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ダンス・ダンス・ダンス
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ダンス・ダンス・ダンスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.38pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全116件 61~80 4/6ページ
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1988年、私はまだ中学生でした。 そして高校生になって『ノルウェイの森』を読んだ後に、 この『ダンス ダンス ダンス』も読んでいたみたいです。 久しぶりにこの本を手にとって読んだことさえ忘れていました。 最初のうちは。 そしてある場面を読んで、唐突にこの本を読んだ時の記憶を思い出したのです。 悩んだりイライラしたり、永遠に続くように感じた閉塞感のある10代だった時には、 正直、この本が訴えかけるものにリアリティがなかったのです。 だから読んだことさえ忘れていたのです。 でも今40代になり、34歳の「僕」が感じる孤独や喪失感、そして時間の 流れや主体性というものがどれだけ脆く儚いかを 感じます。村上さんが紡ぎだす一つ一つの言葉が 自分の感情を揺さぶります。 村上さんの本を読むと、忘れていた自分に再会するような気がします。 さてそれとは別に、もしあの時代を知らない今の若い世代が 本書を読むとするならば、80年代後半の日本社会を知る 資料的な材料になることは間違いないでしょう。 当時の青山の紀伊国屋で買い物をしてローストビーフのサンドイッチを 作ったり、マセラッティを乗り回したり、港区のマンションに住むこと。 「僕」や「五反田くん」がうんざりしながらもその中で 欲望を解消するしかない時代。今の日本からは遠く隔たっています。 そこそこ金持ちが集まる私立高校でさえ、夏休みのバケーションに ハワイなどの海外に行く人はクラスで二人か三人でした。 それも開業医のお嬢さんなどひとかけらのひとたちです。 だから、「僕」や「五反田くん」がどんなに嫌悪したとしても、 その生活行為は圧倒的な優位さをもっていたのは確かなのです。 80年代を知らない世代がどんな風に読むのか 話してみたいです。 | ||||
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とりたてて長い付き合いというわけでもなく(率直にいうと短い)、深い信頼で 結ばれているかというと、そうでもない。しかし好意を抱いていたのであれば、 その浅深や大小には関係なく、やらなければならないことがある。決して相手の ためではなく、自分のために。たとえ後で裏切られることになったとしても。 | ||||
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大幅にスケールアップした傑作。すべてが解決したわけではなかった。大事なモノが 失われたままだった。それを探すために北海道を訪れ、巻き込まれるようにハワイを 経由したあと、事実を受け入れる。失ったものは二度と取り戻せない。失わないために 再び、北海道に向かう。過去に決別し、現在を護り、未来に一歩、足を踏み出すために。 | ||||
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印象的なセンテンス、ハッとさせられる形容詞が次々と現れます。 リズミカルな言葉を体の中に入れると自然に読み手は踊らされています。 村上氏の小説は、言葉のリズム感が気持ちよく読み始めるとなかなか本を閉じることができません。 自分の中のどこかに良い刺激を与えているのだと感じます。 『ダンス・ダンス・ダンス』と付けられたタイトルの意味が読み終えて納まりました。 体をくるくる回転させながら最初の位置に戻ってくる、ダンスのようです。 いるかホテルに旅の途中に帰って行ったキキ。 彼女を探し終えたとき、曲は止み『羊をめぐる冒険』が、ようやく終わるのです。 ある種の体験を比喩的に描いている、ような感じがしてなりません。 | ||||
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面白い小説です。 『羊をめぐる冒険』の続編であることが冒頭で示されています。 『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』は3部作とされていますが、2作目以降、読み始めて暫くして、あれっという感じで繋がりが見えてくる構成でした。 『ダンス・ダンス・ダンス』は「羊をめぐる冒険」の後日談が綴られ、僕は34歳になっていることが語られていて、しばしば年齢の問題が登場します。 随分とはっきりした打ち出し方をしています。 上巻は、いるかホテルの夢告或いは啓示から冒険に続きがあることを感じ取ります。 普段の生活で、私達は様々な啓示(らしきもの)を受けます。 良い知らせや悪い知らせ。吉、凶。今日の運勢。正夢。偶然。 このスピりチュアルな現象も現実として存在しているのですが、私達暮らしている現実の中には含めていないのではないでしょうか。 村上氏は、啓示等を手掛かりに現実と妄想が一体化している捕らえようとしているように映ります。 主人公である僕は、様々な啓示を受け、それに突き動かされ、新たなサインを得ていきますが、様々なことが一度に起きて判別できない状態が続いています。 確かにぼんやりとではあるのですが、そういう状況に私たちは住んでいるのかもしれないと感じます。 一見非現実的な物語ですが、普段見逃している部分を指し示している作品のように思えます。 | ||||
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昔『ノルウェイの森』単行本の上巻が出た時、半分も読まないうちに村上春樹は心の動きがディープすぎて僕には合わないと投げ出しました。それからかなりの時は過ぎ、文庫本化されている本作を何気に本屋で買いました。選んだ理由は装丁のイラストがとても気に入ったからです。本作の先駆けとなる『羊をめぐる冒険』を読まずにいきなりこちらから読み始めましたが、すばらしい村上ワールドにすんなり入っていけました。それまで村上作品を構えて見てましたが小説の中に入るのはとても簡単なことだったんですね。いままで数年ごとに四回読み返しました。読み返すたびに新しいことや別のことを見つけます。(というかわかりました。)小説は変わらないのでたぶんその数年で自分が変わったんでしょうね。ほとんどの村上作品を読みましたがこのダンス・ダンス・ダンスが一番です。ユキを思い出す夏になると読みたくなる物語です。 | ||||
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村上作品の中で個人的に好きなのは、この一冊。 自分が悩んでいたことと一致したことと、舞台が札幌のため、臨場感があった。 羊男って、今の草食男子みたいだ。 主人公が出会う女の子や恋人が自分に似ていて気持ち悪かった。 物書きの苦悩もよく理解できたし、主人公の友達は、その後延々と村上作品で美男子として苦悩することになる。 札幌暮らししていると、ダンスダンスダンスの生活に似てしまう。まるで春樹に呪いをかけられたように。 春樹は、河合隼雄が気付いたように小説で夢を見てる。それも深層に入って、こちら側にリンクしてくるからやっかいだ。 言われなくても苦悩してるから、ほっといてくれと言いたくなるが、同じ感性だからつい読んでしまう。 これからは女子を殺さないようにね(^-^) | ||||
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「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」では、セックスと死に対して、どこか比喩的に、曖昧に描かれていましたが、この作品でははっきりと書かれています。 「風の歌を聴け」で、セックスシーンと死人が出ない鼠の小説を優れていると評価している主人公はこの作品中での殺人や愛する人とのセックスを中々認められません。 ユミヨシさんとの関係や五反田君の告白のシーンで主人公のとった態度にそれが表れています。 ハリウッド映画が示すように、殺人とセックスは最大の娯楽でもあります。しかし、村上春樹はそういう安易な娯楽を否定したかったのではないでしょうか?もしかしたら、小説のような虚構のなかでも意味なき殺人とセックスは罪だと考えているのかもしれません。 それでは何故、この作品で殺人とセックスが描かれているのか?それは前作の「羊をめぐる冒険」で殺人とセックスが出てこない小説を書きつづけてきた鼠が死んだからだと思います。 これはどういうことかというと、主人公は自分が小説の登場人物ということを意識的にしろ、無意識的にしろ気付いている、という視点からこの物語を眺めると理解できます。 鼠=僕=村上春樹という公式がどこまで正しいか、それが問題にはなってきますが、少なくとも小説に対してこの三者が同じ思いを抱いているとすれば、本当は殺人やセックスが出てくる小説(または世界)を拒否したい、けれども何らかの理由で書かざるを得ない、そういうジレンマが今作のテーマになっているのではないでしょうか?、 そして、その何らかの理由とは、その娯楽性から売れる作品を書くためであったり、人間の根本的な部分を描くためには避けては通れないことだったりするからだと思います。ごく簡単に言えば。 また、そういったことから戦うのではなくて、拒否と逃避をしながら主人公が流浪(ダンス)する様は少し滑稽ですが、草食系男子という言葉がある現代ではわりあい共感しやすいのではないでしょうか。 | ||||
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基本的に、このころまでの村上春樹の小説は死と向き合うことで成り立っている。 ノルウェイの森に見る「死は生の対極にあるのでなく、その一部である」という考え方がそれを端的に表していると思う。 「風の歌を聞け」「1973年のピンボール」とそれほど死を強く感じさせなかったこのシリーズであったが、親友「鼠」の死を語る「羊をめぐる冒険」ではその色合いがだいぶ変わってくる。静かな視点で死を見つめるようになる。 そして本作である。表紙のイラストに見るように、「僕」は影となる「死」と向き合って踊り続けなければならないらしい。 鼠の死、五反田君の死、キキの死、片手の詩人の死。そして、残された死体は一体だれなのか・・・。 現実世界の煩雑さと彼岸となるドルフィンホテルの静かさは対照的に描かれていく。 耐え難い死への引力の中、効果的に光るのがユキの存在感である。 1Q84のふかえりにしてもそうだが、村上はこうした霊感少女を非常に魅力的に書きあげる。 「僕」が生きること(ダンスすること)を選ぶ根底にはユキの存在が大きく関わっているのは言うまでもない。 ユミヨシさんがその代用として扱われているのがまたにくい。 たまにユミヨシさんの性格にユキが憑依しているような場面もあり、それはそれでミステリアス過ぎる。 とここまで書いたが、本書は大学時代、大好きで大好きで何度も読みふけった小説なので冷静な評価ができない。 私の青春の一部なのだ。ということで★5つ。 | ||||
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基本的に、このころまでの村上春樹の小説は死と向き合うことで成り立っている。 ノルウェイの森に見る「死は生の対極にあるのでなく、その一部である」という考え方がそれを端的に表していると思う。 「風の歌を聞け」「1973年のピンボール」とそれほど死を強く感じさせなかったこのシリーズであったが、親友「鼠」の死を語る「羊をめぐる冒険」ではその色合いがだいぶ変わってくる。静かな視点で死を見つめるようになる。 そして本作である。表紙のイラストに見るように、「僕」は影となる「死」と向き合って踊り続けなければならないらしい。 鼠の死、五反田君の死、キキの死、片手の詩人の死、そして、残された死体は一体だれなのか・・・。 現実世界の煩雑さと彼岸となるドルフィンホテルの静かさは対照的に描かれていく。 耐え難い死への引力の中、効果的に光るのがユキの存在感である。 1Q84のふかえりにしてもそうだが、村上はこうした霊感少女を非常に魅力的に書きあげる。 「僕」が生きること(ダンスすること)を選ぶ根底にはユキの存在が大きく関わっているのは言うまでもない。 ユミヨシさんがその代用として扱われているのがまたにくい。 たまにユミヨシさんの性格にユキが憑依しているような場面もあり、それはそれでミステリアス過ぎる。 とここまで書いたが、本書は大学時代、大好きで大好きで何度も読みふけった小説なので冷静な評価ができない。 私の青春の一部なのだ。ということで★5つ。 | ||||
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基本的に、このころまでの村上春樹の小説は死と向き合うことで成り立っている。 ノルウェイの森に見る「死は生の対極にあるのでなく、その一部である」という考え方がそれを端的に表していると思う。 「風の歌を聞け」「1973年のピンボール」とそれほど死を強く感じさせなかったこのシリーズであったが、親友「鼠」の死を語る「羊をめぐる冒険」ではその色合いがだいぶ変わってくる。静かな視点で死を見つめるようになる。 そして本作である。表紙のイラストに見るように、「僕」は影となる「死」と向き合って踊り続けなければならないらしい。 鼠の死、五反田君の死、キキの死、片手の詩人の死、そして、残された死体は一体だれなのか・・・。 現実世界の煩雑さと彼岸となるドルフィンホテルの静かさは対照的に描かれていく。 耐え難い死への引力の中、効果的に光るのがユキの存在感である。 1Q84のふかえりにしてもそうだが、村上はこうした霊感少女を非常に魅力的に書きあげる。 「僕」が生きること(ダンスすること)を選ぶ根底にはユキの存在が大きく関わっているのは言うまでもない。 ユミヨシさんがその代用として扱われているのがまたにくい。 たまにユミヨシさんの性格にユキが憑依しているような場面もあり、それはそれでミステリアス過ぎる。 とここまで書いたが、本書は大学時代、大好きで大好きで何度も読みふけった小説なので冷静な評価ができない。 私の青春の一部なのだ。ということで★5つ。 | ||||
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皆さん真面目なレビューをしているので、やや別の角度のレビューで参ります。 ストーリーも勿論、この作品は「文章そのもの」を楽しめる稀有な小説です。 村上春樹の小説を読んだことがある人ならお分かりかと思いますが 彼の小説には独特な言い回しやジョークが溢れています。 特に「ダンス・ダンス・ダンス」はこれが顕著で 随所で思わず笑ってしまいそうになります。 一番印象に残っているのが途中に出てくる僕と五反田君の会話です(滑稽さという観点で)。 詳しく書くとネタバレになってしまうのですが…。 「僕が寝たいのは女房だけだ」 「素晴らしい。神の言葉のようだ。記者会見を開いた方がいい」 こんな感じの会話があるんです。 この会話が面白いと思ったら、即買いです。絶対に損はしません。 | ||||
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村上春樹さんの作品を多く読んできましたが、これは、一番のお気に入りになりました。 ミステリーであり、社会派小説、青春小説であり、純愛小説、そして同時にエロ小説。 たまりません。 最初から最後まで楽しみました。止まりませんし、飽きませんでした。 最後の閉じ方も好きです。 | ||||
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村上春樹さんの作品を多く読んできましたが、これは、一番のお気に入りになりました。 ミステリーであり、社会派小説、青春小説であり、純愛小説、そして同時にエロ小説。 たまりません。 最初から最後まで楽しみました。止まりませんし、飽きませんでした。 最後の閉じ方も好きです。 | ||||
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この作品は大好きです。 村上作品独特のリズム感は相変わらず気持ちいいし、この作品は洗練とリラックス感があります。 「あんた幸せにはなれないかもしれないよ」 この本の中で一番好きなセリフです。 その後に、 「でも踊るんだよ、なるべく上手く」 と続きます。 (細かくは違うかもしれません) 静かな慢性的な絶望と、そこからの脱却(最後少し希望の光が射す)。 | ||||
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物語に、序破急は必ずしも、必要ない。 読中読後に、自身が内包されている世界の、時の刻み方、 密度といった基調が揺らぎさえすれば良い。 そんな、自身の感覚が澄む、少し憂鬱な気分を与えてくれるのは、 彼だけ。 | ||||
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いるかホテルの従業員用エレベータを16階で降りれば、そこは一転暗転 ブラック・アウトの世界、そこは「みんながここに含まれてしまう不思議な結び目の世界」「あちらの世界とこちらの世界を繋ぐ結び目、危険で通り抜けることすら怖ろしい結び目の世界」。 結び目をほどくために「僕」は嬉し恥ずかし13歳少女ユキをロリコンギリギリのテクニックを駆使して、二人で新しいダンスステップを見つける旅に出る、東京から札幌へ、札幌からハワイ・ワイキキへ。ワイキキでは昔の元カノ・キキに導かれてダウンタウンの不思議な部屋へ……ウキキキ。そこでめっけた6つの白骨は誰の白骨・・・・・・・ 「羊をめぐる冒険」の続編であり、羊男を訪れる真っ暗闇の探検は、ムラカミ文学屈指の「恐ろしさ・ミステリー」である。本当に怖いシーンが…… | ||||
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『羊をめぐる冒険』から四年、新たな冒険が始まる。 村上春樹の三部作、まだ続きがあったんだねぇ。 村上春樹が綴る観念的な表現と不思議な世界。 それは彼の真骨頂だが、こんなにも感情豊かに描いた作品が他にあっただろうか。 客観的な描写で淡々と進行する村上作品とはまた違った感覚を覚える。 「踊るんだよ。音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。」 「でも踊るしか無いんだよ。それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。」 「だから踊るんだよ。音楽の続く限り。」 「僕」の所属する二つの世界と、「僕」がこれまで失ってきた様々なモノ。そして新たな出会いと出来事。 これらがどのように繋がっていくのか。 刻まれ始めたステップは加速していく…。 | ||||
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本作品は1970年代を舞台に書かれたこれまでの3部作とは異なり、初めて時代が1980年代となる。 考え方のシステムが重要とされた1970年代。 何でも金で買え、考え方でさえも適当なのを買ってきて繋げばいいという高度資本主義社会である1980年代。 時代が変わり、人が変わりそして考え方が変わる。そんな1980年代の新しい価値観の中を生きる主人公の僕の姿は、今の時代を生きる我々にも切に訴えかけてくるものがあり、とても考えさせられた。 またそのエピソードの一つとして出てくる配電盤のくだりはたまらなく面白い。 話が進むにつれ、物語の主体は「死」が大きくなってくる。 「いつも死というものが僕の脇にいる」「死というもの通して世界と繋がっている」 ノルウェーの森とはまた違った物語を通して村上のもつ死生観が味わえる。 主人公の僕の踏むステップとともに展開するこの物語は十二分に読み応えがある素晴らしい作品だと思う。 | ||||
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登場人物が次々に亡くなる物語はいささか気鬱になります。主人公の周りからかつてのガールフレンド、知り合った外人、友だち等々。なんでこんなに亡くならねばならんのだろう思いながら読んでいるうちに物語の中へ引き込まれていくのです。「キキ」なんてヘンな名前だなぁ。魔女の宅急便だし(笑)。 | ||||
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