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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全256件 161~180 9/13ページ
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ストーリー重視の方は肩透かしを食らうかもしれません。でも私にとってはこれで完璧、と思えました。真夜中の東京の細かい小道具もいちいちワクワクしたし、バリエーションに富んだキャラもいいし、謎が謎のまま終わるところもとてもいい。正に、それぞ現実。作品が「変わった」と感じる方も多いようですが、文体を変えるのは今に始まったことではないし、何よりそれこそが村上春樹の真骨頂ではないでしょうか。もし彼の作品がいつも似た色調であれば私はここまで惹かれないと思います。今後もどんどん変わって驚くような作品を見せて欲しいと思います。 | ||||
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この本の帯に書いてある「風の歌を聴け」から25年・・・というのをみて・・・ふむふむと思いました。たしかに「風の歌を聴け」に似ていると思いました。 「そんなつもりで書いたのではない」という意見あるでしょう(その帯を書いたどなたかが)。ふむふむ。そうだろうな・・・「全然文体も感じも違う」。ふむふむ。確かにそうですね。 でも確かにそう感じたのです。あの作品の持つ、いい意味での独りよがりな点、そしてそれがいやみじゃないスペースで作品のすみずみまで配置されていて・・・そしてあの作品は朝をえがいて終わっていました。 一時の悩める中年路線やストイックな論調・・(決してそれを批判しているわけではないのですが僕の不健康な性質にはあいませんでした)それを越えて戻ってきたように感じてしまったのです。 まだ続くかもしれない作品・・・けれども続かなくても余韻がよくて悪くない感じ。読後に、やっぱりこう思ってしまったのです。「おかえりなさい」 | ||||
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確かに変わった。村上春樹が好きなアメリカ小説みたいな感じ。こういう「ジャズ」もたまにはいい。ある視線による忠実な映像化による伝達は、まるでソクーロフやタルコフスキーの映画、もしくはアラーキーの写真集を見ている感覚に近い。逆説的な言い方をすると、言語を用いながら、非言語化の表現を試みたのではないか。エクリチュールがもたらす左脳から左脳への論理伝達ではなく、イマージュがもたらす右脳から右脳への抽象伝達。孤独と空虚、死を前にしてなお無力な現代人の苦しみ、か。解けないパズルみたいでワクワクする……そんな自分もまた逃れたい退屈をもてあます一個の空虚であることを知る。 | ||||
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新聞の見出しや、評論を読んだだけではイマイチよくわからなかったんですが、読んで見ると面白かったです。独特の寂しさや、不安な雰囲気が作品全体を包み、都会の片隅のおとぎ話を聞いているみたいでした。 | ||||
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『スプートニクの恋人』のような「あちら側の世界」がテーマになっている。我々が俯瞰して見ている出来事は「こちら側の世界」なのだけれど、あるいは「あちら側」なのでは?と思いたくなるような、不安定感や曖昧さが巧みに表現されている。ただ『海辺のカフカ』のような作品の後で、少し物足りなさが残るのは否めない。 | ||||
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主人公姉妹は「眠り」を通じて何を示しているのか。眠りの姉は「死」を眠れぬ妹は「生」を映し出しているようにみえる。それは村上氏の「ノルウェイの森」を彷彿とさせることでしょう。直子の「死」、緑の「生」。直子は緑の茂る森で「死に」緑は生きている。「アフターダーク」では暗闇の中に同じく目を凝らして見える人間のもつ「生」と「死」が隠されているように感じます。 | ||||
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デヴィッド・フィンチャーばりのカメラワークを思わせる文体にまずびっくり。馴染みのない文体はぎこちなく細切れのエピソードを繋いで行くが、エピソード自体は今までの村上春樹らしく魅力的な会話と文章で成り立っている。全体のトーンは「神の子供達はみな踊る」に近い。同じように現実の社会に対するコミットメントと圧倒的な暴力の匂いがある。しかし、読了した後の気分は短編集とは対照的に明るく、救いがあるように感じられた。小説の内容は現代都市のスケッチのようなものである。それはそこに生活する人間の姿を通して語られ、時にその内面にまで踏み込むものになっている。特徴的なカメラ目線で客観的に語られるスケッチは幾重にも重ねられ、最終的にある世界観を浮かび上がらせている。それは小説の冒頭で描写される得体の知れない生き物としての「都市」であり、高橋の話に出て来る深海の巨大なタコのような「社会」の姿である。これまで綿谷ノボルやジョニー・ウォーカーという形で繰り返し語られてきたものが、今回はキャラクターではなく小説全体で語られる概念として提示されている。当然のごとく物語には起承転結も勧善懲悪もない。読者サービスという点からは物足りないかもしれないが、自分としては結構面白く読むことが出来た。「語り口」で語る氏の面目躍如とでも言うべき問題作である。 | ||||
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ぐっと引き込まれて読みました。ストーリーとか題材がどうのとか、そういうものが気にならないくらい読み始めて、ぱっと物語の世界に読者を引き込む力は健在だしそれについてはますます強くなっている感じを受けました。ストーリー性のある話が好きな人には「何じゃこりゃあ!」的な印象を残すかもしれませんが物語の空気そのものを楽しみたいという人にはオススメです。 | ||||
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私は、村上作品を読むのは、これが初めてですが、凄くいい作品だと思いました。文章表現の美しさもさる事ながら、人に対する視線の優しさがいいと思いました。エリの部屋での視点の置き方も面白いとおもったし、今後をただ予感させるだけのような終わり方も余韻があってよかったと思うけどなあ…。 | ||||
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表面的になでるように読んだだけでは、こういうのもありでいいかなって思うけど。何度か読んでいくと、短すぎてもっと肉付けして欲しいなと、思うところが結構あった。主人公とはあまり関係なかったけど、テレビの中の男の意味や、中立を保つ”視点”など、何でお姉さんはおきないんだ、、、2倍くらいの長編にしても良かったんじゃないかなと思いました。でも、文章は簡潔で洗練されていて、サクサクと読めた。もしかしたら、村上さんは読者自身で自由に文章を解読して、自分なりに意味づけをしてくれ~、と思ってるのかな。ストーリーに出てくるいくつかの曲を聴きながら、文章を読むとさらに引き込まれるかも。村上さん得意の、料理上手な主人公がいなかったのが物足りなかったな。 | ||||
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わたしたちは現代社会という集合体のなかで、役割としてのペルソナ(仮面)をつけて生きています。ファミレスやコンビニに象徴されるような無機質で均一化された「場」では、各自の「個」は抑圧されてしまいます。マリは眠りのなかにいます。その妹で主人公の1人、エリは成人になる直前であり、彼女もまた孤立した暗い窓のない部屋という自己をもてあましています。ただしエリはまだ19歳という社会参画の手前にいる存在です。無表情だった彼女が、笑い、やがて最後に涙を流すということの意義は大きいと思いました。この小説は全体が寓話的で、メタファや配線が複雑に張りめぐらされていますが、整合性がとれていて巧みだなぁと感じました。「私たち」というの俯瞰する視点から語られるこの物語は、読みながら、ふと わたし自身もこの合わせ鏡のような劇中劇のなかの登場人物の一人ではないのか、ということを感じさせらて怖くなりました。暴力的で不条理に満ちたこの「アルファヴィル」から「逃げられない」のは、わたしもそして作者自身も もしかしたら同じなのかも知れません。巨大なこのちからから逃れ、ほんとうの自己回復が出来たのか、出来なかったのか・・・。闇のあとの薄明のかすかな光が、わずかな希望をあたえてくれますがまた夜はやってくるのです。意識と無意識という薄明。溶解していく空ろなトワイライトゾーン。孤立と絶望感のなかで、一種の福音書のように わたしはわたし個人の物語として、この小説を読み終えました。 | ||||
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姉妹に、高橋君に、ホテルの従業員たちに、プログラマーに、バイクの中国人に、その他の人物に、少しずつ「自分」が含まれているような気がしました。自分は傷つけるものであり、傷を受けるものであり、裁くものであり、裁かれるものであり、愛を与えるものであり、求めるものであり・・・。現実はなかなか好転しないかもしれないけど、それでも何かを求めることで、ちょっとした何かが変わっていくのかも、そんなふうに感じました。誰かを真剣に抱きしめたのは、誰かに強く抱きしめられたのは、いつの頃だったでしょうか? | ||||
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同時代の空気を感じさせてくれる作品である。 「私達の視点」が導入されることで、そこに主体でもなく客体でもない 中空に読者は導かれる。多層的な因果性が巧みに語られ、 一点に向かい凝縮していく過程が楽しく、Jim Jarmuschの映画を思わせる。 ある種の予感を感じさせながら夜が明けるが、その後のカルマレース (というべきか?)も誰かの目線でライブリーに体感したいという感が残った。 | ||||
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「約束された場所で」のあとがきの結びが、そのまま登場人物のセリフになっていたことが印象的でした。地道なインタビューを重ね、それを本にまとめ、それから何年か考えてきたことの、総決算がここにあると思う。何かが間違っていたら、被告席に立っていたのは私たちだったかもしれない。こうしてる間にも、悪は静かに忍び寄ってくる。それはTVのようなどこにでもあるものかもしれないし、他の何かからかもしれない。あるいは、悪は私たちの中自身に、最初から含まれているのではないだろうか。そんなことを、哲学的に、演繹的に、ではなく現代のテーマに即して、書いている。ノルウェイの森とかとは少し違う話。 | ||||
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スプートニクの恋人あたりから自分の中の村上春樹離れがあり、その後の作品をまともに読んでいませんでしたが、今回久しぶりにハードカバーで購入し読了してみて、このサイトで多数の方々が批判されているようには感じませんでした。たしかに不完全、きっと続きがあるに違いない、と思わせる終わりで、まぁきっとあるんでしょうけれど登場人物たちの会話から見える人間の不安とか孤独とかいったものを、興味深く読みましたし、以前の村上春樹小説同様に登場人物をなんとなくこの人好きだな、と思っちゃいながら読める本でした。また、スガシカオとかセブンイレブンとかそういう現代俗っぽさキーワードには「村上春樹もこういう目線もってるんだなー」とちょっと変な安心感をもちましたけどね、私は。しかし、エリの部屋でのストーリーは正直うざったるくて、カメラ視点もよくわかりませんでしたし、二つのストーリーがもっとばっちり組み合わされたらストンとくる読後感があっただろう、とは思います。 | ||||
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異常な物語は、淡々と、いやに淡々と流れていく。それぞれに意味がありそうで、その実、たいして意味が無いようにも思える。でも、そういう出来事がひとつでも欠けてしまうと、その夜は構成されることはなかった。そんな気にさせられる物語である。村上春樹の作家としての裁量というのは、恐らくそういう物語のつむぎ方と、細部の細やかさにある。この物語を読むものが、どのようにこれらのエピソードを消化するのかはよく分からない。しかしどのようにも消化の仕様がある。つまり、自分の物語を発見できる仕掛けになっているのである。だから読者はそれに任せて自分の夜をすごせばいい。夜が明けると、そういう事情を消化して、ともあれ自分が再生できる仕掛けである。小説の勝利とは、そういうことを言うのではないか。 | ||||
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冒頭から「私たちは・・」と何かのアトラクションに招待されるような感じにドキドキして、何だろう何だろうと思っているうちに朝が来て、でもまた夜は来るし。もうフラフラです。おもしろかった。 | ||||
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おそらく、春樹さんにとって、この「アフターダーク」は、新たな表現方法への挑戦なのだろう。今までであれば観念的な叙述で表現していたものを、事実や情景を忠実に再現することによって表現するという一つの試み。 この小説が、映画のシナリオに見立てられているという話があるが、われわれの生きる日常=現実世界は、小説よりも、むしろ映画に近い。つまり、観念的な説明の付されない事実(例えば、会話だったり、情景だったり)がそこにあるだけだ。 われわれは、そうした現実世界において、観念的な言葉がなくても、目の前の事実から<観念的なあるもの>を感じ取って生きている。春樹さんは、きっとそれを再現したかったのではないだろうか。 そのほか、気になったのは、この小説の中で、エリは2つの世界を行き来するが、この2つの世界という概念と、今回の小説の中でたびたび出てくる「逃げられない」「逃げ切ることはできない」という概念とがどのようにリンクするのかということである。もしかすると、この2つは全く別のことを言っているのかとも思ったが、それでは何だかおもしろくないという気がするし、「逃げられない」という概念がこの小説の中で宙に浮いてしまうような気がしたのである。この点については、もう一度、小説を読み直して考えてみたい。 | ||||
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読む前はかなり気合いを入れて、(いままでの村上さんのイメージが頭の中にかなり強く残っていたから)緊張して読み始めました 時間と共に進んでいく物語・・・そこにひとり、またひとり、と絡まりながら、断片的ではあるけれど、細い糸を繋いだように話が流れていく印象を持ちました ところどころに音楽が効果的に表れ、朝の訪れと共に終わりを告げる・・・登場人物もそれぞれに個性的で人物像の違いがはっきりとうかがえました さらりとした、液体のように私の中を通って行った一冊でした この次は長編が読みたいです | ||||
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「恋する惑星」のウォンカーウァイが「花様年華」を、はたまた「OK COMPUTER」のRADIO HEADが「KID A」をこの世に送り出したときと同じような衝撃を覚えた。「ノルウェイの森」から17年、新境地開拓である。映画のシナリオのような簡潔で、客観視した文章スタイルによって人それぞれの心の闇を見事に描く。ただ今までの村上作品に比べて淡白な印象を受けたのはたしか。でも、それがまた”都会の街をそのまま切り取ったような”リアルティーを感じさせる。これから村上春樹を期待させてくれる作品だ。 | ||||
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