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邪宗門



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邪宗門の評価: 4.57/5点 レビュー 53件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.57pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全47件 21~40 2/3ページ
No.27:
(5pt)

日本文学の金字塔

オウム事件のときもそう思ったが、共謀罪が審議されている今こそ読み直したい日本文学の金字塔。高橋和巳が生きていたら、今日の日本をどう思っただろうか。
邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)より
4022640049
No.26:
(5pt)

日本文学の金字塔

オウム事件のときもそう思ったが、共謀罪が審議されている今読み返すとさらに重要性がわかる。著者の高橋和巳氏が夭折したのは日本にとってはかなりの損失だ。下巻になってさらに先鋭性を増す。大部で難解な文章だが、格調高く一気に読ませる筆力がある。傑作だ。
邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)より
4022640057
No.25:
(5pt)

多くの教えが詰まった本

高校生の時、尊敬する先生の勧めで読みました。
戦争へと突き進む不条理や、宗教と生活の関連など、多くのテーマが詰め込まれています。
読破するのに時間はかかりましたが、どんなに時間がかかっても人生で読むべき一冊です。
邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)より
4022640049
No.24:
(5pt)

高橋和巳氏の思い出

高橋和巳氏があの大学紛争で消耗して無駄に死ななければ。
そう考えることがある。
もう30年以上前に読んだ本だったが異様な始まりと終わりは
良く覚えている。
氏の作品では最も読みやすいものだったと記憶している。
その後の読書のある種の基準になったと思っている。
小松左京氏はこの小説を読んで純文学を止めたと言い。
インスピレーションを得て日本アパッチ族を書いたとのこと。
また、奥様の高橋たか子氏が高橋和巳氏没後に
「私が仕事でくたくたになって帰ってくると、和己は
釜から直に手づかみでご飯を食べ、酒を飲んで寝ていた・・・」
その事を筒井康隆氏は自分が死んだ後くちゃくちゃに言う嫁は嫌だ。
そう書かれていました。
そんなことが思い出されます。
邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)より
4022640049
No.23:
(5pt)

圧巻でした。

物語が壮大すぎて、なにを言っても自分の言葉が稚拙に聞こえてきます。

これに全共闘世代は高校〜大学の年齢で夢中で読んだというのだから、、凄い。

兎に角1200ページのボリュームに初めは驚きました。上巻はカナカナと漢字の読み辛い文が多く、苦労したが下巻は展開も早く比較的読みやすかったです。

こんなに難しい内容なのに登場人物ひとりひとりに自分を重ねられる位、物語に引き込まれてしまいました。(勿論、当時の頃の人の本当の苦悩など分かるはずもないですが‥)

千葉潔のもっている暗黒の内面部分は
なかなか解釈が難しく、
千葉潔がどういう気持で何故そうするのか?分かりたくて何度も読み返しましたが理解しきれませんでした。

まず、駒の婆さんが倒れ、千葉潔にあの絵は知っているか?と、聞くシーン。
そして千葉潔はなぜそのような返答をしたのか?
色々想定したがつまりは何の事をいっているのか?

また千葉潔が死ぬ間際、
民江に何かを言おうとしたシーン。
最期に何を言おうとしたのか?

佐藤優の解説での
千葉潔がニヒリストになってしまった理由、ニヒリストは何故ケースバイケースなのか?
イマイチ解説が曖昧だと思いました。

何度読んでも分からないので
これらの解説が欲しいと思う位です。

内容が凄まじすぎて、
読み終わった直後は暫く
ぽかーんとして、動けませんでした。

自分がどれ位内容を読み込めているのか
分かりませんが、本当に深い内容です。

これを35歳の若さで書き上げた高橋和巳、ただただ凄い。

自分の中の特別な一冊です。
邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)より
4022640057
No.22:
(5pt)

戦後日本文学の記念碑のひとつ。しかもエンターテインメントとしても面白い。

高橋和巳は小松左京と京大時代からの盟友だった。高橋さんが1971(昭和46)年、つまりあの三島由紀夫とほぼ同じ時期に39歳で亡くなったあと、小松さんはその「観念性」や「大きすぎる問題意識」や「志」といったものを引き継いで、それをSFのかたちで大いに展開してみせた。そういう見方もできるんじゃないかと、以前からぼくは考えている。
 裏返していうと、高橋和巳にはエンターテイナーとしての資質もあった。ことにこの『邪宗門』は、よい意味での通俗性にあふれていて、このたび約20年ぶりに繙いてみたら、読みやすさに面食らうほどだった。
 それはもちろん、戦前~戦中~敗戦に至る時代を背景にしているんだから明るくはない。何しろ日本という国そのものが、いまのぼくたちには想像もつかないくらいビンボーな頃だ。しかも舞台となるのは国から弾圧を受ける新興宗教の教団なのだ。とうぜん全体の色調は(高橋さんの他の作品と同じように)暗いわけだが、その一方、わかりやすいキャラ設定(ツンデレ美少女も、陰のある美少年もいる)、起伏に富んだストーリー、力強い描写によって、ひとつの「世界観」がくっきりと描き出されている。ぐんぐん読めてしまうのである。
 そのなかで、「政治」とは? 「宗教」とは? 「国家」とは? 「革命」とは? といった、およそ日本ブンガクには似つかわしくない壮大なテーマが、相互に縺れ合いながら血肉をもって脈打っている。たんに消費財としてオモロイというのではなくて、ずっしりと読み応えがあるわけだ。「火花」が芥川賞をとってしまう現在の日本文学シーンにおいて、純文学/エンターテインメント双方を含めて色々とタイトルを思い浮かべてみたのだけれど、これくらい重量感のある小説は、ぼくには思い当たらなかった。引き合いに出して申しわけないが、少なくともぼくには、村上春樹の『1Q84』の百倍くらい面白く思える。
 『邪宗門』は、三島由紀夫の『豊饒の海』(新潮文庫)、野上弥生子の『迷路』(岩波文庫)、大西巨人の『神聖喜劇』(光文社文庫)、大江健三郎の『万延元年のフットボール』(講談社文芸文庫)などと並ぶ戦後日本文学の記念碑であり、遺産だと思う。長らく入手困難が続いていたが、高橋和巳とゆかりの深い河出書房新社によってここに蘇ったことは誠に喜ばしい。
邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)より
4022640049
No.21:
(5pt)

すばらしい

戦前から戦後にかけて、新興宗教団体への、弾圧や苦悩に立ち向かう、宗教者たちの生きざまを描いた作品。 そのすべてにおいて、まるでノンフィクションのごとく、まるでその事実が歴史に残されているがごとく、 その場面、その人物の行動がとてもリアルに表現されている。 作者の知識及び文章表現力のすごさに脱帽。 上下巻を通して「暗い」。 だけど文学ってこの暗さが自らの人生を切り拓く糧となると思います。 最後の場面で、三代目教祖の千葉潔の自決(餓死)を追って自ら舌を切る堀江民江には、切なくて泣けた。 三島と同世代で、左巻きの作者だが、三島が彼だけは認めたという曰くには納得できる作品。
邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)より
4022640057
No.20:
(5pt)

苦悩する高橋和巳の進むところ

時代をよく反映された内容です。 弾圧後の「もしも歴史が」でしょうか。 読むのは3度目。 最後のほうの、主人公千葉潔と行徳阿礼の絶頂を見届けてから、最初から読み始めています。 流転、流浪する千葉の最後の傍らには。 高橋和巳は神経質で、ナルシストを演じているように感じました。 どこから来て、どこへ向かえば良いのかわからなくて、その過程で巨大な長編小説が生まれたのでしょうか。 「おおもと」がモデルですが、フィクションです。 この本から、出口王仁三郎防諜説が出てきたのでしょうか。
邪宗門 上 (新潮文庫 草)Amazon書評・レビュー:邪宗門 上 (新潮文庫 草)より
4101124035
No.19:
(5pt)

貴重

贈り物として贈呈。 もう廃盤のようで対大変喜ばれた。 状態も満足している。
邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)より
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No.18:
(5pt)

スケールの大きな作品です。

40年ぶりに読み返しました。当時買った文庫本の文字が小さくて読みにくかったことからkindle版を買い直して読みました。スケールの大きな作品であることを再認識しました。
邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)より
4022640057
No.17:
(5pt)

傑作

以前にも読んだのですが、新版が出たので買いなおしました。 やはり、傑作です。
邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)より
4022640049
No.16:
(4pt)

大本弾圧をモデルにした大河ロマン

権力による戦前の宗教弾圧、大本事件をモチーフにした大河ロマン。全体は三部に分かれている。戦前の第一部、二部は史実にほぼ沿った展開と思われ、過酷な弾圧の経緯が具体的にわかるので、その興味だけでも読める。大部だが読みやすく面白い。

 弾圧に曝されるのは「ひのもと救霊会」で、京都府内に本部があり、開祖は霊能者・行徳まさ、2代目教主はまさの養子・仁二郎。いずれも大本を連想させる設定と人名だ。開祖が神懸かり状態で書いた自動書記を「お筆先」と呼び、最高指導者を教祖と呼ばず「教主」とするのも同じ。

 主人公・千葉潔少年が放浪の末に本部にたどり着き、教主の娘姉妹に出会うところから始まる第一部は、“世直し”を指向する教団が弾圧によって壊滅する経緯を描く。昭和前期という時代が浮き彫りされ、時代を主人公にした全体小説の趣がある。

 第二部は対米開戦までの教団の苦闘が描かれる(大本弾圧の史実とは若干時間がずれる)。全国に離散した幹部信者のそれぞれを追うこの第二部で、日中戦争下の日本全体の状況が重層的に描かれる。
 獄にいる父母に代わり教団指導を担った長女・阿礼も再度の弾圧に敗北・妥協し、禁教化された後も隠れキリシタン的に活動してきた教団は総動員体制に呑み込まれ、精神的に崩壊する。

 第三部は終戦直後から始まる。
 敗戦後の混乱の中で三たび権力の干渉を受けた教団は“神の国”を実現すべく武装蜂起するが、三代目の教主に指名された千葉潔や阿礼は敗北して壮烈に散り、病魔に冒された次女・阿貴は拘置所に取り残される・・・。
 二部までは、教祖の墓を暴かれるなど、二回にわたって大弾圧を受けた大本の軌跡をなぞっているが、革命の夢を追ってナロードニキ的反乱の可能性を探った三部は完全なフィクション。宗教色がなく、大量の死を描いて救いのない終わり方だが、阿貴の復活が示唆されて物語としての余韻はある。

 史実の出口王仁三郎は大変な霊能者だったらしいが、本作は宗教の本質の一つである超常的な奇跡や霊能に触れず、また武装蜂起の必然性が感じられないうらみはある。しかし昭和前期の日本がトータルに表現され、宗教・政治・成長・恋愛・戦争・革命・死とエンタテイメントの要素はそろっていて、著者の筆力がこの作品をA級作に仕上げている。解説がいう「宗教が本来持っている“世直し”の思想を極限化していったらどうなるかと実験した小説」の説明が納得できる。
邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)より
4022640049
No.15:
(5pt)

字が小さくて、部厚くて、素晴らしい

最近(2014年8月)、河出文庫で出ていますが、内容に関してはこっちのカスタマレビューを参考にして下さい。

この新潮文庫版は、とにかく字が小さくて、部厚くて、最高です。

この新潮文庫版が出たのは、まだ読者の平均年齢が若いころで、字が小さかろうが、部厚かろうが、いとわなかったんですね。

おまけによく売れたというんですから、なおさらです。
邪宗門 上 (新潮文庫 草)Amazon書評・レビュー:邪宗門 上 (新潮文庫 草)より
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No.14:
(5pt)

30年ぶりに再読しました

1.阿礼は(当今の言葉で言えば)萌えキャラだ。ツンとした少女の行徳阿礼が、年月を経た小窪阿礼として
デレる過程が小説の一番の見せ場だ。こんな言葉で評されることに泉下の著者は顔を顰めるばかりだろうが、
キャラクターの魅力が一番現れている。決して巧みな女性描写ではないが。

2.重苦しい。主題からして暗いエピソードが多くなるのは仕方がないが、臭いの描写が多く、生理的にきつ
く感じた。笑いが少ないのも読みにくさを増している。これだけ読みにくい小説がかつてはベストセラーとし
て、多くの読者に迎えられたということにちょっと驚く。

3.沈鬱な小説世界の中で少しだけ明るさがあるのは、旧制三高の寮生活を描いた短い断章だ。著者は確か松
江高校の最後の世代として、旧制高校のエートスを身体で知っていたと読んだことがある。

4.佐藤優の解説はよくない。通り一遍の美辞麗句に過ぎない。すぐ前のページにある高橋和巳の後書きを
長々引用しているなど、推敲が足りない(←あるいは編集者の怠慢。これは無駄だと指摘しなくては)。
佐藤優ではなく、原武史の解説を読んでみたかった。
邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)より
4022640057
No.13:
(5pt)

高橋和巳は読破しなきゃなぁと思っています

まだ読み終わってはいないのですが。
自分の中ではとにかくもう「高橋和巳は文章がすごい」と思っているので。
心して読まねばと思うあまりにちょっと今は手が付けられなくて。

五分の一ページほど読みましたが、間があいたので今度また最初から読み直すつもりです。

あの人の文章、なんであんなに「すごい」んだろうな。
私は圧倒されます。
「うわぁ!それをこう表現するのか!」ってふうに、硬派っていうかなぁ。
他にはなかなかいないような、文章の書き手じゃないかと私は思うのですが。
さほど読書家ではないので、思い込みかもしれませんが。
邪宗門〈上〉 (1966年)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈上〉 (1966年)より
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No.12:
(4pt)

終わりの100ページが「臥龍点睛を欠く」結果を招いている

1965~66に朝日ジャーナル(インテリ向け週刊誌?)に連載されたものが原本になっている。基本は新興宗教の興亡を描いている。女性教祖の経歴、後継者に恵まれて全国に信者100万まで発展し、昭和の挙国一致体制に弾圧される。明治憲法、治安維持法、反逆罪、不敬罪等々が縷々説明される。特高警察の傲慢、反体制とみなされた途端に態度を豹変させる村民、市民。非合法化されても折伏に北は樺太、南はマリアナ諸島、西は満州へと出かけてゆく。教主、幹部は獄中で終戦を迎える。教主は獄中で死ぬ。戦争直後の労働争議、学園紛争に教団は介入、弱気を助けるが、既得権益層の反感を買い、また弾圧を受ける。指導部を過激派が押さえ、武装蜂起し、全滅。それまで生き生きと近畿地方山陰の山村に花開いた人皆平等を説く宗教団体が描かれていたのに木に竹を接ぐように暴力で独立王国を宣言する。一挙に興ざめ。
武装蜂起以外は歴史によく学び、説得力がある。1960年代の進歩人としてどうしても武装蜂起を描きたかった気持ちはわかるが、惜しい。
高橋和巳作品集〈第4〉邪宗門,私の文学を語る(インタヴュアー:秋山駿) (1970年)Amazon書評・レビュー:高橋和巳作品集〈第4〉邪宗門,私の文学を語る(インタヴュアー:秋山駿) (1970年)より
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No.11:
(5pt)

荒魂の終焉

戦時色濃厚になれば寄らば大樹の例えに乗じて、分派して体制側に擦り寄る「皇国救世軍」の勢いは、官憲に収監された教主不在の「本家」を圧倒する。
 千葉潔の復帰をもってしても、屈折した阿礼の気丈と、千葉潔の非宗教的立ち位置が齟齬をきたし、大凡教団を盛り返すには至らない。
 そして阿礼は教団の窮状に止むなく、九州博多に居を構える「ひのもと救霊会」の分派「皇国救世軍」小窪軍兵に嫁いでいく。
 戦火闌になると、「ひのもと救霊会」の成年男子は戦地に駆り出され潔も外地に出征、心ある教団幹部の女子たちも慰問団や軍属として旅立ち、教団は
ますます衰弱の一途を辿る。敗戦まぢかになると、戦死公報が詳らかにならず消息を絶った数名の幹部に一喜一憂する、教団継主の阿貴の姿があった。
 戦後、荒廃した国土の上にうらぶれたが疫病のように蔓延る劣等感。焦土化したのは宗教精神も同じである。
 戦中大政翼賛の一役を担った「皇国救世軍」の軍兵も、公職追放で一介の無一物となり生活は乱れる。妻阿礼や子供に何かと当たる日々に、二人は気
のみ気のまま家を出て、神部の教団に帰ってくる。阿礼と阿貴の姉妹関係は表向き傾らかとは言え、出征したまま消息のつかめぬ潔に対する思いは、立場
を超えた愛憎に艶かしく敵対していても教団運営には差し支えなかった。と言うのも、戦後に切り出された占領軍の社会的レジームに追いつくのに必死で
各地に散らばった信徒や、「皇国救世軍」以外に分派した「旧ひのもと救霊会」の呼び戻しに精魂を傾ける日々であったからだ。
 折りよく潔は復員した。数々の辛酸を舐めた外地終戦時の繰り言を阿礼姉妹に仄めかすまでもなく、早々に潔は阿貴や教団のたっての願いから、不敬罪
で獄にあったおかげで、かろうじて生き残っ教団の老幹部と協力して分派統合の役目を引き受けることになる。教主行徳仁二郎はすでに獄死、母八重は癌
に犯され不帰の身の上であった。
 潔が赴いたのは、「新興念仏宗」の教祖大見サトである。教団幹部松下幸次郎ほかの先触れがあったにも関わらず、説き伏せることもなく引き下がっていた。
 ここで潔は「ひのもと救霊会」創始者行徳まさの再来を見た。宗派を誇示する装飾が一切ない朴訥な佇まいと、妙好人のような一農婦の姿である。
 もともと非宗教的で孤高な自負に端座する潔であるが、近づこうにもそこは手が届かない淡い光の源であった。
 
 旧信徒たちが序々に返り咲き、家内工場や関連会社の活性化、そこで働く組合員との協調運営も軌道に乗り食料調達もまずまず、教団の自立が日に日に
堅実になり始めた矢先、占領軍から供出米返還の命令が下る。これは全国に広がる闇米流通の摘発と米価の統制を狙った日本政府と占領軍の施策である。
 教団自体は幅広い信徒間のやりくりで疚しい食料の挑発はしていない自存自衛の組織であるが、国家は疑いの目を向ける。地元警察は、継主阿貴を事情
説明とは名ばかりの事情聴取に連行し、一向に帰される風もなく、またぞろ戦前の悪夢が蘇ってくる。
 旧幹部や潔らはたび重なる弾圧の兆しに恭順せず、心底業を煮やし徹底して抗戦を挑もうと画策を練る。それを横目に出戻りの阿礼は、獄舎の阿貴に内密
で潔を三代目の教主に推戴、教団の団結を図る。 全国の関連施設に使者を送り国家反逆を促し、牙城である聖地神部は旧軍の残した重火器で武装する談
に決した。しかし多勢に無勢、「ひのもと救霊会」は散発的抗戦の末占領軍に包囲されジリ貧となる。各地に派遣された幹部らは討伐された。
 状況を悲観した阿礼も一人息子国雄の目前で自刃した。
 潔ら幹部は落ち延びたものの、キリストが荒野を彷徨うが如く、白衣の行者となって大阪釜ヶ崎に出向き、貧民窟において餓死往生を遂げる。
 ひとり蚊帳の外の阿貴は生来のポリオが嵩じ、警察病院でベッドに寝たきりとなった。窓外には焼け落ちる前の故郷の城趾が映っている・・・・・・

 
 高橋和巳氏は「あとがき」のなかで、「私の描かんとしたものは、あくまで歴史的事実ではなく、総体としての現実と一定の対応関係をもつ精神史であり、かつ
私の悲哀と志を託した宗教団体の理念とその精神史のとの葛藤だった」
 と、苦渋のそして未決の感慨を述べている。

 
  
 
 

 

 
 

 
 
 
 
 
邪宗門〈下〉 (1966年)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈下〉 (1966年)より
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No.10:
(5pt)

邪宗門徒とは・・・国家神道の擬態

みずず書房刊、現代史資料「特高と思想検事」に、大本教教主出口王仁三郎収監時の精神鑑定記録がある。
 それを読むうち、大本教弾圧を模した高橋和巳の小説「邪宗門」に思い至った。
 
 
 すべてが大本教史に準えてあるわけでもあるまいが、小説構成や事象事件の転変など概ね教団史に準拠しているのではないだろうか。
 千葉潔という無垢の少年を中心軸に、多彩な教団関係者が国家権力と渡り合う歴史的宿命を追いながら、殺伐たる当時の日本を大らかな郷土意識
の目線で俯瞰する対立軸を小説の根底に据えている。しかし現実は労働争議に煽られる教団関連事業と警察権力の思想統制の狭間にあって、教団は
分裂の憂き目を見る。
少年千葉潔は教団の運命の何たるかを知らぬまま、教団急進派の人物に教唆され、「練暁」の名のもとに、天皇直訴の尖兵となって伊勢神宮に赴く
が、悲願達せず官憲の追手を避けて地下に潜行する。ほとぼりが冷めたその時、教団に戻った刹那に逮捕される。以後感化院を渡り歩き、教団を遠
のいた。
 
 
 「ひのもと救霊会」教主 行徳仁二郎と教主婦人 行徳八重が不敬罪で官憲に収監され出獄もままならぬ折、気丈な長女 行徳阿礼は信者の多数を失い
今は非合法化された教団運営に忙殺される日々である。教団全盛時からは数年の月日が経っている。変わって迎合的で時勢を観るに便な分派である
「皇国救世軍」から政略的な和合の代償として縁談話がもちあがった。ここで、久しく教団から離れて、行方知れずとなっていた千葉潔が戻ってくる。
 さて、二人の邂逅が何をもたらすのか・・・・
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 この作品は、「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」と旗幟を掲げて、日本の寒村でストイックな集団生活を営む、宗教団体の栄光と没落を書いたものではない。
 人間社会の悲哀を下地に、現世の生業のなかで救われぬ魂の咆哮として、その鋒が時の権力に向かわざるを得ない宿業の数々をエピソード化し
たものである。
 そこで、国家権力頭脳たる司法意識のレベルたるやどの程度のものか、戯画的と思われる一章がある。上巻第十五章「公判」のくだりである。
 
 教主仁二郎ら「ひのもと救霊会」関係者は、「治安維持法違反不敬罪」で公判廷に召喚され、主任検事の前で要旨陳述が終わり被告人尋問に及ぶ。
 被告人陳述で「ひのもと救霊会」の神ながらの布教活動の経緯を、暗に告発された罪状そのものが、何ら「ひものと救霊会」の信条に抵触するわけでも
ない逸話を例に上げつつ、或る時は和歌を引用しながら、祭政一致の何たるかを滔々と述べる。
 これに業を煮やした主任検事が席を立ち、被告人が陳述範囲の域を超えていると不服を述べ、くだらない和歌の講義を一笑に伏そうと試みるが、やに
わに教主仁二郎は一喝する。
 「いま検事はこのようにくだらぬ歌と申されましたが、いま借りて例としました和歌は明治天皇の御製であります」

 ・・・・時代を超えて、往々にして見受けられる、これが雇われ官憲の祭政不一致の正体である。

 
 
 
 

 
邪宗門〈上〉 (1966年)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈上〉 (1966年)より
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No.9:
(5pt)

若い人たちに読み継がれるように

最終的に言語表現されたものが、もうこれしかないと信じるに至るかどうかを突き詰めた後、それに基づいた行動をとるということの間にある溝を渡れるか否か、高橋和巳は問い続けた作家だと思う。亡くなってずいぶん経ったため、作品が書店に並ぶことがないが、是非若い人たちに読んでもらいたいと思う。
高橋和巳作品集〈第4〉邪宗門,私の文学を語る(インタヴュアー:秋山駿) (1970年)Amazon書評・レビュー:高橋和巳作品集〈第4〉邪宗門,私の文学を語る(インタヴュアー:秋山駿) (1970年)より
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No.8:
(5pt)

冒頭の文章の素晴らしさに驚くばかりである

「最初、砂礫敷きの細ながいプラットホームがなんの飾りもなくのびる駅に降り立ったとき、鮮明な雲の輝きが、少年の胸を撃った。・・・」
という文章で、この小説は始まる。
 私は、すべての小説の中で、この小説の冒頭の部分がもっとも好きである。透き通った空気の中に立つ主人公の少年の姿が、ありありと目に浮かぶからだ。その後、少年が歩き過ぎるとともに駅員、街の人、宗教団体の人々の気持ちが語られながら、ストーリーは動き始める。大きな話が始まろうとする、小さな地鳴りとも言えるような冒頭のシーンの美しさは、ときどき読み返したくなるほど美しい。35年前に買って読んだが、毎年ぐらい読み返している。
 もちろん、全体のドラマティックな展開も素晴らしい。ぜひ、多くの方に読んでもらいたいと思う。
邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)Amazon書評・レビュー:邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)より
4022640049

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