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アフターダーク
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アフターダークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全102件 81~100 5/6ページ
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短編映画の文章化、これがこの作品を読んだ印象です。『映画監督』村上春樹の第1作目の作品ではないかと思います。ホテルが「アルファヴィル」であることも象徴的だし、文章の全てが、映画監督的、映画観客的な視点で描かれています。作者の頭の中に浮かんだ映像に限りなく近いものを読者の頭の中に喚起させることに挑戦したのかな?と思いました。そして、この作品の言いたかったこと、それは家族(姉を通して)からの逃避だと思います。いくら(中国へ)逃げても決して逃げ切れない(どこまで逃げても逃げられない)そういう現実と苦悩。全く別の2つ(3つ)の物語が近頃映画ではよく使われる「同時進行形」の手法で描かれていますがそれは手法であって、主題は1つだと思います。 | ||||
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「映画監督」村上春樹の第一作目の作品だと思いました。全ての視点が、映画監督的、映画観客的視点で描かれていてホテルの名前が「アルファヴィル」であることも象徴的だし作者の頭の中に浮かんだ映像を、読者の頭の中に限りなく忠実に喚起させることに挑戦したのかな、と思いました。そして、この作品で言いたかったことは家族(姉)からの逃避(中国へ)、そしてそれからは決して逃れられない(どこまで逃げても逃げられない)。映画ではここ何年かでよく使われる同時進行形の物語で同じ時間に同じ街で、一見まったく関係なさそうな事件がどこかで繋がっている、という手法ですがそれは手法であって、主題はあくまでも1つだと思います。 | ||||
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春樹さんの作品のなかでは一番エネルギーが希薄な作品のように思います。当然、「カフカ」や「ねじまき」の時のようにわけがわからなくても小説(物語)の中にひきずりこまれるような圧倒的な春樹さんの小説力or物語力を得ることができませんでした。ただなにか次におこる「なにか」がdyu-kuさんの言葉を借りるなら「通奏低音」のように感じとれました。春樹さんはよく短編をのちに長編になさるのでこの作品もそうかしらと思います。元々春樹さんは読者に不親切なタイプの作家さんで、読者置いてきぼり作家ですが、そんなことどうでもいいくらい小説は面白いわけです。が、今回はただやっぱりストーリー性がなくて読者としては欲求不満です。早く次を読みたい! | ||||
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前作からそうですが・・・もう村上氏の小説は行き詰ってる。まるでうつ病の人の独り言みたい・・・気がめいる小説・・・というか妄想・・パラノイア。 | ||||
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いやはや、帯の惹句を鵜呑みにしたかのように、文学的教養の底知れぬ欠如を無邪気に披瀝する破廉恥行為のオン・パレードは目に余る。 本作に「新しさ」を見いだせる超能力者の方々(「私たち」という主語や「体言止め」が新しいという超超能力者は論外)は、現代文学に対する無知という以前に、村上春樹の主要作品さえ読んで(読めて)おらず、自身の感性まで自己催眠でねじ曲げて自足しているとしか見えない。 それは、現在の村上春樹(と自身)を救抜することにはなるだろうが、同時に過去の佳作への侮蔑に他ならないと知るべきである。 「2001年宇宙の旅」のようだという感想もあったが、あちらは「重層的非決定」に向けて開かれており、読者(観客)の水準に応じて思考を拡張できる構造となっている。こちらは、意味不明の混沌が苦し紛れに投げ出されているだけで、「信者」以外に対しては固く閉じられており、正に対極にあるといえよう。 「海辺のカフカ」には呆れ果てても、村上春樹の実力に一縷の望みをつないで本書を繙いた者の落胆は計り知れない。 やれやれ。 | ||||
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うーん。期待していたほどではなかったな。文庫本になってからかってもよかったかな?みんなが思ってるように、これだけのいろんな事をこのページ数で語るには短いような気がしました。「この展開でもう3分の2終わってるよぉ」と思いながら読んでいました。でも、このレビュー読んで、村上さんのことみんな期待して読んでるんだなあってのがすごくよくわかりました。私もその一人です。 | ||||
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昔の作品は引き込まれるものがあったが、ねじまき鳥あたりから何が言いたいのかよくわからなくなってきた。ネタ切れかな?今回もそれでどうしたの?というのが感想・・・まあ読者の想像力にお任せっていうことかな・・・好きな作家だったので復活求む!! | ||||
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前作もそうだったんですが前作よりもまして、今回は読むと、謎解き(つまり謎解きが終わるとおしまい。答えがわかったら面白くないような・・・)というかパズルの一片がぴたっとはまっておわり、みたいな印象を受けました。前作同様大人よりも子供向けなの?っておもうような感じ。よくもわるくも。しかもなんか説教臭くないですか?ちょっと悲しかったです。なによりも「風の歌を聴け」から25年とか帯に書いてあるが、その作品とは全然違う(あたりまえだけど)。文学とか小説っていろんな意味が読み取れる決してひとつの答えに還元しないものだと思うんですが、この作品はなんかこたえがひとつに集約されているみたいで(身近な人を大切にとかそんな感じの答え・・・)どうなのかなあって思いました。水銀のチキンやツナも気になりました。彼はこういう文学にシフトしてしまったんでしょうか。それか自分が彼の本を必要としなくなってしまったんでしょうか。すごくすきな作家だっただけに、最近のどこかシステマチックな感じ、ステレオタイプの痩せた若い登場人物、美しい女性etcにいささか寂しさを感じます。 | ||||
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村上春樹の新境地・・・とのこと。村上ファンの私は当然の如く予約購入した。ワクワクしながらいつものように書を開き・・読了。どうなんだろう・・????今まで村上春樹の、あの何とも透明感のある文体と広がりのある物語に惹かれていたのだが、この作品には後者が感じられなかった。広がりが無い。とはいえ村上作品は再読してまた噛みしめるような味が出てくるとも思うので、近いうちにもう一度読んでみるつもりではある。正直、結構ショックだ。 | ||||
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アフターダークを読んで裏切られたと感じた人は多いと思います。みなさまの貴重なレヴューをすべて拝見しましたが、それは求めているものの違いのような気がしました。無力感と深い喪失を抱え再生へともがく中年の姿が読みたければ「国境~」あたりが、喪失とノスタルジーならば「ノルウェイ」「スプートニク」あたりが、スピード感ならば「世界の終わり」三部作あたりがよいのではないかと想像します。でも、アフターダークにはそういうのがないから、違う!って思うのもすっごくわかる。カメラ視点はしつこい感じだし、村上語もいい加減うんざり。こんな風にいきっこないうますぎる展開とか。でも、もし帰ってこない直子や鼠やあの頃の「僕」が登場する物語だったら? 島本さんはまだ寒い車の中で泣いてるし、ミュウもどこかで高級車を運転してる。そして、もうきっとそこから動けないのです。だから、カフカ君とか青年少女が中心の展開になったのではないでしょうか?「風の歌~」が世にでたとき、誰が「アフターダーク」が同じ作者によってつくられると想像できたでしょうか?よく分からない凝り過ぎた文体とか、無理のある会話運びとか痛いとこはあるようにも思うけど、1970年代にあれほど固執したおじさん(失礼!スミマセン"")が、ようやく2000年を受け入れ始めているのです。もちろん、勝手な想像です。でも、本当の意味で変わり始めている気もするんです。明らかに”丸く”なったし、全体のトーンが明るくなっています。異論反論はあると思いますが、読む価値はあると思います。自分が村上春樹に何を求めているのか、村上春樹自身は何を求めているのか~って。何かつまらないぼやきしか言えてないぞ...スミマセン。。。 | ||||
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アフターダークを読んで裏切られたと感じた人は多いと思います。みなさまの貴重なレヴューをすべて拝見しましたが、それは求めているものの違いのような気がしました。無力感と深い喪失を抱え再生へともがく中年の姿が読みたければ「国境~」あたりが、喪失とノスタルジーならば「ノルウェイ」「スプートニク」あたりが、スピード感ならば「世界の終わり」三部作あたりがよいのではないかと想像します。でも、アフターダークにはそういうのがないから、違う!って思うのもすっごくわかる。カメラ視点はしつこい感じだし、村上語もいい加減うんざり。こんな風にいきっこないうますぎる展開とか。でも、もし帰ってこない直子や鼠やあの頃の「僕」が登場する物語だったら? 島本さんはまだ寒い車の中で泣いてるし、ミュウもどこかで高級車を運転してる。そして、もうきっとそこから動けないのです。だから、カフカ君とか青年少女が中心の展開になったのではないでしょうか?「風の歌~」が世にでたとき、誰が「アフターダーク」が同じ作者によってつくられると想像できたでしょうか?よく分からない凝り過ぎた文体とか、無理のある会話運びとか痛いとこはあるようにも思うけど、1970年代にあれほど固執したおじさん(失礼!スミマセン"")が、ようやく2000年を受け入れ始めているのです。もちろん、勝手な想像です。でも、本当の意味で変わり始めている気もするんです。明らかに”丸く”なったし、全体のトーンが明るくなっています。異論反論はあると思いますが、読む価値はあると思います。自分が村上春樹に何を求めているのか、村上春樹自身は何を求めているのか~って。何かつまらないぼやきしか言えてないぞ...スミマセン。。。 | ||||
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アフターダークを読んで裏切られたと感じた人は多いと思います。みなさまの貴重なレヴューをすべて拝見しましたが、それは求めているものの違いのような気がしました。無力感と深い喪失を抱え再生へともがく中年の姿が読みたければ「国境~」あたりが、喪失とノスタルジーならば「ノルウェイ」「スプートニク」あたりが、スピード感ならば「世界の終わり」三部作あたりがよいのではないかと想像します。でも、アフターダークにはそういうのがないから、違う!って思うのもすっごくわかる。カメラ視点はしつこい感じだし、村上語もいい加減うんざり。こんな風にいきっこないうますぎる展開とか。でも、もし帰ってこない直子や鼠やあの頃の「僕」が登場する物語だったら? 島本さんはまだ寒い車の中で泣いてるし、ミュウもどこかで高級車を運転してる。そして、もうきっとそこから動けないのです。だから、カフカ君とか青年少女が中心の展開になったのではないでしょうか?「風の歌~」が世にでたとき、誰が「アフターダーク」が同じ作者によってつくられると想像できたでしょうか?よく分からない凝り過ぎた文体とか、無理のある会話運びとか痛いとこはあるようにも思うけど、1970年代にあれほど固執したおじさん(失礼!スミマセン"")が、ようやく2000年を受け入れ始めているのです。もちろん、勝手な想像です。でも、本当の意味で変わり始めている気もするんです。明らかに”丸く”なったし、全体のトーンが明るくなっています。異論反論はあると思いますが、読む価値はあると思います。自分が村上春樹に何を求めているのか、村上春樹自身は何を求めているのか~って。何かつまらないぼやきしか言えてないぞ...スミマセン。。。 | ||||
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地の文がほとんどなく、会話で展開されていくストーリーは、さらさらと読みやすく、あっという間に読み終わり、あれっ?バラバラに展開された全てのものが結びつき、ねじれながら展開していくのが村上春樹の作品と決めてかかっていたので、予兆のみで終わってしまった結末には、肩透かしを食らったような気分になりました。他の小説家が書いたものなら、合格点に面白い。でも、村上春樹に求めているものとしては・・・。読み終わってから、辻褄合わせに考えたこと。これは、夜中から朝が来るまでの7時間足らずの出来事を、ドキュメンタリー風に切り取っただけのもので、なんの結末へも向かうつもりはなかった。その後の時間については、読者がそれぞれ想像出来るようにわざと放り投げるように終わりにしたのではないかということ。それとも、現代を切り取ろうとするには、村上春樹が歳を取りすぎて、俯瞰しての視点という手法を取らざるを得なかった。はたまた、「僕」という一人称での小説は得意だが、女性の視点を描くには深みがない。苦手?重要な主人公の一人に19歳のマリを据えたことにより内容が希薄になってしまった。いずれにしても、夜中にファミレスで2時間程度を潰すにはもってこいの小説。なかなか寝付けない時、ふと夜中に目が醒めたとき、ザーザー音を立てるテレビの画面を見て、戯れに想像するような、小さな作品。 | ||||
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村上春樹は、「ノルウェイの森」で心ならずも踏み込んでしまった迷宮から未だに脱出できず、彷徨い続けているかのようである。 生還を待ちわびる読者にもたらされた前作「海辺のカフカ」は、異常ともいうべきキャンペーンもあり商業的には大成功を収めたようであるが、その文学的惨状が大方の「村上離れ」を加速してしまったことも否定できない事実であろう。 さて、残念ながら、本作こそはという儚い期待も木っ端微塵に打ち砕かれてしまう。 そこにあるのは、寂寞たる既視感のみであると言っても過言ではない。 仮に、初めての読者であれば、村上春樹の名声に首を傾げることになるのは必定。 それにしても、派手な広告こそ慎んだとはいえ、このようなものを臆面もなく売りに出す編集者と出版社の罪は限りなく深いと言わざるを得ない。 「昔は良かったのに。」と言うのは旧来の読者にありがちな常套句ではあるが、せめて、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」や「羊をめぐる冒険」の水準を保持してくれることを願ったのが「木に拠りて魚を求む」行為であったとすれば、自らの不明を恥じるほかない。 | ||||
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「納屋を焼く」「象の消滅」「沈黙」などと同じく、普段意識されていない闇の世界との関係性がテーマになっているように感じた。だが、上記3作品のほうが遥かに遠く、深くまで、闇の世界を探索していると思う。誰も知らないところで起こる、誰も気づかない決定的な変化。名もなき人々、誰からも注目されない人々の、声なき声…それらを描き出そうとする視座は、この作品にも十分に感じられた。だが「ねじまき鳥」以後、村上作品に闇の深遠さへの到達距離を求めてきた自分にとって、今作は手応えがなかった。3人称だとか、カメラの視点だとか、そうした表層のテクニックがそんなに重要なのだろうか。不自然なだけで、逆に意識の妨げになった。もしかしたら、自意識を持ち続けて読ませるための装置なのかもしれないが…。…と、読んだ直後には思っていたが、時間の経過とともに新たに感じることがあったので追加します。この作品は今までの作品で言えば「蜂蜜パイ」に一番近いのではないだろうか。闇を描きつつ、最終的に光のあるほうへと読者を誘うという意味において。殺人の低年齢化など、混迷の度合いを深める日本社会の中で、たとえ微かなものでも光を見出そうと、もしくは光があることを期待しようと、著者は必死で模索しているのではないだろうか。そう思って内容を思い返してみると、新たな手応えが感じられる。現実の混沌をより混沌としたものとして描く作家が多いなか、村上春樹の視点はその先を行っているのかもしれない。 | ||||
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うーん、正直言うと厳しい作品。今までの春樹作品というと、緻密に計算された文を構築している所が好きだった。例えば、「ねじまき鳥~」では、「井戸」はフロイトのいう「イド」、(快楽主義)の暗喩であるなど・・他にも沢山あるのだが、今回はそういった緻密さは感じられなかった。「わたしたち~」のエリの部分は極論なくてもいい。会話ばかりの、シナリオ調で進む本作は25年を意識しすぎた、やっつけ仕事的にもみえなくない。村上春樹を愛するからこそ、今回の作品は残念だった。 | ||||
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この小説を「村上春樹」の名前を伏せて読んだときに、果たして村上春樹が書いた小説だと理解できるだろうか?確かに主人公の一人高橋の台詞だけはまさに春樹らしいと言えるだろうが、それ以外の点については文体さえもが異なる、まさに「夜明け」というか変化の予兆とも言える作風。 だが、春樹の独特の童話のようなフィルターがすっぽり失われ、まるで凝った文章のミステリを読んでいる気分だった。文学作家の小説としては文章の存在感があまりに煩雑では無かろうか。元より春樹のキャラクターは現実離れした感が強いが、今作はそれすら悪い方向に働いているように感じられるし、軽薄な印象はどうしても拭えない。 ストーリーにおいても、要所要所がどうしても「仕様も無い」事ばかりでたまらないし、台詞ばかりで進み、地の文が印象に薄いのも、どうにも奇妙だ。いうなれば、戯曲を読んでいる感じであるのだけれど、地の文が嫌にしつこい感じでリズムも良くない、という事か。今後、この路線で村上春樹という小説家が進んでいくのなら、正直たまらないものはある。僕は村上春樹ファンだったからこそ、残念でならない。 | ||||
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何ヶ月も前から予約して、待ちわびてた作品なのですが、この作品を読みながら、これ、ほんとにあの村上春樹が書いたの?って何度も表紙を見返しました。単に表現手法が今までと異なるという意味ではなくて、どうにも彼の美意識でもって精査され推敲された文章とは思えなかったからです。初期3部作のようにスタイリッシュでもなく、『ねじまき鳥』のように骨太のストーリーがあるわけでもなく、『ノルウェーの森』のようにムーディでもなく・・・そりゃ、どんな作家も変化していくのだから、昔の作品と同じような物を期待しても仕方ないのはわかってますが、レベル的にはどうしても上記のような名作と比較してしまってがっかりします。何より致命的なのは、ありとあらゆる登場人物に魅力が乏しすぎます。少なくとも、何度も何度も読み返したくなるような作品ではありませんでした。付け加えると、彼にとって実験的な位置づけであったとしても、これと同じような手法で書かれた小説は世の中にはごまんとあると思います。もっとコンパクトにして短編集の中のひとつであったなら、別の評価になったかも知れませんが。 | ||||
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とても「ノルウェーの森」を書いた作者の作品とは思えない。控えめにいうならば、本作品はより難解な文学への挑戦だったのかもしれないが、だとすれば完全に失敗している。体現止めのオンパレード、視点不明な状況描写、非現実的なできごと、意味不明な行動は、作者の意図や伏線としてはある程度許容されるべきものである。しかし、それらが読者に喚起されぬ場合は、ただ単に意味不明なものとして受け取られるだろう。本書の印象は、「異教徒が見た、(キリスト教の)宗教画」のようなものである。映画「2001年宇宙の旅」のラスト、や、カフカの小説を思い出させる内容である。 | ||||
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感想を一言でいうと、無理をしすぎているという感じだった。村上春樹は以前『海辺のカフカ』について、「登場人物にあまりリアリティを求めすぎてはいけない。細部ではなく物語全体を見て欲しい」というようなこと語っていたことがあったが、セリフや行動などあまりにも現実の若者とかけ離れてすぎていて、自分にはこの作品に対する入り口を見つけることができなかった。そこまで現実から乖離した人物像を無理をして描いてまで訴えようとするものは一体何なのだろうか。彼がいう「ボイスの獲得」はいまだ不十分なままであるような気がする。演劇のスクリプト風の描写や第三者的な語り、硬い心理描写と柔らかい情景描写の織り交ぜなど手法には意欲的な面が見られるものの全体としては詰めが甘くまとまっていないような印象を受ける。私は思うのだが、なぜ村上春樹は等身大の自分をモチーフに描こうとしなくなったのだろうか。私は少なくとも彼が描く「50代の男の物語」が見たいと思っている。それともそこには語るべき物語はもうないのだろうか。 | ||||
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