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チーム・オベリベリ
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チーム・オベリベリの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全17件 1~17 1/1ページ
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とても読み応えのある作品です | ||||
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与田勉三や晩成社について知っても、他の入植者についてはほとんど学ぶ機会がありません。本書を通じて、とても重要な役割を果たした女性の活躍や他入植メンバーについて知ることができ、とても有益でした。 | ||||
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ロビンソンクルーソーは、フライデーと出会い、彼と友達になったのではなく彼を召使にする。彼には生まれながらの名前があったはずだ。ロビンソンクルーソーは彼にフライデーと名付け、彼の信仰と言語を尊重することなく、彼にキリスト教を教え、英語を教え満足する。 数多くの北海道開拓団の中で晩成社はとりわけ、アイヌと親交があり、彼らを助け、教育をしたと言われている。渡邊カネは帯広の開拓の母であり、帯広の教育の母と言われている。つまり、彼女は帯広のロビンソンクルーソーであったのかも知れない。アイヌの生活様式と言語と民族の尊厳は和人によって奪われたままなのだと思った。 | ||||
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興味深い話であったが、ストーリーの展開が穏やかで、乃南アサらしからぬ面もあった。 アイヌを土人と呼んでいたことを改めて思い出した。 | ||||
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歴史にあまり名前が上がってこない女性の目から見た過酷な開拓の様子がよくわかる。兎角虐げられてきたアイヌの人たちの扱いも極寒の地で手を差し伸べてくれる存在として描かれているのが好印象。 | ||||
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たくましく開拓者、妻、母、そして教育者として生きた女性の一生が完結する。 彼女なくして帯広の開拓はなしえなかっただろう。 | ||||
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主人公は渡辺夫人で主役の依田勉三の立ち位置が薄れた。 | ||||
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次々と襲ってくる苦難にも耐えた女性の強さが描かれていました。彼女を支えた信仰と学問の必要性を再認識しました。 | ||||
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最初は少しずつ読みながら、半分ぐらいからは、一気に読めました。 開拓とか移住とかいうのは、本当に大変だとつくづく感じさせられる作品です。 カネがあれほど強く生きれたのは、信仰があったからか。 勝が怒ったときに、怒らせないようにしよう、こういうときは余計なことは言わないと判断できるのは、やっぱり昔の女性で尚賢いからでしょうね。 以降、ややネタバレ(?)あり 最後、三人のそれぞれの最期を読んで、依田さんが結局とうとう幸せにはなれなかったのが、ちょっと悲しい。勝も、まぁ、良い人生だけれど、酒癖は悪かったのですね。兄上は、幸せだったと思うけれど、最期、妹のところで死ぬのは、当時もう常盤はいなかったのか、と。妹の側の方が心強かったのかも。 アイヌ人であり和人と結婚した常盤の生涯も、小説にしたら面白そう。 | ||||
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フィクションですが、晩成社の成り立ちや、帯広の開拓者の苦労はリアリティがあり面白いです。最後の方が少し駆け足のような展開だったのが残念です。 | ||||
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手に取った時その厚さに思わずたじろいだが、その本がこの価格(税別2,300円)で刊行されたことを、まず喜びたい。 本書には一枚の地図が付されているが、十勝、特に帯広から芽室の辺りをご存知の方なら、本書を読み進めながらこの地図に何度も目を通し、一世紀前のこの土地の風景を頭の中に思い描くと共に、北海道開拓という言葉の持つ具体亭な意味を噛みしめることになるに違いなし。 本書の価値は様々な形で表現できるのだが、一読した後に最も印象に残ったのは、主人公であるカネを通して、彼女(とその周辺の人々)に培われたキリスト教の信仰と、原住民であるアイヌの人々持つ信仰との出会いに尽きると思う。 カネはこう述べる――「この人たち(アイヌ)の考え方は嫌いではない。耶蘇教の考え方とはまったく違っているが、天主さまがお造りになったすべてのものに意味があるとすれば、さほど分からないこともないと思えた」(p.209)。 オベリベリとその周辺の集落は人数が限られ、カネにとって、自分の状況を深いレベルで分かち合ってくれる者はいない。必然的に「天主さまと(歯痛を和らげる)ケレヲソートが今のカネにとってはもっとも大切な安定剤であり、心の支えだった」(p.623)。 士族出身のカネにとって、兄が結婚相手をなかなか見つけられず、コカトアンというアイヌの娘を相手に選んだ時は、一世代上で同じくキリスト教信仰を持つ父親ほどではなかったであろうけれども、やはり葛藤がなかったとは云えない。 そんな時、カネは聖書を開いた。「あなたがたが、いろいろな試練に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである」(p.352)。「行いの書」と呼ばれる新約聖書「ヤコブの手紙第一 二章三節」の言葉は、天主さまからの答えとなり、それは、父親の悩みを受けとめ、癒す言葉となった。 本書に記されているのは、単に帯広原野の初期開拓団の具体的な苦労話ではない。その開拓の営みを通して、天主さまを知る者が、天主さまがお造りになった自然の美しさにまず言葉を失い、しかしその自然のあまりの厳しさに耐えつつも、日々就寝前に天主さまの言葉と向き合いながら、その都度天主さまとの関係を吟味する生活を続けた数年間の記録であり、それだからこそ「捨て石」となる気持ちを持ち続けられたのであろう。 | ||||
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帯広。2012年に、それまで暮らしていた九州から、親類を頼ってはるばる病気療養のため移住し、回復後縁あって地元企業に長く勤め、通算8年間暮らしました。コロナ禍他諸々の事情で2020年秋、郷里・横浜に戻ってきて、本書を読み始めました。 病気でお金もないどん底の時代、未知の極寒の地で、地元の人々の情の篤さに支えられ、起死回生を果たすことができました。安定した職に就くまでは、農作業のアルバイトも経験しました。冬はマイナス20度にもなる、身を切るような、痛いほどの寒さに耐え、初めて迎えた春、街路樹に薄緑色の小さな新芽が出ているのを見たときには、涙が出ました。 そして、カネさんが母校の大先輩だと知り、不思議な縁を感じました。 彼の地の人々の人情は、辛い開拓時代から培われ、子や孫へと連綿と受け継がれてきたものだということが、本書を読むとよくわかります。お世話になった、懐かしい帯広の人々の顔が次々と浮かびます。先人たちの労苦を礎とし、食糧自給率200%のフードバレーと言われるほど豊かになった十勝平野。古い民家の屋根が、雪の重みで傾いていたさまや、市内を幾筋にも別れて流れる十勝川の支流の数々、本州では見られない植物が生い茂る河畔の風景、初夏に咲き乱れるルピナスの花、白樺やライラック、ニセアカシアの木立、夜になると住宅街を徘徊するキツネ、雪解けの頃に餌を探すキツツキの音… もう閉店してしまいましたが、国道38号線沿いにある、渡辺勝・カネ夫妻が暮らした家の敷地跡には洋食屋があり、店の入口に石碑が立っていました。 開拓団が十勝川を遡上する入り口となった港町・大津は、現在は人影もまばらな漁港ですが、その昔は賑わっていたことを、本書で初めて知りました。 百年記念館の近くに住んでいながら、日々の暮らしに精一杯で、ゆっくり資料室を見に行くこともなく、引き揚げてきてしまいました。帯広だけでなく道内に友人が何人かできましたので、いつか再訪の折には訪ねてみようと思います。 読み進める毎に胸に迫り、涙の滲む、大切な一冊です。本書を世に送り出して下さった乃南アサさんに、感謝の思いで一杯です。 | ||||
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かなりの厚さで読み切れるかと思いましたが、引き込まれてしまいました。 カネさんの足元にも及びませんが、自分も横浜から農家に嫁ぎ、農作業の大変さや夫の横暴など、共感するところが多々ありました。 宗教の力は凄いと思いますが、それにも増してカネさんの素晴らしさを見習いたいと思います。NHKでドラマ化されることを期待します。 | ||||
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私の故郷を開拓してくれたおかげで、曾祖父母たちも入植して苦労してくれて今の立派な帯広(オベリベリ)があると思うと胸が詰まります | ||||
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未開拓の原野に放り出されて、夫と共に自然の猛威や人間関係の辛さと戦うカネさん。キリスト教徒の教えに励まされて、ひたすら主の心に頼るしかない女性の生き様が描かれています。 | ||||
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ノンフィクションをフィクションとして女性カネの生涯を描いているので、地域のこれまでの開拓誌より読みやすく、尚未開地の開拓の苦労と十勝の開拓の歴史を描いているので参考となった。小生は渡邉勝の弟で10年後兄を頼って十勝の開拓に入った者の孫です。中身が濃いため年配者としては文字が小さくボリュウムがあるために、読む際に幾分苦労をしておりますが、面白く且つ興味深く読んでいます。 | ||||
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この時代の「女子の高等教育」ってのは、結局「良妻賢母」と「滅私奉公」なんだなあ…と、しみじみ思った 布教関係でいつも思うんだが「人はすべて同じ」ってのと「自分達を揶揄する者を哀れむ」ってのが並び立つのが、どうにも自分には分からない。人はすべて同じであれば、多民族との婚姻も、士族の矜持も、迷いも悩みもしないだろうに 兄ちゃんは「幹部」の響きに釣られちゃったんだろうなあ。「母上」が一番、時代の状況を理解し、真っ当な分別持ってる人の気がした。カネあまりにちょろすぎ 乞食の姿のコスプレで記念写真撮っちゃう人の「心意気」に感じ入る人はいたんだろうか… 自分達が口車に乗せた移民団は「チーム」には入ってないんだ…そら、一つにまとまる訳ないわな アイヌは、特に和人から助けてもらってない気がする。助ける一方。そして親切が仇になって還ってくる…どこの国も、いつの時代も、「先住民」は基本的に親切で善良なのに。移住して狩りをして生活していたトコによそ者が割り込むのは生態系のバランスを崩すってことなんだろうと 「教育」と「教養」を身につけて「従う」事に疑問を感じない妻は大層使い勝手が良かったろう ↑もまた、ある意味美しい世界…なんだろうな 本人には特に志がある訳じゃなかったみたいだし とりあえず、この「チーム」に率いられた開拓農民は「被害者」に限りなく近いだろうと思った 農民たちはどれ程の負担を次から次へと押し付けられたんだろう、日々の娯楽はあったんだろうか。チームのメンバーが呑むように、せめてもの憂さ晴らしの機会はあったんだろうか …そういう時代があった事は分かってるが、読んでて気分いいモンでもない。肝が焼けた って感じでした | ||||
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