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終わらざる夏
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【この小説が収録されている参考書籍】
終わらざる夏の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全115件 81~100 5/6ページ
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本書(文庫本で全三巻)は、「壬生義士伝」に共通するスタイルを取り、『独白、手紙』などを綴っていく形になっています。それぞれの文章を読み始めた段階では誰が書いているのか分からず、読み進むにつれて頭の中で映画が上映されるように情景がありありと見えて来ます。この構成は、百田尚樹氏の傑作「永遠の0 (講談社文庫)」に影響を与えたと思いますが、浅田氏や百田氏のような桁外れのストーリーテラーだけに使いこなせるスタイルなのかもしれません。 また、「壬生義士伝」が、南部脱藩・吉村貫一郎とその家族や友人を通して「南部魂」を描いているのと同じく、本書は、3人の南部人が主人公となっており、南部の言葉が効果的に使われています。浅田氏は南部によほど熱い思いをお持ちなのでしょう。 ※ 現代日本で最も有名な岩手県人である小沢一郎は、仙台藩領だった水沢の出身ですから、決して「南部人」ではありません。浅田氏が描く南部人と小沢一郎が似ても似つかないのは当たり前です。 本書を購入した晩の23時に「読み始めたら眠れないかな」と思いつつ上巻を読み始め、止まることが出来ず、翌朝の6時、既に夜が明けきった時に下巻を読み終えました。7時間、同じ本を読み続けた記憶はあまりありません。 私は戦史には普通の方より詳しいつもりですが、浅田氏のリサーチは隅々まで行き届いており、気になる点は見当たりませんでした。浅田氏の最近の傑作、斎藤一を主人公とした「一刀斎夢録」では、明治陸軍史のリサーチにやや弱点がある(司馬遼太郎の『乃木愚将論』をそのまま踏襲、など)嫌いがありましたが、本書は安心して読めました。 なお、占守島の戦いについて、戦史の専門家がコンパクトにまとめた本として「一九四五年夏 最後の日ソ戦 (中公文庫)」があります。本書を読んだ後にお勧めします。 | ||||
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浅田次郎の作品を読むにつけ、プロフェッショナルな作家の構想力と文章力に感服します。また、ヤクザものの啖呵や方言を自在に操る、言語能力の高さにも恐れ入るほかはありません。本書には、敗戦色濃厚な昭和20年代の人々の生き様と苦悩が召集令状をキーワードに見事に描かれています。団塊世代の読者にとっては、自身の父母の青春時代を追体験するような思いに駆られるのではないでしょうか。 | ||||
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終戦後にあのような戦いがあったことを初めて知りました。北方領土返還に対する気持ちが強くなりました。 | ||||
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悲しいです。普通の日本人が・・・ロシア人が・・・・・ 68年前にこんな戦いがあったって初めて知りました。 残り頁が少なくなるにつれ、古くからの友人と感じていた登場人物の最期が近づく・・・ 戦争さえなければ、みんな幸せに・・・・ 歴史教本には描かれない日本人の心が描き出された秀作です。 | ||||
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68年前の先輩方の活躍に驚かされました。日本人の心を改めてみたように思います。やはり戦争はいけないってこと痛感しました。 | ||||
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浅田節爆発!戦時物を書かしたらピカイチではないでしょうか?勉強になりますよ! | ||||
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購入して良かったです。期待した通りの内容でとても満足でした。 | ||||
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購入して良かったです。期待した通りの内容でとても満足でした。 | ||||
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昭和の戦争を語る際に、語られ記憶され続けなくてはならない北辺の小島での終戦後の戦いに散った命の美しさと気高さに心打たれます。 美しい国土と心を守る大切さと厳しさを、あらためて認識できるのではないでしょうか。 登場人物一人ひとりの生きてきた歴史と、その上に立つ一人の人間としての信念が丹念に語られた上に物語が描かれており、淡々と描写されたクライマックスは余計に迫力と説得力を持って迫ってきます。 | ||||
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第二次世界大戦の結末は、西の戦線においては自国の敗北を尻目に、自ら率先遂行したホロコーストをやり得にすべく、自己保身の企てを殆んど成功せしめたナチスSS戦犯(=オデッサ一味およびそのカメラート)が、東の戦線においては極東ソ連軍を手先に、敵国降伏後の侵攻で所謂北方四島を含む千島を強奪したスターリン体制下のクレムリンが、それぞれ漁夫の利を占めたのみに終わった。 前者への糾弾となる小説はもちろん、拙稿で最初に評したMr.フォーサイスの作品『オデッサ・ファイル』だが、後者への糾弾となる小説が本作品である。 本巻は赤紙を送りつける側の苦悩から説き起こし、主人公の一行が任地・占守島へ赴く途中で天候不順により色丹島へ立ち寄るまでを収めており、それゆえ敵の姿はまだ現れず、主人公が入営挨拶で訪ねた上京時の恩人の台詞等で伏線を張っているに過ぎない。 従って主なる描写は主人公やその同行者、家族や仕事仲間、任地で待つ軍人達、道中で出会った者等、登場人物の周辺状況や回想シーンとなるが、そこには当時の時代背景や庶民生活などが的確に捉えられていた。 主人公の子息が疎開先から逃げ帰るのも、その始まりは本巻の後半だが、その疎開地での状況描写からも(今日の公教育にも直接的な悪影響を及ぼした)国民学校の世知辛さが伝わってくる。 ただ、千人針に関連した描写だけは、そのもの自体をまったく知らなかったことから、読んで想像しにくかった。 | ||||
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本巻は冒頭で主人公の任地・占守島に駐留する女子挺身隊員並びにその雇い主、及び島内部隊との連絡員が初登場し、それを前置きのようにして主人公一行もようやく同島に到着、いよいよ国際法違反の賊軍が来襲してくる。 その敵軍をやむなく迎撃するまでの運び、即ち終戦の詔に前後した情況を、当地だけでなく敵陣、居住地・東京に残してきた妻の行動範囲、子息の疎開先やその逃避行劇と平行的に展開させる構成は秀逸だった。 ただ、子息が逃避行劇で触れ合った者たちの一部の者が見た世界を、コサック出身の若き敵将が夢で見るといった件は、非現実的な感じがしないでもない。 ともあれ敵の将兵でさえ、この時の戦闘任務を狂気の沙汰と自覚し、その罪深さを嘆いている様子は如実に窺えるところだ。 最後は主人公に同行した若き医師と上記の連絡員だけが、シベリア送りにされながらも生き残り、祖国への帰還を望む処で終わっており、その後生還できたのかどうか、行く末の気になる畳み方だった。 戦時下の恐ろしさというのは、生と死のありうべからざる親和よりも、卑怯を卑怯とも思わなくなる精神の堕落にあるのではないか。だからその終局にあたっては、その卑怯者の得にしかならないのだろう。 それにしても、史実での極東ソ連軍将兵は、世界の戦争史上最も卑劣なこの作戦について、その良心が痛まなかったのだろうか。 | ||||
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登場人物は、それぞれに家族があったり、大切に思う人がいたりする中、自分の信念を懸命に生きています。どの命も貴くて、この本に出てくる人、誰一人として命を失ってほしくない、と読み進めるたびに思いが強くなりました。その思いに気づいたとき、実際の戦争の時には、家族や周りの人たちが、みなそうした思いを抱えていたこと、そしてそれを背負って戦争に向かっていった人たちが、この本に書かれている以上にたくさんいたことを思いました。多くの登場人物が出てくるのは、どの命もみんな等しく大切なのだというこを実感するうえで非常に効果があると思いました。生きて戻ってきてほしいという家族の強い思いにもかかわらず、たくさんの大切の命が失われた戦争について、また占守島の戦いについてはほとんど知らなかったので、歴史的事実を知る上でも、非常に読み応えのある本でした。 | ||||
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浅田次郎の戦争もの。 レビューアーの評価は決して高くないようですが、しっかり泣けました。 (近時の戦争もので泣ける度合いは百田尚樹の“永遠のゼロ”に次ぐ?) 男も女も大人も子供も日本人もソ連(ロシア)人も登場人物の一人一人がみんな“カッコいー” 900ページを超える大作ですが30から40ページに1回ぐらい泣けます。 もちろん私の中の浅田次郎のBest of Bestは『蒼穹の昴』ですが これもお勧め!! | ||||
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昨年、TVや書評などで注目されていた本だ。占守島(シュムシュ)でのロシアとの戦いにむけて、それぞれの兵とその家族がどのような状況だったのかが丁寧に描かれている。 あの時代の空気や人々の感性が敗戦を意識させる情勢の中で、切なく悲しく迫ってくる。45歳の夫を送り出す妻のやるせなさ、父を慕う学童疎開中の小学生、母親を戦災で亡くした少女。応召されないものの会社に残り同僚の無事を祈る上司や同僚、果ては動員計画を策定する大本営の士官やその通知を届ける役場の職員まで、それぞれの持ち場で、出口の見えない戦争に翻弄される個人の心情が切々と迫ってくる。 天皇の神格化に対する筆者の洞察などは、まさしくそれが真相などではないかと納得してしまうほど、説得力がある。常々、後世の人が、先の戦争を無謀な侵略戦争だったと一刀両断にする言質を耳にすることも多いが、その時代にあっては、そうせざるを得ない状況であったということも、しっかり認識しておくことが重要だと思う。徒に、当時の指導者を糾弾したり、または正当化したりせず、温故知新の心持で国際社会の中で一定の存在感と豊かさを実感できる日本にしていく責務が今の私たちにあることを改めて感じさせてくれた本だ。 | ||||
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終戦直後のソ連軍の侵攻。 領土拡張、戦後の発言力強化の意図がありありで読んでいて憤りを覚えました。 終戦を迎えたのに戦地に投入されるソ連兵。 そしてそれを迎え撃つ日本兵。 多分に複雑な心情だったのだろうと推察されます。 日本とロシアが主張する終戦日が違うため、北方領土問題は複雑化しているという 解説が最近多くなされています。 話としては知っていたのですが、実際問題としてこれを実感していたかというと 少々疑問です。 小説とはいえ、本書を読み当時を追体験することで問題の根深さが少しは体験できた気がしました。 これまで主役級だった登場人物の末期が、ソ連兵の視点で淡々と表現されています。 この点について物足りなさを感じる人も多いようですが、読み手側がそれぞれの登場人物の心情を想像する余地ができるので私は非常によいと思いました。 過度に泣かせるための演出を施すことは、本書に限り適当ではないのではと思いました。 | ||||
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この小説は終戦の年、1945年を舞台に描かれた物語ですが、私には1945年という舞台を通して、現代を描いた作品として読めました。 生に対する軽視、意志の放棄、思考停止、個人の孤立、誰もが望んでいない方向へと世界が動いていく不条理さ、といったものが、2010年の現代にもみられるもののように思えます。 改めて、浅田次郎氏の、普遍性を描き出す、文学の力に惚れました。 「終わらざる夏」 夏は未だ終わっていないのでしょうか。 | ||||
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登場人物が多いから把握しづらいところはある。 そんなわけで上巻はなかなか読み進めるのに時間がかかってしまった。 しかし、ここをきちんと読まないと下巻のそれぞれの生きざまに辿りつかない。 立場も過去もも未来も年齢もまったく違う人たちが、ひとからげで戦争という事象に巻き込まれてゆくのが戦争であるならば、こうした書き方も必要なのだろう。 ちゃんと読んでほしいと思う作品のネタばれはしたくないから、詳細には触れないが、鬼軍曹がよかった。 翻訳家も、少年兵も、赤紙を届け続ける男も、疎開先から東京を目指す子供も、先生も…。 彼らの誰ひとり、たとえ世の中においてどんな些細な役割を担う人間であっても、失ってもよい人生などではなかったのだ。 戦争をテーマにした作品は数多いが、登場人物の声が聞こえる作品は意外に少ない。 その点ではさすが浅田次郎、彼はやはり小説家なのだと認識させられた。 ☆は5つでもよかったが、「蒼穹の昴」が5つならという意味です。 | ||||
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終戦をまじかに控え、すべてを失いつつある日本において、 人を思いやる心を失わない人達の姿が涙を誘いました。 ストーリー性はやや低いので、誰に感情移入してよいか難しい気もしました。 読み手側としては評価がわかれそうな一冊です。 | ||||
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長すぎたのではないだろうか。波に乗っては潮が引き、微妙に感情を逆撫でする箇所にいらつきつつも、登場人物の魅力に励まされての読了だった。最後はあのような終わり方で納得する読者がどれぐらいいるのだろうか。何を意図して書いたのか、も読み手を不安にさせる筋立てである。 | ||||
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ストーリーで読ませる浅田次郎の作品ですから、具体的な筋書きには出来るだけ触れないようにします。 根元から何本にも枝分かれした大木にたとえられる物語です。枝は、云うまでもなく登場人物です。読者は、その木に降りかかる雨粒のように、いろいろな枝を伝っては根元に向け時間とともに流れ下ります。 時代は、先の大戦の末期、アッツ島の玉砕の余燼が残る頃から終戦後まで、とりわけ、ポツダム宣言受諾の8月15日を挟む比較的短い時期が描かれます。ところは、主に、千島列島の最北端、カムチャツカ半島に鼻付き合わせる占守(シュムシュ)島です。 物語は、占守島における思いがけない戦いに向け、終戦間近な盛岡、東京、信州などを舞台に何人もの人びとが登場し展開してゆきます。上巻は、それらの人たち(ソ連兵も登場します)が、戦争に巻き込まれ翻弄されながら、主要登場人物が占守島に舟で向かうところまでが描かれます。すなわち、何人もの登場人物が、互いにふれあい影響しあいながら、大木に降りかかった雨ツブとともに、それぞれの幹を伝って根元に向かって流れ下るように、千島の果てに向かって濃縮してゆく物語が展開するのです。 なお、上下巻を通じて顔を現す多くの登場人物はいずれも良い人たちです。悪い人間は一人も登場しません。懲役帰りのヤクザも、鬼熊と呼ばれる連戦の兵も優しいのです。それは、戦争という権力及び個人の暴力が大手を振る不条理の中で、いっそう際立っています。浅田文学のひとつの特徴だと思われます。 | ||||
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