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春琴抄
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春琴抄の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.53pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全94件 61~80 4/5ページ
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文章は、昔の言葉が多いので多少読み進みづらいのですが、人を愛し思うことは、人によって様々で、自分ではここまでできるかな?って、考えました。 私は、舞台を見に行く前に予習で読みました。 本は、薄いですが、内容はとても重く読みがいありです。 | ||||
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見事なまでに文学! いやらしすぎないほどに耽美で、心にさわやかに残る美しい物語。 それでいながら編み込まれる日本語はかなりトリッキーだ。 たとえば四行の文章があったとすると、 一行目の内容を二行目がひっくり返し、 三行目がそれをさらにひっくり返す。 そして四行目でまた一行目と繋がったり、つながらなかったりする。 こんな技法で文学を紡ぐのははっきりいって反則である。 そんなレトリックに満ち満ちた日本語で語られるは、 師弟とも夫婦とも不器用な男女ともつかない無口な愛。 ただそれだけである。 | ||||
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日本の近代文学(明治以降)の最高峰。 この作品に続く近代文学は以下の作品であると思う。 たけくらべ、草枕、銀河鉄道の夜、雪国、金閣寺、無常という事、純情小曲集、燈台(金子光晴)、廃人の歌(吉本隆明)、みだれ髪。 これらのすべての作品の上に君臨するのが春琴抄である。 日本語で書かれた奇跡である。 近世以前の文学作品はほとんど読んでいないので、日本文学の中での評価は言えないが、読んだ中でいえば、平家物語に匹敵する。 | ||||
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文学とは、意味への希求であり、自分とは別の人生を生きる事である。 文学とエンターテイメント(娯楽小説)の違いは何か? 読後に清涼感や納得感やワクワク感がなくても、何かしら日常と違う違和感を心に挿す(挿さずにはいられない)のが文学である。 なぜ文学を読むのか? 誰しも自分の心の中を除けば、常識や楽しさでは割り切れないものを見つけてしまうからである。 たとえどんなに愛する人がいても、俺は自分の目を針で突いたりはしないだろう。でも、この本を読むと、自分の目を針で突くような人がいるかもしれないと思える。この本を読まなければ、味わう事のできない感情である。文学の面白さが、ここにある。 短いので簡単に読める。若い人に是非読んでもらいたい。 | ||||
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究極の愛のかたちである。 しかし今の小説では一般化した露悪的な性描写が一切ない。 一切ないまま、読み手に究極の愛のかたちを伝える近代文学の傑作。 盲目ではあるが、美貌で、傲慢で、天才肌の三味線の師匠・春琴。 その春琴に幼い時から、命がけで献身的に仕える佐助。 この作品を10代で読んだ時には、春琴の、高慢にふるまえる自信と才能に ひそかな憧れも感じたが、時を経て再読してみると、 佐助の尋常でない献身愛に、崇高な「母性」をも感じて震えるほどだ。 会話の中のやわらかな京ことばと、第3者に物語を語らせる手法が、 アブノーマルに傾く内容に、抑制と気品を与えている。 句読点や「」をあえてはずしてあるため、 読者は会話や文末を自分で判断して読み進めなければならないが、 その負担を感じないほどに、耽美的な世界へ読者をいざなう。 | ||||
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盲目の三味線の師匠である春琴に献身的に仕える佐助。春琴の美貌が傷つけられるや、面影を脳裡に焼き付けるために自ら盲目の世界に入る…。外界の眼を失うということは、同時に内界の眼を得るということで相殺されています。 可視的なものに美を感じるのではなく、不可視なものに美の陶酔の世界を描いています。 “狂気の愛”であるのか、はたまた“究極の愛”であるのか…。 | ||||
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おそらくは、明治初期あるいは、太平洋戦争後に「近代的」でないとして捨てられたというか、失われた古来からの日本の美が見事に描き出されている。 確かにお話だけだとエログロっぽいと感じる向きもあると思うが、わが国の古典を紐解くとこんな話は当たり前のように出てくるのである。 句読点や段落の省略は、独特のリズムを生み出している。まるで、古典に習ったかのようだ。 間違いない名作。でも、この文庫、もう少し字が大きかったらなあと思う。 | ||||
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恋愛をする過程で、恋人本人でなく、自分の思念で描いた恋人像に恋い焦がれることがある。その善し悪しは別として 十年後、二十年後に再読したい本。 | ||||
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ヒロイン的存在の春琴がなんだかかわいいです。 そしてこの作品の特徴とも言うべき特殊な文体。 普通なら読みにくいはずなのですが、丁度いい流れで入ってくる。 なんだか小難しそうな表紙ですが、普通におもしろい物語なのでページ数の短さから言っても誰にでも勧められるものだと思います。 | ||||
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余りにも有名なストーリーなので、読まずとも読んだ気になってる人は多いと思う。でも、そんな人にこそ言いたいが、この話は粗筋が分かっていても読んで損はありません。まず、読んでいて目が痛くなるという言語体験はそうありません。そして、マゾヒスティックな女性礼賛振りが「芸術」に昇華される谷崎文学の味が、こんな短編でお腹いっぱい味わえてしまうというのも、この作品の良いところです。 なお、著者本人が「文章読本」で語っているように、この短編は句読点に関する実験作でもあり、殆ど句読点が打たれていません。それゆえに、若干読み難く感じる人もいるかもしれませんが、ヒロインを扱った架空の伝記をネタに進んでいくストーリーともども、こういった細かい仕掛けが随所にある凝った作品でもあります。 解説曰く、かつては「いかに生きるべきか」という問いが無い、という点からこの小説は非難されたそうですが、いえいえ、10年経つと忘れ去られるような薄っぺらい哲学やイデオロギーなんかを超えて、谷崎は「耽美的に生きる」ことを「生き様」として書き抜いて常に支持を得ている、ぶっとい作家なんだと思いますよ。この作品もそんな作品です。 | ||||
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夜に読んだと言う事もあるかもしれませんが、例の佐助が盲目になろうろするくだりは、嫌いな爬虫類を見た時と同じように、本から目を背けてしまった。少し意味合いは違いますが、凝視出来ないと言う所は佐助も同じ心持ちだったのでしょう。 谷崎潤一郎の作品は始めて読んだので他の作品との比較が出来ませんが、この作品は句読点が極端に少なく、読んで行くうちに6代目三遊亭圓生のような話し方で読んでいました。ちょっとその辺は楽しかったですね。 本の内容は何度か読み返さないと、本質まで読む事は僕は出来ません。と言う事で星4つ。 短い本なので、又違った時期に読み返していたいと思います。 | ||||
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正直、愛せる物語ではないです。自分含め何人かが「あらすじ読んだだけだけど読みたくない」と思っていた作品です。 読んでから距離を置いて思い返すと、歪んだ愛を注がれ続け、女王として君臨することを強制させられた琴が哀れに感じてきます。 がしかし!そんな一般的な哀れみや嫌悪感を持っていても、実際に読むとこの異常な世界から目が離せず、両目をつぶす下りは「そう、これしか有り得ない。これが正しい」と息を止めて読んでしまうのです。 完璧な世界設定と描写力、俯瞰の語り口構成(を設定していながら暴走気味に推測を付け足す)、極めて異常な世界に凡人を絡めとる圧倒的な陶酔感。タイトルの美しさだけで、買った日から数日は読まずにうっとりしてしまいました。天才です。 でももう読み返したくない… | ||||
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全く、人間の幸・不幸は当人にしかわからない もので、その最たるものがドMが光を失って 幸福になる場面であろう。 物語に負けず文体も素晴らしく美しい。 しかし、改行・句読点が少なすぎて若干読みにくい。 氏の「文章読本」を読む限りでは一息を長く等、色々な意図があるようだが、私には合わなかった。 | ||||
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谷崎がその生涯において、作品ごとに文体を工夫・研鑽したことは夙に知られた文学史上の事実であるが、その技量が絶頂に達したと思われるのが「春琴抄」である。 この特異な恋愛劇を無理なく読ませてしまうところに、この作品の最大の特徴がある。 出だしの一行から最終行にいたるまで、作者の自在の文章に載せられて、文章を読むという、まさにそのこと事態が快感である、ということを存分に味わえる。就中、お琴の稽古をつける 場面に至っては、読者は恍惚となることを禁じえない。 こうした異常な文章力によってこそ支えられる作品群の作者を文学史のどこに位置づけるのかという問題が困難を極めるのはあたりまえのことであるが、そういう問題にかかわらない小説の読み手は、全身で快感を味わえばよいのである。 | ||||
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これはすごいね。強烈で衝撃的な小説。盲目の美女春琴、そして彼女を慕う佐助。この関係はまさにSとM。トイレまで付き添うんですからね。 とある事件をきっかけに美貌を傷つけられた春琴。「佐助々々わては浅ましい姿にされたぞわての顔を見んといて」。春琴の気持ちを汲んだ佐助は自分の目を・・・ 実話を元に書かれたらしいけど、春琴って美人だったんだろうな〜。俺もMっ気があるので、佐助の気持ちはちょっと理解出来るが、とても真似できん。 | ||||
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盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の以上なまでの愛と献身を描いた名作です。 艶やかで魅力的な女性が多い谷崎作品の中でも特に好きな作品です。 なにしろヒロインがえらいツンデレです(笑。といってもツンが九割デレが一割りという手厳しいツンデレですが、それが大変にいい。おそらく谷崎先生も相当なMだったんではないでしょうか? 佐助はわがまま放題の盲目の才女春琴のお世話係、いいとこの天才お嬢様にお使えするなんていうシチュエーションという時点で現代の所謂萌え要素満点ですね。おまけに盲目で三味線の稽古も手を引いてお連れするなんて発想現在にもないです。谷崎先生には時代を見通す千里眼でもあったんでしょうか。 春琴への思いにすっかり陶酔してしまっている佐助は彼女のお世話に生きる喜びを覚えます。 しかし春琴はその美貌を、彼女に恨みを抱いていた弟子に見るも無残に傷つけられてしまいます。佐助は彼女の醜態を見ないため、そしてその脳裏のある美しい面影を汚さないため、自ら目をつぶし盲目になります。 関西弁での絶妙なセリフ回しも大変芸術的です。文体がとにかくきれいで多少難しい表現や語が出てきてもまったく苦にならず、引き込まれてしまうのは谷崎作品のすごいところです。 | ||||
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―九歳より盲目になり、それまでしていた舞踊を断念したが、琴の天分の才能を見せつける春琴。春琴より四つ上で彼女の補助役の佐助は、春琴に親愛の情を持ち、春琴より琴を習う。 師の真似事をした春琴の暴力的な教えに恨みを持った弟子の利太郎が、熱湯により春琴の顔を汚す。美しい春琴を心に留めたい佐助は、自らの手で己の両目を潰し、盲人となる。しかしそれにより内界の眼を手に入れた佐助は、真なる意味で春琴と二人だけの世界に入れた心地を感じ、さらに春琴の美しさに惚れこんでいき、生を終える―。 この作品で即座に想起するのが、ソポクレス『オイディプス王』や、シェイクスピア『リア王』などである。「盲目の逆説」という文学の代表的なる主題。それを大谷崎が、日本語の極致とも云うべき流麗なる饒舌体の美文で、つらつらと書き連ねていく。区切りの○から○の間を、読者は呑まれるように一息で読んでいく。本来句点があるべき位置に無く、通常二、三、或いは四にもなるであろう文章を、一つの文章として、春水の流れの如く書き流す。無駄を排したが故にこのような短い作品に収められたのであろうが、まさに芸術的というのはこのようなことだと深く頷くことができる素晴らしき一作。この絵巻のような作品をたった三百円で堪能できることは至極贅沢だ。 | ||||
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下寺町の浄土宗のある寺を作者が訪れて生玉神社との間の崖にある鵙屋春琴と温井佐助の墓を墓参するところからこの物語ははじまる。 谷崎が関東大震災以降に関西に移り住み後に夫人となる松子との出会いが後の作品へ大きく影響したことは周知のことであるが、その松子への思いがもっとも昇華された形で表現された小説が春琴抄ではないか。 | ||||
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教科書とかでもちょっと有名な、谷崎潤一郎の作品です。……多分。 昔の作品なので、ちょっと文章が読みにくいのが難点ですが……でもこの文章のつづり方が好きなのですよ。私は。句読点が少なく、流れるように綴られる文章は、まるで古文のよう。一気に読み進めてしまって、ふと気づくと読み終えていたり。そう、長さも短めですしね。 内容は、純愛ものです。今流行りですね♪美しい盲目の女・春琴と、彼女の傍に仕えている男(名前忘れた……)の物語です。ある日、春琴はお湯で美貌を壊されてしまうのです。ひどい火傷を負わされるのですよね。でも、男は美しくない彼女の姿を見ないでいいように、いつまでも自分の中では彼女は美しいままであるように、自ら両目を潰してしまうのです。 狂気一歩手前の純粋な愛、だと思います。簡潔な物語ですけど、惹かれるのです。……自分には、到底真似できないんですけどね。 | ||||
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感動の名作です。涙を抑えるのがやっとでした(抑えなくても良かったのかも知れませんが)。 概要は美しい盲人の琴の師匠春琴と、その弟子佐助の純粋な恋の物語という感じでしょうか。前半部の佐助と春琴との関係は、どこか二人に差があり、いざこざが多く、微笑ましいです。このあたりの、春琴の性格とその振る舞いの描写は細部までにわたっており、リアルです。 その後春琴は何者かに顔を傷つけられるのですが、佐助は自分自身の美しかった春琴の姿を永遠に失わないために、自ら盲目の世界に入ります。そこでやっと二人の心は通じ合う、という筋です。そのときの佐助の喜びと、春琴の感激の様子には胸打たれます。 何度も何度も読み返したい、出来るだけ多くの人に読んでほしい、そう思います。 ただ、全体的に見ると手放しで褒める訳にも、ちょっといきません。解説に書いてあるように、まず最初から最後まで、作者の視点で見られていますので、登場人物の心理描写がほとんどありません。また、改行、段落わけ等がほとんど見られず、見開きびっしり文字で埋まっています。文学作品にあまり触れたことがない方にはすこし読みづらいかと思います。 以上の点以外を見れば、本当に良くできた作品です。ぜひ手にとって読んでみてください。 | ||||
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