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(短編集)
女のいない男たち
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女のいない男たちの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.77pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全222件 221~222 12/12ページ
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| 「文藝春秋」に掲載されてから、あちらこちらからイチャモンがつけられた「ドライブ・マイ・カー」と「イエスタディ」について簡単なコメントが、冒頭一番、載ってる。だけど、中頓別町の町長の言い分もわからないこともないけど、これで中頓別町が世界的に有名になったし(海外ではオリジナルの「文春」は読まれないか・・・・・)、「文春」2014年新年号に掲載されたフル・ヴァージョンの「イエスタディ」の関西弁訳なんて、秀逸なもんだけど・・・・・・・・ とはいっても本書の短編の中では「シェエラザード」がいい。「女のいない男たち」というけど、「をんな」がお話の中心になって、出ては消え、消えては出てくるこれら6篇の短編の中でも、この作品だけはずば抜けてると思う。 で、このシェエラザードは前世がヤツメウナギという特異体質(?)の持ち主で、「ハウス」に送り込まれた引き籠りの羽原クンのお世話をする「連絡係!」という男性にとっては、実に実に嬉しい存在・・・・・はてさて。 それにしても少し前に翻訳の出た「フラニーとズーイ」は関西弁じゃなかったなあ・・・・・ | ||||
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| アンヌ・ヴィアゼムスキーが十数年前に来日した際、 ゴダールの『中国女』で共演したジャン=ピエール・レオーについて、こう語っていた。 「ジャン=ピエールは撮影中、ゴダールのように思索し、ゴダールのように語り、ゴダールのように振る舞った」と。 要するに彼はゴダールに心酔してしまったのだ。 若くして村上春樹に出会った私たちの世代も彼の作品群を読み漁り 村上の書く主人公のように思索し、村上の書く主人公のように語り、村上の書く主人公のように 振る舞っていたものだ。 若気の至りとはいえ、恥ずかしい思い出である。 と同時に、その時代を懐かしく感じる。 しかし数年後、『TVピープル』が出版された頃から 村上の作風に変化が生じた。 それは、『ノルウェイの森』で異常とも思える、予期せぬ社会現象を巻き起こしてしまった 村上の自省から生じた、意図的な作風転換であったのかも知れない。 私はその頃から、彼の熱心な読者とは呼べなくなってきた。 何か得体の知れない苛立ちと鬱屈を抱え込んで日々を過ごした。 気障な文体と、センスの良さを誇示するような比喩が散りばめられた初期作品群に比べると 『TVピープル』以降の作品は寓意と内省的な独白が前面に押し出された、 村上以外の誰かが描いた、何か異物のような作品のように思えたのだ。 『海辺のカフカ』や『1Q84』を以てしても、私の内なる渇きは癒えなかった。 だから、時折『中国行きのスロウ・ボート』や『カンガルー日和』や『象工場のハッピー・エンド』を 引っ張り出しては幾度も読み返し、若かりし頃の村上が発表した気障で高踏的な修辞に 彩られた作品の余韻を味わい、静かに自分を慰めていたものだった。 それから、約四半世紀が過ぎ、今作が発表された。 前作の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の評判が 散々だったので、期待しないで読み始めた。 『TVピープル』『レキシントンの幽霊』『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』 と書き継がれてきた村上の最近の短編集の中では最も伝統的な手法で描かれた正統派の作品集である。 と同時に、眠っていた私の中の村上に対する評価を蘇らせた作品集でもある。 ここに収められた六篇の作品は寓意と内省に満ちながらも、しなやかかつ端正な文体で描かれている。 時間をかけて、じっくりと読むに値する、良質の作品集であり、 人生がようやく芽吹いた時期に村上春樹を読み耽ることで言葉にできない快さを感じた私たちが、 年を重ねた今、改めて腰を据えて読むにふさわしい作品が収録されている。 思えば、私は『TVピープル』以降の作品を読みこなすにはまだ若すぎたのだ。 そして今、私はようやく村上の成熟ぶりに追いつくことが出来た。 私は、私の内なる村上の復活を心から喜ぶ。 日はまた昇ったのだ。 | ||||
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