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どうで死ぬ身の一踊り
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どうで死ぬ身の一踊りの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全56件 41~56 3/3ページ
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| 読了して残ったのは、ゲテモノを好奇心だけで食ってしまった後悔と臓腑の不調感である。骨の髄まで信奉し敬愛する作家への偏執狂とでも言うべき傾倒はひっきょう自己愛からくるものだ。そこに自分と重なるものを見出していとおしんでるにすぎない。 一方目の前の身近な他人は愛することができない。愛してもらってるときだけ重宝し、拒否・批判されると幼児が癇癪を起すように徹底的に攻撃し叩き潰す。その後の後悔も愛してくれるものを失いたくない恐れからくるものだ。良心のうずきや傷つけた者への気遣いではない。 人は成長期愛されてやがて人を愛し自己犠牲もいとわないというほどの愛する対象を得ることができると改めて思った(小説ではあるが書き手がほぼそのまま自分であるというので) こういう他人への愛情の欠落した、自己愛の肥大した大人と付き合わなければならない人間は気の毒だ。僧侶等他の者への接し方にもおよそ誠意というものが感じられない。計算づくなのだ。主人公は自分の性格のけんかいさや獣性をさらけ出して潔いように見せるが、まだまだ多く繕っている。 完膚なきまでに自分をさらけ出せば無頼文学にもなろうが、ほめてもらえる分だけの計算ずくのさらけ出しだと感じる。 小説は商品であり、こうしたら売れるだろうという魂胆が透けて見えてほとんどいかがわしい。結末はもっと詳述しなければバランスが取れない。続編予告の梗概のようだ。 詳しく書くに自身が堪えない事実があるのだろう。卑怯な遁走であり、とり繕いだ。小説は道徳本ではないから、どんな悪党や出会ったことのないような奇異な人物を描いても人物が生きているように動いて読者に衝撃を与えれば読む価値があるのだが、この主人公は書き手の姿勢とともに生半な人物で感情移入ができない。 | ||||
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| 「二度は行けぬ街の地図」を読んで免疫が出来ていたので、落ち着いて読むことができました。 西村さんの自伝的小説は私にとっては衝撃的な内容で、あまりのも書いてある出来事にばかり囚われてしまいましたので、今回、多少の覚悟を持ってから読むとまた違いました。 確かに書いてある内容は、働かない、女の稼ぎをあてにする、DV…など悲惨なものですが、その文章のせいか人間の誰もが持っている「どうしようもなさ」のようなものが伝わってきました。 現代作家というより明治〜昭和初期の日本文学の芸術性をたずさえているからだと思いました。 流行の文章に染まっていない、凛とした古典を思わせる日本文学の手触りは、読んでいて心地の良いものでした。 著者の私生活、人生の辛さ…、文学とはそういう生活の中から生まれてくる芸術の一つだと改めて考えました。 | ||||
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| 昭和7年に満42歳で、芝公園で凍死した作家 藤澤 清造に深く傾倒する私の1人称で描かれる非常に不思議な感覚に陥る作品です。跋(後書き)で書かれているように私小説であるのでしょうけれど、まだそれを強く意識して書かれたというよりも、書かずにはいられなかった、という作品のように感じますし、だからこそ処女作を読んでみて良かったと思いました。 傾倒する作家の墓を月命日ごとに墓参りする(菩提寺は石川県!にある)勤勉さ(精神的、あるいは自身を肯定できる存在だからこその)、というよりは執着を見せ、その同じ執着に酒が入ったり、性欲が滾ったりするたびにそれなりの一悶着を起こす「私」の、全くそういう(犯罪的、あるいは暴行的)傾向は無いものの何処かしら同じ境遇だったら、と思わせるこの後どうなるのか感で、読むものをぐいぐい惹きつけます。犯罪を犯してまで、あるいは同居する女に暴力を振るってまで守り固執する自らの尊厳が薄っぺらく感じさせます。しかも欲している何か(女であり、尊敬されることであり、)を手に入れられない憔悴感が、何も無いという自己への不安と相まって非常に切実になったあげく短絡な、これ以上短絡になれない経路を辿るその顛末が、予想を外れることはないにしても気にさせるのです。 どこまでも開けっぴろげであり、心の暗部であろうとも容赦なく、また淀みも、躊躇も感じさせないで文章に出来るところも私小説家としてもちょっとびっくりさせる作家です。そうしたどうしようもない無為無策と言いますか、自暴自棄にさえ感じさせる著者の今後が気になります。 無頼派という流れをさらに、強力に推し進めたことになるのかどうか、ちょっと今判断できませんが、かなりショッキングな作品です。 この「私」が話し言葉で「ぼく(ひらがな表記)」と言われるとそこはかとなく怖い感じがします。 基本的に男性に、オススメ致します。 | ||||
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| これぞ元祖西村節炸裂・・芥川賞受賞「苦役列車」から入門された読者は、この本は必読である。 中でも、師と仰ぐ藤澤清造の墓標を自室に飾る短編が超オススメ・・さすがの御仁も身震いする訳だァー!! 著者不遇時代の最大の産物・処女問題作品集。 | ||||
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| 「二度とはゆけぬ町の地図」でがつんときて、すぐさま「暗渠の宿」で主人公の「寛太」ワールドにどっぷりつかったものの、買春、癇癪の後にDVが始まったときは、少々うんざりした。気をとりなおして本書に手をのばしたが、性欲、癇癪、DVの繰り返しでもうげっぷが出そうである。ただ、あぶない人(著者本人)を描きつつも、愚かさにそこはかとないおかしみが漂い、それが著者の持ち味となっている。 | ||||
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| 『どうで死ぬ身の一踊り』この小説で感心したことが三つある。大正期の文学を彷彿とさせる、一字もゆるがせにせぬ硬質な文体、目に浮かぶような巧みな描写力、そして、別れるまでここまでひどい暴力に耐えた「数千万人にひとり」の東北の女性の忍耐力である。私は別に女性の味方ではないが、これは「女が裏切った」などと、この主人公が言えるようなレベルではない。いくら生活力があっても、このようなDV男にあっては、あらゆる女性はひとたまりもなく、確実に不幸になる。と、つい作者を裁きたくなる。しかし、私はふと考える。最も献身的だった女性への暴力を、何冊もの小説で繰り返し包み隠さず書くのは、屈折した愛と未練と、贖罪を求める気持ちがあるからではないかと。 この小説の中で特徴的なのは、同棲相手の女性に対するサディズムであるが(石原慎太郎が評価したのは、サディズムの内容に反応したのである。石原文学はサディズム文学だから)、しかし西村賢太は本質的にマゾヒストである。女性に対する暴力を正直に描くことで、世の中の女性から軽蔑されることを彼は知っている。女性からの評価を自ら傷つけるマゾヒズムの表現が、男性読者に感動を与える。作家の多くは異性にもてたい、良い人だと思われたいと思って書いているので、女の前で突然性器を丸出しにしたような彼の捨て身の表現に、読者はびっくりしてしまうのだ。野坂昭如もここまではできなかった(野坂はもてないくせにプレイボーイで売っていた)。西村賢太の書き方は、女にもてるわずかな可能性さえも、自らあっさり切り捨てる自己犠牲的な書き方だからだ。 近代文学のマニアックな知識には驚かされる。藤澤清造以外にも、あまり人が読まない作家名ばかりが小説の中に出てくる。スポットライトの当たらなかった無名の作家に自分と相似た境遇を感じていたからだろうか。負の知的プライドを感じる。大学が教える文学史から忘れられた作家ばかりを彼が好んで取り上げることは、アカデミズムへの反抗である。大学教授は文学にとっての余計者であり、文学が学問ではないことを単独で証明した西村賢太は偉大である。 まだ四十代で自分のいちばん好きな人の隣にお墓を作ってしまったところが素晴らしい。私はその点に最も共感する。羨ましささえ感じる。小説の主人公は甘ったれた男であるが、西村賢太の死生観には、まったく甘えがない。 | ||||
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| 「どうで死ぬ身の一踊り」が大傑作。これでもかと自分の身勝手、卑怯をさらけ出す。だが、それが嫌味を感じさせないのは言葉の美しさのせいだろう。本当の文学の力をこの作品は持っているといえる。それにつけても女との関わりのリアルさは類を見ない。男が正直に生きればこういうことになるという迫力がある。同時代にこれほどの作品を持てることは幸せだ。名作。もしかしたら作者の最高傑作。これを超えるものは書けないのではないか。 | ||||
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| 私小説しか書かない、と宣言している芥川賞作家の作品に興味を持って本書を手に取った。 己の弱さや卑屈さ、図々しさなどが赤裸々に綴ってあり、衝撃を受けた。 自分の気持ち次第で女性に暴力を振るうといった現代社会では最低男と烙印を押されることが間違いなしの空気の中、この生き様はある意味凄い。少なくとも草食系といった情けない生き方よりも共感できる。 加えて、細部に亘るまで文章が整っていたのが印象的。 西村賢太という「素晴らしいロクデナシ」作家の他の作品も是非読んでみたくなった。 | ||||
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| 経歴のすごい作者の完全なる私小説、というかこの作者は私小説しか書かないけれど。 芥川賞の選考会(138)で宮本輝は「私は、西村氏の書くまったく別の主人公による小説を読みたい。」と言ったがそれは多分無理な話。自分の全てを曝け出して書く私小説がこの作者の唯一の武器。 同居する女性への暴力、女性への執着からはじまり、臆病さ、ズルさ、いやらしさ、性欲…本来なら皆一番隠したい部分を丁寧にさらけだす。正確な筆致で書き表された主人公=作者がもつ矮小さに不快さを覚えた読者は、同時に自分自身の中にある同じ醜さに不安になる。それほど丁寧に自分の汚さをさらすということを徹底している。作者にとってはなんでもないことなんだろうけど。 この作者の他の小説ももちろん作者自身の人生を描いた私小説であるのでこの主人公に中毒になれば他の作品もオススメする。 | ||||
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| 著者が熱愛する藤澤清造に対し自分は感心がない。だから藤澤に関する記述になるとダレる。しかも、今回はその藤澤記述が多い。 また、内容も他作と比較すると幾分、暗く重めに感じた。たとえばDVとかも。 それと藤澤のフレーズを引用した表題作のタイトルはいただけない。大袈裟すぎて。 最後に収録された「一夜」が短いながらに印象的。特にラストの数行が線香花火のように美しい。 | ||||
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| 単に俺の日記を読んでいる様。 世の持てない男には反対にハァ?の世界。 | ||||
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| 西村本人を思わせる主人公の「私」は徹底して己の卑俗さを暴露していく そこには手加減も自己陶酔もない 「俗の極みにこそ聖がある」式の予定調和もない その徹底振りは圧巻で、感動すら覚える 本書は表題通り正真正銘の自棄糞文学である | ||||
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| 実に整った文章である。細部に至るまでゆるがせにせず記述しており、気持ちで文章を流していないし、日本語をよく知っている。藤沢清造への心酔とその顕彰作業を核に据えつつ、女に縁の薄い男が、ようやく同棲してくれた女に些細なことから暴力を振るう。DVをしながら隠している作家より、自らの愚かな暴力行為を描いて、しかし何らそれを快としていないのがよい。清造顕彰の資金のために、月二回行くソープランドを一回に減らす、というあたりも、近年の作家が描かないところだ。近年の芥川賞受賞作よりも遥かに優れた文藝である。 | ||||
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| 芥川賞にノミネートされ気になっていたところ、知人に「物凄い..」と聞き、読まずにはいられなくなった本です。 ダメ男のうえにドメ男の主人公が、全てに於いて己中心的に振舞う話...と書けば、おそらく世の中の女性&心ある男性は眉間に縦ジワを寄せ、ひきまくることこの上ないでしょう。が、とにかくその様子がたまらなくおかしくて哀しいのです。特に、同棲中の女性と「蟹」で喧嘩になり暴力を揮う一方で、ヨリを戻すためには恥も外聞も捨てた行動に出るという絵に描いたようなスケールの小さな主人公の姿は、不快を通り越して滑稽ですらあります。 自分の拘りに取り憑かれ続けて数十年、これも一つのアツい生の姿でしょうか。 | ||||
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| 芥川賞候補で、書評も絶賛。 かなり期待した自分が悪いのか、どうしようもなく気持ち悪い本だった。 男性には嫌悪感は感じないかもしれないが、主人公の描写のリアルさと生き様がどうしても気持ち悪い。 20代半ばから女性と縁がなくなり、押さえきれない性欲を風俗で処理。 それでも性欲が顔面から滲み出る男。 女が出来てから、性欲も収まるようだが、男の生き様が前進すると同じく 男が匂わす姿は加齢臭を伴った。 女が生理的に嫌な男。そんな男をリアルに描写した本。 | ||||
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| 第134回芥川賞候補になった本作。藤澤清造と作者と同居していた女性で結ばれた3篇を納める。自分の生活、生き様をこれほどまでにさらけ出すこととは、一体どんな気持ちがするのだろうか。さらけ出すことで作者は救われるのであろうか。救われるのだとしたら、その過程で読者の僕達は心を揺さぶられる。生きることはこんなに激しいことなのだ、惨めなことなのだということをこれでもか、これでもか、と叩きつけられる。みんな辛いんだ。生きることはそれだけで恥ずかしいことなのだ。若者に読んでほしい。 | ||||
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