■スポンサードリンク


言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能
言語の七番目の機能



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
言語の七番目の機能 (海外文学セレクション)

言語の七番目の機能の評価: 3.87/5点 レビュー 15件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.87pt
Created with Highcharts 5.0.101件6.67%2件13.33%1件6.67%5件33.33%6件40.00%得点得点☆1☆2☆3☆4☆5


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全3件 1~3 1/1ページ
No.3:
(1pt)

楽しめませんでした

タイトルに興味を引かれたが、結局その意味がわからなかった。登場人物が多いし、筋書に関係するのかどうかわからない引用も多い。そこは飛ばして読んだ。フランスの文壇の方々が内輪で盛り上がっているのかな。楽しめる方は一定数いるのでしょう。
言語の七番目の機能 (海外文学セレクション)Amazon書評・レビュー:言語の七番目の機能 (海外文学セレクション)より
4488016766
No.2:
(2pt)

パロディとしてもミステリーとしても楽しめない

ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ルイ・アルチュセール、ジュリア・クリステヴァ、さらにはウンベルト・エーコといったかつて一世を風靡したポストモダンの哲学、言語学、記号学のきら星のような有名人を実名で登場させ、ミステリー仕立てにした小説である。
しかし、その内容については、著者の博学と勉強ぶりに敬意を表して星2つにしたが、私としてはパロディとしてもミステリーとしても楽しめなかった。

小説は、実際に起きたバルトの交通事故と死亡が実は殺人事件であったという想定から始まり、事故前にバルトが所持していたとされる「言語の7番目の機能」について書かれた書面の追跡を縦軸に物語が展開する。その過程でフーコーやデリダらが言語の機能をめぐる丁々発止の議論を交わし、それが横軸のパロディとなっている。しかし、引用されている議論は断片的なものの寄せ集めで、元々が難解な言説を切り取って引用または変容したものであるため、理解不能な言説のオンパレードとなっている。おそらくその理解不能ぶりがパロディなのだろうが、これらのポストモダン哲学者や言語学者らについて多少は学んだことがある読者でないと、パロディかどうかもわからないと思われる。

より大きな問題は、実名小説としての事実とフィクションの扱いである。この小説の中で、バルトの事故死やアルチュセールの妻絞殺事件、ボローニャ駅の爆破テロは実際に1980年に起きたことであり、当時学生だった私は大きなショックを受けたことを覚えている。しかし、デリダは2004年に膵臓がんで死んだのであり、この小説中で犬に噛まれて死んだことにされているのは明らかに事実に反する。実名小説の作法としてはこれはルール違反であり、それだけで読む気をなくさせる。フーコーの描かれ方もあまりに下品であり、性の歴史へのラディカルな挑戦者を不当に貶めるものである。クリステヴァのパートナーであるソレルスの扱いもひどい。これらの人々や関係者から、よくも名誉毀損で問題にされないものだと驚く。
ちなみに、「訳者あとがき」を見ると、訳者も「風刺の度が過ぎる」と感じたそうだが、著者は風刺ではなく「嘲笑」であると答えたという。著者のルサンチマンで実名小説を書かれたら、読者はたまったものではなかろう。

他方、ミステリー小説としては、言語学者ロマン・ヤコブソンが著書で書かなかった「言語の7番目の機能」の争奪が動機となって殺人事件やスパイ合戦が起こるわけだが、事件の動機としてのリアリティと説得力が弱すぎる。ミッテランとジスカール・デスタンが争ったフランス大統領選挙の候補者討論と、グロテスクな秘密討論クラブの討論試合が背景となっているが、言語学者の理論を記した書面が虎の巻のようになって討論の帰趨が決まることなどありえない。言語による説得は経験と熟練による実技の分野に属するものであり、その目的と相手に応じて、政治家の弁論術、法廷弁護士の弁論術、ヒトラーのような大衆扇動術、宗教家の説教術、熟練の営業マンのセールストーク等々のその道のプロが存在するのである。したがって、ミステリーとしても砂上の楼閣で、リアリティと説得力を欠くといわざるをえない。
言語の七番目の機能 (海外文学セレクション)Amazon書評・レビュー:言語の七番目の機能 (海外文学セレクション)より
4488016766
No.1:
(2pt)

バイヤールって、バヤールでしょう。Bayard は、バヤール、と読む。

フランス語の本には、母音+y+母音の場合、y は i+i とか書いてあるけど、辞書の発音記号では、バヤールだわ。
バイヨンヌもバヨンヌ。もっと言えば、バヨヌ。Payot は、パイヨ→パヨ。Teyssot は、テソ。
Veyssière は、ヴェスィエール。Sieyès は、シィエス〔本当は、スィエスですが〕。

216頁の、エクフラシスの訳者の注〔もしかして編集者の注?〕は、まったく間違っている。
エクフラシスっていうのは、桑木野幸司氏の本によれば、「主題を眼前に生き生きと描き出す言論」。つまり言葉である。
「美術作品に表れた鮮やかで微細な描写」ではなくて、「美術作品を鮮やかで微細に表す言葉による描写」が正しい。したがって、以下のようになる。
原文は、…je dois finir de préparer une conférence sur les ekphrasis des bas-reliefs du Quattrocento.
 十五世紀の浅浮彫りにおけるエクフラシス〔美術作品に表れた鮮やかで微細な描写〕についての講演の準備をしなければならないのでね
→十五世紀の浅浮彫りをめぐる、さまざまなエクフラシス〔美術作品を鮮やかで微細に表す言葉による描写〕についての講演の準備を終えてしまわねばならないのでね

さて、このバルト、フーコー等々関係の実名本、いずれ買うことになると思うが、今は、図書館から借りてきた。
面白すぎ。デリダが犬にやられるなんて!
よって、いつもの通り、原著を注文してしまった。Amazon.fr に! ああ、物入りなことよ‼

校正:
214頁。クレマンス→クレメンス
206・207・211・216・224頁。ステファーノ→ステーファノ
235頁。ステファノ→ステーファノ
369頁。大運河のルビは、グラン・カナールではなく、イタリア語のカナール・グランデにすべき。
なぜなら、Venise を、ヴニーズではなく、ヴェネツィアとしているから。
360頁。≪グランド・ホテル≫→≪グランドテル・デ・バン≫
デ・バンが、抜けている。
215頁。人名列挙で、ボシュエとディドロの間に、レス枢機卿とスウェ―デンのクリスティーナ女王とカサノヴァの三人が、抜けている。まぁ、なんてこった! 編集に、フランス語のできる人いない、以前の問題。
〔でも、こういうのって、他の訳書でも、必ずどこかにありますよね。訳者と編集者のコラボって、大事ですよね!〕

何か、まだまだ、抜けがありそうですね。
文脈にはあんまり関係ないものの、やっぱり???

続けます。抜け訳。
207頁。ステファーノはカウンターの後ろに戻ると、髭男を指さした。→ステーファノはカウンターの後ろに戻ると、バヤールに分かるように髭男を指さしたのだ。。
217頁。フェリーニの映画に出てくる行列に似ている→フェリーニの映画に出てくる行列に少し似ている
219頁。周囲の壁は著名な解剖学者や木彫の像で飾られ→この壮麗な教室は著名な解剖学者や医者の木彫りの像で飾られ
原文:(une magnifique salle ......), ornée de statues en bois d'anatomistes et de médicines célèbres,
221頁。国民の支持、国民を率いる力、支配的な地位にあって、強権は、それぞれ原文ではイタリックなのに、傍点が欠けている。
223頁。プーリア訛りのある若者→プーリア州出身の若者

469頁。ビアンカのイタリア語。
「クリスト・ア・アッチーゾ・エ・パリエンタ・トゥオイエ。ヌン・テ・ミエッテ・シュクオルノ・エ・ライユータ?」
原文:Chisto a acciso a figlieta. Nun te miette scuorno e ll'aiuta.
ゆえに、「キスト・ア・アッチーゾ・ア・フィリエータ。ヌン・テ・ミエッテ・シュクオールノ・エ・ライユータ?」が正しい。
クリスト→キスト  
エ・パリエンタ・トゥオイエ→ア・フィリエータ

何と、訳者は、イタリア語の読み方を間違えたうえ、訳していない! こんなこと、ありえるのか。
うーん。どうも、このイタリア語、ナポリの方言のようだ。辞書調べても出てこないものばかり。
したがって、カタカナで表記するしかないのだ!
原書も、フランス語訳くらい書いたらどうなんだ!
ひょっとしたら、著者も分からない?
謎のまま。
ナポリ方言に詳しい方、コメントください。ま、来ないでしょうが。

さて、一番最後の文章。
470頁。そして、大地の胎内からは相変わらず硫黄の柱があふれ出ては空に向かって盛り上がり、大気を悪臭で染めていた。
原文:Et les colonnes de soufre continuent à s'échapper des entrailles de la terre, monter au ciel et empester l'atmosphère.
→そして、硫黄の柱の数々が、大地の胎内から噴出して空に向かって立ちのぼり、大気に悪臭を漂わせ続けている。

451頁。ポエイシス→ポイエシス 〔訳者は、ポエイシスと覚えている。本当は、ポイエーシス。〕
391頁。Il Barocco e la Peste. → Il Barocco è la Peste. この è は、接続詞ではなく動詞。
同頁。すべては虚しい、のルビ。オムニア・ヴァニタス←オムニア・ヴァニタ 〔ま、しかし、逆矢印の示すように、これは原著のほうが間違えてる。訳者による修正のヴァニタスのままでいい。〕
392頁。「彫刻性とバロックの不朽性と豊かな光のたわむれの勝利」→「彫刻性とバロックの記念碑性と光の遊動の豊饒性における、絶対的な勝利」
同頁。古典主義の作家などというものは存在しない……→古典主義の作家などというものは存在しない……現在では……〔抜け。〕

〔感想〕訳者は実力あるんでしょうが、惜しむらくは原著の版元から急かされ、剰え、前払い契約金(アドヴァンス)の関係で、思うほど充分に校正ができなかったと思われる。抜け訳が多いので、そう思われます。

398頁。どこから出てきたんだ? の傍点。どこから、の部分だけで良い。
382頁その他。サン=マルコ広場〔大聖堂〕→サン・マルコ広場〔大聖堂〕〔=印は、フランス語のハイフンの場合。〕
393頁。サン・ジョルジョ大聖堂→サン・ジョルジョ聖堂 365頁では、聖堂になっている。なお、聖堂を教会としてある363頁などがあり、統一がとれていない。フラーリは、聖堂になっている。
291頁。デリダの発表タイトルが、ア・セック・ソロってなっているが、原綴は、A Sec Solo で、よく分からないものの、これは「乾いた独奏に」という意味じゃないの? ここだけ、カタカナは変でしょ。
言語の七番目の機能 (海外文学セレクション)Amazon書評・レビュー:言語の七番目の機能 (海外文学セレクション)より
4488016766

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!