいたが、電子書籍で読めることを突き止め、このたび楽天koboのアプリでiPhoneにて読んでみた。私自身初めての電子書籍が本書となったわけだ。

基本的に私は感想を纏めるためにところどころ付箋を貼っていくのだが、電子書籍ではこれが出来ない。
Kindleではそういった場所に付箋を貼る機能があるようだが、楽天koboではそれがなく、指でなぞったところをハイライト機能を使ってメモするという方法で代用した。これがなかなか馴れず、初日はもういつ投げ出そうかとイライラすること終始だった。

しかし絶版のスピードが加速する昨今、特に海外小説の絶版スピードの速さは凄まじい物があるので、これら貴重な資産を電子書籍と云う形で買えるようにするというのは一つの策であろう。
しかし電子書籍の開発者たちはもっと読書を趣味とする人々の嗜好や読書方法を研究する必要があるのではないか。正直本書を読む限りではよほどのことがない限り、電子書籍での読書は控えたいというのが本音だ。電子書籍が想定したよりもはるかに普及していないことが体感したことで解ったのはある意味意義のある読書だったと思う。

ただやはり電子書籍でしか読めない絶版作品があれば今後も読んでいきたいと思う。
でもやっぱり紙の本の方が読みやすいなぁ。


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泥棒はクロゼットのなか (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 146-5))
No.626:
(7pt)

マクリーン版007か

今度のアリステア・マクリーン作品はイギリス情報部員ジョン・ベンタルが挑む潜入捜査だ。オーストラリアで起こっている技術者たちの謎の失踪事件をベンタル自身が燃料工学の専門家に扮して一連の事件の謎を探るという話だ。

舞台は南国の島国フィジー。オーストラリア渡航の乗換のため、宿泊したフィジーのホテルで拉致されるが、機転を利かせて脱出したベンタルとマリーの男女の情報部員が流れ着いたのは考古学者が研究のため逗留する小さな島ヴァルドゥ島。

ヤシの実に白い砂浜、肌を撫でる貿易風に揺られながらハンモックで昼寝をする。およそ諜報活動とは無縁の世界で繰り広げられるのは楽園に隠されたイギリスの秘密基地。しかも今回は男女の情報部員による任務ということでどこか007を思わせる設定だ。
作者マクリーンも意識的なのか、偽装した夫婦として任務を課せられたマリーとベンタルが当初は反目し合いながらも次第にお互いを想いあうようになる。下手をすればハーレクインロマンスと見紛うかのような内容だ。

それもそのはずであとがきによれば本書はイアン・スチュアート名義で書かれた作品とのこと。つまり従来のマクリーン作品とは一線を画した舞台設定と登場人物を想定した作品なのだ。

そんな中で深手を負った科学者を装いながら島の周囲を探るベンタルが察知した真の任務とはイギリスがフィジーの小島で隠密裏に “黒い十字軍(ダーク・クルーセイダー)”という最新式のロケット開発を進めている科学者たちが連れて行った妻たちの行方を探るという物。

真相を読むに至って私はますますこれはマクリーンがスパイアクション小説を想定して書いた作品だという思いを強くした。
それを裏付けるかの如く、今まで硬質な文体で、読む者にさえ苦難を強いることを感じさせられたマクリーンの文体が本書では実に軽みを帯びている。特にベンタルの独白は凄腕の情報部員ながらもグチと減らず口を叩き、特にパートナーのマリーに対する感情をところどころ吐露する辺りは今までのマクリーン作品の主人公とは思えない優男ぶりが垣間見える。

そんなマクリーンの手によるスパイアクション小説はしかし突飛な小道具や秘密兵器といった物は一切出ず、ベンタルが次第に傷を負い、ボロボロの身体で満身創痍になりながらもどうにか新型兵器ダーク・クルーセイダーの持ち出しを阻止しようと奮闘する。
主人公が何でも一流の腕でこなすスーパーマンのような男ではなく、敵と味方の反感を買いながら、自分が死ぬことなど厭わない不屈の心を持っているところがマクリーンらしい。

珍しく軽さを感じる文章でクイクイ読ませる作品だったが、結末はかなり苦いものだった。
しかしこの読みやすさは今後もあってほしい。


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黒い十字軍 (ハヤカワ文庫NV)
アリステア・マクリーン黒い十字軍 についてのレビュー
No.625:
(7pt)

名も無き戦士たちへの痛々しい鎮魂歌

1984年5月28日、アーリントン国立墓地にヴェトナム戦争無名戦士の葬儀が当時のレーガン大統領の弔辞を伴って行われた。
マイケル・バー=ゾウハーが選んだ本書の題材はこの史実に基づく無名戦士の身元を探る物語である。

しかしそこはバー=ゾウハー、単に身元不明の遺体の正体を探るだけの話にはしない。その遺体に残された弾丸と手榴弾がアメリカ製であるという仕掛けを施す。つまりこの兵士が味方に殺されたのではないかというスキャンダラスな謎を放り込むのだ。

その調査に挑むのが国防総省の行方不明兵士(MIA)事務局の局長ウォルト・メレディスだ。
彼は自身の息子をもヴェトナム戦争で亡くし、その遺体が行方不明になったままだという過去を持つ。息子の死を知った矢先、当時勤めていたCIAを辞め、国防総省に移り、自ら行方不明兵士の調査に携わることにしたのだった。

しかし妄執的なまでに調査に没頭する彼を恋人であるバーバラは息子の影を追っているだけだと糾弾する。しかし彼は国の為に命を投げ出した戦士たちが名も無き死体として葬り去られることの虚しさと、息子もしくは夫の帰りを待つ家族にきちんと区切りをつけ、ヴェトナム戦争を終わらせるために必要なことだと説く。つまり無名戦士の葬儀とはまだ同地に残るアメリカ兵士を歴史の翳に葬り去る行為なのだ。

そして物語の渦中にある無名戦士の正体は物語中盤で判明する。
海兵隊第37連隊の隠された8番目の兵士アンディ・カニンガム一等兵だった。彼の父親は第2次大戦のノルマンディ上陸作戦で活躍した英雄だった。
そんな彼がなぜ無残に殺されなければならなかったのか?物語の後半はその謎の解明に費やされる。

謎の解明に当たるウォルト・メレディスの前に立ち塞がるのが元第37連隊々員だったスティーヴ・レイニー。ある時は先回りして同士に連絡して協力しないように手を回し、中には既に自らの手でその命を奪った同胞もいる。それほどまでにして隠すアンディ・カニンガムの死とは一体どんなスキャンダルなのかと俄然興味が増してくる。

しかしアンディ・カニンガムの死を巡る捜査は屍の山を累々と築いていく。第37連隊の生き残り、リンドン・ヒューズは自殺に見せかけて殺害され、と今回の事件の張本人スティーヴ・レイニーもまたウォルト殺害に失敗し、自ら死を選ぶ。そしてウォルトの捜索の良き理解者であり協力者であったMIA家族の会もまたウォルトから袂を分かつようになる。
それほどまでアメリカが守りたかったアンディの死とは一体何なのか?最後の最後でようやく明かされる。

しかし今なおヴェトナム戦争については語られることが多い。特にデミルはライフワークとしているようにも感じられる。
そのどれもが異口同音に語るのが初めてアメリカが正義ではなくなった戦争だということだ。そんな無益な戦争で犠牲になった兵士たちが人間性を喪い、狂気に駆られてもはや普通の生活さえも送れなくなった戦争の惨たらしさが本書でも書かれているが、それは本当に人間のやることなのかと背筋に寒気が起きるようなことばかりだ。
そんな戦争だったからこそ無名で死ぬようなことはあってはならない。無名戦士の名を明らかにすることはすなわち兵士を一人の人間として尊厳を取り戻すことに繋がるのだ。

しかし、だ。
本書を読んだ後では事はそう簡単ではないことに気付かされた。

そういった意味では最後にカバーストーリーを仕立て上げたブリグズ大佐の行為は欺瞞ではあるものの、誰もがあるべきところに落ち着く結末ではある。
正義と悪、敵と味方、そんな単純に割り切れない物を孕んでいるがゆえに真実は明かされない方がいいときもある。

本書は戦争が決して英雄的行為ではなく、人間が生んだこの世で一番愚かな行為であることを示してくれた。従って英雄などいないのだ。そこにあるのは戦争を美化するための神話や伝説があるだけだ。真実は常にそんな美談とは対極の位置にある、バー=ゾウハーは静かに我々に教えてくれた。

ミステリ以上の味わいをまたもやもたらしてくれた。しかし今回は殊の外、考えさせられ、苦かった。



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無名戦士の神話 (ハヤカワ文庫NV)
マイケル・バー=ゾウハー無名戦士の神話 についてのレビュー
No.624:
(7pt)
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児童虐待が多い今こそ読まれたい親の愛の深さを知る1冊

常に我々の想像を超える世界を見せてくれるジョー・ヒルが今回描いた世界は特殊能力者たちの世界。
主人公ヴィクは自転車に乗って近道橋を渡り、失った物を取り戻す能力を持つ。
彼女の宿敵となるのは「NOS4A2」、ノスフェラトゥ、つまり吸血鬼の名をナンバープレートに冠するロールスロイス・レイスを駆り、子供たちを自分の世界<クリスマスランド>へさらう連続誘拐魔チャールズ・タレント・マンクスⅢ世。

そしてヴィクの良き理解者で相棒として力を貸すのはシンディ・ローパーを想起させるエキセントリックな風貌の図書館司書マーガレット・リー。彼女はスクラブルの文字で未来を予知する能力を持つ。

しかし本書は単純な対決の物語に作者はしなかった。ヴィクとチャールズ・マンクスとの戦いはなんと数十年にも及ぶのだ。
1986年に能力が発現したヴィクが初めてチャールズと対峙したのは1990年。そこから現代に至る約四半世紀もの間、2人の戦いは続く。そしてその戦いはヴィクの息子ブルース・ウェインをも巻き込み、ヴィクは母親としてチャールズ・マンクスと対峙するのだ。

いつもそうだが、ジョー・ヒルの描く物語の主人公は決して聖人君子のような素晴らしい人間でもなく、また愛すべき人柄を備えた人物ではない。

例えば本作の主人公ヴィクは暴力を振るう父親とヒステリックに自分の正当性を主張する、精神障害を抱えた母親の下に生まれ、二人の諍いを聞くのがこの上なく嫌いな女の子として登場するが、その後成長するに当たり、酒に溺れた精神障害を持つ母親となって、内縁の夫と別れてしまう。ただヴィクの狂気は高校生の時に出遭った殺人鬼チャールズ・マンクスから逃れられぬ悪夢によるものであり、必ずしもヴィク自身に責めがあるわけではない。

翻ってヴィクの内縁の夫ルーはお人好しなのだが、その性格が災いしてい事業には失敗し、人に騙されて借金を背負わされ、返済に四苦八苦している、何とも頼りない男だ。
しかし彼の包容力こそヴィクには必要で、ルーはヴィクにとって良い夫なのだ。

そんな2人の間に生まれたブルース・ウェイン・カーモディはそんなダメな両親を愛したい、喜ばせたいと思っている、なんとも健気な男の子だ。
つまり読者の求む主人公像に近いのはこのブルースだと云える。

ただそんな破綻した家族でありながら、それぞれが危難に陥れば協力し合う。つまり家族愛は不変なのだということをヒルはこの物語で示してくれる。
絶体絶命のピンチに陥った時に耳元で囁かれるのはどこか遠くにいる父親のアドバイスであり、また孫が絶望的な不安に陥れば、祖母は死の世界からでも舞い戻って傍に座って元気づけてくれる。

それは勿論ヴィクもそうだ。
息子も含め、他者から見れば全身にタトゥーを施した未婚の母で、誰も聞くことのできない電話の呼び出し音に怯え、常軌を逸脱した行動で家を全焼させ、精神病院に入れられた、どうしようもない母親なのだが、息子と内縁の夫をこの上なく愛し、特殊な能力を持つ自分と関わらさせないようにした上の結果であり、息子がマンクスにさらわれればどんな目に遭おうが諦めずに敵に立ち向かう。それは一途なまでの家族に対する愛ゆえに。

どんなに破綻しているように見えながらも、それぞれの家族も子供を愛する気持ちは強く持っていることをこの物語は強く訴える。

子供を平気で虐待し、または自分の好きなことをするために育児放棄する親の許にいるよりは、毎日がクリスマスである、自分の夢想が創り上げた<クリスマスランド>にいて、楽しく過ごす方が子供たちにとってはいいではないかと子供たちをさらうチャールズ・マンクスは腐った現代社会において闇の救世主のように映る。
しかしダメな親であっても子を愛する気持ちはかけがえのない物だと必死にマンクスの魔手から我が子ブルースを救おうと奮闘するヴィクとルーの姿は喪われつつある親子の絆の深さの象徴だ。他者から見れば不幸としか映らない家庭環境が実は当人たちにとってはそれもまた幸せの1つの形なのであることを投げかける。だからこそヴィクとルーはわが子を救うためならば不法侵入に逃亡、爆弾製作といった犯罪行為を厭わないのだ。

瀕死の重傷を負いつつも、鋼鉄の馬トライアンフを駈るヴィクの姿は物語の前半に出てくる昔のアメリカドラマ、「ナイトライダー」の主人公マイケル・ナイトのようなヒーローのようだ。まさに女だてらの「Knight Rider」ではないか!手負いの母親ほど手強いものはない。母の愛こそ最強の武器なのだ。

さて毎回ユニークなアイデアを物語に持ち込んでくるジョー・ヒルだが、本書の最たる特徴はハイテクとファンタジーホラーの見事な融合にある。
チャールズ・マンクスによってロールスロイス・レイスでさらわれた息子ウェインを探るのにiPhoneの探索機能を使って地図上でウェインの居場所を探るシーンが出てくるが、そこに出てくる地図はアメリカでありながらアメリカではない地。「アメリカ内界国」という名の奇妙な場所が現れ、ウェインの居場所が示される。現代技術の最先端が異界を見せるというこの怖さ。このアイデアは実に素晴らしい。

さて今までとにかく戯言のように主人公のとめどない思考を全て文字にしたかの如き回りくどい文章だったのが、本書では実にシンプルに整理されて読みやすくなっているのが特徴的だった。とはいえ、ヒル特有のユーモア、特に音楽に関するサブカル要素も盛り込まれているのだから、文章がさらに洗練されたと考えるべきだろう。

しかしそれでも上下巻合わせて1,120ページもの分量が必要だったのかは甚だ疑問だ。300ページくらいは余裕で削れるのではないだろうか。
抜群の奇想とそれを物にする技量はあるものの、長編小説となると妙に饒舌になるヒルは率直に云って短編向きのような気がする。作品を重ねるにつれ、長大化が進むヒルだが、向こうのエージェントならびに出版社はヒルにもっと文章を削ぎ落とすようアドバイスすべきではないだろうか?

この長さがなければ手放しで傑作と太鼓判を押そう。それほどまでに爽快な読後感を抱かせてくれる物語なのだから。


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NOS4A2-ノスフェラトゥ- 上 (小学館文庫)
ジョー・ヒルNOS4A2-ノスフェラトゥ- についてのレビュー
No.623:
(7pt)

巨大な鷲こそ作者の永遠の敵なのか

服部真澄は常に時代を先行する。
数々の時代を先取りしたセンセーショナルな題材を扱ってきた彼女が本書でテーマに挙げたのはもはや世界的に巨大な産業へと発展したアグリビジネスの実態だ。

物語は3本の柱で構成される。

1つは蓮尾の親友であった少年アダムが焼死したシングルトン一家放火殺人事件の謎。

もう1つは時代の寵児と呼ばれる科学ジャーナリスト、レックス・ウォルシュが一大センセーションを巻き起こすであろうと思われる次作を巡っての謎。

最後の1つは世界のワイン事情を左右すると云われているワイン・ジャーナリスト、シリル・ドランの新作の訳出を巡る物語。

これら3つの物語は1つの大きな軸に収束していく。
それは世界の農業事業を牛耳る巨大コングロマリット「ジェネアグリ」の存在だ。そしてそのジェネアグリが率先して開発しているのが遺伝子組み換え作物、GMOと呼ばれるキメラ作物だ。

害虫に強い品種を開発するために魚のある遺伝子を交配して新種を作り出す、農薬に強い品種を作るために特殊なバクテリアと配合する、旱魃に強い品種を作って農家に提供するが、種が出来ない品種のため、その農家は永久に会社から翌年の収穫の為に種を買い続けなければならなくなる、といったように世界中の作物を牛耳るための手段としてGMOは開発される。

さらに物語の舞台は南米へと移る。しかもその地はボリヴィアだ。
サッカー先進国である南米諸国の中でも本戦進出したことがないと思われるほど、マイナーな国を舞台に話題の中心はやがて新種ワインの開発からコカノキ、つまりコカ茶とコカインの原料となる木へと繋がっていく。

ただこの真相は今までの服部作品を読んでいれば想像するに難くはない。

服部氏にとってアメリカという巨大な鷲は恐るべき存在なのだろう。
デビュー作『龍の契り』からアメリカが香港返還に絡むところから始まり、その後の『鷲の驕り』、『ディール・メイカー』とアメリカが世界を牛耳ろうと画策しようと企む構造を一貫して描いてきている。圧倒的な取材力で世界の最先端技術をテーマに作品を綴ってきた服部氏が取材過程で目の当たりにした光景なのか、それは定かではないが、アメリカという国が持つ底知れぬ恐ろしさを知るがゆえに同国が与える世界への脅威は氏にとって決して離れる事の出来ないテーマなのかもしれない。

翻って服部氏が日本政府に対する筆は容赦がない。作中で2000年に日本政府がいともあっさりとGM稲の輸入と栽培を認めた事実が紹介されるが、アメリカの深謀に比べて日本の浅はかさを知らしめる実に滑稽なエピソードだ。恐らく世間ではまだよく知られていないGMOの脅威―私も本書でその実態を知った―ゆえに政府もその後展開されるであろう恐ろしい陰謀には思い至らなかったのかもしれない。そう考えると本書は服部氏による迂闊な日本政府へのGMOの脅威の啓発の書であると取れる。

さて先の読めない展開が売りの服部作品だが、本書に関しては案外明瞭過ぎて、逆にかつて有能な科学ジャーナリストであった蓮尾の鈍感さにイライラさせられた。

この人物造形の浅さこそが服部作品の弱点だと私は考える。
真相が明らかになるにつれ、さらにその奥に隠された真相が一枚一枚、ヴェールを剥がされるように明らかになり、やがて与えられていた真相はひっくり返り、正義が悪に、悪は道化師に、囮に、と価値観が覆される物語構成は一級のスパイ小説、エスピオナージュを髣髴とさせるのだが、そんな重層的なストーリーを引っ張る強烈なキャラクターが氏の作品にいないのも事実。
それについては今後の服部作品に期待しよう。

物語の最後は服部氏が抱く未来の夢か、願望なのか。それとも麻薬ビジネスに頼らざるを得ない南米諸国に対する新たな道を辿れという叱咤激励なのか?

アジアへの利権、特許、IT産業にアニメ産業、さらにアグリビジネスへと様々な分野で世界市場を乗っ取ろうと知恵を絞るアメリカ。これら服部作品に書かれている事象はそう遠くない未来に起こりうるであろうアメリカによる世界経済侵略なのかもしれない。
次は我々に服部氏はどのような衝撃を与えてくれるのか。グローバリゼーションという明るい価値観の影に咲く仇花をまたその筆で描いてくれることを楽しみにしていよう。


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エル・ドラド〈上〉 (新潮文庫)
服部真澄エルドラド についてのレビュー