ノルウェイの森

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評判

ノルウェイの森の評価:

3.82/5点 レビュー 818件。 C ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.82pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全1,951件 661〜680 34/98ページ
No.1291
(2pt)

村上春樹ってこういう女性が好きなんだろうな

ノーベル賞の季節が来るたびに村上春樹を読んでみるかと思いつつ数年が過ぎたが、やっと一昨日に買って読んでみた。
大学時代にこんな彼女がいたら良かったなという程度のバカっぽい感想しか持てなかった。アニメのタッチの大人版という
感じだ。
裏表紙は「限りない喪失と再生を描」いているというが、筆者が好みの女性キャラを作って行ったマスターベーションを
活字にしたような印象だ。
「二人でのお葬式」の後、きっとするんだろうなと思っていたら、しっかりやったので笑ってしまった。
私の様に鈍感な人間には理解できない小説だ。なんでベストセラーなのかわからない。もう読まないかな、村上春樹は。
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.1290
(2pt)

村上春樹ってこういう女性が好きなんだろうな

ノーベル賞の季節が来るたびに村上春樹を読んでみるかと思いつつ数年が過ぎたが、やっと一昨日に買って読んでみた。
大学時代にこんな彼女がいたら良かったなという程度のバカっぽい感想しか持てなかった。アニメのタッチの大人版という
感じだ。
裏表紙は「限りない喪失と再生を描」いているというが、筆者が好みの女性キャラを作って行ったマスターベーションを
活字にしたような印象だ。
「二人でのお葬式」の後、きっとするんだろうなと思っていたら、しっかりやったので笑ってしまった。
私の様に鈍感な人間には理解できない小説だ。なんでベストセラーなのかわからない。もう読まないかな、村上春樹は。
ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫)より
4061848933
No.1289
(2pt)

村上春樹ってこういう女性が好きなんだろうな

ノーベル賞の季節が来るたびに村上春樹を読んでみるかと思いつつ数年が過ぎたが、やっと一昨日に買って読んでみた。
大学時代にこんな彼女がいたら良かったなという程度のバカっぽい感想しか持てなかった。アニメのタッチの大人版という
感じだ。
裏表紙は「限りない喪失と再生を描」いているというが、筆者が好みの女性キャラを作って行ったマスターベーションを
活字にしたような印象だ。
「二人でのお葬式」の後、きっとするんだろうなと思っていたら、しっかりやったので笑ってしまった。
私の様に鈍感な人間には理解できない小説だ。なんでベストセラーなのかわからない。もう読まないかな、村上春樹は。
ノルウェイの森(下) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(下)より
4062035162
No.1288
(1pt)

下品

話の内容としては面白かった。
ラストの衝撃もよかった。
が、登場人物で好きになれたのは一人もいない。
彼らはどんな話をしていても
最終的には下半身の話ばかりに帰結し、おっぱじめる。
愛する女性を思い出すにしても、その裸や性器をいじってもらったことばかりを思い出す。
これが現実味の追求なのか?
生憎自分には現実味が感じられなかった。

蛇足だがノルウェイはまったく関係なかった。
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.1287
(1pt)

下品

話の内容としては面白かった。
ラストの衝撃もよかった。
が、登場人物で好きになれたのは一人もいない。
彼らはどんな話をしていても
最終的には下半身の話ばかりに帰結し、おっぱじめる。
愛する女性を思い出すにしても、その裸や性器をいじってもらったことばかりを思い出す。
これが現実味の追求なのか?
生憎自分には現実味が感じられなかった。

蛇足だがノルウェイはまったく関係なかった。
ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫)より
4061848933
No.1286
(1pt)

下品

話の内容としては面白かった。
ラストの衝撃もよかった。
が、登場人物で好きになれたのは一人もいない。
彼らはどんな話をしていても
最終的には下半身の話ばかりに帰結し、おっぱじめる。
愛する女性を思い出すにしても、その裸や性器をいじってもらったことばかりを思い出す。
これが現実味の追求なのか?
生憎自分には現実味が感じられなかった。

蛇足だがノルウェイはまったく関係なかった。
ノルウェイの森(下) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(下)より
4062035162
No.1285
(4pt)

突撃隊やハツミさんみたいな人を大切にしたい

私はこの本を大学で知りました。
母が村上春樹さんの本を読んでおり、他の著書は実家の本棚にもありました。
なので自分で買いました。

人のことに興味をもたないし、自分の感情をみせないところが当時の自分に似ていました。
本心を隠して、ふわっとした言葉でまいたり、関係性の遠い人には聞かれたことに面倒くさいから嘘をついたりしていました。
優しいと期待され、わがまま、冷たいと言われ、もう多くの人から理解されなくてもいいやという生き方でした。
登場人物と共感するところがありました。

死を選んだ直子もキズキも主人公にとっては、暗闇を一緒に歩いてきた自分の一部だと思いました。
”お前もこっちにこいよ。”とかいう友達ではないと思うし、幸せを確信し前を向いて生きてほしいです。
レイコさんとの最後の場面はあれでよかったのかな・・。
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.1284
(4pt)

突撃隊やハツミさんみたいな人を大切にしたい

私はこの本を大学で知りました。
母が村上春樹さんの本を読んでおり、他の著書は実家の本棚にもありました。
なので自分で買いました。

人のことに興味をもたないし、自分の感情をみせないところが当時の自分に似ていました。
本心を隠して、ふわっとした言葉でまいたり、関係性の遠い人には聞かれたことに面倒くさいから嘘をついたりしていました。
優しいと期待され、わがまま、冷たいと言われ、もう多くの人から理解されなくてもいいやという生き方でした。
登場人物と共感するところがありました。

死を選んだ直子もキズキも主人公にとっては、暗闇を一緒に歩いてきた自分の一部だと思いました。
”お前もこっちにこいよ。”とかいう友達ではないと思うし、幸せを確信し前を向いて生きてほしいです。
レイコさんとの最後の場面はあれでよかったのかな・・。
ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫)より
4061848933
No.1283
(4pt)

突撃隊やハツミさんみたいな人を大切にしたい

私はこの本を大学で知りました。
母が村上春樹さんの本を読んでおり、他の著書は実家の本棚にもありました。
なので自分で買いました。

人のことに興味をもたないし、自分の感情をみせないところが当時の自分に似ていました。
本心を隠して、ふわっとした言葉でまいたり、関係性の遠い人には聞かれたことに面倒くさいから嘘をついたりしていました。
優しいと期待され、わがまま、冷たいと言われ、もう多くの人から理解されなくてもいいやという生き方でした。
登場人物と共感するところがありました。

死を選んだ直子もキズキも主人公にとっては、暗闇を一緒に歩いてきた自分の一部だと思いました。
”お前もこっちにこいよ。”とかいう友達ではないと思うし、幸せを確信し前を向いて生きてほしいです。
レイコさんとの最後の場面はあれでよかったのかな・・。
ノルウェイの森(下) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(下)より
4062035162
No.1282
(5pt)

美しく悲しい愛という名の不毛なるもの

ヘンリー・マンシーニのディア・ハートの美しいギターの調べ…そしてノルウェイの森。ある共通の大事な友人の悲しい幕引きの後のささやかな生の証。大事な人の死がこんなに生の営みを照らし出すものであろうか。直子の死が語られた最後の美しい場面である。
残されたトオルとレイコさんという二人はその生き方の不器用さがとても似ているような気がする。この小説に登場する人間は概して生のエネルギーが希薄な儚い存在の人間が多い。その中でこの二人が生き残ったことはある意味神聖な意味を持つのではないかと思う。作者にとっても恐らく特別な存在に違いない。作品で語られる時代、それは日本人が馬車馬のように働いてその中に感傷の余地など無かったいわば、生のエネルギーで充満していた時代である。何故この時代に彼らは希薄な存在なのか、それはこれから数十年後に到来する負のエネルギーの充満するこの時代への予告めいている。

かなり遡るが例えば漱石の一群の作品においてもそういう生きることの辛さを語るものが多い。あの今に比べようも無いほど貧しいあの時代にあっては生きることの辛さを語ることはいわばごく一部の特権的な階級のいわば贅沢病とみなされたのであろう。しかし漱石の小説のネガティヴさはやはりその対照となる生のエネルギーをとても美しく赤々と照らし出す。例えば「それから」の代助が前者の代表であり、「明暗」のお延や清子、「虞美人草」の藤尾などが後者の代表である。

転じて村上春樹の上記小説に戻ると、彼らの対照として生のエネルギーに満ち溢れた緑というとても強い女性の存在がある。
「どれくらい好き?」
「春の熊ぐらい好きだよ。」
これほどcute で、jealousな言葉を掛けられる相手が恋人であることが、どれほど生きている意味を感じられることか。これほど直球で胸を焦がす台詞を私はあまり知らない。確かに多少sillyではあるかもしれない。しかしこれほど無邪気に無防備な言葉を掛けられること、それがすなわち恋人であるということの証ではないだろうか。
では直子という存在は一体どのようなものだろうか。それが今という時代を予言した存在であることは想像に難くない。生き難い世の中に自分の存在できる場所を求めてさまようのである。結局彼女は普通の日常生活のそれを見出せなくなってしまったのだ。そして精神療養に生きる場所を求める。

一体いつから日本という国は生き辛い国になってしまったのだろうか? 年も若い者たちが負のエネルギーに満ち溢れ、現世的な欲求をなくし、隠棲状態になっている現実もあるのだ。直子は何度も繰り返しトオルにいう。私が重荷ならば私のことは気にしないでと。それに対してトオルは気丈に君が重荷とは思わないと力強く答えるのである。しかし彼女の重荷から解放された現在、トオルは彼女の「私がこの世に存在したことを確かに覚えていて欲しい」という悲痛な叫びも忘却の彼方へと流し込んでいるのである。
果たしてトオルは直子のことを愛していたのだろうか、直子はトオルのことを愛していたのだろうか…。直子という存在は私の考えではキヅキという直子のボーイフレンドとともにいわば生きながらの幽霊のような存在で、愛を与えたり、受けたりする積極的な存在というものではない。なぜなら直子がトオルにこの世に存在したこといることを覚えていて欲しいというのは、とても痛切な言葉だが、彼女が生身の人間であるならば、逆にこれほどその喪失感がこれほどまでに美しく語られることはないと私は思うのだ。喪失によって存在感が逆に大きくなっているのだ。

彼女のPale Shadowは間違いなくトオルの人生に大きく影を落とし存在し続けるであろう。そして読者である私たちにもそうである。直子への不毛な愛。それは限りなく美しい。ある意味ではそれは最も純粋な愛であるからだ。トオルもそれが分かっていた。彼女が彼のことを愛することはできないと言うことを知っているのだから…。
この小説が数十年も愛される意味、それは純粋な愛というものは結局不毛であるということを教えてくれるからだと思う。それゆえ美しく、この上なく胸を打つのではないだろうか。そして聖なるものであることを…。そうちょうど愛することを禁じられた天上の女神を愛した地の民のように…。
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.1281
(5pt)

美しく悲しい愛という名の不毛なるもの

ヘンリー・マンシーニのディア・ハートの美しいギターの調べ…そしてノルウェイの森。ある共通の大事な友人の悲しい幕引きの後のささやかな生の証。大事な人の死がこんなに生の営みを照らし出すものであろうか。直子の死が語られた最後の美しい場面である。
残されたトオルとレイコさんという二人はその生き方の不器用さがとても似ているような気がする。この小説に登場する人間は概して生のエネルギーが希薄な儚い存在の人間が多い。その中でこの二人が生き残ったことはある意味神聖な意味を持つのではないかと思う。作者にとっても恐らく特別な存在に違いない。作品で語られる時代、それは日本人が馬車馬のように働いてその中に感傷の余地など無かったいわば、生のエネルギーで充満していた時代である。何故この時代に彼らは希薄な存在なのか、それはこれから数十年後に到来する負のエネルギーの充満するこの時代への予告めいている。

かなり遡るが例えば漱石の一群の作品においてもそういう生きることの辛さを語るものが多い。あの今に比べようも無いほど貧しいあの時代にあっては生きることの辛さを語ることはいわばごく一部の特権的な階級のいわば贅沢病とみなされたのであろう。しかし漱石の小説のネガティヴさはやはりその対照となる生のエネルギーをとても美しく赤々と照らし出す。例えば「それから」の代助が前者の代表であり、「明暗」のお延や清子、「虞美人草」の藤尾などが後者の代表である。

転じて村上春樹の上記小説に戻ると、彼らの対照として生のエネルギーに満ち溢れた緑というとても強い女性の存在がある。
「どれくらい好き?」
「春の熊ぐらい好きだよ。」
これほどcute で、jealousな言葉を掛けられる相手が恋人であることが、どれほど生きている意味を感じられることか。これほど直球で胸を焦がす台詞を私はあまり知らない。確かに多少sillyではあるかもしれない。しかしこれほど無邪気に無防備な言葉を掛けられること、それがすなわち恋人であるということの証ではないだろうか。
では直子という存在は一体どのようなものだろうか。それが今という時代を予言した存在であることは想像に難くない。生き難い世の中に自分の存在できる場所を求めてさまようのである。結局彼女は普通の日常生活のそれを見出せなくなってしまったのだ。そして精神療養に生きる場所を求める。

一体いつから日本という国は生き辛い国になってしまったのだろうか? 年も若い者たちが負のエネルギーに満ち溢れ、現世的な欲求をなくし、隠棲状態になっている現実もあるのだ。直子は何度も繰り返しトオルにいう。私が重荷ならば私のことは気にしないでと。それに対してトオルは気丈に君が重荷とは思わないと力強く答えるのである。しかし彼女の重荷から解放された現在、トオルは彼女の「私がこの世に存在したことを確かに覚えていて欲しい」という悲痛な叫びも忘却の彼方へと流し込んでいるのである。
果たしてトオルは直子のことを愛していたのだろうか、直子はトオルのことを愛していたのだろうか…。直子という存在は私の考えではキヅキという直子のボーイフレンドとともにいわば生きながらの幽霊のような存在で、愛を与えたり、受けたりする積極的な存在というものではない。なぜなら直子がトオルにこの世に存在したこといることを覚えていて欲しいというのは、とても痛切な言葉だが、彼女が生身の人間であるならば、逆にこれほどその喪失感がこれほどまでに美しく語られることはないと私は思うのだ。喪失によって存在感が逆に大きくなっているのだ。

彼女のPale Shadowは間違いなくトオルの人生に大きく影を落とし存在し続けるであろう。そして読者である私たちにもそうである。直子への不毛な愛。それは限りなく美しい。ある意味ではそれは最も純粋な愛であるからだ。トオルもそれが分かっていた。彼女が彼のことを愛することはできないと言うことを知っているのだから…。
この小説が数十年も愛される意味、それは純粋な愛というものは結局不毛であるということを教えてくれるからだと思う。それゆえ美しく、この上なく胸を打つのではないだろうか。そして聖なるものであることを…。そうちょうど愛することを禁じられた天上の女神を愛した地の民のように…。
ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈下〉 (講談社文庫)より
4061848933
No.1280
(5pt)

美しく悲しい愛という名の不毛なるもの

ヘンリー・マンシーニのディア・ハートの美しいギターの調べ…そしてノルウェイの森。ある共通の大事な友人の悲しい幕引きの後のささやかな生の証。大事な人の死がこんなに生の営みを照らし出すものであろうか。直子の死が語られた最後の美しい場面である。
残されたトオルとレイコさんという二人はその生き方の不器用さがとても似ているような気がする。この小説に登場する人間は概して生のエネルギーが希薄な儚い存在の人間が多い。その中でこの二人が生き残ったことはある意味神聖な意味を持つのではないかと思う。作者にとっても恐らく特別な存在に違いない。作品で語られる時代、それは日本人が馬車馬のように働いてその中に感傷の余地など無かったいわば、生のエネルギーで充満していた時代である。何故この時代に彼らは希薄な存在なのか、それはこれから数十年後に到来する負のエネルギーの充満するこの時代への予告めいている。

かなり遡るが例えば漱石の一群の作品においてもそういう生きることの辛さを語るものが多い。あの今に比べようも無いほど貧しいあの時代にあっては生きることの辛さを語ることはいわばごく一部の特権的な階級のいわば贅沢病とみなされたのであろう。しかし漱石の小説のネガティヴさはやはりその対照となる生のエネルギーをとても美しく赤々と照らし出す。例えば「それから」の代助が前者の代表であり、「明暗」のお延や清子、「虞美人草」の藤尾などが後者の代表である。

転じて村上春樹の上記小説に戻ると、彼らの対照として生のエネルギーに満ち溢れた緑というとても強い女性の存在がある。
「どれくらい好き?」
「春の熊ぐらい好きだよ。」
これほどcute で、jealousな言葉を掛けられる相手が恋人であることが、どれほど生きている意味を感じられることか。これほど直球で胸を焦がす台詞を私はあまり知らない。確かに多少sillyではあるかもしれない。しかしこれほど無邪気に無防備な言葉を掛けられること、それがすなわち恋人であるということの証ではないだろうか。
では直子という存在は一体どのようなものだろうか。それが今という時代を予言した存在であることは想像に難くない。生き難い世の中に自分の存在できる場所を求めてさまようのである。結局彼女は普通の日常生活のそれを見出せなくなってしまったのだ。そして精神療養に生きる場所を求める。

一体いつから日本という国は生き辛い国になってしまったのだろうか? 年も若い者たちが負のエネルギーに満ち溢れ、現世的な欲求をなくし、隠棲状態になっている現実もあるのだ。直子は何度も繰り返しトオルにいう。私が重荷ならば私のことは気にしないでと。それに対してトオルは気丈に君が重荷とは思わないと力強く答えるのである。しかし彼女の重荷から解放された現在、トオルは彼女の「私がこの世に存在したことを確かに覚えていて欲しい」という悲痛な叫びも忘却の彼方へと流し込んでいるのである。
果たしてトオルは直子のことを愛していたのだろうか、直子はトオルのことを愛していたのだろうか…。直子という存在は私の考えではキヅキという直子のボーイフレンドとともにいわば生きながらの幽霊のような存在で、愛を与えたり、受けたりする積極的な存在というものではない。なぜなら直子がトオルにこの世に存在したこといることを覚えていて欲しいというのは、とても痛切な言葉だが、彼女が生身の人間であるならば、逆にこれほどその喪失感がこれほどまでに美しく語られることはないと私は思うのだ。喪失によって存在感が逆に大きくなっているのだ。

彼女のPale Shadowは間違いなくトオルの人生に大きく影を落とし存在し続けるであろう。そして読者である私たちにもそうである。直子への不毛な愛。それは限りなく美しい。ある意味ではそれは最も純粋な愛であるからだ。トオルもそれが分かっていた。彼女が彼のことを愛することはできないと言うことを知っているのだから…。
この小説が数十年も愛される意味、それは純粋な愛というものは結局不毛であるということを教えてくれるからだと思う。それゆえ美しく、この上なく胸を打つのではないだろうか。そして聖なるものであることを…。そうちょうど愛することを禁じられた天上の女神を愛した地の民のように…。
ノルウェイの森(下) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(下)より
4062035162
No.1279
(1pt)

村上春樹お得意の短編の改悪

※注意! 若干のネタばれあり

ノルウェイの森は村上春樹自身の短編小説「蛍」をベースにして書かれた小説だ。
はっきり言おう。ノルウェイの森は「蛍」とは比べようもない駄作である。

たとえば、「蛍」でも主人公はノルウェイの森と同じように同居人(突撃隊)のことをバカにしているが、
全編を通しての視点が俯瞰的に表現されているため、それほど嫌味な印象を読者に与えない。
それどころか同居人が短編「蛍」において主人公に渡した蛍は、喪失に満ちた物語をともす一筋の光として機能している。

一方ノルウェイの森では突撃隊はただの哀れな道化にすぎず、
ワタナベの直子への話のネタ以上の存在ではない。

上に一例をあげたが、簡潔にノルウェイの森の欠点を述べれば、登場人物が物語の構成にまったく機能していないことにある。
それもそのはずだ。このノルウェイの森という小説は、単に「蛍」という完成された短編を引き延ばしたにすぎないのだから。

さらに言うなら、永沢の彼女であるハツミさんは死ななければならなかったのか、なぜワタナベはレイコさんを抱いたのか
物語内でまったく言及されてない。もちろん動機はあったのかもしれない。だが、圧倒的に必然性が足りない。
だから読者は物語の中途で混乱することになる。

もちろん、その原因を作者ではなく読者に求めるべきだという意見もあるかもしれない。読解力が足りないあるいは想像力が
足りないからだと。だが、この作品において村上春樹はそのヒントさえ与えてはくれていない。明らかにノルウェイの森という
小説を組み上げるためのパーツが不足している。

村上春樹は長編小説を至上のものとして考えているようだ。だからこそ優れた短編を引き延ばしてまで長編を書こうとするのだろう。
(ちなみに短編を長編に仕立て上げるという方式はチャンドラーに拠っている。)
だが、お世辞にも私は村上春樹の長編小説を上手いとは思えない。長編になるにしたがって性描写や死人が多くなるのもそう思う
理由の一つだ。

鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンのないことと一人も人が死なないことだ。放っていても人は死ぬし、
女と寝る。そういうものだ。

これは村上春樹の処女作「風の歌を聴け」の中の一節である。当時大学生だった私はこの箇所を見て、心を震わされた。
そして二十代でこの文章を書いた若き村上春樹の意地と気概を感じた。

もちろん性や死の描写を書いてはいけないという極論を述べるつもりはない。だが、そこには読者を納得しうるだけの
必然性が伴わなければならない。そして残念ながら、このノルウェイの森という小説にはそれがすっぽりと抜け落ちている。

もしかすると、これから先作者自身から納得のいく説明が聞けるかもしれない。だがそれでも、説明しなければ納得できないという
時点で、ノルウェイの森という小説は物語として敗北しているのだ。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1278
(1pt)

村上春樹お得意の短編の改悪

※注意! 若干のネタばれあり

ノルウェイの森は村上春樹自身の短編小説「蛍」をベースにして書かれた小説だ。
はっきり言おう。ノルウェイの森は「蛍」とは比べようもない駄作である。

たとえば、「蛍」でも主人公はノルウェイの森と同じように同居人(突撃隊)のことをバカにしているが、
全編を通しての視点が俯瞰的に表現されているため、それほど嫌味な印象を読者に与えない。
それどころか同居人が短編「蛍」において主人公に渡した蛍は、喪失に満ちた物語をともす一筋の光として機能している。

一方ノルウェイの森では突撃隊はただの哀れな道化にすぎず、
ワタナベの直子への話のネタ以上の存在ではない。

上に一例をあげたが、簡潔にノルウェイの森の欠点を述べれば、登場人物が物語の構成にまったく機能していないことにある。
それもそのはずだ。このノルウェイの森という小説は、単に「蛍」という完成された短編を引き延ばしたにすぎないのだから。

さらに言うなら、永沢の彼女であるハツミさんは死ななければならなかったのか、なぜワタナベはレイコさんを抱いたのか
物語内でまったく言及されてない。もちろん動機はあったのかもしれない。だが、圧倒的に必然性が足りない。
だから読者は物語の中途で混乱することになる。

もちろん、その原因を作者ではなく読者に求めるべきだという意見もあるかもしれない。読解力が足りないあるいは想像力が
足りないからだと。だが、この作品において村上春樹はそのヒントさえ与えてはくれていない。明らかにノルウェイの森という
小説を組み上げるためのパーツが不足している。

村上春樹は長編小説を至上のものとして考えているようだ。だからこそ優れた短編を引き延ばしてまで長編を書こうとするのだろう。
(ちなみに短編を長編に仕立て上げるという方式はチャンドラーに拠っている。)
だが、お世辞にも私は村上春樹の長編小説を上手いとは思えない。長編になるにしたがって性描写や死人が多くなるのもそう思う
理由の一つだ。

鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンのないことと一人も人が死なないことだ。放っていても人は死ぬし、
女と寝る。そういうものだ。

これは村上春樹の処女作「風の歌を聴け」の中の一節である。当時大学生だった私はこの箇所を見て、心を震わされた。
そして二十代でこの文章を書いた若き村上春樹の意地と気概を感じた。

もちろん性や死の描写を書いてはいけないという極論を述べるつもりはない。だが、そこには読者を納得しうるだけの
必然性が伴わなければならない。そして残念ながら、このノルウェイの森という小説にはそれがすっぽりと抜け落ちている。

もしかすると、これから先作者自身から納得のいく説明が聞けるかもしれない。だがそれでも、説明しなければ納得できないという
時点で、ノルウェイの森という小説は物語として敗北しているのだ。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.1277
(1pt)

村上春樹お得意の短編の改悪

※注意! 若干のネタばれあり

ノルウェイの森は村上春樹自身の短編小説「蛍」をベースにして書かれた小説だ。
はっきり言おう。ノルウェイの森は「蛍」とは比べようもない駄作である。

たとえば、「蛍」でも主人公はノルウェイの森と同じように同居人(突撃隊)のことをバカにしているが、
全編を通しての視点が俯瞰的に表現されているため、それほど嫌味な印象を読者に与えない。
それどころか同居人が短編「蛍」において主人公に渡した蛍は、喪失に満ちた物語をともす一筋の光として機能している。

一方ノルウェイの森では突撃隊はただの哀れな道化にすぎず、
ワタナベの直子への話のネタ以上の存在ではない。

上に一例をあげたが、簡潔にノルウェイの森の欠点を述べれば、登場人物が物語の構成にまったく機能していないことにある。
それもそのはずだ。このノルウェイの森という小説は、単に「蛍」という完成された短編を引き延ばしたにすぎないのだから。

さらに言うなら、永沢の彼女であるハツミさんは死ななければならなかったのか、なぜワタナベはレイコさんを抱いたのか
物語内でまったく言及されてない。もちろん動機はあったのかもしれない。だが、圧倒的に必然性が足りない。
だから読者は物語の中途で混乱することになる。

もちろん、その原因を作者ではなく読者に求めるべきだという意見もあるかもしれない。読解力が足りないあるいは想像力が
足りないからだと。だが、この作品において村上春樹はそのヒントさえ与えてはくれていない。明らかにノルウェイの森という
小説を組み上げるためのパーツが不足している。

村上春樹は長編小説を至上のものとして考えているようだ。だからこそ優れた短編を引き延ばしてまで長編を書こうとするのだろう。
(ちなみに短編を長編に仕立て上げるという方式はチャンドラーに拠っている。)
だが、お世辞にも私は村上春樹の長編小説を上手いとは思えない。長編になるにしたがって性描写や死人が多くなるのもそう思う
理由の一つだ。

鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンのないことと一人も人が死なないことだ。放っていても人は死ぬし、
女と寝る。そういうものだ。

これは村上春樹の処女作「風の歌を聴け」の中の一節である。当時大学生だった私はこの箇所を見て、心を震わされた。
そして二十代でこの文章を書いた若き村上春樹の意地と気概を感じた。

もちろん性や死の描写を書いてはいけないという極論を述べるつもりはない。だが、そこには読者を納得しうるだけの
必然性が伴わなければならない。そして残念ながら、このノルウェイの森という小説にはそれがすっぽりと抜け落ちている。

もしかすると、これから先作者自身から納得のいく説明が聞けるかもしれない。だがそれでも、説明しなければ納得できないという
時点で、ノルウェイの森という小説は物語として敗北しているのだ。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1276
(1pt)

まわりくどい言い回しが腹立つ

表現がいちいちまわりくどくて何が言いたいのかわからなくなります。イライラします。
眠れない夜にこれを読むと必ず眠れます。がんばっても最後まで読めず断念。
どこがおもしろいのか教えてほしいです。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681
No.1275
(1pt)

まわりくどい言い回しが腹立つ

表現がいちいちまわりくどくて何が言いたいのかわからなくなります。イライラします。
眠れない夜にこれを読むと必ず眠れます。がんばっても最後まで読めず断念。
どこがおもしろいのか教えてほしいです。
ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森〈上〉 (講談社文庫)より
4061848925
No.1274
(1pt)

まわりくどい言い回しが腹立つ

表現がいちいちまわりくどくて何が言いたいのかわからなくなります。イライラします。
眠れない夜にこれを読むと必ず眠れます。がんばっても最後まで読めず断念。
どこがおもしろいのか教えてほしいです。
ノルウェイの森(上) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森(上)より
4062035154
No.1273
(5pt)

ノルウェイの森下巻です

母にプレゼントとして買ったのですが私は読んではいません。
母が一度村上春樹さんの本を読んでみたいといっていたので買いました。
物語は面白いと母に好評でした。
ノルウェイの森 下 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 下 (講談社文庫)より
406274869X
No.1272
(5pt)

ノルウェイの森上巻です。

母にプレゼントとして買ったのですが、私は読んではいません。
母が一度村上春樹さんの本を読んでみたいといっていたので買いました。
物語は面白いと母には好評でした。
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ノルウェイの森 上 (講談社文庫)より
4062748681