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終わらざる夏
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【この小説が収録されている参考書籍】
終わらざる夏の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全115件 101~115 6/6ページ
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先の大戦において、千島列島の中でカムチャッカ半島にもっとも近い占守(シュムシュ)島でどういう戦争が展開されたかは、多分、余り多くの人の知るところでないと思われます。当時の大本営ですら、それを予測するところ少なかったと本書においても描かれます。確かに、そこはソ連と鼻をつき合わせる地ではあるものの、当時の最大の敵、アメリカへの最短コースに位置する地でもあり、実際にアメリカはアッツ島の奪還を果たしていましたから、千島でアメリカの来襲を防ぐことが主要な関心であったことは理由があります。ところが、実際には、終戦3日目になってカムチャツカの尖端からソ連軍が攻め込んできたのでした。作中ではスターリンの領土的野望の表れとほのめかされています。 最終盤で、舞台はシベリアのラーゲリに移ります。そして最終章は、凍土の土から顔を出した野花のごとく春の陽に輝くヘンリー・ミラーの「セクサス」の一場面なのです。 主要な登場人物が、戦争末期、大木に降った雨粒のごとくそれぞれの幹を伝い紆余曲折の後にたどり着いた根元には、戦争の不条理が待っていました。しかし、それがそのまま北国の土に染みこんで終わりなのではなく、不死身に蘇り花を咲かすこととなるのです。北の最果ての島を主な舞台に展開された戦を通して、あの大戦が何であったのか、そこで命を落とした多くの人びとが示していることは何であるのか、それらをじわりと心に沈潜させる物語、それが「終わらざる夏」なのだろうと思います。 | ||||
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あまり知られていない占守島の戦い。 たかが紙切れ一枚に人生を左右された人々を、浅田次郎が悲しくも雄雄しく描く。 普段の上手さは十二分に発揮出来てはいないものの 相変わらずこの著者の描写は素晴らしいと思う。 「空も海も風も、お天道さんだって嘘っぱちにちがいないが、おふくろだけは本物だと思った」 には鳥肌が立った。 下巻が楽しみだ。 | ||||
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あまり多く知られていない終戦後の占守島における日本とソ連の戦いを題材にしている小説である。 占守島に出兵した男たちや残された妻・母親・子供たちの戦争に翻弄される人生がパラレルに語られている。戦争という状況の中で、登場人物の考え方や価値観の変化が記されている。状況が人を変えていく様を詳細に語られている。空襲に遭って家が燃えてしまった人間は、家の燃えていない人間を妬み、息子や夫が徴兵に取られた母親・妻たちは、赤紙配達係の人間を恨む。戦争という抗いようのない状況の結果であるにも関わらず、人々の心がバラバラになっていく様子が書かれている。逆に、徴兵や学童疎開によって、バラバラにされた家族であるから生まれる絆や逞しく成長する子供たちの様子も詳細に描かれている。 また状況の変化によって、変わらない信念や思想を強くもっている人々の様子も描かれていた。そういった人々は、周囲の状況に流されかけた時には、自分の信念に一度立ち返ってから、行動をする。自分の行動に常に意識的であり、自分の中で変化を起こしかけている時には、変わらない自分自身の信念をを軸にそれを客観的に分析している。そういった人々は、高い教養を持ちながらも、その能力をひけらかさない品位を持っている。 戦争を語る時、何百何千人が犠牲になったといった表現が多用されるが、この小説では、その何百何千人の一人一人に人生がそれぞれあることを強調しているように思われる。そのため、登場人物が多数でてくる。その分物語が散漫になっている印象も受ける。特に後半。最後の締めくくりのヘンリー・ミラーは、必要だったのかかなり疑問に思った。 とは言え、占守島における日本最強の軍隊のことや終戦後のソ連の侵攻など、世間であまり知られていない大事な歴史を題材にしていることは高く評価できると思われる。ぜひ一読するべきであるが、小説としての内容に関しては、人にって様々な評価に分かれると思われる。 | ||||
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「戦争の犠牲者をひとからげにしてほしくない。百人の戦死者には百人の人生があり、千人の異なった勇気があった」(452頁)。そう、戦争は、一人ひとりの人間を単なる数に置き換える。登場人物が数多くいて、生き延びた人々のその後の人生を知りたくなってしまうが、それを想像するのが著者が読者に残した宿題かもしれない。 | ||||
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歴史の教科書では、戦争の悲惨さが犠牲者の数で語られる。数だけで語るべきではない。一人一人のかけがえのない(代替性のない)人生が失われたのだ。召集令状を出す人、受け取る人、出征する人、見送る人、学童疎開させる親、学童疎開させられる子ども。それぞれ立場の人物を丁寧に描いている。(召集令状を受け取った男たちは)「それまで営々と築き上げてきた人生が、一瞬にして夢となってしまった顔である。」(167頁) | ||||
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非常に恥ずかしい話であるが、占守島の戦いのことは全く知らなかった。1945年8月15日以降にこんなに大規模な戦闘があったとは・・・。なんという不条理な戦いだろう。こういうことこそ学校で教えるべきではないかなと思う。 作品は相変わらずの浅田節が炸裂。愛すべき登場人物・想いのつまったセリフなど、「人の思い」をあらゆる頁で感じる。戦争で亡くなった方は、「数」で語るべきではなく「個」で語るべきだとの思いが強くなった。 ただ、少し残念なところもある。浅田氏は手紙や手記の形式を非常に好む。今作も後半は特に多い。素晴らしい内容も多く、大いに涙したのだが・・・。多くの主要キャラの最後までもがソ連兵の戦果報告か手記で語られている。彼らは最後に何を考え、何を見たのか、それが知りたかった。想像は出来る。だが最後に近づくにつれ、彼らの視点が極端に少なくなったのが非常に残念。逆にソ連兵の方がしっかり書かれている。そこでも涙が出たが、日本兵の視点でも泣きたかった。 戦争の愚かさ・不条理・無意味さを大いに感じられる名作。占守島の戦いのことを知らない人が多いというのは(自分が無知だっただけかも知れないが)、学校教育やマスコミの怠慢ではないだろうか。こういう戦いがあったということを教えてくれた浅田次郎氏に感謝したい。 | ||||
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カムチャッカ半島にもっとも近い千島列島最北端の小さな島・占守島(シュムシュ島)では8月15日に戦争は終わらなかった。 仮想敵ではなかったソ連が日ソ不可侵条約を破棄して8月8日に宣戦布告し参戦した。千島列島の武力占領をソ連は企図し、この島では8月18日早朝から戦いが始まり、精強な日本軍は圧倒的な火力と兵力で応戦・反撃しソ連軍を撃破した。そして日本軍は圧勝しながら24日に武装解除された。そして将兵たちは9月中旬からシベリアに送られ強制労働に服すという国際法違反の虐待を余儀なくされた。この勝利によって日本の領土は確保された。我々の知らない「もう一つの戦争」である。 その占守島に歴戦の鬼熊軍曹、若き菊池軍医、45才の片岡二等兵という三人の兵が和平のためのある使命を帯びて集結するが、運命のいたずらに翻弄されるという長い物語だ。戦争の理不尽さと渦中の人間の口惜しさと怒りとをあますところなく描いた傑作である。著者の浅田次郎の憤りが強いエネルギーとなって戦後65年目の暑い夏を前に優れた小説として結実した。 市ヶ谷の大本営参謀、岩手県盛岡の聯隊区司令部で徴兵作業にあたる動員班員、滝沢村役場兵事係、同潤会アパートに住む洋書翻訳者、シュムシュ島のアイヌ、函館から来た女子挺身隊、ソ連赤軍の将校、、。そして戦争の最前線に立っている兵士の家族達の悲しい物語だ。戦争には勝ち負けはない、戦争するものはすべて負けであるという著者の主張が痛切に響いてくる。 * 戦争は人間の思想や倫理や哲学をことごとく破壊する、超論理の無茶ですね。 * 明日の約束をすることが今日を生き延びるまじないであると、前線の兵隊は心得ている。 * 人間同士が殺し合っているのではなく、機械と機械が壊し合いをして、その機械を操っている人間が一緒に壊れちまうんです。 * 人の命を数字でしか量ろうとしない戦争というものに、 * 十五年も戦い続け、この四年近くは世界を敵に回して戦い続け、あげくの果てに降参する。 * 国が国民を攫(さら)い続けてきた。男たちを根こそぎ兵隊とし、女子供までも勤労動員の名のもとに拐(かどわ)かした。 * 赤紙一枚で召集された兵隊は、その後どこでどうしているものやら何もわからないのだが、死んだとたんに日付と場所が通知されるのだった。 * 邪念のないまっすぐな気性は、すなわち頭がいいのと同じなのである。 * 武運長久というのは、戦場で働(かせ)げというごどではながんす。逃げ回ってでも帰ってけろという、母心でやんす。 * スターリンの兵士になってはならない。やつは泥棒だ。革命という看板を掲げた大泥棒だ。 * だがな、犬死だって人を殺すよりはいからかましだ。 * 僕はいまさら死を怖れているのではない。わけのわからぬまま、戦う目的も理由も何もわからぬまま死ぬことがたまらなく恐ろしいのだ。 * 自由というものはよく知らないけれど、飛ぶも潜るも漂うも。これからは自分で決めていいのだろう。人間がようやく、鴎と同じように生きられるのだ。 * 百戦錬磨の兵隊たちですら、花咲く草原を征く時には声もなく見惚れるのです。 * 二度と、戦争はするな。戦争に勝ちも負けもあるものか。戦争するやつはみんなが負けだ。 | ||||
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氏の著作の中でも大好きな「プリズンホテル」シリーズ、「蒼穹の昴」、「中原の虹」。 その興奮が再び蘇る。 一読後、呆然。 そして、感動。 新たな福音書の誕生に、拍手。 とにかく、読んでみてください。 これから半年ぐらいは、周辺の人にそう宣伝する自分を想像している。 | ||||
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一見、浅田次郎らしからぬ小説、かもしれない。 主人公だったはずの片岡が中盤まったく登場しなくなるし、とにかく出てくる人物が多い。 「北千島に残された帝国陸軍最後の精鋭戦車部隊が、終戦後にソ連と戦う」 という「血わき肉踊る」小説を期待していると、肩透かしにあう。 だが、途中から著者のもくろみがおぼろげながらわかってくると、止まらなくなる。 著者が書こうとしたのは、特定の「誰か」にとっての戦争ではない。 「戦争」そのものであるからである。 日本側の死者300万。だが、それは決して世界の中で「多い」数字ではない。 ソ連側の死者は、一説によると2000万を超えるという。 誰が勝者で誰が敗者なのか。 わかっているのは、「死者は語れない」ということだけだ。 物言わぬ死者のために、浅田次郎は「戦争とは何か」を代弁してみせた。 300万という「数字」を、ひとりひとり、血肉のある「人間」として甦らせた。 あの極限状況の中で、市井のひとりひとりが、どれだけ人間としての尊厳を守り、 どれだけ、最後まで「人間」であろうとしたか。 読み進むほどに、涙が止まらなくなった。 いつもの「浅田節」はむしろ、控えめであるのに。 函館高女の女子高生たち400人を無傷で戻そうと尽力する 日魯漁業の社員と兵士たちのエピソードが、唯一の光明となって 胸に明るい灯をともす。 「また遊ぼうね。――戦争が、終わったらね。」 8月15日が近づいてくる。 「終わらざる夏」の登場人物たちに降りかかった出来事は、 決して他人事ではない。 戦争は、始まってしまうのではなく、私たちが始めてしまうものなのだ。 決して、彼らの犠牲を無駄にしてはならない。 強く、そう思った。 | ||||
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一見、浅田次郎らしからぬ小説、かもしれない。 主人公だったはずの片岡が中盤まったく登場しなくなるし、とにかく出てくる人物が多い。 「北千島に残された帝国陸軍最後の精鋭戦車部隊が、終戦後にソ連と戦う」 という「血わき肉踊る」小説を期待していると、肩透かしにあう。 だが、途中から著者のもくろみがおぼろげながらわかってくると、止まらなくなる。 著者が書こうとしたのは、特定の「誰か」にとっての戦争ではない。 「戦争」そのものであるからである。 日本側の死者300万。だが、それは決して世界の中で「多い」数字ではない。 ソ連側の死者は、一説によると2000万を超えるという。 誰が勝者で誰が敗者なのか。 わかっているのは、「死者は語れない」ということだけだ。 物言わぬ死者のために、浅田次郎は「戦争とは何か」を代弁してみせた。 300万という「数字」を、ひとりひとり、血肉のある「人間」として甦らせた。 あの極限状況の中で、市井のひとりひとりが、どれだけ人間としての尊厳を守り、 どれだけ、最後まで「人間」であろうとしたか。 読み進むほどに、涙が止まらなくなった。 いつもの「浅田節」はむしろ、控えめであるのに。 函館高女の女子高生たち400人を無傷で戻そうと尽力する 日魯漁業の社員と兵士たちのエピソードが、唯一の光明となって 胸に明るい灯をともす。 「また遊ぼうね。――戦争が、終わったらね。」 8月15日が近づいてくる。 「終わらざる夏」の登場人物たちに降りかかった出来事は、 決して他人事ではない。 戦争は、始まってしまうのではなく、私たちが始めてしまうものなのだ。 決して、彼らの犠牲を無駄にしてはならない。 強く、そう思った。 | ||||
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今まで読む機会がありませんでしたが、占守島の戦いへの興味から、良い機会と思い表紙を開きました。 徴兵資格を逃れる数週間前に召集令状を受け取る翻訳家、身長150センチで丙種でも不合格であった医学生、過去3度の兵役で右手の指3本を失い、銃を撃つこともできない老兵。 彼らと、その家族の思いが描かれるシーンに泣かされ続けます。 前半は、通常であれば決して前線に置かれることのない3人の補充兵が、北の果ての島に送られる情景を通して差し迫った国のありさまが良く描かれていると思います。 そして、後半も新たな登場人物を含めて、長い戦いを終えるために、どの軍人も民間人も非常に健気にそれぞれの戦いを続けます。 難点は、クライマックスで視点を変えたことでせっかくの感動が弱まってしまった事と、 そのリアリティ。 それでも十分に楽しめましたので、もう1作品読もうと思います。 | ||||
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浅田さんの本は全て読みました。 軍もの、任侠もの、怪奇もの、 チンピラもの、時代もの・・・・ そのつど、作者の懐の深さや洞察力、 ストーリー性に感心させらます。 本書は、終戦間際のごく普通の日本人の ごく当たり前の感情がしっかりと しかも美しく盛り込まれ 大変読み応えのある一冊です。 登場人物のキャラクター全てに 作者の愛情が注がれ、誰一人として 疎かにされていません。 その一人ひとりの人生、賢明さ、 直向さに涙させられました。 一見ばらばらの物語が、 ひとつのテーマに向う 満ち潮のようなエンディング。 浅田流最高のエンターテーメントです。 本書は、今までの浅田作品の要素が 全て盛り込まれていると言っても 過言ではないと思います。 日本語の美しさ、読了感・・・脱帽です。 | ||||
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ラスト数ページ、いや、下巻の中盤からずっと泣き通しでした。 とくに、最後に生き残った人が見つける品々がもう、たまらない。 戦争ものだからといって、戦地の兵隊や焼け跡の市民……といった これまでよく目にした人々の物語だけではなくて、 エリート参謀や疎開先の先生、東京で最先端の暮らしをしていたモボ・モガなど とてもバラエティ豊かな当時の人々の物語が詰まっている。 この人たちの感覚は、今の私とぜんぜん変わらない。 それだけに、それでも戦争に走ってしまったことがとても恐ろしく感じた。 決して特殊なこと、自分と関係ないことではないのだと。 昔の名作としてではなく、リアルタイムでこういう小説を読むことができてとても幸せだと思います。 | ||||
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市井の人々の生活というのは、政治や経済の状況によって大きく変化することはなく、基盤にあるものはおだやかに連綿と受け継がれてゆく。 その基盤自体を暴力的に根こそぎひっくり返してしまうものが「戦争」だ。 この作品では、起るはずのなかった(必要のなかった?)戦闘にフォーカスをあてることで、その悲劇を浮き彫りにしようとしている。 鳥瞰的視点から声高にではなく、日常の声によっておだやかに語られる戦いまでの登場人物たちがすごす日々は、まるで自分の傍らで起きた出来事のようにリアルで、読み進むにつれて登場人物たちが自分の親戚や友達みたいに思えてくる。 缶詰工場で働く少女たちの凛としたたたずまい、疎開先を抜け出して歩いて自分の家に帰ろうとする子供たちの「思い」とそれを助けてくれる名もなき人々の優しさ。細部にこそ神が宿るのだと思いました。 読み終わって、自分の好きなエピソードをもう一度読み返すとき、あ、僕はこういうことを大切にしたいのか、ということを考えさせてくれる小説でした。 | ||||
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ドラマや映画で、赤紙を受け取って本人や家族がつらく悲しくなる描写は何度も見てきたが 赤紙を配る側のつらさ、人殺しとののしられるやりきれなさについて書かれているものは 始めて読んだ。 学童疎開、空襲で荒れ野と化した東京の街、田舎に置き去りにして戦に行く息子などなど、 当時は「当たり前」と皆が受け入れていたことの普通じゃなさ、怖さに、平和な時代しか 知らない自分は改めておののいた。 予告だと、北方領土のその北での戦い(終戦3日後に始まってしまった)について描いた 小説、という前知識しかなかったので、そこに至るまでの、主人公たちが出征するまでの 物語にこんなにたくさんページが割かれていたのには驚いたが、だからこそ、こんなに 愛すべき人たちが戦場に行って死ぬ覚悟をするのだ、という事実が重たくのしかかってくる。 「壬生義士伝」で使いこなした岩手弁の美しさがまた光ってた。 | ||||
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