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ダンス・ダンス・ダンス
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ダンス・ダンス・ダンスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.38pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全116件 101~116 6/6ページ
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村上春樹にしては珍しくミステリーっぽいこの作品。 『羊をめぐる冒険』もなかなかスピード感があったが、今作はそのミステリー感の影響でさらにスピード感のある作品となっている。 あんまり書くとネタバレになるので書かないが、今作のテーマは『死』と言っても良いと思う。 ある場面で主人公はこんなことをユキと言う不思議な少女に語りかける。 「人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に。」 良い台詞だ。 80年代後半に書かれたとは思えないくらい新しい。 一読の価値アリ。 | ||||
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自分は村上作品の中でこの「ダンス・ダンス・ダンス」が一番好きだ。一般的に失敗作といわれているにもかかわらず。高度資本主義社会で自分を見失ってしまった主人公、どうしようもない喪失感と孤独感をかかえながら、彼は踊り続ける(他者とかかわり続ける)ことで自分を回復しようと奮闘する。とにかく会話が洒脱で読んでいて楽しい。作者もきっと楽しく書くことができたんじゃないだろうか。魅力的な登場人物たちとドラマティックな展開は難しい解釈以前に、ぐいぐい物語に引き込んでくれる。 タイトルからもいえるようにとても音楽的要素の濃い小説だと思う。作品中には実に多くのミュージシャンの名前が出てくる。「トーキング・ヘッズ」、「デュランデュラン」、「ジェネシス」・・・これらの名前はその時代を強く意識させる役割を担いながら、作品に彩りを添えているように思う。小説のラストシーンで「僕」がささやく希望に満ちた言葉はどこか穏やかな読後感を与えてくれるものだ。 | ||||
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羊の冒険の続きになります。 フリーライターとして働いて四年、「僕」は社会とうまくやっていたけれど、なにかに導かれているかのように「いるかホテル」に戻ってきた。 そこは巨大な近代ホテルに変わっていたけれど、羊男と邂逅する。 そこは「僕」のために誰かが泣いている場所。 人が感心するくらい難しいステップでダンスは踊り続けないといけない、って言葉を胸に帰京する。 不思議な縁で出会った十三才の少女ユキと、キキを通して再開した中学の同級生で有名タレントの五反田君が、自主的に引きこもった「僕」の遊び相手だった。 ダンスを踊ることから覚えないといけないユキと、誰よりもうまく踊っているように見える五反田君のふたりの間で「僕」もまたステップを踏み続けようとする。 立ち止まったら海に沈むしかないからだ。 ノルウェイの森の透明な空気に沈む悲哀が美しかった。 しかし本作は、それをのりこえて底の抜けた感情が伺える。 「僕」はユキを見守る余裕が生まれていたし、それを自分の過去と重ねて大人になったことを自覚している。 それでも誰かが自分のために泣いてくれている場所を必要とするほどに「僕」の心は乾いていたのだ。 これから「僕」がどうなっていくのか、次作も期待したい。 | ||||
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ただ「ダンス」という単語を三回繰り返しているだけだけれども、なんとも本作品をよく表現しているなと読み終えてそう思いました。私は、村上氏の描く、人の生きる世界の象徴的な表現が好きで、彼の作品を読むのですが、本作品もその期待を裏切らず、とても面白かった。 題名もそうですが、本作品では多くのリピートが見られます。単純な文章表現的なリピートもありますし、象徴的な意味でのリピートもありました。それはあたかも、決められたダンスのステップを踏んでいるようでもあり、「僕」という主人公の生き方を象徴しているかのようでした。 休む間もなく、ステップを繰り返していなければいけないという羊男の台詞は、80年代後半に書かれた作品であるにも関わらず、21世紀に突入して数年たった現代を表現しているようでもあります。 村上氏の初期の作品ということで、近年(後期)の作品群―『海辺のカフカ』や『ねじまき鳥クロニクル』など―に見られるような、重量感のある、深い森の中を一人で散歩しているような印象は無く、幾分すっきりとしているけれども、やはり村上氏らしい独特の文体は健在だなという印象でした。 「僕」の台詞の空虚さが、逆に非現実性を想像させながらも、物語から読者を遠ざけない。リアルに描きすぎないところにも、彼の上手さがあると思います。 とても面白い作品でした。 | ||||
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久しぶりに本書を手に取った。 本書に描かれている、いわゆる「前回のバブル」の意匠は色褪せ、 既にレトロの領域に入ってはいるものの、 主人公の「僕」の年齢を超えた今、 その喪失感と疎外感は痛いほどリアルで あらためて村上文学の奥深さを実感した。 昔はリアルな設定の中の「羊男」といった 断絶の意匠がSF的としてどうにも馴染めなかったものだが、 突然の訃報といった日常の断絶を何回か経験した今では どうにも抗えぬ世界の真実として この上もなくリアルに感じる。 | ||||
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さきほど、この上巻のみ読み終わりました。 本作は青春3部作のその後のストーリーとなります。 私にとって、「羊をめぐる冒険」で奇妙な魅力を感じさせられ、一気に彼のファンとなってしまった、羊男が再登場したのが嬉しく感じました。 その他にも、一応説明はされているものの、 青春3部作を読んでいないと分かりづらかったり感情移入しにくいところがあるので、 これから読まれる方は、青春3部作を読んでから本作を読み進めた方が良いのではないかと思います。 | ||||
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「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」から続く「僕」の新たな冒険。 1983年3月。 羊をめぐる冒険から4年が経った。 止まっていた「僕」の物語を始まらせるために再びあの場所へ。 その場所は以前に行った時とは全く様変わりしていた。 そこでの新たな出会い、意外な再会、そして、それを境に加速する喪失。 いったい誰が、なぜ「僕」のために泣いていてくれるのか? この物語は前の3作を読んでから読むことをおススメします。 今作だけ読んでも十分楽しめますが、背景を知っている方がはるかに面白いです。以前を知っていると楽しめるパーツがところどころに散りばめられているからです。 彩り鮮やかで、かつ、斬新な表現、意表を突く魅力的なストーリー展開。 今作品は前の3作よりもいっそう村上春樹氏特有のユーモアが詰まっているように感じられました。 このようなスパイスが効いていて、魅力あふれる作品に出会えたことに喜びを覚えます。 | ||||
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大学紛争・安保闘争の敗北のあとやってきた「高度資本主義社会」。 主人公はその洗練された世界に巻き込まれていく。 何となく今の社会に居心地が悪いと思っている人にお薦めである。 この世界に適応するということは、どういうことを意味するのだろうか、ということを考えさせられる。 また、ユキを連れて歩きたくなったり、五反田君に会いたくなったら読み返すだろう。 | ||||
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村上春樹の中で、「ノルウェイの森」、「世界の終り〜」、そして「このダンス・ダンス・ダンス」は頭ひとつ飛びぬけていると思う。 青春三部作の続きなので、必ず前三作を読んでから読んでください。70年代を書いてきた著者が書く、80年代の高度資本主義社会。金が溢れ、なんでも経費で落ちる中、「僕」の悲しみは癒えず、まわりのすべてが死と無感情と悲しみに包まれていく。とりあえず、村上春樹の作品が今でいう「セカイ系」であることがよっくわかる作品でもある。 僕のためにすべてが死んでいく。僕はただ僕の影とダンスを踊っているだけ、前の三作で圧倒的な孤独を書ききった作者だが、ダンス・ダンス・ダンスでは(より孤独な社会になったはずなのに、いや、なったからこそ、かもしれない)人肌の美しさと恋しさを描いた。 完璧な作品。 | ||||
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とにかく登場人物が魅力的!時々ふっと羊男、美少女、娼婦、片腕の詩人、映画スターとホテルの精みたいな女の子に会いたくなる。まるでおもちゃ箱!村上作品の中で個人的には上巻とあわせてナンバー1の作品。初めて読んだときから10年近くたってるけれど何度読み返したか分からない私にとっては宝物みたいな1冊。基本的には全3部作からの再生の物語だがミステリーの要素もあって一気に読ませる。デビュー作から出てきたこのちょっと不器用な主人公にこういう完結編を作ってくれた事もうれしい。で、この後この人どうしちゃうんだ?って終わり方が多い村上作品の中でこういうハッピーな終わり方は珍しいと思う。ノルウェイともねじまき鳥とも違う村上ワールド、体験してみませんか? | ||||
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初めて読んだ時は思いました。三部作で終わって欲しかったとも思いました。三部作に出てくる人物固有名詞は「ジェイ」や「鼠」、「直子」くらいなもので、先の二つはニックネームみたいなものです(「ジェイ」という名前からは中国人というイメージを受けない)。それが本作で解禁となり、何だか現実感が出てきて嫌でした。しかし、読み返してみると人物に名前を持たせることでより深みが増したように思います。内面描写に深みを加えたことが、時代の変遷を表しているのかもしれません。文句みたいに書きましたが、今では大好きな作品です。 | ||||
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この本を読むたびに、「ダンス・ダンス・ダンス」とは本当に上手いタイトルだと思います。なにしろこの小説は、読む私に「ステップ」を踏ませるのですから。なんというか、これはとても音楽的な小説なのです。たとえば。小気味いい単語の列挙がリズムを刻みます。文がメロディを奏で、文字で小節を埋めていきます。ふっ、と旋律が低くなったかと思うと、にわかにテーマが響き渡り、再びビートが身体を動かします。静と動。緩と急。マイナーとメジャー。そんな風にして文章が、途切れることなく「僕」のダンスミュージックを紡ぎ出していきます。「僕」の「ステップ」が止まらないように。転調を繰り返す音楽は「僕」にどんな「ステップ」を踏ませ、どこに導いていくのでしょうか?ちなみに、「ダンス・ダンス・ダンス」単体でも、面白く読むことはたぶん可能です。しかしながら、より滑らかな「ステップ」を楽しみたい方には、「風の歌を聴け」から続く「僕」物語三部作を一読することをお薦めします。 | ||||
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下巻では物語の舞台がハワイに移り新たなキャラクター片腕の詩人が登場します。彼が海辺で主人公と語らう場面はこの作品の中でももっとも好きなところで、何度も何度も読み返したものです。また、最後のエピローグでユキと主人公が夏の街をドライブしながら話す場面も好きで、ここに出てくる主人公の言葉がグッときます。この主人公のセリフを読めただけでも、この作品を読む価値がボクにはありました。物語の中の登場人物たちの人生が自分の人生と似ているように感じるので、これからも何度でも読み返していくんだろうなと思います。 | ||||
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「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」と連なる三部作の続編。ちなみに、ダンスシーンもダンサーも出てきません。「ダンス」は比喩です。三部作はスタイリッシュでした。人によっては「軽薄」だと感じたかもしれません。20代のうちは軽薄なくらいでいいのかもしれない。主人公は33歳になります。この作品は三部作と対をなす小説です。前作、「羊をめぐる冒険」でひどい不幸を経験した「僕」は、自失状態に陥っています。離婚して一人ぼっちです。「なぜ妻は出て行ったのか?夫として何が間違っていたのか?」悩みます。友達もいません。仕事は1ヶ月も休暇をとってしまいます。「羊~」に出てきた「耳のきれいな女の子」を探し求める冒険です。同時にこれは、社会不適応を起こしている「僕」が生きる道を探し求める冒険でもあります。1980年代に発表された作品ですが、「友達親子」が出てきます。「馬鹿親」も出てきます。三部作に出てきた親友「鼠」は出てきません。代わりに新しい親友として「五反田君」が出てきます。五反田君は鼠と対をなす人物です。三部作では相互不干渉を訴えていました。自分のことは自分でやればいいし、人のことは人にやらせればいい。無頼派の美学やそれへの憧れが三部作に共通の雰囲気だと思います。けれど、それなりの年になったら他人のこともいろいろと考えなきゃいけなくなる。もし考えなかったら、必ず誰かが犠牲になる。三部作への反省、あるいはバランスをとるための作品と言えるかもしれません。 | ||||
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「宿命」。マクロな面でそれが存在するかもしれない。私達はミクロな面で「踊る」ことしかできない。つまり問題は「主観」なのである。「主観」においての中でしか生きられないからこそ、「うまく」踊る必要があるのだ。 | ||||
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80年代の高度資本主義経済。そして到来するバブル経済。そんな時代を反映するような作品。 「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」に続く作品として、その主人公である「僕」のクロニクルを締めくくるこの「ダンス・ダンス・ダンス」には強く時代性というものが感じられる。そして、作者の村上春樹がその時代に倦んでいるような印象を受けた。 奇しくも83年生まれの僕にとってこの作品には強く惹かれるものがあり、何回も読んだ。読むたびごとに違った発見があり、そのたびごとに作者の持つ「目」と「頭」に大きな尊敬を感じる。 ある程度のゴールがこの作品にはあるように思う。この以後、村上春樹の作品には違った匂いが感じられるように思う。そういった点においては「ダンス・ダンス・ダンス」は決着の小説と呼ぶことが出来るのかもしれない。 | ||||
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