わたしたちが孤児だったころ

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わたしたちが孤児だったころの評価:

4.00/5点 レビュー 80件。 E ランク

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平均点4.00pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全162件 41〜60 3/9ページ
No.122
(3pt)

ストーリー展開は面白いが、不自然さが受け入れられなかった

この小説の結末にはとても興味があった。しかし終盤での、駆け落ちを決定したことの唐突さや、両親の拉致されているであろう家に推測だけで命がけで向かおうとする不自然さや、親友アキラとの再会の非現実性など、前作「充たされざる者」の世界であれば許容できた展開も、今回は許容できなかった。しかし、大どんでん返しの結末は楽しめ、サラの死も、もの悲しさの余韻が残り、しみじみ感じられた点は良かった。総合評価は3.5としたいが、3とした。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.121
(3pt)

ストーリー展開は面白いが、不自然さが受け入れられなかった

この小説の結末にはとても興味があった。しかし終盤での、駆け落ちを決定したことの唐突さや、両親の拉致されているであろう家に推測だけで命がけで向かおうとする不自然さや、親友アキラとの再会の非現実性など、前作「充たされざる者」の世界であれば許容できた展開も、今回は許容できなかった。しかし、大どんでん返しの結末は楽しめ、サラの死も、もの悲しさの余韻が残り、しみじみ感じられた点は良かった。総合評価は3.5としたいが、3とした。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.120
(3pt)

ダラダラと長いだけ。メタが全くない驚くほど稚拙な小説(作家)。

とにかく物語として非常に拙く、特に前半はダラダラとしてエピソードをつないでいるだけなのでかなり退屈でした。
ほぼ半分にあたる257頁あたりからそれまでの記述スタイルとは明らかに異なる語りにテンポの良さのようなものが出てきますが、作者であるイシグロ氏にもこの木に竹を接いだような不自然な変化についてちゃんとした説明が出来ていないことからも、おそらく作者のミスなのだろうということが感じだれて、この点も本作の出来の悪さに一役買っています。
いちばん不味いのは、本作の物語の中心である「両親誘拐事件(?)」を主人公のクリストファーが私立探偵になってまで解決しようとしているのに、明らかにこの事件に深く関わっている「フィリップおじさん」なる人物を最後まで全く捜そうとしない点です。
幸いにも本書のラストで別の件でむしろフィリップおじさんの方から再会してくれるわけですが、高名な名探偵という立場になっているクリストファーがそんな当たり前にことすら出来ないということにはただただ呆れてしまいます。
そもそも探偵というわりに探偵らしい活躍が一切書かれていないというのも奇妙ですが、これはイシグロ氏の作家として力量と才能に大きな問題があるからだと私は思います。
本作でも残りわずかになってからバタバタと事件の真相が書かれていきますが、その記述がいかにも取ってつけたように不自然でそれまでの文章から乖離しているという問題点は、本作の後に書かれた『わたしを離さないで』『忘れられた巨人』でも共通する欠点です。
さらに欠点を指摘すると、ダラダラとした意味のないエピソードを細かくつないでイシグロ作品は出来ていて、それらからなる全体の物語には「メタ」が全く存在しない単一の意味しかないということでしょう。
本作においても表層的で単純なストーリーしか存在せず、批評家が無理筋に強引な評価をしてような「孤児」というワードへの複雑な含蓄などじつは本作には全く存在してはいません。
評価については個人的には最低評価が妥当ですが、こうして意図的に作られたノーベル文学賞作家という意味を提議するためにもあえて普通という評価にさせていただきます。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.119
(3pt)

ダラダラと長いだけ。メタが全くない驚くほど稚拙な小説(作家)。

とにかく物語として非常に拙く、特に前半はダラダラとしてエピソードをつないでいるだけなのでかなり退屈でした。
ほぼ半分にあたる257頁あたりからそれまでの記述スタイルとは明らかに異なる語りにテンポの良さのようなものが出てきますが、作者であるイシグロ氏にもこの木に竹を接いだような不自然な変化についてちゃんとした説明が出来ていないことからも、おそらく作者のミスなのだろうということが感じだれて、この点も本作の出来の悪さに一役買っています。
いちばん不味いのは、本作の物語の中心である「両親誘拐事件(?)」を主人公のクリストファーが私立探偵になってまで解決しようとしているのに、明らかにこの事件に深く関わっている「フィリップおじさん」なる人物を最後まで全く捜そうとしない点です。
幸いにも本書のラストで別の件でむしろフィリップおじさんの方から再会してくれるわけですが、高名な名探偵という立場になっているクリストファーがそんな当たり前にことすら出来ないということにはただただ呆れてしまいます。
そもそも探偵というわりに探偵らしい活躍が一切書かれていないというのも奇妙ですが、これはイシグロ氏の作家として力量と才能に大きな問題があるからだと私は思います。
本作でも残りわずかになってからバタバタと事件の真相が書かれていきますが、その記述がいかにも取ってつけたように不自然でそれまでの文章から乖離しているという問題点は、本作の後に書かれた『わたしを離さないで』『忘れられた巨人』でも共通する欠点です。
さらに欠点を指摘すると、ダラダラとした意味のないエピソードを細かくつないでイシグロ作品は出来ていて、それらからなる全体の物語には「メタ」が全く存在しない単一の意味しかないということでしょう。
本作においても表層的で単純なストーリーしか存在せず、批評家が無理筋に強引な評価をしてような「孤児」というワードへの複雑な含蓄などじつは本作には全く存在してはいません。
評価については個人的には最低評価が妥当ですが、こうして意図的に作られたノーベル文学賞作家という意味を提議するためにもあえて普通という評価にさせていただきます。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.118
(5pt)

イシグロ的英国ミステリ

久しぶりに“身が入る”読書を楽しんだ。カズオ・イシグロはもう一冊、世界的なベストセラーになった『わたしを離さないで』を読んだだけだが、あれも面白かった。そのほかの作品のあらすじに目を通してみると、多彩な作風を持つ作家らしいので、一概には言えないかもしれないが、わたしが読んだ2作は間違いなく圧倒的な物語が展開する小説だった。

本書には、意外な作家の影響も見受けられる。本当に本当に意外なのだが、それはアガサ・クリスティーである。このことをわたしが知ったのは、しばらく前に読んだ平井杏子という人が書いた紀行エッセイ『アガサ・クリスティを訪ねる旅』(大修館書店)のあとがきでだった。以下、それを少し引用してみよう。

“じつは打ち明けると、この旅に私を誘ってくれたのは、カズオ・イシグロというひとりの作家でした。(中略)人間心理の奥底に深く分け入るイシグロ文学に魅せられ、著書やさまざまな資料に目を通していた私は、長編第五作目の『私たちが孤児だったころ』(原文ママ)のことを、イシグロ自身が「アガサ・クリスティのパスティーシュ」と語ったインタビュー記事に行き当たりました。……”

パスティーシュとは模倣のことである。あらためて思い巡らすまでもなく本書の主人公は探偵だし、過去と向き合い、ケリをつけようとする物語は確かにクリスティー的だ。もちろんクリスティーとイシグロの作風はまったく異なるが、イギリスにはディケンズの『エドウィン・ドルードの謎』のように文豪がミステリを手がける伝統があり、本書もその系譜に連ねてよいのではないか。もっと言えば、イシグロのストーリーテラーぶりはディケンズ的でもあると思う。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.117
(5pt)

イシグロ的英国ミステリ

久しぶりに“身が入る”読書を楽しんだ。カズオ・イシグロはもう一冊、世界的なベストセラーになった『わたしを離さないで』を読んだだけだが、あれも面白かった。そのほかの作品のあらすじに目を通してみると、多彩な作風を持つ作家らしいので、一概には言えないかもしれないが、わたしが読んだ2作は間違いなく圧倒的な物語が展開する小説だった。

本書には、意外な作家の影響も見受けられる。本当に本当に意外なのだが、それはアガサ・クリスティーである。このことをわたしが知ったのは、しばらく前に読んだ平井杏子という人が書いた紀行エッセイ『アガサ・クリスティを訪ねる旅』(大修館書店)のあとがきでだった。以下、それを少し引用してみよう。

“じつは打ち明けると、この旅に私を誘ってくれたのは、カズオ・イシグロというひとりの作家でした。(中略)人間心理の奥底に深く分け入るイシグロ文学に魅せられ、著書やさまざまな資料に目を通していた私は、長編第五作目の『私たちが孤児だったころ』(原文ママ)のことを、イシグロ自身が「アガサ・クリスティのパスティーシュ」と語ったインタビュー記事に行き当たりました。……”

パスティーシュとは模倣のことである。あらためて思い巡らすまでもなく本書の主人公は探偵だし、過去と向き合い、ケリをつけようとする物語は確かにクリスティー的だ。もちろんクリスティーとイシグロの作風はまったく異なるが、イギリスにはディケンズの『エドウィン・ドルードの謎』のように文豪がミステリを手がける伝統があり、本書もその系譜に連ねてよいのではないか。もっと言えば、イシグロのストーリーテラーぶりはディケンズ的でもあると思う。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.116
(4pt)

長い夢を見ていたような作品

英国の著名な探偵、クリストファー・バンクス。
彼の回想という形で、本書は構成されている。
どこまでが真実で、どこからが虚構と感じるかは読み手に委ねられるだろう。
独特の世界観を楽しみたい一冊。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.115
(4pt)

長い夢を見ていたような作品

英国の著名な探偵、クリストファー・バンクス。
彼の回想という形で、本書は構成されている。
どこまでが真実で、どこからが虚構と感じるかは読み手に委ねられるだろう。
独特の世界観を楽しみたい一冊。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.114
(5pt)

他人の犠牲の上に成り立つ繁栄

物語の舞台は主に、1930年代のイギリスと上海である。
上海生まれのイギリス人である本書の主人公は、ある日突然孤児となる。イギリスで成人して探偵となった後は、やらなければならないことがあるという使命感から、上海に行く。
自分の使命が常に優先されており、他人の苦悩や痛みには思いを及ぼさない。ところどころ、読んでいて驚かされるほど、あまりに自己中心的な発言もする。そして、自分の恵まれた地位や特権が、多くの人の犠牲の上に成り立ってきたことにも気づかず、また、気づいた後も、自分を正当化し続ける。

作者はさらに物語の中に隠喩として、先進国で裕福に暮らす人々への批判も含めているように思う。
主人公と相似の関係にあるものとして、列強各国の富裕層がある。その中でも特に、中心的存在である大英帝国に対して、作者の厳しい目が向けられているように感じる。使命感を持って帝国主義の行動を起こし、自分たちの恵まれた社会や国が他国民の犠牲の上に成り立っていることに気づかずに(あるいは故意に無視して)人生を謳歌している。この国民みんなが、タイトルの「わたしたち」に含まれるのではないだろうか。
そしてこの「わたしたち」は、昔だけの話ではなく、現代の先進国に生きる私たちの問題でもある。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.113
(5pt)

他人の犠牲の上に成り立つ繁栄

物語の舞台は主に、1930年代のイギリスと上海である。
上海生まれのイギリス人である本書の主人公は、ある日突然孤児となる。イギリスで成人して探偵となった後は、やらなければならないことがあるという使命感から、上海に行く。
自分の使命が常に優先されており、他人の苦悩や痛みには思いを及ぼさない。ところどころ、読んでいて驚かされるほど、あまりに自己中心的な発言もする。そして、自分の恵まれた地位や特権が、多くの人の犠牲の上に成り立ってきたことにも気づかず、また、気づいた後も、自分を正当化し続ける。

作者はさらに物語の中に隠喩として、先進国で裕福に暮らす人々への批判も含めているように思う。
主人公と相似の関係にあるものとして、列強各国の富裕層がある。その中でも特に、中心的存在である大英帝国に対して、作者の厳しい目が向けられているように感じる。使命感を持って帝国主義の行動を起こし、自分たちの恵まれた社会や国が他国民の犠牲の上に成り立っていることに気づかずに(あるいは故意に無視して)人生を謳歌している。この国民みんなが、タイトルの「わたしたち」に含まれるのではないだろうか。
そしてこの「わたしたち」は、昔だけの話ではなく、現代の先進国に生きる私たちの問題でもある。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.112
(3pt)

青年が思い描いていた未来とは

前半のミス・ヘミングスとの出会い、幼少時代の回想あたりまでは、可笑しいやら美しいやらでとても楽しめました。

上海に戻ったあたりから暗雲がたちこめ、パンドラの箱を開けたように、世界の負の部分が噴出してきます。物語の冒頭、20代前半だった主人公は、最終章では還暦近いおじさんに。老人になった彼の生活は、冒頭の青年が思い描いていた未来と、遠くかけ離れたものではないけれど、なんだか「ま、こんなものなのかな?」みたいな諦念が漂う。老人になるってあんな「やっと全ての傷口がふさがった」みたいな心地なんでしょうか…。

真ん中くらいから「充たされざる者」を二番煎じした世界が広がり、不安や心配でグラグラと話は進みます。再会したアキラは本当に本人だったのかは謎…。アキラ、ミス・ヘミングス、そして父親・母親の結末…。豊かでキラキラと潤いに満ちた幼少時代が、灰色で乾燥した地に変化した感じ。

それにしてもイシグロさんって奇妙な人。分厚い仮面をかぶっていて、何が起こっても耐えしのんで、絶対に本性を表に出さない。生粋のイギリス人とはまたちょっと違う頑固さ・謙虚さがある。見ていて時に息苦しくなるほど。でもこの本の終盤では、その仮面を一枚とって素直な表情を見せているような気が少しした。そしてそこにいるのは意外と普通の人だったりする。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.111
(3pt)

青年が思い描いていた未来とは

前半のミス・ヘミングスとの出会い、幼少時代の回想あたりまでは、可笑しいやら美しいやらでとても楽しめました。

上海に戻ったあたりから暗雲がたちこめ、パンドラの箱を開けたように、世界の負の部分が噴出してきます。物語の冒頭、20代前半だった主人公は、最終章では還暦近いおじさんに。老人になった彼の生活は、冒頭の青年が思い描いていた未来と、遠くかけ離れたものではないけれど、なんだか「ま、こんなものなのかな?」みたいな諦念が漂う。老人になるってあんな「やっと全ての傷口がふさがった」みたいな心地なんでしょうか…。

真ん中くらいから「充たされざる者」を二番煎じした世界が広がり、不安や心配でグラグラと話は進みます。再会したアキラは本当に本人だったのかは謎…。アキラ、ミス・ヘミングス、そして父親・母親の結末…。豊かでキラキラと潤いに満ちた幼少時代が、灰色で乾燥した地に変化した感じ。

それにしてもイシグロさんって奇妙な人。分厚い仮面をかぶっていて、何が起こっても耐えしのんで、絶対に本性を表に出さない。生粋のイギリス人とはまたちょっと違う頑固さ・謙虚さがある。見ていて時に息苦しくなるほど。でもこの本の終盤では、その仮面を一枚とって素直な表情を見せているような気が少しした。そしてそこにいるのは意外と普通の人だったりする。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.110
(3pt)

イシグロ氏の中ではうまくいってない方の作品

相変わらず一筋縄でない展開、最後の方に突きつけられる真実の衝撃、主人公が味わわされる挫折や悲哀、といったイシグロ氏おなじみのフルコースといった様相なのだが、今回はあまりうまくいっていないように思われた。展開が強引すぎたのと、主人公があまりに自信家で楽天家すぎたように思う。いくら探偵としてイギリスで大成功をおさめているとはいえ、子供の頃に失踪した両親を何十年も経った後でもすぐに見つけ出せる、そしてまだある家に幽閉されていると確信できるだろうか。
主人公のクリストファーの甘い期待や思惑は最後に木っ端みじんにされてしまい、イシグロ氏が得意とする語り手である主人公の挫折や悲哀が最後に痛烈に炸裂するわけだが、自分の属する世界、自分の信じている信念、自分の大切にしている記憶が、実はそれほどたいしたものではなく、むしろもろくて曖昧なものであるという、イシグロ氏のテーマが最後にいかんなく発揮されてやはり素晴らしい。
後半の戦闘シーンも、息をのむほどの迫力と恐怖が伝わってきて、この作家の描写力の確かさがよくわかった・
しかし、「日の名残」や「私を離さないで」と比べると、特に後半はあまりに事がとんとんと小気味よく進みすぎて、それが作者の都合に思えてしまい、小説に入り込めなかった。残念。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.109
(3pt)

イシグロ氏の中ではうまくいってない方の作品

相変わらず一筋縄でない展開、最後の方に突きつけられる真実の衝撃、主人公が味わわされる挫折や悲哀、といったイシグロ氏おなじみのフルコースといった様相なのだが、今回はあまりうまくいっていないように思われた。展開が強引すぎたのと、主人公があまりに自信家で楽天家すぎたように思う。いくら探偵としてイギリスで大成功をおさめているとはいえ、子供の頃に失踪した両親を何十年も経った後でもすぐに見つけ出せる、そしてまだある家に幽閉されていると確信できるだろうか。
主人公のクリストファーの甘い期待や思惑は最後に木っ端みじんにされてしまい、イシグロ氏が得意とする語り手である主人公の挫折や悲哀が最後に痛烈に炸裂するわけだが、自分の属する世界、自分の信じている信念、自分の大切にしている記憶が、実はそれほどたいしたものではなく、むしろもろくて曖昧なものであるという、イシグロ氏のテーマが最後にいかんなく発揮されてやはり素晴らしい。
後半の戦闘シーンも、息をのむほどの迫力と恐怖が伝わってきて、この作家の描写力の確かさがよくわかった・
しかし、「日の名残」や「私を離さないで」と比べると、特に後半はあまりに事がとんとんと小気味よく進みすぎて、それが作者の都合に思えてしまい、小説に入り込めなかった。残念。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.108
(1pt)

わたしたちが孤児だったころ

送って頂いた本、一見確かに綺麗は綺麗でしたが?ページを開くとこれが本なのかと思うような
製本の仕方に驚きました。
とてもこの本で読む気になれず(手で引き裂いて捨て)、新たに文庫を購入しました。悪しからずーー
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.107
(1pt)

わたしたちが孤児だったころ

送って頂いた本、一見確かに綺麗は綺麗でしたが?ページを開くとこれが本なのかと思うような
製本の仕方に驚きました。
とてもこの本で読む気になれず(手で引き裂いて捨て)、新たに文庫を購入しました。悪しからずーー
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.106
(2pt)

話としては

まず将来の移植用として人を育てるということ、それを利用して移植手術を行い、生命を奪うこと。多くの倫理的問題を具組んでいすぎる作品です。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.105
(2pt)

話としては

まず将来の移植用として人を育てるということ、それを利用して移植手術を行い、生命を奪うこと。多くの倫理的問題を具組んでいすぎる作品です。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.104
(4pt)

いい本です。

今でこそ有名なカズオ・イシグロですが、なかなか良い本を書いていました。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.103
(4pt)

いい本です。

今でこそ有名なカズオ・イシグロですが、なかなか良い本を書いていました。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425