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iisan さんのレビュー一覧
iisanさんのページへレビュー数140件
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かなり腕のいい泥棒が、ひょんなことから郊外の住宅に置き去りにされた中学生の双子と知り合い、疑似家族を築いていくという、短編7本シリーズ。まあ、良くあるタイプの義賊というか、憎めない泥棒が主人公で、7本それぞれにひねりが効いた、起承転結のある泥棒話が挿入されている。
こういうタイプでは、どうしてもローレンス・ブロックの「泥棒バーニイ」や「殺し屋ケラー」を想起してしまうので採点が辛めになりがちだが、本作も「どうも、いまいち」な評価になってしまった。日米の社会的背景の違いもあるし、主役に中学生を設定した時点で軽くならざるを得なかったということだろう。 |
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娼館で育てられた孤児のアイ子は、怪物的な悪女になって、幸せそうな世間に復讐する。
こういう話を書かせると、桐野夏生は本当に上手い!と感心するのだが、本作はキャラクターもストーリーも類型的過ぎて物足りない。もうちょっと粘っこく書いて欲しかった。 特に、最後の決着の付け方は、作者もどうしていいか分からなくなったのかと思うほどバッサリで、脱力させられた。 |
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1980年代の東京を舞台にした刑事物の連作短編集。主人公の刑事・土門功太朗の物語というより、高度成長からバブルに向かう時代の移り変わりが主役の物語だ。
社会が変貌するのに合わせて犯罪のありようも変貌する。刑事・土門はそれに戸惑いながらも懸命の捜査で事件を解決していくが、犯人を起訴に持ち込んでも“一件落着”というすっきりした感じが得られない。時代が大きく変わろうとする動きの“きしみ”を感じていたのだろう。 連作を通して描かれる土門の家族のエピソードもまた、昭和の日本の証言になっている。 |
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傑作「OUT」の著者・桐野夏生の「IN」だけに、さぞかし・・と思って読むと肩透かし。私小説風の恋愛小説です。
くれぐれもミステリーを期待しないことをオススメします。 |
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最近の北欧ミステリーブームは、ついにノルウェーまで到達した! フィンランド、アイスランドまでは体験していたが、おそらく初めてのノルウェーミステリーの読書体験だ。
で、その感想はというと「う~ん、ちょっと・・・」。凶悪な犯罪者対素人探偵の生死を賭けた戦いがメインテーマなのだが、犯罪者の動機付けに多少の無理を感じて、最後まで?マークが頭から離れなかった。ヘッドハンティングビジネスと絵画泥棒という設定は非常に面白と思ったが、サスペンスと警察の捜査にリアリティが感じられず、ちょっと物足りない印象だった。 作者はジャーナリスト、株式仲買人、サッカー選手、ロックミュージシャンとして活躍してきたという多芸で多才な人のようで、シリーズ作品「ハリー・ホーレ刑事」シリーズは本国はもとより欧米では高く評価されているとのこと。たぶん、他の作品を読んでから再評価するべきなのだろう。 |
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杉村三郎シリーズとして知られる一連の作品の第一弾。文庫本の表4にある「心揺るがすミステリー」を期待して読むと、多くの読者は裏切られることだろう。ただ、その前文の「稀代のストーリーテラーが丁寧に紡ぎだした」の部分は当てはまっており、十分に読み応えのある人情話になっている。
主人公は、大コンツェルン会長の娘婿で、同コンツェルン広報室に勤務するサラリーマン編集者・杉村三郎。会長専属の運転手が自転車に撥ねられて死亡し、犯人は逃走。運転手の娘二人の「事件の犯人を追求する目的で父の半生記を出版したい」という要望をかなえるために、会長が杉村に協力を指示するところから物語がスタート。杉村は犯人は誰かという謎と、運転手の秘められた過去という、いわば2つの謎の解明に取り組んで行く。経験がある私立探偵ではなく、ましてや捜査関係者でもない杉村はさまざまな人々の善意に助けられながら、徐々に事件の背景を明らかにし、真相にたどり着いたときには、ひとりでは抱えきれないほどの重荷を背負うことになる。 運転手を撥ねて死亡させた犯人探しはミステリーとしては出来が悪く、引き付けるものは何もない。運転手の隠された過去の方がミステリー要素が強いが、こちらも純粋なミステリーとして読むといまいち。それより、作者の重点は平凡に見える人々が背負っているものの多様さと、それが互いに影響し合って生じる「生きることの喜び、悲しみ、難しさ」を描き出すことにあるようで、その点では非常に良くできている。登場人物がみんな生きていることで、さほど面白くもないストーリーも最後まで読むことが出来た。 |
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「カッコウの卵は誰のもの」というタイトルから連想できるように、生みの親と育ての親というか、遺伝や血縁は人生にとってどれだけの価値があるのかを問い掛けた作品。amazonのレビューでは結構厳しい意見が散見されるが、それも仕方がないかなと思わせる。並みの作家ならもっと高い評価になるのだろうが、どうしても「東野圭吾だから」という期待が先行するので・・・。
日本を代表するトップスキー選手だった父と、日本を代表するスキー選手に育ちつつある娘に、遺伝子研究に基づく選手の発掘・育成をめざす企業から研究への協力が要請される。ところが、父の方には、娘には絶対に打ち明けられない秘密の疑問があり、簡単に協力する訳にはいかなかった。ところが、娘に対する脅迫状が届き始めたことから、父は否応なく疑問の解明に乗り出すことになる。そんな中、娘が乗るはずだったバスが事故を起こし、乗り合わせた男性が重態に陥ったが、警察の調べで、事故は仕組まれたものであることが発覚する。狙われたのは娘ではなかったのか? 犯人探しの謎解きと娘の出生に関する謎の解明が並行して進み、それなりの厚みのある話なのだが、謎の構成が分かりやすいことと、予定調和的なエンディングに落ち着いてしまうことで、きわめて軽い読後感になってしまったのが残念。犯人探しの主役が警察ではなく素人探偵なので、どうしても偶然に頼った、ご都合主義的な展開になっていることにも不満が残る。 最後まで読み終えても母親が自殺した背景や真相が不明で、足掛け5年の雑誌連載中に作者の心変わりがあったのかなとも感じた。 |
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1990年代初頭のニューメキシコ州で、ギャングのヒットマンがメキシコの麻薬カルテルからブツを奪う仕事を引き受けた。主人公であるヒットマンのレイは、この仕事を最後に足を洗い、故郷に戻って息子と暮らすつもりだった。ところが、一緒に組んだギャングの若者が失敗したことから、カルテルとの壮絶な殺し合いになってしまう。
孤独なヒットマンが強大な組織と戦う悲壮感、故郷や家族、仲間との絆やしがらみ、事件の舞台となった街の保安官や捜査組織との微妙な関係など、このタイプの小説の装置はすべて揃っているのだが、ストーリーに奥行きが感じられないため、薄っぺらな印象が否めない。殺し合いの場面の迫力はあるのだが、ただそれだけで終わってしまっている。主人公のレイを始め、主な登場人物に人間的な魅力が欠けているのが残念だった。 |
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平原に立つ一本の木に吊されていたのは、凄惨な暴力の跡が残る全裸の男性の死体だった。これはリンチなのか、生贄なのか? 物語のスタートは衝撃的で期待感が高まるのだが、クライマックスはそこで終わってしまったような感じでちょっと残念だった。
スウェーデンでは大人気のシリーズの第一作だが、犯罪の動機、解明のプロセス、解決方法など、どれもいまひとつ。特に、死者のモノローグ、登場人物の夢などがストーリーの方向性を示す重要なポイントになっているところに、強い違和感を感じて楽しめなかった。 訳者あとがきに「スウェーデンの美しい四季を舞台に描き出す、猟奇的かつ耽美的な世界」とあるが、まさにその通り。人間を呪縛する血の濃さや死者との交流などのお話が好きな人には受けるだろう。 |
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現代アメリカ文学の巨匠のひとりコーマック・マッカーシーが1973年に発表した中編小説。あるミステリー評論家が「犯罪小説史に残る大傑作」と絶賛しているが、その内容、文体などは好き嫌いがはっきり分かれる作品だと思う。
物語は、1960年代、アメリカ南部テネシー州の山中で暮らすはみ出し者レスター・バラードの奇妙な生活と犯罪を描いたもの。主人公レスターの異常さが、これでもかという執拗さで描写されていて、全編とにかく不気味です。 不気味だから読むべきではないという意味ではないが、読むには覚悟がいるかもしれない。 |
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マンハッタンのロウアー・イースト・サイドで拳銃強盗殺人が発生し、犯人は逃走。捜査にあたった市警の刑事は、被害者と一緒にいたバーのマネジャーが犯人ではないかと疑うが、確実だと思っていた目撃者の証言が曖昧なことが分かり、釈放せざるを得なくなる。その後、捜査は一向に進展せず、事件関係者はみんな泥沼に入り込んだような状況になっていく・・・。
本の紹介文を読む限りでは、犯人探しのミステリー、刑事小説かと想像するが、実は犯罪の構図、犯人、動機などは最初から提示されており、犯人捜し、謎解きの作品ではない。警察の捜査を中心に物語が展開されるのでミステリーと呼べないこともないが、事件に関係する人物たちの生き様を描き出した、東野圭吾の刑事・加賀シリーズのような街中人情話と呼ぶ方が正解だと思う。 つまり、読みどころは、現在のロウアー・イースト・サイドとそこに生きる人々(犯人、被害者、刑事、それぞれの家族など)の生活のいきいきとした描写に尽きる。 |
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大評判を呼び、なんと日本で映画化されるという快挙?をなしとげた「二流小説家」のデイヴィッド・ゴードンの「渾身の第二作!」と表4の作品紹介に書かれているので、読まない訳にはいかないでしょう。
で、読んだ感想はというと「???」。これ、果たしてミステリーなのか? 訳者あとがきには「ミステリ・ファンのみならず、多くの映画通や本の虫にも楽しんでいただけるのでは〜」と書かれているが、映画通でも本の虫でもない、自称ミステリ・ファンの私にはほとんど楽しめなかった。 全体を通して、独白が多く、しかも改行や改段が極端に少ない文体で、とにかく長過ぎる。途中から読むのが苦痛になってきて、意地で読み通したというのが正直なところ。 よほどの映画通、本の虫でなければオススメできない。 |
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フォーサイス久々の新作「コブラ」は、フォーサイスらしさ全開の国際謀略小説だ。今回の主役は元CIA高官で凄腕工作員のデブロー、通称「コブラ」。相手は世界のコカイン市場を牛耳るコロンビアのコカイン・カルテル「兄弟団」。オバマ(?)大統領の指示でコカイン殲滅作戦に乗り出したコブラは、徹底した秘密主義と大統領から与えられた強大な権限によって、奇想天外な大作戦を展開する・・・。
国際的なコカイン密売の仕組み、各国当局の麻薬取締の実態、軍や警察組織の装備など、ジャーナリスト・フォーサイスの本領である綿密な取材に基づくリアリティのある細部の描写が、作品に臨場感をもたらしている。 ただし、小説として面白いかと言えば、ちょっと微妙で、人間のドラマの部分が弱く感じられた。いわば、きわめて出来のよいシミュレーション・レポートを読んでいるような印象で、いまいち作品世界に没入できなかった気がした。 |
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ガリレオ・シリーズの短編集、第7弾。4作品が収載されているが、どれも期待を裏切らない(良くも悪くも)秀作ぞろいだ。
ストーリーは平易でトリックもそれほど奇抜ではなく、謎解きのプロセスも破綻がなく、とても読みやすい。こういう作品を書かせると、東野圭吾は本当に上手い!。 ただ、長編ほどの深みがないので、どうしても物足りなさが残る。まあ、東野圭吾については最初から求めるレベルが高いということだろう。 |
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パトリック&アンジー・シリーズの第3弾。シリーズ作品ならではの安心感と、マンネリを打破する試みが微妙にずれた印象を与える、ちょっと残念な作品だ。
パトリックとアンジーが路上から拉致されて大富豪に仕事を依頼されるという出だしから、やや「?」だったのだが、犯罪の背景、犯人の動機、問題解決の方法などなど、いまいちしっくりこないまま終わってしまった印象だ。 カージャックで銃撃を受け、癌で余命半年と宣告されたボストンの超大富豪が、失踪した一人娘の捜索を依頼する。ところが、この捜索の前任者の探偵が、パトリックの探偵術の師匠、生涯の師と仰ぐ人物で、彼もまた行方不明になっていた。二人が姿を消した理由を追求していたパトリックとアンジーの前に、ある精神セミナーグループとカルト教団が浮上し、そこから舞台はフロリダに移り、さらに複雑かつ暴力的な展開を見せてゆく・・・。 あやしげなセミナーとカルト教団の金がらみの陰謀などは、どこの国にもある現代病と納得だったが、おなじみブッパのすさまじい援護、自家用ジェットでの移動、大富豪の豪邸での凄絶な争いなどなど、現代アメリカン・ハードボイルドならではの派手さには、「これ、ルへイン?」と、多少の違和感を感じてしまった。 シリーズの読者には、作者にはこういう一面もあるのかと思わせるぐらいで失敗作とは言えないだろうが、本作品が初レヘイン(ルへイン)の読者には、本当の実力を誤解させるのではないかと、余計なお世話の感想を持たざるを得なかった。 |
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ニューヨーク市警の「氷の天使」キャシー・マロリーシリーズの第一作かつ、オコンネルのデビュー作。老婦人連続殺人の犯人を追う、休職中の巡査部長というのはありがちな設定だが、この主人公のキャラクターがすさまじい。人々の印象に残りすぎるので尾行追跡ができないほどの美貌、どんなシステムでも自在に入り込んでしまう天才的なハッカーの頭脳を持ちながら、ストリートチルドレンとして育った時に身に着けた反社会的倫理観の持ち主である。本作品に対する評価はほとんど、この主人公のキャラクターの好悪で決まってくるだろうと思うほど印象的なキャラである。
シリーズとして6作目まで出されていることから分かるように、マロリーは「ミステリー史上最もクールなヒロイン」として人気を集めている。がしかし、ヒロインのキャラが立ち過ぎていて、ストーリーが弱いという印象がぬぐえない。オコンネル作品全体に言えることだが、オカルト的な要素が重要なポイントになっていることも、個人的に高く評価できない要因になっている。 ただ、最新作の「吊るされた女」ではストーリーに厚みがあり、格段に面白くなっているので、もうしばらくこのシリーズを読んでみようと思っている。 |
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日常の平凡な仕事に飽きていただけの若者が、刺激を求めて調査研究所に就職したことから、アメリカからの原子力潜水艦の導入を巡る連続殺人事件に巻き込まれ、独自の調査で真相を解明することになる。そこでは巨大な利権を巡って暗躍する官僚、兵器産業、謎の黒幕などが入り乱れ、熾烈な戦いを繰り広げていた・・・。
1960年前後、つまり約半世紀前の作品だが、そこに描かれている疑惑の構図は、その後のロッキード事件をはじめ何度も繰り返されてきた疑惑と瓜二つであり、日本の政治構造の宿痾そのものといえるだろう。 ミステリー作品としては、東京湾での死体の漂流の謎、誰が敵か味方か不明な情報戦など、いくつかの読みどころはあるものの、キーポイントとなる場面での偶然というかご都合主義が、作品を軽くしている感じがした。 |
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ニューヨーク市警の「氷の天使」マロリー・シリーズの第2作。
いきなり「マロリーが殺された」というニュースから始まるが、すぐにマロリーのネーム入りのジャケットを着た別人と分かる。これを機に、休職中だったマロリーが現場に復帰し、「自分を殺した」犯人を容赦なく追いつめてゆく。 社会的な倫理観とは無縁の冷徹な敏腕刑事という設定のマロリーが、いわば不法な手段を駆使しながら真相を暴いてゆくプロセスは、多くの警察小説ファンには違和感があるのではないか? ハッキング技術を駆使してということであっても、あまりに簡単に秘密情報を入手するので捜査が進展する過程のワクワク感が生まれてこない。 また、ある種、オカルト的なエピソードが頻繁に挿入されるのにも、個人的に肌合いが合わない感じを持った。 キャロル・オコンネルは、警察小説ファンより、ホラー、ファンタジー系の読者の方がしっくりくるように思う。 |
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消費者金融で人生を狂わされた人々がグループを結成して、あくどい事業で大金を得てぬくぬくと暮らしている関係者に復讐を実行するという、まあ、何度か読んだことがあるようなストーリーだが、警察小説の名手・佐々木譲ならどう読ませるのか? かなり期待して読んだが、かなり期待外れ。「魂が震える、犯罪小説の最高峰」というのは、いくらセールストークとはいえ、納得しかねるオーバーな表現だと思った。
構成が破たんしているわけではないし、ストーリーが支離滅裂だったり都合がよすぎたりしているわけではないので、これが並の作家の作品なら「まあ、それなり」と思っただろうが、佐々木譲にしては全体の印象として薄い、底が浅い感じが否めなかった。犯人側も、被害者側も、捜査陣も作りこみが足りない、魅力的でないと評価せざるを得ない。特に、犯人グループのメンバーをもっと丁寧に描いていけば読み応えがあっただろうと思うだけに、う~ん、もったいない。 |
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「隠蔽捜査」を筆頭にした数々の作品で、今や警察小説分野のメジャープレーヤーと目されている今野敏の「樋口顕」シリーズの第一作。文庫の裏表紙には「名手が描く本格警察小説」とあるが、正直、警察小説としての出来は良くない。佐々木譲、逢坂剛の心を躍らせるミステリーは無いし、横山秀夫の深い心理描写もない。
刊行されたのが1996年で、その時代性を反映した「アダルト・チルドレン」が主要なテーマになっているのだが、登場人物、特に捜査対象側の人物描写が類型的で、いまいち物足りない。また、犯行動機、犯行手口も「なんだかな〜」と思わせる甘さがある。 本作で唯一成功しているのは、主人公の警視庁強行犯係長・樋口顕警部補のキャラクター設定だろう。本人は「自分は周りの目を気にし過ぎる」ことに引け目を感じ、いつも自信がもてないでいるのに、上司からはその堅実さが高く評価されており、そのギャップに常に悩んでいる・・・という、これまでの警察小説にはなかったタイプのヒーローである。さらに、家族(大学の同級生の妻と、高校生の娘)が大好きなマイホームパパであり、家庭を大事にする保守的な価値観の持ち主でもある。 樋口・本人は、そうした自分の性格について、全共闘世代の後始末をさせられてきた世代だからだと考えており、折りにつけて全共闘世代、団塊の世代を批判しないではいられない。本作のストーリーは連続殺人の捜査だが、作品全体のテーマは「団塊の世代批判」の様相を呈している。 今野敏は警察小説より、世代論小説を書きたかったのだろう。 |
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