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(短編集)
ゲイルズバーグの春を愛す
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【この小説が収録されている参考書籍】
ゲイルズバーグの春を愛すの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.30pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全40件 1~20 1/2ページ
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以前ハードカバー版を借りて読みました。 久しぶりに読み直したくなりこちらを購入、いやあひたすらに懐かしい。 歳がいってから読み返すと若い頃とはまた違った感傷を覚えます。 過ぎ去った良き日に思いを馳せてみるのもまた一興です。 | ||||
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以前なにかのドラマで この本を劇中で取り上げた途端に価格がしたため入手困難でした 40年以上前の中学生時代に「盗まれた街」を読んで以来のジャック・フィニイ | ||||
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最後の短編が読みたくて買いました。20年くらい前にテレビでやった吹替映画が良かったので、小説を買いました。何故再放送しないのか疑問です。 | ||||
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推しのドラマに登場していて、ずっと気になってたので購入しました。どうしてこの本がドラマの中に登場したのか、しっかり読み込んでまたドラマ内容と照らし合わせてみたいなと思ってます。楽しみです。 | ||||
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かなり、茶色に変色しており、字が読みにくいです。 | ||||
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過去の街が、あたかも生き物のように、街を変えようとする力に抵抗する「ゲイルズバーグの春を愛す」や、古い設計図に基づいて建てられた屋敷が、屋敷に住む人を、しだいに屋敷になじむようなクラシカルな姿や生活スタイルに変えていく「クルーエット夫妻の家」など、建築学や都市計画の関係者が喜びそうなファンタジーを含む、奇妙なテイストの短編集。福島正実の「訳者あとがき」にあるとおり、著者は「ここは私のいる場所(空間・時間)ではない」という観念に支配されていたように思われる。 | ||||
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作者は古いものを愛する人だと思います。過去と現在が入り混じる話が多数収められていました。 最終話はロマンチックでした。ヴィクトリア調の書物机を通じて時代を超えた文通をし(許されたのはたったの2往復!)、永遠の恋に落ちた男女の物語です。 コメディもありましたが、女性の服の中身が見える眼鏡なんて、今なら炎上しそうな設定ですね。この作者自身、少し前の方なので(お亡くなりになっています)「現代」の設定もレトロなのです。 | ||||
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大好きな内田善美さんのカバーイラストに魅かれて購入 タイトルの町の名も内田さんのシリーズ 読んでみたら、とても素敵な小説ばかりでした | ||||
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中山美穂主演の映画「Love Letter」や、サンドラ・ブロック主演の映画「イルマーレThe Lake House」は現在と過去を手紙がつなぐ役割を果たしているラブストーリーである。ジャック・フィニイ の短編小説「愛の手紙The Love Letter」が、この手の作品のはしりといういうことであったので「愛の手紙」のみを読んでみた。日本語訳は早川書房のものが読めるが、味わい深い箇所は、英語で全文がウェブに掲載されているので、和訳と照らし合わせてみるのもよい。 本作では、手紙は夜に書かれるのだが、夜更けのある時間、ある場所においては、時の流れさえも、あいまいになり、時間を超えて過去の人と繋がることができる。以下で引用した文の情景描写、即ち、世界が寝静まり、夜の息吹きが感じられ、月明りの照らすような状況では、こうした奇蹟が起こりそうな、奇跡を信じたい気持ちになり、物語の中へ主人公と共に入っていくことができる。 The night is a strange time when you're alone in it, the rest of your world asleep. But alone here now, a window partly open, a cool late-at-night freshness stirring the quiet air the high, late moonlight softening the lines of the big concrete-block supermarket at the corner The night is a strange time; things are different at night, as every human being knows somewhere deep inside him. But here and there, still, are little islands — isolated remnants of the way things once were. I think that at night — late at night, the world asleep, when the sounds of things as they are now are nearly silent, and the sight of things as they are now is vague in the darkness — the boundary between here and then wavers(こことあそこの境界線がぼけてくるのだ). At certain moments and places it fades(ある瞬間、ある場所がかすんで消えるのだ). 愛や真実とは、ときに、時間を超えて、人と人をつなぐものである。本作は、夜更けにひとりで、愛の奇跡を信じたいときに、祈るような気持ちで読ませる作品である。 表題作の「ゲイルズバーグの春を愛す」は40分もあれば読める38ページの短編。ゲイルズバーグは米国イリノイ州のノックス群にある都市。著者はゲイルズバーグの出身ではないが、叔父と叔母が住んでおり、著者はノックス大学を1934年に卒業している(本作の主人公もノックス大学の卒業なので自伝的要素がある)。本作で話が出てくる1858年のリンカーン・ダグラス論争はゲイルズバーグ市内で開催され演説台が付けられたというのは実話。本作はタイムトラベルに関係する話だが、ゲイルズバーグは他作品でもタイムトラベルに関する作品で使われている。本作は、古き良き時代の過去の電車、電話、消防夫、車などが、実際にタイムトラベルをして、現代の街並みを変えようとする動きをとめるという話である。これをあり得ないSF話とはとらず、美しい街並みであったゲイルズバーグを愛する人々の記憶・想いが起こしたことと考えれば現実味を帯びるものである。本作は近代化・効率化のみを追求する街づくりを批判し、街並み・文化遺産の保存を訴えた作品とも読める。 | ||||
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翻訳に対して誤訳だ何だと書いてる人を見ると、「そんなこたぁどうでもいいだろうが英語で読めるなら英語で読めうるさいやつ」なんて思ってましたが、今回例を示して説明してあるのを読んで認識を改めました。時制の問題ですが、これじゃ感動の度合いが全然違ってくるじゃないかと愕然としました。説明してくれた方ありがとうございました。 | ||||
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もう人生が長く無いので、大量の新聞の切り抜きや本などを捨てようと 箱から引っ張り出していたら、 茶色に焼けた、新聞の書評の切り抜きが出てきた。2002年2月の新聞だった。 (これは面白そうだ)と思って切り抜いたきり、18年と9ヶ月の歳月がながれていた。 その本がジャック・フィニィの「愛の手紙」についてのものだったとは 見事すぎる偶然だ。 作品の内容は以下。ネタバレはしません。 「1962年、青年は 古道具屋で買った机の抽斗(ひきだし)の うしろに隠しひきだしをみつけ、 そこに古い手紙を発見した。 日付は1882年。 宛先はなく、 気に入らない男と結婚しなければならない若い娘の、 架空の誰かに向けての悲痛な嘆きが書かれていた。 青年は引き出しにあった古いインクとペンと古びた 便箋に返事を書き、子供の頃集めた、今では 価値のある古い、1869年発行の 2セント切手を貼って、大きくて古い郵便局に 投函に向かった。 数日後、青年はようやく、隠し抽斗がまだほかにも あることに気がついた。 2番目の隠し引き出しに手をやると、彼女からの返事が入っていた。 青年はそれに返事を書いたが、隠し引き出しは三つしかない。 つまり彼女がこちらに返事をくれるチャンスは あと一回だけなのだ。」 作品内容はここまで。以下は実際の体験です。 自分の人生に現実に起きた、数々の不思議な出来事、 人が滅多に通らない場所で、崖から落ちそうになっているオートバイを、 オートバイの海側に立って支えている男性を発見して、(そのままではオートバイから手を離して 自分はなんとか助かる、ということができない、、、重いオートバイに海側に押しやられて いるのだから)に出会って ずるずると落ちていきかかるバイクのハンドルをガッと掴んで引っ張り上げたこととか、 何かに引っ張られて行った先で人を救って、すると(ああ、きょうはもう帰っていいのだ)と 「わかる」感じとか、、 いくらでもある。 この世は、石ころを放り投げたような「ただの偶然」で出来ているわけでは無い。 それがわかっているから、一層 この物語には胸をうたれる。 ひとにはあまり薦めたく無い。 この作品の価値がわかる人は少ないだろうと思うから。 それと、翻訳の不備を指摘なさっている方もいるが、この翻訳本で 読者に充分に伝わるはずだと思いますよ。 一字一句、逃さずに丁寧に読めば、、、、。 | ||||
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今回読むのが三度目です。 断捨離的に読んだら売り、を繰り返していますが、あまりに素敵な内容なので、身内に強引に貸し付けました。でも売ったら、また買うんだろうなぁ。短編集ですが、最後の、愛の手紙、ロマンチック過ぎます。 | ||||
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ずいぶんと前に引退されてしまった内田善美先生の表紙が美しいです。 先生は版権を引き上げてしまった為、今手に入る先生の絵はこの本ぐらいです。 | ||||
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アメリカのSF・ファンタジー作家ジャック・フィニイの短編集で、1972年に出版された邦訳を1980年に文庫化したものです。 ◆『ゲイルズバーグの春を愛す』 :イリノイ州の街ゲイルズバーグに工場建設用地を探しにやって来たマーシュは、街なかで路面電車にあわや撥ねられそうになった。しかしこの街の路面電車は1930年代に廃止されていたはず。またある建物が火事になった際、やってきたのは馬車に引かれた旧式の消防ポンプ車だった…。 街の「過去が現在を撃退する」物語です。フィニイといえば過去への強い郷愁を描く作家だけに、彼の面目躍如たる作品といえるでしょう。都市開発が進む1960年代初頭に発表された短編ですが、街の前進には過去の犠牲が伴う場合があることを知るだけに、そのことの哀しみや痛みが浮き彫りになります。 フィニイの類似の作品に『台詞(せりふ)指導』という作品(『』(創元SF文庫)所収)があります。1964年にNYで映画の撮影をしていた若い俳優やセリフ指導係たちが、撮影用に用意した1920年代のバスで38年前の世界に迷い混んでしまう物語です。過去へのタイムスリップを経験した主人公たちが気づくのは、愛は待ってはくれない、先延ばしにしてはならない、ということ。そしてそのことを悟った末に物語の結びで彼らがとる行動が、心をほんのりと温めてくれます。 ◆『悪の魔力』 :テッドは奇術品店で不思議なメガネを買う。それをかけると薄い布一枚ならば透かして見ることができる。彼はそのメガネをかけて手あたり次第に周囲の女性を眺め始めるが、職場で普段は魅力を感じていなかったフリーダを眺めた途端…。 奇妙な道具が次々と出てくる艶笑譚です。くだんのメガネの透視力は弱いので、女性の全裸が見られるわけではありません。上着一枚の下にあるブラとパンティまでしか覗き見できないのです。ですがこれが書かれた1960年代にはそれでも十分エッチな物語となったことでしょう。 訝しく感じたのは邦題です。原題の『Love, Your Magic Spell is Everywhere』が与える印象よりも、また実際に物語の展開に照らしても、この『悪の魔力』という邦題は少々禍々しさが過ぎるのではないでしょうか。 また、この短編に出てくる<ラブ・ネスト(Love Nest)>、<ベビー・ルース(Baby Ruth)>、<アーモンド・ジョイ(Almond Joy)>がわかりにくいと思います。この3つは後段でわずかに「キャンディ」だと説明されるだけです。また訳者の福島正実は割注を付してより詳細な説明をしてはいないので、日本の読者には主人公たちが何を食べているのかイメージがわかないのではないでしょうか。この3つはいずれも実在する(した)アメリカのチョコレート・バーのこと。英語でいう「candy bar」で、日本語の「キャンディ」ではないことを知らないとこの小説を楽しめないと思います。 ◆『クルーエット夫妻の家』 :資産家のサムとエリーのクルーエット夫妻は、建築家のハリーに自宅の設計を依頼する。彼らが示したのは偶然見つけた1880年代の家の設計図だった…。 出来上がった自宅でクルーエット夫妻は19世紀後半の生活を送るようになります。それはあたかも邸自体が二人にそうした古い暮らしを要求したかのようです。これもまた過去が現在を侵食していく短編ですが、フィニイだけにそれは怪物屋敷による憑依譚というよりも、これまで積み上げてきたものを放擲してまでも郷愁の中に埋没することの陶酔感を味わう物語といえるでしょう。 ◆『おい、こっちをむけ!』 :新聞社の書評欄担当者ピーター・マークスは、作家のマックス・キンジェリーといっとき知己を得る。やがてマックスは間もなく病気で逝ってしまうが、ピーターは彼の亡霊を幾度か目にする。 幽霊となったマックスが何故この世に未練を残しているのか。ピーターがその理由を探っていくという短編です。事の次第は最後に明かされますが、さほど大きな驚きを見せるわけではありません。見ようによっては、これは作者ジャック・フィニイが作家生活の中で苦い思いをさせられた書評家たちへの意趣返しのために書いた物語なのかもしれません。そう考えるとまた一興です。 ◆『もう一人の大統領候補』 :JFK政権の時代、次の大統領はケネディ再選か、それともロックフェラーかニクソンか。ひょっとするとゲイルズバーグ市出身のチャーリーかもしれない、と語るのはチャーリーの幼馴染のこの「ぼく」…。 チャーリーの幼少期の一挿話を主人公が一人称で語る短編です。その挿話とはサーカスから逃げたトラにチャーリーが催眠術をかけて捕獲したというもの。そのからくりを私はすぐに見破ることができたので、催眠術云々にはとりたてて感じることはありませんでした。むしろこの「ぼく」の語り全体が誰に向けたものなのかが最後に明らかになるオチには少しばかり驚かされました。 ◆『独房ファンタジア』 :死刑囚のペレスは刑の執行1週間前に壁に絵を描く道具を典獄に所望する。彼が書き始めたのはドアの絵だった。死刑執行日の午前にようやくドアの絵が完成し…。 こう書くと、この描き終わった絵が突然開いてペレスはまんまと脱獄するという展開になるものだと思いきや、私の予想は大きくはずれました。懐かしい過去への郷愁を重んじるフィニイらしいエンディングといえるのかもしれません。 ◆『時に境界なし』 :物理学を研究するウェイガン教授はサンフランシスコ警察のイリーン警部に呼びつけられる。このところ何人かの犯罪容疑者が姿を消すのだが、どういうわけか19世紀末から20世紀初頭にかけて撮影された写真や無声のニュース映画に彼らとそっくりの男たちが映っているというのだ。そしてそうした映像を警部よりも教授のほうが先に見つけていたということが判明して…。 いよいよというか、ようやくというか、ジャック・フィニイらしい『』のような時間旅行系幻想小説が登場です。30頁にも満たない短編の終わりには、私が最も好みとするTVシリーズ『トワイライト・ゾーン』のような、小粋でちょっぴり怖い結末が用意されていました。 ◆『大胆不敵な気球乗り』 :カリフォルニア州マーチン郡に暮らすチャールズ・バークは「ひとりでいた六日目」に上空を駆ける鷹の姿を目にして刺激を受け、気球を作り始める。そして夜中ひそかに大空を飛ぶうち、近所に住むレニダス夫人に見つかってしまう。しかし夫人は自分も一緒に空を飛びたいと言い出して…。 気球を駆って中年の男女が空を飛ぶ――それだけの物語といってしまえばそれまでです。なにしろその気球はチャールズが作った何の変哲もないものです。このアンソロジーの中では唯一と言ってよいほど超常現象的事態が起こらない掌編といえます。怪異な物語を覚悟して身構えていた読者は拍子抜けしてしまうかもしれません。 ですがこれはスルメのように噛めば噛むほど味が出る物語です。書き出しにある「ひとりでいた六日間」の指し示すことがしばらくはっきりとしませんが、この物語が8月の出来事であること、そして最後に妻子が戻ってくることから、家族は夏休みだがサンフランシスコに通勤しているチャールズはひとりお留守番していたことが見えてきます。そんないっときの男やもめ状態にあって、夜だけ世間を眺める彼の視点を変えてくれるのが気球飛行というわけ。それは確かにチャールズにとっては非日常の世界。センス・オブ・ワンダーに満ちた日々なのです。 そしてレニダス夫人との間でも、アヴァンチュールが起こるわけでもありませんが、「来たれ、ジョゼフィン、わが空飛ぶ機械(フライング・マシーン)に来たれ。ともに手を取り飛び行かん、飛び行かん!」とチャールズが上空で夫人に歌いかける場面が実に気の利いた伏線となっています。 この歌はエイダ・ジョーンズとビリー・マレイがデュエットして1911年にリリースされた『Come Josephine in My Flying Machine』のこと。翌1912年にタイタニック号沈没事件が発生していて、ですから映画『タイタニック』の中でもジャックがローズにこの歌を歌う場面がありました。(船の舳先でローズが両腕を広げて風を切り、それを背後から支えるジャックが耳元でささやくように歌っています。) そしてこの歌を胸躍らせて聞いたレニダス夫人が最後にチャールズに語るセリフが小粋です。このセリフとともに、1960年代になってエドナという女性名がもう流行らなくなった事実が思い起こされることで、チャールズとレニダス夫人がもう若くはないこと、そして彼らの間に男女の性愛はないけれども、束の間、秘密の飛行を分かち合った大人二人がおそらく今後一生胸の中で静かに慈しみ続ける想い出が確かに生まれたこと、そんなあれこれが一瞬にして読者の眼前に立ち現れてくるのです。 本当にいかした物語です。 ◆『コイン・コレクション』 :アル・ビューレンは本好きが高じて、新婚4年目の妻マリオンから「かまってくれない」となじられる。ちょっとうんざり気味のある日、彼は通勤途上で並行世界に迷いこんでしまう。そこで彼は、かつて気になっていた女性ヴェラと結婚していて…。 付き合い始めたころは甘美この上ない関係を保っていたはずの男女関係も、今や昔。誰しも抱きがちなその憂さを、並行世界で晴らす男の物語です。しかしもちろんアルを取り巻く世界は異界であっても、アルはアルですから、同じことが繰り返されるのは常。だからこそ、マリオンの愛おしさが再確認できるオチになりそうなものですが、さにあらず、です。 ちょっぴり男に都合の良い世界観が待っていて、思わず苦笑させられます。 なお、この小説に関連して2つの本を紹介しておきます。 ひとつは、主人公がおなじように並行世界に迷い込んでしまう物語で、フィリップ・K・ディック『』(早川書房)です。こちらはなかなか甘美な結末が用意されていて、ディックの短編のうちで私が最も好きな小説です。近年、『』(早川書房)の中に『地図にない街』として新訳が収められているそうです。 もうひとつは、アルがドラッグストアで回転式の金属ラックに、「おなじみの、はでな表紙の小型本がぎっしりならべられてい」る様子を目にして、「表紙の絵から察すると、どれもこれも異常なほど発達した肉体を持った女のことを書いた本みたい」と感じる場面から思い出した書籍です。 それは尾崎俊介『』(研究社)。この本によればペーパーバックは今と違ってかつてはハードカバーに比べて格下とみられていた時代があり、書店ではなくニューススタンドでの販売が一般的とされていました。その売り場で雑誌類の派手な表紙に伍して売り上げを伸ばすため、出版社は競うようにしてペーパーバックに官能的な表紙絵をあしらうようになります。1960年代アルが目にしたのもこうした時代のペーパーバックだったということが、思い出されました。 ◆『愛の手紙』 :1962年のブルックリンに暮らすジェイク・ベルクナップはアンティークの文机を購入する。それには隠し抽斗があり、中からヘレン・ウォーリーという女性が1882年に書いた恋文が出てくる。ジェイクはその文面に心動かされ、思わず返事を書いてしまうのだが…。 時を超えたジェイクとヘレンの手紙のやりとりがほんのり心を温めてくれる物語ですが、よく似たウィリアム・M・リーの短編『チャリティのことづて』(『』(東京創元社)所収)や、映画化もされたリチャード・マシスンの長編『』(東京創元社)に比べると話の結末が少々淡泊すぎる印象を持ちました。 しかし、私がそう思った原因は、福島正実訳が不完全だったからということがわかりました。 原文にあたったところ、ヘレンが最後に抽斗へ送った<もの>に書かれていた文章はI will never forget.ですが、最終場面でジェイクが見つけた<もの>に刻まれた言葉はI never forgot.です。つまりこの二つの文章の時制の違いによってヘレンの恋情の結末が明確に示されているもかかわらず、福島訳はどちらも同じ和文に訳してしまっているため、心引き絞られたヘレンが下した最終決断が日本の読者に伝わらない結果となっているのです。福島はヘレンのフルネームがミドルネーム込みでその<もの>に刻まれているので、彼女の決断はジェイクに十分伝わったはずだと考えたのかもしれませんが、原文に時制の違いがあることを知った私はより明確にヘレンの切ない気持ちを思って、心震えたのです。 1972年の初訳からすでに半世紀近い歳月がたとうとしています。そろそろ新訳が出てもよいころなのかもしれません。 . | ||||
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この作家の本が好きでしたので、おもわず買ってしまいました。 結果的にほぼ送料だけになってしまい、売られた方には申し訳なく思っています。 | ||||
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日常生活の中で不思議なことがおきる話が多いので、話の中に入り込めました!どの話も好きですが、「クルーエット夫妻の家」が1番好きです!! | ||||
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表題を含むの10の作品からなる短編集。 近代化の並が押し寄せるアメリカ。 古い街並を残すゲイルズバーグも例外ではなく、郊外に大きな工場が建設されようとしていた。 契約のためにゲイルズバーグを訪れていた工場のオーナーが夜の街を歩いているところへ路面電車が通りかかり、彼は危うく轢かれそうになる。 ところが、路面電車は数十年前から運行されておらず、レールすら存在していないはずだった。。。 表題作に限らず、19世紀初頭の”古き良きアメリカ”へのノスタルジーが一杯なのだが、作者と同一のノスタルジーにはちょっと浸りきれないかな。 | ||||
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表題を含むの10の作品からなる短編集。 近代化の並が押し寄せるアメリカ。 古い街並を残すゲイルズバーグも例外ではなく、郊外に大きな工場が建設されようとしていた。 契約のためにゲイルズバーグを訪れていた工場のオーナーが夜の街を歩いているところへ路面電車が通りかかり、彼は危うく轢かれそうになる。 ところが、路面電車は数十年前から運行されておらず、レールすら存在していないはずだった。。。 表題作に限らず、19世紀初頭の”古き良きアメリカ”へのノスタルジーが一杯なのだが、作者と同一のノスタルジーにはちょっと浸りきれないかな。 | ||||
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ちょっと不思議で、優しい気持ちになれる短編集。70年代の作品ということで、やや古い感じがする作風ですが、温かな余韻を残してくれます。丁寧に訳されていますが、少し古めかしいというか、ほぼ直訳です。その為、日本語としては若干読みにくい部分もあるように思います。原作で読んだほうが、文章の美しさが際立ちます。 | ||||
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ハラハラ、爽やか、心残り。 良い読み句、読み返したいなあこの本わ! | ||||
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