忘れられた巨人

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忘れられた巨人の評価:

3.88/5点 レビュー 139件。 A ランク

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平均点3.88pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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全267件 241〜260 13/14ページ
No.27
(5pt)

イシグロらしくなくて、イシグロらしい。ファンタジーの奥にあるものを見てほしい。

これまで、「日の名残り」や「私を離さないで」など読んできて本作を読みました。読み始めてすぐに感じたのは、「これは本当にイシグロの作品なのか?!」ということでした。それほど、一見しただけでは、本作はイシグロらしくないのです。第一にイシグロ特有の一人称の語りではなく、全知の語りで物語が展開されていくからです。加えて、アーサー王をはじめとする5世紀(6世紀)を舞台に、当時のブリテン人とサクソン人という人種間の争い。記憶を取り戻すのか、それとも忘れたままでいたほうがいいのか。などなどファンタジーの要素が満載の作品になっています。
以上のように、本作はこれまでのイシグロ作品とは作風を異にする点もありますが、私はこの作品を読み進めるにつれて、「イシグロらしくないが、やはりイシグロらしい」作品であると感じました。確かに語りの方法や場面設定はこれまでになかったものでしょう。しかし、イシグロがよく述べているように、ファンタジーなどという設定は、イシグロにとってあくまでも、「なにかを伝えるための道具に過ぎない」のではないでしょうか。そして、その「伝えたい何か」の核となる部分は変わっていないと感じます。その核とは、「日の名残り」や「私を離さないで」でも核にあった「記憶」、「愛」ではないでしょうか。イシグロはその核を直接的に、教示的に示そうとはしません。普遍的な核、つまりテーマを伝える道具として、今回はファンタジーという設定を選んだのでしょう。その点で、私はイシグロの表現の巧みさに感動しました。どのような設定にするにしても、人間の普遍的なものを生き生きと描き出す、「イシグロらしさ」がとてもよく出た作品であると思います。これまでのイシグロ作品を読んだ方にも、そして、読んだことがない方にもおすすめです。読んだことがない方は、この作品に続いて「日の名残り」を読まれることをおすすめします。上で私が述べた意味がわかっていただけると思います。そして、イシグロ作品を読まれている方は、本作の世界観を楽しむとともに、あえて「記憶」・「愛」以外の視点から本作を読まれてみてはいかがでしょうか。例えば、「憎しみと愛」(憎しみと愛情は共存できるか?)・「正義とはなにか」(正義こそが平和を乱す?それぞれの正義が異なるからこそ、争いが生まれる?)など、様々な読みを本作は与えてくれます。ぜひ、お楽しみください。
忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)より
4151200916
No.26
(5pt)

イシグロらしくなくて、イシグロらしい。ファンタジーの奥にあるものを見てほしい。

これまで、「日の名残り」や「私を離さないで」など読んできて本作を読みました。読み始めてすぐに感じたのは、「これは本当にイシグロの作品なのか?!」ということでした。それほど、一見しただけでは、本作はイシグロらしくないのです。第一にイシグロ特有の一人称の語りではなく、全知の語りで物語が展開されていくからです。加えて、アーサー王をはじめとする5世紀(6世紀)を舞台に、当時のブリテン人とサクソン人という人種間の争い。記憶を取り戻すのか、それとも忘れたままでいたほうがいいのか。などなどファンタジーの要素が満載の作品になっています。
以上のように、本作はこれまでのイシグロ作品とは作風を異にする点もありますが、私はこの作品を読み進めるにつれて、「イシグロらしくないが、やはりイシグロらしい」作品であると感じました。確かに語りの方法や場面設定はこれまでになかったものでしょう。しかし、イシグロがよく述べているように、ファンタジーなどという設定は、イシグロにとってあくまでも、「なにかを伝えるための道具に過ぎない」のではないでしょうか。そして、その「伝えたい何か」の核となる部分は変わっていないと感じます。その核とは、「日の名残り」や「私を離さないで」でも核にあった「記憶」、「愛」ではないでしょうか。イシグロはその核を直接的に、教示的に示そうとはしません。普遍的な核、つまりテーマを伝える道具として、今回はファンタジーという設定を選んだのでしょう。その点で、私はイシグロの表現の巧みさに感動しました。どのような設定にするにしても、人間の普遍的なものを生き生きと描き出す、「イシグロらしさ」がとてもよく出た作品であると思います。これまでのイシグロ作品を読んだ方にも、そして、読んだことがない方にもおすすめです。読んだことがない方は、この作品に続いて「日の名残り」を読まれることをおすすめします。上で私が述べた意味がわかっていただけると思います。そして、イシグロ作品を読まれている方は、本作の世界観を楽しむとともに、あえて「記憶」・「愛」以外の視点から本作を読まれてみてはいかがでしょうか。例えば、「憎しみと愛」(憎しみと愛情は共存できるか?)・「正義とはなにか」(正義こそが平和を乱す?それぞれの正義が異なるからこそ、争いが生まれる?)など、様々な読みを本作は与えてくれます。ぜひ、お楽しみください。
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.25
(5pt)

老夫婦の愛と葛藤という「小さな物語」と、異なる民族の対立と共存という「大きな物語」が「記憶と忘却」によって結びあわせられる。

6、7世紀と思われるイングランド。ブリトン人の老夫婦アクセルとベアトリスは、息子の住む村を尋ねようと旅立つ。アーサー王の甥である老騎士、サクソン人の戦士、サクソン人社会から疎まれた少年などを道連れに旅する中で、霧に霞んでいた記憶が次第に露わになっていくが…。
 老夫婦の愛と葛藤という「小さな物語」と、ブリトン人・サクソン人の対立と共存という「大きな物語」が「記憶と忘却」というキー概念によって結びあわせられる。
 その展開の巧みさにぐいぐい読んでしまいながら、物語の結末、特に老夫婦の行方がどうなるか心配になって「これ以上読み進めたくない」という気にさせられる。
 記憶を失って生きていくことは個々の人間にとってはつらい(私の父は認知症だったので、そのつらさが少し想像できる)。しかし、集団的な/民族的な記憶を保持することは、しばしば正義の実現を求めることに通じ、復讐をもたらし、際限のない闘いに結びつく(「許そう、しかし忘れまい」ということは果たして可能なのだろうか?)。私たちは記憶と忘却をどう扱ったらよいのだろうか。
忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)より
4151200916
No.24
(5pt)

老夫婦の愛と葛藤という「小さな物語」と、異なる民族の対立と共存という「大きな物語」が「記憶と忘却」によって結びあわせられる。

6、7世紀と思われるイングランド。ブリトン人の老夫婦アクセルとベアトリスは、息子の住む村を尋ねようと旅立つ。アーサー王の甥である老騎士、サクソン人の戦士、サクソン人社会から疎まれた少年などを道連れに旅する中で、霧に霞んでいた記憶が次第に露わになっていくが…。
 老夫婦の愛と葛藤という「小さな物語」と、ブリトン人・サクソン人の対立と共存という「大きな物語」が「記憶と忘却」というキー概念によって結びあわせられる。
 その展開の巧みさにぐいぐい読んでしまいながら、物語の結末、特に老夫婦の行方がどうなるか心配になって「これ以上読み進めたくない」という気にさせられる。
 記憶を失って生きていくことは個々の人間にとってはつらい(私の父は認知症だったので、そのつらさが少し想像できる)。しかし、集団的な/民族的な記憶を保持することは、しばしば正義の実現を求めることに通じ、復讐をもたらし、際限のない闘いに結びつく(「許そう、しかし忘れまい」ということは果たして可能なのだろうか?)。私たちは記憶と忘却をどう扱ったらよいのだろうか。
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.23
(2pt)

がっかり

書評を読んで購入したけれど、あまりに虚構が奇抜すぎて小説の中に入っていけない。どこの国の話?なぜこんなに当たり前のように鬼とかでてくるわけ?
忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)より
4151200916
No.22
(2pt)

がっかり

書評を読んで購入したけれど、あまりに虚構が奇抜すぎて小説の中に入っていけない。どこの国の話?なぜこんなに当たり前のように鬼とかでてくるわけ?
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.21
(3pt)

分かち合ってきた過去を思い出せないんじゃ、夫婦の愛をどう証明したらいいの?(60頁)

時代はアーサー王が身罷(みまか)ってさほどの歳月が過ぎていないころ。ブリトン人の老夫婦アクセルとベアトリスは、今は離れて暮らす息子を訪ねるべく、住み慣れた村を後にした。しかし息子がなぜ自分たちの元を離れたのか、今となっては記憶が定かではない。二人は文化習俗の異なるサクソン人の騎士や少年と行動を共にしながら息子の住む村を目指すのだが…。

 先月(2015年6月)来日したカズオ・イシグロが『』以来ほぼ10年ぶりに世に問う新作小説です。
 どんな内容なのか、何が描かれるのか、全く予備知識もなければ予測もせぬまま購入して読み始めたのですが、これはなかなか手ごわい小説でした。

 まず物語の端緒では、アクセルとベアトリスの長年月を共に過ごしてきた夫婦ならではの互いをいたわり合う心根の美しさが描かれ、それは読者である私の気持ちにしっとりと寄り添いました。
 ですが、息子に関する二人の記憶が曖昧なのは高齢のせいなのだろうか、とぼんやり思いながらページを繰り続けた末に、やがてこの物語が騎士や竜といった中世幻想譚の装いを見せ始めると、率直なところ、距離を感じてしまったのです。

 この物語が訴えるのは、どうやら記憶が人間に与える喜びと哀しみのことのようです。
 人間の記憶は幸せだったことよりも辛かったことのほうが強く脳に刻まれるものだと聞いたことがあります。それは将来訪れる危機的状況から身を守るために人間に備わった能力だとも耳にしています。
 ですがその辛い思い出を反芻することは苦いおこないであることには違いありません。出来うるのであれば、その辛い記憶を拭ってしまいたい、そう考えるのも無理のないことです。
 その願いが幸いにも叶ったとき、しかし同時に息子との掛け替えのない思い出も失ったとしたら。
 アクセルとベアトリスのこの物語が紡ごうとしたのはそうした世界なのではないでしょうか。

 「神様はわたしたちがしたことの何かに怒っているんじゃないかしら。それとも恥じているとか――」(中略)
 「わたしたちを――わたしたちのしたことを――深く恥じて、ご自身でもわすれたがっていたら? その人がアイバーに言ったように、神様が覚えていないなら、わたしたちが忘れても不思議じゃありませんよ」(100)

 村上春樹も記憶や思い出について繰り返し物語を編んできましたが、それは思い出こそが人間を支えるよすがになるというものでした。
 「人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないかな。(中略)もしそういう燃料が私になかったとしたら、もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。」(『』250~251頁)
 
 記憶を失うことが意味することの両面について見つめるきっかけを『忘れられた巨人』が与えてくれたのは、ひとつの得(う)るべき点だと私は思います。 
 ですが、この幻想譚の行方がなかなか読みとれなかった私には、この小説はおよそ10年前に『わたしを離さないで』で味わったような平坦な読書経験を与えてはくれませんでした。そのことが残念なのです。

-------
373頁:「こいつを鞘から引く抜く」とありますが「引き抜く」ではないでしょうか?
忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)より
4151200916
No.20
(5pt)

人生における制約と記憶

主人公のアクセルは、記憶がよみがえったことで、アーサー王の騎士たる誇り高き時間と同時に自分の犯した罪を思い出す。
記憶や忘却が一意的に善か悪かを決めることはできない。心すべきは記憶/忘却をする私たちは、不完全で理不尽な人生を生きていることだ。忘却がなければ、罪に苛まれる人生しかないが、忘却ばかりだと価値ある人生や人格を評価することができない。それは喜びも悲しみも少ない、淡い水彩画のような人生だ。過去数千年にわたり、人類は紛争を重ねてきた。平和を願う意志はあっても、私たちの記憶がそれを許さない。これからも私たちは制約条件の厳しい世界を生きていかなくてはならない。
忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)より
4151200916
No.19
(3pt)

分かち合ってきた過去を思い出せないんじゃ、夫婦の愛をどう証明したらいいの?(60頁)

時代はアーサー王が身罷(みまか)ってさほどの歳月が過ぎていないころ。ブリトン人の老夫婦アクセルとベアトリスは、今は離れて暮らす息子を訪ねるべく、住み慣れた村を後にした。しかし息子がなぜ自分たちの元を離れたのか、今となっては記憶が定かではない。二人は文化習俗の異なるサクソン人の騎士や少年と行動を共にしながら息子の住む村を目指すのだが…。

 先月(2015年6月)来日したカズオ・イシグロが『』以来ほぼ10年ぶりに世に問う新作小説です。
 どんな内容なのか、何が描かれるのか、全く予備知識もなければ予測もせぬまま購入して読み始めたのですが、これはなかなか手ごわい小説でした。

 まず物語の端緒では、アクセルとベアトリスの長年月を共に過ごしてきた夫婦ならではの互いをいたわり合う心根の美しさが描かれ、それは読者である私の気持ちにしっとりと寄り添いました。
 ですが、息子に関する二人の記憶が曖昧なのは高齢のせいなのだろうか、とぼんやり思いながらページを繰り続けた末に、やがてこの物語が騎士や竜といった中世幻想譚の装いを見せ始めると、率直なところ、距離を感じてしまったのです。

 この物語が訴えるのは、どうやら記憶が人間に与える喜びと哀しみのことのようです。
 人間の記憶は幸せだったことよりも辛かったことのほうが強く脳に刻まれるものだと聞いたことがあります。それは将来訪れる危機的状況から身を守るために人間に備わった能力だとも耳にしています。
 ですがその辛い思い出を反芻することは苦いおこないであることには違いありません。出来うるのであれば、その辛い記憶を拭ってしまいたい、そう考えるのも無理のないことです。
 その願いが幸いにも叶ったとき、しかし同時に息子との掛け替えのない思い出も失ったとしたら。
 アクセルとベアトリスのこの物語が紡ごうとしたのはそうした世界なのではないでしょうか。

 「神様はわたしたちがしたことの何かに怒っているんじゃないかしら。それとも恥じているとか――」(中略)
 「わたしたちを――わたしたちのしたことを――深く恥じて、ご自身でもわすれたがっていたら? その人がアイバーに言ったように、神様が覚えていないなら、わたしたちが忘れても不思議じゃありませんよ」(100)

 村上春樹も記憶や思い出について繰り返し物語を編んできましたが、それは思い出こそが人間を支えるよすがになるというものでした。
 「人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないかな。(中略)もしそういう燃料が私になかったとしたら、もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。」(『』250~251頁)
 
 記憶を失うことが意味することの両面について見つめるきっかけを『忘れられた巨人』が与えてくれたのは、ひとつの得(う)るべき点だと私は思います。 
 ですが、この幻想譚の行方がなかなか読みとれなかった私には、この小説はおよそ10年前に『わたしを離さないで』で味わったような平坦な読書経験を与えてはくれませんでした。そのことが残念なのです。

-------
373頁:「こいつを鞘から引く抜く」とありますが「引き抜く」ではないでしょうか?
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.18
(5pt)

人生における制約と記憶

主人公のアクセルは、記憶がよみがえったことで、アーサー王の騎士たる誇り高き時間と同時に自分の犯した罪を思い出す。
記憶や忘却が一意的に善か悪かを決めることはできない。心すべきは記憶/忘却をする私たちは、不完全で理不尽な人生を生きていることだ。忘却がなければ、罪に苛まれる人生しかないが、忘却ばかりだと価値ある人生や人格を評価することができない。それは喜びも悲しみも少ない、淡い水彩画のような人生だ。過去数千年にわたり、人類は紛争を重ねてきた。平和を願う意志はあっても、私たちの記憶がそれを許さない。これからも私たちは制約条件の厳しい世界を生きていかなくてはならない。
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.17
(2pt)

期待していただけに残念

2005年に出版された「わたしを離さないで」が面白かっただけに今回は残念だった。

新鮮味のないありきたりな話の展開に物語に入り込むことができず、半分ぐらいからは作業的に読んでしまっていたので最後まで読まずに本書を閉じました。

最後まで読んでいたらまた感想が違ったかもしれないが、SFならではの興奮や次の展開への期待がまったく込み上げてこず、半分以上読み進めることが出来なかった。
忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)より
4151200916
No.16
(2pt)

期待していただけに残念

2005年に出版された「わたしを離さないで」が面白かっただけに今回は残念だった。

新鮮味のないありきたりな話の展開に物語に入り込むことができず、半分ぐらいからは作業的に読んでしまっていたので最後まで読まずに本書を閉じました。

最後まで読んでいたらまた感想が違ったかもしれないが、SFならではの興奮や次の展開への期待がまったく込み上げてこず、半分以上読み進めることが出来なかった。
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.15
(2pt)

忘れられた巨人

導入部の期待感が、盛り上がることはなかった。こんごの展開は?
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.14
(5pt)

極上の物語を読むことの楽しさ。

《忘れられた巨人》カズオイシグロを読んだ。小説を買って読むのは本当に久しぶり。英国の6世紀頃を舞台にした老夫婦を巡るファンタジィ小説。
英国が今の形になるまで様々な曲折を経たことが理解できるが何より夫婦とは何か、生きるとは何か,私たちはそして私は何を記憶し何を忘れるのか、
もう一度考えさせてくれる気がする。英国人に帰化したイシグロの新境地。私にとって《日の名残り》以来の2作目だが、物語の展開に追われ一気に読んだ
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.13
(5pt)

過去の歴史と忘却の霧、それを我々は直視し、乗り越えていけるのか

これは小説という形式を借りたカズオイシグロからの強烈なメッセージであり問題提起だ。
個人(恋人、夫婦や家族)のレベルでも、民族のレベルでも、国のレベルでも我々は過去の出来事や歴史認識を乗り越えていくことができるのであろうか。もしくは敢えて過去に蓋をすることで現在を幸せに生きていく道を選ぶのか。果たして過去を直視せずに蓋をしたまま生きていくことができるのか。過去を見つめずに真の愛情や信頼関係を築くことができるのか。何れのも道も険しい道であるが、カズオイシグロからは勇気をもって真摯に過去を直視せよ、それを乗り越えてこそ真の関係を構築できるのではないか(もしくは忘却の霧にまかせておく方がよかったのであろうか)と問題提起がなされている。本書の中では結論は明示されていないものの、読者の解釈によって如何様にも捉えることができる。
しかし、いずれも険しい道であろうが我々に選択は避けられない。
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.12
(5pt)

ファンタジーの楽しみ。

私は、楽しく読みました。
作者が今まで私たちに見せてくれた世界を思うと「何か深いものを読み取らねば」という書評の先生方や真面目な読者の皆さんの意気込みもわかるような気がしますが、ファンタジーとして十分魅了され、心躍らせてページをめくりました。
往年の円卓の騎士、傷を負った少年、無敵の戦士、そして勇者と姫君の「その後」の姿のようなアクセルとベアトリス。誰に心寄せて読み始めても、ふとした瞬間に見せる違う貌にひやりとしたり、どこからか生じていた違和感が腑に落ちたり。竜よりも記憶の齟齬が怖いと、人生も半ば過ぎた身には思いあたることです。
誰彼と、そこここをめくりながら語り合うことができたなら、また見えてくるあれこれがつまっている「物語」だと感じます。
あ、結局やっぱり何か読み取りたいのかしら。それもまた楽し。
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.11
(5pt)

美しい情景をありがとう

何を書いても面白く読ませてしまう技はさすがで、今回は形式がファンタジーだが違和感はない。昔話ならば「アクセルとベアトリスの竜退治」とでもなろうか。最初の発想がどの時点で生まれたのか知らないが、特にここ数年の世相を映すような現代性が際立っている。異なる神の信者たちの諍いが忘却の川に忘れられた世界と書けば「ウルトラマン・ネクサス」を想起するが、あちらは恐怖がスペース・ビーストの餌になるのでレーテで鎮める。こちらは竜の息がその役を果たすが、その竜を巡り、老若の戦士が対立する。視点のずらし方も素晴らしく、あるエピソードを生かした終わり方もまた深い。もっとも必ずしも比喩を読み足る必要はないだろう。個人的には、これまでの最高傑作が「日の名残り」で、一版好きなのが「充たされざる者」――あの話をつまらないと思う人が多いらしいのはとても残念――と思っているが、カズオ・イシグロのことだから、これからも傑作を物してくれるだろう。最後になったが、いつもながら情景が美しい。短編でも同じだが、特別な表現を使わずに描かれる世界の美しさを堪能させてくれる。
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.10
(3pt)

「私を離さないで」のイシグロとしては物足りないではないか

昨日(5月31日)の朝日、毎日の二つの新聞の書評で、カズオ・イシグロの最新作「忘れられた巨人」が紹介されています。2005年の前長編「私を離さないで」で、臓器を病む人々のために、新しい臓器を提供するクローンとして生育される少年少女を描き、圧倒的な衝撃を世界に与えたイシグロの10年ぶりの小説だから、すばらしくないわけがない、と誰もが期待していたことが、評者の文面から伝わります。鬼を裂き、妖犬の首をはね、最後は竜と対決する、ファンタジ-の語り口はストーリ-テラ-としてのイシグロの面目躍如ですが、でもそれだけじゃないだろう、あのシイシグロだから、と評者たちが、戸惑っている様子も文面から伝わります。
 民族の違いや宗教の対立を超えて人々がおだやかに共存するためには、過去の記憶を忘れる必要があるけれど、忘れ去った記憶には、愛情を始めとする活き活きとした感情の起伏がある、それをどうしても取り戻したいというのも人々の知性の性でもある。わざわざ、つらい過去を思い出すために、生命をかけた戦いをする価値があるのか、どうか。忘却の中に静かに暮らしてはどうか。
 素直に読むと、こうしたモチーフをファンタジ-の形を借りて語っていると思います。であるならば、あの「私を離さないで」のイシグロとしては、物足りないではないか。そうした読後感でした。
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.9
(4pt)

忘却では無く、覚醒により苦悩を乗り越えよとイシグロは静かに語る。

ナチの犯罪も、日本の侵略も、9.11も、先の震災も、時間がたつと人々は
忘れてしまう。夫婦や親しい友との諍いも、表面は無意識だが、深層心理で意図
して忘れようとすることもある。忘れて良いこともあれば、決して忘れてはいけ
ないこともある。

 英国の作家 カズオ・イシグロの新作は「記憶と忘却」を巡る物語だ

 イシグロの作品は、一作ごとに大きく作風が異なる。英国の最高の文学賞ブッカー
賞を受賞した34歳の時に書いた「日の名残」では、英国人執事の回想を、英国の老
作家のような筆致で書き、名作「わたしを離さないで」では、SF的な前提で世界を
再構築し、人間の尊厳のありかたを深く見つめる。

「忘れられた巨人」では、6世紀前後のアーサー王没後の世界に舞台に「アーサー王伝説」
のサイドストーリーのような文体で物語を紡ぐ。その世界には、妖精も鬼もドラゴンも生息
している。しかし、ファンタジーの明るさはみじんも無い。過酷な自然環境と、重い空気が
深く垂れ込めている。

 物語の縦糸は、共同体から疎外されている主人公の老夫婦が、終の棲家を目指し、息子の
住む遠くの共同体へと旅にでる話だ。

 その旅を通して人々と出会い、彼らの住む世界は竜の吐く息で少しずつ記憶が損なわれて
いることが明らかになってくる。

 物語を通して、カズオ・イシグロは読者に静かに語りかける。人生は忘却により、いやな
ことには向き合わずにすむ心地よさも確かにある。しかし我々が向き合うべきは、記憶を失
うことによる社会や個人の心の安定よりも、覚醒による現実の苦悩を乗り越えることにある
のではないか。カズオ・イシグロの視座は限りなく高い。

「忘却という病」は何時の時代でもある。決して読みやすい小説ではないが、比喩的で、
普遍的で、示唆に富み、私たちの思考を深めるために確かな拠り所となる作品だ。
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369
No.8
(5pt)

歴史の記憶と忘却、そして強靭な愛

「私を離さないで」から10年。待ちわびたカズオ・イシグロの長編である。毎回新しい趣向で読者を驚かせる彼らしく、今回も入念に仕立てられた衝撃の物語が届けられた。流麗でありながら、緊張を強いられる文体は変わっていない。読み進むほどに疑念が深まり、行き先の見当がつかなくなるのは前作と同じだ。読み終わって、まだ一部を理解したに過ぎず、読み返すことでさらに深い発見を得られるだろうと思った。本作品には多様な解釈が可能であり、評価は分かれるかもしれない。

6世紀、アーサー王の死後数十年のブリテン島の岩だらけの丘を越えて、荒れた野を行くのは息子を訪ねて旅するブリトン人の老夫婦である。旅の途中で、竜退治に向かう戦士、呪いの傷を持つ少年、アーサー王の円卓の老騎士を伴って旅は進んでいく。途中にサクソン人の集落や修道院を通過し、竜や鬼、妖精に悩まされる。この老夫婦の旅を軸に戦士による竜退治のストーリーが交錯して物語は進んでいく。あくまで「ロード・オブ・リング」のようなファンタジー小説の趣なのである。

老夫婦は息子の住む村をめざすが、記憶があいまいである。息子はいつ、どのような事情で家を出たのか。どこに住んでいるのか。すべてが霧の中にある。竜の吐く息が霧となって漂い、記憶をさえぎるのだ。こうして記憶と忘却がもう一つのテーマとなっている。最後に竜が倒されて、すべての人の記憶がよみがえり、伏せられていた事実が明らかになるのだが「それは果たして望ましいことであったのだろうか」と作者は問いかけている。

5月10日に日経新聞に転載された英フィナンシャル・タイムズ紙のインタビューによるとイシグロ氏はこの小説の着想を9.11から得たと語っている。NY多発テロの直後に日本で開催された読者イベントにおいて、「第二次世界大戦で何が起こったのか、その大半の部分を日本は忘れてしまった」と思った。そして、「社会による記憶と忘却について、本を書きたいと思ったのです」。その後2004年にアーサー王時代の円卓の騎士が旅をする数行の文章に触れて作家の頭に物語の構想がひらめいたという。

つまり、ブリトン人とサクソン人が抗争を続ける中世のイングランドを描いて、殺戮と復讐の連鎖としての現代世界を想起させている。パレスチナやスロバキアやコンゴ等で起きた悲惨な殺戮と復讐を示唆している。作家は「正義」のための戦いと報復が繰り返される愚を指摘するのである。つまり、民族にとって歴史を記憶することが果たして正しいことなのか、そして、戦争を止めるには適度な忘却と赦しが必要ではないか、と問いかけている。このファンタジーの形をとった物語は、世界の歴史に関する作家からのメッセージであろうと私は理解した。もう一度読み返して確かめてみたい。

作品には、これまでのイシグロ氏の長編同様に哀しみと喪失感が漂っていた。そして、作家自身が「本質的にはラブストーリー」と語るとおり、深い愛に結ばれた老夫婦の姿に私は胸を突かれた。世の中がどれほど悲惨な事象で満たされていようとも、強い愛はそれらを駆逐する力がある。これこそこの作品における中心的なメッセージではないだろうか。カズオ・イシグロの新しい傑作の登場をよろこびたい。
忘れられた巨人 Amazon書評・レビュー: 忘れられた巨人より
4152095369