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(短編集)
猛スピードで母は
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猛スピードで母はの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.95pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全48件 21~40 2/3ページ
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映画にもなっている【サイドカーに犬】と芥川賞受賞作【猛スピードで母は】の 中篇2つで出来ている本。長嶋さんの作品は初めて読んだのだけれど、 全体にとても良質な児童文学の匂いがして好感が持てました。 破天荒な父親と大喧嘩して出ていった生真面目な母親。そこに突然現れた謎の女性洋子さんと 薫とのヘンテコな夏の友情が描かれた、サイドカー。職業も付き合う男性も、 どんどん変わっていく母と小学六年生の慎の暮らしぶりが淡々と書かれている、猛スピードで。 共通して出て来るのは、どこか欠落してるハグレ大人。と、彼や彼女らに振り回されながらも、 「大人にも色々な大人がいて、それぞれに事情があるんだ」って事がわかっている子供。 両者の不思議な信頼関係の質感が凄くリアルで好きだった。サイドカーでの、 洋子さんと薫が子供と大人の関係だけじゃなく、女同士で友情を育んでる感じ、 もらったテープの思い出を大切にしてる点。猛スピードの母が、 女手一つで息子を育てる為に選んだ仕事。その職種ならでは、の嫌な場面を見てしまった後 ドキマギする慎と、サバサバした母の対比。さらりとした文体の中に 子供と大人の向き合い方の核心書けてるのに驚きました。今度長編も読んでみたいと思います。 | ||||
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短編集2作で構成されている。 『猛スピードで母は』 『サイドカーに犬』 映画鑑賞後に読みましたが、 映画でわかりづらかったことも、全て解決。 「こんなことなら、先に本を読んでおけばよかった」と後悔。 前作は少年、後作は少女が主役。 ともに、結婚をした男女に、 不倫であったり、離婚であったりが 絡むので、湿っぽくなりそうなんですが、 作品の世界は、とてもあたたかい。 『サイドカーに犬』 洋子さんなんて、愛人なのに、 いやらしさが全くなく、むしろ愛らしくて逞しい。 両作とも、非常に読者の 想像力をかきたてる良作になっています。 | ||||
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日常にありそうでない話です。でもそんな話をここまでの物語に昇華させてしまう作者の力量にひれ伏すしかありません。2編とも魅力的な女性が登場します。「サイドカー〜」の洋子さん、「猛スピード〜」の母。両編ともこの魅力的な女性の登場が物語の奥行きを広げる大きな要因となっています。こんな女性憧れてしまいます。 それにしても、何ともいい話です。両作品とも子供も目線から大人の行動を見つめています。その子供達はまるで「大人」のように静かに大人達の行動を見ています。逆に大人たちは「子供」のような行動をとるのです。そんな逆転の視座も物語の良さを高めているのでしょう。 | ||||
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装丁やタイトルの感じ、著者のキャラクターなどなどから、何となく好きになれないかも……と思っていたのだが、読んでみると、とてもすばらしかった。肩の力の抜けた(ような)文章がどこを取ってもいい。「サイドカー」も「猛スピード」も、語り手が本当に好感が持てる。好きになってしまった。「猛スピード」のほうが作品(構成?)として広がりがあるような感じはするが、「サイドカー」には洋子さんというすばらしいキャラクターが出てくるので、後者のほうが好きだな。どちらも、ただの小説(ためにする小説? 小説を書くために書いた小説というか……)という感じがしない。書くことによって世界をひねくりだしたんじゃなくて、この世界がさきにあってそれをすくいとった感じというか……。でもなんでこんな装丁にしたのかな。好きな人は好きなのか? | ||||
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何年か前の、芥川賞作品で、 もう1つの短編が、 去年映画になった『サイドカーに犬』。 後者の方は、 だいぶ映画が膨らまして作られたんだな、と思った。 どちらも違って、おもしろかった。 映画は出演者のキャラで良かったけど、 原作は、内面がきちっと書かれていて、 その部分が楽しめた。 視点は同じ少女なのだが、 原作にある、ノスタルジックな部分は、 なかなか映像に載せるのは、 難しいんだなぁと思った。 で、表題作は、 少年の視点で描かれる。 こんな大人びた子どもがいるのか、 ということをのぞけば、 そのシニカルな目線はおもしろい。 子どもの不思議は、 大人の世界の常識であり、 そこからはみ出した大人は、 どうも社会では生きにくいらしい。 そのことは、でも、 大人になってわかればいいんじゃないかな、 とも思う。 | ||||
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短編2作であるが、どちらの作品もホームドラマに出てくるようなホノボノとした家庭ではなく、母子家庭や家庭不和な状態である。 主人公はどちらも小学生の子供であり、そういった家庭環境でもグレずに生きている。教訓めいた話ではなく、子供心をうまく描写した作品。 スルメのようにジワジワと味が出るような作品である。 | ||||
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子どもの感性ってこんな感じなのかなといったリアリティがすなおに共感できる。子どものほうが案外常識的な暮らしをしているのかなとも思った。読んでいて、その温度感が伝わってくるような描写が心地よく、とても好きな作品になった。他の作品も読んでみようと思った。 | ||||
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『猛スピードで母は』です。文學界新人賞を受賞したデビュー作の『サイドカーに犬』と芥川賞受賞作の表題作が収録されています。 でも本は薄いですし、内容も読みやすいです。 両作品とも、子供の視点から大人を描いたものです。 子供が主人公だと、難しい表現が使えないなど制約も多いのですが、上手く料理しています。大人が読んで、充分に楽しめるものです。 子供視点から大人を見る、という場合、どうしても皮肉る要素が強くなりがちですが、本書では、もちろん皮肉要素もあるのですが、かなりクールな子供ですね。どこか哀しい笑いと軽さを含んだ文章で、この子供が大人になったらどうなるのだろうな、と思わせます。 多分、子供の時に見ていた大人像とほとんど同じ大人になるのでしょう。それが分かっているからこそ、痛烈に皮肉るのではなく、静かに見守っているのでしょうか。 | ||||
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「猛スピードで母は」と「サイドカーに犬」、どちらも好きだ。 子供がけなげでかわいいし、母親や母親代わりの女性との心の交流がしみじみとする。 生きるって大変だよな、って。 竹内結子さんには「猛スピードで母は」のお母さん役をやってほしかったな。 | ||||
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切ない。なにか切ない。読み進めてゆくなかで、「あーこの子はどこまでかわいそうになっていっちゃうんだろうか」とぐんぐん不安になる。近くに行って抱きしめてやりたくなってしまう。僕が男親だからだろうか、あまり母親のことは見えない。この子だけが脳裏に浮かぶ。ただ本当はおそらく僕が見えない「母親」の気持ちの流れとか変化がすごく重要なんだろう。「男」の視点と「女」の視点を意識しながら読むとおもしろいかもしれない。 この小説は芥川賞を取ったとのこと。僕にとっては、繰り返しになるけれど、非常に頼りない母親に、それでも寄りかかっている子どもの、支えようのない「不安定さ」をすごく感じて、読みながらずっと不安で、かなしくて、さびしくて、切なかった。 | ||||
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この本の中に収められている「サイドカーに犬」が映画化されるのを機会に、5年ぶりに改めて読み直してみました。 収められている2作品は、共に子どもの目から見た「家族」が捉えられています。どちらも裕福とは言えず、一般的に言って「幸福」という言葉からは、かけ離れた存在でしょう。 でも、この中で「サイドカーと犬」では洋子さんが、「猛スピードで母は」では母親が、「解放」的な子どもへの対処の仕方をします。がみがみと「規制」することなく、子どものしたいようにさせているように見えます。そんな二人の大人の女性が、子どもたちに見せる何気ない仕草や言葉の中の優しさや愛情が、読者に「家族」の素晴らしさを感じさせてくれます。 「家族」の問題が、ニュースになる機会の多い現代ですが、この作品を読むと、ほっとした気持ちになるのは何故でしょうか。ほんのちょっとした気遣い、思いやりで、問題は解決するのでしょう。 | ||||
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この単行本に収められている2作品に共通するのは親子の関係の距離が非常に微妙であるということだ。「サイドカーに犬」では父親と息子の距離は程よい感じがするが、姉と父は決定的に距離感がおかしいと思う。これがこの主人公が社会に馴染まない感覚と同等であることは作者が意図していたとするとすごいと感じる。それ以上に母親との距離はあまりにもはっきりした間隔が開いている。これもこの主人公の荒涼として人間関係の冷たさを測るに足りるものであるように思う。そして洋子さんという中間的な存在が表れることで初めて主人公である姉に外の世界を導くのである。洋子さんだけが記号論的に名前を持っていることも興味深い。 「猛スピードで母は」も慎と母親のべったりしてない距離感が不思議な物語世界の中心である。この作品が芥川賞を受賞しているが、私は「サイドカーに犬」の方が出来がいいように思う。この作品は終わり方が良くないように感じる。そこまで書いているのならそれらしい結末を用意して欲しかった。 | ||||
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主人公は父のいない小学生の男の子。 彼の視点から、なんの飾りもない、さっぱりした文体で母との生活を綴ってゆく。 あまりにも平易な文と淡々とした展開なので、初読ではタイトル通り「猛スピードで」読み飛ばしてしまった。 けど二度目にゆっくり、三度目にじっくり読んで、その素朴な文字の中に散りばめられたカケラを拾い集められた時、 ラストシーンがじわじわと胸に迫ってくるようになった。 母の心を直接語るのではなく、あくまで少年の目に映る母の姿から描いている。 素朴なだけに、彼らの心の動きを、より淡く、暖かい印象として残してくれる良作。 | ||||
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表題作は芥川賞受賞作ですが、僕はこっちよりも併録されている 『サイドカーに犬』の方が好みです。著者の文学界新人賞を受賞 したデビュー作で、芥川賞候補にもなりました(この後に表題作 で受賞します)。竹内結子主演で映画化も決まっている『サイドカー に犬』です。 まずタイトルが素晴らしい。「サイドカー『の』犬」ではなく、 「サイドカー『に』犬」なのが素晴らしい。微妙なニュアンス の違いだけのように感じますが、そうではないのです。「の」 ではダメなんです。「に」だというだけで、どれだけ僕は心を 掴まれたか。 物語は単純で、母が家出をし、「わたし」と弟のもとに父の愛人 がやって来るというものです。「わたし」と愛人を中心にした一風 変わった日々が描かれます。愛人のキャラクターが抜群で、めちゃくちゃ カッコイイ。正確は大雑把だけど、どこかしっかりとしていて太い「芯」 を持っている人。ラスト近くで描かれるこの人の「わたし」の父に 対する愛情は切ないです。このシーンでこの人の繊細なココロが見えてきて 胸を締め付けられます。 この『サイドカーに犬』の持つチカラは計り知れない。文句なしの傑作。 ふとした時に読み返し、そして胸を震わせています。 | ||||
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長嶋有の小説を読んで、何だか「これが小説ってもんだよなあ。」という気がした。特にどこが目立ってるわけでも派手さがあるわけでもないのだけれど・・・。 いったい他の作家と、どこが違うのか。 それはきっと人間を書こうとしていることかなと思う。彼は物語を書こうとしない。書いているけど、それを作り出すことにとらわれていないように感じる。ただ、「人」は書こうとしている。で、ちゃんと書いている。だから、登場人物の何でもない言葉に人の生きた思いが乗る。自然に、うるさくなく、乗る。 最近の若手の作家は、どうも物語を作ることに目を奪われ過ぎて、小説を薄っぺらなものにしてしまっている。 でも、長嶋有の小説には人がいる。 そんな気がする。 | ||||
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「サイドカーに犬」と「猛スピードで母は」、いずれも主人公の母を中心とした人間模様を描いた物語である。 「サイドカーに犬」は、海外の喫茶店でちょっとコーヒーを飲みながら姉弟が昔を回想するという設定である。おとなしいがしっかりしている姉、グレてしまった割りに母や姉に対して従順な弟という関係が、気持ちの良い歯がゆさを漂わせながら、物語り全体を彩っている。 最後のセリフも意味深である。 「猛スピードで母は」でも描かれている母親も非常に力強いキャラクターである。母とその息子(主人公)が友達同士のような関係で、これもまた「サイドカーに犬」に見る姉弟のような、何とも言えない雰囲気を物語り全体に流している。 どちらもサクサクと読み入ってしまう秀作である。 | ||||
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芥川賞受賞作「猛スピードで母は」、カップリングの「サイドカーに犬」ともに、主人公のこども(息子/娘)と、親(母/父)の愛人もしくは恋人との交流を描いている。 僕はどっちかと言うと「サイドカーに犬」にヤラれた。かなりテキトー、生活能力なし、やくざな性分の父に愛想を尽かし母が家出、父のマージャン仲間が出入りする家に違和感なく登場した父の若き愛人ヨウコ。定番の文脈だと、トーゼン主人公の娘(小学生)はこの愛人に敵意など持っちゃうわけだけど、この愛人と娘の関係がなんとも良好で、気持ちよく読者の予想は裏切られる。娘(小学生)は、たとえば食器の使い方だとか、コーラの立ち飲みに対する見解だとか、そういった母親と愛人の、対象的な生活ルールの違いを鋭く感じる訳だけど、厳しくて怒ってばかりだった母親より友達感覚でサバけた愛人に好意を抱くんである。親子関係よりずっとナチュラルでフラットなひと夏の不思議な関係。もちろん永続的じゃないから、タテ関係じゃないし、無責任でいられる、他人だから甘えられる、ってことなんだけど。でも、自分がまるで犬みたいに思える安らかで心地よい関係って、なかなか本当の親子関係には芽生えないもんである。三浦百恵宅を探訪する愛人と娘の夜のお散歩シーンがなんとも、なんともステキである。 北海道M市が舞台の「猛スピードで母は」。こっちは僕自身がM市出身という個人的な思い入れがあって、町の情景を思い浮かべながら読んだ。こっちは息子(小学生)が主人公で、離婚した母親およびその恋人との関係を描く。北海道は全国でも離婚率の高い都道府県なんだけど、サバサバ生きるかっこいい母親がなんとも魅力的。こっちの息子にしても「サイドカー〜」の娘にしても、親の愛人、恋人に対する“犬のような”ナチュラルな態度、フラットな気遣いが、とってもおとなである。僕も今度生まれてくる時には、こんなこどもになりたいと思う。 それにしてもこの著者の、乾いた、飄々とした、ユーモラスな、それでいて切ない独特の味わい。ほかの作品もぜひ読んでみたくなった。 | ||||
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第126回芥川賞受賞作。芥川賞直木賞が量産体制にあるので、それほどすごいという印象はないんだけど、やっぱり受賞作と帯に書かれると気になって手にとってしまう。書評誌でも好評みたいだったし薄いからと購入。 読んでみての第一印象は非常に文章が読みやすい。自分が理想とする文章はスラスラ朗読できるような文章なんだけど、見事に読みやすかった。偉い人は「話し言葉」と「書き言葉」の違いが大切だとか、漢字の持っている語彙をきちんとふまえてだとか、まあ色々言うわけだけど、テンポよく読めないような文章はダメだと思う。要するに読むものに教養や読む能力などを「過度」に要求するような本は好きじゃない。 自分は「猛スピードで母は」と「サイドカーに犬」の二編からなるこの本をすべて朗読で読破した。それくらい読みやすい。 | ||||
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わりとエンタメよりの作品だと思う。個人的には芥川賞の猛スピードで母はよりも、文学界新人賞のサイドカーに犬のほうがよかったと思う。 サイドカーは出て行った母親、その隙間を生めるように現れた洋子さんという女性と過ごした短い子供時代を描く作品。そのキャラの個性、さらに、今までの踏襲されていたシステムの塗り替えのシーンなどは鮮やか。世代が違うのでよくわからない感覚もあるけれど、やはり作品的には秀逸。子供の視線も見事。オチもべたべたせずに、さらっと流していく技術も見事。 猛スピードで母は。これも母親の話だが、どっちかというとサイドカーのキャラの個性に負けるような気がする。 | ||||
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こんなに無駄ない文章はすてきだ。話の脱線の仕方も好みだ。媚びるところがなくていい。 | ||||
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