わたしたちが孤児だったころ

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評判

わたしたちが孤児だったころの評価:

4.00/5点 レビュー 80件。 E ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.00pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全162件 1〜20 1/9ページ
No.162
(4pt)

哀しい物語だった…

カズオ・イシグロマラソンラスト。
これはなんというか、華やかな場面が多いのに後半はもう辛すぎた。
主人公のバンクスは、前半とても理知的で落ち着いた私立探偵の立ち居振る舞いだったのだが、後半の上海に渡ってからの場面は、全てが行き当たりばったりであり、その言動が自己中心的過ぎてみていられない。その自己中心的な様こそが、イギリスが中国に抱いていた見下した態度なのだろうなというのを思った。それは日本に対してもそうなのであった。
後半のバンクスはそれこそカズオ・イシグロの真骨頂、夢と現実、自分の認識と周囲がずれまくっているけど進んでいく不気味な感じがすごかった。幼馴染との再会(?)からはもう何が正しいのか、どういう読み方をしたらいいのかわからなくなる。
ネタバレになるので書けないのだが、ラストは哀しかった。なんとも言えない気持ちになった。
孤児って誰なんだろう。それはその時代に生きた人みんな、現代に生きる自分もそうなのかもしれない。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.161
(4pt)

哀しい物語だった…

カズオ・イシグロマラソンラスト。
これはなんというか、華やかな場面が多いのに後半はもう辛すぎた。
主人公のバンクスは、前半とても理知的で落ち着いた私立探偵の立ち居振る舞いだったのだが、後半の上海に渡ってからの場面は、全てが行き当たりばったりであり、その言動が自己中心的過ぎてみていられない。その自己中心的な様こそが、イギリスが中国に抱いていた見下した態度なのだろうなというのを思った。それは日本に対してもそうなのであった。
後半のバンクスはそれこそカズオ・イシグロの真骨頂、夢と現実、自分の認識と周囲がずれまくっているけど進んでいく不気味な感じがすごかった。幼馴染との再会(?)からはもう何が正しいのか、どういう読み方をしたらいいのかわからなくなる。
ネタバレになるので書けないのだが、ラストは哀しかった。なんとも言えない気持ちになった。
孤児って誰なんだろう。それはその時代に生きた人みんな、現代に生きる自分もそうなのかもしれない。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.160
(4pt)

【翻訳の問題】語彙、文法、ジェンダーの誤用

内容に関しては五つ星なのだが、翻訳の問題で星一つ減点した。翻訳だけで星をつけるなら星2つだ。翻訳者は、言語に携わりながらメタレベルで言語を捉えていないという点では到底プロとは言えない。翻訳者の名前は見ずに小説を読み進めていたのだが、フィリップという男性の登場人物のセリフにある「~んだものね」という文末表現を見て、この翻訳者は女性なんだろうと判断した。「~んだもん」なら男女両用だが「~んだもの」は女性の文末表現である。男性の登場人物のセリフ中に女性文法が使われるミスによって翻訳者の性別が知れてしまうなど、プロとしてあってはならない。他にも、「午後中」(「午前中」とはいうが「午後中」とは言わない)、「~た前」「~た間」(英語の過去形をそのまま日本語の「た」にしているがこの文型は過去のことでも「~る」になる。どちらもテンスではなく未完了)、「会合」と翻訳すべきを「会議」、「よ」「ね」などの終助詞のいい加減な使用(根拠のない使用)など、まさに語彙・文法レベルの誤用の宝庫となっている。他の評者も書いているが、カズオ・イシグロの翻訳は、土屋政雄氏、飛田茂雄氏など、優れた翻訳者が担当しているが、なぜこの著作だけは異なるのだろうか。カズオ。イシグロ氏に対しても読者に対しても失礼である。出版社はチェックをしないのだろうか?改訂版を出版すべきである。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.159
(5pt)

本の購入感想

早く届いて良かったし、本のストーリーも面白いのでおすすめします。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.158
(4pt)

物語としての人生と、その崩壊

英国の私立探偵による、人生の回想と親探しの物語です。
この作品、おいそれと人には薦められません。ポイントはふたつあります。

・「信頼できない語り手」というミステリの手法を知らないと、面食らってしまう
 本作では、カズオ・イシグロの初期の代表作でも用いられたこの手法が全編を通して使われています。
 つまり、主人公が語る内容はあくまで、ひとりの孤児が必死の思いで作り出したフィクションにすぎないということです。
 この点を念頭に置いて(あるいは途中で気付いて)読まないと、なにか変なものを読まされているという気になってしまうでしょう。

・カズオ・イシグロ作品の中では度を越して暗い
 中盤くらいまでは楽しく読めたのですが、物語は次第に暗くなっていき、最後はもう絶望のどん底に突き落とされることを理解しながらも「まあここまで読んじゃったしな」と思いつつ読み終えました。
 しみじみと人生を振り返り、辛いことも楽しいこともあったね、と穏やかな気持ちになる、そんな作品ではありませんでした。「信頼できない語り手」の手法を活用した、これでもかというほど残酷な物語です。読者は、人生という物語の、劇的な崩壊の場面に立ち会うのです。それでも最後はある程度品よく着地するので、いちおうカズオ・イシグロ作品としての体を成してはいるな、という印象を持つのですが、人によってはショックを受ける内容かも知れません。心が弱っているときには読まないほうがいいでしょう。

 内容が衝撃的すぎるという意味で星をひとつ減らしました。作品の質としては星5ですが、Amazonレビューの星には、おすすめ度合いという意味もあるので。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.157
(4pt)

物語としての人生と、その崩壊

英国の私立探偵による、人生の回想と親探しの物語です。
この作品、おいそれと人には薦められません。ポイントはふたつあります。

・「信頼できない語り手」というミステリの手法を知らないと、面食らってしまう
 本作では、カズオ・イシグロの初期の代表作でも用いられたこの手法が全編を通して使われています。
 つまり、主人公が語る内容はあくまで、ひとりの孤児が必死の思いで作り出したフィクションにすぎないということです。
 この点を念頭に置いて(あるいは途中で気付いて)読まないと、なにか変なものを読まされているという気になってしまうでしょう。

・カズオ・イシグロ作品の中では度を越して暗い
 中盤くらいまでは楽しく読めたのですが、物語は次第に暗くなっていき、最後はもう絶望のどん底に突き落とされることを理解しながらも「まあここまで読んじゃったしな」と思いつつ読み終えました。
 しみじみと人生を振り返り、辛いことも楽しいこともあったね、と穏やかな気持ちになる、そんな作品ではありませんでした。「信頼できない語り手」の手法を活用した、これでもかというほど残酷な物語です。読者は、人生という物語の、劇的な崩壊の場面に立ち会うのです。それでも最後はある程度品よく着地するので、いちおうカズオ・イシグロ作品としての体を成してはいるな、という印象を持つのですが、人によってはショックを受ける内容かも知れません。心が弱っているときには読まないほうがいいでしょう。

 内容が衝撃的すぎるという意味で星をひとつ減らしました。作品の質としては星5ですが、Amazonレビューの星には、おすすめ度合いという意味もあるので。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.156
(4pt)

ウォーリーとクリストファー

美術でアートとデザインの区別が不明になって久しい。言葉のアートもデザインと区別ができない。コナン・ドイルと『ウォーリーを探せ』を合体させ、漆喰細工か竹細工のような風合いで上海を描く。すべてが(戦争も)そのだまし絵の壁画に埋め込まれ、幾つもの惹句としてのセリフが、長編のあちこちにストーリーと無関係にはめ込まれる。主人公がクリストファー、日本人少年がアキラとあるが、キヨシではなかったか。本書で祝典の舞台とされるジェスフィールド公園には「犬と中国人立ち入り禁止」の立て札があったと武田泰淳が書いている。たぶん英語で。それにしても、原文の装飾性を日本語にするのは容易ではない。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.155
(4pt)

ウォーリーとクリストファー

美術でアートとデザインの区別が不明になって久しい。言葉のアートもデザインと区別ができない。コナン・ドイルと『ウォーリーを探せ』を合体させ、漆喰細工か竹細工のような風合いで上海を描く。すべてが(戦争も)そのだまし絵の壁画に埋め込まれ、幾つもの惹句としてのセリフが、長編のあちこちにストーリーと無関係にはめ込まれる。主人公がクリストファー、日本人少年がアキラとあるが、キヨシではなかったか。本書で祝典の舞台とされるジェスフィールド公園には「犬と中国人立ち入り禁止」の立て札があったと武田泰淳が書いている。たぶん英語で。それにしても、原文の装飾性を日本語にするのは容易ではない。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.154
(5pt)

春馬くんが演じる前にと思い購読

春馬くんが
「わたしを離さないで」
のドラマを演じる前に読もうと思い即注文。
悲しい小説でした。
これを機にカズオイシグロさんの本を数冊読みました。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.153
(5pt)

春馬くんが演じる前にと思い購読

春馬くんが
「わたしを離さないで」
のドラマを演じる前に読もうと思い即注文。
悲しい小説でした。
これを機にカズオイシグロさんの本を数冊読みました。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.152
(5pt)

美文です。

カズオ・イシグロの文章は本当に美文で、寝る前に読んでいますけど、毎日楽しみです。ディセントというか、節度ある文章でありストーリーだと思います。まだ読み終わっていませんが。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.151
(5pt)

美文です。

カズオ・イシグロの文章は本当に美文で、寝る前に読んでいますけど、毎日楽しみです。ディセントというか、節度ある文章でありストーリーだと思います。まだ読み終わっていませんが。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.150
(2pt)

よく分からなかった

アキラとの子供時代のダラダラ長い思い出は何なのか。
なぜアキラとあんなにタイミング良くあんな場所で再会するのか。さすがに無理があるでしょう。
ジェニファーの盗られたトランクの中身にまつわる話、何かあるのかと思いきや結局無かった。
主人公が突然やたらと傲慢、自分勝手になるのになぜ周りの人間は彼に従うのか。
優秀なはずの探偵なのに、両親がずっと何十年も同じ場所で幽閉されていると信じて疑わない、というのも変。
他の方も書いておられましたが、何故まずフィリップおじさんを探そうとしなかったのか。第一に探すべきだろう。
不思議に思うところや不自然な箇所が多々ありすっきり読めませんでした。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.149
(2pt)

よく分からなかった

アキラとの子供時代のダラダラ長い思い出は何なのか。
なぜアキラとあんなにタイミング良くあんな場所で再会するのか。さすがに無理があるでしょう。
ジェニファーの盗られたトランクの中身にまつわる話、何かあるのかと思いきや結局無かった。
主人公が突然やたらと傲慢、自分勝手になるのになぜ周りの人間は彼に従うのか。
優秀なはずの探偵なのに、両親がずっと何十年も同じ場所で幽閉されていると信じて疑わない、というのも変。
他の方も書いておられましたが、何故まずフィリップおじさんを探そうとしなかったのか。第一に探すべきだろう。
不思議に思うところや不自然な箇所が多々ありすっきり読めませんでした。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.148
(4pt)

2重の意味での孤児

【ネタバレあります】

 主人公は優秀な探偵のはずなのだけれど、自分の過去(両親が突然いなくなって、孤児になってしまった)に直面した時に、現実検討能力がすごく歪んでしまうんですよね。冷静に、合理的に判断しているつもりなのに、まったく的外れな判断をして、自己中心的な行動になってしまう。

 だから、主人公の奇妙さについていけないし、心情的にも共感しにくい感じがあると思います。

 この状況は主人公が「2重の意味で孤児になっている」とも言えるのではないかと思います。つまり、親が(自分を保護してくれる人が)いなくなることによって孤児になる(社会的に)と同時に、その心の傷によって他者との繋がりを作ることが難しくなってしまって(心理的に)孤児になるという意味において、ということです。

 作品中、ある女性との関りが描かれますが、この2人は結局情緒的に親密なつながりを持つことができなかったことも、主人公が結局「孤児」であったことを強調するエピソードとして挿入されていたように思います。
 
 そして、主人公が置かれている状況は、(主人公ほど劇的ではないにしても)現代に生きる我々に多かれ少なかれ共通する点があるのでしょうし、そういった意味での、「わたしたちが孤児だったころ」というタイトルなのかと思いました。

 このように書くと、本書がとてもペシミスティックな視点から描かれた作品だと感じられるでしょうが、本作品に希望が描かれてない訳ではありません。著者は、淡いながらも人と人との繋がりというものに対する希望も描き込んでいます(と私は思います)。どのような希望なのか、それは是非、読んで確かめていただければと思います。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.147
(4pt)

2重の意味での孤児

【ネタバレあります】

 主人公は優秀な探偵のはずなのだけれど、自分の過去(両親が突然いなくなって、孤児になってしまった)に直面した時に、現実検討能力がすごく歪んでしまうんですよね。冷静に、合理的に判断しているつもりなのに、まったく的外れな判断をして、自己中心的な行動になってしまう。

 だから、主人公の奇妙さについていけないし、心情的にも共感しにくい感じがあると思います。

 この状況は主人公が「2重の意味で孤児になっている」とも言えるのではないかと思います。つまり、親が(自分を保護してくれる人が)いなくなることによって孤児になる(社会的に)と同時に、その心の傷によって他者との繋がりを作ることが難しくなってしまって(心理的に)孤児になるという意味において、ということです。

 作品中、ある女性との関りが描かれますが、この2人は結局情緒的に親密なつながりを持つことができなかったことも、主人公が結局「孤児」であったことを強調するエピソードとして挿入されていたように思います。
 
 そして、主人公が置かれている状況は、(主人公ほど劇的ではないにしても)現代に生きる我々に多かれ少なかれ共通する点があるのでしょうし、そういった意味での、「わたしたちが孤児だったころ」というタイトルなのかと思いました。

 このように書くと、本書がとてもペシミスティックな視点から描かれた作品だと感じられるでしょうが、本作品に希望が描かれてない訳ではありません。著者は、淡いながらも人と人との繋がりというものに対する希望も描き込んでいます(と私は思います)。どのような希望なのか、それは是非、読んで確かめていただければと思います。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.146
(5pt)

子ども時代は何があろうと心豊かに

こうして100年前の人物の足跡を追うことで、時代を超え、空間を超え、巨大な奔流に身を委ねる感覚が得られるのは本書の醍醐味かもしれない。
少年時代の描写は子どもの一見無意味、無駄な事柄に夢中になったり、この世の終わりのように恐怖におののく様子が描かれ、普遍的な子ども時代とでも言えるような納得があった。まるで自分の少年時代を眺め、そして当時自分が見ていたものが描かれているような気になった。10歳ぐらいの子どもが陥りそうな対応の過ち、絶望に陥りやすい後悔、意外なほど深掘りできる思慮、かたや他者の気持ち、社会からの視線が分からなくて、究極まで登り詰める独りよがり。

探偵が事件を解決するような探偵物の小説ではなく、やはり時代のうねりをとらえた大河小説だと感じた。戦争で無辜の人々が大勢死にゆく中、クリストファーは事件で殺害された一人の人物の死を徹底的に追求していく。戦争で人の死が当たり前になり倫理観も正義もおざなりになりつつある世で、彼は人としての矜持を保ち、混沌とした奔流の中でも自己を維持している。物凄く勇敢な人物というような感じではないのに、精彩を放つのは世の混乱が加速しているためだろう。自暴自棄な大衆、悪事を悪事と思わなくなった警察、役所、そういう世の恐怖が描かれているようだ。世の中の空気に合わせる、周りの人々に自分を合わせるという、人間の能力は必要なことだが、時には飄々と鄒勢を見つめて立ち位置を判断し、自分一人しかそこに立っていなくても立ち続けなければならないことがある。

アヘン取引を企業活動として行い、莫大な資金を得たイギリスの話だが、現代でも社会を蝕みながらもその活動によって生計を立て、ひいては本書のバンクス家のように上流の暮らしにあずかっている人は多いのではないか。ゲームやスマホは人に楽しみを与えてくれる一方で、欲望の無限ループに陥れるような装置も兼ねている。WHOはついにゲームの依存性を危惧して疾患に格上げして警鐘を鳴らした。そういう行間の何かを見つけ出そうとすることは興ざめだろうか。ストーリーはすでに大河のように流れ、理屈っぽく立ち止まることは許してくれなさそうだが、現代に生きていれば歴史の足跡に反省を思いつつ、同じ足跡を辿ってはいないかと少し振り返ってみたくなる。

上海の喧騒が生々しくて、自分がそこに立っているように感じた時、そこに砲弾を撃ち込む日本軍がまるで外来のもののように感じた。日本人でありながら、そのように感じたのは不思議である。中国人の立場から侵略者を見つめ、また外国租界という特殊な地区のために遠雷を眺めるような感覚である。しかし確かに戦争の空気は上海の街を退廃に陥れ、変化への不安を掻き立てている。『ウースンクリーク』(日比野)は上海付近で行われた激戦を描いた戦記文学で、血の臭い、泥の臭いが立ち込めてくるが、本書は当初そのような激しさとは無縁の当事者感覚の希薄な空気が充満する。しかし戦場から逃れてきた難民は確かに街にいて、当事者ではないと意識的でないにしろ感じている心境を裏切るように、街は混沌として浮き足立っている。その空気感が肌に感じられて、著者の筆力に唸らされる。
日本人がまさに日中戦争の最中のこの話に接した時、激烈な侵略とは少し離れた情景が奇妙で新奇に見えるかもしれない。戦争のすぐ隣ではこうしてnobleな心境を保ち、ゆっくりとたがが外れていきながらも、この上海に長く住みたいとイギリス人に言わしめる何かがある。その雲のようなものが行間から立ち上がってくるのである。

子どもの頃の親の庇護が与えてくれる平穏。それはまるで世の中全てが平和であるかのような錯覚となる。その時代にはその時代の困難が必ずあるが、子どもの視野ではそこまでは見えない。しかしその無垢な勘違いが、大人になった時に見えてくる世の中の混乱を立て直したいという正義の観念を下支えする。あの頃のように平穏にしたいと。子ども時代の生活はそういう意味で重要になる。クリストファーのように孤児でありながらも、周りの大人が手を差しのべて平穏な生活を生み出すのは、その背景に何か理不尽なものがあっても優先されるべきなのかもしれない。『世界は贈与でできている』(近内)は親と子の関係に贈与の考え方で説明を試みている。親が子どもに無数のものを与えようとも子は親にお返ししなくてもよい。ただその背負わされたものはいずれ誰かに別の形で与えていけばいい。その子は親となって新しく生まれてくるものに引き継いでいけばいい。何か困難があろうとも子どもには心豊かな生活を可能な限り与える、というのが大切なのだろう。本書のクリストファーも不都合な背景があるなか、そういう大きいものを背負いつつ彼は逞しく屹立し、次に伝えていく役割を図らずも果たしたのだと思うと、困難な時代を跨いだこの小説にも様々な意味が見えてくる。

大河小説や戦記文学、推理小説の要素を持った重厚な内容であった。恋愛の面もねちっこくなくて個人的にはよかった。言葉を重ねた豊かな表現は心に響いてくるが、暑苦しくない文体ですっきり読めて、そこに軽快な展開も加わるので読書はドンドン進む。この100年前のノスタルジーに浸りたいと思っていても、それを許してくれないのがこの小説の凄さなのだろう。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.145
(5pt)

子ども時代は何があろうと心豊かに

こうして100年前の人物の足跡を追うことで、時代を超え、空間を超え、巨大な奔流に身を委ねる感覚が得られるのは本書の醍醐味かもしれない。
少年時代の描写は子どもの一見無意味、無駄な事柄に夢中になったり、この世の終わりのように恐怖におののく様子が描かれ、普遍的な子ども時代とでも言えるような納得があった。まるで自分の少年時代を眺め、そして当時自分が見ていたものが描かれているような気になった。10歳ぐらいの子どもが陥りそうな対応の過ち、絶望に陥りやすい後悔、意外なほど深掘りできる思慮、かたや他者の気持ち、社会からの視線が分からなくて、究極まで登り詰める独りよがり。

探偵が事件を解決するような探偵物の小説ではなく、やはり時代のうねりをとらえた大河小説だと感じた。戦争で無辜の人々が大勢死にゆく中、クリストファーは事件で殺害された一人の人物の死を徹底的に追求していく。戦争で人の死が当たり前になり倫理観も正義もおざなりになりつつある世で、彼は人としての矜持を保ち、混沌とした奔流の中でも自己を維持している。物凄く勇敢な人物というような感じではないのに、精彩を放つのは世の混乱が加速しているためだろう。自暴自棄な大衆、悪事を悪事と思わなくなった警察、役所、そういう世の恐怖が描かれているようだ。世の中の空気に合わせる、周りの人々に自分を合わせるという、人間の能力は必要なことだが、時には飄々と鄒勢を見つめて立ち位置を判断し、自分一人しかそこに立っていなくても立ち続けなければならないことがある。

アヘン取引を企業活動として行い、莫大な資金を得たイギリスの話だが、現代でも社会を蝕みながらもその活動によって生計を立て、ひいては本書のバンクス家のように上流の暮らしにあずかっている人は多いのではないか。ゲームやスマホは人に楽しみを与えてくれる一方で、欲望の無限ループに陥れるような装置も兼ねている。WHOはついにゲームの依存性を危惧して疾患に格上げして警鐘を鳴らした。そういう行間の何かを見つけ出そうとすることは興ざめだろうか。ストーリーはすでに大河のように流れ、理屈っぽく立ち止まることは許してくれなさそうだが、現代に生きていれば歴史の足跡に反省を思いつつ、同じ足跡を辿ってはいないかと少し振り返ってみたくなる。

上海の喧騒が生々しくて、自分がそこに立っているように感じた時、そこに砲弾を撃ち込む日本軍がまるで外来のもののように感じた。日本人でありながら、そのように感じたのは不思議である。中国人の立場から侵略者を見つめ、また外国租界という特殊な地区のために遠雷を眺めるような感覚である。しかし確かに戦争の空気は上海の街を退廃に陥れ、変化への不安を掻き立てている。『ウースンクリーク』(日比野)は上海付近で行われた激戦を描いた戦記文学で、血の臭い、泥の臭いが立ち込めてくるが、本書は当初そのような激しさとは無縁の当事者感覚の希薄な空気が充満する。しかし戦場から逃れてきた難民は確かに街にいて、当事者ではないと意識的でないにしろ感じている心境を裏切るように、街は混沌として浮き足立っている。その空気感が肌に感じられて、著者の筆力に唸らされる。
日本人がまさに日中戦争の最中のこの話に接した時、激烈な侵略とは少し離れた情景が奇妙で新奇に見えるかもしれない。戦争のすぐ隣ではこうしてnobleな心境を保ち、ゆっくりとたがが外れていきながらも、この上海に長く住みたいとイギリス人に言わしめる何かがある。その雲のようなものが行間から立ち上がってくるのである。

子どもの頃の親の庇護が与えてくれる平穏。それはまるで世の中全てが平和であるかのような錯覚となる。その時代にはその時代の困難が必ずあるが、子どもの視野ではそこまでは見えない。しかしその無垢な勘違いが、大人になった時に見えてくる世の中の混乱を立て直したいという正義の観念を下支えする。あの頃のように平穏にしたいと。子ども時代の生活はそういう意味で重要になる。クリストファーのように孤児でありながらも、周りの大人が手を差しのべて平穏な生活を生み出すのは、その背景に何か理不尽なものがあっても優先されるべきなのかもしれない。『世界は贈与でできている』(近内)は親と子の関係に贈与の考え方で説明を試みている。親が子どもに無数のものを与えようとも子は親にお返ししなくてもよい。ただその背負わされたものはいずれ誰かに別の形で与えていけばいい。その子は親となって新しく生まれてくるものに引き継いでいけばいい。何か困難があろうとも子どもには心豊かな生活を可能な限り与える、というのが大切なのだろう。本書のクリストファーも不都合な背景があるなか、そういう大きいものを背負いつつ彼は逞しく屹立し、次に伝えていく役割を図らずも果たしたのだと思うと、困難な時代を跨いだこの小説にも様々な意味が見えてくる。

大河小説や戦記文学、推理小説の要素を持った重厚な内容であった。恋愛の面もねちっこくなくて個人的にはよかった。言葉を重ねた豊かな表現は心に響いてくるが、暑苦しくない文体ですっきり読めて、そこに軽快な展開も加わるので読書はドンドン進む。この100年前のノスタルジーに浸りたいと思っていても、それを許してくれないのがこの小説の凄さなのだろう。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425
No.144
(2pt)

寓話としてなら読める

雰囲気は非常にいい。

第二次大戦前の、とりわけ日中戦争前の上海とイギリスを舞台に、夢とも現実ともつかぬ幻想的とすらいえる物語が進んでゆく。

いかに人間の記憶はいい加減か、世界を自分に都合をよく見ているかについて書かれた小説としては良いものだと思う。

しかし主人公が少年時代を過ごしたであろう時期は、計算すると19世紀末ということになり、まだ中国には軍閥といえる存在はいなかったはずで、完全に物語が破綻する。

また軍閥なんて存在は自分の支配地域を離れれば、意外と無力な存在であり、ましてイギリス人に犯罪を働くなどということはリスクがありすぎてしなかったであろう。

いささか現実感に欠けるという点においてあまり高くは評価できない本である。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.143
(2pt)

寓話としてなら読める

雰囲気は非常にいい。

第二次大戦前の、とりわけ日中戦争前の上海とイギリスを舞台に、夢とも現実ともつかぬ幻想的とすらいえる物語が進んでゆく。

いかに人間の記憶はいい加減か、世界を自分に都合をよく見ているかについて書かれた小説としては良いものだと思う。

しかし主人公が少年時代を過ごしたであろう時期は、計算すると19世紀末ということになり、まだ中国には軍閥といえる存在はいなかったはずで、完全に物語が破綻する。

また軍閥なんて存在は自分の支配地域を離れれば、意外と無力な存在であり、ましてイギリス人に犯罪を働くなどということはリスクがありすぎてしなかったであろう。

いささか現実感に欠けるという点においてあまり高くは評価できない本である。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ) Amazon書評・レビュー: わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)より
4152083425