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季節のない街
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【この小説が収録されている参考書籍】
季節のない街の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.55pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全51件 1~20 1/3ページ
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探していた一冊が見つかりました。 文庫も綺麗です。 楽しんで読み進めてます。 | ||||
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しっかり梱包されており、状態がとても良いです。かなりおもしろい! | ||||
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今ドラマでやってるので 原作本をどうしても 手に入れたくて… 内容は重いけど 逆に凹んだ時に 読みたくなる一冊と なりそうです! | ||||
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映画やドラマになった「どですかでん」で有名ですが、それよりも魅力的な多様な人々が、生き生きと描かれています。 「プールのある家」の掘っ立て小屋で夢ばかりを語る親と子。 「がんもどき」の見栄えのよくないが中に秘めたものを抱え一途な想いから男友達を刺すかつ子。 最後の「たんばさん」で物語は締められています。「われらの「街」は眠っている。・・・たんば老に助けられたことを思いだして、感謝の溜息をついている者もあろうが、たいていは忘れてしまっていて、それにもかかわらずこの長屋にたんばさんがいること、困ったときには相談に乗ってもらえる、という安心感に慰められて溜息をつくのであった。」 | ||||
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著者が若い頃の貧乏暮らしで得た体験、人間観察が基になっている作品。 見えない電車を走らせる六さん、ぐうたら女房を庇う島さん、夫婦交換する増田と河口、その「街」には社会的に見ればどうしようもない人達が沢山住んでいますが、彼らの真実の姿からは人間の悲しみや喜びが否が応でも伝わってきます。そんな彼らに温かな眼差しを降り注ぎ各話とも読ませる作品に仕立て上げているのは著者の成せる技でしょう。 六さんの純粋さに打たれる「街へゆく電車」、本当の親子とは・・の最後のセリフが泣かせる「とうちゃん」、かつ子の孤独が染みる「がんもどき」が個人的ベスト3。 | ||||
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40年以上前に読んだが内容を覚えていなかったので再読した。まだ半分くらい。勝手に人情話を期待していたが、作者の描き方が突き放して冷徹に描くのが真実の小説だとでも言いたいのだろうか???その小説観・人間観でおさまり切れない人間の魅力をこそ描いてほしかった。後半読めば共感するかもしれないが・・・ (同じ40年以上前に読んだ「さぶ」とかは、この作品よりかは、もう少し人情味あったような曖昧な記憶があるのだが、作品によって描き方もずいぶん違うようだ。当然かも知れないが。) | ||||
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新本を買ったのに20年前の古本かと思うほどボロボロだった。どですかでんを観る前に読んでおこうと思ってたけど、さすがにこれでは…。新本の値段で古本でもいい人はおすすめです。返品考えてます。 | ||||
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人間の愚かさ、醜さ、そして尊さが詰め込まれた物語。昭和30年代の空気が横溢した作品ではあるが、時代も場所も超越した物語。前作の「青べか物語」と読み比べると面白い。 | ||||
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戦後の生活保護もない時代、こんな街がそこここにあった。目を背けたいけど忘れてはならない事実だ。今、ネット上では生活保護受給者に対する攻撃的な文言が吹き荒れている。その発言者の性根は、この街の住民の妬みそねみと同じではないか。 | ||||
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探していた本が安く思っていたより綺麗な状態で届き、ありがたいです。 | ||||
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山本周五郎の、時代物とはまた違ったユーモラスな語り口。もはや落語のよう。悲惨な話もあるのですが、なぜか「懐かしい」感じがします。多くの日本人にとって、自分の子ども時代に、あるいは親の、そのまた親の時代に、こういう生活が身近にあったということかも。黒澤明の映画「どですかでん」の原作です。 | ||||
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山本周五郎を立て続けに読んでるが、やはり長編にこそ魅力を感じる。 本作は、街の貧乏な人々の短編物語であるが、心に残るものは特になかった。 印象に残ったのは、兄弟姉妹の実の父親が全て違う子を持つ父ちゃんの話。 「とうちゃんはみんなが自分の子だということを知っている。だからみんなが大事だし、 可愛くてしょうがない、けれどもお前たちがとうちゃんを好きでもなく、自分のとうちゃんと 思えないなら、とうちゃんはお前たちのとうちゃんではない。」 凄いよね。実の子ではないのに。巻末を読めば、取材に基づいた話らしい。 たんばさんも印象の残った。困った人に自分の金を貸すし、返さなくてもいい、 借りたことを人にいうこともないと。『さぶ』でも感じたが、作者はキリスト教 に何らかの影響を受けたことがあるのだろうか。このたんばさんも、キリストの一面を感じた。 夫婦交換の話も面白かった。 | ||||
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1962年4月1日から1962年10月1日まで朝日新聞に連載された小説なので、 時代背景としては昭和37年より前になります。 戦後~「もはや戦後ではない」(昭和31年)を経てTV受像機の普及が全国で50%程度、 植木等の「わかっちゃいるけどやめられねえ」スーダラ節が丁度1962年です。 当時の貧しい人々の生活、人情、機微、悲劇、喜劇を描いた作品として『青べか物語』と並ぶ名作です。 初めて読んだのは二十歳の頃だったと思いますが、年取って読み直して思う事は 当時の貧しさ、生活というものが現代の人々に想像できるのだろうか? という事です。 今の若い人にとっては明治時代の文学を読むような、外国の小説を読むような、 そんな感覚を持たれるかもしれません。 50年先、100年後の未来でも絶版なんかにならずに 読み継がれて欲しいと思います。 | ||||
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ある「街」の住人たちを描く、15編・約420ページの連作短編集。 「住人たちが極めて貧しく、九割以上の者がきまった職を持たず、不道徳なことが公然とおこなわれ、前科者やよた者、賭博者や乞食さえもいる」「長屋が七棟、物置のような独立家屋が五軒」。 本作はこのような極貧者が集う吹き溜まりのような「街」を舞台とした群像劇である。15編のそれぞれである人物や家族にフォーカスをあて、それぞれの人生の一場面、場合によっては終局を切り取って描く。ある短編のなかで主役として扱われた登場人物が、他の短編では脇役として登場することもしばしばだが、基本的には各篇を独立して読むことができるように作られている。 極貧者の「街」にスポットを当てた本書の各短編は、悲劇的な結末であったり、悲哀を感じさせる作品が多く、全篇を通してはっきりとハッピーエンドだといえるような作品はない。ただし、滑稽味を交えて人の性のおかしさを温かく見守るような作品も少なくない。同じ著者の作品に同じく貧しい人々を描いた『赤ひげ診療譚』があるが、赤ひげが登場しないために救いが訪れない同作といったところだろうか。 前述の通り、暗い話、やりきれない話も多いため、読み手によってはただただ辛気臭いだけの小説ということにもなりかねない。それでも暗さがストレスにならず、最後まで興味をもって読み通せたのは、本作で登場する数多の人びとの言動や生き方に納得させられるだけの合理性があって自然であり、著者の恣意的な判断によって物語が動かされているように感じなかったからかもしれない。そのような描き方が可能になったのは、あとがきで著者が「登場する人物、出来事、情景など、すべて私の目で見、耳で聞き、実際に接触したものばかり」と明かしているように、現実に知り得た情報をもとに構成していることは大きな一因なのだろう。それにしても本作だけで、これだけの数の人生をリアルに描ききる力量は驚くべきものだと感じた。 黒澤明の映画『どですかでん』の原作にもなっている本作だが、ちなみに、「どですかでん」とは第一篇「街へゆく電車」で電車バカの六ちゃんが架空の電車を走らせるときに口にする、車輪の音を真似た擬音である。 | ||||
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中古品ですので星4 内容は☆5でした。 | ||||
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購入前にレビューを読み、期待したのですが残念ながら「季節のない街」は私には合いませんでした。山本周五郎氏の作品はどれも好きで、繰り返し読んで居ます。 今感染症で世の中が不安に陥っている時期だからなのか、救いの無い話が続くので気持ちが沈みます。時代背景や豊かな暮らしと縁のない人々を描いた作品だとは承知していますが、余りにも突拍子も無い設定に受け入れ難さを感じ、途中で読むのを諦めました。数年後には読めるかな、イヤそれでも駄目かも‥。 | ||||
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淀んだ吹き溜まりの街に住む人々をスケッチした連作集だ。作者の人間観察の鋭さに感心した。鋭角的に切り捨てるのではなく、「やれやれ」と苦笑しながらどこかで彼らを許容する作者の素顔が見えるような気がする。 架空の電車を運行している「電車ばか」の六ちゃんや巨大猫のトラには、一度くらい会ってみたい。 この街には、絶対に知り合いたくない人たちも多いけど。とりわけ目立つのは、今でいう「痛い」人たちである。 『ちょろ』しゃべりだしたら止まらない男は、話を聞いてくれるためだけに、 「かぼちゃ」と呼ばれる居候を家に招き入れる。退屈な話に付き合うのが稼業なのだ。 『ビスマルクいわく』憂国塾の先生は、壮士または政治ゴロと呼ぶしかない人物だが、世間に相手にされないので、そこまでの存在ではない。思想的に師事するのはビスマルクらしい。なんでビスマルクなんだろうね。 『肇くんと光子』光子は実家の庭に発電所があるような家のお嬢さまらしい。どんな家だ、それは。 毎回名の変わる名門校の出身だが、外来語やことわざをいつも言い間違える。 この人たちは、自分の世界に浸っていれば幸福らしいので、「どうぞご自由に」と言うしかない。 そうとしか言えない。が、誰か目を覚まさせてやれ!というケースもある。 『プールのある家』乞食の親子が、いつか建てる夢の家について話し続ける。 大昔に見た黒沢映画は、この親子と六ちゃんの「どですかでん」を強烈に覚えている。 『がんもどき』不器量な娘の話だ。まじめに働いても報われない彼女は、周囲の貧民たちから嘲笑される。 いかにもありそうで嫌だ。伯父と実母の鬼畜ぶりが許せない。かつ子の異様な行動の真意が切なすぎる。 彼女が小さな幸福に巡り合えることを祈らずにいられない。 人物の描きかたの深さと豊かさは、他の追随を許さない。 人間をきちんと描いた小説の手本を読みたければ、まず本書を読むべきだ。 | ||||
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かつて、このような貧しい街と人々が存在した、と書けば過去の時代の物語のように感じる。 が、貧困家庭、格差、という言葉が頻繁に媒体に登場する現在、決してこれは過去の物語ではない。人の世の続く限り、様々な環境の中で悪戦苦闘する人間の姿はどこにでも存在する。 悪人、というほどでもなく、かと言って、善人とも言い切れない、見栄を張り、小ずるく立ち回り、地道に仕事をし、井戸端で陰口を叩く貧しい人々の味のある生き様、人と人の関わりの中で、一つの共同体のように描かれるこの「街」はそのまま現在の私たち、我が街の姿である。 | ||||
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この本に出てくる話はどれもこれもが「どうしようもない現実」というのをテーマにしている 戦後の貧しい貧民街の中で繰り出される住民たちの暮らしやエピソードはとても現代のわれわれには共感はできないかもしれない。しかし本作のあとがきにも書いてあるようにいつの時代にも絶望や悲しみ、そして嘆きという失意のどん底に落ちた人間は少なくないのだ。そして彼らは私たちの日常や近しい距離の中に常にいる 都合の良いハッピーエンドは中々訪れないし救いの手を差し伸べてくれるヒーローも現実には存在しない だからこそ今作の『季節のない町』には山本周五郎なりの温情を感じる。それは沸々とした現実をただ淡々と描写するという行為そのものが本来の意味での彼らを肯定する最善の手段だからだ | ||||
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