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見果てぬ王道
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【この小説が収録されている参考書籍】
見果てぬ王道

見果てぬ王道の評価: 5.00/5点 レビュー 3件。 -ランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点5.00pt
Created with Highcharts 5.0.100件0.00%0件0.00%0件0.00%0件0.00%3件100.00%得点得点☆1☆2☆3☆4☆5


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全3件 1~3 1/1ページ
No.3:
(5pt)

流されぬ熱はその人となり。

孫文の友人たる熱き実業家、梅屋庄吉の生涯を語る。
その為人は、”人のために吾が身を捨てて惜しまん人”だと。
”生きるとは自分で決めるということ”という。
万民平等、東洋連帯の大望に支援して。
「熱誠は甚だしく吾が壮心を感激せしめ」という。
一方では、”家を護る”に徹する妻など、庄吉を支える女物語が描かれている。
見果てぬ王道Amazon書評・レビュー:見果てぬ王道より
4163916350
No.2:
(5pt)

発送、品質共に申し分ないです。

発送、品質共に申し分ないです。
見果てぬ王道Amazon書評・レビュー:見果てぬ王道より
4163916350
No.1:
(5pt)

孫文の革命を支え続けた商人、梅屋庄吉の波瀾万丈の生涯を描いた物語。傑作

「熱源」(文藝春秋、2019年)で直木賞を受賞した川越宗一の最新作のレビューである。私は、著者の最初の作品「天地に燦たり」(文藝春秋、2018年)を読み、そして「熱源」を読み、そして、近松門左衛門の「国性爺合戦」で有名な鄭成功とその母の松を描いた「海神の子」(文藝春秋、2021年)を読んできた。

川越宗一の作品は、とにかくスケールが大きい。著者は、これまでの歴史小説であまり描かれなかった日本という境の外側を眼差し、朝鮮半島だったり琉球だったり、あるいは樺太のアイヌだったりロシアやリトアニアだったり、日本と中国と台湾とオランダ東インド会社を舞台に描き、多民族が共存する、境界の曖昧な地域や海洋の世界を描いてきた。

今作品の主人公である梅屋庄吉は、まさに川越宗一が描こうとしてきた世界観にぴたりとハマる人物である。境を気にすることなく世界を往来するその波瀾万丈な人生、庄吉と庄吉の周囲にいる綺羅星のごとき人々の見事な人物造形、抑揚をうまくつけた達意の物語の進め方、長崎や香港やシンガポールの空気や風土の描写、庄吉と孫文の理想と挫折の描き方、文章の上手さ、どれもこれも素晴らしい。私は、第九章「見果てぬ王道」を読み終えたとき、電車のなかで、おろおろと泣いてしまった。これは傑作である。

物語のあらすじを、ほんのさわりだけ書くと、梅屋庄吉は、幕末に、後継ぎのいない商家である梅屋家に養子として貰われた。父の吉五郎、母のノブに大事に育てられるが、川に落ちて死にかけ、アメリカ留学に行く船で遭難する。その船で、知己となった清人がコレラにかかり、麻袋に入れられて生きたまま海に放り出される。それを見て、庄吉は、東洋人の無力さを知る。そして、このことや、その後、アジアの状況をつぶさに観察することで、庄吉は、「東洋に王道を布く」ことを志す。

アメリカに留学できなかった庄吉は、母から後継ぎにならなくともよいと告げられる。梅屋家は、庄吉を諦め、養女トクをもらいうけ、いずれ婿取りをしようと考えた。庄吉は、鉱山採掘の資金を賄うために、米の先物に手を出す。しかし、これで大損をだし、多額の借金を抱えた。そして父母の勧めで出奔し、上海に逃れ、そこで登米という女性に会う。登米は島原に生まれ、娼妓として上海に売られ、白人に身請けされエジプトに渡り、そこで写真術を身につけて、上海に逃げ戻ってきたところであった。登米の資金で香港で写真館をはじめ、これが大当たりする。しかし、「東洋に王道を布く」ことを志す庄吉には、写真館の商売だけでは物足りない。日清戦争のさなか、庄吉は誰彼かまわず「東洋人は西洋の圧力に対して連帯すべき」と説く。その話を聴いた若き日の孫文が、庄吉を訪れる。それから、庄吉の孫文に対する、揺るぎのない、長い莫大な支援が始まる、という話である。

しかし、この物語は、決して、庄吉や孫文を英雄視せず、人間としての弱みを丹念に描いている。例えば、この2人の女癖の悪さを描き、革命の理念と矛盾する、女性への不誠実さを、妻となったトクの目から批判している。

もう一つは、現代中国への批判の視点も感じられた、ということである。孫文はこう主張する。「ひとつの民族は別の民族に支配されるべきではありません。同じく、ひとりの人間は別の人間の支配を受けるべきではありません。私が打ち立てたいのは自立した民族の国、自立した個人が集まる合衆政府です。衆議によって為政が改まれば、おのずと国は富み、蒼生の苦難は去りましょう」。しかし、庄吉は、革命による漢民族の支配の達成は、多数による少数への支配に転化するのではないか、と危惧し、それを孫文に直接確かめる。孫文はこう答える。「私が唱える民族主義は、 別の民族による支配を許さない、ということだ。 もし漢人が政治的に優越すれば、それは私が説いた形ではない。五つ、いやもっといる中国の各民族は、そのままの形でひとつの中国民族になるのだ。そのために私がいる」。革命の理想は未だに見果てぬものなのである。

しかし、そうした孫文の人格の欠陥、革命の理想が後退することを懸念しながら、庄吉は、「東洋に王道を布く」ために、孫文の革命を支援し続けた。その一生、その純粋さに、読者は、やはり感動するのではなかろうか。評価は「最優秀の作品」の☆5つとしたが、☆5つを上回る価値があった。今年の歴史小説のNo.1に、1月に出会ってしまったかもしれない。これは私の書いた55番目のレビューである。2023年1月26日読了。
見果てぬ王道Amazon書評・レビュー:見果てぬ王道より
4163916350

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