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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全113件 101~113 6/6ページ
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「身体代謝」,サンタフェ研究所を筆頭に研究が推し進められている「複雑系」のなかでも「自己組織化」と「創発」理論,「DM-3」・・を村上春樹 氏 は,「文節」と「論理」を用いて描こうとした,という感想が一つ.しかし,サンタフェ研究所が研究する「複雑系」のなかでも,スチューワート・カウフマン 氏 らが提唱している「自己組織化」と「創発」理論・・を「文筆」業の作家として「アフター・ダーク」のなかに「装置」として「組み込み」書かれてはいるが,しかし作品の全体としては,サンタフェ研究所が研究する「複雑系」の「創発」理論を「感性」と「調査」のみでは,「創発」理論を書ききれていない,という感想が一つ.では,村上春樹 氏が「アフター・ダーク」をいかにして書いたのか?という疑問が私のなかで発生する.その疑問の応えを示唆するテクストを私なりに思索してみた.「アフター・ダーク」を文学として,成立させているのは,“JAZZ”だ,という印象を,本作の「文節」と「論理」を読んで「アフター・ダーク」に「バタフライ・効果」としてみることを,私は拭えない.つまりは,即興で奏でる“JAZZ”が「アフター・ダーク」を文学作品として纏め上げているデジタル的一貫性がある,という感想が一つ.しかし,「闇」は「空間」を持っています.「闇」は,「沈黙」を内包しています.それ故に,「アフター・ダーク」を読んだ感想を私は私なりの印象をできるだけ「素直」に書いたつもりです.星3つは,僕にとってでは無く,私にとって確かな感想の数です. | ||||
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極端な評価は差し控えたいので。しかし心情的には★5であり、★0です。もし、小説的試み(既に多く触れられている人称や体言止め、地の文における<視点>などなど)を求めている人であれば、大いに楽しめる作品だと思います。それらの試みは作品にある種の緊迫感を持たせることに成功していると僕は思います。しかし、否応無く引きずり込まれる体験を求めている方には、残念ながら今のところ僕は肩をすくめてしまいます。因みに僕にとってのそれは、氏の作品であれば「国境の南、太陽の西」でしょうか。ですからこの読後感は決して量的な問題では無いと僕は思います。「国境~」も決して長い作品ではないですから。もしあなたが、読後にここにレヴューを書いて、誰かの参考になると、心から信じられる人であれば、この限りではありません。多分満足されると思います。 | ||||
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村上春樹本はせめて上下巻以上欲しい私にとっては、期待しすぎだったのか、さらっと終わってしまいました。もちろん、読みながら安心できる春樹節の箇所もあるんですけど、いっきに読んだあとの感じが私には物足りなかった気がします。村上春樹ビギナーさんにはいいと思いますが、春樹ファンの私は次にもっとがっつり読めるようなものを期待します! | ||||
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私は、角川書店から刊行された『THE ANSWER』という本の著者の鈴木剛介と申します。(次回作も角川書店から刊行されます)私はまだまだ駆け出しのひよっこですが、同じ専業作家として村上さんの最新作である本書を読み、「作者と読者の乖離」ということについて考えさせられました。デビュー作からページが剥がれ落ちるほどに繰り返し読んできた氏の作品は、恐らくは『アンダーグラウンド』により社会のダークサイドと深くコミットしたことを契機に、『海辺のカフカ』から作風が完全に変わりました。個人的には、『カフカ』と『アフターダーク』は、もう一度読みたいとは思えなくなりました。もともと氏はそんなことは考えずにこれまでやってきたのだと思いますが、私は「本」も商品として流通する以上、ある意味で作家も「サービス業」的な側面も持つ必要があると考えています。そのような意味で、『カフカ』と本書は、完全に読者のことは無視されて書かれているように感じました。村上作品が、10年後に、現代における(一昔前の作家である)「大江健三郎」さんのようなポジショニングになるのか、それとも若い世代に読み継がれていく作品群となりうるのか、ちょっといやらしいですが、そんな興味を持って今後の成り行きを見ていきたいと思っています。 | ||||
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読後「もやもや」「ふーん、」「なんだったんだろう」という感覚が残りました。登場人物の誰にも感情移入できませんでした。私の読解力が足りないだけかもしれませんが、少なくとも分かりやすいとは言えないんじゃないかしら?にもかかわらず、一気に読んでしまいました。のめり込むとか、興奮するとか、考えさせられるとか、感動するとか、そういう楽しみ方ではない、読書の楽しみ方を発掘してくれた本です。今はきちんと言葉で説明できないけれど、日をおいてもう一度読んだらまた違う印象を与えてくれそうな作品です。 | ||||
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25年前の風の歌が聞こえてくるようだ。勝手な想像をしてみるなら、特にこのお話にはモチーフはない。主人公さえいない。そういうものとしてこれは産み落とされた。アフターダーク。背景に静かに流れているのはそれだけ。渋谷と少女。それだけであとは静かに情景が過ぎていく。暗くなって静かにフィルムが回り始める。音もなく。幻想もなく、現実もなく。 | ||||
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著者の作品に「神の子どもたちは皆踊る」というのがある。その英訳版のタイトルが「アフター・ザ・クエイク」である。今作のタイトルが「アフターダーク」とされているのを見てどうしてもそのことを考えないわけにはいかなかった。もしや今作は「神の子どもたち~」の続編なのでは、とも思っていたのだが、それは少し飛躍しすぎの考え方だったようである。しかし続編ではなくとも、氏がしばしば用いる「向こう側の世界」というモチーフが有無を言わせない事象によって表現されているところでは通じるものがあると言える。それが「神の子どもたち~」では地震であり、今作では夜になればそこかしこに生まれる暗闇なのである。この物語は明らかにその「向こう側」の物語だ。タイトルの示すとおり、物語は夜が十二分に深まり終えた深夜十二時の少し前から始まる。さて、本作品は前作「海辺のカフカ」と同様に数字によって各章に分けられている。構成も似ていて、一人称での文体で語られる章と三人称でつづられる章にわかれている。だがもちろん、そこにひねりがないわけがなく、一人称は一人称でも一人称複数で語られるのだ。さらに、数字で分けられた章とは別に時刻ででも章が分けられている。時に一つの数字の章の中で何度も時刻が代わり、それに伴って場面が変わる。そういった構成上のことから考えると、この作品には非常に前衛的な印象を感じる。正直な話、前作とは大分赴きの違う話であるし、「ねじまき鳥」以前の話とも随分違う。完成度は「ノルウェイの森」には遠く及ばない。だが産みの苦しみが感じられる作品だ。ポスト「海辺のカフカ」とでも言えばいいのだろうか?おそらく我々が村上春樹氏の次の作品を目にするとき、今作のポジションがよりはっきりするだろう。その時を心待ちにしながら本作を何度も読み直すこととしよう。 | ||||
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かつて村上春樹は時代を超越したところにいた。「アフターダーク」を読み終えた今となっては時代からズレていた、というべきか。僕は「アフターダーク」を読みながら、1,024回ほど「ダサっ!」と心の中でつぶやいた。 「アフターダーク」は村上春樹節が288ページに渡って続く「短編小説」。ジャン・リュック・ゴダールにデューク・エリントン。CDではなく、LPレコード。四半世紀の間、変わらない事が村上春樹。村上春樹は2004年に生きてはいるけれど、彼自身は1980年のままだ。 独特の静謐感は健在。現代の「動」の世界を舞台に「静」を描く。だけど、残念ながら今回はそれが成功していない。時代を超越した村上春樹ではなく、「時代に取り残された村上春樹」がここにはいる。村上春樹は既に「古典」なのか。 村上春樹は1949年生まれ。50歳半ば。現代の夜の渋谷を舞台にした小説を書くには無理がある。「世界のこちら側とあちら側」。若い読者である僕たちは「あちら側」にいて、村上春樹は「こちら側」にいる。文学は残酷だ。 アフターダークはこれまでの村上作品と比較すると難解さはない。すらすらと一気に読める。容易であるが故に、僕は違和感を憶えた。リアルな物語なのに、リアルとの乖離が大きい。「冒頭の10行めまで」は、★★★★★。かつての村上春樹に敬意を表し、厳しめの評価。 | ||||
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悪くないです。”映画的な小説”、と一言で言ってしまって良いと思います。だけど、なんかもう一つグッとこないのは否めません。それは僕が今迄の村上春樹作品の熱烈なフリークだからです。実際、技術的には凄いと思います。複数の3人称の使い方とか、映画のカット割りのように読み手の視点を誘導する表現とか。一人称”私たち”の使い方も秀逸だと思います。小説自体の尺が少し短い分、話に膨らみが無いのが残念です。もう少しボリュームを持たせてもっと長い小説にしたらグッと良くなるような気がします。全体的な雰囲気も今迄の春樹作品とはチト異なります。それはきっと、短い言い切り文や体言止めを多様しているからだと思います。ですから、今迄の”村上春樹的世界”を求めている人が読むと、ガクッとしてしまうと思います。そこにこだわらずに読める人であれば、それなりに楽しめると思います。村上春樹は確かに新しいステップを踏みはじめているようです。この作品は春樹の新境地へのスケープゴートなのかもしれませんね。気が早いかもしれませんが、次回作が楽しみです。 | ||||
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初期の小説と違って、ファミレスとか邦楽とかコンビニなど小物は 現実っぽいんだけど、登場人物は皆、春樹しゃべり。 無理して現代の若者を描こうとしても、会話が春樹独特だからおかしい。「神の子供たちはみな踊る」のときに、「voiceの書き分けができた」 という発言が村上氏からあったが、全然できてませんって!! どうしても、物の見方が主観的。 だから、群像劇とか書けないんだよ。 初期の「僕は~」語りの一人称小説の方が面白いのに。 それと、今回もテーマが一緒ですか。「ある地点をすぎると後戻りできない」しつこいです。今回は文章も下手ですし。中高生や、普段あまり本を読まない人を獲得しようとして書いたんでしょうか。春樹作品をずっと追いかけている読者からすれば、手抜き小説と感じられます。 | ||||
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相変わらず「春樹語」がずらずらと出現します。(作家名は挙げませんが)文章が異様に下手な大ベストセラーで、映画化もされた作品より、この本の文章はスラスラと読み取れます。これまで小説などというものを読んだことがない若い人がハマる理由もこのあたりにある気がします。流行りの人気作家の小説は、あまり読まない方なのですが、知り合いから小額の図書券を頂いて、買える範囲で買った本でした。 | ||||
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村上さんの深夜の描写がとても好きです。自分は深夜の新宿を何度か彷徨った事があったので、「わかるわかる」と思いながら読んでいました。時間軸に沿って進んでいく点も面白いです。作者特有の不思議な世界は今回も健在です。例によって意味不明でしたが… | ||||
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ファンゆえに、こころ苦しいのだが、この長編は、「海辺のカフカ」の延長として期待して読んでみて、いささか残念であった。セリフは冗長に無味乾燥であり、ストーリーも起伏がなく、退屈ですらある。伏線は意図的に解明されないままだが、もちろんミステリーではないのだから、解明などなくてもよいが、終盤が淡白すぎる気がする。しかしながら一気に読ませるストーリーテリングの手腕はさすが。みるべきところはあるが、次回に期待したいと思う。春樹ファンならば、おさえておいていいと思います。ファンではない方は著者の、他の長編を個人的にはお薦めいたします。 | ||||
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