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死ぬことと見つけたり
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【この小説が収録されている参考書籍】
死ぬことと見つけたりの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.61pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全71件 21~40 2/4ページ
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常人には理解不能で共感不能な主人公、という設定で、いかに主人公を読者に応援させるか? そんな困難なテーマなのに、読者に近い語り部の求馬の目線を入れることで、見事に、主人公の生き方を受け止めざるを得ない。そんな文芸の離れ業が堪能できた。 ともかく、引き込まれる文章で、上巻を読んだら、下巻も読まざるを得ない | ||||
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著者の作品は全部読んでますが、私のベストはこの上下巻です。 生きる事、死ぬことについて深く考えさせらる本です。 隆作品全てに言えますが、主人公が本当にカッコいい! こんな生き様、死に方に激しく魂を揺さぶられます。 是非本作をはじめ隆作品に触れて頂きたいです! | ||||
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氏の作品で一番好きだ。 『花の慶次』の原作だと『一夢庵風流記』を買ったが「まぁこんなもんか」と呼んでいた。 漫画の『影武者徳川家康』に触れ、物足りないと原作に。べらぼうに面白い。 影武者を十年近く氏の最高傑作として崇めたが、 これこそ男のバイブルだろう。 カッコいい不器用な男達なんて惚れるしかないだろう。 | ||||
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文字から広がるイメージが凄い。素敵な出会いに感謝したい。 主従関係や友情、漢くささが好きです。 | ||||
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繰り返し繰り返し何度も読んで、胸を熱くしながら楽しませてもらっています。 こういう熱い漢の人と出会いたいなと思っています。 | ||||
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薩摩武士はいろんな作品に登場して、その狂いっぷりを遺憾なく発揮してますが、鍋島武士も負けちゃあいない! 主人公の斎藤杢之助は毎朝布団の中でたっぷり死んで、死人になったら活動開始。自分の美学(価値観)に合わないのならば、老中だろうが藩主の一族だろうが脅したりぶん殴ったりするぜ! 恐ろしいのは、この死人が杢之助ただ一人ではないってこと。盟友中野求馬、牛島萬右衛門の二人に加え、モブの浪人組もみんな死人。この連中が世にはびこる理不尽、難癖、陰謀、暴力に対峙する! 男と生まれたからにはかくありたいと思わせる生き様が描かれた痛快無比のエンターテイメント! | ||||
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今とは違う時代であるが、この時代も今の時代も武士道は生きていると感じた。 まさしく、今の時代も武士道とは、死ぬことと見つけたり | ||||
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昔、少年ジャンプに掲載された「花の慶次」の原作者の書いた作品です。あんな感じで痛快極まります。 隆慶一郎の作品の魅力は、バイタリティ溢れる主人公にあると思います。 本作では佐賀鍋島の藩士である杢之助という人物が主人公なのですが、この人は葉隠の教えにしたがって、毎朝まいあさ、起き抜けに自らの死のイメージトレーニングを行います。朝一番で自分を"死人"にすることによって、「すでに死んでいる身、藩のために命を惜しまず奉公ができる」という状態を作るのです。 とは言っても、時は三代家光の御代。既に久しく天下は太平。「葉隠で毎朝イメージトレーニング」というのは、現代において「ラジオ体操の代わりに竹槍でB29落とす練習しようぜ」なみの時代錯誤。誰もやっていません。でも、杢之助は毎朝全力でやっちゃう!だからソロバン侍達との価値観の相違は日にひに広がるばかり。 そんな、"死人"のくせにバイタリティが溢れちゃってる杢之助の起こす騒動は超ド級!腹を抱えて笑うほど滑稽なのに、ほんのチョット哀愁も漂う…。 魅力的な登場人物の活躍する痛快チャンバラものです。 読んで損はない!超オススメです(^。^) | ||||
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この葉隠れという思想を生み出した日本に生まれたことに誇りを感じることができる、思想を具現化した小説。良い終えた後の清々しさは格別。 | ||||
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まさに生きていくための、そして清々しく死んでいくための 道しるべとなる本である。 | ||||
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本は少し古い感じがしたが、隆慶一郎の本が書店にはなくて助かりました。 ありがとうございました。 | ||||
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冗談でも刃を向けられたら、自らの命を顧みず怒涛の如く斬り進む 戦国時代に戦場で培われた必殺の剣がすさまじい! 誠実で間違ったことが大嫌いで不器用で滅法強い主人公は人々を惹きつける 溌剌として判りやすくてとても気持ちがいい。 読まなきゃ損ですぞ!( ̄ヘ ̄)/ | ||||
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本当に面白い。 覚悟こそが人間の強さだと改めて思い知らされる。 登場人物の全て(敵役、悪役、ペット?)が魅力的に見えてくるのは筆力のなせる業なのか。 商品として完結はしていないものの、作品として完成はしているように読み終えたときに素直に思える。 小学生くらいから国語の時間はこの本だけを読みなさいって授業をしていれば日本人自体が変われそうな一冊。 | ||||
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おもしろい。ただそれだけ。 最初の読了から25年。 おいおい!と思った突然の幕切れ。 15、6で隆さんの作品を一気に読み続けた。吉原、かくれ里、捨て童子、影武者。 で、本著。べらぼうに面白かった、パンを買わずに、ジュースを飲まずに、隆さんの本を買った。 BOOk offは無かったから。 で、未完の幕切れ。正直3日は鬱になった。 それでも隆慶一郎作品が読みたくて、読み続けた、最後の方になると不安で不安で仕方がなかった。 そのドキドキも良かったのかなぁ。 10年後、僕は冬空のパリにいた。何もすることがなくて、1日セーヌ川を眺めて、ホームレスのおっちゃんと水より安いワインを毎日飲んでた。ほぼ下戸で飲めもしないから、おっちゃんが一人でガブガブ飲んでた。ある日、おっちゃんがこなかった。 無性に日本が恋しくなった。 パリの街角に「東京堂書店(たぶん)」という日本書籍の専門店があった。 そこを覗いた。隆慶一郎の「死ぬことと見つけたり」があった。文庫だ。 当時1冊2000円弱もした。。。やっぱり、バケットを我慢してこの本を上下巻買った。 結末は知っていたけれど。 それでも読んだ、セーヌのベンチにひっくり返って読んだ。 面白かった、べらぼうに面白かった。そんでもって、最後はやっぱりふざけんな!と毒づいた。 それから15年。法事で実家に戻った、家を壊すから必要なものは持って行けと言われて 実家の部屋を片付けた。隆慶一郎作品が全て出てきた。 思わず、パリから持ち帰った本著を手にとって開いたところから読んだ。 おもしろかった、夢中になって読んだ、終わりが近づくと、本を置いた。 もう、この作家に毒づきたくなかったから。 しっかし、面白い。べらぼうに面白い。 坊主になって脅かして。心の一法でドキドキして、吉原がまたカッコよくて。 一人静で俺もこうしたいと思って。 大猿死んで泣きそうになって。 あいを生かす場面で泣かされて。ets 面白かった。 40代になってもあの日の僕に帰れる本。隆慶一郎こと池田一郎氏のご冥福を心よりお祈りします。 本当に面白い小説をありがとうございました。 おすすめです。 | ||||
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上巻同様、『葉隠』の内容及びイメージを逆手にとったかの如き流麗な筆捌きが見事なエンターテインメント大作。大いに堪能しました。鍋島勝茂の死の直前で未完となってしまい、おそらくはいよいよこれからが作者の純正『葉隠』の世界観の本番と思えただけに、本当に惜しまれます。幸い巻末に編集部の手になるシノプシス「結末の行方」が収められており、読者はその一端を垣間見ることができます。ちなみに、肝心の『葉隠』の述話者である山本常朝は鍋島光茂に小姓として仕え、光茂の死後、田代陣基にそれを語ったのですね。 「武士の住むに値しない藩など潰れるがよろしい。倖い手前はそんな様を見ずに済みます」(208頁) 「所詮失うもののある方が負けなのである。失うべき何物も持たない死人の方には負けはないのだ。彼等は勝つことさえ望んではいない。勝っても負けても、やるべきことはやる。それだけのことだった」(224頁)。 「鉄砲の問題もあった。『入鉄砲出女』と云って、箱根の関所は鉄砲は通さない。「だからこのままずっと船で行くのさ。船頭は承知しているよ」」(279頁) 「黒木喬氏はここから、本妙寺に火元を秘かに命じたのは、老中は老中でも、阿部忠秋ではなく松平信綱ではなかったかと推論されている」(381頁、明暦の大火松平信綱陰謀説)。 好漢、斎藤杢之助、中野求馬、そして牛島萬右衛門の残影がくっきりと脳裏に残っています。改めて、一体これから何がどう起こるんだ! | ||||
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「生命を捨てることが別段どうと云うことでもない」(162頁)3人の葉隠武士、斎藤杢之助、中野求馬、牛島萬右衛門の清々しい活躍を連作的に描いた長編。かの『葉隠』をモティーフにしながら、その叙述は寧ろコミカルで人情の機微に富む。隆慶一郎時代小説の新たな到達である。 「「武士の本分とは・・・・・・」 父が云った。奇妙にもどこか楽しそうだった。「殿に御意見申し上げて死を賜わることだ」・・・「だから武士たるものは、全力を尽くしてその地位に登るために励まねばならぬ」」(63頁) 「悪臭をふりまきながら、尚平然と一藩のために己れがよしと思った道に猛進する為政者の馬力を自分は持っていない。どうしても廉潔さが邪魔をするのである。・・・ 悪党になれぬ男になぞ何が出来よう」(307頁)。 「「・・・ 対馬の海でのんびり釣りをして、静かに老いてゆくのが望みなんだ。この吉原での愉しかった日々を思い出しながらね」 老後の貯蓄のために、今、思い切り遊んでおくのだと云う。いかにも茂之らしい思案だった」(373頁)。 「妙ないい方だが、悪には悪の誇りがある。その誇りは、罰を受けることで初めてはっきりするんだ。どんなに悪さをしても罰を受けねえんじゃ、誇りはずたずただよ。生きているのもいやになるだろうなァ」(389頁) それにしても庄司甚右衛門とこの3人が濃い知己であったというのは、出来過ぎですよ、隆先生(366頁、383頁)。 | ||||
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拝金主義的な現代でもはや根絶してしまったで あろう武士の魂に触れることができる。 サラリーマンを侍に例えることもあるが、 信念もなく頭ばかり下げる現代のサラリーマン (私含めて)が侍なわけがないと思わせる 爽快な男の生き様。 やや狩猟に関する描写(特に熊)が過剰な 気はするが。 | ||||
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隆慶一郎の味のあるタッチに、ついつい引き込まれて、一気に読んでしまいました。 仕上げる前に亡くなったとの事、最後まで読めないのが、残念です。 | ||||
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なし............................ | ||||
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自分の生き方を通すには、自分を捨ててかからなければ達成できないことがあります。武士の時代であれば、命をかけて意志を貫くことが必要だったでしょう。今の時代でも、自分の立場を捨てて、共倒れ覚悟で事に臨むと、相手のほうが身をひきます。私はこの方法で何回も危機を脱してきました。人生をともに歩む書として、今でも3ヶ月に1度は読み返しています。 | ||||
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