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イン ザ・ミソスープ



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【この小説が収録されている参考書籍】
イン ザ・ミソスープ

イン ザ・ミソスープの評価: 3.92/5点 レビュー 76件。 Eランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.92pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全54件 21~40 2/3ページ
No.34:
(5pt)

ショック!心臓の弱い方は読まない方が・・・

グロイ描写上手い!おかげで読んでる最中キモチ悪くなりました。けど止められない 止まらない。
これ面白いよ。でも子供には読ませられない。
イン ザ・ミソスープAmazon書評・レビュー:イン ザ・ミソスープより
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No.33:
(4pt)

才ある人は特有の「アンテナ」を持っているんだろうなぁ・・・。

多くのレビュアーの方々が指摘されているとおり、この作品は例の神戸児童連続殺傷事件が起
こり、そしてそれがすべて14才の、大人からすれば無垢なはずの存在によってすべて引きおこ
された事件であるのが判明するまでの、その同時代に読売新聞上で連載されていた。

僕はどこかで聞き間違えてて、事件が起きた後に村上龍がこの作品を思いついて、作品に具現
化していたのかと思っていたのであるが、そうではないらしい。単行本あとがきによると、こ
の小説の核心部分の一つである、例のフランクの殺戮シーンの合間に現実では神戸で事件は起
き、フランクが自身の半生をケンジに語っている最中に14才の少年が犯人として捕まったのだ
という。

起きた事件そのものを、後から何らかの脚色をして作品を表現するのはある意味簡単なことで
ある。でもしかしそれは、その事件の表層しかとらえられないのではないだろうか。突き詰め
れば問題は、そのような事件が起こった社会の方にあるのであって、事件はその社会の中でア
ウトプットされた、剰余に過ぎない。
僕らが思っている以上に、事件は起きる前に終わっている。それはプロセスではなくて、結果
なのである。

それだけに、そのプロセスそのものを、社会がどのようにうねり、どのような軋みをあげてい
るかを、的確に捉えることは難しい。
でもまれに、それが知らぬ間に出来る人がいるのだと思う。
それができるのが村上龍であり、そのことが偶然にも起きたのがこの『インザミソスープ』に
おいてなのだと思う。

カンブリア宮殿の彼しか知らない人には、この作品も手に取ってみて欲しいと思う。
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No.32:
(5pt)

鳥肌

寝る前にちょっと読もうと思ったら、眠れなくなった。
村上龍を好きになるきっかけとなった本。
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No.31:
(4pt)

村上 龍さんの(私個人にとっての)最高傑作小説

村上 龍さんの小説の中では最も私の好きな小説。理屈も良く理解できるし、目からウロコな話しでもある。

同じ媒体の中で基本的には相容れない(俗なるものと、聖なるもの)モノを載せる事でしかコストをカバーできなくなってきた(マッチポンプですね、自分で焚きつけて煽るだけ煽って、煽れなくなれば、今度は叩くだけ叩く!)テレビや雑誌などのマスな媒体で稼ぐ事がいかに危険な事かを今でも強く訴える事が出来ている、村上 龍さんの小説の中でも最も賞味期限の長いモノだと思う。原因と結果をキチンと理屈で説明できて、しかも、理屈だけでない何かまでその存在を認めていてそこが私は好きです。

ただ、「コインロッカー・ベイビーズ」、「テニスボーイの憂鬱」、「5分後の世界」、「愛と幻想のファシズム」、「半島を出よ」などのマッチョ系が好きな方にはあまりオススメできないかも。基本的には斉藤美奈子さんも指摘されていますが、小説の賞味期限が短めの方だと(今になってみると現実の方が進んでしまっています)思います。その中でも好きな小説です。

ちなみに、私の考える村上 龍さんの最高傑作は「リチャード・バック著村上 龍訳 イリュージョン」です。
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No.30:
(5pt)

フランクという異物と、日本特有の優しさ

外国人向けに性風俗のガイドを生業とするケンジと、そこに依頼をしてきた奇妙なアメリカ人フランク。そして夜の歌舞伎町を舞台に、ケンジの目の前でフランクが凄惨な殺戮を繰り広げていくストーリー。吐き気をもよおしそうな位、残酷な描写があり、読んでいて気分が悪くなる人もいるかもしれないが、物語の完成度はその負の要素を補っても足りない位よく出来ている。

よくあるサイコスリラー小説でもあるように、フランクはある種の精神異常をきたした人間だ。だが、それと確実に違う部分は、そこに登場する人間、そして日本にごく普通に存在している日常の一部でさえ、フランクというフィルターを通してみる事で、ある種の異常さというものが存在する事だと思う。その事を常日頃から、僕等が異常な事だと認識していないのは、ただ単に異常だという事を知らないだけで、それを他の視点から見ると、こんなに変な事なのだと、村上龍自身が物語を通じてアナウンスしているようにも思える。そういう意味で、自分自身色々と考えさせられる小説でもある。

とても印象的な部分は、ケンジが一度フランクから解放され、交番まで向かうシーンであるが、惨劇の興奮から醒め、冷静に起きた物事に関して、そして自分の取るべき行動を考える部分がある。自分なりの解釈で起きた物事を納得させてしまう事は簡単だが、ケンジは胸に引っ掛かりを覚えたものを、何度も苦しみながら反芻し、繰り返し考えていく。結局その事がケンジのその後の運命を左右させたのだが、村上龍のよく言う「危機感」や「想像力」というものは、全てこの行為のような事を指して言っているのだろうと思う。あらゆる面から情報をかき集めて、未来に起こりうると予測される事を精一杯イメージする事。それをせずに、イメージする事を放棄し、簡単に物事を勝手に決め付けてしまう事に、本当の危うさというものが存在しているのだと。それを言いたかったのではないか?と思う。

僕は、決してこの本はただの日本批判だとは思わない。それは、タイトルやラストの象徴的なシーンでも解るとおり、日本の良さである、他の国にはない優しさというものも描かれている。ただ、それだけで生き抜けるほど現実と言うものは甘いものではなく、フランクと言う全く未知の異物を登場させる事によって、少しでも違った目線で物事をイメージ出来る力になればと、そういう意図を持った小説なのではないだろうか?と思う。
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No.29:
(4pt)

変な汗をかいた

死というものが抽象的なものとなってしまった現代。

その中において、村上龍の表現を通し気持ち悪くなるくらいに人間の肉体の脆さを感じた。

変な汗をかきながら一気に読んでしまった。
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No.28:
(5pt)

大人になった少年Aの物語

村上龍が本書を執筆しているときに、神戸で少年A事件が起き、
隆が長い作家生活で、初めて現実と自分が書いている小説との区別がつかなくなったという曰く付きの小説。

東京にやってくる外国人に夜の歓楽街の案内を生業とするケンジのところに、ある日、米国人がやってくる。
人間が乳児の時期でも狂ってしまうことを知っている龍は、この米国人に、
新宿を舞台にして、神戸の少年Aが成人したらかくやという狂気を漲らせ、破壊的行動を取らせる。
そのシーンの凄絶さは、へたな映画や犯罪者の本を読むより、はるかに怖く、狂気に満ちあふれている。
実際に読んでいて吐きそうになる。

ケンジは彼に「瞋りとか欲望、そういったものを日本では煩悩というんだ」と語る。彼は、「ボンノウ、か。美しい言葉だ。そうだろうな」と静かに応じる場面がある。

現代人は皆、煩悩をコントロールすることがますます難しくなって来ている。
その現代人すべての狂気を、一米国人という形で肉体化させた龍は、
このとき人間の怒りや悲しみ、絶望、欲求不満という言葉ではなく、Bon-nouと表現し、また
小説のタイトルを「みそ汁のなかで」とすることで、西欧思想以外での人間の狂気と煩悩の制御を期待してみせたのだろうか。

読み終えた後、頭と体が痺れたようになり、小一時間動けなかったなどという体験を初めてした。

才能あふれる村上龍でなければ、書ききれなかった世界ではないかと、素直に思う。
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No.27:
(5pt)

か、かっこよか・・。

書き出しから「かっこいいなぁ・・」と、やられてしまいました。氏の書くフィクションは、テーマや人物、台詞なんかがしっかり現実と切り結んでいて、氏の時代を見つめる視線に、鋭い気付きと揺るぎない常識性をいつも感じます。当作はエンターテイメントとしても極上の出来栄えで、たとえば「オールド・ボーイ」を撮った監督あたりが映画化したら、とてつもなく面白いことになりそうな気がする。黒沢清でもいい。が、他の日本人監督には手を挙げないで頂きたい。すいません、それほど希少な作品である故・・。多数派を形成するはずの日本人が、たったひとりの異邦人に容易く蹂躙されていくという話には、やはり一つのベクトルを感じ、それはやはり東アジアないしアジアという地域でのある種の拠点となるであろう、というかならねばならないこの国の宿命と、その重さを示唆しているように思われました。ちなみにラストもエレガントです。
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No.26:
(4pt)

「主観」でしかない。

事実を淡々と描写するように見えて、それは一個人の視点から見た
心理的な影響を受けた「主観」でしかない。
そこに答えがあるかは読者に考えさせる。って作りなのかな。

コレは結構楽しめたかな。
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No.25:
(5pt)

迫力満点の社会派サスペンス

なんといっても出だしが最高。

現代社会に潜むネガティブな側面を、アメリカから来た狂人を使って具現化し、克明に描き出している。

主人公の日本人青年の鬼気迫る表情もありありと伝わってきて、読んでいて全く飽きない。

僕が感じ取った最終的なメッセージは、アイデンティティの確立過程には様々な犠牲があるのだ、と言うことでした。
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No.24:
(5pt)

すごいパワー

古本屋でなんとなく手に取った本でした。

第一部は、読みやすい本だなあ、と思いながらぱらぱらと。

そしてしばらくして、表紙を見直しました。

 

こ、怖っ!!

 

そして第二部。

本気で吐きそうになりました。

すごいです。

本読んで吐きそうって、そうそうならないですよ。

後で思い返してみればそれほどひどい描写ではないと思うんですが、変に体とリンクしちゃったみたいです。

 

気分が悪くなるような、強烈な毒。

正直ここまで不愉快になる本というのに、初めて出会いました。

やっぱすごいです。

 

面白い面白くないで言えば、やっぱりものすごく面白い、ぐいぐい読めました。

 

フランクの不気味さ、おかしくなっていくケンジ、無垢の象徴、と言われるジュン、強烈な日本批判……。

ただ、バイタリティが不足しているときに読むと、体が悪くなりそうです。
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No.23:
(4pt)

現代の問題に迫った力作

本作は読売新聞に連載されていたものを本にまとめたもの。私は、連載中欠かさず読んでいたので、実は本は読んでいない。話は、アメリカから来た"怪物"が異様なまでの殺戮を繰り返すという、一見サイコ・ホラー物。しかし、私は主題は別なところにあると思った。現代社会の人間は皆、疎外感に苛まれている。そのような状況の中で真の"友情"が成立し得るか(特に精神異常者と普通人との間で)というのがテーマではないか。本作は中田(英)選手が遠征中に読んでいたということでも有名(サッカー・ファンの間では)だが、上記の解釈の他、色々な読み方が出来ると思う。常に現代の先端の問題を探っていく作者の本領発揮の快作。
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No.22:
(4pt)

キレる。と言う怖さ。

突然物語は、ジェイソンのようなおとなしかった外国人の些細な出来事への怒り? のようなもので、急激に展開を替え収拾のつかぬ破壊小説へ、となっていく。正に現代の流行用語”キレる”を見事に表現した社会派の小説。グッド。
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No.21:
(5pt)

煩悩は何と108個も有るらしい。

1997年の9月に単行本として発売された。書き下ろしではなくて読売新聞の連載小説だった。連載期間の間に特異な事件があり、著者はハードな日々を過ごした様である。

煩悩は何と108個も有るらしい。

年の終わりにこの数に合わせて鐘を突き、その響きで様々な人々の気持ちをニュートラルな所へイザナウ事が除夜の鐘の御勤めの様である。

 この小説のフィナーレに除夜の鐘がフランクという人物にどの様に伝わるかが僕はとても気になった。読んでいながらあの深夜の鐘の突いた時の音をきちんと正座まではしなくても神経を研ぎ澄まして聞いた事なんか無かったなぁーと改めて思った。ガキンチョの頃はテレビ番組の「行く年,来る年」の効果音だと思っていたし・・・。

 結局、フランクがこの鐘の音を受け止め、何やかんやと、のたまうという部分はこの小説の中では無い。僕は少し残念な気もしたがフランクにインスタントに反省でもされて懺悔などでまとめられてももっと残念だったと現在は思う。

 深読みかもしれないが村上氏の小説を読むと常に日本という国と欧米との差異が根底に大きく横たわっている様な気がする。
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No.20:
(5pt)

想像力の凄さは、リアリティを超える。

小説家は現実をなぞる訳ではない、想像力を駆使して現実に立ち向かうのだ。村上龍の有名な言葉だが、まさにこの言葉を実感する小説です。この人の想像力の凄さに圧倒されます。
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No.19:
(4pt)

気持ち悪いのに最後まで読める本

アメリカ人相手に風俗のガイドをするケンジ。
ケンジの本能から今回の客フランクがヤバイと、全身の毛を逆立てて仕事をするその様子が行間から滲み出る。
読者もなんとなくフランクが気持ち悪くなる頃、フランクが本当にさらりと惨劇をする。
感情を動かすことなく、人をいたぶるように殺す不気味さ。
フランクの惨劇がよけいにケンジを混乱させる。
ケンジは最後まで無事なのか?
最後まで結末が気になって読むことが出来るが、読後爽快になる訳ではない。
フランクが日本に溶け込めたのは、ブランドに頼り本物の探そうとしないとか、淋しさを埋めるために身体を使うとか、若い女の子のためにコビを売る中年とか、フランクに殺された人たちに似た日本人が沢山いるから。
病んでいることに気付かない日本が受け入れてしまったフランク。
作品発表からの年月が、更にフランクが増殖しているような気持ちにさせる。
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No.18:
(4pt)

奇妙さが軽快で爽快

とても恐ろしい話のはずなのにそれを感じさせずにサクサクとストーリーが展開していきます。ストーリーはもちろん面白いのですが、それよりも日本語の一人称の多様さの指摘や、「煩悩」の説明に戸惑っている主人公が印象的でした。「school」ならば「学校」と訳せばいいわけですが、実際に想定するならばそれはあくまで「日本」の学校であって、決して米文化での、または英文化、またその他の文化内の、「学校」は想像しないでしょう。そうすると、翻訳された多文化の言語と言語の間に一致するものは少しだけであることも多い。そういった事実の中、主人公がガイドを依頼してきたアメリカ人・フランクと差し迫った間柄となってゆく姿は不気味というよりは爽快です。先進国の闇を捉えながら軽快に物語をすすんでいき、壮大なスケールでのラストはこの著者らしさがあらわているのではないでしょうか。
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No.17:
(4pt)

ブルーベルベット!?

この本を読み進めていくうえで、一つの疑問が出てきた。
デビット・リンチ監督の映画「ブルーベルベット」に酷似していると
いうことである。主人公のケンジの好奇心旺盛で探求的な性格といい
フランクの表情の詳細説明にも似たようなことが言える。
考えすぎですかね?
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No.16:
(4pt)

自販機?僕がケンジならこう答えた

日本人はさ、セッカチなんだよ。僕らは常に何かに追われてるんだ。だからレジ順番待ちに耐えられない。店員とノンビリ会話を楽しむ事もヘタクソだし。何せ日本では遅刻とオーダースキップは大罪とされてるんだよ。ちゃんと序列を守らなきゃならない社会構造なんだ。新幹線のホームを見ろよ。■何かって?たぶん勉強とかセールスのスコアみたいなモノじゃないかな。日本じゃ大人だけでなく子供までよくコーヒーを飲むしね。で彼らは睡眠時間を削ってまでレースするわけ。ほらソッチにも『Flowers for Algernon』※てあったろ?アレと同じ。彼らは社会に認めて欲しいためにある強迫観念を持ってるんだ。日本のママはさ、近所の家と比べるワケだ。息子は有名大学に入学したとか、夫の会社は株価ランクいくらだ、とかをさ。彼らはデジタルなベンチマーク以外の価値や個性を探すのが、ヘタクソなんだろな。■日本人はさベジタリアンでなくてデジタリアンなんだよ。マルコムXは、シャバに出所しても同じさ、って言ったよね。だって俺達黒人は差別ってゆうプリズンがまたあるから、みたいな事をさ。僕達日本人を縛るのは、数字なんだ。かといって丸っきりドライってワケでもない。ウェットな部分も隠し持ってる。シャイなんだよ要するに。まあWスタンダードなんだけど。日本語でね、本音と建前っていうんだけどね。政治家はオフレコとメンツとも呼ぶ。え種類多すぎ?それはさ、日本人がマイナーチェンジの経済効果を知り抜いてるからだよ。
PS●ごめん。かなりまくし立てたが。実は英語しゃべれません、しかも関西弁どす。ええカッコしてもうた。本作は村上龍が描く異文化コミュニケーション。同テーマなら→『ライン/共生虫/最後の家族』※ダニエル・キイス
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No.15:
(5pt)

ぬるいみそ汁の味

東京風俗ガイド・ケンジが出会ったお客、フランクは、一見普通でありながら気味の悪い、生気を感じさせない肌を持つ。「殺される・・」圧倒的な不安を抱えながら、ケンジはフランクとともに夜の歌舞伎町を彷徨う。
最近、死んだような目をして意志を感じさせない若者を見ることが多くなりました。彼らは、自分にも日本という国にもプライドを持てず、生きるための明確な意志も失った「ロボットか人形」のようです。
フランクは日本人にとって、現代の「黒船」であり、圧倒的な暴力をもつ「他者」の象徴です。その前で、抵抗もできないほど無力な人々の姿は、世界の中での明確な地位を持てずに尊敬もされない日本の姿とも重なります。明確な意志と危機感をもち、油断できない他者に対してうまく立ち回らないとやられる。こうした、「世界の常識」が日本には欠如しているということでしょう。
一方で、外国の侵略を受けたことのない日本がもつ、どこか優しい癒しの力にも気づかせてくれます。これは、ぬるいみそ汁のようなこの国の文化に浸かっている日常からは、意識できなかった新たな気づきです。
日本人の生き方に警鐘をならす、衝撃の一冊。おすすめです。
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