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Tetchy さんのレビュー一覧
Tetchyさんのページへレビュー数688件
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本書は妻と一人の娘を持つ男の不倫の物語である。
しかしそこは東野圭吾氏、単なる男の道ならぬ恋を描かない。そこにはやはりミステリが織り込まれている。 建設会社に勤める主人公渡部の不倫相手仲西秋葉は高校時代に自宅で殺人事件の第一発見者となっており、その事件の時効が直前に迫っていた。そして彼女は殺人事件の真犯人だと睨まれていた。 しかしこれは世の女性が読めば男に対する嫌悪感が否応なしに増す物語だろう。妻子ある男が自分を正当化して浮気し、不倫まで発展していく様子と、それを上手く隠して家庭を守ろうとする姿に憤りを覚える女性は少なくないだろう。 奥さんに罪悪感あるのなら不倫しなければいいじゃん!と本書を読みながら声高に唱える女性読者の姿が目に浮かぶようだ。 さらに火に油を注ぐかの如く不倫相手の派遣社員仲西秋葉が実に都合のいい女性として描かれている。30代、165センチのすらっとした鼻筋の通った眼鏡美人。しかも渡部の家庭を崩すことは考えておらず、週に一度デートとセックスをしてきちんと家に帰すというまさに世の男が理想とする不倫相手なのだ。しかも渡部の奥さんの有美子は夫の不倫を疑っていない(ように描かれている)。 特に渡部の主観から映る有美子の様子は世の女性ならばそんな嘘はすっかり奥さんにはお見通しなのよ!とばかりにすごい剣幕で読んでいるのではないか。 このまさに男にとって実に都合のいい話はしかし最後でどうにか救われる。 さて渡部のこの不実な言動は解らなくもない。誰だって綺麗な女性を目にすれば何かしら接触を持ちたいと思うのが本音だ。頭では既婚者であることは解っていてもまだ自分の男ぶりを試したいという気持ちがあるのが男だろう。 しかしだからといって同性である男性が共感する話かと云えば決してそうではない。私はこの主人公渡部の身勝手な言動に終始腹を立てていた。 本書はアラフォー既婚男性である渡部の一人称叙述で語られており、この渡部の言葉や思想がいやに断定的でこれが世の中の男性の思いを代弁しているかのように書かれているのが非常に腹立たしかった。 曰く、妻とのセックスはときめきはなく、ただ外的な刺激に反応しているだけ。 世の中の夫婦の大多数はもはや男と女ではない。 結婚式と結婚は違う。 結婚は安心を得るためにし、その安心を得るために払った代償は大きかった。 いい母親はかつてのように恋人の対象ではない、セックスしたい対象でもない、かつて愛した女性とは別物。 こうやって挙げていくだけでも非常に失礼甚だしい渡部語録のオンパレードだ。一緒にすんな!と何度も声に出してしまったことか。 また不倫相手の秋葉が家庭を大事にする自分に気を遣って嘘をついてまで家庭のイベントを優先させることに気を揉んで、とうとう一線を超えた発言を勢いでするなど、非常に考えの浅いところが鼻についた。 責任を取る、後悔はしない、させないとその場で半ば意地になって断言し、その後の秋葉の態度や云ったことの重大さに押しつぶされそうになり、どんどん家庭崩壊へのカウントダウンが始まっていく。特に残酷なのは奥さんである有美子が良妻賢母で夫の不倫を一切疑っていないことだ。どうしてこんなにいい奥さんを持って不倫が出来るのか、それが恋愛だと云われても良識あるアラフォーの男の発言だとは思えないほど浅薄だ。 結婚後数年経っても恋愛感情を持つ夫婦はいる。それが私だ。 私は嫁さんが大好きである。とにかくこれだけ自分の為に尽くしてくれる嫁さんには感謝の気持ちしかないし、本当に逢えてよかったと思っている。 だから女性の読者は渡部の考え方が妻帯者の一般論だと絶対誤解しないで貰いたい。 しかし渡部の言動は離婚をした東野氏の本音なのか?そして理想の不倫相手を描くための妄想の産物なのか? 浮気の隠し方やアリバイ工作などあまりにリアルで実体験が伴っているようにしか思えないのだが。逆に想像でもそんなリアルを感じさせるのが作家なのだと開き直られそうな感じもするが。 また渡部の生活にもリアルさがないのが気になった。建設会社の主任クラスで移動にタクシーを頻繁に使い、銀座や横浜のバーで飲み食いし、さらにはホテルをとって毎週情事に浸るなんて、およそ一介のサラリーマンの懐事情とはかけ離れた生活をしているのが非常に気になった。 こんな生活が出来るほど貰ってないだろう。ましてや家のローンも残っているだろうし、そんなときに真っ先に減らされるのが夫の小遣いなのだから、この辺のリアルさに欠ける描写の数々は東野作品らしくなくて非常に気になった。 そんな不快感を終始覚えた本書は最後の事件の真相が明らかになってどうにかギリギリのところで踏み止まってくれた。 やはりこれはミステリだった。事件の関係者がたった4人でしかも特に不可能趣味がある犯罪ではないのに、意外な真相と人の心の裏面を描き出してくれた本書はクイーンの後期の作品に通ずるエッセンスを感じたというとほめ過ぎだろうか。 しかしとはいえ、やはり不倫を正当化する男の話は読みたくないものだ。同性としてなんとも情けなくなってくる。これ1冊で勘弁してもらいたい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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マクリーン7作目の本書は豪華貨客船上で起こる数々の不審死とミステリ風味溢れる設定で幕が開ける。
いつも通りに行われるだろう出港は小型核兵器を盗んで失踪した科学者の捜索のため、アメリカ海軍の調査で足止めされ、さらには突然の乗客の要請で棺桶をニューヨークまで運ぶ羽目になった豪華貨客船。そんなトラブルでも航海は上々と思われたが、スチュワード長の失踪を皮切りに首席通信士、四等航海士が遺体となって発見される。 そんな展開はまさに船上の密室状態で繰り広げられる本格ミステリなのだが、物語の半ば170ページ前後で犯人は判明し、一味を取り押さえる事に成功して物語は一件落着の様相を呈するのだが、そこはマクリーン、単なるミステリでは終わらない。 そこからはまさに怒涛の展開。船内に忍び込んだテロリスト一味の仲間によって船は制圧され、主人公のジョニー・カーターも機関銃によって太腿を撃ち抜かれ、重傷を負う。 テロリストの狙いは金塊を載せたタイコンデロガ号と接触し、金塊とその報酬を交換すると見せかけて小型核兵器を積み込ませ、爆破して金塊をせしめようという計画だった。その金額なんと1億5千万ドル。 その企みを知ったジョニー・カーター一等航海士は満身創痍の中、単独で核兵器の軌道阻止と乗客の命を救うため、奮闘する。 題名『黄金のランデブー』とはこの金塊のやり取りが成されるカンパーリ号とタイコンデロガ号のランデブーを示しているが、読後の今ならばその「黄金」の意味が全く違ったものに変わってくる。 極寒の海、難攻不落の要塞、周囲を敵に囲まれた戦線の只中と人の極限状態を引き出すシチュエーションで不屈の闘志で苦境を切り抜ける人々の姿を描いてきたマクリーンだが、この頃になると自然との闘いというシチュエーションから孤島の中の基地、豪華貨客船という限られた場所で起こる事件に変化してきている。それでも1作から一貫しているのは戦艦や石油採掘基地、ミサイルといった特殊な乗り物や設備の詳細な描写だ。それらが素人がちょっとした取材で付け焼刃的な似非専門家になった程度の浅薄なものではなく、物事の本筋を知り尽くした玄人はだしであるのが毎度感嘆させられてしまう。 それは逆に極限状態の環境でなくてもスリラーは成立することをマクリーンは証明したことを意味する。本書では豪華貨客船での優雅な航海が一転してテロリストたちによるシージャックによって制圧され、また彼らの計画によって通常迎える予定ではなかったハリケーンに出くわすことになるのだ。 そしてそんな荒波の中、太腿に三発もの銃弾を負った主人公ジョニー・カーターはテロリストたちに立ち向かうべく、ヒロインの富豪の娘スーザン・ベレスフォードと共に奮闘する。 よくよく考えるとこれは今現在採用されているハリウッドの一大アクション映画のシチュエーションではないか。 平穏な時間が流れ、誰もが歓談に興じるような優雅な時間が流れる中に突如として起こる非常事態。静から動への突然の反転。 そして特筆なのは映画を意識したかのようなハッピーエンドまで用意されていることだ。 この明るいまでのエンディング、特にスーザン・ベレスフォードというコメディエンヌ役までしつらえた本書を読んで、当時出版すれば映画化が定番となったマクリーンも映像化を意識した創作に移行していったことを気付かされたのは何だかさびしい思いがした。 これが後期の作品の質を低からしめる要因になったのではないかと思うのだが、それは今後の作品を読むことで判断したい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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エラリイ・クイーンの中短編集。
まずはダイイング・メッセージ物の中編「菊花殺人事件」はしかも舞台はライツヴィル。 相も変わらずクイーン印の1編。ダイイング・メッセージ“MUM”の意味、菊(マム)収集家び殺人事件はMUMにそれぞれが何らかの関係を持っている。そしてあらゆる所に散りばめられたダブルの符合(ただしこれは強引)。 このようなガジェットに彩られた犯罪はライツヴィルが舞台になると色合いを増す。それは何か見えない手に導かれるかのように人々が犯罪に巻き込まれているかのようだ。そしてまたエラリイも訪れると必ず事件が起きるということで災厄の使徒のような存在になっている。 次は「推論における現代的問題」というカテゴリーで4編が収録されている。題名からは解りにくいが、それぞれ教育問題、交通問題、住宅問題、がテーマに盛り込まれている。 まず「実地教育」はエラリイが知り合いの女性教師に請われて講演を頼まれたところ、教室内で起きた盗難事件に出くわすという物。 エラリイの論理的思考はあるものの、なんといっても生徒相手に推理を手間取るエラリイの焦燥感が本書のキモといって云いだろう。 「駐車難」は知り合いの女優の前に突如現れた3人の求婚者。そんな矢先、彼女はアパートで何者かによって撃たれてしまう。 しかしこれは果たして推理はいるのだろうか?求婚者の状況を考えればおのずと真相も見えてくるとは思うが。 「住宅難」はクイーン警視が追っている密告者の居所を突き止め、駆けつけてみるとそこには悪名高い詐欺師が撃たれて倒れており、そこには銃を持った金髪の女性が佇んでいたという現場の背景から犯人を突き止める話。 これはかなりアクロバティックな作品だ。それぞれの登場人物をもっと掘り下げて長編ネタとしても十分よかったのではないか。 この項最後の短編「奇跡は起こる」では昨今日本でも問題となっている介護問題がテーマか。 これは犯人は解ってしまった。誰もがみな金に困っているのが華やかなりしアメリカの実状であり、それは今なお日本も彼方も変わっていない。 次は変わって「新クイーン検察局」。そう、短編集『クイーン検察局』で警察のそれぞれの課が担当する事件にエラリイが挑むという趣向の短編がまたもや登場。 まずは<賭博課>が担当の「さびしい花嫁」。 クイーンお得意のダイイング・メッセージ物(メッセンジャーは亡くなっていないが)。 続く2編は<スパイ課>の事件。まず「国会図書館の秘密」は麻薬の取引現場を抑えるためにエラリイが狩り出される。国会図書館の本を暗号に取引の内容を連絡しており、書物に造詣の深いエラリイに白羽の矢が立つという趣向。 これはまさに作者クイーンが趣味で作った作品だろう。 書物が暗号になる。それは題名だったり、内容だったりとその時々でさまざまに変わるという作者が嬉々として取り組んだのが解る作品だ。 しかしエラリイが挑む謎の解答がそれまでの謎に比べてしょぼく感じたのが実に勿体ない。こういう作品は世の書物愛好家には堪らないものがあるのだろうな。 もう1編「替え玉」は死んだ潜入捜査官が遺したスパイの名をダイイングメッセージから探るという物。 これはなかなか秀逸。しかしこんなことばかり考えているのだろうなぁ、ミステリ作家とは。 次は<誘拐課>の「こわれたT」も文字が手掛かりになる短編だ。 言葉遊びが好きなクイーンの小編とも云うべき作品か。アンジェラと云う魅力的な女性と誘拐劇で彩って物語にする着想を褒めるべきか。 さてミステリでお馴染みの<殺人課>が扱う事件「半分の手懸り」では薬屋の主人の命を実の娘と息子、そして義理の息子までもが襲うという穏やかではない家庭が登場する。 これはやはり作者を褒めるべきだろう。 こんな課があるのか甚だ疑問の<匿名手紙課>が扱う事件は「結婚式の前夜」。ライツヴィルの出演者総出の感がある、コンクリン・ファーナムとモリー・マッケンジーの結婚式前夜に起きた事件にエラリイが挑む。 この真相を日本人が見破るのはほとんど不可能だろう。よほど英米の文化に造詣が深くないとこの違いは分からないし、そこからまた犯人を特定するのも至難の業だ。 続く<相続課>が担当する「最後に死ぬ者」ではもはや絶滅状況にあるとされている執事が極秘裏に設立した執事だけが会員になれるクラブで数十年の歴史があるが、既に会員の執事も2人を残すのみになり、最後の会員がクラブの資金の全てを手に入れることが出来る。 アナログ時代であるが故の推理、といいたいところだが、これは現代でも通じる論証だ。でもこれは案外解ってしまったが。 増補版クイーン検察局最後の1編は<犯罪組織課>が担当する「ペイオフ」はクイーンお得意のダイイング・メッセージ物。 これは単純にクイズのような作品だ。しかしこんなワンアイデアさえも短編に仕上げるクイーンの創作意欲には頭が下がるというか…。 続くはパズル・クラブ物2編が収められている。 まずはエラリイがパズル・クラブに入会するための試験が行われる「小男のスパイ」は第2次大戦のあるスパイがどこに秘密文書の内容を隠し持ったのかが謎。これもクイーンが好んで使った消去法物の1編だが、いささか現実味が乏しいのではないかと思われる。奇を衒い過ぎた解答だろう。 パズル・クラブ物もう1編はなんと大統領さえもクラブ会員に勧誘してしまうパズル・クラブの懐の深さを感じさせる「大統領は遺憾ながら」。 これは日本人には辛い解答だろう。しかしクイーンは古今東西のような知識を競う言葉遊びが好きに違いない。 最後は歴史ミステリ「エイブラハム・リンカンの鍵」はリンカーンとエドガー・アラン・ポーが署名したとされる『盗まれた手紙』の書物を巡るミステリだ。 たった3文字の手懸りから推理を巡らし、隠し場所を推理する。メッセージ物としては極限まで切り詰められた作品だ。 しかし本編の冒頭ではこの隠し場所の暗号は実際にリンカンが考案した物なのか。どこまでが史実なのだろうか。 題名こそ『クイーンの犯罪実験室』だが、中身はミステリとしては作品を支えるには乏しいワンアイデアを基に作られた短編を集めた物。ほとんど推理クイズの域を出ない物ばかりだが、逆に云えばそんなアイデアでもミステリが書けるのかという命題にチャレンジした実験短編小説集と云えよう。 まずはダイイング・メッセージ中編ということで「菊花殺人事件」から本書は幕を開ける。 クイーンと云えばダイイング・メッセージと云われるくらい、そのヴァリエーションは豊富だが、この作品は通常犯人特定の手がかりとなるべきダイイング・メッセージを逆手に取っている。 通常死者が死の間際で遺すメッセージとは自分の事よりも家族のことではないだろうか。そういう意味では最も真実に近いダイイング・メッセージだと云えよう。 テーマ「推論における現代的問題」の各編で特徴的なのは真相が容疑者の背景に関わっていることだ。 「実地教育」では貧しい家の子供がやっているアルバイトの内容であり、「駐車難」では求婚者の家庭状況、「住宅難」も居住者それぞれの事情から絡み合う関係によって事件が入り組み、「奇跡は起こる」は格差社会と介護問題が介在する。 続く「新クイーン検察局」は別の短編集『クイーン検察局』でもテーマに挙げられた色んな犯罪を題材にしたミステリが綴られている。それら犯罪を担当する課はそれぞれ賭博課、スパイ課、誘拐課、殺人課、匿名手紙課、相続課、犯罪組織課ととてもありそうでないものばかり。 この辺についてはもはや突っ込むのは止すが、続編が作られたということはよほどこの趣向が気に入っていたのか。 そして『間違いの悲劇』に収録されていたパズル・クラブシリーズが本書で初お目見えだったのを知ったのは思わぬ収穫だった。しかしたった2編とはあまりに少ない。 しかしパズル・クラブ物は物語風味のクイズで構成された、クイーンコンビの知的遊戯でまさに趣味の世界であることが解った次第。 最後は歴史ミステリで占められる。これは恐らく歴史上のエピソードにクイーンが挑んだ作品だと信じよう。 先にも書いたが長編ミステリを著すにはネタとして弱いが、短い話ならば書けるワンアイデアを活かした短編が並ぶ。その中には英米、米仏など異国の文化の違いから生まれる違和感からエラリイが推理する短編もあり、日本人が十分楽しめる知的ゲームとなっていないものもある。しかしそれらは恐らくダネイとリーはいつも2人でこんなアイデアを話して、ミステリの種を探していたのだろうなと云うのがよく解る、知的パズルのような趣を感じる。 逆に云えばどんなアイデアでもミステリ短編に仕立てる雑誌編集者の魂というか、商業根性を感じてしまったが。 特に多いのがダイイング・メッセージ物で、特に短い単語や名前から隠されたメッセージを推理する趣向の作品が非常に多い。実に16編中7編と半分近くがそれに類する。 そしてそれらが単純な犯人特定の手懸りになるわけではなく、そこからまた謎が深まる、もしくはミスリードとして使われているというヴァリエーションも見せつける。 なるほど確かに本書は犯罪実験室だ。恐らくは言葉遊びや知識を競う遊びをして思いついたアイデアの数々。それらを犯罪に応用することが出来るのかがクイーン2人の試みを示したのが本書。 ちょっとした頭の体操をするにはちょうどいい作品が、そして少しだけ感心してしまうアイデアの妙が詰まった作品が揃っている。 そんなアプローチで復刊しませんか?早川書房さん! ▼以下、ネタバレ感想 |
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第一次大戦中、パレスチナで活躍したユダヤ人諜報組織NILIの中にトルコ軍の情報をイギリス軍に流し続けた1人の女性スパイがいた。バー=ゾウハーがこの隠れた史実を元に構成したのが本書である。
モデルとなった女性スパイ、サラ・アーロンソンとなるのは考古学者の娘ルース・メンデルソン。彼女はイギリス軍のスパイである元ロシアのレジスタンスという経歴を持つサウル・ドンスキーのために自身もまたイギリス軍へトルコ軍の情報を送っていた。 しかし彼女はスパイであることをトルコ軍に知られ、父親の命と引き換えにイギリス軍の進攻を阻止するために逆にスパイとなってカイロに派遣される。 そして一方のサウルはルースらメンデルソン一家がトルコ軍の司令官ムラドによって惨殺されたことを知らされる。そしてトルコ軍がカイロに女性スパイを送ったことを知り、報復とばかりにその女性スパイの正体を暴いて捕らえる事に執念を燃やす。 本書が史実に基づいていることもあってか、第一次大戦中に名を馳せた実在の人物たちが登場し、登場人物たちと絡み合う。 例えば映画にもなって今なお伝説視されている“アラビアのロレンス”ことロレンス少佐はサウル・ドンスキーとイギリス軍のパレスチナ進攻作戦で論を交わす。 また図らずも女スパイに仕立て上げられたルースの連絡係エンマ・アルトシラーはかつて稀代の女性スパイ、マタ・ハリと共にコンビを組んでいたスパイであり、新任のルースを事あるごとにマタ・ハリと比較して毒づく。 特にロレンスについてはかなり筆が割かれ、また物語のサブキャラクターとしても重要な位置を占めている。 その中で驚いたのはルースによってロレンスがガザへ攻め入ることを知らされ、それを聞いたムラドが彼を捕らえ、カマを掘られるという映画『アラビアのロレンス』でも描かれたシーンがきちんと描かれていることだ。 これは今ではロレンスによるデマだと云われているが、それでもかなりセンセーショナルなシーンであり、やはり作者も避けては通れなかったのだろうか。 この国を跨る巨大な宗教、民族が複雑に絡み合う状況こそ、パレスチナ問題やアラブ諸国が抱える紛争の数々の火種なのだ。 大学時代にこの複雑なイスラム諸国の状況については講座を取ったが、やはりいまだに十分に理解できない。それは信仰に対してさほど意識が薄い日本人には次元の違う問題なのだろう。なんせ第二次大戦では大量にユダヤ人を虐殺するドイツがユダヤ人保護を訴えているくらいなのだ。 そんな複雑な中東諸国の抗争の巻き添えとなったのがルースらメンデルソン家だ。単なる考古学者を家長としているこのユダヤ人の一家がロシア人の諜報員と懇意になった娘がイギリス軍のスパイ活動の手伝いをしたことで、数奇な運命に翻弄される。 そのために弟は目の前でトルコ軍によって銃殺され、父親は囚われの身となり、獄中死する。そしてまだ男を知らない娘はスパイに仕立て上げられ、望まぬまま男に体を与え、処女を喪う。家族を救う、それだけのために。 大義という大きなことをなすために多少の犠牲は必要だというが、その大義のために人生を狂わされた家族がある。ルースたちもまた歴史の犠牲者なのだ。 ところで本編で登場するオーストラリア軍のジェフリー・ソーンダース中佐だが、作者の初期2作で主役を務めていたCIA工作員ジェフ・ソーンダースとは無縁なのだろうか?各登場人物のその後を語るエピローグにそのことについては触れられていないものの、冷戦時に活躍したスパイの父親が実は歴史的な出来事に関わっていたというのは作者のファンサービスだと捉えているがどうだろうか? 主にナチスにまつわる歴史の暗部を描いてきたバー=ゾウハーだが、本書では第一次大戦を舞台にし、自身が政治にも携わった中東諸国について描き、もはや歴史上の出来事とされているイギリス軍のエルサレム侵攻の裏側に隠されたある女スパイの物語を描いた。敵同士に別れた男と女というハーレクインロマンスを髣髴とさせる設定には面喰いつつも、それでもやはりそれぞれの国々が抱える複雑な情勢を的確にとらえる筆致は見事だ。 しかしこの作家の良さはスピード感とスパイという職業が抱える業のようなものを陰影深く描くところに定評があると思うので、次作は恋愛は別にしてもっと魂震える作品を期待したい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズ2作目の本書でまたまたバーニイは泥棒に入った家で殺人事件に出くわしてしまう。
行きつけの歯科医クレイグ・シェルブレイクから突然頼まれた元妻クリスタルの所持する宝石類を盗み出してほしいという依頼を受けたバーニイはクリスタルが男漁りに外出している安心感からか、思わず長居をしたために(なんと1時間17分もの盗みに没頭していた)、当人が帰ってきたためにタイトルが示す通り、クロゼットに隠れて情事の最中に出くわし、更には殺人事件にも居合わせてしまうという何ともおかしな巻き込まれ方だ。 そして事件はバーニイが想定する悪い方向に動いていく。クレイグは自身の釈放の為にバーニイを警察に売ったのだ。 そしてバーニイは今回の事件が贋札事件に関わってくることを突き止める。 いやはや実に読ませる作品だ。 典型的と云えば典型的、マンネリと云えばマンネリだが、それでも安心印で面白く読めるのがこのシリーズのいい所。 しかしそれでも本格ミステリの妙味がこの作品には溢れている。 スラップスティックな調子なのに、そんな状況でさえ本格ミステリの妙味に変えてしまうシェフ、ローレンス・ブロックの腕前。なんて素晴らしいんだ。 そして今さらながらだが、泥棒探偵バーニイは自身が犯罪者である故に、いつも警察に睨まれているマイナス面がある。そのため、自身の身に降りかかった災難を自ら潔白を証明する必要があるところに従来の名探偵と一線を画する面白味があることに気付いた。 正直この着想はなかなか生まれるものではない。 さて数あるブロックの諸作の中でも、泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズはその全てが絶版状態であり、今では新刊では手に入れることは不可能でブックオフなどで古本で買うしかなかったのだが、シリーズ2作目の本書は手に入れることが適わず、渋々飛ばして3作目以降を読んでいたが、電子書籍で読めることを突き止め、このたび楽天koboのアプリでiPhoneにて読んでみた。私自身初めての電子書籍が本書となったわけだ。 基本的に私は感想を纏めるためにところどころ付箋を貼っていくのだが、電子書籍ではこれが出来ない。 Kindleではそういった場所に付箋を貼る機能があるようだが、楽天koboではそれがなく、指でなぞったところをハイライト機能を使ってメモするという方法で代用した。これがなかなか馴れず、初日はもういつ投げ出そうかとイライラすること終始だった。 しかし絶版のスピードが加速する昨今、特に海外小説の絶版スピードの速さは凄まじい物があるので、これら貴重な資産を電子書籍と云う形で買えるようにするというのは一つの策であろう。 しかし電子書籍の開発者たちはもっと読書を趣味とする人々の嗜好や読書方法を研究する必要があるのではないか。正直本書を読む限りではよほどのことがない限り、電子書籍での読書は控えたいというのが本音だ。電子書籍が想定したよりもはるかに普及していないことが体感したことで解ったのはある意味意義のある読書だったと思う。 ただやはり電子書籍でしか読めない絶版作品があれば今後も読んでいきたいと思う。 でもやっぱり紙の本の方が読みやすいなぁ。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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今度のアリステア・マクリーン作品はイギリス情報部員ジョン・ベンタルが挑む潜入捜査だ。オーストラリアで起こっている技術者たちの謎の失踪事件をベンタル自身が燃料工学の専門家に扮して一連の事件の謎を探るという話だ。
舞台は南国の島国フィジー。オーストラリア渡航の乗換のため、宿泊したフィジーのホテルで拉致されるが、機転を利かせて脱出したベンタルとマリーの男女の情報部員が流れ着いたのは考古学者が研究のため逗留する小さな島ヴァルドゥ島。 ヤシの実に白い砂浜、肌を撫でる貿易風に揺られながらハンモックで昼寝をする。およそ諜報活動とは無縁の世界で繰り広げられるのは楽園に隠されたイギリスの秘密基地。しかも今回は男女の情報部員による任務ということでどこか007を思わせる設定だ。 作者マクリーンも意識的なのか、偽装した夫婦として任務を課せられたマリーとベンタルが当初は反目し合いながらも次第にお互いを想いあうようになる。下手をすればハーレクインロマンスと見紛うかのような内容だ。 それもそのはずであとがきによれば本書はイアン・スチュアート名義で書かれた作品とのこと。つまり従来のマクリーン作品とは一線を画した舞台設定と登場人物を想定した作品なのだ。 そんな中で深手を負った科学者を装いながら島の周囲を探るベンタルが察知した真の任務とはイギリスがフィジーの小島で隠密裏に “黒い十字軍(ダーク・クルーセイダー)”という最新式のロケット開発を進めている科学者たちが連れて行った妻たちの行方を探るという物。 真相を読むに至って私はますますこれはマクリーンがスパイアクション小説を想定して書いた作品だという思いを強くした。 それを裏付けるかの如く、今まで硬質な文体で、読む者にさえ苦難を強いることを感じさせられたマクリーンの文体が本書では実に軽みを帯びている。特にベンタルの独白は凄腕の情報部員ながらもグチと減らず口を叩き、特にパートナーのマリーに対する感情をところどころ吐露する辺りは今までのマクリーン作品の主人公とは思えない優男ぶりが垣間見える。 そんなマクリーンの手によるスパイアクション小説はしかし突飛な小道具や秘密兵器といった物は一切出ず、ベンタルが次第に傷を負い、ボロボロの身体で満身創痍になりながらもどうにか新型兵器ダーク・クルーセイダーの持ち出しを阻止しようと奮闘する。 主人公が何でも一流の腕でこなすスーパーマンのような男ではなく、敵と味方の反感を買いながら、自分が死ぬことなど厭わない不屈の心を持っているところがマクリーンらしい。 珍しく軽さを感じる文章でクイクイ読ませる作品だったが、結末はかなり苦いものだった。 しかしこの読みやすさは今後もあってほしい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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1984年5月28日、アーリントン国立墓地にヴェトナム戦争無名戦士の葬儀が当時のレーガン大統領の弔辞を伴って行われた。
マイケル・バー=ゾウハーが選んだ本書の題材はこの史実に基づく無名戦士の身元を探る物語である。 しかしそこはバー=ゾウハー、単に身元不明の遺体の正体を探るだけの話にはしない。その遺体に残された弾丸と手榴弾がアメリカ製であるという仕掛けを施す。つまりこの兵士が味方に殺されたのではないかというスキャンダラスな謎を放り込むのだ。 その調査に挑むのが国防総省の行方不明兵士(MIA)事務局の局長ウォルト・メレディスだ。 彼は自身の息子をもヴェトナム戦争で亡くし、その遺体が行方不明になったままだという過去を持つ。息子の死を知った矢先、当時勤めていたCIAを辞め、国防総省に移り、自ら行方不明兵士の調査に携わることにしたのだった。 しかし妄執的なまでに調査に没頭する彼を恋人であるバーバラは息子の影を追っているだけだと糾弾する。しかし彼は国の為に命を投げ出した戦士たちが名も無き死体として葬り去られることの虚しさと、息子もしくは夫の帰りを待つ家族にきちんと区切りをつけ、ヴェトナム戦争を終わらせるために必要なことだと説く。つまり無名戦士の葬儀とはまだ同地に残るアメリカ兵士を歴史の翳に葬り去る行為なのだ。 そして物語の渦中にある無名戦士の正体は物語中盤で判明する。 海兵隊第37連隊の隠された8番目の兵士アンディ・カニンガム一等兵だった。彼の父親は第2次大戦のノルマンディ上陸作戦で活躍した英雄だった。 そんな彼がなぜ無残に殺されなければならなかったのか?物語の後半はその謎の解明に費やされる。 謎の解明に当たるウォルト・メレディスの前に立ち塞がるのが元第37連隊々員だったスティーヴ・レイニー。ある時は先回りして同士に連絡して協力しないように手を回し、中には既に自らの手でその命を奪った同胞もいる。それほどまでにして隠すアンディ・カニンガムの死とは一体どんなスキャンダルなのかと俄然興味が増してくる。 しかしアンディ・カニンガムの死を巡る捜査は屍の山を累々と築いていく。第37連隊の生き残り、リンドン・ヒューズは自殺に見せかけて殺害され、と今回の事件の張本人スティーヴ・レイニーもまたウォルト殺害に失敗し、自ら死を選ぶ。そしてウォルトの捜索の良き理解者であり協力者であったMIA家族の会もまたウォルトから袂を分かつようになる。 それほどまでアメリカが守りたかったアンディの死とは一体何なのか?最後の最後でようやく明かされる。 しかし今なおヴェトナム戦争については語られることが多い。特にデミルはライフワークとしているようにも感じられる。 そのどれもが異口同音に語るのが初めてアメリカが正義ではなくなった戦争だということだ。そんな無益な戦争で犠牲になった兵士たちが人間性を喪い、狂気に駆られてもはや普通の生活さえも送れなくなった戦争の惨たらしさが本書でも書かれているが、それは本当に人間のやることなのかと背筋に寒気が起きるようなことばかりだ。 そんな戦争だったからこそ無名で死ぬようなことはあってはならない。無名戦士の名を明らかにすることはすなわち兵士を一人の人間として尊厳を取り戻すことに繋がるのだ。 しかし、だ。 本書を読んだ後では事はそう簡単ではないことに気付かされた。 そういった意味では最後にカバーストーリーを仕立て上げたブリグズ大佐の行為は欺瞞ではあるものの、誰もがあるべきところに落ち着く結末ではある。 正義と悪、敵と味方、そんな単純に割り切れない物を孕んでいるがゆえに真実は明かされない方がいいときもある。 本書は戦争が決して英雄的行為ではなく、人間が生んだこの世で一番愚かな行為であることを示してくれた。従って英雄などいないのだ。そこにあるのは戦争を美化するための神話や伝説があるだけだ。真実は常にそんな美談とは対極の位置にある、バー=ゾウハーは静かに我々に教えてくれた。 ミステリ以上の味わいをまたもやもたらしてくれた。しかし今回は殊の外、考えさせられ、苦かった。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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【ネタバレかも!?】
(1件の連絡あり)[?]
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常に我々の想像を超える世界を見せてくれるジョー・ヒルが今回描いた世界は特殊能力者たちの世界。
主人公ヴィクは自転車に乗って近道橋を渡り、失った物を取り戻す能力を持つ。 彼女の宿敵となるのは「NOS4A2」、ノスフェラトゥ、つまり吸血鬼の名をナンバープレートに冠するロールスロイス・レイスを駆り、子供たちを自分の世界<クリスマスランド>へさらう連続誘拐魔チャールズ・タレント・マンクスⅢ世。 そしてヴィクの良き理解者で相棒として力を貸すのはシンディ・ローパーを想起させるエキセントリックな風貌の図書館司書マーガレット・リー。彼女はスクラブルの文字で未来を予知する能力を持つ。 しかし本書は単純な対決の物語に作者はしなかった。ヴィクとチャールズ・マンクスとの戦いはなんと数十年にも及ぶのだ。 1986年に能力が発現したヴィクが初めてチャールズと対峙したのは1990年。そこから現代に至る約四半世紀もの間、2人の戦いは続く。そしてその戦いはヴィクの息子ブルース・ウェインをも巻き込み、ヴィクは母親としてチャールズ・マンクスと対峙するのだ。 いつもそうだが、ジョー・ヒルの描く物語の主人公は決して聖人君子のような素晴らしい人間でもなく、また愛すべき人柄を備えた人物ではない。 例えば本作の主人公ヴィクは暴力を振るう父親とヒステリックに自分の正当性を主張する、精神障害を抱えた母親の下に生まれ、二人の諍いを聞くのがこの上なく嫌いな女の子として登場するが、その後成長するに当たり、酒に溺れた精神障害を持つ母親となって、内縁の夫と別れてしまう。ただヴィクの狂気は高校生の時に出遭った殺人鬼チャールズ・マンクスから逃れられぬ悪夢によるものであり、必ずしもヴィク自身に責めがあるわけではない。 翻ってヴィクの内縁の夫ルーはお人好しなのだが、その性格が災いしてい事業には失敗し、人に騙されて借金を背負わされ、返済に四苦八苦している、何とも頼りない男だ。 しかし彼の包容力こそヴィクには必要で、ルーはヴィクにとって良い夫なのだ。 そんな2人の間に生まれたブルース・ウェイン・カーモディはそんなダメな両親を愛したい、喜ばせたいと思っている、なんとも健気な男の子だ。 つまり読者の求む主人公像に近いのはこのブルースだと云える。 ただそんな破綻した家族でありながら、それぞれが危難に陥れば協力し合う。つまり家族愛は不変なのだということをヒルはこの物語で示してくれる。 絶体絶命のピンチに陥った時に耳元で囁かれるのはどこか遠くにいる父親のアドバイスであり、また孫が絶望的な不安に陥れば、祖母は死の世界からでも舞い戻って傍に座って元気づけてくれる。 それは勿論ヴィクもそうだ。 息子も含め、他者から見れば全身にタトゥーを施した未婚の母で、誰も聞くことのできない電話の呼び出し音に怯え、常軌を逸脱した行動で家を全焼させ、精神病院に入れられた、どうしようもない母親なのだが、息子と内縁の夫をこの上なく愛し、特殊な能力を持つ自分と関わらさせないようにした上の結果であり、息子がマンクスにさらわれればどんな目に遭おうが諦めずに敵に立ち向かう。それは一途なまでの家族に対する愛ゆえに。 どんなに破綻しているように見えながらも、それぞれの家族も子供を愛する気持ちは強く持っていることをこの物語は強く訴える。 子供を平気で虐待し、または自分の好きなことをするために育児放棄する親の許にいるよりは、毎日がクリスマスである、自分の夢想が創り上げた<クリスマスランド>にいて、楽しく過ごす方が子供たちにとってはいいではないかと子供たちをさらうチャールズ・マンクスは腐った現代社会において闇の救世主のように映る。 しかしダメな親であっても子を愛する気持ちはかけがえのない物だと必死にマンクスの魔手から我が子ブルースを救おうと奮闘するヴィクとルーの姿は喪われつつある親子の絆の深さの象徴だ。他者から見れば不幸としか映らない家庭環境が実は当人たちにとってはそれもまた幸せの1つの形なのであることを投げかける。だからこそヴィクとルーはわが子を救うためならば不法侵入に逃亡、爆弾製作といった犯罪行為を厭わないのだ。 瀕死の重傷を負いつつも、鋼鉄の馬トライアンフを駈るヴィクの姿は物語の前半に出てくる昔のアメリカドラマ、「ナイトライダー」の主人公マイケル・ナイトのようなヒーローのようだ。まさに女だてらの「Knight Rider」ではないか!手負いの母親ほど手強いものはない。母の愛こそ最強の武器なのだ。 さて毎回ユニークなアイデアを物語に持ち込んでくるジョー・ヒルだが、本書の最たる特徴はハイテクとファンタジーホラーの見事な融合にある。 チャールズ・マンクスによってロールスロイス・レイスでさらわれた息子ウェインを探るのにiPhoneの探索機能を使って地図上でウェインの居場所を探るシーンが出てくるが、そこに出てくる地図はアメリカでありながらアメリカではない地。「アメリカ内界国」という名の奇妙な場所が現れ、ウェインの居場所が示される。現代技術の最先端が異界を見せるというこの怖さ。このアイデアは実に素晴らしい。 さて今までとにかく戯言のように主人公のとめどない思考を全て文字にしたかの如き回りくどい文章だったのが、本書では実にシンプルに整理されて読みやすくなっているのが特徴的だった。とはいえ、ヒル特有のユーモア、特に音楽に関するサブカル要素も盛り込まれているのだから、文章がさらに洗練されたと考えるべきだろう。 しかしそれでも上下巻合わせて1,120ページもの分量が必要だったのかは甚だ疑問だ。300ページくらいは余裕で削れるのではないだろうか。 抜群の奇想とそれを物にする技量はあるものの、長編小説となると妙に饒舌になるヒルは率直に云って短編向きのような気がする。作品を重ねるにつれ、長大化が進むヒルだが、向こうのエージェントならびに出版社はヒルにもっと文章を削ぎ落とすようアドバイスすべきではないだろうか? この長さがなければ手放しで傑作と太鼓判を押そう。それほどまでに爽快な読後感を抱かせてくれる物語なのだから。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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服部真澄は常に時代を先行する。
数々の時代を先取りしたセンセーショナルな題材を扱ってきた彼女が本書でテーマに挙げたのはもはや世界的に巨大な産業へと発展したアグリビジネスの実態だ。 物語は3本の柱で構成される。 1つは蓮尾の親友であった少年アダムが焼死したシングルトン一家放火殺人事件の謎。 もう1つは時代の寵児と呼ばれる科学ジャーナリスト、レックス・ウォルシュが一大センセーションを巻き起こすであろうと思われる次作を巡っての謎。 最後の1つは世界のワイン事情を左右すると云われているワイン・ジャーナリスト、シリル・ドランの新作の訳出を巡る物語。 これら3つの物語は1つの大きな軸に収束していく。 それは世界の農業事業を牛耳る巨大コングロマリット「ジェネアグリ」の存在だ。そしてそのジェネアグリが率先して開発しているのが遺伝子組み換え作物、GMOと呼ばれるキメラ作物だ。 害虫に強い品種を開発するために魚のある遺伝子を交配して新種を作り出す、農薬に強い品種を作るために特殊なバクテリアと配合する、旱魃に強い品種を作って農家に提供するが、種が出来ない品種のため、その農家は永久に会社から翌年の収穫の為に種を買い続けなければならなくなる、といったように世界中の作物を牛耳るための手段としてGMOは開発される。 さらに物語の舞台は南米へと移る。しかもその地はボリヴィアだ。 サッカー先進国である南米諸国の中でも本戦進出したことがないと思われるほど、マイナーな国を舞台に話題の中心はやがて新種ワインの開発からコカノキ、つまりコカ茶とコカインの原料となる木へと繋がっていく。 ただこの真相は今までの服部作品を読んでいれば想像するに難くはない。 服部氏にとってアメリカという巨大な鷲は恐るべき存在なのだろう。 デビュー作『龍の契り』からアメリカが香港返還に絡むところから始まり、その後の『鷲の驕り』、『ディール・メイカー』とアメリカが世界を牛耳ろうと画策しようと企む構造を一貫して描いてきている。圧倒的な取材力で世界の最先端技術をテーマに作品を綴ってきた服部氏が取材過程で目の当たりにした光景なのか、それは定かではないが、アメリカという国が持つ底知れぬ恐ろしさを知るがゆえに同国が与える世界への脅威は氏にとって決して離れる事の出来ないテーマなのかもしれない。 翻って服部氏が日本政府に対する筆は容赦がない。作中で2000年に日本政府がいともあっさりとGM稲の輸入と栽培を認めた事実が紹介されるが、アメリカの深謀に比べて日本の浅はかさを知らしめる実に滑稽なエピソードだ。恐らく世間ではまだよく知られていないGMOの脅威―私も本書でその実態を知った―ゆえに政府もその後展開されるであろう恐ろしい陰謀には思い至らなかったのかもしれない。そう考えると本書は服部氏による迂闊な日本政府へのGMOの脅威の啓発の書であると取れる。 さて先の読めない展開が売りの服部作品だが、本書に関しては案外明瞭過ぎて、逆にかつて有能な科学ジャーナリストであった蓮尾の鈍感さにイライラさせられた。 この人物造形の浅さこそが服部作品の弱点だと私は考える。 真相が明らかになるにつれ、さらにその奥に隠された真相が一枚一枚、ヴェールを剥がされるように明らかになり、やがて与えられていた真相はひっくり返り、正義が悪に、悪は道化師に、囮に、と価値観が覆される物語構成は一級のスパイ小説、エスピオナージュを髣髴とさせるのだが、そんな重層的なストーリーを引っ張る強烈なキャラクターが氏の作品にいないのも事実。 それについては今後の服部作品に期待しよう。 物語の最後は服部氏が抱く未来の夢か、願望なのか。それとも麻薬ビジネスに頼らざるを得ない南米諸国に対する新たな道を辿れという叱咤激励なのか? アジアへの利権、特許、IT産業にアニメ産業、さらにアグリビジネスへと様々な分野で世界市場を乗っ取ろうと知恵を絞るアメリカ。これら服部作品に書かれている事象はそう遠くない未来に起こりうるであろうアメリカによる世界経済侵略なのかもしれない。 次は我々に服部氏はどのような衝撃を与えてくれるのか。グローバリゼーションという明るい価値観の影に咲く仇花をまたその筆で描いてくれることを楽しみにしていよう。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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マクリーン5作目の作品はなんとある犯罪者が巻き込まれる数奇な運命を語った話だ。
主人公のジョン・タルボはサルベージ会社を転々とし、そこで引き上げた財宝を盗んだり、または宝石泥棒と組んでダイヤモンドを盗んだりと悪行の限りを尽くした男が警察の追跡から逃げまくる逃亡劇が始まるかと思いきや、それは100ページほどで終わりをつげ、次は海底油田の採掘ステーションへの侵入劇、そしてヴァイランドと云う悪党によって潜水艦の技師として雇われ、ある仕事を頼まれる。 とまあ、このように実に先が読めない事極まりない物語が読者の眼前で繰り広げられる。 しかもその行動の真意が明らかにされないまま物語が進行するため、読者はタルボが何をしようとしているのかが解らない。とにかく読んでいて実に気持ちが悪い物語展開なのだ。 例えばタルボがいきなり警察に捕まるのも突然食事をしていた彼の許に警察が現れ、有無を云わさずに連れていくところから始まり、そこから機転と隙を見て、その場にいた女性を人質に逃亡し、モーテルに隠遁するが、そこに突如殺し屋が現れ、女性の親である石油富豪のラスヴェン将軍邸に連れられる。 更に将軍がタルボに自分の石油採掘ステーションに忍び込むよう依頼する。が、その後タルボは隠密裏に屋敷を抜け出して単独でステーションに忍び込む。何らかの目的があるのかは判るものの、それが何のためなのか明らかにされないまま、行動に移るのである。 とにかく登場人物それぞれが秘密を抱いていることを仄めかしながらも、それが明確にされずに物語は進行する。これほど靄の掛かったままで進む小説も珍しい。 本格ミステリならば殺人の犯人や殺害方法、動機など不明なままで物語は進行するが、それはそれを突き止めるための物語であるから、逆に云えば目的がはっきりしているのだが、本書においては主人公のタルボを筆頭に、彼に依頼をするラスヴェン将軍の仕事の内容も不明で、ヴァイランド一味の目的も不明で何が目的なのかがはっきりせず、焦点が絞れずに進行するため、実にもどかしい思いをしながらページを繰らなければならなかった。 そしてそれら物語の靄は最終章、タルボの口から明かされる。 専門家と見紛うような石油採掘ステーションの技術的な説明と描写はマクリーンの専売特許とも云うべき精緻かつ精密で作家が付け焼刃的に浅く薄く専門書を読んで物語に挟み込んだような代物ではない。 そこは認めるものの、本書における作者の企みは決して効果的なサプライズを生んでいるとは云えない。プロローグで起きた事件が物語の布石であることは容易に知れるものの、そこから展開する物語は焦点が掴みにくく、さらに殺人犯として知らされる主人公タルボの不可解な行動の数々には上で書いたようにとにかくどこへ進むのかがはっきりとせず、終始やきもきさせられた。 私はある明確な目的に向けて登場人物が生死の境で苦しみながらも前に進もうとする極限状態での苦闘を描き、その中で挟まれる意外な人間関係や本性がサプライズとして有機的に働くことで生まれる心震わせる人間ドラマこそがマクリーンの真骨頂だと思うが、物語全体を仕掛けにするという器用な創作は似つかわしいと本書を読んで思ってしまった。 しかし上にも書いたようにマクリーンはどの分野を書いても専門はだしの詳細な内容を技術者が読んでも眉を潜めないほどの正確さをもって書けることが今回も解った。 次はどのような舞台で専門知識と人間ドラマが絶妙に絡み合った作品を提供してくれるのかを期待したい。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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東京中野駅は白戸修にとってまさに鬼門だった。平凡な大学生白戸修の日常を脅かす事件は決まって中野駅から起こる。そんな彼が巻き込まれる事件5編。
白戸修初登場の「ツール&ストール」では就職先が決まり、卒業を控えた最後の破産法の試験を3日後に控えた時に突然事件に巻き込まれる。 第20回小説推理新人賞を受賞したのが本作。受賞作に相応しいなかなか趣向の凝った作品だ。 まずは真犯人捜しの元スリ専門の捜査官と共に行動して色々なスリの手口を目の当たりにするのが非常に面白い。電車内での典型的なスリの手口から、駅構内のトイレで2人一組で行われる巧妙な手口、更には混んだ店内で予約ミスと見せかけて集団で行うスリと、実にヴァラエティに富んでいる。 さらに最後に明らかになるタイトルの意味。 そして平凡な男に過ぎなかった白戸修がいつの間にかお人よしの頼りない好青年として刷り込まれていることに気付く。白戸修の紹介状として申し分ない好編だ。 続く「サインペインター」では白戸修は犯罪の片棒を担ぐことになる。 巻き込まれ好青年白戸修が、友人の為に何やら怪しげなバイトに巻き込まれ、強引かつ無神経な男に振り繰り回される顛末を描きながらも、実はその中に謎が隠されていたという構成の上手さが光る1編。 物語も半ばが過ぎないと何が謎なのか解らないという、実は技巧としては高度な物語なのだ。それを2作目で行うあたり、大倉氏が既に本格ミステリ作家としてのサムシング・エルスを持っていることが解る。 「セイフティゾーン」でまたもや事件に巻き込まれる。 事件の最中で意外な事実が判明していくという、ジェフリー・ディーヴァ―の『静寂の叫び』を思わせるような物語。 さて昨今では殺人事件にまで発展するストーカー被害。間違い電話に出た白戸修はこの被害の捜査に巻き込まれるのが「トラブルシューター」。 ストーカー事件が世に知られるようになった現在では、そうと解らない読者の為に門外漢の白戸の目を通して語られる被害者杉本恵の奇妙な日常風景の描写は逆にまどろこっしく感じた。 とにかく世にあるストーカーの卑劣な仕打ちが被害者の日常を通じて一部始終が語られる辺りは特に陰鬱。短編集の中でも最もダークでシリアスな展開。 「ショップリフター」とは万引き犯と云う意味。最後の短編で白戸修が出くわす犯罪は身近でありながら深刻な被害となっている万引きだ。 第1編「ツール&ストール」を髣髴とさせる仕掛けとサプライズに満ちた1編だ。 身に覚えのない万引きの濡れ衣を着せられた白戸はマイペースな保安員深田によって万引き犯捜索の手伝いをさせられて、デパートの上から下まで引き摺り回されてしまう。と思いきやそれが白戸を犯罪者に仕立てる一連の計画だったことが明らかにされる。万引き犯を追いながら店を出た途端に逆に万引きの現行犯に仕立て上げられてしまうというこのサプライズはなかなか強烈。久々に「えっ!?」となってしまった。 また作品で開陳される様々な万引きの手口は実に興味深く、これも「ツール&ストール」で披露された様々なスリの手口と同じような薀蓄に満ちている。 刑事コロンボを髣髴とさせる福家警部補シリーズがドラマ化された大倉氏の数あるシリーズのうち、最も平凡なキャラクターである白戸修作品初登場の短編集。 平凡な学生白戸修が巻き込まれるのはスリにステ看貼りに銀行強盗、そしてストーカー被害に最後は万引き。軽犯罪だけでなく命に係わる事件にも巻き込まれる受難男。 しかもここに収められた5つの事件は就職先も決まり、大学卒業を目前に控えた最後の単位取得の試験の時期、その1月後、そして卒業式も終わって入社式を迎える猶予期間、入社式前日までの大学生活最後の年の後半に起こっており、白戸修はこの短期間でドミノ倒しの如く次々と事件に巻き込まれていくという濃密な数ヶ月を送っている。 しかもそのいずれも中野駅界隈であるのが面白い。作者は中野駅にどんな恨み(?)があるのだろうか。 物語の最初はいつも頼みごとを断りきれない気の弱いお人よしの青年という、いささか頼りない男と映る白戸修が、物語の最後ではそのお人よしぶりがこの上ない善人になり、稀に見る好青年となって読者の心に印象づけられていき、どの作品も読後は爽やかな涼風が心に吹く思いを抱かせる。 特に巻き込まれながらも目の当たりにする犯罪の有様に白戸自身の考えもやる気の無いものから、どうにか犯人を捕まえたい、事件を解決したいという前向きな物に変わっていくのもこの頼りない主人公に好感を持つ大きな要素になっている。 白戸修が出くわす犯罪では必ずしも犯罪者が悪人ということではないのが面白い。 また身を隠す犯罪者が必ずしも悪人ではないことも語られている。 個人的ベストは「ツール&ストール」、「サインペインター」、「ショップリフター」の3編。 「ツール&ストール」と「ショップリフター」は姉妹編とも云うべき好編でそれぞれスリと万引きと云う軽犯罪を扱っており、その手口のヴァリエーションも紹介され、その奥の深さに唸らされるが、最後に明らかになる事件全体に仕掛けられたトリックが判明するところは久々に不意打ちを食らった感があった。 「サインペインター」は単なる巻き込まれ騒動の1編と思わせつつ、実は意外な謎が隠されていたという読者がその真相を探るのがほとんど不可能な構成の妙を買う。ホント、何が謎なのか全く解らなかった。 とはいえ、まだまだ特色のあるシリーズとはこの段階では云い難い。逆に最後の短編でシリーズキャラクターとなりそうな人物が再登場した事でこれからシリーズとしての奥行きと幅が出てきそうな予感がする。 次回からは出版社に就職した社会人として白戸修がまたもや事件に巻き込まれていくことになるのだろうが、どんな形で事件に関わるのか暖かい眼で見守ってやりたい。白戸修にはそんな魅力がある。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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シリーズ4作目の本書ではスカダーは彼が警官時代に担当した連続殺人事件の被害者の真犯人を捜そうとする。それは彼の過去との対峙でもあった。
アイスピックを使って女性ばかりを襲う連続殺人魔。8人もの犠牲者が出た後、ぱったりと事件は沈静化する。それは当の犯人が長期強制入院させられていたからだった。 そして9年後の今、その犯人が捕まり、解った事実が8人の犠牲者のうち、その1人バーバラ・エッティンガーは自分が殺したのではないということ。その父親は彼女を殺した真犯人捜しを当時警官で事件を担当していたマットに依頼するというのが今回の話だ。 しかし9年もの歳月の変化はマットの捜査を困難にする。しかし時の流れで消え去った証拠をマットは捜すのではなく、当時事件に関係していた人たちを訪ね、その人となりに触れることで事件の真相を掴もうとする。 これは警察の捜査ではできないことだ。私立探偵の免許もなく、依頼された者たちに少々の報酬を頂いて便宜を図る男マットだからこそ、自分の直感とやり方に従って人と人の間を逍遥する。 それは警官の誰かが云った、炭鉱の中で黒猫を探すようなことだ。 それがまた否が応にも自分の警官時代の事を思い出させることになる。マットは事件を捜査することでかつて警官だった自分についても思いを巡らせるのだ。 しかし連続殺人犯をテーマに扱いながら、ブロックはなんとも地味に物語を展開させるのだろう。通常ならば連続殺人犯による犯行がリアルタイムで起きている状況下で物語を紡ぐことだろう。その方がサスペンスも盛り上がるし、また何より物語に起伏も出る。 しかし敢えてブロックはそれをある女性の過去の殺人の真相を探るモチーフとして扱うだけに留めるのだ。しかも連続殺人事件は9年も前の事件にして。 従って物語は数少ない当時を知る人を探り当てるところから始まり、また当時を知る者も既に記憶が曖昧になって実に心許ない。つまり読者は過去を探るスカダーと共に何とも手ごたえの感じない捜査の一部始終を体験するのだ。 なにゆえこのような展開をブロックは選んだのか。 やはりそれがスカダーの向き合う仕事に相応しいからだということだろう。連続殺人犯と云う敵と戦うマットはどうしても武闘派にならざるを得ないが、マットにはそんなポジティブな行為は似合わず、過去の疵を抱いて時々自分に仕事を頼む人から少しばかりの報酬を貰ってその日暮らしの生活をする、人生の落伍者には過去を辿る行為こそがお似合いなのだろう。 それを裏付けるかのようにスカダーは過去と向き合う。 当時もう1人ブルックリンで殺人鬼ルイス・ピネルの毒牙にかかった女性の捜査に携わった巡査に逢った時、自分を重ねる。その巡査バートン・ハヴァーメイヤーもまた警官を辞めた男だった。彼はまだ経験浅い頃に出くわした陰惨な事件の犠牲者と彼女の死に様を発見した彼女の子らの泣き叫ぶ声が耳に焼き付いて離れないがために。それは誤って少女を撃ち殺したことで職を辞した自分のもう1つの姿だった。 そして物語も半ば、依頼人であるチャールズ・ロンドンから事件の捜査の打ち切りを申し出られるが、スカダーはそれを拒否する。9年もの前の事件を調べるのに四苦八苦しながらもスカダーは何かが動き出していることを感じていた。しかしロンドンは過去をほじくり返すことで知らなくてもよかった娘の過去が白日の下に曝されるのを怖れていた。 前作でも抱いたのはなぜスカダーは敢えて寝た子を起こすような行為をするのかということだ。しかしその疑問について私はある一つの答えを得たような気がした。 それは自身が抱える過去の闇を忘れずに酒に溺れ、半ば死んでいるような日々を送っているからこそ、過去を忘れ去ろうとする人々が許せないのだろう。 しかし過去を抱えて今を生きるマットの生き方は決して誉められたものではない。『一ドル銀貨の遺言』では過去の過ちを消し去ろうと努力し、それぞれが成功を収めている人々がいる。過去を抱え、定職にすらつこうとしない男と過去を消し、いまを生きようとする人々。この二律背反な構図は決してスカダーが真っ当な人間ではないことを指す。 しかしこれこそが正義を貫くことの代償なのだろう。正しいことをすることは何かを捨てる事なのだとブロックはスカダーを通して我々に示しているようだ。 このマット・スカダーの物語は上昇志向の人々にはそぐわないものだろう。誰でも失敗はするし、それを糧にして今をもっと頑張ろうと生きる。マットの生き様はそんな前向きの生き方とは真逆なものだ。 しかしなぜか彼の持つペシミズムは誰もが持つ過去の疵にしみいるように響くのだ。もしかしたら一つ間違えれば自分もまた彼のような境遇に落ちていたのかもしれないと思うからだろうか。そしてその時の自分はマットのように自らの正しいと思う事の為にこれほど一途になれないだろうとまた思うのだ。だからこそマットのやり方を全否定できない自分がいるのだ。 事件の真相は実に意外なものだった。 原題は“A Stab In The Dark”。Stabという単語には「突き刺すこと」という意味以外に「人の心を傷つける事」という意味も持つ。 暗闇にひと突き。暗闇は9年前の事件のことを指す。すなわち忘れ去られようとする過去でもある。 その暗闇を突き、人の心を傷つけたのはマットその人であった。すなわちこの題名は過去を掘り起こすマットのことを指しているのだ。 読後に立ち上るもう1つの意味。実に上手い題名だ。 そして今回マットは事件で知り合った保健所の元経営者ジャニス・キーンといい仲になるが、アル中を治そうとAAの集会に出るといってそのままジャニスはマットに別れを告げる。 かつて結婚して保健所を経営しながら、好きになった女性の許へ走って子供と夫を残して失踪した過去を持つジャニスはその後9年もの間1人だった。そんな彼女に訪れたマットという安らぎは逆に心地よすぎてまた失う時が来るのを怖れたのかもしれない。アル中を断ち切る行為はすなわちマットと過ごす楽しいひと時との別れだ。まだ関係が浅いうちにいずれ訪れるであろう辛い別れを迎えないための別れだったのかもしれない。 そしてマットはまた夜の街に、アームストロングの店に向かって、酒を飲む。彼に訪れる安寧はまだまだ先のようだ。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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【ネタバレかも!?】
(3件の連絡あり)[?]
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今なお小説の題材として語られるキム・フィルビー事件。
イギリス秘密情報機関の切れ者であり、高官の座に一番近いと云われていた男がソ連のスパイだったという衝撃的な事件は恥ずかしながら私も最近になって知ったのだが、本書はこの稀代のスパイを育て上げた伝説のKGB部員オルロフが自身を暗殺しようとする謎の人物を追って国を跨って捜査をするという物語だ。 それは同時にKGBがイギリスに、いや世界各国の共産主義思想を持つ人物たちをどのようにスパイに仕立て上げたかを語ることにもなるのだ。 この虚と実が入り混じった物語展開は一方でフィクションと思いながらも、もう一方では実話ではないかと錯覚してしまう。この錯覚は物語の終盤でさらに加速する。 なんとキム・フィルビー本人が登場するのだ。一連の事件を捜査するオルロフは当時イギリスに潜んだモールたちを束ねていた自分以外にこの男が別の諜報部員を組織していたのではないかと疑って密会するのだ。しかしフィルビーはそれを否定しながら、事件を解くある重要なカギをオルロフに与えて退場する。 この作品にはフィルビー以外にもいわゆる「ケンブリッジ・ファイヴ」と呼ばれたスパイたちも実名で登場する。主人公オルロフが彼らを仕立て上げた伝説のスパイとされているため、彼らの為人を詳細に語るシーンが出てくるのだが、不思議なのはどうやってバー=ゾウハーはここまで人物を掘り下げることが出来たのかということだ。 まるで実際に逢ったかのようだ。それほどまでにリアルに描写している。 これは老境に入ったスパイたちが過去を清算する物語だ。イギリス政府上層部にスパイ網を作り上げた伝説のスパイ、アレクサンドル・オルロフはアメリカのフロリダで隠居生活を送っていたところをわざわざイギリスに赴き、彼が現役時に成した諜報行動を語ることにしたのはひとえに彼の前妻ヴァージニアの娘に逢うためだった。 しかしそれが眠っていたかつてのスパイたちの安寧を揺さぶる。忘れ去られようとしている各国間の情報戦の最前線にいた彼らが数十年も経って過去をほじくり返されることを怖れ、消し去ろうと躍起になる。当初それは秘密を墓場まで持っていくことを強要するKGBによる粛清かと思われたが、実はスパイであったことを知られたくない元工作員による過去の清算ではないかとオルロフは推理する。 しかし真相はさらにその予想を上回るものだった。 スパイ活動に時効はない。特にそれを今の政府高官が指揮していたとなると国の国際的信用を揺るがすスキャンダルに発展する。バー=ゾウハーは現時点での最新作『ベルリン・コンスピラシー』でも歴史の惨たらしい暗部に携わった人々の罪が決して時間によって浄化されることはないと痛烈に謳っているのだ。 しかしなんという深みだろう。 最後はオルロフが述懐する、この物語の本質を実に的確に云い表した言葉を添えて、この感想を終えよう。 “諜報活動のからくりは、じつに複雑怪奇だ” ▼以下、ネタバレ感想 |
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光文社が鮎川哲也氏を選者として一般公募した作品で編まれた本格ミステリ短編集『本格推理』シリーズの11巻で石持浅海氏は見事応募作品が選出され、デビューを飾った。そしてその一般公募者から選り抜かれた新人作家がKAPPA ONEというシリーズ叢書でデビューを飾る。その中の1人が石持氏で本書こそがその1冊であった。
そして氏が選んだ舞台はなんとアイルランド、しかも扱う題材はアイルランドの武装勢力NCFが殺し屋に依頼するある幹部の暗殺劇。このどうにもエスピオナージュ色濃い設定で本格ミステリを成立させるという異色な意欲作だ。 上に書いた物語のシチュエーションから本書が本格ミステリのいわゆる「嵐の山荘物」だと誰が想像するだろうか? 石持氏はこの本格ミステリの典型とも云える、警察が介入できず、しかも外部との連絡が絶たれた状況の密室状況を、あくまで現実的で起こりうるだろう状況で実現させるためにアイルランドの武装勢力NCFの一味が宿泊先で何者かに殺害され、警察への介入を許さないというこれまでにない特異なアイデアで設定した。 アイルランドはスライゴーにある有名な湖畔に立つペンション(本書ではB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト)と呼ばれている)に集まったアメリカ人、日本人、アイルランド人、オーストラリア人ら観光客に交じって武装勢力NCFの幹部たちが集う。しかもNCFは和平反対派である幹部の一人を自然死に見せかけて暗殺するため、刺客を差し向けている。その中で起こるターゲットの殺人。しかしそれは当初NCFが望んだ形ではない明らかに殺人と思える不審死だったというもの。誰が幹部の一人を殺したのか、そして滞在客に紛れている刺客は一体誰かという2つの謎が読者に提供される。 また舞台がアイルランド、そして名のみこそ聞くがあまり馴染みのないIRA、NCFといった武装勢力を題材に扱っているため、その成り立ちや北アイルランドの今に至る歴史的背景が語られる。 話が横に逸れるが、私は本格ミステリ、社会派、ハードボイルド、冒険小説、スパイ小説にエスピオナージュといわゆるミステリ、エンタテインメントと称される小説のジャンルは広く読むのだが、ミステリ系のオフ会に参加した時は本格ミステリ、しかも新本格の作品からミステリに触れ、そればかりを読んでいる人が多いことに驚くことがしばしばある。またミステリ系感想サイトでもいわゆるハードボイルド系、プライヴェート・アイ小説、冒険小説にエスピオナージュの感想に対して、ミステリではないからそのようなサイトで感想を挙げること自体に違和感を覚える読者がいて、びっくりしたりもする。 私は本書を読むことで本格ミステリしか読まない方々が世界の情勢について触れ、また関連した小説に読書の範囲を広げる一助になるのではないかと思った。 が、逆にカタカナばかりの登場人物でなかなか読書にのめり込めなかったという感想があれば結局本書で試みたエスピオナージュの題材で本格ミステリを書くという斬新な試みが理解されない懸念もあるのだが。 そして舞台の特殊性に加えて本書には他の本格ミステリには見られない特異性がある。それは物語の状況が政治的に大事な交渉を控えていることから、NCFが納得のいく事件の解決しなければならないのだが、それは真犯人が違っていても構わないから論理的に誰もが納得のいく解答を見つけさえすればよいというものだ。 これは実は本格ミステリが抱えるある問題について作者が自覚的でもあることを示している。 謎が現場の手がかりをもとに論理的にきれいに解かれるのが本格ミステリであり、醍醐味であるが、それは一番納得のいく解答が示されただけで犯人による誤導であり、実は別の真相がある可能性がある問題だ。つまり後期クイーン作品によく見られる操りのトリックであり、真犯人がある特定の人物にたどり着くように故意に手がかりをばらまき、誤導する、もしくは実行犯を仕立てあげ、実際には手を下さずに目的を果たすといったものだ。 つまり本書では本格ミステリ作家がいつか直面するこの本格ミステリのジレンマをなんとデビュー作の時点ですでに取り入れているのだ。とても新人とは思えない達観した考えを持った作家である。 ただ石持作品に対して書評家の方々が口を揃えて述べている欠点として、登場人物の心情が理解できないという特徴があるのだが、それは私も本書を読んで感じたことだった。 特にそれが顕著なのは2人目の犠牲者としてペンションのコックであるフレッドが庇から転落して首の骨を折って即死してしまうのだが、そのすぐ後に探偵役のフジが陰鬱な雰囲気を紛らわせようと死んだコックの代わりに滞在客みんなで料理に興じるという場面だ。 目の前で人が亡くなっているのに、料理をしようという意欲が出るのだろうか?ましてや心的ショックから食欲など湧かないのではないだろうか?しかもみな嬉々として料理を楽しむのである。これにはさすがに違和感を覚えずにはいられなかった。 さてタイトルにある薔薇だが、それはイエイツが自身の詩でアイルランドの自由を薔薇の木に例えていることに由来する。つまり南北アイルランド統一が薔薇ならば和平交渉成立はその礎となるのだ。つまりアイルランドに薔薇を咲かせるために謎は解かれなければならないという意味だ。 この辺のセンスからも他の本格ミステリ作家とは違ったものを感じる。 本格ミステリのコードに淫するあまり、本格ミステリ作家の多くが特殊な因習や人里離れた奇怪な人物が主を務める館といった、日本と思しき「ここではないどこか」を構築し、その自ら作った箱庭の中で登場人物を駒のように動かし、パズラーという知的ゲームを披露するのに対し、石持氏は本格ミステリのコードをいかに現実レベルで成立させるか、我々が新聞で目にする事件や会社生活で目の当たりにする異常事態を巧みに題材にしてさもありなんとばかりに読者に腑に落ちさせてくれるのが実に特徴的だ。 逆になぜこのようなシチュエーションが今までありそうでなかったのかと思わされるぐらい、実に自然な状況なのだ。 また他の本格ミステリ作家が本格ミステリを知的ゲームの最高峰として心酔しているように創作しているのに対し、デビュー作の時点から論理的解決の万能性に懐疑的であることから他の本格ミステリ作家とは一歩引いた視座で本格ミステリを捉えているようにも思える。これこそ氏の本格ミステリ作家としての強みであろう。 当時KAPPA ONE1期生としてデビューしながら唯一『このミス』常連作家となっていることが本書を読むことで実に納得できる。 本格ミステリに新しい角度から光を当てた石持氏。次はどんなシチュエーションを見せてくれるのか、非常に楽しみだ。 |
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今回服部氏が選んだのは一大メディア企業の買収劇。一頃日本でも話題になったM&Aがテーマとなっている。
その劇には2つの主役がある。 一つは世界中で有名なアニメキャラクター「くまのデニー」を抱え、そこから映画部門を創設して世界にテーマパークを持つまでになったハリス・ブラザーズ社。 これはまんまディズニーそのものだ。特に作中で描写される「くまのデニー」の風貌はミッキー・マウスそのままのようだ。 もう一つはコンピューター・ビジネスの巨大企業『マジコム』社。天才的カリスマ会長兼CEOのビル・ブロックはビル・ゲイツを髣髴させる。 こちらは恐らくマイクロソフト社がモデルだろう。つまりアメリカきっての二大大型企業、ディズニーとマイクロソフトの仮想一騎打ち買収対決が本書であると云えよう。 しかもハリス・ブラザーズ社の最高執行責任者(COO)のノックス・ブレイガーとビル・ブロックがかつての学友でライバル関係であり、しかもノックスの前妻が今のビルの妻であるという2人の天才同士の仮想対決でもある。 そんな2人によって繰り広げられる仕手戦はやがてある情報によって一気に流れが変わる。それはハリス・ブラザーズ社に隠れた財産があるという事実。 その正体が創設者ジェイク・ハリスが遺した新キャラのデザインだった。数十年前の記念行事で埋められたタイムカプセルにそれは封印されている。 さてこれが現実のディズニーに擬えるとどうだろうか?確かにこれは魅力的ではないだろうか?今なお生まれる新キャラクターたちが世紀を超えた我々をなぜか夢中にする魔力。例えば日本オリジナルのキャラクター、ダッフィーが世界中に波及して人気を博す、こんな不思議な力がディズニーと云うブランドには宿っている。この現実を考えるとこの隠し財産の威力は実にリアルな秘密であると云えよう。 そしてこの秘密のデザインを暴こうとするシェリルと反、そして特撮技師のレイモンド・スプーンが描いた作戦がなかなかに面白い。 緻密に企てた作戦は特撮技師と云う特殊技能を持つレイモンドの存在がなければ成り立たない計画だ。この辺は実に映像的でしかもサプライズもあり、これが本書のクライマックスとしてもいいくらいの出来栄えだ。 そしてこの秘密のデザインを手に入れたことで『マジコム』側は隠し財産の途轍もない価値に気付き、一気に買い上げ価格を吊上げ、攻勢に出る。 しかし宿敵ブレイガーはそんな窮地に陥っても、ウィンストンの隠し子を手に入れることで泰然自若としている。このウィンストンの隠し子、チャイニーズ・マフィアのデイヴィッド・ウーに何が隠されているのか、Xデイに向けて緊張感は募っていく。 服部氏が凄いのはこの買収劇にアメリカのある法律を絡ませていることだ。 以前、某企業が発明した権利は会社の物か発明者の物かという問題が起きたが、本書の問題もそれに近い。 「くまのデニー」の作者であるジェイク・ハリスによって生まれたハリス・ブラザーズ社。当然ながらその権利は会社に帰属すると思われるが、会社が設立する前に得た権利であるがゆえにそれは作者に帰属するのだ。 これは今の出版社でもあり得る話ではないだろうか。これは天才によって創立された会社が抱える盲点であり、その歴史が古ければ古いほど起こり得る事態ではないだろうか? しかしながら服部氏の広範な知識と緻密な取材力には全く以て脱帽だ。何しろアメリカを舞台にアメリカの法律下で買収戦争を描き、さらにそこにアクションシーンも盛り込んでキチッとエンタテインメントしているのだから畏れ入る。 600ページを超える大著だが、そのページ数が必要なだけの情報量、いやそれ以上の情報量を含みながらアメリカの法律に疎い我々一般読者に噛み砕いて淀みなく物語を進行させる筆の巧みさ。作品を重ねるごとにこの著者の作品はますますクオリティの冴えを見せてくれている。 しかし今回は主人公である反健斗の親を知らないという暗い出自と自身が日本人なのかアメリカ人なのかというアイデンティティの揺らぎがあまり物語に寄与していないのが気になった。逆に例え精子提供者と人工授精児という間柄であっても親子の絆の深さが何物にも代えがたい貴重な物であることが単なる復讐劇の駒として見ていなかったノックスに引導を渡す誤算に繋がった点が印象に残った。 しかしそのデイヴィッド・ウーでさえ薄くしか物語に介入していないのだから、中国人であるという設定だけでその心理を悟らせるというのはちょっと乱暴だったように感じてしまった。 とはいえそれは瑕疵に過ぎないだろう。とにもかくにも数ある企業小説、金融エンタテインメント小説とは明らかに一線を画して面白いことは間違いない。 我々の知らない世界を次作でも見せてくれることを大いに期待しよう。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズ第4作目。
前作『泥棒は詩を口ずさむ』から引き続きバーニイは古書店店主を営み、友人の犬の美容師キャロリンは前作の事件がもとで彼の泥棒稼業のパートナーとなって一緒に盗みを働いている。 そして泥棒に入った家でまたもや殺人事件が起き、バーニイは容疑者になってしまうが、今回は逮捕されず任意同行と云う形で警察署に引っ張られるものの、生き残った被害者への面通しで別人だとされるのが今までとは違うところ。 つまり今までは警察に捕まりそうになったところを寸でのところで逃げ出し、世間から隠れながら事件を解決するという手法だったのだが、本作では証拠不十分として釈放され、警察からの嫌疑を受けながらもいつも通りの古書店主としての生活をして犯人探しをしているのがミソ。これが今まで行動の不自由さゆえに物語が停滞しがちだったこのシリーズの欠点を見事に補っており、通常よりも物語に躍動感があるように思えた。 今回バーニイが巻き込まれる事件は時価20万ドルはすると云われている「リバティ・ヘッド・ニッケル貨」で発行がされていないはずの1913年付のたった5枚しか現存していないとされる幻の硬貨を巡る殺人だ。バーニイが入る前にすでにターゲットのコルキャノン邸には泥棒が入っていたが、硬貨が隠されていた壁金庫は開放されておらず、彼はまんまと効果をせしめ、買い手が付いたら山分けと云う条件で故買屋に渡してその場を去るが、コルキャノン邸には強盗による暴力で妻が死に、さらに故買屋は何者かに殺され、バーニイの許には硬貨を引き渡すよう謎の人物から脅迫を受けることになる。 とまあ、通常であればバーニイは非常に危ない橋を渡っているのだが、なぜかそこには陰鬱なトーンはなく、バーニイの語り口でムードは快活軽妙なのだ。 2人もの死人を出しながらも一人の死を巡ってそれぞれの関係者に隠された暗い過去や事実を探るマット・スカダーシリーズの語り口よりも明るいというのが非常に面白い。毎度のことだが、本当に1人の作家が両方書いているのかと信じられない思いを抱いてしまう。 また作中やたらとロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズを揶揄しているのが目に付いた。自身の生み出したアル中探偵マット・スカダーと健康的で現代的な探偵スペンサーとを比較しているのだろう。どちらもネオ・ハードボイルドとして新たな探偵像を描きながらも、スペンサーシリーズの方が当時は売り上げも高かったことに対する作者のやっかみのようにも取れる。こんな健全な探偵が活躍する物語のどこが面白いのかねぇ、とバーニイが代弁しているかのようだ。 さて事件は一つの館に一夜でなんと3組の強盗が入っていることが判明する。 一番目の強盗は部屋を荒らして金目の物を獲っていき、二番目の強盗はバーニイとキャロリンの二人組で金庫を開けて幻の金貨を手に入れる。そして三番目の強盗が帰宅したコルキャノン夫妻と出くわし、二人を昏倒させ、それが元でコルキャノン夫人が亡くなってしまう。 正直この事件の真相は早々に解ってしまった。 だが二番目の殺人、故買屋エイベル・クロウの殺害事件の真相は見抜けなかった。 しかしこのバーニイ・ローデンバーシリーズだが、作者ブロックは意識的に昔の本格ミステリの形式を踏襲して書いているようだ。今回の謎解きは殺害されたエイベルの告別式で事件の関係者を一堂に集めてバーニイが謎解きを開陳するという古式ゆかしきスタイルなのだから。 話は変わるが、故買屋エイベル・クロウがダッハウ収容所から生還したという設定には驚いた。ついこの前に読んだのがバー=ゾウハーの『ダッハウから来たスパイ』でまさにこの地獄の収容所について書かれたノンフィクションだったからだ。またもや本が本を引き寄せるという奇妙な体験をしてしまった。 さて前作に続いてバーニイのパートナーを務めたレズの犬美容師キャロリン・カイザーが前作で恋人だったランディと別れ、なんと犬猿の仲だったバーニイの女友達デニーズと懇意になってしまうという意外な展開。そしてさらにバーニイは今後も泥棒稼業を続けていく意欲を見せて物語は終わる。 次回もまたバーニイは古本屋稼業を続けて本に纏わる小気味良いエピソードを交えながら、泥棒もして奇妙な事件に巻き込まれることだろう。そしてその時のバーニイを取り巻く人々の状況はどんな風になっているのか、楽しみである。 これぞまさにシリーズの醍醐味ではないだろうか。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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第1作では極寒の海、第2作目ではカリブ海に浮かぶ難攻不落の要塞と戦時下での男たちの戦いを描いてきた作者が第3作目に選んだのは日本軍が包囲する東南アジアの海からの脱出行だ。
とにかく先の読めない展開ばかりだ。 日本軍が北オーストラリアに進攻する計画書のフィルムを携えたイギリス軍の准将をオーストラリアに送るために、モグリの商船にて脱出しようとするが、あえなく撃沈され、通りがかったイギリスの大型タンカーによって拾われる。そこから大型タンカーによる決死の脱出行になるかと思えば、そのタンカーもゼロ戦によって撃沈され、准将を含んだ残された乗組員は救命ボートにて逃走するが、さらに潜水艦に追われて、機転を利かせて迎撃し、島に上陸するという展開。さらにそこで追ってきた日本軍との攻防が繰り広げられ、ボートを沈めるという奇策で日本軍を欺き、ダーウィンへと死の航海へ旅立つ、そして再び日本軍に捕えられそうになったところで、一人の男の死と引き換えに逃亡に成功し、辿り着いた島で再度日本軍と相見える、とこのように場面展開は実に目まぐるしいのだ。 そして相変わらずキャラクターが立っている。 日本軍のオーストラリア襲撃の計画書のフィルムを持つ退役准将フォスター・ファーンハイムは身分を偽るために酔いどれの飲んだくれを演じる狡猾さを持ち、さらに一級の射撃の腕前を発揮して乗組員たちの窮地を救う。 遭難した彼ら一行を救う英国大型タンカー、ヴィローマ号の船長フィンドホーンは何事にも動じない落ち着きを常に持ち、その片腕の一等航海士であるジョン・ニコルソンは冷静な判断力と海を熟知した航海術を備え、そして船長同様、動揺という言葉の対極に位置する人物だ。 しかし何よりも最も印象の残るのは看護婦のドラクマンだ。欧亜混血の澄み渡るような青い眼と烏の濡羽色のような美しい黒髪を持つ彼女は、常にその目に力強い意志を備えている。そしてその美しい顔の左側には日本軍の銃剣によってこめかみから顎に亘って長くつけられた切り傷があるのだが、それを彼女は動じることなく公然と曝す。その描写だけで彼女の為人を読者に知らしめるマクリーンの上手さに思わず感嘆してしまった。 日本軍が極秘裏に計画している北オーストラリア襲撃の計画書を日本軍が攻め込む前にオーストラリアに渡さなければならないとするスパイ小説から始まり、そこから海洋冒険小説に、軍事小説、さらには島での日本軍との戦いという冒険アクション小説と、あの手この手と色んな手札を惜しげもなく導入するマクリーンのサーヴィス精神旺盛さが本書でもいかんなく発揮されている。 しかし本書では日本軍がこの上なく残虐な軍隊であると書かれており、前述のドラクマンの美しい顔に傷を負わすのは勿論の事、じわじわと真綿を締めるような拷問、捕虜に対する非人道的な行為が語られており、本当にそこまで酷かったのかと首を傾げてしまうくらいだ。特に中国での大虐殺を引き合いに出して、その残虐性を仄めかしていたが、これは今なお史実としては疑問視されている話だ。 これは当時の欧米人が日本のみならずアジアの国の軍隊をひどく恐ろしく思っていたことによるのだろう。だから映画『ランボー』シリーズでもいずこのアジアの兵士による拷問が非人道的に描写されているのかもしれない。 また今回はどんでん返しが非常に目立った。赤道直下の地の戦時下でのエスピオナージュが主軸にあったためか、仲間と思っていた人物が不可解な行動で裏切り、さらに最後でも裏切りが発覚したりと、スパイ小説特有の裏切りの連続が書かれているが、あくまでそれは設定であり、中身は熱帯の地での冒険小説と云った方が正しいだろう。 これほどまでに先の読めなかった作品が、結末が非常に淡泊なのはちょっと残念ではあった。 さて3作続けて戦時下での人間の極限状態に迫った冒険小説を著したマクリーンは次回はどこの地を舞台に迫真の冒険物語を繰り広げてくれるのだろうか。 |
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これは数奇な運命を経た、あるスパイの人生を描いたノンフィクション作品だ。
ナチス人強制収容所ダッハウの囚人26336号はその日、何の仕事もあてがわれず、病院に行くよう命ぜられた。そこで彼は数日前から発症した首筋の潰瘍の治療を受け、そして数日後、突然釈放された。そして彼はそのまま参事官に連れられ、列車に乗ってベルギーのブリュッセルまで行くことになる。車内で彼は自分の名前がその日以来パウル・ファッケンハイムからパウル・コッホと名乗る事を命じられ、身分証明書を渡される。 それは彼が今後数奇な運命を辿る始まりだった。 ドイツ系ユダヤ人のドイツ人パウル・エルンスト・ファッケンハイムは入った者は生きて出られない地獄とまで呼ばれたユダヤ人強制収容所ダッハウに収容されていたが、ドイツ陸軍の秘密情報機関国防軍防諜部より目を付けられ突然釈放される。そして彼はパレスチナに潜入し、ロンメル将軍を助けるためにユダヤ人スパイとなってイギリス軍を混乱に陥れ、彼の地にドイツ軍の勝利をもたらすよう、命じられる。 しかし奇妙なのはこのドイツ陸軍の秘密情報機関国防軍防諜部(アプヴェール)の作戦を邪魔しようとしているのがなんとナチス・ドイツの諸機関であることだ。つまりアプヴェールは反ナチ派であり、ユダヤ人を忌み嫌うナチスは逆にパウルがスパイであることを敵国英国に伝え、作戦を失敗させようと画策する。そんな只中に放り込まれた一介のユダヤ人パウル・ファッケンハイム。彼の存在は当時の歪んだドイツ政府の構造が生んだ仇花と云えるだろう。 パウル・コッホという偽りの身分を与えられたファッケンハイムはパレスチナに潜入することがナチスのSSの工作によって知られることになり、アプヴェールの思惑とは違い、すぐさま英国軍に囚われの身になる。そこで待ち受けていたのは運命の悪戯としか云いようのない皮肉だった。 まずコッホというSSの高官が実在した事。英国情報部がアプヴェールにパウラ・コッホなる女性工作員がいることを知っており、パウルはその関係者でパウラ同様、危険なスパイとみなされていた事。 さらに姿を消し、行方知れずとされたスパイ、ファルケンハイム大佐なる人物が存在した事。偽名のみならず実名さえも非常によく似たナチス軍人がいたことがファッケンハイムにとっての最大の不運の始まりだった。これを皮肉と云わずして何と云おう。 ところでパウル・ファッケンハイムと云う男はユダヤ人という特性なのか、とにかく行き先々でコネクションを作るのが非常に上手く、それは発展途上国である東南アジアでもその地に溶け込み、料理人として生計を立てられるほど器用でもあるのだ。 そして驚くべきことに彼はかなりモテるのだ。なぜか彼の周りには女性が1人だけでなく複数おり、しかも美人であるというモテぶり。付された写真を見る限り、いわゆるイケメンとは思えないのだが、これも上に書いたような社交的な性格が醸し出す人間的魅力によるところが大きいのだろう。しかし奇妙なことになぜか結婚生活は上手く行かないのだ。 色男にはよくある話だが、彼の風貌はそんな地に足がついていないような生活を送っている風には見えない。 そしてこの彼の社交性が彼の窮地を最後に救う。頼みの綱の父親でさえ、彼の素性を証明する事を拒否した彼を救ったのは過去に自身が開いた料理学校の生徒で恋慕を抱いていた女性の母親だった。彼女が彼がナチスの高官であるという誤解の産物である軍事裁判にて証言台に立ち、彼の素性を証言するのだ。 この決定的な証言によって無罪の判決が下されるシーンは圧巻。こんなドラマティックなことがあるのかと感嘆した。『奇跡体験!アンビリバボー』を観ているかのような錯覚を覚えた。 かようにバー=ゾウハーが描く実在したスパイのノンフィクションは一級の小説のように語られる。その内容は全て実話だという事を忘れてしまうほど、濃度が高く、読み物として実に面白い。 そしてよくもこのような題材を見つけた物だと感心した。結局、ダッハウ強制収容所の囚人からユダヤ人のスパイに抜擢されたファッケンハイムはパレスチナに降下した後、すぐに捕まってしまい、その後は収容所での尋問と軍事裁判に明け暮れる日々が綴られる。つまり彼はスパイとしては全くの役立たずだったわけだ。寧ろファッケンハイムの後に新たに送られたユダヤ人スパイ、ヨーン・エブラーこそが語られるべきスパイだったのだろう。しかし逆にバー=ゾウハーはスパイとしては何の成果も挙げられなかったファッケンハイムが実に数奇な運命を辿ったことを発見したのだ。 名も知られずに隠密裏に葬り去られた星の数ほどの諜報員たち、ファッケンハイムもその中の1人になり得た1人であり、しかも歴史の翳に埋もれていたスパイだ。そんな彼に日を当てた本書はナチスが自我崩壊していく様と、ナチスの狂気に翻弄された数多くの人々への鎮魂歌として読まれるべきだ。 現在バー=ゾウハーのノンフィクションは『ミュンヘン』が現在でも版を重ね、手に入れることが出来るが、本書も誰もが読めるよう復刊させてほしいものである。 |
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刊行を心待ちにしているある特定の作家の作品、もしくはシリーズ作品というのが誰しもあるだろうが、人類学者“スケルトン探偵”ギデオン・オリヴァーシリーズは私にとってそんな作品群の1つであり、刊行予定に『~の骨』のタイトルを見た私は思わず快哉を挙げてしまった。
なんと前作から3年ぶりの刊行である。これは『洞窟の骨』から『骨の島』までの4年ぶりに続くブランクの長さであり、しかも『骨の島』以降ほぼ1年に1作のペースで刊行されていただけに、作者エルキンズの年齢も考えると―なんと78歳!―シリーズは終了してしまったものだと思っていたので本当に本作の刊行は喜びもひとしおなのだ。 と、長々とこのシリーズをいかに私が待ち侘びていたかをつらつらと書いてしまったが、そろそろ本書の感想に入ろう。 物語の舞台はイタリアはフィレンツェ。しかし物語の中心はそこから車で約40分ばかり離れたワイナリー<ヴィラ・アンティカ>で、そこでワイナリーを経営するクビデュ一族が事件の容疑者たちとなる。 今回も例によってギデオンの骨鑑定から事件の謎が明らかになる。いや実際はイタリア憲兵隊によって処理された事案がシンポジウムの講師として招かれたギデオンの骨鑑定によって逆に謎が深まるのだ。 山奥で発見された二体の白骨死体は1年前から行方不明になっていたクビデュ夫妻の物だった。60mもの高さから落ちたであろう遺体の骨の損傷は激しかったが、遺体には両方とも銃で頭部を撃ち抜かれた形跡があった。夫の遺骨が妻の遺骨に覆いかぶさるようになっていたことから、夫が妻を殺害した後、自分も自殺して頭を撃ちぬいた衝撃で崖から転落したと事件は処理されていたのだが、ギデオンの鑑定でまず妻の死因は崖から落ちたことであり、頭を撃ち抜かれたのは転落後の事であった。つまり犯人と目される夫は妻を崖から突き落とした後、崖を駆け下り、銃にて止めを刺した後、もう一度60mもの高さの崖をよじ登って、崖の上で自分の頭を撃ち抜いて転落するという、なんとも珍妙な状況が推測されるのだ。 しかし火葬されて荼毘に付されたとされていた夫の遺骨があることを知り、その骨を鑑定することでさらに新たな事実が判明する。 即ち夫は妻が死ぬ前に死んでおり、更に死んでから数週間経った後、崖から転落した、更にはその際に何者かによってジャケットを着せられた可能性がある、と。つまりここで2人を何者かが殺した可能性が高まるのだが、なぜ夫の死体は数週間も放置されて崖に落とされたのかというこれまた理解不能な状況が生まれるのだ。 3年間の沈黙の末に刊行された本書はそれだけにギデオンの骨の鑑定を存分に振るっている。特に今回は2体の崖下の白骨死体をギデオンが鑑定することで二転三転事実が覆されるといった充実ぶり。 特に事実が覆る2回目の鑑定ではまたもや興味深い骨に関する知識が披露される。 即ち骨も樹木と同じように枯れ木と若木の状態では損傷の仕方が違うということ。生きている人間の骨が折れるのは体液と脂肪が染み込んで湿った組織に覆われている為、枯れ木のようにポキンとは折れず、弾力があって折れ曲がってしまい、折れる時も片側が裂ける、つまりポキンと折れるのは死んでしまった人間の骨だそうだ。 これは外科医の先生は常識的に知っているのかもしれないが、今回初めて知った。そしてこれにより2体それぞれの白骨体の損傷から遺体の時間差が解るのだ。 またこの骨の弾力性ゆえに、生きている人間の頭蓋骨は頭部が何か硬い物に押し当てられた状態で銃で撃たれても、それによって骨が支えられて外側に射出せずに角のように突出した形で留まることもあるらしい。 また高い所から落ちた時に足から着地すると衝撃で下半身の骨が砕け、背骨が頭蓋骨にめり込んで脳髄まで達する、といったような新たな骨の知識を今回も得てしまった。 さらに物語の最終局面になって二つ目の殺人事件が起きる。勘当されていた継子のチェザーレが過剰薬物摂取による死亡と思しき状態で発見されるのだ。 正直この事件は物語に変化をつけるための蛇足かと思ったが、後にこの事件で犯人が絞られることが判明する。いやあエルキンズの小説は実に無駄がない。 またエルキンズのストーリーテラーぶりは健在。 冒頭の1章でいきなり昔ながらのワイナリーを経営するクビデュ一族の家族会議によって読者は陽光眩しいイタリアの地に招かれることになる。そしてそんな家族のやり取りを通じてクビデュ家それぞれの人となりがするっと頭に入ってくる。この1章で既に読者の頭の中にはこの憎めないイタリアのワイナリー一家が住み込んでしまうのだ。 家長でありワイナリーの経営者である父ピエトロはこよなくワインを愛する男であり、彼には3人の息子がいる。 長男のフランコはワイナリーの実質的な経営を担っており、父の後継ぎとしてワインの勉強に努力を惜しまず、新しい手法や設備を導入してワイナリーの発展に力を尽くすが知識一辺倒の性格で効率主義者であり、ワインを“自社”商品としてしか見れない。 次男のルカは父親のピエトロと同じようにワインをこよなく愛し、昔ながらの製法にこだわり伝統を守ろうとしていたが、ワイナリーを継げないことを悟ると身を引いて第二の人生として妻とレストランを経営しようと計画している。 三男のニッコロはワインは好きだが、知識や愛情は持っていない。しかし持ち前の人の良さとその二枚目ぶりから凄腕のバイヤーとして経営を支えている。 そしてピエトロの妻ノーラの連れ子としてチェザーレがいたが、ライバルワイナリーに勤めることになったことで勘当されている。 と、まあこんな個性的な面々がたった20ページ足らずの1章で実に生き生きと描かれるのだ。 そんな素晴らしき血肉を得た登場人物たちの中に真犯人がいるのは何とも切ない限り。 しかし今回はそれでも物語としては冗長に過ぎたという感は否めない。 この二体の崖下の白骨体を二度の鑑定で事実を二転三転させる趣向は買う物の、とにかくギデオンの語り口によってじらしにじらされたように思えてならない。ギデオンってこんなに回りくどかったっけ?などと思ったくらいだ。 加えて観光小説の一面も持つこのシリーズだが、今回はそれが特に顕著。特にイタリア語が今回はまんべんなく散りばめられており、読むのにつっかることしきりで、更にはこれが特にページ数を膨らましているように感じた。 取材の成果を存分に発揮したかったのだろうが、これではイタリア旅行の費用をとことん経費で落とそうとしているようにも勘ぐってしまうではないか。 とまあ、下衆の勘ぐりはさておき、今回もギデオンの骨の鑑定を愉しませてもらった。 昨今ではジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライムシリーズやドラマ『CSI』シリーズなど、鑑定が活躍するシリーズが活況を呈しているが、古くからあるこのスケルトン探偵による骨の鑑定はそれらブームとは一線を画した面白味があり、エルキンズの健在ぶりを堪能した。 さて作者の年齢を考えると次回作が気になるが、ここは素直に一ファンとして次のギデオンの活躍を心待ちにしておこう。 ▼以下、ネタバレ感想 |
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