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流人道中記
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流人道中記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全150件 141~150 8/8ページ
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浅田次郎さん、素晴らしい! | ||||
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新聞の連載で読んだが、通しで読むと更に良い。 | ||||
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読売連載時リアルタイムで読んでました。 序盤は面白いのですが那須に入って以降(上巻の真ん中ぐらいから)突っ込みどころが増えていきます。プラス全体的に池波正太郎作品のパクリ…もといオマージュ(それも劣化版)みたいな感じです。 とにかく主人公の玄蕃が全く好意を持てないキャラクター。作者的には鬼平みたいな粋な人物として書いたのでしょうが、乙次郎に対し常に上から目線で馬鹿にした態度(最近でいうところのマウント取り)、何かと「ぶひゃひゃ」笑い、武士などつまらんという態度をとりながら旗本としての権威をあちこちで振りかざすというただただ不快な人物。某所での「鬼平の劣化版」という評価は言い得て妙。 長期連載故に作者自身が前に書いたことを忘れてたりします。那須の飯盛宿で乙次郎が盗賊・稲妻小僧の存在に気付き捕らえようとするところを玄蕃に止められますが、その後の玄蕃の回想では「武士たるもの知らん振りはいかんぞ」とあたかも乙次郎が見て見ぬ振りをしていたかのようになっています。 仙台編では父の仇を探し求める侍・内蔵助と出会いなぜか仇討ちを止めようとする流れに持っていきます。玄蕃は仇討ちの無意味さ、武士の対面の馬鹿馬鹿しさを説きますが、直前で「旗本の権威」を使って事件を解決してるので全く説得力がない。メタな話になりますが「仇討ちをやめる」という展開に持っていきたいがために父を殺されたことに対する内蔵助の感情はほとんど描写されません。 また仇が僧侶になって云々…のくだりは剣客商売の『隠れ蓑』のパクリではないか?という指摘が連載当時ありました。気になって読んでみたのですが確かに似てます。違うのは仇を探す気力を失っていく様が丁寧に書かれているところと仇の苦悩をしっかり書いているところ。 上巻だけでも突っ込みどころが多いのですが下巻はもっと酷いことになってます。少なくとも『壬生義士伝』みたいな作品を期待すると後悔すると断言できます。 | ||||
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1日で読み終えました.奥州街道の描写が懐かしく感じられました. | ||||
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上下を2日間で読み終えてしまった.封建制度での矛盾,人情の変わりなさが感じられた. | ||||
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新聞連載中から楽しみに読んでいたが、自分の理解不足なのか、玄蕃がなぜ そんなに偉いと言われるのか、よく分からない。 無実の亀吉の事件から、いくら江戸時代でもこんな理不尽が許されて良いのかと 怒りを覚えて少し嫌になった所へ、玄蕃の告白らしきものを読んでもこれがまた よく分からない。 他の方も言っているが、なぜ濡れ衣に対しきちんと抗弁しないのか自分も疑問だし、 長々と経緯を話すが、何にそれほど感動するのか今ひとつ分からないのである。 自分の理解不足のせいで名作を味わえなかったのなら惜しい事ではある。 | ||||
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新聞連載中から読んでいた。筋が都合良すぎる気がした。 今ひとつ無実の罪をきる理由が説明不足。 | ||||
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父の代わりに購入しました。 新聞連載の時からファンで、書籍化を心待ちにしていました。 内容も面白く、ずっと実写化したら配役は誰がいいなどの話もよくしています。 新聞連載当時にあった挿し絵があったら、もっと楽しめたとの事です。 | ||||
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読売新聞の朝刊連載小説を単行本化した斬新な時代小説。時は幕末、不義密通で蝦夷に流罪となった元旗本の玄菴を押送する事になった与力見習いの乙次郎を主人公とした作品。乙次郎は古参与力の入婿(元々、出自は低い)で気弱な上に、流人を押送する事は恥に近い職務だったらしく、本作を通して一貫して「僕」という時代小説らしくない一人称を用いて、「僕」の視座で物語を綴っている点がまず本作の新鮮さで、読者に親近感を抱かせる。そして、役人と流人とを主客転倒させ、「懐疑する賢者と随行する弟子」とに見立てるという清新な発想の上、宿場毎のエピソードを短編小説の如く描くという構成の妙が本作の最大の特徴で、読者を惹き付ける。 乙次郎が玄菴の従僕として扱われる、というクスグリが到る所で見られて笑わせる。同時に、当時の硬直した幕藩体制を如実に映し出している点が巧み。そして、上述した通り、幾つかの宿場で、大泥棒、賞金稼ぎ、飯盛り女、敵討ち、宿場の流人、仮病の巡礼女性などの要素を上手く組み合わせて上質なロード・ムービーの如く仕立て上げている点が特筆もの。更に、乙次郎が処刑場で斬首の現場を目撃したり、敵討ちの助太刀をしたりして、「人が人を裁く事の正当性」や「武士道とは?」との役人(武士)らしからぬ形而上学的疑念を抱く点も作品の本質を穿っている。一方、賢者の玄菴は常に一段上の視座でシニカルだが、津軽海峡を目前にして、自身の身の上や事件の顛末を語った時,,,。 玄菴の語りによって、乙次郎がその器量の大きさと武士道を越えた「礼」を重んじる清廉さを悟った時、乙次郎は自身の立ち位置に気付く。見掛け上の奇抜なアイデアと武士道への深遠な洞察とを併せ持った時代小説の傑作だと思った。ちなみに、賢者の玄菴が懐疑した幕藩体制がこの後数年で崩壊した事は御存知の通り。 | ||||
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全体のレビューは上巻の所で書いたので、ここではその補足を。作者の「一路」を御存知の方も多いだろう。「一路」は参勤交代を扱った作品だが、時代設定は本作と同様に幕末。即ち、幕府は腐敗し、幕藩体制の瓦解寸前で、参勤交代も形骸化しており、武士道も名ばかりだった。 本作の眼目もこの武士道のあるべき姿にある。流人の玄菴は当時の狭義の「武士道」を遥かに越えた「義と礼を重んじる本当の武士道」を具備した崇高な武士である。一方の役人の乙次郎は形だけの「武士道」を知っているだけの"ひよっ子"である。それが、玄菴と共に旅して、処刑場での斬首場面を見たり、敵討ちの助太刀をしたりしながら、玄菴のアドバイスもあって次第に本当の正義とは何か、人に人を裁く権利があるのか、といった疑問を抱くようになる。即ち、「賢者=懐疑する」という図式に則って、乙次郎は玄菴を「師」として修行の旅をしているのである。全体のレビューで、役人と流人とを主客転倒させ、「懐疑する賢者と随行する弟子」とに見立てた、と書いた由縁である。 勿論、作者はサービス精神が旺盛なので、全体を多彩なエピソード満載のロード・ムービー風に仕上げているが、本質は上述した通り、当時の腐敗した「武士道」(あるいは幕藩体制)を懐疑して、本当の「武士道」に気高く生きる玄菴の姿を描く事にある。また、役人の乙次郎が見習いで純朴(腐敗していない)である点も巧みな強弱で「武士道」への洞察を深くしている。「一路」から作者の幕末史観は一貫しているのである。本作は新聞連載当時から人気だったが、ドラマ・映画化が強く望まれる。 | ||||
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