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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全256件 81~100 5/13ページ
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心地のいい読後感を持たせてくれるお話。特に一晩通して、「マリ」が色々な人に出会い、成長していくところはシンプルな展開ながら心地いい。 確かに色々気になる点はある。「白川」はその後どうなったのか、「エリ」は起きたのか、「マリ」は中国に行ったのか、等々。 でもそれらも大した問題ではない。やっぱり心地良いから。 | ||||
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近年の村上作品の特徴である形而上学的な三人称の語りが、この作品では全体を通してとても色濃く用いられている。 内容としては、現代を生きる我々にとって、目を背ける事の出来ない問題が掲げられている。情報化社会の只中で、何を信じて生きていくのか。一夜を細かい時間で区切って、一冊で描ききるという手法は新しく、妙にリアルを感じて、それが逆に怖かった。 また、村上作品には、良くも悪くも、博識なキャラクターが、文学や哲学について語る場面が印象的だが、この作品ではそういった場面が皆無であり、そしてマリの読んでいる「分厚い本」のタイトルが最期まで明かされず、マリが「ファミレスでじっと本を読んでるのも、だんだん辛くなってきたみたい」と言うなど、今までに無い現実的な描写が印象的だった。 村上氏は某文芸誌で、この『アフターダーク』について、「出来るだけ簡単な文章で、出来るだけ複雑な話を書く」と言っていたことが強く印象的だったが、正にその通りの作品だと思う。もう少し評価されてもいい作品。一晩で読み通せる長さも現代的。 | ||||
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この本を5つ星としてしまうのは 単なる僕の好みの問題なのかもしれない。 理解できない人にはとてもつまらない本。 故に 理解できる人にはとても意味の有る本。 これは、癒しだ。 真夜中に生きる人々が 良くも悪くもお互いに干渉し関わりを持って 深い夜という闇の中で 淡々とただ「生きている」様子が描かれている。 イベントというイベントもおきない。 意味不可解な事も多いし、解明されないことの方が圧倒的。 でも、 最後のほっとした安堵が得られるのは何故だろう? 深い深淵の底にそっと光が差すような。 限りなく意図的ではない、気がついたら手の中にあった光。 これはそんな本だ。 この本についてうまく説明ができない。 けれど、 村上春樹の他書物とは少し違うような気がする。 「世界の終わり〜」のような、ぞくぞくする春樹節もよいけれど、 体中に浸透する水のような透明感のあるこの本を 僕はあえてお勧めしたいと思う。 | ||||
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多数の不特定な人々(それはもちろん、ここにこうして書き込む自分をも含めて)の 行き場のない憎悪をほのめかしつつ、しかし『・・結局のところ、すべては手の 届かない深い裂け目のような場所で・・そこは私たちの原理が何一つ効力を持たない・・』 という地点に至るところに、村上春樹のすごさがあるように思う。 そして『・・僕らの人生は明るいか暗いかで単純に分けられているわけじゃないんだ。 そのあいだには陰影という中間地帯がある。その陰影の段階を認識し、理解するのが、 健全な知性だ・・』という箇所もまた、村上春樹が追い求めてたことではないだろうか。 独特の村上節は健在だ。 ・ひとつの仮定として。 ・ゆっくり歩け、たくさん水を飲め ・政治的に正しい、おいしい卵焼きを食べよう などなど。 | ||||
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一般的には評価が低いようだけれど、僕としては最高の評価を与えたい作品。 コンビニエンスストアの棚に置き去りにされた携帯電話は、実はペーストしてクリックしただけなのかもしれないような都市の匿名性/自動性そのものであり、それは容赦なく、僕らを襲うのだ。都市に生きる僕らは、その深淵から"逃げ切ることはできない"。"目にしているのは都市の姿だ。" | ||||
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作者のファンで短編以外は一通り読んでいます。本作もこれまでの作品とは違った試みがなされているようで、大変楽しめました。 いつもそうなのですが、好きですし面白いのですが、何故、何処がと聞かれると全く答えることが出来ません。 人はそれをミーハーと呼ぶのかも知れません。 読んでいる最中に色々なことを考えたり、様々なイメージを浮かべたりします。が、例えば読み終わった後に作者が何を言いたかったのか、分かったことは殆どありません。 それは勿論、例えば漱石の『虞美人草』のように作者が伝えたいことに向かってひたすら直線的に突き進んでいく訳ではないからでしょうが、或いは進んでいる積りすらないのかも知れません。また、漱石にこだわる訳ではありませんが、大好きな作家の作品は何度でも繰り返して読んでいますし、その度に新たな発見があるのですが、何故か作者の作品に関してはこれまで繰り返し読んだことはありませんし、読みたくない気すらします。 何だか支離滅裂ですが、斯様にやっかいで不思議な存在ですが、好きであることだけは事実です。 | ||||
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「僕」や「私」ではなく、「私たち」と語り出される、村上春樹の中でも異色なテイストを持つ作品です。 「私たち」は、透明な視点となって深夜の渋谷をさまよう人々を追い続けます。 心に闇(やむにやまれぬモノ)を抱えつつも何とか生き延びようとする人々の交流やすれ違い、 争いが描き出され、最後に微かな希望と崩壊の予感が暗示される。 これは村上春樹お得意のパターンともいえますが、客観性の高い映像的な語り口であることから、 感情移入を許さず、これまで以上にひんやりとした読後感を残します。 私は、本書を読んだ後、この自由に動き回るカメラ視点で大変クリアな夢を見たのですが、 その夢の中で、相手に伝えたくても伝わらないもどかしさに苛立ち、実際に大声を発し、 その声で目が覚めました。 この小説の中で、「私たち」の透明な視点は壁を突き抜けて、どこへでも行くことができますが、 声が出せないため、小説世界に関わることができません。 そのことが強調されることによって、日頃、安全圏から、映像作品や小説などを通じて 仮想世界に感情移入をしている私たちのあり方に疑問符が付されているようにも思われます。 さらに言えば、このような映像的、かつ自己言及的な表現は、実際の映像作品ではなく、 小説だけにできることであるとの著者の自負と実験精神も読み取ることができるのではないでしょうか。 そういった観点から、テレビの中の「顔のない男」とは誰か? そもそも「私たち」とは誰なのか? といったことを考えてみるのも面白いかもしれません。 感情移入という通常の方法とは異なる本の読み方が楽しめる本としてお薦めです。 | ||||
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色々伝えたいことがあるんですが、中々言葉にしにくい感想でした。 ただ、小説を読むことについてふと考えさせられ、楽しいな、と再確認させてくれた作品です。 今までほとんどの村上春樹作品を読んできましたが、正直言って薄いというか軽い印象は受けます。 雨の降っているちょっと憂鬱な日にでも、"FIVE SPOT AFTER DARK"を聞きながら読めば色々と考えさせて くれそうです。 ラブホテルや夜の闇や、この作品のイメージが曲にぴったりあっているのでお勧めできます。 時々人に話しをしてとせがまれる機会があるのですが、そういったときには中々話ができないものです。 一方的に話をするのはつらい。だけど作中の高橋はよくしゃべる。今まで自分の身にさまざまなことが 起きてそれを経験したからだろうけど、その様子は本当に羨ましかった。人に話しができるってことは、 それだけ人生の引き出しが多いのかな、と感じました。 いつかそんな人になりたいと感じました。 文体はいつもの村上春樹で、デニーズの店やメニューについて話すところなんて"らしいな"と思ったりして 楽しめました。 | ||||
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これまでの村上作品とはかなり趣が異なっていて戸惑いを覚えました。 ある一晩の、それぞれに独立する(と思われる)話が時系列に語られていきます。 夜〜明け方にかけての不思議な時間帯と、 現実感があるような、ないような、不思議な登場人物。 そこで起こる一つ一つは小さいけれど、意味ありげなエピソード。。。 先の展開が読めそうで読めなくて、どんどん引き込まれていくのだけれど、 あともう一歩というところでパッと手を離されて、一人取り残されたような、 もどかしい気持ちになる一冊でした。 そこには何かしらのメッセージがあるはずなのですが、私には理解できなかったかな。 時間を置いて、もう一度読んでみようと思います。 | ||||
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どなたかも書いておられましたが、村上春樹作品のレビューを書くのは少々おこがましい気になってしまいます。 だって、「いい!」という評価が当然という雰囲気があるじゃないですか。 すごく深く研究しているレビュアーもおられるんでしょうね。 ところでこの作品、ぐいぐい引き込まれる小説とは対極と言いますか、途中で読むのを中断しても全然気にならない小説でした。 しかしそのわりに、読むのを再開した時に「どんな話だったっけ?」と読み返さなくても、ストーリーがわからなくならないので楽です。 マリは、その時に必要なタイミングで、その時に必要な人と出会い、その時に必要な言葉を聞かせてもらったんだな、と。 それによって、これまでとは何かが変わっていきそうな予感がする=アフターダーク、てことなのかなあ。 | ||||
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「異物をもカラダのなかに飲み込んで生きていく静かなタフネス」のようなものを感じます。こんなにも「人」への愛情を感じる村上作品は初めてでした。 読者評価があまり高くないと聞いていたので、文庫化を待って購入しました。確かに、読者が「自分のなかのどうしようもないモノを言語化してくれる村上春樹」を求めているならば、この作品には落胆するかもしれません。 過去20年に亘って、作品が発表される都度に覚えた共感が、リアルタイムでものの見事に言語化された「思春期の私」や「青年期の私」に根ざしたものであったとするなら、この作品世界に私的な感情を重ね合わせることができた私は「成年になりつつある」ということなのかもしれません。 | ||||
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あっさり物語に引き込まれてしまうのに、感想を具体的に書くのがこんなにも難しい作家は他にはいないでしょう。そして、こんなにもプロットを必要としない作家といのもあまり聞いたことがありません。もし、村上春樹作品の映画の話がもちあがっても、きっと尻ごみしてしまう監督がほとんどに違いありません。 最近では、メタファーに満ちた抽象的な村上ワールドの解説本も多々出ており、自分のような素人が解説するとフリークの方に怒られると思いますが、あえて言わせていただきます。村上春樹はデビュー以来、同じテーマにこだわり続けてきた稀有な作家のような気がします。それは、生と死・善と悪・強者と弱者・現実と非現実などといった二律背反の世界を必ずといっていいほど作品に登場させていることです。(「アフター・ダーク」に関しては、光と闇(昼と夜)といった相反する世界をテーマにしている) そして、何故これほどまでに私たちは村上ワールドにシンパシーを覚えるのでしょうか。そこには作家の周到な計算があるような気がしてなりません。本著を含むほとんどの作品の中で、作家は世間で勝組といわれているところの強者や成功者を悪として描き、残り(私を含む)の負組(社会的弱者)を物語の主人公にして、ひたすら美化し正当化しています。その負組を勝組に勝たせるために現実とは違った別の世界を用意しなければならない。なので、村上春樹を好きな人の99%が、日本人の大多数を占める社会的成功をおさめられなかった負組の人たちだと思います。イチローやホリエモンはおそらく村上春樹を好きじゃないと思いますよ。 私自身れっきとした負組なので、作家を批判する気は毛頭ございませんが、村上春樹は作家の中でも勝組中の勝組、横綱クラスの大成功者であることを忘れてはいけません。決して、こちら側の人間ではないのです。 | ||||
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熱烈なファンにとっては、それほどでもない作品という。 海外での、特に欧州での評価が高いそうだ。 これはとても難しい問題だけど、作品の雰囲気をざっとなぞるだけにしてみよう。 淡々の中に何かが起こるようでおこらない。大事件でもなく、小さな出来事を印象的に書いたわけでもない。そんな市井のゴミのような話を書いている。 そこには何か得体の知れないものがある。それは日本という国の得体の知れなさわからなさであると、いう。だからこそ評価が高いのだろう。 | ||||
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現代人の心の闇を描く基本的姿勢は変わらないが、一気に読ませる筆力はさすがです。 冒頭の映画的カメラ視線の入り方は深夜のファミレスの情景が目に浮かび、すっと小説に引き込こまれてしまう。 現代人は高度資本主義社会の効率性、利益性を追求した昼の生活に疲れ、深夜にようやく自己を取り戻す。 また、心の歪みも現れる。小説の舞台を深夜に設定しているのは、納得する。 評価の高かった「海辺のカフカ」より、本作の方がリアルでおもしろかった。 結末が謎めいているので、おそらく続編があると思います。ただ、いつ頃出るんでしょうか・・・・。 | ||||
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カバー裏には「新しい小説世界に向かう村上春樹」とあります。 が、変わった点といえば、 ・厳格な時系列で書かれている(今までにもあったけど) ・カメラの視線での描写が中心になっている ・超常現象は起こらない ぐらいしか気づきませんでした。もちろんこの3点により、「どういった意味だろう」などと考えずに読めるようになっています。 で、いつものようにバラバラなできごとが最後にはひとつに纏まってくれる満足感を味わいました。 いろいろな評価はあるでしょうが、私は面白く読めました。 | ||||
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新聞に挙げられそうな事件なのに、淡々と取り巻く宇宙が書かれている。読者が共有してしまいそうな感情のバイオリズムは、痛みを感じない。それは、小説にドラマのどぎつさを表現するのではなくて、登場人物の視線や環境・空気を表現したことの心地よさなのだろう。だから、読み終わったあと、シンフォニーを聴いているように感じた。小説を読んで感情が高鳴らなくても、宇宙を理解できれば、感覚が深層に残り、大成功ではないだろうか。いたずらに好奇をそそる小説よりも小気味良い。 | ||||
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作中に「僕」とか「私」が登場しない、 あくまでも客観的な、でも現実的でない作品。 真夜中の都会の暗闇と、 個人の精神の中の暗闇を、 あくまでも外側から描こうとしているように思える。 「次の暗闇が訪れるまでに、まだ時間はある」 という最後の一文が印象的だった。 人は暗闇と暗闇の間に生きているんだろうか。 暗闇があるから光がある、というのは本当だろうか。 | ||||
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読み終わって、ロバート・アルトマン監督の映画「ショート・カッツ」を思い出した。 一見無関係に見える様々なエピソードが同時並行して展開されるが、 それぞれのエピソードに主人公役で登場する人物や物が、 他のエピソードでは脇役で登場するところにのみ関連性がある。 しかし、そこには一貫したストーリー性はない。 本作でも説明的な部分は殆ど無く、 カメラレンズを通して見える事実(?)のみを 淡々と映し出しているだけだ。 つまり、読む(観る)者に材料だけを提供することによって、 読む(観る)者自身に物語を紡ぎださせようという意図だ。 読む(観る)者が材料をどのように調理して、 結果的にどんな物語を紡ぎだそうが、 作者にとって全然問題ではない。 なぜなら、読む(観る)者自身によって紡ぎだされた物語こそ、 その人にとっての真実の物語であるということだ。 本作で、作者は読者を振り落としにかかったのではないか。 村上春樹についていく為には、何度でも読み続けなければならない。 | ||||
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都市には白川のように社会に順応してるフリをしながら、裏では犯罪まがいのことをするような別の仮面を持ってる二重生活者は沢山います。都市ってのは光と闇の空間を一瞬で行き来できる場所なんだと思うです。光の属性に所属してるが白川が勤務しているオフィスなわけで、どちらかといえば闇の属性に所属してるのはラブホテルなわけです。この対比が重要です。白川はその二つの世界を仕事の合間にいったりきたりしてる。白川自身に言及すれば、彼はグレーな存在であり、グレーということは光にも闇にも変化可能なわけです。バイクの男がいましたよね?彼は完全に裏社会の住人であり、属性は闇でシラカワのように曖昧な存在ではない。これは田舎的な構造では無理です。そういう意味では都市生活者への皮肉がこの話にはたっぷり潜んでいる。 個人的には実際、仕事を中断して便所にいくような軽々しいノリで売春して、再びオフィイスに戻って仕事をするような人がいそうで、現実味が帯びていてゾッとしました。 シラカワはシラカワ自身であり、僕自身であり、またアナタ自身でもあると思うんです。主語と述語は違えど、主語と述語を内包してる都市という枠は共有できるわけですからね。 | ||||
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コミュニケーションについての話。と思った。 自己っていう袋があったとして それがぎっしりつまった箱が社会だとして とりわけぎっしりな箱が新宿だとして。 いろんな方向から他者の袋と繋がれたり 通じ合えたりどうしても通じ合えなかったり 突然袋が割れんばかりのコミットを受けたり 自然とコミットできたり閉じていたものがじわじわと広がってきたり 閉じたり 誰でもくるりと一回転すればいろいろな可能性を 鳥瞰できるはずなのに普通に時間を過ごしていると なかなか視点を変えることはできない。 でもちょっとずつそれをずらしていける時も時々訪れる そんな深夜〜夜明けの話 | ||||
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