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宰相A
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宰相Aの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.92pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全26件 21~26 2/2ページ
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少々ネタバレがあるので未読の方は気をつけてください。 SFのような導入部で読者を一気にひきつけ、中盤からは 日本の暗部と現政権のダブルスピークを暴いていく。 そして再びオーウェルのSF『1984』へのオマージュを思わせる 結末で締め。 2015年の現政権に論理以前の拒否感や嫌悪感を持っている人は 多いのだろうが、うっかり口を滑らせると「反日」だの「在日」だのと 時代錯誤な誹謗中傷を受け、その執拗さに辟易するのがオチだ。 それを恐れずに自分のフィールドで拒否感を告白した田中氏を 心から尊敬する。 相手は私人ではない。今の日本の最高権力者であり、時代の空気 そのものなのだ。本来なら、反対の立場にいる人間からこれくらいのレジスタンスは あって然るべきなのに、黙してしまっている人の何と多いことか。 芸術家も黙せず語れ、表現せよ。 | ||||
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著者が「安倍晋三の"A"でもあり、アドルフ・ヒトラーの"A"でもある」と言って ネットのニュースでほんのちょっと話題になった作品。私としては初めて読む田中慎弥作品。 作家として行き詰まった小説家が、異世界の日本に迷い込んでしまい 政府からは危険人物、反政府派からは革命リーダーの生まれ変わりとして扱われ その両者に板挟み状態になりながら話が展開する内容。 言ってしまえばこの小説はこの設定だけがすべて。 それ以外の、登場人物(の個性)、話の展開、描写、台詞、主張、など何一つ面白く無い。 私自身が初めて感じることだが、文字の量が多く一気に読ませるようとする見た目文字が詰まった 長い文章・段落がたびたび出て来るが、これが「ただ言葉が集まって塊になったもの」にしか見えない。 何かを表現するために多くの言葉・文を使って表現すると思うが、それらの言葉・文が バラバラ、連携が取れてない、表現も当然今一つ。 まるで「言葉・文」という大小様々な石を積み上げた石垣が読者に立ちはだかるようだ。 長々と読んでても全然頭に入ってこない。ただそこに並んだ言葉を読み上げてるだけのような感覚。 単体の言葉・文も素人が「いかにも小説家が使いそうな表現」を真似て使いましたというような感じ。 文章・表現が上手くなく、それでいて長文が多い、登場人物の台詞も淡々としてる。 そうなると読むテンポが悪くなる。読むテンポが悪い本で面白かった試しが無い。 この本もまさにそれである。 小説はいかに読者を自分の作り上げた世界観に引き込むかが大事だと思うが 残念ながらこの本における世界観=田中慎弥ワールドに引き込まれなかった。 設定はある、でも設定を奥行きのある世界にできてない。 主人公が連行される場面、政府(日本人)と反政府(旧日本人)の戦いといった 本来ならすごく緊張感がある場面もまったくそれが感じられない。 本の中で緊張感・切迫感・ジタバタする登場人物たち、淡々と文字だけ目で追う読者。 両者の隔たりは大きい。 どこか現実のような架空のような、何かを主張しているような、揶揄しているような この中途半端雰囲気が悪い意味でチープ。ここに出て来る政府も 戦後間もない米国占領下の日本のような、今の親米的な日本のような。 完璧な民主主義国家と言いながら政府に監視され様々な自由が無い国家だったり。 N・Pも明らかにマイナンバー制度だし。 また所々で出て来る性的言葉:セックスだの局部だのもチープ。 田中慎弥の考え・主張めいたものも出て来るがこれもまた安っぽい。 結局「何一つ面白くない」としか言えない。お金と時間が無駄。 よく出版社もこの本を出したものだ。 例の「安倍のA、A・ヒトラーのA」発言は田中慎弥の精一杯のマーケティングだったのかも知れない。 ヒトラーと言い出した時点・それを出せば簡単に目を引くと思った時点でたかが知れるが。 星は最低一個なので一個付けるが実際はゼロ=無星。 | ||||
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他のレビューにもありましたが、 この小説は、50年前にアベ・コーボー作として出版してたら、評価されてたかもしれません(もちろん、もっと短くしなきゃだめですけど)し、 現在も中学生向き夏休みの感想文向けみたいな本になってたかもしてません。 | ||||
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この小説にパラレルワールドでの冒険譚を期待してはいけないでしょうね。ストーリーを展開させるにはページ数が少なすぎます。もしそれを期待するなら他の本を手に取ることをお薦めします。 フィクションの世界から覚めて、でもまだフィクションで、だけど主人公の独白で述べていることと書いている小説の中身は合致しない。作者の野心的な仕掛けといっていいかもしれませんが、この仕掛けがこの小説の最大の目的であったかはわかりません。 グロテスク。 われらの宰相の最大の特徴を的確にとらえていると思います。 | ||||
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反体制にかぶれちゃった中学生が書いたような小説 この手の題材ではもっとうまい書き手の先人(村上龍とか)がいるので凡庸としか言えない この著者の方は読者の感情に訴えるような良い文章を書くんだけど 今作はそれを全部取っ払って己の感情だけで書いている感じがする 一言で言えば駄作 | ||||
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田中慎弥さんの新刊「宰相A」が問題作として話題になっている。「週刊現代(2015年4月4日号)」に田中慎弥さんのインタビューが掲載されていたので、その記事と「宰相A」の一部を引用させて頂きながら「宰相A」の魅力に迫りたい。(「」は「週刊現代」からの引用。『』は「宰相A」からの引用) 田中慎弥さんは新潮新人賞を受賞してデビューし、その後川端康成文学賞、三島由紀夫賞、芥川賞を受賞するという純文学の王道を歩んできた小説家だ。そんな田中さんが「いわゆる純文学と呼ばれるものを書いてきましたが、作家として変わらなければいけないという意識が強くあって、これまで書いてこなかったある種ファンタジックなストーリーを広げた」のがこの作品だ。 田中さんの必要とする変化とは何だろう?この発言からは純文学というジャンルを冒険的に逸脱し、他ジャンルの手法なども取り入れた新しい小説を目指したとも解釈できるが、本当のところはどうなのか?実際この小説は、これまで封印してきたであろうエンタメ要素が強化された小説になっている。作家Tが、母の墓参りに向かう途中、不思議な世界に迷い込む。そこは深緑色の制服を着たアングロサクソンが日本人としてモンゴロイドの旧日本人を支配し、世界中で戦争をしているもう一つの日本だった。もう一つの日本には次のような制度がある。 『日本国民には出生と同時に漏れなく国から、ナショナル・パス(N・P)が発行される。これにはN・Nが記載、入力されている』。『N・Pを持たないのは国家に、つまり民主主義に反逆する意図があると疑われる』。 『旧日本人として、政府が設定した特別な居住区に暮らしている。外側の、日本人と同じ社会での生活は許されていない』。 『民主的な日本に害を及ぼすものはなんであれ正義と民主主義の敵であるのだから、その敵を排除するために使用される武器、攻撃力はまさに民主主義の根幹であり、子ども達にアンケートを取れば、将来就きたい仕事として軍人は常にトップとなる』。 以上のようなシステムにより、もう一つの日本は『完全民主主義国家』を実現している。まるで村上龍の「5分後の世界」のようでもある。村上龍も「愛と幻想のファシズム」以降、政治を積極的に小説に取り入れてきたが、田中さんも本作で「明らかに今の政治状況を取り込んで」いる。そして現実の問題を反映させるため、村上龍が5分後の世界を舞台にしたように、田中さんも迷い込んだ異世界を舞台にしている。そこは絶望と不安に満ちたカフカの「城」の世界も彷彿とさせる。 宰相Aは明らかにあの人をモデルとしているのだが、田中さんは「もちろん、Aは安倍晋三総理であり、アドルフ・ヒトラーでもあります」とあっさり認める。しかし安倍=ヒトラーとはどういう意味だろうか?田中さんは安倍総理について「日米関係を継続させつつ戦後レジームから脱却するという理屈には、どこかで必ず矛盾が出てくる」と安倍総理の「わからなさ」を日本そのものの「わからなさ」に重ねて見ている。 次の発言がおそらく「安倍=アドルフ・ヒトラー」をモデルとしているということなのだろう。「安倍さん自身は悪い人でもないし、独裁者になるつもりもないでしょう。だけど、そういう弱い部分が逆に怖い気もするんです。無理を重ねて、エキセントリックなところまで行ってしまうのではないかと」。 宰相Aは演説する。『我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります』 旧日本人の中に、かつてJという英雄がいた。主人公のTは彼と瓜二つだったことから「Jの再来」とされる。このアイデアのきっかけは、08年に秋葉原で起きた無差別殺傷事件だ。「取り押さえられた加藤智大の横顔を見て」、田中さんは「私に似ている」と思った。それがずっと気になっていたという。 だから事件から7年が経過して、ようやく小説に使用したということだ。7年という短くはない歳月にはどんな意味があるのだろうか?2013年のTBS「情熱大陸」に出演した時に、田中さんが秋葉原を取材する姿がカメラに収められていたが、その時すでに本作のイメージの予兆のようなものはあったのだろうか。そして加藤智大と田中慎弥が似ているとはどういうことなのか?田中さんは自分が加藤と同じことをしていた可能性があると思ったのか。 Jは加藤智大だ。加藤は英雄なのか?そしてJはTだ。加藤は田中さんだ。Jの怒りはTの怒りだ。加藤の怒りは田中さんの怒りだ。Tは政府にとっては危険物。そしてTは救世主となる。 Tは「紙と鉛筆をくれ」と繰り返す。旧日本人たちは「小説なんてなんの役にもたたない」と無視する。田中慎弥さんも、今でも必ず毎日紙に鉛筆で小説を書いている。「紙と鉛筆をくれ」というのは田中慎弥さんの叫びでもある。 本書の舞台であるもう一つの日本では、『日本のように極めて成熟、完成された民主国家において、例えば作家などの芸術家が国の認可なく表現活動を行うことは許されない、というより必要とされない」のだ。田中さんは、今の日本は自由に表現することが憚られるような、「何かイヤな空気が漂っている」気がするという。「小説を書くことの力は小さいが、ただ書きたい。わがままな欲求だけで書くのが小説」というものだと信じている。 2013年7月東京国際ブックフェアの田中慎弥さんと平野啓一郎さんと柴崎友香さんの鼎談に出席したのだが、その時に「読書との出会い」に関して、田中さんが「子供の頃に母親に布団の中で読んでもらったジャックと豆の木」と話していたことが印象に残っている。実際に田中さんは物心つく前に父親を亡くし、母親の手だけで育てられた。 本書でも主人公Tは母親しか知らず、母親は息子に次のように語りかける。そこには田中さんの原風景があり、小説を書くことへの思いが凝縮されている。そしてJが英雄になったのも母親がきっかけだった。 『さ、いくらでも書けばいいの。ただし途中でやめちゃ駄目。ずっとずっと、たとえどんなに大変なことがあっても惨めな目に遭っても書き続けなさい。残念だけどあなたは主人公じゃない。あなたは言葉を身につけて言葉で闘いなさい。言葉で逃げなさい。逃げながらでもいいから、お話を作り続けなさい。』 田中さんもこれまでどんなに大変なことがあっても、惨めな目に遭っても、書き続けてきた。田中さんは勉強もスポーツも出来なかった。そんな田中さんが出来ることは、本を読むことと小説を書くことだけだった。高校卒業後、一度も就職せず、アルバイトさえしなかった。部屋に引きこもり、ひたすら小説を読み、30歳を超えて運良くデビューするまで、たった一人で小説を書き続けた。そして今も文字通り田中さんは言葉で闘い続けている。 小説とは作家が読者に何かを伝えるために書かれる。今回田中さんが伝えたかったのは、「私には今の世の中がこんな風に見えることもあるんだけど、皆さんはいかがですか?」ということだ。今の世の中は何だか不愉快で気持ち悪い。嫌な予感しかしない。『諦め。壮絶な諦め。立派な諦め。鯨並みに圧倒的な諦め』『私は頭に来てる。それ以上にうんざりだ』。 いずれにしても非常に意欲的で、野心的で、挑発的な作品に仕上げたとの強い自負がうかがえるし、実際にそのような作品になっている。この小説にはそれだけの価値がある。この作品では文学が文学の役目をしっかり果たしている。救済のために絶対に必要なのは「紙と鉛筆」だけなのだ。 『母さん、これでいいね?なんてったって言葉より大事なものなんか、言葉を並べ替えて出来る面白いものより大事なものなんか、あるわけないよね?』 | ||||
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