■スポンサードリンク
季節のない街
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
季節のない街の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.55pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全51件 21~40 2/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
山本周五郎の作品は、いままで読んだことがない。 「樅の木は残った」の作者だとは分かっていたが、山本周五郎には歴史小説家のイメージがあり特別、読もうとは思っていなかった。 この「季節のない街」を読み終えて歴史小説家の思い込みは間違っていた。 人間の内面性を実に面白く表現している。 笑える性格の人々が大勢出てくるが皆、心の持ち方がぶれていない。貧しくても、そのような人間でありたい気持ちになってくる。皆、心が綺麗である。 先入観で、作家のジャンルを決めつけてはならない思いをさせられた1冊であった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
“風の吹溜まりに塵芥が集まるようにできた貧民街"で懸命に生きようとする庶民の人生。――そこではいつもぎりぎりの生活に追われているために、虚飾で人の眼をくらましたり自分を偽ったりする暇も金もなく、ありのままの自分をさらけだすしかない。そんな街の人びとにほんとうの人間らしさを感じた著者が、さまざまなエピソードの断面のなかに深い人生の実相を捉えた異色作。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
しみじみとした 下町の日常が目に浮かび その状況に身を置く居た堪れない景色が 何処かで見た様な切なさ 胸の苦しさ その世界観が 堪りません | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
山本周五郎氏は、あとがきで本書に登場する人物や話は実際に氏が見たり聞いたりした物だと書いている。虚栄や嫉妬や誹謗など渦巻く生活よりも彼らの中で生活出来たらどれほど人世を楽しく送れるだろうかと思う。 「街へゆく電車」 運転手の六ちゃんは精進揚げの天ぷら屋の息子で、母親のおくにと暮らしていた。六ちゃんの日課は電車を「街」まで運転していく事だった。でも、それは架空の物で電車もレールも無く六ちゃんは擬音を発し運転の真似事をしていた。人は六ちゃんの事を「電車ばか」と呼んだ。おくには毎朝晩そんな六ちゃんの事を心配し、お祖様に御利益や奇蹟を求め御題目を唱えていた。そうとは知らない六ちゃん、母親の息子を思う気持ちが十分に表れている。 「僕のワイフ」 島さんは左の足が短く歩く時に跛になった。また持病があり顔面神経痙攣で時々、肝心な時にその顔面の痙攣が起きた。島さんの妻は、尊大で人を見下し小意地の悪い顔つきをして吝嗇で夫を立てる事もしなかった。「街」の人には好かれなかった。ある日、島さんは井河君、野本君、松井君を自宅に呼び酒を振る舞った。だが島さんの妻はいつもの通り不愛想で島さんを見下し、相手もしない。見かねた野本君がとうとう怒りだした。でも夫婦の仲は本人達同士でないと分からないものだ。他人は口など出さないものだと言う事を改めて教えてくれる。 「半助と猫」 半助は猫のトラと一緒に住んでいた。半助はいつも、びくびく暮らしていた。誰かに殴られるのを恐れている様な卑屈で、おどおどした眼つきをしていた。人は指名手配されている人間の様だと噂した。一方トラはボスのナンバーワンで外へ出たら悠々歩くし、犬がちょっかいを出しても犬の耳を食い千切るほどだった。また、馴染みの天ぷら屋に行けば心得たもので主人も荒らされては困るもので黙って幾つかの天ぷらを与えるほどだった。半助と猫のトラの対照的な姿が微笑ましい。 「親おもい」 岡田辰弥は両親と暮らしていた。兄がいたが辰弥が2才の時に家を出ていったしまった。辰弥は給仕として新聞社に勤めていた。「河馬」と言うあだ名の部長がいて辰弥を贔屓してくれ割の良い仕事に就けてくれた。仕事も頑張ったが少しゆとりが出来ると預金に回した。なんとかこの「街」から抜け出し母をもっと良い処へ連れて行く資金のつもりだった。そんな時突然兄が帰ってきた。特攻崩れの様な怖い顔をしていたが母には優しい言葉をかけ慰め、金を無心した。その後、何度も来ては母を慰め労り金の都合がつくと又何処かへ行ってしまう。兄弟二人の母に対する思いやりの違いは何だったのだろうか、真実の思いやりはどちらだったか。母の最後のセリフは哀しくさせられる。 「牧歌調」 増田益夫は32才、妻の勝子は29才。河口初太郎は30才、妻の良江は25才だった。増田と河口は日雇い人夫で出掛ける時はいつも一緒だった。仕事もなるべく同じ現場で働いた。10月末の或る夜の9時頃に酔った増田益夫が河口夫妻の家へ行き3人で飲み始める。ここから奇妙な2組の夫婦関係が始まるのだが、あまり文章にしない方が良いと思うのでこの辺で??? 「プールのある家」 貧困に苦しむ父息子が「街」を歩きながら何か話をしている。それは、どんな立派な家を建てようか、と言う父親の計画だった。犬小屋の様な家に住み、息子は夜の10時を過ぎると柳横丁へ出掛け、すし屋、おでん屋、小料理屋などを訪れ残飯をねだる、そんな暮らしぶりの親子の会話だった。ある夜、残飯が腐っていたのか二人は激しく体調を崩してしまう。父親の空想の新築計画に唯一息子が望んだのが金でも贅沢でも人並みの暮らしでも無く、プールを作りたいと言う事だった。貧困からくる父親の茫漠とした無力感が表れていた、とても痛々しい。 「箱入り娘」 高名な親分「築正」一家の身内でプロの博打うちの徳さんが、とうとう結婚した。歳は18、名はくに子、1メートル50センチ位の背丈で器量良しだった。徳さんも箱入り娘と自慢した。この街のかみさん達は、そんな筈は無い、きっと何処かのインチキバーの女給か小料理屋からでも貰ってきたんだろうとバカにした。数日後徳さんは、たんば老人に悩みを打ち明ける。それは営みの最中、これからと言う時に決まっておくには何かを話出すらしい。徳さんは萎えてしまい困ってしまう。箱入りどころかプロの技だ!さすがプロ同士、面白おかしい。 「枯れた木」 平さんは独り者でマットレスを作って売る商売をしていた。廃品業者からボロ布を買って即席の竈で石油缶に煮詰めて陽に干し乾かした物を編み、風呂場の足拭きとか火鉢の下敷き等を作った。そこへ五十がらみの小柄な女が表れ平さんの小屋へ住み着く様になる。平さんは女など目に入らず、居もしない様に平然と相手にもしない。何年経っても許せなかったんだな!平さんは。 「ビスマルクいわく」 憂国塾塾長の寒藤清郷の元へ八田忠晴と言う一人の青年が塾生になりたいと訪れてきた。寒藤は精神修養のためと称し食事の支度、清掃、買い出し、使い走り、雑用などの日課を与えた。憂国塾では国家の伝統を守ろうとする立脚点に立った議論をするが、寒藤の話は一方的な主張で、恐ろしく飛躍的であり信じがたいほど独創的だった。寒藤の講和に大人しく耳を傾けていた八田青年だったが、彼にとっては耐えがたい苦痛だった。師も師なら生徒も生徒だ、実に愉快。 「とうちゃん」 沢上良太郎には五人の子供がいた。太郎、次郎、花子、四朗、梅子。ほとんど年子で太郎は10才だった。良太郎は腕の良い刷毛作り(ヘアーブラシ)の職人で品質が良く問屋にも信用が有った。妻のみさおは、どちらかと言うと放埓で長屋の者は、皆、五人の子供の父親は別人だと平気で言った。そんな事を聞かされた太郎は、ひどく傷つき、悲しむ。ある日たまりかねて良太郎に問いかける。が、良太郎の答えは人間の生誕を神秘的に語ったもので、知っている様で誰もが知る事が出来ない事だった。良作です。 「がんもどき」 かつ子は15才だったが、他の年頃の少女に比べると肉付きも悪く、器量も悪かった。街の者から、がんもどきとあだ名されるほどだった。かつ子は伯父の綿中京太とおたね夫妻に育てられ三人で暮らしていた。かつ子は例をみないほどの働き者で叔母と二人で内職仕事に励んだ。そんな時、叔母のおたねが産婦人科に属する腫瘍の病気で三週間ほど入院をすることになってしまった。伯父の綿中京太との生活が始まるが、それは恐ろしい事を引き起こした。悲しくて辛い話でした。 「ちょろ」 土川春彦は五年ほど前に、この街に来た。その時37才だと言っていたが今でも何才だか分からないし、妻も何人いたのかも分からないと言っていた。彼はいつも大きな事業の計画を練り、いくつもの大事業の考えが頭の中にすし詰めになっていた。世話人も常に置いており、ばん君で何人目だったか、それも分からない。春彦は誇大な事業の妄想を話し、話しだすと止まらない。ばん君もヘトヘトになりながら聞いていた。春彦の考えた壮大な事業には笑わされてしまった。 「肇くんと光子」 福田肇は27才で某私立大学中退、現在は廃品の回収業の手伝いをしている。妻は光子と言って歳は23才らしいが近所のかみさん達は容姿も悪いし35才以下には見えないと言っていた。光子は肇君に甘ったるい声で話しかけるのが癖だった。そんな光子に、どうやらもう一つの癖、虚言癖が有るようだった。話せば話すほど、どんどん誇大していく作り話の数々を読んでいて可笑しくなってしまう。 「倹約について」 塩山慶三の一家は、妻るい、長女はる、次女ふき、三女とみの五人家族だった。長屋の住民には珍しく勤勉、倹約、質素、温順、清潔など美徳を具えた善良な住民だった。妻るいは、倹約に励み子供たちも内職の手伝いに精を出した。長屋住まいの者には滅多に無い事だが、珍しく預金もあり、それが皆から妬まれた。郵便局で一生懸命働いていた長女のはるが病に倒れた。一番大切なものを倹約してしまった、儚い話でした。 「たんばさん」 本書で度々登場するたんば老人の話。たんば老は彫金師で高級なコンパクト、帯留め、ペンダント等に彫金を施していた。出来上がるとお店へ持っていき、売れると代金を頂いていた。何か困った事、悩み事などがあれば長屋の者は、たんば老の部屋を訪れた。たんば老が難題をユーモアに又親身になって解決していく様は実にあっ晴れです。 以上15の短編ですが、これは山本周五郎氏が実際に接触した人物であったり出来事や情景などで、目で見、耳で聞いた総ざらえであると言っている。すべての根底には貧困が有り、日々の暮らしに追われながら過ごす人々のユニークであり儚く辛いながらも虚飾の無い生活が描かれた内容の濃い一冊でした! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
短編集はあまり好きじゃない。でも周五郎さんのは、時に強烈な言葉がある。 貧民街はどういうわけか自然とできる。そして、そこに住む人たちは、むき出しの人間を見せる。 そこは、余裕のある人びとが見栄を張ったり、着飾ったりする虚飾とは無縁の世界である。 しかし、だからこそ人間本来の姿を如実に映すのだ。 虚飾あふれる人生と、感情むき出しの哀愁漂うどこか滑稽な人生 僕なら後者を選びたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
貧しい街に住む、貧しい住人達のお話です。そこの暮らしから抜け出したくても抜け出せない住人や事情があって一時的にそこに暮らしている住人、あえてそこでの暮らしを選んでいる住人など背景は色々ですがそこの住人に一環していることは、他人の目を気にしているような余裕なんて無いほど、惨めだけど必死に毎日を暮らしている、ということです。 この本を読んだ後に元気がでるとか明るい前向きな気持ちになる、という事はありませんが、世の中不公平な事ばかりで人生何1つ思うように行かないけれども、それでもこの街の住人のようにご飯を食べて寝て起きて、そうやって毎日を暮らしていく(いくしかない)んだ、と改めて思い知らされる、そんな本です。そして、それこそが人生なのだと気づかされる本です。 Facebookやブログやなんだかんだで、他人の華やかさ(もしくは見栄)ばかりの見えてくるこんな時代だからこそ、私はこの本を読んで良かったと思いました。人にどう思われるか、を気にしてしまう若い世代の方にお勧めです。 それぞれ主人公の違った短編ですが、何年たっても心の中にぼんやりと残ってふっとしたときに、「こんな人の話、どっかで聞いたなぁ」と思い出しそうな話ばかりです。同じ街の住民の話なので意外なところでつながっていたり、後でまた別の話に出てきたりするところも面白かったです。 私は小説の最後の終わりの1段落に大きな衝撃を受けました。読み終わった今も、何度も何度もその1段落を読み返して心に染み込ませています。非常に人間くさい1冊でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大好きな作家です。 色々読みましたが、この作品は気が滅入ります。考えることが多く、記憶のふかーい所でずーっとおもーい何かが残ったままです。 この表紙を見かけるたびに読まなければよかった・・・と後悔しています。でも読んでおくべきだ!とも考えます。 昭和の子供時代、下町のどうにも貧困から抜け出せないでいた人たち(大人たち)を思いだし、子供ながらの 疑問が解けた思いでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
40年も前、学生のころ山本周五郎の作品をたくさん読みました。 「プールのある家」が心に刻まれて今でも気にかかっています。 思えば今の日本の姿のような気がしないでもありません。 山本周五郎は太宰治を評価していたようですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
旦那さんが、黒沢監督のどですかでんの話をしていたので、話について行こうと思い、調べてみたら山本周五郎先生の季節のない街が元になってるということで購入しました。昭和の貧しい時代背景の中で、満足な教育を受けることなくて、小さな世界で生きてく人々が描かれています。こんな世界があったって知らない年代の人もフィクションじゃなく、リアルにあったって知ってほしい一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
短編集で入りやすい。 ひとつひとつの物語はとても短いが、最終的にはそれぞれに違った衝撃を受けてしまう。 主にコミカルなキャスティングかと思いきや、時として恐ろしいほどのシリアスな状況に衝撃を受ける。 現代では少なくなった光景かも知れませんが、確かにこんな時代があって、ありえないようなというか、あってほしくない展開に、しかし何故かリアルに想像出来てしまう不思議が、これらの短編集にはあります。 旧い日本の、庶民的な酸いや甘いを感じさせてくれる作品だと思います。 何故か今を頑張ろうと思わせてくれる作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
登場人物のキャラクターがとにかく多彩だ。 物乞いをしながら空想に生きる親子。いびつな関係の夫婦。倹約を生き甲斐にする家族。 吹きだまりのような貧しい街で、誰もが自分を飾る余裕がないからなのか。 それぞれの人間の本性、素質が取り繕うことなくさらけ出される。 それは最初、極端なキャラクター設定のように思える。 しかし読み進めていくうちに、「こんな人いるなぁ」と思えてくる。 そして、登場人物を通して、これまで気づかなかった自分自身の素質まで発見する。 人間の本性、素質を分かりやすく、面白く描ききった傑作である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
少し心が滅入っている時に読むと、涙が止まらなくなる。その涙はまるで漢方薬のように穏やかに効いて 「さて、生きてみるか」といった気になる。掌で守ってやりたい小雀のような連作である。 黒沢明が映像化したけれど、映像では具体的に目に見え過ぎたものが小説ではぼーっとかげろうのようになって、 心を落ち着かせてくれる。 「どですかでんの六ちゃんは、自分があたまが弱いくせに、仏壇の前で毎晩『母ちゃんのあたまが良くなりますように』と祈っている」 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書を初めて読んだのは、私が10代始めのころであった。 今回、約30年ぶりに読み返してみたのだが、当時理解していた本書の内容と40代の私が読み直した内容とに、ずいぶん大きな開きがあることに気がついた。 山本周五郎は、本物である。 観念のお遊びだけで執筆された彼の作品を、私は知らない。 山周翁自身が直接見聞きし、感じ、考えたことしか書いていないように思う。 飛躍して聞こえるかもしれないが、それゆえに山周翁の作品には普遍性があるのだと思う。某有名日本人売れっ子作家の駄作などよりも、この作品を翻訳し、海外の人々にも読んでもらいたい。日本人だけの財産にしておくのは、むしろ、冒涜ですらあろう。 「季節のない街」を読んだうえで、なんの感動も覚えることができないような人とは、友達になりたくないものである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書を初めて読んだのは、私が10代始めのころであった。 今回、約30年ぶりに読み返してみたのだが、当時理解していた本書の内容と40代の私が読み直した内容とに、ずいぶん大きな開きがあることに気がついた。 山本周五郎は、本物である。 観念のお遊びだけで執筆された彼の作品を、私は知らない。 山周翁自身が直接見聞きし、感じ、考えたことしか書いていないように思う。 飛躍して聞こえるかもしれないが、それゆえに山周翁の作品には普遍性があるのだと思う。某有名日本人売れっ子作家の駄作などよりも、この作品を翻訳し、海外の人々にも読んでもらいたい。日本人だけの財産にしておくのは、むしろ、冒涜ですらあろう。 「季節のない街」を読んだうえで、なんの感動も覚えることができないような人とは、友達になりたくないものである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
平成21年第51版。 いろいろとゴタクを述べさせてもらうなら、本作はムイシュキンが登場する『じゃりんこチエ』である。 黒澤明が本作を原作に『どですかでん』を映画化したが、世界のクロサワの原作ではおそらく周五郎が最も多いのではないか。 生きることは誰しも辛いが、それでも、それでも、夢なんて見なくても今日を何とか生き延びることだけが人間の偉さなんだということがわかる。万人が読むべき1冊!!! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
平成21年第51版。 いろいろとゴタクを述べさせてもらうなら、本作はムイシュキンが登場する『じゃりんこチエ』である。 黒澤明が本作を原作に『どですかでん』を映画化したが、世界のクロサワの原作ではおそらく周五郎が最も多いのではないか。 生きることは誰しも辛いが、それでも、それでも、夢なんて見なくても今日を何とか生き延びることだけが人間の偉さなんだということがわかる。万人が読むべき1冊!!! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ボンヤリとテレビを見ていたら、漫画家の西原理恵子さんが、 「漫画を描いてみようというきっかけになった本」と紹介していたので読んでみました。 底の抜けたバケツのような、貧しい街の隅々で繰り広げられる、凸凹(デコボコ)した人々の一日一日が、一話一話、目線を低く抑えた丁寧な文体で、愛しくあぶり出されていて… 忘れかけていた思いが、深〜く沁み入りました。 『苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である。』 →開高健のあとがきも、とても気に入りました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ボンヤリとテレビを見ていたら、 漫画家の西原理恵子さんが、 「漫画を描いてみようというきっかけになった本」 と紹介していたので読んでみました。 底の抜けたバケツのような、貧しい街の隅々で繰り広げられる、 凸凹(デコボコ)した人々の一日一日が、 一話一話、目線を低く抑えた丁寧な文体で、 愛しくあぶり出されていて… 忘れかけていた思いが、深〜く沁み入りました。 『苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である。』 →開高健のあとがきも、とても気に入りました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
季節のない街に生まれ、風のない丘に育ち、と泉谷しげるの名曲「春夏秋冬」を連想してしまうタイトル。でも中に収められている物語たちは心揺さぶる物語が多い。貧しい人たちが、心貧しくしてしまったり、貧しさに負けず、明るく生きていたり、どうしようもなく悲しかったり、悲惨な話もあるが、みんな現実を生きている。自分の生きている世界だけが現実でなく、人それぞれに現実がある。その現実に負けずに踏ん張っていたり、負けちゃったりするから生きていくことにつらくなったりする。でも逆にこんなことがあるから生きていけるのかもしれない。人間には差さない。みんな懸命に生きている。こんなことを感じた私は、本書によって生きる力をもらったようだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
季節のない街に生まれ、風のない丘に育ち、と泉谷しげるの名曲「春夏秋冬」を連想してしまうタイトル。でも中に収められている物語たちは心揺さぶる物語が多い。貧しい人たちが、心貧しくしてしまったり、貧しさに負けず、明るく生きていたり、どうしようもなく悲しかったり、悲惨な話もあるが、みんな現実を生きている。自分の生きている世界だけが現実でなく、人それぞれに現実がある。その現実に負けずに踏ん張っていたり、負けちゃったりするから生きていくことにつらくなったりする。でも逆にこんなことがあるから生きていけるのかもしれない。人間には差さない。みんな懸命に生きている。こんなことを感じた私は、本書によって生きる力をもらったようだ。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!