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ダンス・ダンス・ダンス
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ダンス・ダンス・ダンスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.38pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全116件 81~100 5/6ページ
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少ないんですね。村上春樹の中で一番好きな作品。ジョークが理解されない主人公。着実に死んでいく登場人物。繋がっていく物語。かなり、いいですよ。他の作品を読んでいなくても、楽しめます。個人的に、"失われた王国"等、様々な短編に形を変えて出て来た優等生の友人が、五反田君の形を持って長編に登場したのが(そして一つの結末を持ったのが)、すごくよかったです。 | ||||
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村上春樹の小説は、どちらかというと毎日少しずつゆっくり読んでいっていたが この作品はミステリー小説っぽいこともあり、先が気になってどんどん読み進んでしまった。 登場人物はそれまでの青春3部作ともかぶるところはあるが、ストーリーの連続性はない。 しかも、もう「青春」ではなく主人公もすっかり大人になっているので、それまでの3部作とはほとんど別物だ。 五反田君、ユキといった登場人物たちも魅力的で、単純に「面白い」といえる作品。 それにしても、村上春樹の小説を読むと無性にビールが飲みたくなる。 | ||||
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ここにはあらゆる人間の世界観と感情が渦巻いている。 また、時間が経って分かるのは、バブルといわれた時代のにおいがハッキリと刻印されている、ということ。 私にとっては心に積もった澱を取ってくれるフィルターのような小説です。 | ||||
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仮面を着けて生きることが要求される高度資本主義社会で、 自分を捨てることなく、生き抜く人々が描かれています。 けれど、それは困難な生き方であり、 タフでハードな世界にあっては、 失うものがあまりにも多すぎる。 仮面をとったり、つけたりしながら何とかバランスをとる僕。 仮面を着け続けて、自分が崩壊していく五反田君。 仮面を着けることができないユキ。 etc…。 それでも、この現実社会で生き抜くしかない。逃げることはできない。 自分を見失うことなく、ダンスを踊り続ける登場人物を通して、 この社会での生き方を考えさせられます。 「踊るんだ。 音楽の鳴っている間は踊り続けるんだ。 なぜ踊るなんて考えちゃいけない。 意味なんてもともとないんだ。 どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、 きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。 まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。 使えるものは全部使うんだよ。 ベストを尽くすんだ。 とびっきりうまく踊るんだ。 みんなが感心するくらいに。」 「繋がっている。 僕としては、この線をだどってみるしかない。 この糸を切れないように注意深く辿っていくんだ。 とにかく動くこと。 立ち止まらないこと。 こっちの世界に居続けるんだ。」 | ||||
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青春三部作の続編。 とは言え、「羊をめぐる冒険」との間には「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」、「ノルウェイの森」が挟まっており、6年の歳月が経っている。 予期せぬ方向に話は展開し、死んでしまった鼠との約束を果たして帰路についてから数年。 「僕」は素晴らしく綺麗な耳を持つ「キキ」を探して、あの「いるかホテル」を目指して札幌へ降り立つ。 羊男に追われるようにして消えた「キキ」はどこにいるのか。 たどり着いた「ドルフィンホテル」は以前とまったく異なる近代化された高層ホテルへと変貌を遂げていた。 「羊をめぐる冒険」において「僕」を誘う案内人は「キキ」だった。 そしてこの物語の案内人は13歳の女の子「ユキ」。 芸術家と作家を両親に持つ美貌の少女は、時に不思議な能力を見せる。 物語は彼女をキーとして、様々な人間関係と事実関係が交錯していく。 何の手がかりもつかめないまま日々は過ぎるが、ふとしたことから再び羊男に出会う。 そこで羊男が「僕」与えたアドバイスは「とびっきり上手く踊ること」。 音楽が続くかぎり。 「僕」はステップを踏み始める、正確に、上手に。 奇妙なつながりを見せながら展開する話は、最後には意外な展開を見せる。 そして「僕」はひとまわりして再び「いるかホテル」のフロントで働くユミヨシさんの元へ帰っていく。 これだけの長編を最後まで淡々と、それなのに飽きもせずに一気に読ませる村上春樹のテクニックに驚嘆する。 私はこの本を読んでまだ飲んだことがなかったカクテル「ピナコラーダ」に憧れた。 今でもあのココナッツミルクの香りがするカクテルを飲むと、ハワイでの「僕」と「ユキ」の開放的なシーンを思い出す。 | ||||
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この作品の舞台は、1983年の3月から始まる。 そして作中、「高度資本主義社会」と「踊る」という二つのキーワードが、 これでもかというほど、繰り返し書かれている。 村上 春樹作品で、「やれやれ」以外の言葉が、こんなにも頻繁に出て くるのは、ちょっと他に記憶がないくらいに。 前作『羊をめぐる冒険』で、ある種古き良き時代の象徴として描かれた 「いるかホテル」は経済成長の波に飲まれ、そこにあった味わいが システム的な、オートマチックなものに変質している。 70年代までの、もっとシンプルな時代から、加速する時代のスピードの 中で、翻弄される人間、踊っているようで踊らされる人間の不思議な 不安定感が、作中ずっと靄のように覆っているのを感じた。 少し時期がずれるが、経済基盤が大きく揺らいだ、90年代の前半の 「ジュリアナ東京」の映像フィルムが、何度も頭に浮かんだ。あの、 狂騒と享楽の空気が、この作品では予見的に描かれている。 物語としても、とても引き込まれる前半だった。 ▼ 本 文 引 用 我々は高度資本主義社会に生きているのだ。そこでは無駄遣いが 最大の美徳なのだ。政治家はそれを内需の洗練化と呼ぶ(041) 人々は資本の有するダイナミズムを崇めた。その神話性を崇めた。 東京の地価を崇め、ぴかぴかと光るポルシェの象徴するものを崇めた。 それ以外にはこの世界にはもう神話など残されてはいなかったからだ(113) 踊るんだよ。音楽の続く限り(165) 匂いがきちんと匂い、涙は本当に温かく、女の子は夢のように美しく、 ロックンロールは永遠にロックンロールだった(342) | ||||
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僕という主人公は34歳。結婚していた女性に逃げられ、いまは一人暮らし。社会や人生が分かりかけてきた男にとっては、仕事も生き方も優秀でなければならず、ダンスのステップを正確に踏み続け、人からもホメラレルように踊り続けることが求められという暗喩が一環して流れるのがこの小説のテーマです。そのダンスステップがいい人生、と思われることに、主人公は疑問を抱き続けることに。 札幌の「いるかホテル」で働く女性と知り合い、互いに惹かれ合う仲となっても、二人はその気持ちを素直に表現できないでいます。そのホテルで出会うことになるのが、不気味な羊男。さらには、ひょんなことから主人公の僕は、13歳の少女ユキの身元引受人となり、東京、ハワイ。少女の家族とともに生活を共にすることになります。そして、身の回りで次々に起こる、身近な友人知人がまきこまれていく殺人事件。僕の成長と共に、失ってはならない女性、ユミヨシさんの手を放してはならないことを悟り、勇気をもって共に生きる道を選ぶすがすがしい恋愛小説になっています。 とても幻想的でありながら、村上春樹の小説は不思議なリアリティがあることに驚かされるばかり。ミステリーのようでいて、ナイーブな恋愛世界であり、洗練された都会的な状況設定の中で展開されていく物語には、読み進むにつけて目が離せなくなります。ベストセラー物に興味のないという人も、作家の力量と世界観には知らず知らずトリコになってしまうことでしょう。私もその一人で、ほんとうに脱帽です。 | ||||
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1:ビジネス書として。 上巻の最初の部分にプロフェッショナリズムに 基づく仕事の方法論が簡潔に述べられている。 2:世代論として。 1940年前後生まれの牧村、1950年前後生まれの「僕」と 五反田君、1960年前後生まれのユミヨシさん、1970年前後生まれの ユキ。アメは恐らく1945年前後生まれだろう。戦後日本人の精神史を 横列配置した群像劇とも読める。 3:時代小説風ファンタジーとして。 1983年3月から数ヶ月間が舞台だが、発行は1988年の秋。 執筆は1987年以降だろう。80年代前半のバブル期以前と 80年代後半のバブル期がない交ぜになって、あの時代を リアルタイムで知る者には、フィクション特有のタイムラグが 楽しめる。 4:天才論として。 アメの生き方について非常に洞察に富んだ記述が多い。マグダウエルと カツマヨさんの『天才!』の様な「ジャーナリスティックなよみもの」よりも もっと、ずっと本質的な天才性の把握。 5:現代史再考の資料として。 「高度資本主義」は単なる土地転がしと会計上のトリックを 扱っているだけで、昨今の様な「高度金融資本主義」を扱って いる訳では無い。「地本主義」しか選択肢が無かった時代と 「金融」と言う別の選択肢が出来た四半世紀後の現在を 対比的に考える切っ掛けともなる作品。 | ||||
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世界は目的に縛られている 学校、仕事、ある種の人間関係・・・ 生活のあらゆるところに目的がはびこり、もしかしたらある人は窮屈に思うかもしれない。 そんな目的から逃げ出したくて人は不合理なことを始めるのだろう。 その気持ちはあるときは芸術の形であったり、あるときは殺人であったり、突き詰めれば宗教だってそんなもののひとつかもしれない・・・ でもそのような無目的なことは非常にもろく、ときに他人だけでなく自分をさえ傷つけるのだろう 結局静かに生きていくためには運命に従って流れに身を任せて生きていかなくてはならないのである。 ――だから踊るんだよ。音楽の続く限り | ||||
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20年ぶりに読んだ。きっかけは「謎とき村上春樹」。 20年前読んだ時は村上春樹の中でも「ダンス・ダンス・ダンス」が一番面白かった。「ノルウェーの森」が映画化されるという話があるが、「ダンス・ダンス・ダンス」の方が、映画的な感じがするように思われた。 で、今回読んでみて、20年前より注意深く読んだつもりだが、読み物として面白い分、逆にメッセージがダイレクトに届いて来ない気がした。 いや、いろいろなメッセージがちりばめられているが、「僕」が前の3作よりも軽やかで、その分、前の3作に共感した人も「ダンス・・・」に対しては共感が薄くなるかもしれない。 村上春樹がこんなにも売れた理由と言うのは何なのか、私が考えるのは、読んでいると、「この主人公の気持ち私(だけ)はわかる」とかみんな思うのではないだろうかということ。「村上春樹の小説は私(だけ)はわかる」というような読者の気持ちをくすぐるのでは。 それだけ多くの人が、誰にも言えないけどコミュニケーションに苦労して、苦しんでいて、自分だけ苦しんでいるように思っているんだけど、実は苦しんでいるようには見えない周りの人達も同じように苦しんでいる。その苦しみを共有できない。そんな人達がみんな村上春樹に魅かれる。そんな構図があるのではないだろうか。 村上春樹の小説の大きなテーマとして、そのコミュニケーション、もっと広く言えば言語というものがあげられると思うが、構造言語学の思想にも通ずるものがあるように思う。 「ねじまき鳥・・・」あたりからとっつきにくくなってくるので(エルサレム賞授賞式のスピーチで「壁抜け」の意味がわかった気がしたが)、やはり「風の歌・・・」から「ダンス・・・」までの4作品をおすすめしたい。なかでも「ダンス・・・」は読み物としては一番おもしろいと私は思う。 | ||||
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何回も読み返した。村上春樹の小説には数え切れないくらい女性が出てくるが、その中でもユキは一番魅力的だ。 | ||||
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大学4年生のときに、この本を手に取り、とても印象に残っていた。今、12年後改めて読み直すと、主人公の年齢と同じになっていた。自分がこの本にとても影響を受けていたことを再認識し、この小説の文体をまねして友人たちと話していたことが思い返された。今でも、この本は示唆に満ちていて、生きるためのコツをたくさん与えてくれる。すばらしい本だとおもう。 | ||||
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この下巻ですが、実際にこのあいだハワイ旅行に持って行って実地体験してきました。 ロイヤル・ハワイアン・ホテルのマイタイ・バーで飲むピナ・コラーダは最高です。 (ハレクラニ・ホテルでは、ピナはもうメニューになかったのが残念でした。) ユキ、そして僕と一緒にハワイに滞在している気持ちになりました。 13歳の、痛々しく繊細な美少女のユキと、失われた10代を追体験していく34歳の僕。。 正直、キキの行方やメイの殺人事件については小説的にそれほどいい筋だと思えないのですが、細部にこだわり、高度資本主義社会で生きていかなくてはならない都会人の姿に何よりも共感を覚えます。 五反田君がやはりひときわ光っています。僕の周りの人々が次々と死んでいくその喪失感は、『ノルウェイの森』に通じる哀しさがあります。 | ||||
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「ダンスダンスダンス」は「風の歌を聴け」から始まる、ぼく(主人公)が活躍する第4作品目です。(タイトルだけではシリーズ第何作目か分かりませんので始めて購入する方は注意が必要です。) 本作では、タイトルが現すように、主人公(ぼく)はかなり積極的な動きをする。北海道、ハワイなどでの生活、また深い謎を解くためにも時には攻撃的なコミュニケーションをとる。それらは、ダンスを踊り続けるという羊男からのアドバイスにもよるのだろうが、ストーリーも奇想天外でこれまでの作品以上に奇想天外で楽しい。 個人的には、4作品の中で一番面白く読みました。 | ||||
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鼠3部作の続編 久しぶりに読み返してみましたが、とても村上春樹さんらしい、もっとも村上春樹ワールド(あちらの世界とこちらの世界という2つの世界が出てきたり、自身に非は無いものの巻き込まれる事や、様々に魅力的なキャラクターたちや、使用される楽曲の選曲の素晴らしさ、時々出てくる固有名詞を交えるのが絶妙な事とか、物語を終えた後の余韻の深さ等)な作品。恐らく、ほぼ全ての長編作品を読んでいますが、中でも、村上さん的に洗練されたというべき作品です。とても80年代的としか言いようの無い状況を的確に残す作品とも言えると思います。 中でも特筆すべき特徴として、〈鼠〉よりもあるいみ〈鼠〉らしい、あるいは〈僕〉より〈僕〉らしく高度資本主義社会に暮らす五反田君の存在がこの小説のその他と違うところだと思います。五反田君のセリフ一つ一つに頷けます。今はさらに時代が進んで、細かな、些細な部分にさらに無自覚になった(ならずにはいられないのか?)感じがしますが、その基本的方向性は今も同じです。 村上春樹を批判する事は容易な事ですが(その閉鎖性や、ニヒルさを批判される事がとても多いですが、キチンと読めば根本は違う事が理解されていないと思います、読みやすさは善き事と、私は考えます)、その考え方なり立ち位置には敬意を表して良いと考えます、ずっと村上春樹的ではいられませんけれど、通過すべき場所ではあると思います。 80年代が懐かしいな、と言う方にオススメ致します。 | ||||
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『ノルウェイの森』とほぼ同じ時期に書かれた作品ということですが、『ノルウェイの森』 とは対照的に、それほどの深刻さはなく、書きたいことを書きたいように書いているという 感じがしました。「スイミングスクールで鰐に食べられる」など、ジョークも冴えていて、 のびのびとしていて、僕にとってはとても好きな作品です。 しかし、高度資本主義社会で生活する我々の人生の意味やむなしさ、そのなかでの人との 関わりなどに関する重要な考察も見受けられます。読んでいて、なんだか親しい友人と 語っている気分になります。有名な文学作品にはない、この親近感が魅力的なのかもしれません。 | ||||
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『ねじまき鳥クロニクル』や『アフターダーク』で大きなモチーフとなる、(こちら側の世界)と(そちら側の世界)という、現実世界ともう一つ先のメタ次元の世界の表現が、本作に於いては微妙に顕現せられているのが印象的である。 高度資本主義社会にあって、文明の合理化ないし洗練化と共に、我々は様々なものを失い続ける訳であるけれども、それでも結局のところ、人は決して独りきりでは生きていけず、他人との繋がりを保ちながら、常に現実(こちら側の世界)で踊り続ける、すなわち現実と戦い続けるしかないのだ、というメッセージを受け取った。 取り敢えず氏の作品は、やはり読みやすい。リズムに乗ってポンポンと読めた。ノスタルジーに耽りすぎず、高度資本主義社会から逃避せずに生きていこう、ということが読み取れた訳だが、或いは氏のこういった平易で何処か計算書染みた文体自体が、高度資本主義社会の象徴でもあるのだろうか。合理化、洗練化、その中でもう一つ先の次元の世界を感じながら、何が起きても変ではないこの世界を生き延びていこう。 | ||||
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「僕」は「僕」のための不思議な部屋で6体の人骨を「キキ」によって見せられることになる。 この「ダンス・ダンス・ダンス」は展開も早く、二日で読んでしまった。僕は個人的に「ユキ」というキャラクターが好きで、特に「ユキ」と「僕」との歯切れのよいユーモアな会話が心地よかった。 話の終結に向かうにつれて、(もしかして、6体の人骨の残りの1体は「ユキ」なのだろうか・・・)と思いつつ、ドキドキ、はらはらしながら読ませてもらった。結局残りの1体が誰なのかはわからなかったが、また機会があったらじっくり読んで考えてみたいと思う。 これは「村上春樹」の処女作「風の歌を聴け」から続く四部作目(風の歌を聴け、1973年のピンボール、羊をめぐる冒険、ダンス・ダンス・ダンス)と聞く。 「ノルウェイの森」、「ねじまき鳥〜」、「世界の終わりと〜」なども読んだが、この「ダンス・ダンス・ダンス」はどの作品にも劣らないものだと思う。 是非続きを書いて欲しい作品だった。 | ||||
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初期三部作の続きで最後の作。もちろん 今後村上が更なる続編を作る可能性は排除しないが おそらく 作らないと思っている。 村上にしては珍しく後書で 本書の主人公は 「原則として」三部作と同人物であると言っている。逆に言うと そう言わないと それが分からない読者が多いのではという村上の懸念かもしれない。 それほど 前の三つの作品との断層があるのだと言う事なのだと思う。 この作品では村上はひたすら「死」を扱っている。出てくる登場人物達は 現実からのやり直しを求めながらも どうしようもなく死に取り付かれて死んでいく。 本書を書いていた頃の村上は 40歳程度で 欧州で「常駐的旅行者」という立場で 放浪していた頃だ。そんな疲れと影が どこか本書に漂っている気もしてならない。 本書は評価としては分かれているようだ。むしろ 元々の村上ファンからは 幾分かマイナス評価を得ている趣もある。確かに 話がきちんと完結しておらず 答えを出さないというスタイルが本書あたりから 村上には出てきたような気がする。その点で 読んでいてもどかしさがある。 但し 初期三部作、特に 始めの二作に見られた村上のスタイリッシュな軽さの中に おりのようによどんでいたものが はっきりと主張され始めたという点では貴重な一作だと僕は考えている。ストーリーテリングの冴えも申し分ないと思うからだ。 | ||||
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主人公の放浪癖が加速する。 暗い闇を旅するなかにも新たな出会いや思わぬ再会がある。 これまで主人公に感情移入してきた読者は、 おや、こいつ説教臭くなったぞ、30過ぎておじさんになったか?と 感じるかも。 *作品紹介には三部作とあるが2007年現在は四部作。 1.風の歌を聴け2.1973年のピンボール3.羊をめぐる冒険4.ダンス.ダンス.ダンス | ||||
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