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充たされざる者の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.09pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全54件 21~40 2/3ページ
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数年前にカフカの「城」を読み、摩訶不思議な小説があるものだ、と感心したことがある。小説世界が主人公を拒絶しているのだ。「不条理」のキーワードで記憶に新しいのだが、内心はドタバタ喜劇を見ているようで抱腹絶倒したものだ。邦訳がレトリック過多(原文に忠実なのかな?)に思えて読み進めるには随分と難渋したのを覚えている。さて本作、ノーベル賞受賞で沸く書店の平積みの中から、一冊を選ぶのに迷った挙句「一番分厚い」だけの理由で購入。内容はカフカの夢魔・迷宮世界に比肩。登場人物すべてが主人公に独善的、高圧的な要求を慇懃無礼な言動で突きつける。それらが累積した主人公は、彼の地に訪れた目的(それ自体も怪しいが)に辿り着くどころか、岸辺から外海への漂流を余儀なくされる。それが何と900頁以上に及ぶのだ。未解決の展開は予測したが、いよいよ終盤では頁を繰る手が早くなった。ふ~、途切れ途切れではあるが読了に一か月以上を要した。読書中はマゾヒストの中毒的快感、苦痛だが読まずにいられなかった。言うまでもないが、決して万人受けする本ではないぞ。世の中にはストーリーテリングてんこ盛りな本が幾らでもある。 | ||||
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昨年のノーベル文学賞受賞で初めてその名を知りました。 いつも村上春樹の名前が出てくるだけに。 で、 読んでいて、村上春樹の「大人な絵本」的な世界的な同じ、ある意味部類な気もしました。 イシグロ氏のこの作品はもっと村上春樹氏よりもある意味おおざっぱな幻想世界。 いい意味で比較対象できそうな作家さんだと思いました。 イシグロ氏はこの作品しか読んでいませんが・・・ で、 内容はとても現実的なテーマだったり疑問や理不尽やら不条理やら、コミュニティとか、感情だったり。。。 哲学的というよりは、なんだろう・・・ ヒューマン的、答えのない、出ない、生きるテーマがあちこちに散りばめられている感じです。 共感もした部分もあるし、アドヴァイスとして受け止めた事もあるし。。。反省的に読んでいて思った事もあるし・・・ユーモアもありでおもしろい部分もある。 登場人物が多い! メモしながら読んだら、名前のある人で、ざっと100人以上! ただ主要人物は10人ぐらいかな? 実働日数3日。(小説世界で) 長編なだけにあの人だれだったかな?っていう事もあるから軽くメモするといいと思うけども、なくてもいいような気もする。 でも一回しか出ない名前でも混乱する不安あるならメモはおススメかな! 約1000ページではあるけども、読みやすい。 幻想世界小説。 夢にような、死後の世界の回想のような世界だったような気もする。永遠に繰り返される。ある人の魂の回想みたいな・・・ そんな読書後の感想です。 | ||||
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10年以上前、英語の勉強のためにペーパーバック版をなんとか通読しました。主人公が自分の意思に関係なく、訪れた町のなんだかわからない問題を背負わされたり、知らない人の個人的問題を自分の事のように受け止めなければならなかったりする状況に読んでいていらいらし、更に描かれてる場面が夢なのか回想なのか今現実に起きている事なのかもわからず、ただただ辛い読書でした。当時は、内容が楽しめず理解できなかったのは英語力不足と、高尚な文学的テーマに馴染みがなかったせいだと思っていました。 その後、精神世界に興味を持ちスピリチュアル系の本を読むようになったのですが、最近ホ・オポノポノの本を読んだ時、あれっ?と思い当たりました。カズオ イシグロのあの小説はひょっとしてホ・オポノポノの説く、人と人との見えない結びつき、人と世界との見えない結びつきがテーマなのではないか?そう考えると、この小説が意味のある納得できる世界として立ち上がってくるのではないか? そう思ってから「The Unconsoled」をいつか読み返そうと密かに楽しみにしています。 | ||||
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今、こちらの邦題「充たされざる者」読んでいます。 こちら英語ですが。 登場人物多い! 文庫本は約1000ページですが、英語版は一ページが文字数多いのか500ページぐらいでおさまっていますね。 しかし表紙はなるほど!って感じのイメージですね! 日本の文庫本のイメージよりいい感じですね! | ||||
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イシグロ作品の中で最も手強いとの前評判を知らずに手に取りました。世界的なピアニストの主人公がある街に招かれるが。。 登場人物たちが語りかける"unconsoled"な物語が何層ものレイヤーになって主人公を包み込み、 ついには主人公の物語とつながります。何度も挫折しそうになりながらも、終盤の章にたどり着いてみると、 あれっ?私の語学力が足りないのか?と思わず読み返すほど予想外の展開。 読者もリアルに"unconsoled"を満喫することに。でも読後は幸福感に包まれる不思議な本。 イシグロ氏のブリティッシュイングリッシュも美しいです。 | ||||
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登場人物がややこしくて、メモを取りながら、理解して読みました。欧州の話なので、難しいでした。ノーベル賞受賞者だけあって複雑でした。もう一度読むといいと思います。 | ||||
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奇妙な空間に出会った感じです。石黒作品をもっと読みたくなりました。 | ||||
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カズオ イシグロ作品は、「私を離さないで」「日の名残り」と読んでますが、この作品は、今までの作品とは全く異なった、新たな世界を見せてくれました。 ページ数も1000頁ありますが、私は、先が読みたくて、2~3日であっという間に読みました。 とにかく、先の読めない新たな展開が次々と登場して、毎度、ハラハラ、やきもき、させられ、 ある場面では、ミスタービーンを思わせる展開で、大笑いさせて頂き、悲しい場面では、涙させらるシーンもあります。 さすがノーベル賞のカズオイシグロさんですね! 秋の夜長にお勧めの作品です | ||||
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架空の欧州の都市(と、思っているのだが)へ到着した有名音楽家と、そこで出会う人々が織りなす、長い夢のような物語。『日の名残り』も同様なのだが、「職業」「名誉」「家族」への人間のこだわりと、そこから生み出される希望・失望・使命感が走馬灯のように儚く、不整合に、不条理に、現れては消えていく。 カズオ・イシグロは何を読んでも自己の無意識へ働きかけられる気持ちになって仕方ない。 | ||||
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本をサカナにして語る会、というのをやった。酔狂を気取ったわけではなく、この本を読んで壊れてしまった自分の一部を修復するためにやむにやまれず人に会ったという感じ。一種のセラピーというか。問題の本は、カズオ・イシグロの『充たされざる者』だ。私の師匠の一人がブログで絶賛していたので、おお、これは読まねば……と思って早速とりよせたのだが、読破するまでに3ヶ月弱かかった。一度に10ページ以上読むと乗り物酔いのような状態になるので、なかなか進まない。原書で500ページ(翻訳版だと上下で900ぺージ)あるから、大著ではあるのだけれども、それにしても時間がかかった。読んでいるうちに体重が5キロ落ちて……というのはウソだけど、そのくらいの消耗度。読み終わったのは昨年の大晦日のことだった。ひたすら「この本を来年まで持ち越したくない」という一心で、読み進んだ。読み終わったあと、原稿用紙20枚分くらいの文章を書いた。内容は、要約とも感想とも文句ともつかないようなぐちゃぐちゃしたもの。誰かに見せることを想定して書いたものでもなく、ただ「出さないと」気持ちがおさまらなかったので、なにかを吐き出すように書いた。 罪なことに、私はこの本を、まだ読みもしないうちから軽い気持ちで人にすすめてしまっていた。「これ、いいらしいよ」と。自分が読み始めて、「うわー、とんでもないものすすめちゃったな」と、後悔。すすめた以上、ますます途中で放り出すわけにはいかなくなった。読み終わってからおそるおそる友人に電話してみたら、彼女も大晦日まで読んでいたという。「この本は今年限りにしたいと心から思ったよ」。同感だ。私もあのような本だとは思わなかった、安易にすすめてゴメンナサイ。そう陳謝した後、この本がいかに「ムカムカする」性格のものであるか、主人公がいかに優柔不断で偽善的か、登場人物がいかに身勝手で、話の展開がいかに支離滅裂か、そしてイシグロ文学はいかにダークか……という話でひとしきりもりあがり、少し気が晴れた。 それでもなにか癒されないものが残った。涙が溢れて仕方がありませんでした、という類の感動でもなければ、血湧き肉踊るような興奮でもなく、超絶的文章表現から受ける小気味よい刺激でもなく、なんかこう、説明のつかない気持ちの悪さがいつまでも残る読書体験。タイトルの『充たされざる者』というのは、この本を最後まで読んでしまった私のことだろう。なぜ途中でやめなかったのかが不思議なくらいだ。イシグロの筆力……といえばそれまでなのだろうが、「わけのわからなさ、気持ちの悪さ」にとまどいながらもしだいに執着していく人間の業みたいなものを感じてしまった。 本の内容は、ある音楽家が演奏旅行で訪れた町で遭遇するさまざまな出来事、とだけ言っておけば十分だろう。この本においては、話の筋は大した意味を持たない。登場人物の大半は、上品で良心的な人々だ。その人たちが織り成す物語は、エログロとは無縁でありながら、読む者の心をザラつかせる。自己と他者、偽善と善意、反発と従順、過去と未来、此処と彼処、期待と諦念、現実と幻想。それらはことごとく表裏一体であるということが、このいびつな物語の中から浮かび上がってくると同時に、ふだんは押し込めている潜在的不安が顕在化してくる悪夢のような本なのだ。 カフカに親しんでいる人なら、こういう感覚には慣れているのかもしれない。松岡正剛が『誰も知らない世界と日本の間違い』という本のなかで、カフカについてこう書いている。「カフカが描いたことは、『世界とのかかわり』は説明できないということです。『世界の枠組み』なんてあやしいものだということです」。イシグロの後遺症からまだ立ち直っていないときにこの文章に出会い、ひどく納得した。そうだ。私たちはいかに、自己を持った主人公が物理的法則にのっとった世界で、起承転結のある物語を紡ぐという小説のスタイルに慣れきってしまっていることか。カフカは有名な『変身』のほかにも、変てこな話をたくさん書いている。身に覚えがないのに突然逮捕されて裁判にかけられて処刑されてしまう話(『審判』)とか、絶対にたどり着かない目的地を目指して延々と進み続ける話(『城』)とか。私も『審判』を読んでみたが、『充たされざる者』のあとだったせいか、こちらは苦もなく読めた。奇妙にして奇怪で、ありえない展開満載の話だったけど全然オッケー。物語に物語を求めなければ、もっと自由な読書ができる。これは人間同士のつきあいでも同じで、自分と同じ枠組みとか、自分に理解できる物語を相手に求めるからやりきれない気持ちになるわけであって、「世界は私に都合のいいようにできているわけではない」という、ある種の諦めから入れば、たいていのことは「そういうこともあるかもしれん」でやりすごせるような気がする。まあ、そう簡単にはいかないから、各種の修行が存在するのだろう。 じつは読み終わってから、この本をすすめた人がいる。この人なら大丈夫かもしれない、いやむしろ好きかもしれない、と直感でそう思ったのである。誰にでも薦めることができる本ではないが、自分があれだけ苦労して読んだ本なので、その体験を共有できる人を探していたのかもしれない。忘れた頃にメールが来た。「あまりにハマってしまい、2日間で半分読んでしまったが、読み終わるのはもったいないから前に戻ったりして、ぐずぐず読むようにしむけている……」という内容だった。結局、物語の進行と同じペースで、4日間で読み終えてしまったという。私が悶絶しながら3ヶ月かかったところを、たった4日で読んだというのだから驚いた。私は物語の外側をぐるぐるまわりながら、なんとか中に入ろうとしつつ入りきれなかったのに対し、この友人は、完全に主人公と一体化して「狂人の世界につき合っているうちに、その世界にどっぷり入っていく感覚」を得たという。とはいっても、そこには感動や共感があったわけではなく、読んでいるときは頭の中で釈迦の「一切皆苦」という言葉がぐるぐる巡り、この小説の「胸くそ悪い」リズムに飲み込まれていったのだそうだ。じつに面白い(ここ、「ガリレオ」の湯川先生風にお願いします)。お互い、読み方こそ異なるが、同じ「気持ちの悪い何か」に辿り着いたのである。冒頭の「本をサカナに語る会」で確認したことは、お互い「変なアプリケーション」をインストールされてしまったということ。何か考え始めると、自動的にこの新しいアプリケーションが起動してしまう。それはどんな状態なのかと問われても、読んだ人にしかわからない、としか答えようがない。世の中すべてをイシグロ・フィルターを通して見るようになった自分たちの異常な状況を嘆く一方で、それが奇妙に心地よいという感覚も共有した。しかしこのアプリケーション、どうやったらアンインストールできるのか。 読書という体験は実に多様だ。仕事においては、最近流行っているフォト・リーディングやレバレッジ・リーディングといった速読系のスキルは非常に役に立つけれども、そういう読み方ができる本は、世の中に存在する本のなかではごく一部にすぎない。人によっては、人生が変わるような読書体験もある。人生が変わらないまでも、非常に強い影響を受ける本もある。それは、読み始めた動機が何であったにしろ、勉強のための読書ではなく、娯楽のための読書でもなく、あるひとつの出会いなのだ。しかし私にとって『充たされざる者』はそういう類の本でさえもなかった。読んだからといって人生は変わらないけど、人生感は変わる、いや、人生感も別にかわらないけど、人生感についての見方が少し変わったかもしれない。もう、自分でも何を言ってるんだか、全然わかりませんね。 なんというか、カテゴライズすることができない読書体験であった。しいていえば「嘔吐する読書」あるいは「バッド・トリップ・リーディング」。読了直後の原稿用紙20枚書いたのとは別に、またブログでも10枚近く「吐き出して」しまった……。バッド・トリップで思い出したけど、気持ち悪さでいえば阿部和重の『シンセミア』も相当きてるけど、エンディングはむしろ爽快感さえおぼえたので、後には引かなかった。『充たされざる者』も、最後まで読みきった読者には救いがあるのかもしれない、という淡い期待がどこかにあったが、それはみごとに裏切られた。残ったのは、封じ込めていた不安の扉を開け放されたことに対する怒りにも似た感情。それでも読む前と読んだ後を比べると、自分の世界は格段に豊かになった気はしている。 そんなバッド・トリップ・リーディング。これっぽっちも仕事の役にはたちませんが(むしろ弊害という説も)、こんな世の中だからこそ、あえておすすめしたいと思います。 (2008年blogで書いたレビュー再掲) | ||||
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手元に「充たされざる者」の文庫の初版がある。 安く古本で購入したのに新刊書店の店頭売りよりもピカピカだ。 ネットで粗筋を読んで面白そうなので買ったのだが、 届いた時に約1000頁もあったのに驚いて長く冬眠させてしまった。 とっくにノーベル賞作家だと勘違いしていたので、 ニュースで作家の受賞インタビューを見て知ると正直かなり驚いた。 そして、何か冬眠させてないで読んで下さいよ、と言われてる感じがした。 粗筋しか読んでないのに感想を言うのもおかしいが、 この小説は、カフカの「城」のような小説なのだろうか。 何十年も前に、カフカの「城」を読んだが分厚いし どの頁を開いても陰鬱な雰囲気なので正直読み飛ばしたが、 イシグロの「充たされざる者」は陰鬱さが感じられないので きっと読めるだろう。 | ||||
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本作は、もちろんカフカのパスティーシュである訳で、中でも”城”を意識しているのだろう。ただし、主人公は測量技師ではなくピアニストである。たどり着こうとしてもたどり着けない、何か分からないが自分の行動を執拗に邪魔立てしてくる邪悪な世界。人物像や地理的位置関係もあっという間に変化する。評者には、その試みは大いに成功していると思われる。カズオ・イシグロの作品では、現時点で最も長大であるのも、これが夢であるからだ。彼の愛読者でも、本作を失敗作と断じる方も多いのだろうが、”私たちが孤児だったころ”も後半、迷宮をさまよう話になるし、彼の資質の深い所にこのような不条理作を書きたい、と言う願望が眠っているのだろう。いずれにせよ現時点では(”忘れられた巨人”が最新作)、そのような資質が全面展開している点ではいわば極北にある。だから、ある意味では読者を選ぶだろうが、全体の構図はよくわからないままでありつつ、細部の描写は読ませるので、長大な小説を好む方にはぜひお勧めしたい。 | ||||
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とにかく文庫で900ページを超える大著なので、旅行に持っていってちびちびと読み進め1週間弱でようやく読了する。小説を読む本源的な喜びを感じることができるのではないだろうか。 基本的に一人称で語られる物語なのだが、遠くにいる他者の行動が目の当たりに見えたり、彼らの過去の記憶までもが語り手に再現できたり、ドアを開くとかけ離れた場所につながっていたり、声を出そうとしてどうしても出せないことがあったり、「これは著者の見た夢をベースにしているのではないか」と思う。 風景・建物等の描写がビビッドで、著者の他書のように映画化されたらさぞ面白かろうと思うけれど、難解に過ぎるかな。 | ||||
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整然とした白昼夢の世界に迷いこんだかのような不確かな感触は、主人公が登場人物の視点にシフトした語りにより自他の境界が曖昧で、さながら作者の頭の中に囚われたかのようだ。そのうえ登場人物それぞれの語りは虚構と現実というより一層身近な建前と本音を表現している。そして、ただあきらかなことは…「時計がない」 | ||||
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コミュニケーションを取らないせいですれ違う人々のエピソードがたくさん出てきます 勝手に奥さんの気持ちを「察して」不安になってずれた努力をして卑屈になる人や、勝手に偉い人だと人を決めつけてあれこれ世話を焼いて「なんであいつは特別扱いなんだ!」と怒る人々が出て来ます あと、人間が暗黙の察し合いで作り上げがちな、上下関係に関するエピソードもよく出てきます あの会合はこの街の上流だ、とか私たちの婦人会は偉い人たちに認められた上等なものなんだ云々とか。 こういうのもコミュニケーションをとる以前に勝手に無意識のうちに作り上げられた上下意識ですよね。 文章の書かれ方もまた人間の認識の仕方の独りよがりさを暗示しているかのようで、たとえば、初対面の町の住人として出てきた女の人がいつの間にか長年連れ添った妻であるかのような過去エピソードや会話が続いたり、主人公の独白かと思えばまるで地の文みたいに、他のキャラクターの、主人公が知り得るはずもない心理や過去を語り出したり、 他キャラクターのエピソードが主人公の過去と奇妙に一致していたり、 キャラクターの人格と物語の境界が曖昧です。 でも、人間の脳みその中身を文章にするってこういう事なのかもしれません 我々は皆同じ世界に住んでるというのは大きな勘違いなのかもしれません | ||||
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日の名残り、埋もれた巨人に次ぐ私にとってカズオイシグロの三冊目。世界的ビアニストであるライダーが欧州の都市を講演と演奏の為に訪れ、その間に繰り広げられる家族や市民との交流やイベントが何とも凄まじい。この短期間の滞在をこれだけの長編に仕立てあげる人は過去にはドストエフスキーしか知らなかった。 | ||||
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「私を離さないで」「日の名残」がとても面白かったのでなんの前知識もなく読んでみたが、序盤から?の連続。主人公のライダーの記憶がいつのまにか他人の記憶と混交してしまうし、距離感覚も時間感覚もぐちゃぐちゃ。それでも面白くてはすぐに読破してしまうのは、エンタメ作品として高いレベルで成功しているからだろう。カフカ作品との類似を挙げるコメントが目立つが、個人的には「百年の孤独」に似た読後感があった。奇妙なまちの奇妙なひとびと。すれ違う会話。予定調和を拒む展開。イライラとカタルシスが詰まった名作です。 | ||||
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複数のコミュニティと関係を持ちながら、どのコミュニティにも属することもできず、互いに分かりあえず、誤解と意図しない行動のみが増幅していくもどかしさ。最後の場面にあるように、行き違った名も知らぬ人との食事や会話を唯一の救いとしてしか見いだせない、ある種の人たち。設定も時代も書き込み様も随分違いはしますが、大量のドタバタを読む進めた後に、『トニオ・クレ―ゲル』のような寂しさと一抹の救いを味わうことができるような気がします。他にもありましたが最初100ページ程度読んだところでは『失敗作?』という感じが付きまといましたが、最後まで読んで損はしないと思いました。 | ||||
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これはSFだ。 しかも、ヒューゴー賞クラスの傑作SFだ。 なぜヒューゴー賞を受賞しなかったのか? 『日の名残り』の作家がSFを書くなんて、誰も夢想だにしなかったからだ。 イシグロの作品中、これまで読むことを避けていたものである。 半端じゃない厚さ、その上、出版当時の英米の批評はほとんどが酷評ばかり。 カフカ的不条理小説らしいが、それではますます読む気になれない。 (『城』を読むのが苦痛だったことを思い出してしまう。) しかし、実際に読んでみたら、実に面白いじゃないか! イシグロそのものだ(あたりまえだが)、しかも、もしかしたらこれまでのイシグロで最高傑作じゃないだろうか。 イシグロは登場人物たちの記憶をよみがえらせることで小説を作り上げる。 この小説でもまた、語り手のライダーを中心に、さまざまな人物たちの過去の記憶が次々に浮かび上がってくる。 他のイシグロ作品と違う、特異なところは、過去の記憶が現実の中に、少なくとも小説中の現実の中に実体化することである。 ホテルのポーターに頼まれてその娘に会ってみると、彼女はライダーの妻ソフィーであった。ソフィーの息子のボリスの父親はもちろん彼だ。 バスで出逢った車掌は昔の同級生のフィオナじゃないか。 人間ばかりではない。過去に存在したモノも実体化する。 ホテルの部屋のベッドから天井を見上げてみると、昔自分が住んだ家であることにライダーは気づく。 レセプション会場の駐車場に着いて、ふと気づくと、子供の頃によく乗った父の車が朽ち果てた状態で放置されている。 そのような既知の人物やモノだけではなく、多くの登場人物がライダー自身のダブルとして機能し、彼の過去をさまざまによみがえらせる。 指揮者ブロツキーやホテルの支配人ホフマンはその代表だ。 ライダー自身の両親や妻や息子との関係が彼らを通して相似的に実体化し、物語化していく。 不条理小説として実験的かつ驚くべきものとされるのかもしれないが、読んでいて既視感につきまとわれた。 ライダーに倣って自分の過去の記憶に探りを入れてみると、あった、あった。 1960年代のイギリスのテレビドラマ「プリズナーNo.6」。 ヨーロッパのどこからしい「村」に拉致された諜報部員がそこから脱出しようとして失敗を重ねる。これとそっくりだ。 他にもアラン・E・ナースの「悪夢の兄弟」とか、時間の中に閉じ込められる「時間刑」を受けた男の話(タイトルは忘れた)等々、60年代のSFが次々に思い浮かぶ。 『私を離さないで』で「改変歴史ものSF」を書いたイシグロは、やはりSF好きだったのだ。 しかも、『充たされざる者』はSFとしてとてつもなく上出来だ。 この場合SFとはScience Fictionではなく、卓越したアンソロジスト、ジュディス・メリルがSpeculative Fictionと呼んでいたジャンルのことである。 イシグロの次回作はThe Buried Giantとアナウンスされている。 SFファンならJ・G・バラードの「溺れた巨人」The Drowned Giantをすぐに思い出す。 これは絶対に本格的な「思弁小説」に違いない。出版が待ち遠しい。 このレビューを書いたあと、考え続けていたことがある。 イシグロの小説はすべて(改変歴史ものSF『私を離さないで』も含めて)「歴史小説」なのに、この小説には「歴史」がないのはなぜなのだろう? しかし、最近になってこの疑問は解けた。 イシグロは20世紀という悲劇の世紀に生きた「平凡な」人々の鎮魂歌を書き続けていた。 彼は「喪の仕事」を続けていたのだ。 この『充たされざる者』は、彼の「喪の仕事」の究極的な形なのだ。 なぜなら、ここに登場する者たちは、語り手ライダーを含めて、すべて記憶の中でしかよみがえることのない死者たちだからである。 | ||||
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前作の「日の名残り」の完成度があまりに高かったので、作者は次の手をどう打つかかなり悩んだのではないだろうか。で出来上がったのが、このとてつもなくシュールな作品であった。読んでいて先が全く読めないし、それどころか今どこにいるのかすら分からなくなる。 この小説が凄いのは、それが比喩的なレベルを超えて、読んでいるこちらの頭の中までぐちゃぐちゃになってきてしまう辺りだと思う。例えば移動中に電車で読んでいて、目的の駅で本を閉じて降りたとする。すると、まるで起き抜けに現実か夢の続きか一瞬わからなくなるように、いま自分がどこにいてどこへ行こうとしているのか混乱してしまうのである。 これはやはりイシグロの圧倒的な筆力が成せる業なのだろう。細部は徹底的にリアルなのだが、文脈はたえず揺れ動き全体像ははっきりしない。でもぐいぐい読めてしまう。よく比較されるようにカフカや村上春樹に近いが、イシグロが頭ひとつ抜けていると思う。きっと、全体を貫く構成というか構想が強靭なのだ。決して明確には示されないけれど。 わたしはイシグロの作品では「わたしを離さないで」がいちばん好きだが、そこへ至る転機になったのがこの「充たされざる者」だったのではないだろうか。「日の名残り」も名作だが、作者がそこにとどまって同じような作品を書かなくて本当によかったと思う。そういうチャレンジし続ける姿勢も含めて、イシグロは本当に凄い作家だなあと思う。 | ||||
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